明治大学阿久悠記念館に足を運んでみたらフランク永井「街の灯り」が

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 阿久悠の歌謡界での業績をあますところなく紹介する常設の記念館。東京神田御茶ノ水の明治大学史資料センター所管の「明治大学阿久悠記念館」を訪ねてみた。
 阿久悠はフランク永井に6つのオリジナル曲を提供している。そしてさらに4曲のカバー曲を残している。
 「11時過ぎから」松尾和子と。「いないいない酒場」「おもいやり」「お涼さん」「愛されてますか。奥さん」「大阪の橋」「六本木ワルツ」。カバーは「さよならをもう一度」「ヘッド・ライト」「もしもピアノが弾けたなら」「街の灯り」だ。
 このなかで、もっとも大きな印象を残したのは、フランク永井が舞台を降りた年の作品「六本木ワルツ」ではなかとうか。これは恩師吉田正の作編曲とあいなった最後の作品である。みごとな結晶となっている。
 六本木の街の雰囲気が軽快なワルツで切り取られ、あざやかな印象を多くの人の心に刻み付けた。今でも聴く人にあの時代をほうふつさせる。ちょっとしめっぽい気持ちとともに。。。
 松尾和子とデュエットした「イレブン(11時)過ぎから」も素敵な曲。やはり阿久悠は時代を切り取ることに凝ったのが分かる。他の作家の追随を許さない。だが、フランク永井とのコンビでは「六本木ワルツ」だけがピッタシだったように思う。
 日産自動車のCMとして作られた「愛されてますか。奥さん」は、昭和天皇の訃報に遭遇しての自粛から僅かの露出であった。近年の昭和歌謡カバーの波で人気が高いのは「もしもピアノが弾けたなら」だ。これを歌って聴く人に関心をさせるのは相当な歌唱力がないと難しい。さすがと思わせる。
 個人的に好きなのは「ヘッド・ライト」。オリジナルの新沼謙治のがもともと好きだったが、やはりフランク永井の歌唱がいい。自信に満ちた声なのだが、挫折して都会を逃げるように去る若い二人の未来を決して悲しくしていないような気がする。
 さて、かつて学生運動のめっかで汚い落書きの塀で囲まれた明大は現在綺麗で明るいビル群になっている。その一角にある学舎の地下に明治大学阿久悠記念館はある。
 まず入り口に阿久が残した4500曲に及ぶと言われる名曲のジャケットが、どーんと展示されているのに目を奪われる。何とそこに堺正章のヒット「街の灯り」をフランク永井がカバーしたときのジャケットが中央にあった。1978(S53)年に寺岡真三編曲である。当時阿久悠作品を当時の歌手がカバーして作品集にするという企画で歌われたものだ。
 このジャケットが多くの他のジャケットというより元唄堺正章のを除けて採用されていたに、入り口でとりあえず感心した次第。
 展示室内に入ると、生涯の全容が順に終える。阿久の創作に打ち込んだ仕事室が再現されている。生涯で切り離せない友となった上村一夫とのコーナーもあり、多くの記念すべき遺物を見れる。
 上村のお嬢さん上村汀(上村オフィス)と阿久のご子息深田太郎(株式会社阿久悠)は同い年で、ご両親が亡くなってから何度かトーク・ショーをしている。今年も年頭(20日)にあった。それらは本にもなっている。明治大学の研究誌にも掲載されたりしている。二人の親の破天荒な生き方が紹介されていて楽しい。
 阿久悠と吉田正が美空ひばりの後年に曲を提供したということについては幾度かとりあげた。吉田正がレコード会社の壁を越えての提供で逢ったこと。阿久が同じ年に生まれて気づいたころには子供のくせに全国的に天才少女として名を馳せていた美空ひばり。そのひばりをうらやみ反面反発していて、作家になってからは「ひばりが歌っているようなものでない歌をつくる」ことに情熱を注いでいたからだ。
 実際に阿久はそのその妙な根性を全開させて無数のヒット曲を放った。晩年弱ったひばりを知って吉田正と阿久が「花蕾」をつくりひばりが歌ったのだ。
 ファンはご存じのように阿久は「作詞家憲法15条」を作り、こころがけていたことを明かす。それまでに、おのずと形成されていた流行歌の形に、正面から挑戦することこそが己の使命と自覚しての作家活動だったというのだ。
 ただ事ではない。当然だが阿久はあらたな流れへの試行錯誤をした。全部がヒットしたわけではない。そしてやがて来るべきときには、誰かが阿久自身が作ったものを乗り越えていく。
 ということで、ご興味を感じられた方は明治大学阿久悠記念館を訪ねてみたらいかがだろうか。

 参考までに阿久悠「作詞家憲法15条」を紹介しておく。
1.美空ひばりによって完成したと思える流行歌の本道と、違う道はないものであろうか。
2.日本人の情念、あるいは精神性は「怨」と「自虐」だけなのだろうか。
3.そろそろ都市型の生活の中での人間関係に目を向けてもいいのではないか。
4.それは同時に歌的世界と歌的人間像との決別を意味することにならないか。
5.個人と個人の実にささやかな出来事を描きながら、同時に社会へのメッセージとすることは不可能か。
6.「女」として描かれている流行歌を「女性」に書きかえられないか。
7.電信の整備、交通の発達、自動車社会、住宅の洋風化、食生活の変化、生活様式の近代化と、情緒はどういう関わりを持つだろうか。
8.人間の表情、しぐさ、習癖は不変であろうか。時代によって全くしなくなったものもあるのではないか。
9.歌手をかたりべの役からドラマの主人公に役変えすることも必要ではないか。
10.それは歌手のアップですべてが表現されるのではなく、歌手もまた大きな空間の中に入れ込む手法で、そこまでのイメージを要求していいのではないか
11.「どうせ」と「しょせん」を排しても、歌は成立するのではないか。
12.七・五調の他にも、音的快感を感じさせる言葉数があるのではなかろうか。
13.歌にならないものは何もない。たとえば一篇の小説、一本の映画、一回の演説、一周の遊園地、これと同じボリュームを四分間に盛ることも可能ではないか。
14.時代というものは、見えるようで見えない。しかし時代に正対していると、その時代特有のものが何であるか見えるのではなかろうか。
15.歌は時代とのキャッチボール。時代の飢餓感に命中することがヒットではなかろうか。


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このページは、文四郎が2018年2月 2日 19:12に書いたブログ記事です。

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