2018年2月アーカイブ

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 フランク永井の盟友だった松尾和子。彼女のファンは多い。だが、波乱万丈の人生だった。まあ「ムード歌謡」を語るときには、今でも欠かせない人だ。
 歌はうまい。歌詞を表現するのにこの人ほど見事にできる人は少ない。恩師吉田正が「松尾の歌はため息なんだが...」と言わしめるほど、その女の色気、ムードを巧みに表現できた。
 だからそうした大人のムードを気に入る人には憧れのような雰囲気を醸しだした。これは同時に純情な若者には「男を声で誘惑する魔女」「男に女の手練で迫るイヤなやつ」とも見られた。
 同じ歌手の仲間でも人気は分かれる。松尾の性格は「まるで女親分だ」とその飾らない気安さをたたえるものと「もっと女性らしさ」を求めるものと。
 彼女は育児にも問題があったかもしれない。かてて息子への愛も半端ではなかった。周囲の悪魔の誘いに安易に乗って手を染める息子に社会の目が迫ると「家に戻って反省しろ」と。戻ってきた息子の言い訳を単純に信じると、こんどは「私が守る。じゃ逃げろ」と。
 これじゃ、ただのバカ母でだめかもしれないのだが、松尾の思考が単純で誰にも予想通りなために、同情と哀れさがつきまとう。
 芸能界の歌謡界。歌が売れるか売れないかで雲泥の差がでる水商売だ。売れれば湯水のごとくカネが動くが、いったん社会から飽きられればちやほやと豪華な生活は、たちまち消える。
 息子を逃がしたのは、当時住んでいたのは、現首相の父親の住んでいた政治屋さんの住居。取り巻く取材陣をマイて逃がせるような忍者屋敷の機能をうまく利用したのだ。だが、ここも売り払いアパートに越す。
 こうした仕事が薄れた当時には、ささやかなものでも仕事がくるのはありがたい。舞い込んだのは当時TBSの人気ドラマからだ。それが向田邦子脚本、久世光彦プロデュース、小林亜星主演の「寺内貫太郎一家」。松尾はこの線に大きな期待を寄せる。
 ちょい出であってもしっかりこなせば、準レギュラーぐらいの出演までいければすごいことになるかもしれない。。。と夢を膨らませる。
 ということで、さて、「寺内貫太郎一家」への松尾の関与とはどういったものだったのだろうか。
 ドラマは有名だ。当時の歌謡界でトップに君臨はしていないが、異彩を発揮していた三大作曲家(山本直純、浜口庫之助と)として勝手に命名している一人の小林亜星が主演している。悠木千帆=樹木希林の怪演、伴淳三郎、横尾忠則、谷啓をはじめそうそうたる出演者が毎週あばれまくる。
 松尾が関与したのは第29話。舞台、寺内石材店(石貫)で働くタメさんこと左とん平が松尾和子の大ファンでいつも?「誰よりも君を愛す」を口ずさんでいる。いつもファンレターを出している。
 それを知る貫太郎の母親きんこと悠木千帆が、松尾からのファンレターの返信を偽造する。度を越しているのは真っ赤な口紅で紙に移したマークを添えたことだ。それをホントの松尾からの返信と受け取ったとん平は喜び興奮のあげく、それに口づけをする。
 だが、直後にきんのいたずらと知って激怒し、大ドタバタになる...。
 とん平が手紙を開いて文面を見るときに、松尾がそれを自身の声で読むというのが「出演」だ。声の出演で映像ではないのが残念なのだが。。。
 1985年フランク永井歌手生活30周年のリサイタルで、フランク永井の舞台にあがり「東京ナイトクラブ」を一緒に歌っている。この年の暮れがフランク永井の最後の舞台となった。松尾はフランク永井とともに歌えなくなったことがさみしかったようだ。
 松尾は日本テレビ「池中玄太80キロ」には出ていたようだが、1992年に世を去る。1997年に恩師吉田正作曲家50周年感謝の夕べが関係者だけで催された。そこに出席してあいさつに立った吉永小百合は「鶴田さん、松井さん、フランクさんがおいでにならないのは本当に寂しい...」といっている。
 その恩師吉田正も「松尾には歌って欲しい曲がいっぱいあったし、書けと言われれば今も書ける。でも肝心の歌う人がいない。せめてフランク永井が健在なら...」と二人の弟子の早すぎる退場を惜しみながら、1998年に永眠した。
 さて「寺内貫太郎一家」はBS11で再放送中。
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 フランク永井が活躍したのは、1955(S30)から30年間。この時代に「フランク」といえば日本ではフランク永井だ。海外では、フランク・シナトラ。ジャズという名でくくられた洋楽が、戦後せきを切ったように日本に流れ込んできた。フランク永井はクロスビーの歌が好きだったようだ。
 フランク永井の売れると、テイチクから対抗馬としてジェームス三木をデビューさせた。ジェームスは長年にわたった下済み努力を重ねたが、歌手は断念した。だが、彼はその後テレビ界の脚本家として大きな業績を残した。さらに「マスコミ九条の会」呼びかけ人として、戦争ができる国へ憲法を変えてまでのめり込もうとする時世にも意見を表明をしている。
 フランク永井が舞台で活躍していた時代に、フランク赤木という歌手がいた。フランク赤木は芸名ではない。ハワイ生まれたいきさつからの本名だ。
 ウエスタン、ロカビリー、カントリーといった歌が流行り、日本人によるカバーが多数出た。米軍が日本を占領しいたるところにキャンプがあり、そこに出向いて歌うということが、戦後日本の歌謡曲歌手の大きな仕事だった。
 赤木もそうだ。先輩ディックミネからフランク永井と同じようにいっしょに地方を巡業する。彼の残した歌はいくつか残っている。MEG-CDからも復刻されている。「ジャングル大帝1998」なども歌っているようだ。
 手元にあるのは「星空を見つめよう」というEP盤しかないが、残された歌を聴いてみると、しっかりした歌唱をしている。高音もきれいだ。
 この高音は、彼の吹き込んだ「暗い港のブルース」に特徴が表れている。この曲はキング・トーンズの歌唱(なかにし礼作詞)が有名なのだが、フランク赤木のために作られたもの(薩摩忠作詞)のようだ。
 「魅惑のオン・ステージ」には、別途テープ盤があり、そこでフランク永井の「暗い港のブルース」のカバーが入っているということは、別項で紹介したが、これは中西盤。
 ちなみにキングトーンズカバーでは「グッド・ナイト・ベイビー」もフランク永井は歌っている。「高音」が売りだし、高音が魅力のこうした曲を、低音のフランク永井がどう歌うのか、結果どうなのか、それもファンの楽しみだ。
 さて、フランク赤木だが、彼は映画にも出演したり、その時代にそれなりの名をはせたのだが、フランク永井が舞台を降りたあたりから名を聴くことがない。フランク永井よりも何歳か下だ。今どうしているのだろうか、とふと思った次第である。
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 2月8日『BS朝日ザ・ドキュメンタリー』は阿久悠の特集だった。前回取り上げたばかりのテーマだったので追記したい。
 番組は阿久悠のひととなりをよく表現していたのではなかろうか。几帳面。一途。気迫。才能と努力。四国から上京して、歌謡界・テレビ・文学で花を開かせ、昭和の時代におおきな印象を刻んだ。
 広告代理店で生涯の友上村一夫と出会うのだが、このくだりは番組ではふれなかった。そこから歌謡界の裏面の詞作りを手掛ける。フランク永井がカバーした「街の灯り」のジャケットが記念館入り口に掲げられているのは紹介したが、元唄は堺正章(浜圭介作曲森岡賢一郎編曲)。
 彼に歌が提供されたのは1973年でNHK紅白でも歌われた。さりげなく印象に残る曲だ。阿久悠作詞家生活十周年を記念して、ビクターが「阿久悠~君の唇に色あせぬ言葉を1968-1978」を気張ってつくった。そのときにフランク永井は一連の阿久悠カバーを吹き込んだのだ。
 1977年に「おまえに/おもいやり」というLPを出した。ここにある「おもいやり」は元曲(三佳令二作曲)が克美しげる。発売直後克美はなんとしてはならない事件を起こしてしまう。曲は回収されまぼろしの曲に。これをフランク永井の歌唱による復刻を実現したといういきさつだ。
 克美は「さすらい」で歌のうまさがきわだち多くのファンがいた。「おもいやり」もいい歌だったのだが、現在と違って当時は歌は聴くことができずに、惜しまれる声が多かった。
 「街の灯り」を堺がどういういきさつで歌うようになったかは知らないが、番組は阿久悠が詞を書き始めるもっと初期にスパイダースに詞を提供したという。この時からの連携の中で書いたのかもしれない。フランク永井のカバーは、上記の阿久作品集の作成の一環で行われたものだ。この歌も何人かがカバーしている。やはり、阿久が書く詞の引力なのかもしれない。
 阿久の作品集は数多く出ているが、阿久作品を歌うアーチストをおおく抱えるビクターから2005年に「人間万葉歌」というCD-BOXが続とともに20枚で出ている。解説も充実していてファンには歓迎だ。
 かつて「スター誕生」から誕生し世を賑わした歌手たちもすでに、新たな代の人たちに席を譲っている。だが当時の関係者が阿久への敬意をこめてショーを開いた様子も紹介された。
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 阿久悠の歌謡界での業績をあますところなく紹介する常設の記念館。東京神田御茶ノ水の明治大学史資料センター所管の「明治大学阿久悠記念館」を訪ねてみた。
 阿久悠はフランク永井に6つのオリジナル曲を提供している。そしてさらに4曲のカバー曲を残している。
 「11時過ぎから」松尾和子と。「いないいない酒場」「おもいやり」「お涼さん」「愛されてますか。奥さん」「大阪の橋」「六本木ワルツ」。カバーは「さよならをもう一度」「ヘッド・ライト」「もしもピアノが弾けたなら」「街の灯り」だ。
 このなかで、もっとも大きな印象を残したのは、フランク永井が舞台を降りた年の作品「六本木ワルツ」ではなかとうか。これは恩師吉田正の作編曲とあいなった最後の作品である。みごとな結晶となっている。
 六本木の街の雰囲気が軽快なワルツで切り取られ、あざやかな印象を多くの人の心に刻み付けた。今でも聴く人にあの時代をほうふつさせる。ちょっとしめっぽい気持ちとともに。。。
 松尾和子とデュエットした「イレブン(11時)過ぎから」も素敵な曲。やはり阿久悠は時代を切り取ることに凝ったのが分かる。他の作家の追随を許さない。だが、フランク永井とのコンビでは「六本木ワルツ」だけがピッタシだったように思う。
 日産自動車のCMとして作られた「愛されてますか。奥さん」は、昭和天皇の訃報に遭遇しての自粛から僅かの露出であった。近年の昭和歌謡カバーの波で人気が高いのは「もしもピアノが弾けたなら」だ。これを歌って聴く人に関心をさせるのは相当な歌唱力がないと難しい。さすがと思わせる。
 個人的に好きなのは「ヘッド・ライト」。オリジナルの新沼謙治のがもともと好きだったが、やはりフランク永井の歌唱がいい。自信に満ちた声なのだが、挫折して都会を逃げるように去る若い二人の未来を決して悲しくしていないような気がする。
 さて、かつて学生運動のめっかで汚い落書きの塀で囲まれた明大は現在綺麗で明るいビル群になっている。その一角にある学舎の地下に明治大学阿久悠記念館はある。
 まず入り口に阿久が残した4500曲に及ぶと言われる名曲のジャケットが、どーんと展示されているのに目を奪われる。何とそこに堺正章のヒット「街の灯り」をフランク永井がカバーしたときのジャケットが中央にあった。1978(S53)年に寺岡真三編曲である。当時阿久悠作品を当時の歌手がカバーして作品集にするという企画で歌われたものだ。
 このジャケットが多くの他のジャケットというより元唄堺正章のを除けて採用されていたに、入り口でとりあえず感心した次第。
 展示室内に入ると、生涯の全容が順に終える。阿久の創作に打ち込んだ仕事室が再現されている。生涯で切り離せない友となった上村一夫とのコーナーもあり、多くの記念すべき遺物を見れる。
 上村のお嬢さん上村汀(上村オフィス)と阿久のご子息深田太郎(株式会社阿久悠)は同い年で、ご両親が亡くなってから何度かトーク・ショーをしている。今年も年頭(20日)にあった。それらは本にもなっている。明治大学の研究誌にも掲載されたりしている。二人の親の破天荒な生き方が紹介されていて楽しい。
 阿久悠と吉田正が美空ひばりの後年に曲を提供したということについては幾度かとりあげた。吉田正がレコード会社の壁を越えての提供で逢ったこと。阿久が同じ年に生まれて気づいたころには子供のくせに全国的に天才少女として名を馳せていた美空ひばり。そのひばりをうらやみ反面反発していて、作家になってからは「ひばりが歌っているようなものでない歌をつくる」ことに情熱を注いでいたからだ。
 実際に阿久はそのその妙な根性を全開させて無数のヒット曲を放った。晩年弱ったひばりを知って吉田正と阿久が「花蕾」をつくりひばりが歌ったのだ。
 ファンはご存じのように阿久は「作詞家憲法15条」を作り、こころがけていたことを明かす。それまでに、おのずと形成されていた流行歌の形に、正面から挑戦することこそが己の使命と自覚しての作家活動だったというのだ。
 ただ事ではない。当然だが阿久はあらたな流れへの試行錯誤をした。全部がヒットしたわけではない。そしてやがて来るべきときには、誰かが阿久自身が作ったものを乗り越えていく。
 ということで、ご興味を感じられた方は明治大学阿久悠記念館を訪ねてみたらいかがだろうか。

 参考までに阿久悠「作詞家憲法15条」を紹介しておく。
1.美空ひばりによって完成したと思える流行歌の本道と、違う道はないものであろうか。
2.日本人の情念、あるいは精神性は「怨」と「自虐」だけなのだろうか。
3.そろそろ都市型の生活の中での人間関係に目を向けてもいいのではないか。
4.それは同時に歌的世界と歌的人間像との決別を意味することにならないか。
5.個人と個人の実にささやかな出来事を描きながら、同時に社会へのメッセージとすることは不可能か。
6.「女」として描かれている流行歌を「女性」に書きかえられないか。
7.電信の整備、交通の発達、自動車社会、住宅の洋風化、食生活の変化、生活様式の近代化と、情緒はどういう関わりを持つだろうか。
8.人間の表情、しぐさ、習癖は不変であろうか。時代によって全くしなくなったものもあるのではないか。
9.歌手をかたりべの役からドラマの主人公に役変えすることも必要ではないか。
10.それは歌手のアップですべてが表現されるのではなく、歌手もまた大きな空間の中に入れ込む手法で、そこまでのイメージを要求していいのではないか
11.「どうせ」と「しょせん」を排しても、歌は成立するのではないか。
12.七・五調の他にも、音的快感を感じさせる言葉数があるのではなかろうか。
13.歌にならないものは何もない。たとえば一篇の小説、一本の映画、一回の演説、一周の遊園地、これと同じボリュームを四分間に盛ることも可能ではないか。
14.時代というものは、見えるようで見えない。しかし時代に正対していると、その時代特有のものが何であるか見えるのではなかろうか。
15.歌は時代とのキャッチボール。時代の飢餓感に命中することがヒットではなかろうか。


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