2018年1月アーカイブ

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 フランク永井がもっとも充実していたと思える時期1976(S52)年暮れに、歌手生活21周年記念のリサイタルが開かれた。
 中野サンプラザで恩師吉田正を迎えて開かれた。第1部と第2部の構成で、自分のヒット曲の他に大阪シリーズ、中山晋平シリーズ、およそ20分にわたるメドレー、ジャズなどの洋楽、さらに新曲の披露と続く。
 しかも演奏陣も原信夫とシャープ&フラッツ、ストリングス、コーラスにコール・セレステ、指揮は寺岡真三と近藤進という、これ以上ない豪華なショーとなった。
 ここで新曲として「季節はずれの風鈴」「そっとしといてあげるから」「霧子のタンゴパートⅡ」が披露された。
 フランク永井が恩師に思いをこめた恩返しと熱意をそそいだ「おまえに」の3回目のレコードを出したのもこの時期だ。
 発表された「霧子のタンゴパートⅡ」については、別項で1982年に発売されたLP「Woman」のテープ盤で、スタジオ録音盤と思える音源が出されたと触れた。
 このパートⅡは確かに吉田正による作詞作曲で、パートⅠにあたる「霧子のタンゴ」のシリーズのようなのだが、聴けばそこに新たなフランク永井が見える。
 「霧子のタンゴ」(1962=S37:VS-861)は、押しも押されぬフランク永井の代表曲のひとつだ。フランク永井の代表曲集には欠けることがない。翌年には日活から映画化された。同年暮れのNHK紅白歌合戦ではこの曲を歌っている。このレコードのB面は昨年亡くなった平尾昌晃の「哀愁のバイパス道路」という曲。
 平尾昌晃が残した書籍「気まま人生歌の旅」によれば「霧子のタンゴ」は、吉田正が平尾のために書いたものだったが、当時のディレクタが「これはフランク永井があっていそう」といって、フランク永井の歌になってしまったというようなことを記している。
 平尾の目でみればそうだったかもしれない。だが、何人の生徒を持つ吉田は、歌詞まで自作して用意していたこの曲を何人もに歌わせ、歌唱の訓練にも使っていたようだ。詞も曲も比較的おだやかなものを、歌わせてみることによって、その人の歌についての姿勢、傾向、特性が浮き彫りになる。
 言わば、歌手への教師からの挑戦的な試験だ。船村徹が美空ひばりにつきつけたようなもの。美空の「酒は涙かためいきか」にみるようにほとんど1小節単位で歌唱の表現を変えて歌っている。フランク永井も「霧子のタンゴ」にみる歌唱にフランク永井の歌詞への理解度、微妙な歌唱の変化をみごとに注ぎ込んだ。
 吉田正のつきつけた挑戦状に応えたのはフランク永井だったことから、この歌が彼の歌としてリリースされたと思える。
 平尾は歌手としてはこの直前に「哀愁のバイパス道路」と同じ水島哲の詞(作編曲は吉田正)で「おもいで」をだし、その後「霧の摩周湖」を布施明に作っている。平尾が自分で何度も「霧の摩周湖」を歌っているが、平尾が「霧子のタンゴ」から曲想の影響を受けていることが感じられる。平尾が「霧子のタンゴ」を歌ったならどういう歌唱だったかも想起できる。
 フランク永井がジャズから歌謡曲に転向したように、平尾は作曲家に転向してよかったと思う。この後つぎつぎと吉田正のように時代を鮮やかに切り取ったり、日本的な情緒を懐かしく盛り込んだりとヒットを飛ばす。
 なぜ霧子なのか。「霧子のタンゴ」を売り出す5年前に宮川哲夫作詞に吉田が作曲した「夜霧の第二国道」がヒットした。戦後の復興を象徴するひとつの京浜国道の発展を思い起こさせる人気曲だ。これ以来まくりたてるように「夜霧の...」をフランク永井に歌わせる。「夜霧に消えたチャコ」をはじめ「夜霧の男」「夜霧の十字路」「夜霧の巡視船」「夜霧の南京街」「夜霧に濡れて」と。
 「魅惑の低音」と同じように「夜霧の...」といえばフランク永井だと。そんなことは認められないと他のレコード会社も競う。裕次郎に「夜霧よ今夜も有難う」を提供したのは異才浜口庫之助だ。競合が生んだ傑作である。松本清張は「霧の旗」を書いた。映画にもなり倍賞千恵子が桐子を演じた。ともかく「霧の...」が世のブーム?
 こうした中で吉田正は「霧子」を生んだ。吉田は他にも人名を使った曲を温めて作り、生徒に提供した。だから吉田の門下生への思いと自作の作品への思いも深くある。それにフランク永井はぴたっとはまったと思える。
 そうした思いが記念すべき20周年(実際は事情で翌年になった)のフランク永井のコンサートに向けてパートⅡを作った。これは、明らかにフランク永井がたっている。歌唱はズンとメリハリがある。フランク永井の自信が満ち溢れた歌唱になっている。同じタンゴの流れなのだが、タンゴの切れが遠慮なく弾んでいる。
 さて「霧子のタンゴ」については、もうひとつエピソードがある。それは霧子のタンゴ英語版だ。実際は英日の合わせたものだが。1966年の労音公演でいきさつを語り歌を披露している。台湾にフランクスナインのメンバーと共に行きテレビに出演したときに、英語で歌ってくれないかと望まれ、徹夜で作り上げたのだと。
 フランク永井自身のアイデアで書き上げたという。この英日版はさらに10年後の大阪のライブでも歌われてLPに残されている。
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 1977年ごろにTBS系で放送された番組で日活俳優二谷英明と当時TBSアナであった久米宏司会番組。黒柳徹子と久米による長期番組「ザ・ベストテン」に引きついだ歌謡番組だ。
 33回目五月にフランク永井が出演する番組が作られた。これが昨年BS-TBSで再放送されたのだが、鑑賞する環境になく見ることができなかった。フランク永井の古くからのファンである友人がそれを録画してくださっていて、このたびようやく全体を観ることができた。持つべきは友!こころから感謝!
 当日の出演者は、フランク永井/沢田研二/八代亜紀/岩崎宏美。
 昨年9月に別項「再発見!フランク永井と八代亜紀のデュエット「サパー・タイム」を観た」で一部紹介したものだ。昨年は、フランク永井が現役時代に残した歌で、フランク永井のデータブックに掲載できなかった歌が多数?再発見された年であったのだが、そのうちのひとつである「サパー・タイム」という曲がこの番組で紹介されたからだ。
 出演者が登場して売込中の歌を歌うのだが間奏の合間に自分の近況を一言しゃべる。その後の番組では次の出演者の歌の最初の一節を歌うという特徴ある演出と工夫が楽しめる。フランク永井は、司会の二谷と住まいが近所ということで親しみを語っている。
 司会者と語らうテーブルがあり、その周りをスタジオいっぱいに駆けつけた一般観客が埋める。一角に宮間利之と二―ハードなどの演奏陣がいるという豪華な現場。
 1977年はフランク永井が「おまえに」の3回目のリリースをした年だ。1966年に「大阪ろまん」のB面で初めて発売された。その後1972年に一部の歌唱を変えて再度発売。同じ音源で1977に再々発売した。このときのカップリングが、同じ岩谷時子作詞吉田正作曲による「妻を恋うる唄」。この番組の後半で「おまえに」と「妻を恋うる唄」を歌っている。
 語らいの後すぐに、フランク永井と八代亜紀による「サパー・タイム」が歌われる。沢田研二のメドレーを経て、「大阪ぐらし」を岩崎宏美と歌う。三番は八代亜紀を加え3人で歌うという珍しい映像。
 続いて岩崎が「有楽町で逢いましょう」のさわりを歌い、3人でほとんど合唱。岩崎がはずれて、八代と「東京ナイトクラブ」のデュエット。この歌は当時石原裕次郎がフランク永井のヒット曲と交換するような形で、まだ若い八代と歌ってレコード化している。そのためか、八代のデュエットは安定している。
 フランク永井の残された映像が少ないなかで、大変貴重が映像だと思う。やや残念なのは、トーク中の何か所かで音取りが乱れている箇所がることだ。しかし、これも当時の生放送ゆえのことで、ありのままだされているのがいい。
 特筆は、フランク永井と二谷英明のトークの場面。フランク永井が歌手になるきっかけになる当時の話をしていることだ。内容そのものは、NHKで放送された「フランク永井ショー」とかぶさるものだが、たいへんめずらしいものといえる。
 進駐軍のトレーラー運転手になり、事故を起こし、「マイ・ベイビーズ・カミング・ホーム」を歌い評価されレコード会社に入る、というくだりだ。
 最後に歌った「妻を恋うる唄」は映像で残っているのは、確かこれだけだ。せつせつと歌う歌唱はすばらしい。この歌はけっこう長く歌詞と歌い手の感情表現のバランスが微妙な曲だが、本家のすばらしさを映像で楽しめた次第。
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 新年の気分もさめやらぬ1月4日にプロ野球を楽しませたひとりである星野仙一が亡くなった。中日のエース。投手であることは多くの負けを経験する。勝ちもするが負けをどう受け止め考えるかでその選手の力量が変わる。星野は中日・阪神・楽天を強豪チームへ押し上げ「闘将」と評された。
 星野といえばかどうかは分からないが、フランク永井との関係でいえば、彼が歌った「街の灯が揺れる」だ。この曲は当時はそれなりにヒットした。フランク永井は1982(S57)年の話題のアルバム「Woman」でカバーしている。重厚な歌唱はとうぜん星野のものとは異なり、オリジナルのような光を放っているので、ぜひ聴いてほしい一曲だ。
 この「街の灯が揺れる」は、山口洋子作詞、曽根幸明作曲作品。その曽根幸明も昨年4月に他界した。曽根は「曽根幸明の昭和芸能放浪記」を出版している。彼の生きた時代が何も隠さず何も飾らず語られている。当時の芸能界の一面がなまなましい。
 曽根は藤圭子に作った「圭子の夢は夜ひらく」で一躍脚光をあびた。歌謡界を目指す番組の審査員としても名をはせた。ビクターの歌手時代もありフランク永井ともカップリングしている。歌手時代の彼の名は藤田功。
 数年前だがフランク永井関係のあるコンサートで、彼が車いすにのって特別室で静かにショーを見守っていたのが印象的だった。
 別項で紹介したが、昨年「フランクの夢は夜ひらく」が再発見された。PONYによるオリジナル企画作品「夜のムード」(カセット)で出ていた一曲。
 曽根幸明がフランク永井に提供した歌は、オリジナルでは「恋のロマネスク」「恋のさだめ」「女の盛り場」「しのび逢い」。
 さて、プロ野球の名選手が関係した「レコード」だが、フランク永井の恩師吉田正が手掛けて出したのが、西鉄の名選手豊田泰光に歌わした「男のいる街」。これは当時「スポーツ界のレコーディング第一号」などと言われた。
 くしくも豊田も一昨年の夏に亡くなっている。豊田は吉田正と同じ茨城県出身ということもあるが、歌はプロ級だった。当時の音源が残されているので聴いて確認してほしいが、本格的だ。その後吉田は江夏豊に「俺の歌」を歌わせている。
 野球に限らないが、その後ちょっと業界で名が有名になると、周囲は誰かれなく、上手下手なく歌わせるのが流行る。とうぜんへったっぴでひんしゅくというケースもある。線引きができなくなった時代だから仕方ないのかもしれないが、技術や芸は人を感銘させるところにある。それを忘れては業界そのものの品をおとしめるのではなかろうか。
 星野の訃報から曽根幸明、豊田泰光と飛んでしまったが、2018年少しでも明るい年になることを祈願して!

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