2017年9月アーカイブ

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 フランク永井の幻の曲ともいえる「角帽ブルース」を聴く機会にめぐまれた。
 この曲はフランク永井データブックにも記載されているのだが、その曲を収録している「魅惑のオールスターズ第11集」(1963:LV-345)が発見できなかったからだ。長年この盤を探してきたのだが、そうとうなレア盤と思われ、その機会がなかった。
 それがフランク永井の熱心なファンでレコード所蔵家でもあり、いつも情報提供し下さるさんが発見されて知らせていただいたもの。感謝にたえません。
 早速にその曲を聴かせていただいた。「角帽ブルース」は(花登筺(こばこ)作詞、加納光記作曲、浜田清編曲)。これはラジオかテレビの劇の挿入歌かな、と感じた。一つは角帽ということばから、これが通常の歌謡曲のテーマとして、いくら全学連というか大学生が当時社会的におおきな話題であったとしてもその可能性はどうかと思ったこと。
 決定的なのは花登筺の作詞作品だということだ。彼はフランク永井との縁も深い。当時作家、脚本家としてトップを走っていた花登が、関西で人気を得ていたフランク永井を舞台や主題歌で巻き込んでいたからだ。「堂島」「船場ごころ」をはじめ「初恋ぼんぼん」などいくつも名曲を提供している。いずれも舞台、ドラマのテーマ曲だ。
 「角帽ブルース」については記憶がない。が、この流れではないかと思った次第。
 「魅惑のオールスターズ」というオムニバス盤は1961年から1964年までに15集発売されたことが分かっている。第1集を除いてフランク永井がおのおのに1曲歌っている。ほとんどがオリジナル曲であって、筆者はどうしてもすべて聴きたいと思っていた。データブック編集時にはわずかしか聴いていなかったのだが、出版後に全国のファンから「所有しているよ」「発見したよ」と連絡をうけて、第10集の「懐かしの上海」を除いて、これでほとんど聴くことができた。かえすがえすも、貴重で重要な資料について保存され連絡をくださった皆さんにお礼を申し上げたい。
 写真はそのジャケット写真。左10枚に右の上の第2集がそれら。写真の中はフランク永井の初期のSP盤を初めてCD化して、1988年に発売したもので、懐かしい思いであげたもの。
 「魅惑のオールスターズ」だけで、フランク永井の1枚のアルバムができるほど。未発見の第10集の発見がたいへん楽しみである。
 これらの盤は10インチで、33回転。メディアがSPからLPに代わるのだが、10インチ盤はつなぎのようなもの。フランク永井のものでは「魅惑の低音シリーズ」全14集や、同時期にでた「1958:悲しみよこんにちは」「1958:ラブ・レター」「1959:高度一万米」がそうだ。
 もちろんまだモノラル盤である。
 ビクターの売り出したい歌手と曲を一枚に8曲いれている。当時の人気歌手がほとんどだが、レアな曲でなかなか味のある作品で、時代のムードがむんむんといったレコードだ。
 フランク永井の「魅惑のオールスターズ」で歌った曲を以下に紹介。
  1「甘く酸っぱい恋のブルース」
  2「マルセーユで恋をした」
  4「旅愁」(吉川静夫作詞、八洲秀章作編曲)
  5「佐渡の鬼太郎」
  6「黒いリキュールのタンゴ」
  7「リラの匂いの雨」
  8「雨の夜の想い出」(魅惑の低音第12集)
  9「男のまごころ」
  10「懐かしの上海」
  11「角帽ブルース」
  12「ガラスの女」
  13「みちのく」
  14「燃えている」
  15「泣くのもいいさ」
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 レコード・カセットレコードなどアナログ音楽を再考する傾向な近年顕著だという。ときどきテレビや新聞で報じられる。パナソニックなどの音響メーカーから再生プレーヤの再生産、さらにはレコード自身の生産が再開されたという。
 上野の美術館を訪れたのを幸いに、何度かテレビで写されて一度訪ねたいと思っていた上野のレコード店「リズム」を訪れてみた。その気になったのは放映された映像の一角にフランク永井の色紙が移っていたからだ。フランク永井のサイン入りの色紙は、確かにそのまま貼ってあって存在を確認した次第である。
 放映されたカメラ映像では店は相当広く感じたのだが、それはどうも奥にある全面鏡のせいであったようだ。筆者もお尋ねし、奥の方も見せてもらっていいですか、と言ってしまった。そちらは行けません。鏡ですと言われて、よく見れば...。己の眼の悪さにあっけにとられ、実に巧い店の作りに妙に感心。
 訪問主旨をご主人に伝えると、気持ちよくいろいろと語ってくださった。所狭しと天井にまで貼ってある、歌手や関係者の色紙と、記念に撮られた写真。吉田正、裕次郎、ひばり、鶴田浩二、村田英雄、遠藤実といったそうそうたる方がたを先頭に、現在現役バリバリの多くの方がた...。
 レコードは見受けられなかったが、基本的にカセット・テープだ。それにCD。フランク永井の話がはじまると、すぐに「カバーズ」と「ベスト」がテーブルに並べられた。確かに、これだ。フランク永井の代表曲は「ベスト」に込められている。歌のうまさはさらにカバーだ。カバーによって、おのおのが好きな歌をフレッシュな気持ちで聴ける。フランク永井のファン層からさらに歌自身の好きな人が楽しめる。大きくない店だけに、洗練されきっている。
 色紙は「霧子のタンゴ」が出た後、その続編のレコード化と発売をご主人が積極的にレコード会社にプッシュしたという経緯の中で、直接吉田正とフランク永井から書いてもらったものだという。その色紙を紹介してもいいかと尋ねたら、店内の色紙と写真類は自分の名入りで描いていただいたもので、私的なものとして生涯大事にしていきたいから、お断りしているとのこと。
 遠藤実や他の方から頂いたといういくつかについてもそうしたいきさつを話してくださった。アメ横の時代と共に店を営み、戦後の流行歌の流れをファンの眼から、同時にリリースするサイドからの視点から長く見つめてきた様子が感じられた。
 SPからEP/LP、そしてカセット。このアナログからCDへ、ダウンロードへと目まぐるしくメディアが代わり、歌手と歌が代わってきた。提供する側とかって楽しむ側も変わる。時代はハイレゾという高音質のものも望まれてきた半面、アナログへの再起傾向も盛んになってきている。結果的かもしれないが、カセット・テープを守ってきた「リズム」にとっては、新たな感慨かも知れない。
 フランク永井のカセットは残っていないのかとうかがった。残念ながらないと。
 筆者の手元にはフランク永井の関係のテープが30余本ある。時々に聴く。レコードと比べたりするのだが、当然元の音源はレコード会社の唯一の貴重なアナログのマスターテープである。同じに聴こえていいものだ。普通に聴く分にはその相違はないもの。
 だが、ややこだわりを持って聴くと面白いことが分かる。CDはCD規格があって、音域が無条件にある幅に制限されている。人間の耳で聴こえる範囲を押さえているから不足はないのだと言われた。
 ところが、近年CD規格で決めた音域だけで元の音の情報がカバーしきっていないのではないかということが言われてきた。そもそもCD音はデジタル化により「なめらかなアナログ線が直角のギザギザ線にされているではないか」といわれる。
 まあ、それは再生時に機械的に「ほぼ」復元するので何ともいいきれないのだが。だが、テープはどうだろうか。それは、カセットテープの規格に制限されるわけだが、テープのサイズ・品質・速度の相違はあるものの、アナログからアナログで複製されている。複製する装置の機械的な制限があったとしても、なじみの良さは、CDに比べて予想できる(かもしれない)。
 もしかして、マスターテープが持つ多くの情報をCDに比べて多く含んでいるに違いない。ということで、カセット・テープにも改めて注目がされているようだ。
 説明はできないのだが、筆者もテープ音が「なかなかいいではないか」と思うときがある。
 なお「霧子のタンゴ」については、台湾に行った時にフランク永井自身が英語歌詞をつくったとして、1966年の労音ライブ盤(SJV-243)で紹介している。また、その続編というのは21周年リサイタルで紹介したもので、そのときのライブLP(1977:SJX-8046~7)に残されている。
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 今年の夏は変な気象が続き異様であった。仙台などは何日も雨が続いた。いつもは灼熱の暑さでも海岸ではしゃぐ多くの人たちでにぎわっていたものが、今年はさっぱりだったようだ。秋に入ったが、気象庁も進路予想不能な変な台風。出戻り迷走とか風速60メートルとか、裕次郎が歌った「風速四十米」で驚いていたのはもう古い。
 本来なら秋の気候や自然の気持ちよさを味わうべきこの季節なのに、絵に描くように大型台風が日本列島を縦になできるように縦断するという。収穫の田園や観光地はどうなるのだろうと心配する。しかも核だミサイルだで気が抜けない緊張をあおられ、何とも気がふさぐ。
 連休なのに外にも出れず、普段やや敬遠気味のユーチューブを観てみて思わぬ発見があった。それは表題通りなのだが、1977年のテレビ放送された歌番組で歌うフランク永井映像があった。
 そこでは、フランク永井と八代亜紀が「サパー・タイム」を歌い、岩崎宏美が参入して「大阪ぐらし」「有楽町で逢いましょう」を歌う。続いて、八代亜紀と「東京ナイトクラブ」をデュエットする、という趣向だった。
 「サパー・タイム」という歌は、近年は同名異曲が主として知られているようだが、当時でも珍しい夕食時のほのぼのとした一家団欒、子どもを交えた幸せの歌。子供の日にちなんでの選曲。フランク永井「データ・ブック」にも記録していない珍曲ということで、目が奪われた次第。
 1977年の番組と言えば今からちょうど40年前になる。阿久悠全盛時代といえる。フランク永井は比較的には沈んでいた時代で、現在は代表曲として定番になっている「おまえに」に再び栄光への願いをかけるように、異例の3回目のレコードリリースをした年だ。
 岩谷時子作詞吉田正作曲。岩谷が吉田夫人をモデルに書いた詩だと、最初にリリースした1966年ごろから噂されていたが、いい曲なのにA面「大阪ろまん」の陰に隠れて沈み気味。恩師に対する恩返し的な感情もあったろうし、好きな曲でもあったことから1972年に、一部の歌い方を変更して再リリースする。これでも満足にいたらず、1977年他の例を無視したような三回目の発売に踏み切る。曲自身は、三回目に新たに吹き込みをしたのかと感じたものだったのだが、二回目のものと同じであったようだ。
 「おまえに」というテーマや設定がよく、ブームが拡大しつつあったカラオケでの人気が徐々に広がって、ついに受け入れられて、今でも歌い続けれている。
 こうした1977年の時代に、テレビではフランク永井のその名の通りの気さくさからテレビでの露出も多かったようだ。フランク永井はラジオとか映画とかで人気を得て、舞台や全国行脚的なショー、そしてナイトクラブなどで歌う、あるいは労音などのライブで歌い、経験的に対面的な語りを含めた歌唱に自信を持っていた。テレビ時代に移るときに、視聴者のレスポンスをリアルタイムでつかめないテレビは若干不安で好ましく思っていなかったふしがある。
 しかもテレビ時代といっても、初期はモノクロで何よりもモノラル音でしかもそれが中音と高音に特化したような作りになっていることから、売りである「低音」は本来の音を伝えきれないときている。こうした局面はカラーになり、広告がカラーの先導をし、放送装置も受信機も急速に改善される。質的にも飛躍的な突破をとげたのは、過去の放送規格(NTSC)を放棄した地デジ。
 音だけのラジオ。映像と一体だが劇場中心の映画。これが身近な家庭のテレビはいろいろあっても視覚に訴えることから、世界中で大衆の欠かせないメディアになる。エンターテインメントも中心がテレビに代わる。
 そうした時に、テレビを嫌がっていては芸人は務まらないことから、フランク永井も徐々にテレビでの露出が多くなり、しかめっ面が明るくなる。1977年はそんなじだいだった(かも知れない)。
 ユーチューブの映像に戻る。どなたかがユーチューブにあげてくださったこの映像は、正確には直接見ていない番組「トップスターショー 歌ある限り」(1977.5.5:TBS放送)に違いない。(mixiで報告したhttp://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/o1996/)
 【出演】フランク永井、沢田研二、八代亜紀、岩崎宏美 ほか【司会】二谷英明、久米宏【プロデューサー 】今里照彦【ディレクター・監督 】平山賢一と記録されている。
 ユーチューブ映像は一部だけだが「君恋し」と「おまえに」もここで歌われたようだ。
 できれば無償で鑑賞できる放送で再放送をしてほしい。
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 フランク永井のジャズの実力には定評がある。ジャズ出身というかジャズ歌手になることが目標で本人はビクターに入った。デビュー曲は「恋人よわれに帰れ」(1955(S30)年10月:A-5206-B面)。
 日本人の歌手で例え当時の米軍キャンプで歌っていたとはいえ、レコードの売れるジャズスターになることは、よほどのことがない限り難しく、結局は流行歌手になった。これは結果的に正解で、フランク永井は昭和歌謡を背負うスターになった。
 フランク永井はそれでもジャズへの思いは深く、公演では必ずと言っていいほど好きな洋楽をプログラムに入れた。英語の勉強も絶やさずに磨きをかけた。そうした努力は、何枚かジャズのアルバムを出しているが、最終的に「オール・オブ・ミー~スタンダードを歌う」(1981(S56):SJX-30051)に満足いく集大成をなしとげたのではないだろうか。当時第一線で活躍するジャズ仲間とともに楽しみながらぞんぶんの歌唱をしている。
 データブックにも記したが洋楽は100曲ほど歌い残しているのだが、表だって流行歌から解放されて、好きな歌に打ち込んだことで、満面の笑顔も写真で残された。
 フランク永井のジャズはその後、繰り返しいくつものCD作品で出され、いまだに流行歌と両翼を飾っている。
 「オール・オブ・ミー」は大好きな一曲である。

 さて、同じレコード会社の青江三奈だが、彼女については何度か取り上げているが筆者は当時あまり聴かなかった。彼女は1941(S16)年生まれで2000年に膵臓癌で亡くなっている。59歳の若さだった。
 鬼才川内康範の「恍惚のブルース」でデビューしいきなりの大ヒットを得たということもあるが、青江の印象は異例のかすれ声(ハスキー)と、ため息路線などと言われたように過剰ともいえる色気を前面に出す歌い方が印象だ。
 言うまでもなく、この世界での売り込みをどう強く印象付けるかという商戦の名残。川内康範の「誰よりも君を愛す」とか、城卓矢「骨まで愛して」など川内のコトに通常線を数歩も踏み込んだストレートな歌詞を、歌いこなすには並みの技量ではできない。
 青江は見事に川内が描く世界をてらいなくやってしまった。それは青江が並みの歌い手ではないことのあかし。高校時代から銀巴里に立ち、池袋のクラブでたいていの歌を求められては歌いこなしていた。この長き時代に、鍛えぬいた歌唱力があの声になったのかもしれない。
 NHK紅白には18回出場、日本レコード大賞も多数受賞しているほんものの実力歌手である。
 さてその青江はフランク永井と同じように連日は子供向きでないお色気歌手だが、ジャズへの志向も並々ならないものを秘めていた。1984年海外(ブラジル)での公演を経て思いが、1993年の初のジャズアルバムに結実する。THE SHADOW OF LAVE(1993/10:VICJ-182)。
 青江が世界に通用するような見事な歌唱を披露した。本人も意外な公表に驚き、ニューヨーク公演までする。1995年にライブ Passion Mina In N,Y.(VICL-724)を発売するに至る。が、こちらは主に和曲のカバー。
 THE SHADOW OF LOVEには、以下13曲が採録されている。
  01_CRY ME A RIVER
  02_IT'S ONLY A PAPER MOON
  03_THE MAN I LOVE
  04_LOVE LETTERS
  05_LOVER, COME BACK TO ME
  06_BOUBON STREET BLUES~伊勢佐木町ブルース
  07_HARBOUR LIGHT
  08_WHEN THE BAND BEGIN TO PLAY
  09_WHAT A DIFFERNCE A DAY MADE
  10_GREEN EYES
  11_GRAY SHADE OF LOVE
  12_SENTIMENTAL JOURNEY
  13_HONMOKU BLUES~本牧ブルース
 マル・ウォルドロンが編曲、フレディ・コールとのヴォーカル・デュエットがはいる。青江の大ヒット作品「伊勢佐木町ブルース」「本牧ブルース」が英語版で登場する。知れたジャズ曲が多くいくつかはフランク永井も歌っていて、その聴き比べに興味があった。
 基本的に青江のは米国でのリズムが基調。それでも全体の編曲が耳に心地よく青江の声がこれほどジャズにあっているとは、驚きだった。ジャズ歌手にはハスキーが多いこともあるが、逆に青江のハスキーは抑えられたように感じるのが不思議だ。

 さて余談になるが、フランク永井のLP「オール・オブ・ミー」の録音も技術者の自慢で、これは近年のハイレゾ音源化するときのサンプルとして利用された。ビクターからもハイレゾ版でリリースされている。
 ハイレゾは通常のCD音源よりも何倍か音質が良くなっているとされる。CD自身も最初に商品化された1980年の初頭から比較すると、その後同じサンプリング周波数・ビットレートでも格段の改善がなされてきた。
 そこに関係する技術の詳細は複雑で説明できない。CDに刻む混むデータを汎用としながらもプラス補正データを埋め込むのだ。だから、その補正データを再生プレーヤが読み取り再現しなければ、意味がなくなる。プレーヤの機種によって異なることになる。
 これではまずいと言える。しかし共通で仕込まれている機能(映画でもそうだがよく聞くドルビーなど)のせいで良くなったようだ。
 青江のTHE SHADOW OF LOVEを見ていてあらためてその表記に気付いたのだが、20bitK2という機能。これはCDの16bit深度に20bitで用意したデータを挿入しているのだという。確かビクターの技術陣の開発だ。
 では、その再生時のプレーヤにそのデータを復刻変換する機能は「標準で付いて」いるのだろうか。いまどき、Dolbyもそうだけど20bitK2再生対応などとプレーヤに記載されているのを見たことがない(ように思う)のだが...。当然装着だからないのかは分からない。
 もし再生機能で対応していないのなら、ただのCD規格レベルの音にしかならないわけだ。などとつらつら頭をめぐらしつつ、青江三奈アルバム(リリース時は当然だがLPはすでになく、CDで発売)を楽しんだ。素晴らしい演奏と歌唱だ。