2017年7月アーカイブ

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 平尾昌晃(1937年~2017)が亡くなられた。大変残念である。心からのご冥福をお祈りしたい。
 歌謡界で平尾を知らない人はいないだろう。フランク永井にもオリジナル曲をいくつも用意した。カバーも含めて9曲歌っている。彼の歌手としての方向性はほとんど一本といえたが、作曲の方向については全方面に光を放った。
 平尾昌晃を初めて知ったのは中学生の頃ではなかったろうか。文化祭のような場で一つ下の学年の女子が舞台で星は「何でも知っている」を披露した。これがその時代としては妙に新鮮だった。歌が上手かった。弘田三枝子とか青山ミチのようなパンチがあって、聴いている先生・生徒をすっかり黙らせたのを覚えている。
 その歌が平尾の歌だと知って、その後にでた「ミヨちゃん」とか皆マネしたものだ。彼の甘いマスクも田舎の若者には妙に都会を感じさせた。
 彼は1962年にフランク永井の「霧子のタンゴ」B面で「哀愁のバイパス道路」を歌っている。「霧子のタンゴ」吉田正作詞作曲によるもので、フランク永井は恩師が求めた以上の歌唱をして、代表曲のひとつになったものだ。
 当時、平尾はすでにロカビリー歌手として名を馳せていた。だが、この世界での自分の立ち位置に納得せずにいた。すでにその世界で帝王に上り詰めていた吉田正の慧眼の鋭さに尊敬を頂いていた平尾が、吉田を訪れて弟子入りをした。「おもいで」(後述)の水島哲の作詞に、吉田正が作曲・編曲をして平尾が歌ったもの。
 平尾が歌手として自らをどうイメージしていたかが想像できる歌唱だ。このひと時期はロカビリーの波も過ぎ去っていた。いろいろな歌を作っては歌ったりしたが、日が当たらない。
 雲が立ち込めていたようなときに、北海道のラジオ局のファンの間で、平尾が歌った「おもいで」が評判になる。リクエストのトップになった。平尾自はこのチャンスに再度歌手としてお呼びがかかるかと思っていた。「おもいで」は再プレスされてじわっと広がりも見せた。お呼びはきたのだが、この歌を新人の布施明に歌わせたいと言われてショックを受けたと平尾自身が話している。
 だが、歌手よりも作曲の方のセンスがあるといわれて、力を注ぐ方向を見出す。ちょうど貴島正一の歌手名で歌いながらも「君は作曲家の才能がある」という指摘で、ビクターからキングに移り『上海帰りのリル』『お富さん』『島のブルース』と作曲家としての名をあげていった渡久地政信に似たエピソードだ。
 実際に平尾は気持ちを作曲家に転じて、布施と組み立て続けにヒットを出す。「おもいで」もそうだが「霧の摩周湖」「恋」「愛は不死鳥」「渚のセニョリーナ」と。それから担当して大スターになっていった歌手は五木ひろし(「よこはま・たそがれ」)をはじめ数え上げられないほどだ。
 アニメでささきいさおに「銀河鉄道999」。時代劇ドラマ「必殺仕事人」など必殺シリーズを含めてその分野の広がりもすごいものを残している。日本の戦後の歌謡史に残る財産を残した。

 フランク永井が平尾昌晃の作曲した歌を残している。
  おもいで:(水島哲作詞)カバー 1967:SJV-256
  よこはま・たそがれ:カバー 1973:CD4B-5051
  愛のさだめ:カバー 1973:SJX-133
  夕映えの別れ:カバー 1973:SJX-133
  夢二恋歌:(西沢爽作詞)1976:SV-2524B
  二杯目のお酒:カバー 1977:SJX-20005
  二人でお酒を:カバー 1978:SJX-20046
  ある関係:(吉田旺作詞) 松尾和子と1981:SJX-30119
  ヨコハマ・ミッドナイト:(吉田旺作詞) 松尾和子と1981:SJX-30119

 

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 第9回「フランク永井歌コンクール」は、10月21日(土)に予選、翌22日(日)に決勝が行われる。会場はフランク永井の生誕の地である宮城県大崎市の地元である松山体育館。(文尾に応募要項を記載)
 いつの間にか亜熱帯の灼熱の地になってしまった日本。暑い気候の続く中で、例年多くの参加者がそろって歌コンにエントリーしている前橋チーム(筆者が勝手につけた)が、決勝進出、あわよくば優勝をめざしての猛練習が繰り広げられている。
 練習日の当日に出場予定者と支援者があつまり、およそ5時間通してつぎつぎとマイクを握ってのカラオケ。すでに歌う曲が決まっている方、まだ絞り切れていない方、今年もレアな曲へ挑戦していこうという方。
 確かに休憩なしの5時間となると、息切れしたり、だれてきたりしそうだが、皆さん全員が真剣に励んでいた。フランク永井の誰もが知る曲もあり、カラオケ演奏曲が最近になって追加されて、-過去の歌コンで歌われてこなかったという曲も、さまざまだ。ときおり、デュエット曲も歌われた。
 チームの決勝に残るために練り上げた作戦もあり、詳細は紹介できないが、多彩な参加者の楽しませる個性豊かな才能の披露があって、全員の大爆笑が何度もあった実に楽しい練習風景であった。きっと、歌コン当日はすばらしい練習の成果を出してくれるものと思う。

 さて、こうした前橋チームで大きな求心力を出しているのは品川さんだ。品川さんは歌コンでも決勝進出者に、フランク永井の鉛筆画を副賞で贈呈しているばかりか、当日会場にこられた方々にもさまざまなフランク永井グッズをくださっていることで有名な方だ。
 こればかりではなくここ前橋市でさまざまな福祉活動を展開されていることを知ったので、この機会に少し触れてみたい。正確なことや詳細については筆者にはテーマが大きすぎてできないが、感じたことをあげてみたい。
 基本的このような社会活動に尽力されてきたことが、人の気持ちと心をひきつけていて、その影響力でフランク永井に特化した前橋チームができ、毎回多数の参加者・支援者がこぞって歌コンに行く行動力になっていることだ。
 地域の高齢者のための特別養護老人ホームを含めて、各段階に対応したさまざまな対応も忘れられないが、品川さんの根底にあるのは、おそらく群馬県前橋市の児童養護施設「鐘の鳴る丘少年の家」ではなかろうか。
 そう、1947年から数年続いたNHKラジオドラマ「鐘の鳴る丘」だ。菊田一夫作構成によるもので、戦争孤児という社会問題をとりあげた有名な作品だ。菊田が作詞し古関裕爾が作曲、川田正子が歌った「とんがり帽子」は当時皆口ずさむほど歌われたものだ。映画も作られている。
 日本全国に存在した戦争孤児をみて、当時引き上げてきた品川博氏(写真右下)が胸を痛め、NHKドラマに感銘し、まさにこのとんがり帽子の鐘の鳴る丘・孤児院を作りに至ったのだ。ここは戦争だけでなくさまざまな事情で生活に追い込まれていた子供たちに、どれほど大きな救済の力になったかは、想像するだけでわかるだろう。品川さんは初代園長の意思を受け継いで現在も、この事業を拡充させていっておられるのだ。
 フランク永井がデビューして活躍した時代、日本経済の復興を飾ったその時代にあって、戦争が落し残した孤児という深く大きなテーマを正面から掘り下げた人がいたのだ。
 今年「鐘の鳴る丘少年の家」は創立70周年を迎えた。その施設の入り口に記念する大きな碑が建立された。一貫して尽力されてきた品川さんをはじめとして、この施設で育った方、事業に協賛して支援の手を差しのべた多くの方々の力で建立された。事業の歴史と事業がもたらした影響力がしっかりとその碑に刻まれて、静かにたたずんでいる。

 フランク永井歌コンに挑戦する前橋チームの練習風景とともに、鐘の鳴る丘少年の家から続く大きなうねりを重く感じた。
 品川さんは余暇を利用してフランク永井の鉛筆画を描続けている。品川さんの心意気を称賛する方に神戸の味岡さんがおられる。彼はフランク永井の残したレコードや活躍した当時を思い起こされるさまざまな素材を多数お持ちで、品川さんの鉛筆画とともに「フランク永井前橋展示室」に陳列されている。
 ここを訪れれば、鉛筆画はもとより珍しい関連素材を観ることができる。もちろん、レコードを聴くこともできる。フランク永井の他では聴けないような珍しい曲も、ここでなら聴くことも可能だ。ということで、興味がある方は是非とも訪れてみてほしい。

◆フランク永井鉛筆画前橋展示室
〒371-0231 群馬県前橋市堀越町933
TEL:027-283-2262(はまや気付)
HPアドレス:http://www.wind.sannet.ne.jp/guitar/sab3.html

◆第9回フランク永井歌コンクール応募要項
【予選会】平成29年10月21日(土)午前10時~
【会場】大崎市松山体育館
【表彰】優勝1名・準優勝1名・第3位1名・特別賞若干名・参加賞出場者全員
【応募方法】フランク永井の曲(オリジナル)を歌唱する方は、どなたでも参加できます。
申込み用紙に歌唱曲名、住所、氏名他を記入し現金書留に参加料、カラオケテープ・CDを添えて事務局まで申込み下さい。(カラオケテープに自分の歌声を吹き込まないで下さい)
【応募期限】平成29年8月31日(木)必着、先着130組になり次第締め切りとさせていただきます。
【参加料】4,000円、デュエット5,000円
【審査選考】
【公開予選会】フランク永井の歌2番までを審査し、30組を決勝大会へ選抜します。
【本選決勝大会】予選会と同じフランク永井の歌2番までを審査します。
【審査員】
白井伸幸先生(ビクター歌謡音楽研究会東京本部特別講師)
大森一夫先生 干葉有一先生(作曲並びに編曲者)
【お問い合わせ】事務室「フランク永井歌コンクール」実行委員会
〒987-1304 宮城県大崎市松山千石字広田30
TEL:090-1492-0438
【受付時間】午後2時から午後5時まで(日・祝日を除く)
【HPアドレス】http://frank-m.org/出場者募集について

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「うたごえ喫茶・ともしび」の出前ということで、筆者の自宅の近くの小ホールで催しがあった。7月9日のことだ。いつも週末に散歩するコースにある場所なので、ときどき前にある掲示板に目を向けるのだが、思いがけずにこのポスターを見て申し込んだ次第だ。
 ひとりで行くのもなんだと思い、お世話になっている東京ラジオ歌謡の関係者の先輩おふたりに声を掛けた。よろこんで参加するとのことでご一緒した。おひとりの先輩はなんとその時代に、ずばりそのお店でアコーディオンを演奏されていた。さらにおひとりは最近まで続いていたというその愛好会に長年参加されてきたとのこと。そのようなことから、まさに思いがけないこととして感慨ひとしおという。
 うたごえ喫茶ともしびは、東京新宿を拠点にして昭和30年代から活躍、一時期社会的には忘れ去られたような時期があったものの、昨今の昭和歌謡ブームなどからマスコミやテレビなどで紹介されたことから、人気が再来しているという。
 「出前」ということで、全国各地からの開催要望に応えるシステムがあって、少人数でもいかなる地域でも要望があれば出向いて開催するという。近所で行われたのはそうした地域の企画で実現したものだという。会場にはほとんどあの時代の経験者とおぼしき方々で満杯だった。同年代で意外と女性が多かったと思う。
 当日の参加者からのリクエストを最初に受付け、そうした曲をもとにした構成ですすめられた。ステージ・リーダーはテレビでも紹介されていた小川那美子さん。演奏はピアノで南部勇木さん。南部さんはジャズ演奏が得意とのこと。数千曲をまったく楽譜なしでイントロから間奏を含めて自在に完奏する。
 昔と同じで、楽譜が貸し出され、曲名とページが案内されて、皆で合唱する。みなさん、よく曲を知っているし、うまい! そのまま合唱団で舞台ででられそうな雰囲気になってくる。
 およそ2時間、抒情歌、労働歌、ロシア民謡等々一気に歌った。昔とは違い会場がホールなので飲み物はお茶など自前だが、かつて昭和30~40年代に何度か通ったうたごえ喫茶の雰囲気がよみがえった。

 うたごえ喫茶は戦後の高度経済成長の時代に、地方から都会に集中した労働者というか働く人たちの重要な憩いの場のひとつであったと思う。私の知人にもそこでやってた人がいた。R君は吉祥寺ともしびで歌っていた上条恒彦のバック演奏をしていた。E君はその同郷でアコーディオンと歌唱をしていた。いまどうしていることか。上条がファーストアルバムを出したときは嬉しくなって購入したものだ。
 高校時代の筆者のクラスは音楽祭のときに何故かテーマにしたのは「ボルガの舟歌」で、見事に歌い入賞したこともある。
 日本の歌声喫茶は全国的なうたごえ運動と関係するようだ。敗戦で日本を占領した米軍は日本の米国化をするために米国励賛の文化の一環で映画、スポーツ、音楽をがんがんと注入した。映画も音楽も今でいう著作権はほとんど無視された状態で普及に力を入れた。アメリカナイズというか米国励賛というか。
 しかしこの時代米ソ冷戦ということが言われ、ロシアの影響も無視できなかった。だが、当時は東欧からの映画は許可が数で制限されていたために、数は圧倒的に限られていた。歌はシベリア帰りの人たちの持ち帰りもあって相当流れていたように思う。
 うたごえ喫茶に決定的なきっかけを与えたのはロシアの映画「シベリア物語」だ。当時のソ連の国、といっても荒れた極寒の地、地の果てで犯罪者流刑の地シベリアを、たたえた映画。シベリア出身のイワン・プィリエフが、ロシアで歴史的に2回目のカラー映画作品として1947年に作ったものだ。
 この映画は日本に輸入され全国で上映された。音楽家でありながらもナチスとの戦場におもむき負傷して故郷シベリアに帰る。厳しい環境で働く人たちの求めで歌を歌い、作曲する。それがいかに強く人々から喜ばれることかを実感する。それがちょうど歌声喫茶のような場に象徴されて描写されている。
 映画では「さすらい人」(バイカル湖のほとり)、「君知りて」「シベリアの大地」「流刑人のうた」など9曲が歌われている。また、マヒナスターズ、ロス・プリモスなどいまだ活躍中のコーラス・グループの起源もこれだ。ダーク・ダックス、ボニー・ジャックス、スリー・グレイセス、デューク・エイセス等々が世に出たのも同じだ。
 大地に根差した人びとの熱気、陽気、素朴さ、たくましさ、連帯感が描かれている。これは日本で都会に出てきて働く者に通じる何かを与えた。現在でも営々と続いているううたごえ喫茶にあるようなさまざまな歌の活動が、それを表現しているのではなかろうか。

 写真は同時代に活躍したフランク永井が珍しくアコーディオンを演奏している写真。フランク永井は労音での全国公演で歌っていて、そのなかで「黒い瞳」(1962:PV-198)を出した。しかし基本的に夜のムード歌謡、大人の恋の悲哀の分野での色合いの濃さから、公式には労働歌のような分野とのかさなりは薄い。
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 前回の記事でMEG-CDからフランク永井のLP「WOMAN」復刻したことを話題にした。その際に山下達郎プロデュースのこの「WOMAN」が、かつてのテレビ歌番組「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ系)で歌われたこと。そしてそのときのフランク永井の珍しい歌唱映像がYouTubeにアップされていた時期があることについて触れた。そして今はおそらく見れないだろうと。
 その記述について、さっそくにmixiで、その番組そのものが現在アップされていて観れるよ、とURLを紹介してくださった。そのような情報をすぐにお知らせいただいたこと自身もさることながら、そもそもそのような映像が、どなたかきっちりと録画で残されていて、現在観れるということに驚いた次第。
 ということで、この週末に早速に全編の鑑賞をした。いい加減な私はいつの番組なのかをアップされた方の記事で初めて知った。1982年8月2日とのこと。
 オーいきなりダン池田とニューブリードではないか。ニューブリードの名はその後三原綱木が受け継ぎ大活躍していくのだが、ダン池田が珍しい。当時音楽番組ではいつも指揮していたような印象がある。
 番組の司会は時代と共に何人か変わっているが、このときは芳村真理と井上順。
 この番組の特徴は出演種歌手が次に歌う歌手の最初の小節を歌う。つぎつぎにメロディー形式で紹介しながら登場するという趣向をしているのが特徴。野口五郎が「君恋し」を歌ってフランク永井が登場する。ラストゲストであるため「君恋し」をフル歌唱する。
 当日には、郷ひろみ、スターボー、柏原よしえ、野口五郎、古手川祐子、ジョー山中、三原順子といった面々だゲストだ。まったく記憶にない人もいる。古手川祐子の歌は初めて聴いた気がする。三原順子は今国会議員だ。1982年ということは35年前。そのとき生まれた人でも、そんな年になるんだ。先日に吉村真理をテレビで見た気もするが、じゃ、いま...、とかの冗談をいいながら楽しませてもらった。
 いよいよ、フランク永井の「WOMAN」。まぁ、紹介、イントロ、舞台中央に歩むのだが、そのときに、白いタキシードにつけているレンジ色の蝶ネクタイをなぜか解き放つ。リラックスして夜のムード全開となる。これが当時から、粋なヤツ! と、彼にしかできない技...とさんざんうらやましがられた。
 さすがにフランク永井である。この山下達郎が挑戦して突きつけた複雑怪奇なメローディーをみごとに歌い上げている。歌謡界の大御所としての実力に皆がうなづいた。
 ということで、35年前へのワープを楽しませてもらった。
 「夜のヒットスタジオ」は近年といっても2009年ごろkaからCS放送のスカパー!とスカパー!e2のフジテレビONE(いずれも有料放送)で再放送されたとのこと。YouTubeの映像はそれかもしれないが、ともかくファンが観れるという事態を用意してくれた環境に感謝したい。
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 「昭和初期のSP盤から近年のCDまで、これまで入手困難だった作品」のデジタル復刻を精力的に進めているMEG-CD。フランク永井の作品のほとんどに近いレコードを復刻して下さったところ。このMEG-CDから、6月21日に新たにLP「WOMAN」がCDで復刻発売された。
 LP「WOMAN」は、1982年にシングル「WOMAN」、裏面の「愛のセレナーデ」、自身のヒット曲で再吹込みした「ラブ・レター」を含んだLPである。収録曲は下記の通りで、当時のヒット曲のカバー。フランク永井のレコードジャケットは基本的に写真がほとんどなのだが、この作品は珍しく絵だ。この絵は確か一度ヤフオクで高額提出されていたことがある。

  01 WOMAN(作詞:山下達郎、作曲:山下達郎)
  02 サチコ(作詞:田中収、作曲:田中収)
  03 氷雨(作詞:とまりれん、作曲:とまりれん)
  04 ラブ・レター(作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正)
  05 メモリーグラス(作詞:堀江淳、作曲:堀江淳)
  06 愛のセレナーデ(作詞:伊藤銀次、作曲:山下達郎)
  07 心の色(作詞:大津あきら、作曲:木森敏之)
  08 もしもピアノが弾けたなら(作詞:阿久悠、作曲:坂田晃一)
  09 男の背中(作詞:中山大三郎、作曲:中山大三郎)
  10 忘れはしないでしょう(作詞:なかにし礼/吉屋潤、作曲:吉屋潤)
  11 街の灯がゆれる(作詞:山口洋子、作曲:曽根幸明)
  12 ルビーの指輪(作詞:松本隆、作曲:寺尾聰)

 フランク永井自身の作品「ラブ・レター」は1958(S33)年のSP盤が元だが、成熟した新たな吹き込みは落ち着いていてなかなかいい。ちなみにこの曲は1963(S38)年にもステレオ版で吹き込んでいるという、思い入れ深い曲だ。
 カバーとはいえ、フランク永井の「もしもピアノが弾けたなら」「ルビーの指輪」などはこの盤でリリースされ、ファンを喜ばした。たびたび書いていることだが、フランク永井が山下達郎とのジョイントで実現した作品は、とかく話題を呼んだ。その内容は「フランク永井あれこれ」でたびたび記しているので、そちらをご覧いただきたい。
 「WOMAN」は、現役で安定的なファンを常に周囲にいる名手山下達郎作品であるがゆえに、レコードの発表後、いろいろと話題を呼んだ。サントリー「樹氷」のコマーシャルソングとして使われた。また、フランク永井の映像記録の集大成ともいえる2009年のNHK-BS「歌伝説フランク永井の世界」でモノクロ映像とかぶせたエンディングで効果的に使われた。
 山下は24Ch×2というゴージャスな演奏を自分で洗練させて、自分の作品集にデジタル復刻のような形で入れている。この音源とビクター音源とMEG-CD音源を聴き比べて楽しむのは、きっとぜいたくすぎることかもしれない。
 ずいぶん前になるが、夜のヒットスタジオという番組でフランク永井が粋な歌いで披露して、当時世を騒がした。映像で残っていて、一時YouTubeでの閲覧できたのだが、著作権の関係から一時的にしか閲覧できなかったようだ。映像ということでは、フランク永井がレコードリリースする直前と思える時期に、フランク永井の公演で「新曲がこれから出るよ」というような紹介で披露しているのが映像化されて残されている。
 これは関係者が私的に録画したこともあり、放送で耐えられるレベルでないのと何よりフランク永井自身が練習中のような感じで一部出だしにエラーをしている。だが、今となっては非常に貴重な映像であったことから、日立の吉田正音楽記念館のエントランスで一時流されていた。
 ここで、フランク永井自身が若い音楽クリエータとのユニット、特に慣れ親しんで歌ってきたリズムから若い芸術家が編み出すリズムに乗ることのむずかしさを語っている。
 この時期フランク永井はヒット曲が少なく、露出も少なくなり、回帰に向けた新たな挑戦を試みていた。「WOMAN」はそうしたなかで世に出た傑作だ。聴けばフランク永井の他の曲とは、一味も二味も異なる完成を感じることができる。そうした意味で、是非ともこの機会に「WOMAN」を聴いてみてほしい。
 ちなみに、ネットの画像を見ていたらフランク永井がこのアルバムを東映俳優の大友柳太郎にサインをして渡したと思える画像があった。大友はまさに同時代を駆けた好きな名優だ。子供のころに映画「紅孔雀」で知りその後さまざまな映画を見てきた。その大友がフランク永井と交流があったに違いない証拠の品。