2017年6月アーカイブ

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 フランク永井の恩師吉田正が1989(H10)年6月10日に77歳で永眠した。6月は吉田正をしのんで毎年特集が組まれる。
 吉田正の生誕地である日立には、景観が最高の場所に「吉田正音楽記念館」が建ち常に人気を博しているが、今年3月に入館者が100万人に達した。それを記念して4月には吉田正音楽記念館入館者100万人記念コンサート「ありがとう100万人~吉田正音楽記念館~」が開催された。
 記念館では特別企画として、吉田正音楽記念館入館者100万人記念事業企画展「ありがとう100万人~人と人とをつなぐ吉田メロディー~を8月25日(金)まで開催している。
 BS11で13日に放映された番組は、4月の記念コンサートの模様である。
 番組は司会宮本隆治(アシスタント高野萌)で、毎回丁寧な番組の進行がなされていて人気だ。
 当日の出演者は、マヒナスターズ、橋幸夫、三田明、田辺靖雄、九重佑三子、古都清乃、鶴田さやか、はやぶさの方がた。吉田学校の門下生の多くはすでになく、さみしい限りであるが、それはやむを得なかろう。番組では以前も放送されたことがあるものだが、吉田正が亡くなる少し前に開催された催しの映像が紹介された。吉永小百合が参加している珍しいもので、いまでは大変貴重な資料的なものが紹介された。
 このときすでにフランク永井や鶴田浩二や松尾和子は亡くなっていた。それが残念と吉永小百合が語っている。
 さて、番組では当日の出演者が吉田正からさずかった代表曲を歌ったのだが、吉田正を紹介するうえで欠かせないのはフランク永井をはじめとし三浦洸一を含む、すでにない方々が歌った人気曲だ。これを出演者が代わって歌った。
 フランク永井の歌はコンサート会場では次のように歌われたのだが、放送では「東京ナイトクラブ」だけであった。「有楽町で逢いましょう」は番組ではフランク永井歌唱の音源が使われた。
  有楽町で逢いましょう(三田明/宮本隆治とのデュエット)
  公園の手品師(橋幸夫)
  東京ナイトクラブ(田辺靖雄/九重佑三子)
  西銀座駅前(はやぶさ)
  東京午前三時(はやぶさ)
  夜霧の第二国道(田辺靖雄)
 若手3人組のはやぶさが最近この分野で取り上げられているが、番組では三浦洸一の「弁天小僧」を歌った。
 歌は世につれ世は歌につれ...。吉田正、フランク永井が活躍した時代を共にした年代には、いまだ根強い人気であることは、会場を満員で埋め尽くす熱心な人びとの顔で分かる。若い年代に受け継いでほしいことはいうまでもないことだが、当時に活躍した歌手がひとり、またひとりとフェードアウトしていく現実は、何とも言えないさみしさを感じる。
 当時の時代の出来事と、自分の必死の労働と生活がかぶさり、それが当時の歌で一体でよみがえる。つまり、これは同時代であったが故の重さだ。これを若い方々にそのまま求めても何も生まないのは承知だ。だが、それでも、いい歌はいい。きっと時代を超えてわかる人もでてくるだろう。
 吉田正音楽記念館入館者100万人記念事業企画展は、まだまだ開催中なので、ご都合のつく方はぜひ訪問してみてほしい。
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 フランク永井が大阪を中心にした関西や西日本でおおきな人気をはくしたことは有名だ。
 代表曲のひとつに「公園の手品師」というのがあるが、デビュー2年目にジャズ志向から流行歌に転向して1956(S31)年10月に「場末のペット吹き」を売り出したその翌月に、大阪朝日放送(ABC)ラジオの「ホームソング」で採用されて流れたものだ。「公園の手品師」は放送直後からリスナーに注目され、半月で交代のルールがあまりにも多い延長リクエストの声から、さらに半月伸ばして放送されたエピソードを持つ。
 この曲はさらに2年後になって1958年にSPレコードB面でで発売された。A面は「たそがれ酒場」。「公園の手品師」はいつ聴いても「古さを忘れさせる」奇妙な曲で、コンスタントに人気を保ってきた。そしてさらに20年後に新たな吹き込みで2回目の発売をしている。
 ちょっと横道にそれてしまったが、フランク永井の関西での注目をえた始まりである。当時宝塚で活躍しておられた方が、大阪という大都会に出てきて高度成長をささえて働く若者を対象に「大阪労音」を通じて歌の力で癒しをと企画していた。各地で次々と公演を企画してそこに定期的に歌手を呼んで、人気曲を広めた。さらに、歌手にはオリジナル曲を作るというアイデアを実行した。
 大阪労音の運動は広く受け入れられ、全国的な歌声運動に連携していった。こうしたなかで、最初の大阪でフランク永井は呼ばれて行き、いわゆる大阪ものを多く歌うようになった。そして、東北出身のフランク永井は関西出身と見間違われるほどのみごとな歌唱を披露して人気をえていった。
 オリジナルで生まれた歌の代表は「こいさんのラブ・コール」「大阪ぐらし」であろう。
 ビクターでは大阪を基軸にした歌の盛り上がりがあることに注目して、人気歌手に意識的な大阪ものをおおく歌わせている。1963(S38)年に「東京の唄・大阪の唄」というオムニバスのLP版を出している。
 「東京ナイトクラブ」「東京の人」「東京ドドンパ娘」「東京の美少年」「東京カチート」「東京チョンキナ」「新東京小唄」いすれも東京もの。B面に「こいさんのラブ・コール」「大阪の人」「大阪野郎」「男の旅路」「お百度こいさん」「流転」「大阪無宿」。
 聴きなれないかも知れないが「東京チョンキナ」は赤坂百々太郎。
 また歌の遡及に大きな役割を果たしたのはソノシート盤。値段が安くて歌の情報量が多くて、野外の集まりなどでも気安く楽しめた。ビクター・ミュージック・ブックというシリーズから1964年に「大阪ぐらし」が出ている。
 ここには当時一押ししたいフランク永井の曲も含めて8曲収めている。「大阪ぐらし」「悲しみの雨」「香水と煙草」「太陽は撃てない」「むせび泣き」「平行線の街」「公園の手品師」「ラブ・レター」。まあ、大阪の唄といはいえないのも含む。
 この冊子には「フランク永井・歌う大様」と題する記事が掲載されている。当時のフランク永井を評する代表的な声だ。
 【「ステージへ出て、フランクさんぐらい大きく見える歌手はありません」。舞台のそでで出を待つ若い歌手の一人が歌うフランク永井をみながら、こういってくれた。「どちらかといえば小柄だし、ふだんは冗談なんか飛ばして、優しい先輩なのに、一度ステージに上がったとたん、王様のごとく近づきがたく、こわいような威厳があるのです」。そしてふーっとため息つくと、ぼくがあれくらいになるには、どのくたい勉強すればよいのだろう、とつぶやいた。
 競争の激しい歌謡曲の世界で尊敬する人は、と聞かれた場合フランク永井さんとよどみなく答えられるその人―そのすぐれた歌唱法が、その深い解釈力が、そして素晴らしい表現の力が、その人を大きく見せるのだ。そしてその人は、一曲ごとに厚みをまし、ますます大きく威厳を増していくのだ。たぶん、このとき若い歌い手の言った「歌う大様」という言葉ほど、フランク永井にぴったりの言葉はないだろう】
 1973(S48)年LP「東京~大阪・歌の架け橋」が編纂されている。
 ここでは、フランク永井がそれまでにうたってきた東京と大阪をテーマにした曲を2枚のレコードに凝縮している。
 「フランク永井はなぜ大阪で人気を得たのか」とよく聞かれる。当然私はその真実をしるよしもない。だが、ひとりのファンとして、彼が残した歌の全容を追っていると、上記のようなことがわかってくる。
 大阪で歌うきっかけを得た時に、次につながったのは間違いなく彼のすぐれた歌唱力だ。提案した人が納得し、期待以上のものを提示することができたからだ。これは誰にでもできることではない。多くの人に機会はおとずれる。その瞬間のチャンスを見抜く力、その瞬間に自分の力を発揮できる練力。その人の人間性。そうしたものが左右を決する。
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 フランク永井が活躍したおよそ30年。これは今でいう昭和歌謡の盛り上がった時期と重なる。フランク永井自身が残した歌については、ファンの協力で現在までにほとんどが明らかになった。
 しかし、細かいことを言えば、この時期は各レコード会社が様々な形のオムニバス盤を出していて、以外にもそこで本人がシングル盤でもLP版でも出していない曲を含めていたこと。
 フランク永井が属したビクターからは「オールスター歌の星座」「魅惑のオールスターズ」「花のステージ」「歌の花束」といったシリーズの集合版を出していた。抱える歌手の押し出しのために、新曲やもう少し出てほしいというような歌を1枚のLPにして、毎月のように出していた。そしてそれら以外に、各歌手ごとの視聴盤というのもあって、放送局やレコード店に配布して積極的にながすことで、聴く人の印象に残らせ、レコードを買ってほしいという作戦だ。
 だが、それらの盤がいつ、どれほど作られ、どう利用され、その後どうなったかということについては、ほとんど関心がもたれないままであったことが、現在研究者には大きな難点になっている。
 フランク永井について調査を進めていて、収集したものから推察をするしか手がないことから、そうとうに混乱した。
 ビクターでは先に上げたオムニバス盤以外に、「流行歌ベストテン」「流行歌ベスト13」「流行歌ベスト15」とかのシリーズ、「ヒット・チャート○○」シリーズ、「ゴールデン・ヒット・ソング」のシリーズなどがある。さらに、月間で新譜だけの視聴版も作られた。いったいこうした販促を目的にした盤シリーズはどれほど作られたのだろうか。各レコード会社が競争のために同様なことをしていたわけで、受け取る方もおのずと関心が薄れるというものだ。
 掲載した写真は主に後者で、18点中16点がそれだ。VolNo22がここにある中では最後のものだが、シリーズの最後かは当然不明だ。
 筆者の手元には整理も十分にできないまま何十枚かあって、時に針を落とす。多くは当時に聴いた曲が多いので、レコードを聴いている時には頭がその当時にワープして、それなりにいい気分を味わる。もういない歌手もいれば、すっかり忘れていた曲もある。
 フランク永井の曲はさまざまだ。このような盤には大ヒット曲はほとんどない。やはり、レコード会社側がプッシュしたいという意図が感じられる。
 オムニバス盤については、まだまだ調査中ということで、解明の楽しみを先に残しながらの、つかみどころのない話でした。このテーマについては、オムニバス盤をお持ちの方で、楽しまれている方からの情報をお寄せいただければとお願いします。