2017年3月アーカイブ

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 BS日テレで長く続く番組「日本名曲アルバム」の3月に放映された「哀愁の昭和メロディー!吉田正・佐伯孝夫特集」。
 フランク永井の恩師吉田正と佐伯孝夫の特集とあらば観なきゃと、ほとんど脅迫観念かとあきれながらも鑑賞した。
 「おまえに」「伊豆の踊子」(吉永小百合)「恋のメキシカンロック」(橋幸夫)
 「若い力」」(国民体育大会歌。作詞:佐伯孝夫、作曲:高田信一)
 「勇気あるもの」(吉永小百合)「哀愁の街に霧が降る」(山田真二)
 「東京ナイトクラブ」「東京の人」(三浦洸一)「恋をするなら」(橋幸夫)
 「落葉しぐれ」(三浦洸一)「夕子の涙」(三田明)「西銀座駅前」
 「誰よりも君を愛す」
 13曲が披露された。「Jコーラス」と「アンサンブル・オアシス」の2つのコーラスグループが分担あるいは合成で歌われた。「おまえに」と「西銀座駅前」については、フランク永井を目標と慕うささきいさおが歌った。「東京ナイトクラブ」はこーらすの男女でのデュエットだった。
 吉田正の作曲でないのは「若い力」だが、これは国体で歌われる歌で佐伯孝夫の作品だ。いずれも吉田・佐伯のゴールデンコンビが活躍していた時代に、広く歌われたものばかりで皆がほとんどよく知っていて口ずさんだものだ。
 若いコーラスのメンバーは揃って本格的に声楽を学んだ方がた。吉田正や佐伯孝夫がヒットを連発していた時代のあとに生まれた方がたであろう。音符に忠実な歌唱を聞かせてくれた。
 
 音楽教育の土台というか基本はクラシック系だから、ここでしっかり身に着けた声楽の実力は、卒業してもそれを生かす場が多いとは思えない。無数にありいたるところで披露する機会があるとはいえない。
 音楽が人びとに憩いとして大きな作用を及ぼしていることは分かっていても、なかなか社会的な体制には至っていないということかもしれない。そうしたなかで、流行歌などの大衆文化というか世俗文化というか、その分野にも注目し、クラシックなどの正統?な音楽が融合していっているのだろう。
 「千の風になって」が秋川雅史の歌唱で人気を得た。その秋川がさまざまな歌謡曲のカバーをしているが、そうした流れとの融合かも知れない。
 日本でレコードになるような大衆芸能が始まった時期も、歌手と言えば専門的に声楽を学んだ人たちが最初だった。いま聴けば感情的には味もそっけもない印象があるのだが、そのなかから日本独特の演歌のような歌唱法が生まれてきた。ある意味邪道なのかもしれないが、大衆はそれに親しみを感じるところがある。
 特に学問的にどうだからこうあるべきみたいなことには、面倒くさい、どうでもいい、という素朴な大衆の視点があり、そこに寄り添いながら切り開いてきたのが流行歌をささえてきたのではないのだろうか。
 視点が違うだけ、つまり見る角度が異なるだけのことだ。社会的にアッパークラスのステータスを満足させるものと、その社会を下から支えている圧倒的な多数の人びとのこころを癒す点に焦点を当てた文化との歩み寄りともいえる。

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 この3月18日はフランク永井の誕生日。1932(S7)年生まれなので、ご存命なら85歳になることになる。
 2008(H20)年に亡くなられた。すでに10年近く前になる。だが、フランク永井の人気は決して衰えていない。それだけに、昭和歌謡に残した記憶はおおきく、最近BSで多くなった歌謡番組ではかならず取り上げられている。
 この3月には、歌謡ポップスチャンネルで「この人・フランク永井ショー・母あればこそ」が放映され、フランク永井への敬意が表された。この番組は、NHKから1984年10月4日に放送されたもの。フランク永井映像には、当時の事情から上書き使用され残されているのが少ないために、たいへん貴重な1本だ。
 今回の放送を録画でみて、その映像の鮮明さに驚きながら、フレッシュに鑑賞させていただいた。
 2009年にフランク永井ファンには永久保存版ともいえる「歌伝説フランク永井の世界」が作られて、NHK-BSから放送された。この作品でフランク永井自身が自らの生い立ちを振りかえるというところで、先の映像が効果的に多用されていいる。
 デビュー曲「恋人よわれに帰れ」のSP版演奏、デビュー前にラジオでの自慢荒らしで歌ったという「マイ・ベイビーズ・カミング・ホーム」を歌うシーン、好きなオープンカーでは喫煙しながら街を走り吸殻を車外にポイする...などが使われた。
 喫煙運転も車外にポイも今はダメ。これはこの番組映像の内容が充実していることや鮮明であることから、NHKから再放送されても当然でありながら、できない理由になっていると思われる。
 歌謡専門チャンネルはBS有料チャンネルだが、ここから放送されたのはそうした事情ではないだろうか。筆者は有料チャンネルについては接する機会もなく、当然放映も知る由もなかったのだが、ファン仲間のOさんが知らせてくださった。これはmixiのフランク永井サイトにも告知させていただいた。
 そうした経緯で情報をともにしたやはりファン仲間から録画を見せていただいた次第で、お二人には深く感謝。
 実は、この映像自身は以前に観ている。それはやはりファン仲間の方が、当時放送の番組をVHSで録画されていたもの。その録画は同様な当時の事情でテープを上書きで利用していたりのさまざまな事情とも思えるのだが、映像の鮮明度は若干落ちるものだった。それが、最新のデジタル技術の向上もあってか、今回の番組では十分に満足させるレベルであったことに、痛く感心。
 この番組をご覧になって記憶されている方は「ミヤコ蝶々とのあれネ」という。そのように、この番組では最初から登場。フランク永井との交流を親子のように親しく語っている。
 4歳で父を亡くしたフランク永井を、一人で育てたのが母。母は後年喉頭がんを患い声を失う。フランク永井は声を職業にする歌手となったことが、その母の喉の代わりという。そして、1961年「君恋し」でん本レコード大賞を受賞した。母に感謝の報告というエピソード。
 番組には松尾和子もゲストで出演した。デビュー前に吉田正やビクターに松尾を紹介したことをずいぶんと遠慮しがちに語り合う。確かに松尾の活躍はご本人の実力であって、紹介自身は無数のきっかけのひとつにすぎない。しかし松尾は機会あるたびにデビューの恩人はフランク永井と語っている。
 さらにこの番組でしか見れない映像は、出身地宮城県の地元の子供のころからの友人が登場し、エピソードを語り合い、竹笛の共演をしていることだ。番組の臭い、個性、時代の流れを感じさせるところだった。
 当時のテレビでフランク永井を取り上げたまとまったものはNHKに限らずけっこうあったと記憶する。だが、ほんとうに残念なことに残されているのがほとんどないなかで、この番組は唯一かもしれない貴重なものだ。
 1977年12月NHK放送「ビッグ・ショー・フランク永井~酒・女・そして...」は映像がなく、録音は同名LPとして残されているだけだ。どなたか録画されているといいのだが。ここでは「君恋し」の特別版が歌われている(近藤進編曲、小野満とスイング・ビーバース/東京放送管弦楽団演奏)。それをベースにしたと思えるような「君恋し」が「この人...」でもフランク永井当人の歌唱で歌われた(ダン池田とニュー・ブリード演奏)。しっとりしたなかなかいい味をもった編曲になっていた。
 これを企画し放送されたことに大きな感謝を払いたい。フランク永井の生誕を記念するいい企画である。
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 宮本アナ司会のBSで人気の「あの人にもう一度逢いたい」で先日に松尾和子が取り上げられた。フランク永井については、すでに紹介しているが、女フランク永井とも言われた松尾和子が登場ということで、楽しませていただいた。
 ゲストは橋幸夫、古都清乃、内田あかり、松平直樹であった。ビクターの同僚でもあるとともに、多くはフランク永井の恩師吉田正の門下生でもある。
 目玉はフランク永井と松尾和子のデュエット映像で、これはビクター側がみずから「魅惑のゴールデンデュエット」として映像付きのカラオケを発売した時に、わざわざ撮影したものである。DVD等リリース時は当然だが、映像に公式な音声を重ねたものだ。これらはCD-BOX「フランク永井歌声よ永遠に」(2009)で再版された。
 魅惑のゴールデンデュエットの頂点ともいうべき「東京ナイト・クラブ」がフルサイズで放映された。同曲は、ゲストの橋幸夫と古都清乃によっても歌われた。
 また、松尾和子の残した歌で、本人がどう思っていたかは別にして、誰もが最高の傑作だと今では評価が定着している「再会」も、当時の珍しいプロモーション映像が流された。ゲスト古都清乃がカバーした。
 さらに八田(やつだ)プロデュサーが登場して、松尾和子のビクターからのデビューに当たっての当時の採用事情などが語られたことも貴重なことであった。吉田正がフランク永井を見出して育てたことと大きな関連を持つ。目を見張るような高度経済成長が展開される中で、いまだに米国の占領が続くように洋楽が大きな存在を示していた。特に大人のナイトクラブはもちろん、居酒屋、喫茶店、繁華街で流れる音楽を自然に日本のものが流れるようにしたい。
 ここの需要に合致するものをという望みであった。それが「低音」「雰囲気にとけこむ」「押し付けない」、自然なBGMのようなもの、それにぴったりだったのが松尾(当然フランク永井も)だったというのだ。これは筆者もまさにそのように感じている。
 その場にいるとBGMのように気にしないで聴ける。しかし、ちゃんと聴いてみようとして気にして聴くと、とてもしっかり歌っている。集中して聴くとその歌唱が他の人にはまねのできないすごい歌手であることを実感する、そのような構造をさりげなく実現している。
 ジャズで鍛え上げられた松尾の声はそうした要望にそう。番組で橋も話していたが、歌唱が完全であるだけでなく、雰囲気を自在にコントロールするセンスが持ち合わせていないと、せっかくの歌も場から受け入れられないのだ。吐息のような、ため息のような、松尾和子ならではの表現は妖艶すぎるということから、一時自主規制にあってしまったことある。
 松尾が赤坂の力道山が経営するクラブで見出したフランク永井は、恩師を連れていって推薦して実現した。
 フランク永井は当時すでにスターだった。そのフランク永井とのカップリングで「グッド・ナイト」(和田弘とマヒナスターズとの共演)でデビューした。「東京ナイト・クラブ」はその裏面だ。この華麗なデビューは期待に応えて大ヒットをする。「東京ナイト・クラブ」については、番組で作曲家の吉田自身の口から「当初はソロの予定だった」と秘話を話しているが、これはその後大人のデュエットの端緒を切り開いた(「銀座の恋の物語」などが続く)ように、画期的なものだった。松尾和子とのデュエットの売り「魅惑のゴールデン・デュエット」が実現し、その後この二人で30曲ほど歌っている。LPも2枚だされた。
 ゲストの内田は松尾から「男には気を付けろよなどと言われたが、お姉さん(松尾)自身がね...」と言っていたように、松尾はスターになっても決してその後の活動がハッピーであったわけではない。恋(相手からの恋慕も)、息子、宗教、借金といろいろあった。盟友であったフランク永井の不幸も精神的には大きく影響したともいわれている。
 だが、彼女が残した歌は時代に大きく影響を与え、強烈な印象を残した。現在は、その残された歌を中心に彼女の業績を評価することだが、フランク永井とともに今後も語り継ぐべき財産であると思う。