2017年2月アーカイブ

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 2月10日のTV番組「武田鉄矢の昭和は輝いていた」では、フランク永井の恩師吉田正と遠藤実に焦点をあてたものだった。昭和を代表する2大巨頭といってもいい。この二人の活躍を描くだけでなく、その時々の時代と同時に流行った歌を追うことで、昭和歌謡史全般を紹介していた。
 ビクターとコロンビア、望郷歌謡と都会派歌謡、高音ブームと低音ブーム等々ライバル同士の比較が分かりやすい。
 吉田正を取り上げるというときに、フランク永井をおのずとその核と紹介せずにはおけない。吉田正の当時の映像とともに、ゲスト出演したペギー葉山、三田明、橋幸夫、解説者の小西良太郎らによって語られるエピソードで紹介される。
 冒頭に「フランク永井都会派歌謡3部作」として、「夜霧の第二国道」「東京午前三時」「有楽町で逢いましょう」とある。そんなくくり方と呼び方があったのか、と感心。
 吉田正の鶴田浩二、三浦洸一らの先輩歌手とともに、フランク永井、松尾和子、橋幸夫らとのかかわりが語られる。作詞家佐伯孝夫と灰田勝彦とのコンビでのヒット独占、吉田正が松尾和子に提供した「再会」のエピソードがいい。吉田正は自分の最高傑作の一曲と呼んでいる。確かに歌のうまい松尾和子の特性をきわだたせている。
 歌のヒットは単に歌わせただけで実現するものではない。松尾和子も多数のレコードを出しているが、抜きんでいるはまり曲というのは多いわけではない。「誰よりも君を愛す」という難曲を見事に歌い上げて日本レコード大賞まで手にしつつも、その後のヒットにめぐまれずに苦悩していた時に、吉田正、佐伯孝夫の第一人者が考え抜えたうえで実現したものだ。
 そうした難しいテーマへの取り組みが「再会」という異様なテーマ曲を生み、松尾がそれを唄う。さすがといってよい。実際にこれが当たって、松尾は再浮上をなしとげたのだ。
 作詞+作曲+歌手という当事者自身のもくろみと努力で、その思いがそのまま実現するということは、この世界では夢のようなことなのだ。
 近年ではそれは求めえない。まず先に売り出し専門組織(レコード事務所など)があり、企画があり、その規格の売り込みによる資金集めがあり、資金力による宣伝と仕掛けが作られる。つまり、多くは歌手などはそっちのけで企画+資金力+仕掛けで決まる傾向がある。
 こうしたことに反発するシンガー・ソング・ライターもいるが、彼らが抜きんでたパワーがない限り勝負ができない。ネットを利用した訴求力も問われることになる。
 しかし、総じて、作詞+作曲(+編曲)+歌手という原点にいる人たちが、自分たちの能力と努力が原点になって成功を勝ち得るという、シンプルなことが起こり得た時代だった。
 武田が三田に森進一の歩き方の真似をさせるというへんなシーンもあったが、この番組はよくまとまっていていい印象を残した。
 最後に小椋佳の「シクラメンのかほり」を布施明が歌う。一時代を築いた吉田正と遠藤実の活躍が新たなソング・メーカーに引き継がれていったことの象徴でのある。先日偉大な功績を残して去った船村徹は吉田、遠藤と同時代に活躍しながらも演歌の世界で大きくまたいで活躍した。最後の後継者だったようで淋しい。
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 「船村徹(1932年6月12日-2017年2月16日)は作曲家・歌手。日本音楽著作権協会(JASRAC)名誉会長、日本作曲家協会最高顧問。横綱審議委員会委員。本名は福田博郎(ひろお)。戦後歌謡界を代表する作曲家の一人であり、手掛けた曲は5000曲以上にのぼる。昨年文化勲章を受章した」と広く報じられた。
  「大衆音楽や演歌が認められ、大変光栄。同じ世界に生きる方々や支えてくれた人たちに対し、少しでも恩返しになったのでは。これからも大衆芸能のお手伝いをしていきたい」と受賞会見ではなしておられた。
 美空ひばり、春日八郎、村田英雄、ちあきなおみ、島倉千代子、北島三郎等々昭和を歌で飾った多くの歌手に名曲を提供した偉人だ。感謝とともにご冥福をお祈りしたい。
 天国では、フランク永井の恩師吉田正たちとおだやかに語り合っているのではないだろうか。
 レコード会社が作詞家や作曲家を専属制で囲い込んでいた時期があったことから、船村徹がビクター吉田正門下のフランク永井に楽曲を提供することはなかった。それは吉田正という大作曲家のトップの門下生であったフランク永井に対しては当然の時代であった。
 ただ、吉田正やフランク永井が、いっぽうで目まぐるしく大活躍をしている船村徹グループに対して尊敬し大きな敬意を払っていた。船村グループも同じだった。グループと言っているのは、作詞家星野哲郎、美空ひばり、春日八郎等々だ。
 専属制や演歌が半面教材のように扱われ、若いクリエータらに新しい音楽の波を作るもとにもなった。なかにし礼、阿久悠、小椋佳らが登場する。そのパワーによる新しい音楽ブームが起こり、やがて垣根を超えた交流につながっていく。
 象徴的なことがあった。阿久悠が「船村・星野コンビが作るような曲の対にあるものを求めていく。美空ひばりが歌うような曲は作らない」と言っていたのだが、その美空ひばりにたいして「花蕾(はなつぼみ) 」(と「人」の2曲)を提供した。ひばりの復帰を望む世の意思をうけて、ビクターもコロンビアも黙認して実現した。吉田正のパーティに同席した阿久とひばり初対面から発展して実現したものだ。
 また船村といえば作詞家の星野哲郎だが、夫人朱實さんが亡くなった1995(H6)年に吉田正が作曲を贈り、船村徹が「VIDL-10667-あけみ」(星野哲郎作詞)を唄っている。これは同年ビクターのレーベルで発売された。編曲は市川昭介だ。偉人同士の尊敬と友情が結実している。
 フランク永井は船村作品はオリジナルで歌っていない。春日八郎の「別れの一本杉」をカバーしているのが貴重な一本だ。これは1975「フランク永井大全集」に収められ、近年「OCD-6902-フランク永井の世界」「VICL-64429-ザ・カバーズ~魅惑の低音 再び」でデジタル復刻されている。
 フランク永井と同時代を駆け抜けた偉人たちが、ひとりひとりと散っていく。さみしくもあるが、こころに強力な印象を残して、おそらく生涯忘れ去ることのできない大事なものを与えてくれたことに、感謝を申し上げたい。
 
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 1月29日の午前3時の時間帯。この日のラジオ深夜便の「にっぽんの歌こころの歌」コーナーで、テーマは「郷愁の歌:サトウハチロー(作詞) 作品集(Part.2)」。
 戦後日本の荒廃からの復興への立ち上がりを象徴するとして、何かあれば取り上げられる並木路子の歌った「リンゴの唄」(映画「そよかぜ」の挿入歌)。この歌の作詞をしたのがサトーハチローだ。「七つの顔と...の名を使い分ける」どころか、十いくつもの名を使って多くの作品を書き倒した。
 このサトーハチローが書いた「ネムチェンコじいさん」(作曲湯山昭)は当時子どもをターゲットにして書かれたユニークな詩だ。ネムは眠たいを連想させる。チェンコは何となく当時まだソ連=ロシアの影響力が話題になっている時代でロジア人の...チェンコという人名のニュアンスが連想させる。しかし、妙な語呂合わせというか、言葉遊びが、子どもたちの日常にぴったりとくる。このあたりに視点をもっていくところが、サトーハチローの感覚と言えるかもしれない。
 この歌は子ども向けの歌い手が何人も歌っていて、代表的なのが友竹正則。サトーハチローの関係でこの歌を歌っているのは友竹、のような感じがある。これはフランク永井が1963年9月にBS-152でシングル盤を発売している。フランク永井がオリジナルとして真っ先に歌ったのかはわからない。たが、この時期はフランク永井が子供向けに多くの歌をだしていることから、競作のように出したということも考えられる。
 この年の初めに「月火水木金土日の歌」(BS-128:作詞谷川俊太郎、作曲服部公一)は日本レコード大賞の作詞賞を得ている。この勢いで子ども向けの歌を多く出してこの分野に切り込むが、梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」にはさすがに及ばない。この後この分野から引くが、フランク永井のやさしい語りかけるような歌い方は、子ども向けにはピッタリであっただけにやや残念でもあるが、本道のムード歌謡との成り立ちはしょせん無理があった。
 依頼、子ども分野へビクターも力を入れることはなかったのだが、その分野からのニーズに合わせて作成されるCDには「月火水木金土日の歌」はときどき紹介されているに留まる。子ども向けのレコードが自ずと視界からなくなり、積極的な販促が消えたと思える。ゆえに、この「ネムチェンコじいさん」などはフランク永井の作品として、現在当時のレコードをみることはほとんどできないほどだ。
 著者がフランク永井の記録を整理する過程で、現認にもっとも困難だった盤の類であり、現時点でも手にしていない。
 ただ、宮城県松山町のフランク永井展示室がオープンするときに原本が所蔵されているのを知り、著者が編纂中で逢ったデータブックのジャケット写真に協力していただいた。曲については昨年にビクターから発売された「懐かしのフランク永井~シングル全集」でデジタル復刻された。
 調査の過程で、友竹正則と池田直樹歌唱の「ネムチェンコじいさん」も聴いていた。いずれも正当な歌唱の達人である。聴きごたえのある歌い方をしている。それに比べて、フランク永井の歌唱は、なんともおだやかで、やさしく、ほんわりしていてあたたかい。眠くなりそう...
 そこで、ラジオ深夜便だが、サトーハチローを取り上げるなかで、フランク永井の歌唱を取り上げたことに驚いた。いかなる経緯で友竹ではなくフランク永井の「ネムチェンコじいさん」を取り上げたのか。
 3人の「ネムチェンコじいさん」を聴き比べてみるのも楽しい。
 この日の深夜便での紹介曲は「二人は若い」「麗人の歌」「エノケンのダイナ」「浅草の唄」「ホームラン・ギブ」「胸の振子」「めんこい仔馬」「ジロリンタンのうた」「秋の子」「ネムチェンコじいさん」「裏山小山」。いずれもその時代に世で歌われた名曲だ。
 フランク永井の「ネムチェンコじいさん」復刻盤を収録している「懐かしのフランク永井」はばら売りもされていて、Disc6は1963~1964年ごろのA面22曲が収録されている。「逢いたくて」「夏の終りに」「大阪ぐらし」など若いフランク永井ののびのびした歌を楽しめる。
 
 情報提供でご協力をいただきましたIさんに感謝いたします。
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 BSで放送されている番組「BS日本・こころの歌」でフランク永井の残した名曲「おまえに」が歌われた。
 歌唱はこうした番組で著名なフォレスタ。バス大野隆、バリトン今井俊輔ら3名の男性歌手。別項であらためて紹介したいが「君恋し」も同番組で歌われた。今度の月曜日には「有楽町で逢いましょう」が歌われる。「時代を越えて歌い継ぐ名曲」というシリーズのようである。
 さすがに音楽大学できたえられた歌唱が楽しめる。歌、特に唱歌系の歌のお手本、のどに負担をかけない歌い手の歌い方はこうだ、というような歌い方がわかる。美しいハーモニーの世界に接せる。
 だけど、聴く人の心の持ち方や、好みが大きく関係することなのだが、いわゆる演歌には向いているとはいいがたい。演歌はあまりこうしょうなことに縁遠い民衆が、自分の生活体験のふとしたことに関係づけて歌を聴く。失恋、失望、破滅、願望、希望、身近な幸せの発見などで、ときには焼けっぱちの気持ちなどとかぶさって歌を覚え、歌う。
 だから、壊したらいけないのどをわざわざ潰した「逃げた女房...」や、吠えたり叫んだりと感情むき出しの歌がヒットする。藤圭子のドス、青江三奈のカスレが妙に身近に感じる。フランク永井のささやくように語る歌唱法と一時言われたが、決して学校では教えないであろう歌い方が流行歌にはあう。
 唱歌をきっちり歌う由紀さおり姉妹で、やや声がすなおでない、うすいこぶしがたたよいそうな由紀さおりが人気を得る。演歌のうなりやちゃくりやビブラートやこぶしが、結局は大衆のこころに印象として強く残るようだ。
 「おまえに」については、別項で紹介したこともあるが、カラオケバトルで14歳の安大智くんが歌ったのは印象的だった。少年なのにフランク永井が大好きだというのだ。声いっぱいにきっちり歌うすがたが、初々しくてよかった。
 「おまえに」について、もうひとつすごいというか、さすがというか、素晴らしい歌唱作品について紹介したい。
 それは島津亜矢が昨年NHKBSの「新・にっぽんの歌」で歌ったものだが素晴らしい。筆者的には「おまえに」のカバーではトップといっていいかもしれない。この映像はYouTubeで今でも見れるはず。しかも、作品と紹介したのは、この映像にたいしてなんとフランク永井本人が歌う「おまえに」を2番にはさんで、島津亜矢とのコラボ版にしてアップした方がいるのだ。
 2つの映像をうまくオーバーラップさせて自然につないでいて、思わず拍手をしたほどだ。このように実際の歌手の歌う姿と、亡くなったりしてそこにいない別の歌手の姿を登場させて、見る人にさもいっしょに歌っているようにすることは、ずいぶん前からなされている。紅白でもあったし、最近のライブでもある。
 ということで、フランク永井の「おまえに」が、さまざまな方々に受け継がれ歌われていることを嬉しく思いながら楽しんだ。