2016年12月アーカイブ

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 根津甚八が亡くなった報道がなされた。個性派の俳優であっただけに惜しまれる。歌も歌っていた。ご冥福をお祈りする。
 一昨年にユーキャンから「フランク永井の世界」というCD-BOXが出たのだが、そのなかに私も初めて聴く「上海帰りのリル」が収められている。このことを紹介したら、当日記を見てくださっているIさんから「根津甚八もその歌をカバーしているのだが、ジャズ風でなかなきいだよ」とコメントをくれた。
 フランク永井の歌う「上海帰りのリル」もジャズアレンジ。その歌をIさんに聞いてもらうと「そうそう、根津が歌う出だしもこんな感じで、他の歌手のとは一味違うのだ」と。
 じゃ根津版を聴かせてよ、ということだったのだが、そのときは見つけられずにそのままになっていたのだが、それが訃報をうけてか、youtubeにあげた方がおられて聴けた。なるほど。。。。
 「上海帰りのリル」は幾度も紹介していることだが、フランク永井に多くの曲を提供してきた渡久地政信の名作。渡久地は歌手だったが自らのヒットがでずに苦汁をかみしめながらキングへ移る。作曲のセンスがみこまれて、津村謙に作ったのが「上海帰りのリル」だ。
 津村は「ビロードの声」とキャッチが付けられ一躍大スターになった。日本が大陸に軍事進出し、敗戦で国外にいた邦人がちりじりになる。後後まで尾を引くさまざまな悲劇がおこる。親族や想う人が別れ別れになる。いまはどこにいるのか。もしかして生きていて再開できるのではないか、という淡い期待でついついあてもなく探してしまうはかなさ。
 当時、多くの人の気持ちであった。これが東条寿三郎の詩に異彩を放つ渡久地が情緒たっぷりな曲をつけ、津村謙が見事に歌い上げた。
 フランク永井は後に「夜霧のブルース」「上海ブルース」などその当時の時代を映した人気の歌を多くカバーしたLPを出している。「上海帰りのリル」はそれまでリリースされていなかった。いまでもジャズ風の編曲者が判明していない。
 さて、筆者はyoutubeをみることはほとんどないのだが、このたびふと「あるかな」と探してみた次第。「上海帰りのリル」は多くの歌手が歌っているのは知っている。そのレコードも聴いているのだが、それら多くがアップされていることにびっくりである。
 以前に美空ひばり、坂本冬美、石川さゆり、中村美津子、山内惠介のを触れたが、これらはみなアップされていたばかりか、好きな歌手でもある松原健之のもあった。またここ歳いくたびにうまくなってきた新沼謙治のもあり、なかなか聴かせる。
 また、これは同名で映画化されてヒットしたが、当然のようにそこで津村本人が登場して歌っている。映画での歌は、レコードでの歌と異なる場合がある。その例は、やはり別項でも触れたがフランク永井の「有楽町で逢いましょう」だ。映画での歌唱はまた異なる。特にこの映画では4番?歌詞まで歌を聴けるという特典?がる。
 その映画の中での津村の声だと思う「上海帰りのリル」も聴けたのは、なんと、さすがにyoutubeの世界(時代?)なんだな、と思いにふけった。
 「上海帰りのリル」三昧で、いよいよ今年も終わろうとしている。
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 フランク永井の歌コンが終わってからおよそ2か月経過した。歌コンの直後に東北地方のTV局東北放送TBCの番組の紹介があったとのこと。取材がなされて、11月に放送されたとのこと。再放送もされたという。全国放送でないため、さまざまなかたからの協力をえて録画をお借りしてようやく鑑賞することができた。
 番組は「ぼんやりーぬ遺産を探すZin大崎市松山」(後編)ということで、サンドウィッチマン(伊達みきお・富澤たけし)にアシスタント袴田採会(TBCアナウンサー)、いろいろと視聴者の推薦などをうけた名所をめぐって紹介し、名所だぞ、訪ねたよ、という札(らべる)を貼っていくもの。
 フランク永井歌コンクールを、松山町で企画し実現することにキー的な役割を果たしたのが、地元の陶芸家であり大きなギャラリーを運営する小野寺さん。その「ギャラリー自在窯」が最初に訪問された。
 ご夫妻が、震災後地元を盛り上げようとカラオケができるように拡張し、歌ファンで大きくにぎわっている。特にフランク永井ファンは、歌コンの練習場、情報交換の場所として集まる場でもある。遠くから歌コンに参加される方も、前夜ここでのどを調整するというようなスペースでもある。
 今年の第8回「フランク永井歌コンクール」で川村忠洋さんが「妻を恋うる唄」を歌って優勝した。その川村さんが駆けつけてきておられて、「有楽町で逢いましょう」を披露した。インタビューでは「元キーで歌っている」「ものまねにならないよう心掛けている」と応えていた。8回目の参加で、ということは最初から毎回エントリーして、今年優勝にいたったのだと、フランク永井の歌を歌い続けていきたいという気持ちが伝わる。
 番組はフランク永井歌コンの紹介だけに費やすには、30分番組としては足らな過ぎで残念ながら次の訪問地へ。この番組は、地元以外では、こうした機会にしか見ることができない。録画を注意深くみていくと、地元の視聴者にそうとういりこんているものであることがわかる。特にこのシリーズでは、宮城県大崎市の地元出身のタレント(伊達さん)を紹介役にして、すべての町を征服?していこうという企画のようだ。
 松山町で次に紹介されたのが、刀匠。地元に古くからあって現在9代目を継ぐ刀匠法華三郎信房(宮城県重要文化財)の、作業現場の紹介。
 伊庭野小学校でかつて元校長が作詞作曲されて地元でよく歌われて親しまれていたが、現在はすっかり忘れ去られていた「伊場野音頭」が復刻され、合唱しているところが紹介。
いずれも、地元に根付く文化的な遺産を誇りとして大事にし、受け継いでいうという姿勢が貫かれていた。
 子どもたちが地元のいいところ、地元ならではの遺産を体験し、地元を思う心を受け継ぐことが、こころを豊かにし人との連携の精神をはぐくむ。
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 前回にフランク永井「データブック」の編纂に伴うレコード盤の収集時の話題を書いた。関連したジャケットについてふれてみたい。
 データブックでの最も重要なことは記録の正確性ということになるが、これは発刊後にいろいろなご指摘を受けたりして、ほんの数件だがわずかの修正があり、それはその都度当サイトで取り上げてきた。
 データブックでは次いで大きなこととして評価されているのは、全レコードについてのジャケットのカラー写真を上げていることだ。現物の写真をカラーで掲載することで、視覚的に認識できるのが特徴でもある。
 ジャケット写真は発刊時点ではすべてが判明していたわけではない。それは古いレコードであるだけに、入手や確認が困難であり、調査に当てる費用などのこともあり、おのずと困難があったからだ。データブックにも記したのだが、発刊をきっかけにして、ファンの方々からの情報が寄せられ、完成に近づくのではという将来への期待もこめたものだ。
 おかげさまで、その後もさまざまな情報が寄せられた。さすが、筆者の及ばない情報、所蔵をお持ちの方が多く、ただただ感心感謝をするものだ。全国におわれる熱いファンの力がいまだに根強くフランク永井支持を続けていることか、素晴らしいことと思う。
 レコードは新発売されてから、人気に伴って再版されることが多かった。その際に、ジャケットのデザインも変更されることがあった。特に初期SP盤からEPに移るじきであるだけに、両盤が同時に、EPが後でとかあり、最初はB6サイズのSP用で後に写真を使わない汎用の黄色っぽいEPデザインが使用され、更に後にEP用に新たに写真デザイン版を作るとかあったようだ。
 データブック作成時には、なるべく写真版があればそれを優先した。
 さて、十分な状態ではないが、思いつくままいくつかを紹介したい。
 「東京踊り」だが、これはSPEP双方が分かっていたのだが、初版優先からSP版を採用したが後のEP版のほうが発売された数は多かったようだ。
 「昭和炭坑節」は「ヒョッコロ音頭」のB面だが、発刊後入手したジャケットはSP版だが2種ある。
 「大阪の花」は「大阪まつり」のB面。これはもしかして写真ジャケットはないのではとあきらめていたもの。これが最近発見されてもっとも数多く情報を寄せてくださっている方からの提供。
 「グッド・ナイト・スイートハート」は雪村いづみの「ジングルベル・マンボ」のB面。SP盤のジャケットが2種だ。
 データブック発刊時に未発見だった「たそがれシャンソン」のSP版ジャケット。それにこれだけはやはりないんだろうなと思い続けてきた「兄弟星」(1960年第15回芸術祭参加作品)の写真ジャケットの存在が確認された。
 子供向けに発売されたいずれも服部公一作品で「月火水木金土日の歌」「お尻を打つよ」「ハダカの歌」。さらに「赤ちゃんは王様だ」(1963:第5回レコード大賞歌唱賞)だが、ごらんのように3種ある。ソノシート盤など多く世に出ているのだが、これは意外にEP盤が入手困難。どこにもありそうなものに思うが。。。
 このように、力及ばずで存在していても見いだせなかったものあり、きっと存在しないだろうと長く思っていたものが、不意に出てきたりと、まあたいへん楽しませていただいた。
 ちなみに、現時点でも判明できない(きっと存在しているのだろうが、あるに違いない)ジャケットがまたいくつかある。盤自身の存在が相当にレアだがそれが手元にあってもジャケットだけは見つからないというだけに、ファンの皆さんのさらなるお力添えを得て、ぜひとも発見してみたいものである。
 1956:A-5211「B-ばらの刺青/A-恋人になって(雪村いづみ)」
 1959:V-41912/VS-179「愛情のれん/入社前祝い(明石光司)」
 1963:BS-132「カラスの歌/おじさんの子守唄」
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 当時「ジャズ」という名で荒っぽくひとくくりにされて日本に紹介されていた洋楽を、フランク永井はおよそ100曲歌っている。デビューがそもそも「恋人よわれに帰れ」。その後、主に当時人気の映画音楽や米国や西欧でヒットした曲のカバーを歌った。
 米軍の占領下時代であっただけに、米軍キャンプでの舞台が多かったのだが、その後朝鮮戦争を経ての軍需景気も終わり、独立の様相、平和の様相に変化していった。ジャズ歌手だった歌い手や、歌の興行をしていたところが、ターゲットを大きく変えていく。
 自ずと日本人の哀愁を歌う流れになる。フランク永井とて最初はジャズ歌手で身を立てようとしていたのだが、恩師吉田正との出会いから当然のように流行歌手に転向していく。
 デビューして「ジャズ」4曲をだしたあと、「場末のペット吹き」で方向を変えた。
 1957年の「有楽町で逢いましょう」で全国に名をはせた。人気を背景に全国をまわって歌う。つまり当時でいう「ドサ回り」ともいえるが、その舞台ではある程度自分で好きだった洋楽を歌える。つまり、流行歌手に転向した後もフランク永井は後年までジャズにこだわりを持っていて、歌い続けていた。
 シングル盤では、下記に表した10枚を出しているのだが、洋楽のほとんどは別途多数のLPに収めてリリースしている。100曲というのは数もさることながら、たいへんな遺産である。当時の時代を背景にした曲ばかりで、しかも当時第一線で活躍したフランク永井だけに、それぞれがすばらしい仕上がりになっている。
 それらの全貌はフランク永井データブック(「魅惑の低音フランク永井のすべて」)にくまなく記されている。その一覧を作るといっても、そもそもフランク永井の残したレコードの全容が明確でなく、とりわけ洋楽についてはどれほどの曲を歌ったのか、音源が残されているのかについては全くの不明であった。
 流行歌としての曲にくらべても、洋楽の盤は探すのが容易でない。それでも表ができるまでの十余年の調査をつづけて、ようやくおおかた判明できた(ような気がする)。それで出版にこぎつけたものだ。
 盤の収集とリストの作成の過程で、最も現物の確認に遠かったのは「1959:AS-6020-アイル・リメンバー・トゥナイト/縛り首の木(Hanging Tree)」だったといえる。これは、当時上映されていた西部劇映画「The Hunging Tree(縛り首の木)」で、医師役ゲーリー・クーパー主演。数回観ているが気持ちの表現の変化の妙が描かれていると思うが、そう感心するわけではない映画だ。その主題歌The Hanging Treeはマーティー・ロビンスが歌っていて印象的だ。
 この盤のA面は同年の映画「恋愛候補生」の主題歌で主演のパット・ブーンの歌。当然の流れのようにフランク永井が甘い声でカバーしている。
 この盤の存在は分かっていたのだが、実際の盤がどうしても探せない。古レコード店など多数何度も訪ねては探したが、その陰すら残されていない。5、6年前だったかヤフーのオークションに出された。これに驚き、当然挑戦したといっても最初だけですぐに閉じた。こちらの小遣いでせいぜい出せる上限は数千円だ。これは見る見る間に万円を超え、長時間の延長を繰り返し、最終的には10万を越した。
 フランク永井のファン仲間の一人であるAさんが挑戦者であった。別の仲間Bさんがその入札のいきさつを見守っていた。後にAさんとBさんから聞いたことでは勢いで10万円まで入れてしまったが、さすがにそこであきらめたという。
 だが、仲間でその話題になったときに、その盤は持っているよというDさんがいて、盤はBさんに無償で譲った。このときに、曲だけは表裏とも私も聴いている。私が見たかったジャケットはDさんはそんなものは当時すぐに失くしてしまったよ、ということだった。
 その後に1年程前であったか、同じオークションに出ているのを知った。このときは、再び高額になってしまいそうなのが分かっていたので最初から諦めた。だが、今度はEさんがそれに挑戦した。しかしこのときもやはり誰か(私のまったく知らない誰か)が高額で落としたという。
 現在実は手元にこの盤の現物がジャケットとともにある。大変な美品だ。これは、上記で登場した親しくしているファン仲間のEさんが特別に貸してくださったもの。なぜEさんが所有されているのか。聞けば、今年にもオークションに出てきて、この度は逃すまいと決意を新たにして高額で取得したのだという。
 この盤を実際にこの手で触れるまでの、何ともドラマチックな、興奮を呼ぶいきさつであったことか。感激を味わった。
1955:A-5206-恋人よわれに帰れ
1955:A-5205-グッド・ナイト・スイート・ハート
1956:A-5211-バラの刺青
1956:A-5212-16トン
1959:EV-123-フランクのクリスマス(4曲)
1959:AS-6020-アイル・リメンバー・トゥナイト/Hanging Tree
1962:PV-19-モスクワの夜は更けて/白いバラ
1963:PV-34-戦場の恋
1964:SPV-21-悲恋のワルツ/おろかな心
1965:JET-1509-勇者のみ