2016年10月アーカイブ

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 この10月はフランク永井月。2008年10月にこの世を去ってから、早やまる8年経過する。舞台を降りてから21年である。この月に生誕地である宮城県大崎市松山では「第8回フランク永井歌コンクール」が開催された。そのみごとな成功をお祝いするように、毎年この月にはNHKラジオ深夜便で「フランク永井特集」が放送される。
 今年も、10月13日、27日の2夜放送された。「にっぽんの歌こころの歌~思い出の歌謡スターフランク永井集」Part.1、Part.2として、石澤典夫アナがアンカーをつとめた。深夜便は古くから安定的なファンがいて、フランク永井の特集を期待している。
 深夜であるだけに、ゆったりと、落ち着いたアンカーのトークはそれだけで聴く方にこころを落ち着かせる。フランク永井のエピソードと歌にまつわる当時の世相が軽妙に紹介される。ファンは歌をいつも聴いているので、このトークが毎回楽しみにしている。
 今回は、2夜で毎回そうなのだが、フランク永井のデビュー時代から幕引きまでのおよそ30年間のヒット曲を20余曲紹介される。今年は下記の曲順で流された。

【Part.1】
  01 有楽町で逢いましょう    1957
  02 16トン                1956
  03 場末のペット吹き        1956
  04 東京午前三時        1957
  05 夜霧の第二国道        1957
  06 羽田発7時50分        1957
  07 西銀座駅前            1958
  08 こいさんのラブコール    1958
  09 ラブ・レター            1958
  10 俺は淋しいんだ        1958
  11 夜霧に消えたチャコ    1959

【Part.2】
  01_君恋し            1971
  02_東京カチート        1960
  03_霧子のタンゴ        1962
  04_赤ちゃんは王様だ        1963
  05_妻を恋うる唄        1965/1977
  06_おまえに            1966/1972/1977
  07_加茂川ブルース        1968
  08_WOMAN(ウーマン)    1982
  09_公園の手品師        1958/1978

 およそ、曲がリリースされた順にそって紹介されている。フランク永井を一気に全国的スターに押し上げた「有楽町で逢いましょう」だが、デビューはそれより2年前。ビクター入社時は流行歌は好まず、ジャズ歌手になることしか念頭になかった時代、その4曲目に「16トン」を歌っている。これは別項でも紹介したことがあるが、炭鉱夫の歌だ。当時カントリーといわれたジャンルだが、日本ではそうらん節か。この歌唱は世界的にカバーされているが、フランク永井のものはその中でも絶品として押したい曲だ。
 そして恩師吉田正の誘導で歌謡曲に転向する。最初の記念すべき曲が「場末のペット吹き」。ラジオ深夜便でこのパートが始まるのはまさに午前3時。それにぴったりの「東京午前三時」もそうだが、吉田正の狙い通りにフランク永井の歌唱のポテンシャルを引き出したものになっている。
 当時まだ前後の雰囲気がぬぐえない銀座や有楽町界隈の夜で、恋と酒と遊びにエネルギーを発散させる若者の息遣いが、当時ラジオから流れる歌を聴いた。見たこともない都会のネオンと騒音と匂いについてイメージを膨らますのにぴったりの曲であった。
 「夜霧の第二国道」「羽田発7時50分」という曲も同様だ。都会の国道はきっと道幅も広く、馬車やリヤカー、せいぜい自転車が乗り物と思う地方のものには、マイカーでの深夜のドライブなど夢のまた夢だ。まして、飛行場や飛行機をテーマに恋物語を語られた日にゃ、いやでも想像は膨らむ。
 ラジオで聴くだけでフランク永井といっても顔も知らない。その歌手がつぎつぎと歌を歌い、あれよあれよといううちに、かなりの数の歌を耳で知り、口ずさむようになる。リストをみればわかるが、1957(S32)年だけで、15曲。翌年には28曲レコードを出しているのだ。この爆発的な新曲リリースは現在では信じられないような大量生産である。この他に、ラジオだ、映画だ、公演だとあって、休む間はゼロ。
 2夜めは、日本レコード大賞に輝いた「君恋し」から始まり、後年のヒット曲までをカバーしている。「赤ちゃんは王様だ」もレコード大賞の歌唱賞を得た作品。同年度は梓みちよの「こんにちはあかちゃん」が圧倒的な人気でトップを走り、フランク永井が赤ちゃんをテーマにした異色の作品であっただけに、残念ながら及ばなかったものだ。
 山下達郎はいまも人気がある。彼とのユニットで挑戦した代表曲が「ウーマン」。彼の作品はいちようにそうだが時代を超えた名曲で、慣れたリズムやビートと全く異なる曲をみごとに歌いきっているフランク永井の技量が光る作品になっている。
 最近に亡くなったことから話題が続いている戦後作詞家の天才である岩谷時子の作品である「おまえに」と「妻を恋うる唄」。いずれも複数回シングルを出した。
 最後は「公園の手品師」だが、この作品も時代を超えている。この曲が最初にシングルで出されたのは1958(S33)年だが、実はデビュー直後の1956(S31)年に大阪ABCホームソングで歌っているのだ。ホームソングは半月の間毎日流されるのだが、ラジオで聞いたファンからの反響が多すぎて結果1か月に延長して放送したという曲だ。
 フランク永井はこの曲が好きでファンからのリクエストもあって、後年、1978(S53)年にステレオ版吹き込みなおしてリリースしている。ちなみに、この盤のB面に「夏の終りに」という曲を入れているが、これは1963年に初めて催した第1回リサイタルのために、恩師吉田正が作曲した逸品。1963(S38)に発売しているシングル盤の醸し出す曲の雰囲気がたまらない。
 と、さまざまなことを連想して思い出してしまう。そのようなラジオ深夜便であった。
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 今は紅葉が楽しめるいい季節。先週に大崎市松山で「第8回フランク永井歌コンクール」が開催されたばかり。ただ、先の熊本についで鳥取で大きな地震がおこり、次はどこかとの不安が広がっている。毎回被害が出て、避難所生活を余儀なくされており、一日でも早い回復をお祈りしております。
 秋の旅はそれだけで情緒があり、誰もが憧れるもの。秋の旅は「旅秋」と表現するが、旅の愁いに視点をあてた「旅愁」もある。いずれも歌のタイトルとして、何人かの歌手が雰囲気豊かに歌を残している。
 フランク永井は、その2つのタイトルの曲を残している。
 1963(S38)年8月に「旅愁」(VS-1076、B面はこの時期けっこうB面に収めた朝倉ユリ「失恋」)で、曽根千壽作詞、山下毅雄作曲の作品である。作詞の曽根千壽の名はここでしか登場していない。著名な方なのか、それとも一般から出された名詩なのかは判別できない。
 この盤は著者も保有していないために、裏面の歌詞が分からない。歌いだしの「ひとひゆき...」は「日と日行き...」なのだろうか。作曲はテレビドラマの主題歌などで大活躍した作曲家で、フランク永井にはオリジナル曲「おきなわ」「トランプ占い」「波止場」「別れのテーマ」など提供している。近年再ドラマ化が多い「大岡越前」「ルパン三世」「七人の刑事」などがとくに有名だ。(注:今年2月に発売されたCS-BOX「懐かしのフランク永井」でこの曲が入れられ、誰でも聴くことが可能になった。もちろん歌詞の謎も)
 「旅秋」は、フランク永井後年の大ヒット曲で、1983S(58)年12月にリリースされている。なかにし礼作詞に恩師吉田正が曲をつけた名曲だ。B面は同じコンビで「さよならは左手で」。フランク永井の「りょしゅう」といえば、こちらの「旅秋」がファンにはあたまに浮かぶ。
 秋の旅の愁いをなんとすばらしく表現していることか。この季節なんども聴いてしまう。これはカラオケでも用意されていて、歌コンクールでも過去にエントリーされている。

 嬉しいことに、最近もうひとつの「旅愁」が(再)発見された。ここ数年来フランク永井に関する曲や資料について、多数の情報を寄せてくださっているAさんからの資料だ。感謝をこめてここに記録しておきたい。
 それはフランク永井関係資料で、幻のオムニバス盤となっている「魅惑のオール・スターズ」シリーズの第4集にあるよとのこと。「魅惑のオール・スターズ」については、データブックで触れたとおりだが、15集まで出ているらしいことはわかっていても、現物の入手が困難でほとんどあきらめていたもの。しかし、かつてのノートから4集には「旅愁」をフランク永井が歌っているということは知れていた。
 4集は1962年の発売で、先に紹介したシングル盤「旅愁」が1963年であり、同様の例があることからシングル盤の「旅愁」を、先行したオムニバス盤で使ったに違いないと、勝手に思い込んでいた。まさか、1~2年間の間に同名異曲を吹き込むことなどないだろうと判断し、データブックでは第4集の「旅愁」はVS-1076と記してしまっていたものだ。ここで、改めて訂正する。
 Aさんから得た貴重な情報によれば、同名異曲のまったくの別の曲。作詞は著名な、というより当時ビクターのトップを走る偉大な吉川静夫、作詞はラジオ歌謡などで多くの情緒ある作品で実績のある八洲秀章。編曲も八洲による。
 思い込みについては例によって反省しきりだが、この情報にはたいへん驚いた。
 曽根版は小諸、つまり現在の長野・山梨あたりが旅の先であることがわかるが、吉川版は、旅は哀しい、旅は儚いと「あゝ俺はいつでもそう思う」と、旅の愁いをそのテーマとしている。
 そのようなことで、この秋の大発見。あくまで大発見というのは筆者の私的な発見である。当時間違いなく存在したものを、何も知らない者(著者)が、発見したなどというのは、自分でも言いたくないのだが、変わる言葉を語彙貧弱で知らない。まるで「1942年コロンブス・アメリカ発見」のような、西欧だけが世界と歴史という鼻持ちならない感覚と同じなようで、大変使いたくない! が嬉しい話題であった。
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ク永井が亡くなってからはや8年(2008年10月)。開催を天から祝うかのように予選日決戦日ともに雲ひとつない快晴。宮城県大崎市松山で、すっかり恒例となったフランク永井歌コンクールが開催された。
 厳正な審査の結果は、下記のとおり。おめでとうございます。

優 勝  川村忠洋  宮城県仙台市   「妻を恋うる唄」
準優勝  富田いづみ 愛知県安城市   「初恋の詩」
第三位  佐藤宏実知 秋田県由利本荘市 「君恋し」
特別賞  伊達錦之助 宮城県富谷市   「冷たいキッス」
     松川好孝  宮城県仙台市   「おまえに」
     遊佐恒義  茨城県水戸市   「夜霧の第二国道」

 今年もおよそ130組がエントリーされ、15日予選で30組に絞られた。その意欲と自信があふれるばかりの歌唱が松山体育館あふれるばかりの観戦者の前で爆発した感じであった。優勝された川村さんは毎回すばらしい歌唱を披露されてて毎回のように入賞されている方だ。納得のゆく結果と感じた。
 一年間計画を練りあげ、練習に励み、工夫を重ねてきた挑戦者の意気込みが良く解るコンクールであった。
 今年は、挑戦曲のバラエティも増えた。26曲で「季節外れの風鈴」「わかれ」「東京しぐれ」「六本木ワルツ」「君待てども」「冷いキッス」「酒場の花」「国道18号線」(デュエット)といった曲に新鮮さが目立った。
 定番はというと、なんといっても「おまえに」が24組。「君恋し」20組。「霧子のタンゴ」「有楽町で逢いましょう」が共に12組。目立ったのは「妻を恋うる唄」(10組)、「初恋の歌」(9組)あたりだ。
 フランク永井の演奏曲(カラオケ)が30数曲と少ないことが大きな制限になっていることが、曲の幅を決めている。カラオケの曲数をさらに増やすことが底辺をさらに広げることになるといえる。これはビクターさんに多くの人が望んでいることだ。
 また、歌評で白井審査委員長が触れられていたように、思いを表現しやすいとか歌詞が長い(岩谷時子)ので披露が長くてイイと思いたい「妻を恋うる唄」に、つい集まるのかなとか。逆にすごくいい曲なのだが、歌詞が極端に短い?「加茂川ブルース」は今年はひとりも挑戦がなかった。これは歌唱は2番までという掟を例外的に4番まにするとかでしのげると思えるのだが。
 フランク永井の歌となると、ファン層が高齢化しているということがいつも話題になる。これはやむを得ないところもあるのだが、それでもこの偉大な昭和歌謡の金字塔を築いたフランク永井の歌をファンは長く継続させようと努力している。そうした取り組みがさまざまなところで見えた催しでもあった。
 歌コンのエントリーには毎回若い歌い手が果敢に挑戦しているし、女性の挑戦も必ずある。若い挑戦者も女性もなかなかうまいのである。今回は「季節外れの風鈴」などフレッシュさにおいて大いに学ぶべきところがあった。「東京カチート」とか「好き好き好き」など明るく軽快な曲が若い方には好まれるようだ。
 アトラクションでは昨年優勝の高橋さんが「君恋し」を歌い、昨年からの相当な成長を誇示された。また松山中学校の吹奏楽部による演奏など若い方がたが大人びたフランク永井の曲を見事に演奏し、アンコールの大唱和を受けている。
 また別項でも紹介したが、フランク永井のファンが独自にカラオケ演奏曲を157曲もそろえて歌い楽しんでいる。この紹介後に筆者にさらに12曲もあるよと情報が寄せられている。
 今年も歌コンは地元の町おこしとしての手作りの匂いがあふれていた。200名近くに及ぶボランティアの方々が、機敏に笑顔で迎えてくださる。全国からマイカーで来る方がたの駐車場の案内と誘導。JR松山町駅に電車でおりる方がたのシャトルバスでの送り迎え。311とその後の多くのことから教訓をえて、いざといった時の対応の訓練と対応。
 会場の後ろと横が入口。後方には毎回フランク永井の鉛筆画作品の数々を出演者に提供して下さっている、前橋の品川さんのコーナーがあり参加者を楽しませていた。協賛のビクターからのCD作品や筆者編纂のデータブックなどの売店も用意されていた。
 遠くから訪れる方がたで時間的な余裕がある方には、ふるさと歴史館に併存するフランク永井展示室での案内。ここでは希望者からのリクエストに応じた「レコード鑑賞会」と。展示室では定期的に内装を工夫して変更していて飽きないようにしている。また流すビデオ映像もここに来れば珍しいものを楽しめる。
 一歩外に出ると、そこには「おまえに」の立派な歌碑がある。これはすべて地域の支援者が手作りで用意したものだ。もうひとつの出口をでれば、地域が誇る酒蔵一ノ蔵と連携するミュージアムだ。ここでは地域色豊かなさまざまな物品や催しにあえる。
 フランク永井の昭和の文化史に刻んだものは、歌を通じて多くの人びとへ希望と勇気を残したことだ。そして多くの人がそれを一緒に歌うことで、地域や職場や友達のあいだの思いや願いに対する共有感を育てたことだ。すなおな、他を思いやる気持ち、努力という人として大切なことを、互いに忘れまいとし、励まし合ったことだ。
 そうした感情の波がここ松山の街を訪れるとよせてくる。紅葉が深まる秋の一日を、十分に楽しませてくれたフランク永井歌コンクールであった。
(写真左は決勝戦参加30組と優勝者川村さんの歌唱。中は若い中学生の演奏と町中のポスターとのぼり旗。右は会場広報のコーナー)
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 10月5日の表題の番組はずいぶんと見ごたえがあった。昭和を代表する偉大な作詞家である岩谷時子については、さまざま多く紹介される機会も多く、評価も定まっているが今回の番組についてもしっかりしたいいものであった。
 当然に東芝EMI関係での仕事が主ではあったが、以前に大きな制限がつきまとっていたレコード会会社専属や映画会社専属の壁を越えて活躍する初期の作詞家として、フランク永井らのビクター歌手にも関与している。
 番組でもゲストで登場した音楽プロデューサー草野浩二は、やはり制限を超えた立場から当時一世を風靡した作曲家筒美京平の作品集を手掛けている。そこには、筒美がフランク永井に提供した「1970:SV-2041-ルイという女」が収録されている。
 この作品は1969(S44)年度芸術祭参加作品である「1969;SJX-27-旅情」で、作詞家橋本淳と組んで作り上げたもので筒美京平が、フランク永井の歌唱の魅力を別の視点から引き出した名作のなかの一つだ。
 このLPはそうとうなレア作品で入手が難しいが、聴けば確かにフランク永井の素晴らし歌唱が確認できる。
 さて、岩谷時子が当時作曲界で第一人者であったフランク永井の恩師吉田正と組んで多くの作品を作っている。来週に開催される「フランク永井歌コンクール」でも毎回多くのファンがこの歌をひっさげてエントリーする。「妻を恋うる唄」(1965:SV-207)で、裏面は「黒い椅子」。やや長めの歌で、フランク永井が切々と伴侶への愛を歌い上げるのがいい。これが最初に提供された歌。
 それに比べ裏面の「黒い椅子」は、地獄の底の底まで気持ちを引きずり下ろすというあまりにも異様な暗い歌で、こんなもんが世に出ていいのか、こんな曲がレコードとしてあっていいのかという歌だ。水原弘が「黒い花びら」を歌っているが、こちらの方がやや明るいほどだ。それをフランク永井が挑戦曲として歌い切っている。
 翌年岩谷・吉田コンビは「妻を恋うる唄」というやや長めを超増幅して、およそ20分まで拡大した長編組曲「慕情」(1966:SJV-169)を作り上げた。1966年第20回芸術祭大衆芸能奨励賞を受賞している。別項でも紹介したが、フランク永井がたたのムード歌謡歌手ではないことを見せつけた。
 こうした背景と流れで、これこそはフランク永井への決定版として作り上げたのが「おまえに」(1966:SV-4868)であるのだが、この時期何を歌ってもヒット(とまでは実際にはいかないのだが)に近かったことから人気の大阪ものの代表のひとつでもある「大阪ろまん」のB面でリリースされた。
 当時B面は確かに紹介や扱いに差があって「おまえに」は沈みがち。これがカラオケブームもありフランク永井自身が熱心に訴え歌い続けた経緯もあり、1972年にA面で吹き込みなおしたのが大ヒットにつながっていく。こと時の吹き込みでは「おまえに」の歌い方を少し変更していて、それが現在の耳になじんだ曲となっている。B面は同じ岩谷・吉田による「知っていたのかい」。
 何回も紹介しているのだが、B面は最初の作品「妻を恋うる唄」を入れたA面「おまえに」を1977:SV-6190で、3回目のリリースをしている(1回目吹き込み作品は、近年MEG-CDから復刻されているので、聴き比べてみるのもいい)。2回目のものと3回目の「おまえに」は何か違うのであろうか。ちょっと聴いただけでは同じように聞こえるのだが。
 一般的にはフランク永井が恩師吉田正への恩返しを念頭にどうしてもヒットにしたいと吹き込みなおしたという噂もあった。そうした疑問から、当時のレコードを改めて比べてみた。長さがわずかだが異なる。微妙に違う歌い方では思われる箇所も。だが、今年発売されたCD-BOX「懐かしのフランク永井~A面コンプリート」のインナーノートの記載によれば、音源が同一と記載されている。ゆえに、かすかな違いというのは制作上の技術的な誤差の範囲によるもののようだとの結論。
 岩谷がオリジナルとして他に「お前がいいと言うのなら」「そっとしといてあげるから」「たった一度の愛の言葉」「ほんとは好きなのに」「愛は永遠に」「季節外れの風鈴」「兄妹だから」「紫陽花の雨」「知っていたのかい」等々を提供している。さらにフランク永井は岩谷の大ヒット曲「いいじゃなにの幸せならば」「ウナ・セラ・ディ東京」「夜明けの歌」をカバーしているが、いずれも絶品である。
 実は筆者への問い合わせて「お前」というフランク永井のレコードがあるというのだが...というのがあった。これはデータブックに記載しているが、「1972:SV-2254-ほんとは好きなのに」という岩谷作品のB面にある。「お前」は野本高平作詞、鈴木淳作曲作品。
 似た曲名というのは不幸がつきまといかねない。フランク永井といえば「おまえに」という圧倒的な情報量に「お前」はたやすく沈没し森の中の木状態で埋もれたままだ。B面の悲劇もかさなる。
 岩谷時子と当時多くの作品を作り上げた音楽プロデューサー草野浩二がゲストで貴重なエピソードを紹介。國村隼のナレーションもいい。
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 いかがだろうか、というのは「おかしいんじゃないの」と言っているのではない。聴いてみるのもいいんじゃないの、あるいは、ぜひ聴いてみてほしい、ということだ。近年日本語の表現の乱れが多いのだそうだ。この「いかが?」もその例に入るのかもしれない。
 と妙な前置きをしてしまったが、毒舌で名をはせた上村恵美子。歌が上手で関西では天童好美とのど自慢荒らしを競っていたとか。フランク永井もデビュー前にラジオでのど自慢荒らししていたとも言われている。
 その上村の姉は漫才でデビューしようとしていた時に相方が逃亡?したために急きょ相方にされてしまったのが、妹の恵美子だ。海原千里・万里の名で人気をはくした。
 2年程して結婚で解散、家庭に戻ったが、後に芸能界復帰し現在に至るのだが、歌では「大阪ラプソディー」を大ヒットさせた。その勢いで、デビュー翌年に、ビクターから出されたLPがここで紹介するものだ。1976:SJX-10130-大阪ラプソディー。
 題名のとおり、自曲も含めて当時までに大阪にちなんだ大ヒット流行歌をカバーでまとめ表裏12曲を連ねている。フランク永井と同じレコード会社ということから、当然のように含めたのが「こいさんのラブ・コール」と「大阪ぐらし」である。
 フランク永井が戦後のご当地ソングのはしりのように「有楽町であいましょう」で東京の歌を歌い広めたが、戦後復興期の労働者の憩いに歌をと熱をそそぐ大阪労音が積極的に場を提供した経緯もあって、大阪での公演を数多くこなした。そうした運動の流れで生まれたのが地元のご当地ソングともいうべき「こいさんのラブ・コール」であり「大阪ぐらし」だ。いずれも地元で活躍していた石浜恒夫が作詞し、大野正雄が曲をそえたもの。
 これらは現役の歌手で中村美津子や石川さゆりなど女性歌手がときどき歌っているし、堀内孝雄が歌うのも聴く。だが、海原千里・万里の女性デュエットというのは、歌がうまいといわれただけにまた別の味を添えてくれる。
 歌手が他の歌手のヒット曲を歌う、つまり歌手同士が競うような形になるし、聴く方も比べてしまうのは避けえない。プロの歌手は自らのオリジナリティという色をすでに色濃く持っている。その特性を別の歌手がヒットさせた歌に対してどう表現させて聴く人をうならせるかだ。そのためには、ヒットさせた歌手以上の歌の解釈を、いや別のフェーズからの解釈と言っていいかもしれないが、歌いこむことによってそれをつかまないといけない。
 フランク永井は洋曲も含めてオリジナル曲数に近い数のカバーを歌っている。流行歌のカバーは100曲を超えるのがCD化されている。これらを聴く機会が多いが、さすがにプロはこうでなければならないというものを感じる。「極上」ということばか出てくる。
 ちなみに、紹介したLPの収録曲は次の通りだ。
  大阪ラプソディー/おんなの夢/大阪の女/ふらりの故郷(ふるさと)
  こいさんのラブ・コール/大阪ぐらし/天満エレジー/たそがれの御堂筋
  宋右衛門町ブルース/あかんたれ/千曲川/酒場にて