2016年6月アーカイブ

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  「フランク永井の歌コン」で知られるユニークな催しの準備が始動した。10月15日(土)に予選会、翌16日(日)に決勝が開催される。フランク永井の生誕地宮城県大崎市松山の「大崎市松山体育館」が会場。
 先着130組が受け付けられ次第に締め切られるので、エントリーを希望される方は、早めに申し込んでほしい。実行委員会の事務局は090-1492-0438。http://frank-m.org/cat18/
 フランク永井がオリジナル曲は400曲(カバーなどを含めると800曲)で、この曲が対象。だが、世に提供されている演奏(カラオケ)は極めて少ないので、選曲は難しいと思えるがカラオケの演奏を付けて申し込んでほしい。
 カラオケは、ビクターからCD4枚版が提供されているが、他にカラオケの提供社からいくつか出ている。また、個別のバンドの演奏によるものもいくつかあるようだ。エントリーを希望される方が独自に用意されても可能である。
 全国のフランク永井ファンやのどが自慢の方はチャレンジすることが毎年楽しみにしている。直接フランク永井を知らない若い方も、さらに女性の方の参加が多いのもみどころだ。聴くだけのファンも全国から当日のために駆けつける。現地松山では、「町づくり」のいっかんで町をあげて歓迎しとりくんでいるのがすばらし。そのような催しで、今年は何と8回目を迎える。大崎市が誕生してから10年目となり、いっそう気合のはいった歌コンとなりそうだ。

 フランク永井はデビューして60年、舞台を降りてから30年、亡くなってからでも9年となるが、フランク永井人気は衰えること知らずで続いているのがうれしい。特に今年はビクターから「懐かしのフランク永井~A面コンプリート」CD-BOXが発売された。廃盤復刻に情熱を注ぐMEG-CDからすでに200枚に及ぶシングルの復刻が実現した。
 6月はフランク永井の恩師吉田正の命月(1998=S10)で、今年もいくつかのテレビで特番が組まれた。
 6日「歌謡プレミアムは作曲家・吉田正さん2時間SP」。橋幸夫、三田明、古都清乃らいわゆる吉田学校の同窓がエピソードをかたった。当然にフランク永井の歌も流れた。
 14日は「南こうせつ昭和流行歌「憧れの東京ソング」。ここでは、特別にフランク永井がとりあげられ、ペギー葉山、デューク・エイセス、伊東ゆかりがエピソードをかたった。デューク・エイセスは「有楽町で逢いましょう」を歌って敬意をあらわした。同期の曽根史朗の元気な姿もみれた。
 なお、恩師吉田正についての特番は7月に入っても続く。6日BS朝日「昭和偉人伝」、9日BSジャパン「武田鉄也の昭和は輝いていた」と予定されている。今日のある方はぜひご覧いただきたい。
 吉田正音楽記念館(日立市)では、企画展「作曲家 宮川哲夫 都会調歌謡と青春の歌」が6月18日(土)より8月末まで開催されている。http://www.yoshidatadashiongakukinenkan.org/kikakuten.html
 かみね公園からのすばらしい日立の景観を鑑賞しながら、ゆったりと吉田正、宮川哲夫、フランク永井と思いをはせるのも、いまの季節すばらしいのではなかろうか。

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 5月25日の発売に続いて、今月8日にフランク永井の廃盤レコード9タイトルの復刻発売がなされた。シングルが5点、コンパクトダブルが4点。

 1962:VS-664  むせび泣く渚/街に霧が降る頃
 1962:VS-749  悲しき街に君ありて(松尾和子)/紫の雲の彼方に
 1963:VS-953  ピンク・ムード音頭(神楽坂浮子/中矢孝子/大川さゆり)/湯の街デイト
 1963:VS-1003 愛ひとすじに(三浦洸一)/若い西銀座
 1964:SVC-2   霧子のタンゴ/恋の残り火/君恋し/君を愛して
 1966:SV-381  昼下がりのブルース(藤本二三代)/別れのテーマ
 1967:SVC-264 恋心/フランク永井ベストヒット
               (恋心/ウナ・セラ・ディ・東京/赤坂の夜は更けて/おもいで)
 1967:SVC-240 たそがれの渚
               (たそがれの渚/月影の二人/タイニー・バブルス/真珠貝の歌)
 1968:SVC-288 サン・トワ・マミー
               (サン・トワ・マミー/ラスト・ダンスは私に/あいつ/夜明けの歌)

 最初の盤を除くとシングルは他の歌手とのペアである。松尾和子、神楽坂浮子、三浦洸一、藤本二三代と幾度もペアを組んだ歌手たちだ。三浦洸一のはサテライト・スタジオの歌「愛ひとすじに」と当時はフランク永井が歌うような宣伝が先行していたような記憶がある(定かではないが)。
 SVCシリーズの盤はEPと同じサイズに4曲を入れ、再生の回転数を33回転にゆるめて聞くもの。
 初期の「霧子のタンゴ」は、フランク永井が作詞した珍しい「恋の残り火」が入っている。作曲はフランク永井の専属バンド「フランクス・ナイン」の堤達雄で寺岡真三が編曲をした曲で、この盤でしか聴けない。この盤にはさらに「君を愛して」というオリジナル曲(他のシングルやLPでは聴けない)が入っている。
 「恋心」と「サン・トワ・マミー」の2枚は、おのずと知れたカバー曲だ。1960年代の半ばはフランク永井が当時人気のあった曲で、雰囲気のあった曲のカバーを開始した時期のものだ。岸洋子の「恋心」「夜明けの歌」が聴けるのがいい。岸が歌った「希望」もカバーしているが、これは別の盤に入っている。
 「恋心」の盤だが、同時期、同じジャケット写真でLP(SJV-256-恋心~フランク永井とともに)が12曲入りで発売されている。フランク永井の「上を向いて歩こう」のカバーの最初のリリースはこれに入っていた。
 さらに珍しいのは「たそがれの渚」である。いうまでもなく、これらはハワイアン。「あこがれの常夏のハワイ」という言葉があった。マヒナスターズとか何々ハワイアンというグループがいくつもあって、独特の歌声を響かせていた。当時の世相を思い起こすものだ。合誦はコール・アカシヤ、亀田四郎とブルー・コーラス。
 ここでは、特に「タイニー・バブルス」がお気に入り。

 フランク永井が生涯属したビクターのご本家から発売された「懐かしのフランク永井」がシングル盤のA面をフル・カバーした。これとMEG-CDからの復刻が両側からなされたのが、ファンには嬉しい。ファンが聴こうにも聴けなかった廃盤は、確かにその多くは当時売れたとは限らない盤だが、フランク永井について言えば、デビューして60年、亡くなってからでも8年近くになる。今となっては、リリースされた曲は当時の人気がどうだったかにかかわらず、貴重な財産である。
 実際にそうした曲を聴けば、そこに盛り込まれた気持ちというのが伝わってくる。決しておろそかに聴けるものではない。
 ビクターとMEG-CDにたいして、大いに拍手を送りたい。連続の大ホームランに喝采!

写真右は1958年ごろのシングル盤のジャケット。

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 6月1日BS11の「あのスターにもう一度逢いたい」で「フランク永井・ムード歌謡で日本を酔わせた男」が放映された。歌謡曲番組の司会進行として定着してしまっている元NHKの宮本隆治と高野萌が司会。
 フランク永井をまとめて紹介する番組がテレビではひさびさである。今回はビクターの吉田事務所の長である谷田プロデューサーがメインのゲスト。フランク永井との交流を機会あるごとに語っている作家村松友視。そして吉田学校の最若手であった三田明の3名が、フランク永井についてのエピソード、人となりを語ってくれた。
 しかも、この番組でファンを驚かせたのはスポニチクリエイテブのプロモーション映像だ。この映像は初めて観た。当時どのように使用されたのかの詳細は解らないが、フランク永井のヒット曲を、独特なイメージ設定で用意されたオリジナルの映像で紹介する、当時流行のものだ。ひとが行きかう街を背景に、自宅で夫人や愛犬や愛車とたわむれるもの、ゴルフ場で遊び半分に練習するとか、ともかくリラックスしたムードがはじける。
 たばこ喫煙者が今では肩身が狭くなったが、当時はたばこ姿が前面のポーズが売り?でもあったフランク永井だったので、封印映像ということでもあるのだが、ありのままを出しているところに、かえってフレッシュさがあった。「有楽町で逢いましょう」「君恋し」「おまえに」のレコード音と口パクの微妙なズレが当時のままで嬉しい珍しい映像。
 さらには、フランク永井がカバーを唄うとか、洋物の歌唱の紹介とか従来の紹介番組ではなかなか取り上げられなかったものも流された。BS11らしさなのかもしれない。

 さて、谷田さんはいままでフランク永井について身近におられながら、いままで表にはださなかったいくつかのエピソードをこの番組で話しておられる。ご自身がプロデュースされた1971(S46):SJX-80「フランク永井~琵琶湖周航の歌」のこと。
 当時のりに乗っていたフランク永井の声で裕次郎の「夜霧よ今夜も有難う」、菅原洋一の「今日でお別れ」などのカバー曲を作ったときのエピソードだ。
 恩師吉田正がフランク永井が舞台から消えて沈んでいたときに、もしかしてと思いながら、フランク永井の作ったムードを継承して表現できるような歌い手はいないかと、手を尽くしてみたが、その思いをかなえる可能性のある人はいなかったと。そのような秘話をはじめて話したのが印象的だった。
 村松さんはさまざまな著作や映像で語って追われることだが、北海道にわざわざ二人でなじみのバーの表敬に豪華訪問したときのエピソード。歌詞を作ってくれないかいと頼まれた。「詩は書けても詞となると...」ということで、思い悩みながらも実現せずだったと。
 三田さんは吉田学校の同僚とはいえ、ひとまわりも代が異なる上に、すでにビッグネームの大先輩だったと。楽屋の時間待ち、というか、当時はタレントは楽屋から出さないというような業界のオキテがあり、そのために有り余る時間にカケゴトとかに費やして楽しんだ話とか。
 先日何かの番組でビクターの同僚だった曽根史朗が元気な姿を見せていたが、フランク永井と同じ舞台で活躍した方々が少なくなってきた。三田さんはそうした経験を語れる貴重な方でもある。そして最後に、先輩への思いを手紙読む形で締めた。
 親しく接した方々の生きた証言によって本人の人となりを浮き彫りにしてく、見ごたえのあるいい番組であった。BS11の企画をされた方の姿勢が感じられた。何人かの方々から「観たよ」「よかったよ」とメールをいただいた。