2016年4月アーカイブ

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 4月23日に第10回東京ラジオ歌謡音楽祭が開かれた。
 主催は「一般社団法人東京ラジオ歌謡を歌う会」(村越光男会長)。今年で音楽祭の開催は十年を迎えた。
 オープニング2曲、ラジオ歌謡12曲、ラジオ歌謡と間違えられる局6曲、ラジオ歌謡デュエット6曲、会場全員での歌唱(5曲)、ゲストコーナー、エレクトーン演奏によるラジオ歌謡12曲、エンディング2曲という豪勢な構成で4時間超のプログラム。東京北区王子の北トピア会場はおよそ1000人のファンの熱気であふれかえった。
 「終戦翌年の昭和21年5月、荒廃した日本人の心に夢と希望を与えようと歌番組「ラジオ歌謡」がNHKラジオ第1放送からスタートした。「ラジオ歌謡」とは基本的には、この番組で流された歌をいう。一日10分、週5回で1曲の放送が多かった。よく知られている歌は、「朝はどこから」「山小舎の灯」「夏の思い出」「さくら貝の歌」「あざみの歌」「白い花の咲く頃」「山の煙」「森の水車」「チャペルの鐘」「雪の降る街を」などで、16年間続いた。全部で846曲(そのうちオリジナル曲は783曲)放送された」と、工藤雄一日本ラジオ歌謡研究会会長がかいておられる。
 だが、ラジオ歌謡は戦後の復興が進むにつれて、歌の流れが多様化したことから、方向を失ったように1962(S37)年に放送を終える。時が過ぎ、振り返ったときに、このラジオ歌謡の果たした意義の重大さに気づき、同時に残された資料の少なさに驚かされた。各地でラジオ歌謡の研究が各地で生まれてくる。東京では、当日にすばらし歌唱を何曲も披露してくださった神尾善子の「東京ラジオ歌謡を歌う会」が現在の姿のきっかけをつくっていた。背後では長期の丹念な調査資料の収集を行い、全容を整理するとともに、歌の掘り起こしの再現復刻活動をされている。
 ファンの耳にだけ残っていて音源や譜面・歌詞のさだかでないよう場合でも、NHKはじめ全国のファンに訴えての作業である。近年はそうした努力がレコード会社と連携して代表曲のCD復刻もされている。
 当日に紹介された歌でも、唄い継いでゆこうという意図が感じられる選曲が多く登場している。それを有志が一年かけて準備をし、練習に練習を重ねて当日に臨んでいる。年代を超えた多くの方の出場と来場は、こうした地道な取り組みにがいなしたものである。
 紹介された歌曲で、幾度も出てくるのは作曲家八洲秀章だ。当日も「りんどうの花咲けば」「毬藻の歌」「あざみの歌」他が歌われた。そしてそのご家族である沢木順と松村美和子両氏がゲストで登場された。
 また十周年の華のように俳優宝田明が今年のメインゲスト。
 宝田明は1934年生まれ。満州帰り。日本を代表するミュージカル俳優といっていい。近年のきなくさい日本の政情について遠慮なく警告をいい、反戦の意を表明していることでも話題の方だ。当日ラジオ歌謡の「あざみの歌」「さくら貝の歌」ととにも、作詞を自ら行い平和を訴えて各所で歌っている「私の願い」が披露された。
 みんながいつも平和を望んでいるのに、なぜ戦争は絶えないのか...と、沢木順のやさしく素直な作曲で歌う。
 媚ることなくすなおに自分の体験をもとに、戦争は絶つべきという意思を表明されていた。

 フランク永井のことに特化した当「フランク永井あれこれ」に、ラジオ歌謡の話題を取り上げるには経緯がある。それはフランク永井の熱心なファンのひとりで、ラジオ歌謡の深い研究を重ねておられる方がおられ、いつもこの時期の紹介してくださるからである。感謝を申し上げます。当日には「帰郷の歌」(S25)を披露された。
 フランク永井ファンも同じだが、メインは年代的に高齢な方が多いのだが、あの時代はラジオからの歌が生活の一部であり、こころの持ち方のようなものに大きく影響を受けた。歌からだけということではないが、人としての尊厳と矜持をもって生きることの大事さを知った気がする。そのようなことが現代の空気には薄くなっているよう感じる中で、時代を振りかえって、そこに何があったのかを見たような気がした一日であった。
(敬称略させていただきました)
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 「歌謡曲好きの毎日放送の福島暢啓アナウンサーが全国各地に建てられた歌碑を尋ねるコーナー」ということで、昨年はフランク永井の出身地である、宮城県大崎市松山町にある「おまえに」を紹介した。この番組ではすでに80の碑を訪ね歩いたという。
 人気の番組で、このたび再放送の声に応えて「ベストヒット 東京の歌特集」が組まれた。そこではフランク永井の「有楽町で逢いましょう」も取り上げられたことを知った。ただ残念なことに毎日放送の関西圏での放送になっていて、全国では楽しめない。その矢先、いつもフランク永井についての多くの情報を提供してくださっている方から、ビデオに収録したということで、その映像を見せていただける機会を得た。
 東京の歌ということで選ばれたのは、「ああ上野駅」「神田川」「有楽町で逢いましょう」の歌碑。
 井沢八郎「ああ上野駅」は筆者も山形から集団就職の列車を利用した一人なので、いまでも強烈な印象を持っている。山田太郎の「新聞少年」などとともに、こうした歌に励まされたのは揺るぎない。碑は上野駅に建てられ有志によって丁寧に掃除され見守られている。番組司会の福島さんが、律儀に携帯しているマイ掃除道具で碑をみがく。
 南こうせつとかぐや姫「神田川」も印象深い。筆者も吉祥寺、中野、高田馬場、御茶ノ水とまさに神田川周辺を若い時分には仕事でも遊びでも回遊したので雰囲気はよく知っている。学生運動もすごかった時期で、御茶ノ水、渋谷、新宿では連日話題だった。新宿駅西口の大フォークソング合唱のときにはその場にいた。そのような時世と重なるのが「神田川」。しかも南こうせつの曲と歌が喜多条忠の詞をみごとに表現していた。バイオリンの演奏をかぶせた木田高介の編曲がいい。
 ちゃんと碑ができていて、多くの人の思いを伴い歌い継がれていく。

 さて、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」だが、碑については何度かブログでも紹介している。関西のこの番組はどう扱うのかは観るまで関心を膨らませていた。番組は有楽町マリオン前にひっそりと置かれているその碑を、雨水の「水たまり」の形と表現。フランク永井の恩師吉田正の作曲時のエピソードを的確に紹介。ちなみに、有楽町の複合商店コンプレックスである「イトシア」は、作詞歌佐伯孝夫が描いた「雨もいとしや、歌ってる...」からとったもの。
 筆者の上京時の有楽町は現在のような「綺麗で洗練された」ところではなかった。首都東京の隣、華やかな銀座の隣、実はその一角であるにもかかわらず、どちらかというと闇市、汚いというような表現があっていたようなところだった(まことに失礼な話でごめん)。その象徴のようなところが、ガード下の飲食街だ。現在では当時とは比較にならないほどきれいになっているのだが、それでも紹介された番組の映像では雰囲気が出ていた。
 お店の方、いつも足を運んでいる客が依然と変わらず場を愛し、継承していくことに気を使っているためだ。
 有楽町かいわいではフランク永井も「有楽町で逢いましょう」も知らない人は一人もいない。戦後の流行歌で場所を全国的に有名にしたのだ。全国に知られて関心が寄せられる。それに応えるように比例して目まぐるしく発展をしてきたのだ。
 有楽町という名前がいい。そして佐伯孝夫が抜群の洗練されたおしゃれなイメージを作ってくれた。
 福島アナが周囲を回って、さまざまなエピソードを紹介しながら有楽町を浮き彫りにしていく。有楽町の特徴を実によく表現していたと感じた。
 歌碑ものがたりでは、フランク永井の歌った歌の碑では、今年1月に「大阪ぐらし」を放映している。藤島桓夫の「月の法善寺横丁」がそのままズバリで有名な法善寺横丁にひっそり建つ「大阪ぐらし」碑。織田作之助に従事した石濱恒夫の傑作の詞に大野正雄が曲をつけ、フランク永井が歌った。東北出身のフランク永井がその後関西モノのヒットを連発してくが、みごとに大阪の情景を唄ったものだった。この碑については、次回「大阪の歌」の特集で取り上げてほしいところである。

 熊本では衝撃的な地震が発生している。本日のが本振で一昨日のが余震だったという。深刻な被害が続いている。被災者にはこころからの哀悼の意を表します。
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 ビクターは2007年ごろに「ビクター流行歌名盤・貴重盤コレクション」シリーズとして、昭和40年代に大ヒットをかざったLPのSJXシリーズのCD化復刻をした。フランク永井の「夜霧のブルース」(S43)「琵琶湖周航の歌」(S46)「誰よりも君を愛す」(S44)「君恋し~に二・ロッソと唄う」(S46)「上海ブルース」などはこのシリーズでCD化されたもの。
 これらのシリーズは主に他の歌手のヒット曲のカバーを含んでいるようだ。
 ビクターの人気歌手のひとり青江三奈によるLPも「ブルースを唄う」(S43)「盛り場の女を唄う」(S46)「グッド・ナイト」(S44)「お富さん」(S45)などが復刻された。確かに、歌手たちがのびのびと、生き生きと名曲に挑戦して素晴らしい歌唱作品を残した時代であった。
 「ビクター流行歌名盤・貴重盤コレクション」復刻シリーズは最終的に100余枚に及んだと記憶している。
 フランク永井が歌った「潮来笠」もこのシリーズでCD化が実現している。歌手のオリジナル曲でないのもには、普段になかなか聞くことができない魅力を味わうことができる。この復刻に力を入れたビクターの思いも賞賛できる。
 2009年には「ゴールデン☆ベスト 青江三奈カヴァーコレクション」としてCD2枚シリーズをリリースしている。これはそのタイトルどおり、青江三奈が歌ったカバーの集大成ともいうべき作品で、40曲が楽しめる。上記の「グッド・ナイト」の「東京ナイト・クラブ」「夜霧の第二国道」が含められている。
 「グッド・ナイト」には、下記の曲が収められている。
  01_グッド・ナイト
  02_赤坂の夜は更けて
  03_泣かないで
  04_東京アンナ
  05_夜霧の第二国道
  06_夜霧に消えたチャコ
  07_銀座ブルース
  08_東京ナイト・クラブ
  09_好きだった
  10_ワン・レイニー・ナイト・イン東京
  11_上海帰りのリル
  12_長崎ブルース
 
 青江三奈はフランク永井と同時代に活躍した。夜の大人のムードを演じた。ゴールデン・デュエットの松尾和子とは少し違い、ハスキーなため息を強調したため息路線などと宣伝に使われた。「池袋の夜」「伊勢佐木町ブルース」「長崎ブルース」と爆発的なヒット曲をだした。
 青江は声がハスキーではあったが、基本的に音程がしっかりていて広い音域をもつ歌唱が素晴らしい。歌の雰囲気を絶妙に演じることができた歌手であった。
 青江がフランク永井のカバーをしていた件は「青江三奈の「君恋し」はいかがだろうか」(2013/8)に別項で紹介した。その際に珍しく、二人でデュエットした「東京ナイト・クラブ」も映像で記録されていることを書いた。
 今回は新たに「夜霧の第二国道」と「夜霧に消えたチャコ」。この盤での「東京ナイト・クラブ」は青江のソロ歌唱である。なかなかいいですよ。デュエット曲をソロでというのも珍しいもの。
 この盤では、編曲の妙も味わえる。「東京ナイト・クラブ」は近藤進で、「夜霧の...」2曲は名人寺岡真三だ。近藤の編曲は定評があるだけに、このできは素晴らしい。青江の独唱にぴったりである。チャコは作曲歌渡久地政信が編曲しているが、ここでは寺岡の青江が歌うのを意識したムーディな編曲の妙を体験できる。第二国道はもともとも寺岡の手によるものだが、青江のためにやさしく、しかも演奏するそれぞれの楽器のパートが浮かび上がるように作られている。

 青江節ともいえる歌唱にのったカバーは洋物にもおよぶ。2013年には「青江三奈 ジャズセット」(CD2枚組)が発売されている。フランク永井もそうであるが、亡くなってからその歌唱力の素晴らしさが光るカバーが注目される。それは現代があまりにも窮屈な逼塞間のおおわれているために、貧しくても夢とはいえ希望が感じられ、活気に満ちた昭和の時代への回顧への熱が底辺にあるのかもしれない。

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 フランク永井が自ら舞台を降りた翌年に、和田弘とマヒナスターズのCDが出た。VDR-1339「フランク永井を唄う」というタイトルのもので、フランク永井の歌った代表的なヒット曲を14曲収めた決定版だ。
 和田弘とマヒナスターズは、幾度か紹介しているがビクターでフランク永井と同時代に、吉田正に指導を受けている。吉田正からのオリジナルを多数歌っている。「泣かないで」が大ヒットになった。
 マヒナスターズが強烈な印象を残したのは、戦後欧米へ、常夏の国ハワイへのあこがれというブームの中で多数ハワイアンバンドができたが、ハワイアンそのものでは人気に限界がある。そのときに、吉田正が作り上げようとした日本人による日本の歌、すなわち流行歌との結合に挑戦、それが独特な男性の裏声のかろやかなコーラスでの歌謡曲を生み出した。
 これは戦後日本の怒涛の産業発展をささえた勤労者の憩いの場での、ムードを盛り上げるBGMとして受け入れられたのだ。フランク永井や松尾和子といった大人のムーディな歌の流行と重なり、この分野ではビクターの独走であった。
 マヒナスターズ自身はさまざまな変遷をたどるが、リーダーの和田弘がかなでるスチールギターとコーラスの歌声は、その後多くの同様なムード歌謡コーラスを生む。現在でも一つのジャンルを作って活躍している。

 さて、マヒナスターズは別途LPで(後でCD製品化されている)も、吉田正作品やフランク永井のカバーを出している。1996:VAL-12「和田弘とマヒナスターズ」には、「羽田発7時50分」「夜霧の第二国道」「東京午前三時」「場末のペット吹き」「有楽町で逢いましょう」の5曲を入れている。
 それに対し、ここで紹介する「フランク永井を唄う」では、これらを一部重なるが14曲を歌っている。まさに、マヒナスターズのフランク永井のカバー決定版である。
 
 01 有楽町で逢いましょう
 02 夜霧の第二国道
 03 羽田発7時50分
 04 加茂川ブルース
 05 逢いたくて
 06 東京午前三時
 07 東京ナイト・クラブ
 08 おまえに
 09 俺は淋しいんだ
 10 夜霧に消えたチャコ
 11 こいさんのラブ・コール
 12 大阪ぐらし
 13 ラブ・レター
 14 公園の手品師

 味のある和田弘の編曲が、独特のムードある曲になっている。
 フランク永井はマヒナスターズとたびたび共演しているのだが、残っている映像はNHKビッグショー「松尾和子」でともに「銀座ブルース」を唄ったものだ。
 それにしてもフランク永井の恩師吉田正を先頭に、当時の歌作りのプロたちの力がすごいという印象だ。この時代、誰にでも口ずさめる、耳に残る曲を作ってくれたものである。これらの歌は大衆の心に生涯影響をたもつのだから大変なことである。
 そのようなことをつらつらと思いつつ、聴き比べてみた。