2016年1月アーカイブ

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「有楽町で逢いましょう」1957(S32)年のフランク永井のヒット曲。この歌は戦後の歌謡曲の世界に大きなインパクトを投げかけた。
 戦後復興をめざす大都市東京。有楽町はその中心でありながらもまだまだ荒廃していた。デパートそごうが都心て開店するというテーマを最大限に復興に利用するために、テレビ番組、月刊誌での連載小説、映画、そして歌謡曲と舞台公演など大きな連携を実現したこと。それに名も知れない新人歌手を起用したこと。「魅惑の低音」と銘したフランク永井の低音ブームを呼び起こしたこと。
 そして実際に1964(S39)の東京オリンピック開催にめがけて、都市の形が実現した。高層ビル、高速道路ができて、きれいな街、安心してショッピングできる街、若者の好楽街が急激にできていった。その建設には全国から「出稼ぎ」があつまり、地方の若者が集団就職で集まってきた。
 膨れ上がる都心の人々。決して裕福ではなかったが、夢と希望に満ち、活気にあふれる時代であった。都会で働く人びとにさまざまな憩いの場所がつくられた。流行歌は癒しとしてたいへんな人気をはくした。三橋美智也や春日八郎が歌うふるさとを想い起させる望郷演歌は絶賛され、三橋のレコードは1億枚を超えたというからすごい。
 三橋は民謡で鍛えられた美声で独特の味をもっていた。春日は独自の鋼のような歌唱が他をよせつけないものがあった。彼らの高音は当時最大のメディアであったラジオの電波にマッチしていて、歌は高音でなければという流れがあった。
 そこにフランク永井の低音風の語りかけるような、それでいて忘れられない包み込む歌唱は新鮮であった。今でも彼らが持つユニークな歌唱が人気を保持している。
 「有楽町で逢いましょう」(佐伯孝夫作詞、吉田正作曲、佐野鋤編曲)は、その後の歌謡界にインスパイアを誘導して、多くの歌手がカバーをしてきた。「有楽町で逢いましょう」という曲名自身がフランク永井という最初に歌った歌手の名とともに、多くの人の記憶に残された。

 鶴岡雅義と東京ロマンチカも戦後歌謡曲の歴史に燦然と記録される。「小樽のひとよ」「君はこころの妻だから」などを世に出したムード歌謡を歌う男性コーラス・グループ。甘いボーカルは三条正人や浜名ヒロシ。鶴岡雅義のつまびくレキントギターがいい。
 メインボーカルの三条。筆者の子供のころの友に彼に似た顔立ち、声の人がいた。野球でも活躍していたのだが、ガキのときから気性の合わないヤツだった。後に詐欺の事件を起こすなどした。そのようなことと三条は無関係なのだが、歌を聴くたびにヤな印象とともに想い起す。
 数かずの印象深い名曲を残す鶴岡雅義と東京ロマンチカが、2004年に発売したのが「有楽町でまた逢いましょう」(シングルCD)だ。「また」がつくまぎらわしい歌詞を書いたのは、フランク永井と無縁ではない放送作家の高田文夫。作曲は1978年にフランク永井に詞曲を提供(「グラスの氷」「ひかげうた」)している中村泰士で、鶴岡ではない。このCDのB面(CDにB面はないので2トラックなのだが)は鶴岡作曲の「母に贈るワルツ」。
 「有楽町でまた逢いましょう」は詞、曲ともに「有楽町で逢いましょう」をレスペクトを持ち強く意識して作られたことが聴けばわかる作品となっている。だが、同時におふざけなのか、遊び心なのか、高田文夫自身が歌うバージョンが入っていたりするし、いずれのバージョンもカラオケ(演奏だけ)も入っているというCDだ。

 さて、タイトルに「有楽町で...」を冠するというと、現在も着実な歩みをすすめているのが、ニッポン放送系での「演歌・歌謡曲ライブ~中山秀征の有楽町で逢いまSHOW♪」。毎週日曜日朝5:30~6:00ラジオ・ニッポン放送、テレビでは毎週水曜日の夕刻歌謡ポップスチャンネルで放送している。テレビは有料チャンネルゆえか見る機会は残念ながらいままでない。
 歌謡ポップスチャンネル+ニッポン放送+日本音楽事業者協会によるもので、中堅から新人歌手までゲストを招いてのショーのようである。

 2002年には「aiko~有楽町で逢いましょう〜Love Like Pop vol.VI〜」という作品が発売されている。若い女性の歌手の進出と活躍は近年すごいものがありますが、aikoはそのひとり。筆者らの年代では知らないという人のほうが多いかもしれない。
 これでは別に「有楽町で逢いましょう」をカバーしているわけではない。単にこの年に各地での公演ツアーを有楽町の国際フォーラム会場で締めくくろうと企画したライブ。そのときのキャッチに「有楽町で...」を使ったものだ。そのライブだけでの曲とか、そのライブDVDにだけ入っている曲とか、彼女のファンにはそれなりに貴重な作品になっている。

 もちろん他にも無数に「有楽町で...」にひっかけた企画や作品があるのだろう。フランク永井が歌って切り開いた世界が、さまざまな形で現在に受け継がれ、未来に渡されていく。こうしたこともファンにはありがたいことである。

 右の写真は、左上からSP盤発売時のエンベロープ、右はEP盤とSP盤の歌詞票、左下はSP盤レーベル、MEG-CDから復刻CD時のレーベル、右下はEP盤のジャケット。

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 新春の今年のお楽しみは明治座「伍代夏子・藤あや子~日本橋春秋/新春大江戸歌絵巻」。ゲストは年末に初めてNHK紅白歌合戦に出演した三山ひろし。ゲストは連日ではなく、同じく紅白初出演で注目をあびる山内惠介が交代する趣向のようだ。
 三山のセリフで「一、二を競う美形」の伍代・藤との紹介(「どちらが一なの」と二人から突っ込み)。休憩入れて11時から3時まで。舞台劇と歌を満喫できる。三山も売り出しの「お岩木山」などを披露した。
 藤は姿が恐らく業界一だろう。着物姿もドレス姿もいい。新春にうってつけ。伍代のいい点は表情だ。姿も表情もこれだけは個人の勝手な感情ものであって、それがいいという者もおれば、それが嫌だという者もいるが、それでいい。こうした個性的な芸の人気を売る商売ではあたりまえだからだ。
 伍代の表情というのは、人前に出た時の芸人の作るべき表情はこうでなきゃというのをわきまえたところ、というのが筆者の感想だ。顔を人前におもいっきりさらす、近年の4Kだなんだというテレビなどでは、見せられるほうにもなって欲しいものだが、ややげびるが容赦ないアップをするときがある。そのようなことを気にしていては成り立ちえない世界なのは承知でも、年寄りはやはり気にする。
 そういう点で、伍代、松たか子、すみれなどのくったくのなさそうな表情は見てて安堵感を感じるのではないだろうか。生きている限りくったくのない人などいない。男の場合いは表情にでやすい。苦虫をつぶしたような表情になる。それなのに人前ではそれを殺して自然なさりげない表情を続けるのは、見事な芸のうちといつも思う。
 それにしても、三山ひろしは声がいい。ビタミンボイスなどと誰かがつけたようだが、彼の声はいい。ずいぶん前にテレビにちょい出をしたときから、注目していた。10年以上さまざまな曲を歌っている。声質から昭和歌謡というか、戦中戦後の歌謡曲のカバーも多く歌っていて、まだまだ新人扱いではあるが先が楽しみな歌手である。

 さて、新春テレビ番組に坂本冬美デビュー28年の軌跡というコンサートを観た。坂本冬美も好きな歌手だ。タイトル通り、デビュー以来の坂本の成長をまとめた番組としてはすばらしいものであった。
 「あばれ太鼓」「夜桜お七」などの代表曲もすばらしいのだが、圧巻は歌謡浪曲「岸壁の母~母の叫び入り~」であろう。本来高音で歌いとおす坂本の声に浪曲は合わないのだが、再起の恩師二葉百合子の魂の指導の成果がよくでていた。二葉のはもちろん坂本の「岸壁の母」は何回もみているが、今回の舞台でのできは大きな成長がよみとれた。
 何よりも坂本の眉間のシワがほとんど消えていた。それは演者としてのこころの持ちようの変化からきている。
 浪曲の(民謡にも言えるが)発生にはいつも感心する。プロの浪曲師の発生には人をうなずかせる。説得力がある。だがなまはんかにこれをやったら、たちまちのどと声をだめにする。歌手がのどと声をだめにするというのは自殺に等しい。それを坂本は切り抜け微妙な低い声をも利用できるようになっているのがわかる番組であった。

 歌謡浪曲といえば演歌では島津亜矢をあげないわけにはいかない。島津亜矢の舞台は昨年の新春コンサートで楽しんだ。
 浪曲をスタート点に独自の節回しをもつ中村美津子と並んで、島津亜矢は三波春夫の歌を受けつぐ存在だ。歌のうまさを天性的なカンと才能で得ている。感情過多とも思える歌いまわしは、聞き手の感情をダイレクトに揺さぶる。
 フランク永井の歌唱や感情の入れ方とはまるで逆なのだが、歌うテーマがあってそれを直線的にオーディアンスに訴えるという点でのうまさは突出しているではないだろうか。
 浪曲はテレビがなかった時代、国民的人気で多くの人の楽しみであった。これがテレビのビジュアル時代になると、長話ははやらなくなった。歌謡曲でも前奏や間奏を含んだ三番までの歌詞を歌う3分は長いといわれるようになった。浪曲は演者の舞台が画面に出ても退屈に感じられていった。
 三波春夫や二葉百合子はそこで歌謡浪曲をあみだした。15分から20分程度の長さに浪曲調の語りと歌にまとめた。セリフ回しも歌も完璧に譜面が用意されたものだ。演者がそ演技にうとうな自信がなければ舞台を保持できない。
 こうして切り開かれた歌謡浪曲もひとつの人気ジャンルを一時は占めたが、後継者が少なく細々と続いている状態だ。やはり実力がある演者でないと20分を魅せ続けるのが困難だ。そうした中で中村美津子や島津亜矢や坂本冬美は貴重な存在である。
 何度も紹介しているが、フランク永井は1965年11月、歌手生活10周年のリサイタルで『慕情』を演じている。岩谷時子作詞、恩師吉田正で20分に及ぶ「歌謡長編組曲」。東京混声合唱団のコーラスをバックに情感豊かに、あざやかに情景を歌い上げて絶賛された。第20回芸術祭「大衆芸能奨励賞」を得ている。
 「歌謡長編組曲」もハードルの高さからフランク永井自身もその後歌うことはなかったようだし、他の歌手もトライすることはほとんどなかったようだ。
 ちなみに、この『慕情』はMEG-CDから復刻発売されている。吉田正作品集でもCD化されている。そして、これを通常の3分版とした「雪の慕情」が吉田正の作曲生活50周年記念として、ささきいさおが歌いなおしている。
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鶴田浩二はご存じフランク永井の恩師吉田正と盟友であり、吉田学校と呼ばれる門下生ということでは第一期生であるというより、創立者のひとりだといってもいいのではないだろうか。
 戦後の人気俳優ということでは日活の石原裕次郎をあげるのは普通なのだが、実は気骨ある俳優で二枚目で映画界と歌謡界で暴れまわった人ということでは鶴田をあげてもいい。
 鶴田のスキャンダルの幅は一線を越えるほどであったがゆえに、なかなか裕次郎の次にあげる人は少ないだけだ。鶴田については好きだという人と、嫌いだという人にわかれる。作られたイメージだけで、真実とは程遠いようなことなのであるが、人気の商売をしているものには避けえない誤解と割り切って、鶴田自身は何にも決して言い訳をしなかった。
 鶴田はよく「特攻隊くづれ」などと言われたが、特攻隊そのものではないが戦中軍隊を経験し彼は多くの友を失くしている。実際に戦争を激しく憎しみ友を思う思念が深く、それが彼の甘い容貌だけではない深い演技に表現された。
 俳優としての中半以降は戦争やヤクザ関係の映画が多く、実際に人気を上げていくのだが、営業利益優先でブームをことさら引っ張り、鶴田にヤクザや軍隊イメージをかぶせあげ、歌も多く歌わせた映画会社等にカッ!!をあげたい。
 その鶴田と悲惨な体験者の吉田正が尊敬と信頼で近づくのは、当然の流れだったのかもしれない。初期にポリドールやコロンビアからレコードを出していたが、吉田正と知り合ってからはビクターでヒット曲を出した。
 「街のサンドイッチマン」(1953年)、「赤と黒のブルース」(1955)、「好きだった」(1956年)が代表曲だろう。鶴田は若い時分に薬害で左耳の聴力を害し音の確認が困難で手を耳に当てる歌唱スタイルが、人々の印象に残った。裕次郎もそうだったが「自分は俳優であって歌手ではない」と言っていた。歌のうまさというより、渋く悲哀を感じる彼の声には多くのファンがいた。
 フランク永井は1956年に「場末のペット吹き」で流行歌手となるのだが、この曲の雰囲気は鶴田浩二を吉田正が意識して書いたともいわれる。聴くと確かに鶴田が歌ってもよかったかなと感じるところもある。だがフランク永井は流行歌の世界にこの歌で飛び込むときに、ほとんど自分の人生のこれからをこの一曲にかける思いで取り組んでいる。
 比べて聞けば、節々にプロとしての歌手の感覚でのメリハリの表現がフランク永井が勝っておるのは、恩師がこの歌を鶴田にではなくフランク永井にとの判断の深さだった。
 鶴田は「歌はあまり...」といいながらも、歌手としてもドラマやテレビでも活躍している。残されている曲も200曲を超えるという。歌い出せばいつも熱が入り、素足になったり、シャツを脱いだりと集中度をあげてまわりをまきこみながらすすめたいう。
 1971年に「SJX-84-鶴田浩二ブルースを唄う」というLPを出している。
 ここにはカバー12曲おさめられているが、5曲がフランク永井の歌を歌っている。
 「夜霧のブルース」「夜霧の第二国道」「別れのブルース」「雨の酒場で」
 「霧子のタンゴ」「上海リル」「雨のブルース」「上海ブルース」
 「俺は淋しいんだ」「ラブ・レター」「雨に咲く花」「場末のペット吹き」

 「夜霧の第二国道」「霧子のタンゴ」「ラブ・レター」「場末のペット吹き」は吉田正の作曲、「俺は淋しいんだ」は渡久地政信の作曲だ。そして、このすべてがこのアルバムのために、寺岡真三が再編曲をしているという点がいい。
 「場末の...」「夜霧の...」「ラブ...」はもともと寺岡真三が編曲している。他の曲もオリジナルの編曲のイメージをくずさないで作っているので、自然に聞こえるのだが、寺岡による微妙なアレンジを感じることのできる作品になっている。
 このLPの吹き込みに際しても鶴田はそうとう気合をいれて作ったようだ。事実上のプロデューサ的な責任者でもあった寺岡がOKといっても、何度も「自分は納得いかない」と取り直しをさせたという。
 フランク永井のヒット曲を名だたる他の歌手が歌っているときに、ぜひとも聴いて比べて、新たな楽しみを見つけだしたいというのはファンの人情だ。
 鶴田浩二が健在だったころのいくつかのエピソードを懐かしく思い出しながら、LPを聞き直したところであった。

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 フランク永井の残した曲数はおよそ800曲。およそというのは、正確な数字は不明だからだ。2010年に筆者が「フランク永井魅惑の低音のすべて」なるデータブックを編纂した時点では、発売されたシングル盤249枚、LPなど122枚で768曲を紹介したのだが、その時点で紹介しきれていないものが多数出てきているからだ。
 カセットは基本的にシングルやLPに含まれた曲だと勝手に思い込んでいたので、カセットだけで出た曲は無視された。また当時LPで多く出されたオムニバス盤があって、フランク永井の曲もその盤だけで出されたものもあった。それについては全容がつかめずにほとんど手つかずだった。
 さらにメディアとしてのテレビ、ラジオで歌われただけというのがある。「NHKラジオ歌謡」「大阪朝日放送のABCホームソング」「八大朝の歌」などだ。
 その後わかってきたことを含めると800曲を超しているのだが、やはり正確にはわからない。
 データブックが出てから5年経過した。この間熱心な全国のフランク永井ファンの方々から多くの情報が寄せられた。「聴いたことがあるのだが、録音はしていない」とか、「レコード盤をもっているよ」という方からは盤をお借りしたり聴かせていただいたりした。そうした方々には、ここであらためて心から感謝を申し上げたい。
 新発見があったり、新たに聴かせていただいた時には、その都度紹介させていただいたのだが、昨年は暮れまでに以下の3曲を聴くことができたのでご報告したい。

◆「マルセーユで恋をした」
   (1961:LV-239-魅惑のオールスターズ第2集)
◆「リラの匂いの雨」
   (1963:LV-302-魅惑のオールスターズ第7集)
◆「ふたりだけのワルツ」
   (1964:LV-373-NHK-あなたのメロディー第1集)

 上記2曲は1961年から1964年までに第15集出されているのがわかっている「魅惑のオールスターズ」からのもの。この盤はほぼ全容が知れたのだが「懐かしの上海」(10集)、「角帽ブルース」(11集)、「燃えている」(14集)、「泣くのもいいさ」(15集)の4曲がまだ聴いていないだけとなった。
 当時のオムニバス盤はヒット曲を単に集めるだけではなく、さまざまな企画が並行していて、新境地を切り開こうと著名歌手が新たな傾向の曲に果敢に挑戦するものがあり、この「魅惑のオールスターズ」はそうしたひとつだ。
 「リラの匂いの雨」はこの第7集のジャケットには「いろの匂いの雨」と誤植されていて、どちらが正しいのか長く疑問に思っていたもの。今回は裏面の歌詞でも、曲がまさしく「リラ...」であったことも確認できた。
 「ふたりだけのワルツ」はデータブックの出版直後から情報があったのだが、最近になって盤そのものは得られなかったのだが、ビクターからレコード店やメディアに提供した視聴盤のなかに「ふたりだけのワルツ」を含んだものがあり、それが手に入って確認できたものだ。

 「魅惑のオールスターズ」と同じ時期にどのレコード会社も「花のステージ」というシリーズを出したのだが、ビクター版「花のステージ」というシリーズも25集まで出たのは判明している。それは筆者の手元には「フランクの三味線ながし」(14集)と「ゴンドラ舟歌」(19集)の2枚しかなく、全容がわからない。同じく「歌の花束」「オールスターズ歌の星座」というシリーズがビクターから発売されているが、何集まで出たのかすらいまだに判明していない。
 「NHK-あなたのメロディー」については、1972:SJX-90でフランク永井の歌だけの盤が出ていて、全曲オリジナルの珍しい曲がおさめらている。この盤は入手が大変困難のようだ。筆者は以前やっていた仕事の関係でこのなかの一曲「085907」が気に入っていてときどき聴く。「あなたのメロディー」ではないがNHKの「きょうのうた」という番組で、フランク永井は島倉千代子と「あなたが居れば」というのを歌っているの判明している。これはぜひとも聴きたいと思っているがいまだ音源が未発見だ。
 「SJV-1122~3-歌おう心のうたを」上下4枚の珍盤があり、これには「涙くんさよなら」「お嫁においで」というカバーが入っていたのだが、昨年までに正式にビクターからのフランク永井「カバー」シリーズで復刻された。
 下記のリストは音源が存在するということがわかっているものもある。譜面だけは発見されているというのもある。近年フランク永井のレコードの発売元であったビクターから復刻音源が活発に発売されている。ファンの皆さんの捜索での協力も加えて、こうした曲をぜひとも聴かせていただきたいものである。
 フランク永井の残した歌は、日本の大衆文化のひとつの表現であり貴重な遺産の一つだと思う。新年にあたり、改めてこの偉大な歌手の業績をたたえながら、いつか全容が解明されることに思いをいたした次第。

1956年「あふれる朝の」(ABCホームソング)
1958年「アイスクリームの夜」(NHKラジオ歌謡、楽譜あり)
1959年「いつの日逢える」(NHKラジオ歌謡、楽譜あり)
1961年「夜の熱帯魚」(吉川静夫作詞、利根一郎作曲)
1963年「あなたが居れば」(西条八十作詞、吉田正作曲、NHKきょうのうた)
1963年「懐かしの上海」(LV-333-魅惑のオールスターズ第10集)
1963年「角帽ブルース」(LV-245-魅惑のオールスターズ第11集)
1964年「泣くのもいいさ」(LV-372-魅惑のオールスターズ第15集)
1964年「燃えている」(LV-367-魅惑のオールスターズ第14集)
1965年「明日もあるんだよ」(井田誠一作詞、新藤猛作編曲)
1965年「想い出の手袋」(JV-168-オールスターズ歌の星座第4集)
1966年「人の知らない花」(山上路夫作詞、いずみたく作曲)
1966年「雨傘」(岩谷時子作詞、中村八大作曲、八大朝の歌)