2015年11月アーカイブ

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 神保町らくごカフェを会場にして、腰をすえて企画された「昭和歌広場」。SPレコードとトークでつづる歌謡史が11月21日第7回の開催を迎えた。年頭に藤山一郎戦前編が開かれたことを少し紹介させていだたいたが、今回は「戦後編」ということで、昭和21(1946)年から29(1954)年までの20曲の演奏がなされた。
 司会は落語界の司会で活躍し、落語と密接な関係を保ちながら社会の娯楽の世界を広げてきた流行歌歌謡曲について熱く語る第一人者として著名な林田雄一。
 林田は大のフランク永井ファンでもあり、フランク永井の歌った歌の相当数をものまねで歌うという特技をもつ(ものまねは立川談志師匠のをきかせていただいた)。当日は、フランク永井に敬意をあらわして「細いネクタイ」でキメてきた。
 そして新聞記者時代から演芸評論家として多くの著作をもち芸能全般に幅広い交流を持つ生きた芸能データベースとも呼んでいい保田武宏。
 保田はフランク永井ともゴルフやお遊びでも深い親交をお持ちとうかがっている。お二人とも今回メインの藤山一郎にかぎらず当時のSPレコードも含めて膨大な資料を収集されており、そうした調査によって裏付けされた深いうんちくの片鱗が披露される。
 お二人の藤山一郎にかんする掛け合いは今回も絶妙で会場を沸かした。
 
 1.銀座セレナーデ(S21/11)村雨まさを、服部良一
 2.三日月娘(S22/2)薮田義雄、小関裕而
 3.浅草の唄(S22/4)サトウハチロー、万城目正
 4.東京の夜(S22/5)西条八十、竹岡信幸
 5.夢淡き東京(S22/5)サトウハチロー、小関裕而
 6.白鳥の歌(S22/6)若山牧水、小関裕而、松田トシと
 7.バラ咲く小径(S22/6)野村俊夫、小関裕而
 8.見たり聞いたりためしたり(S22/6)サトウハチロー、服部良一、並木路子と
 9.青い月の夜は(S23/7)野村俊夫、竹岡信幸
 10.僕の東京(S22/6)和田隆夫、原六郎
 11.長崎の鐘(S24/6)サトウハチロー、小関裕而
 12.花の素顔(S24/10)西条八十、服部良一、安藤まり子と
 13.山のかなたに(S26/5)西条八十、服部良一
 14.東京の雨(S26/2)丘灯至夫、小関裕而
 15.長崎の雨(S26/6)丘灯至夫、小関裕而
 16.丘は花さかり(S27/12)西条八十、服部良一
 17.ばら色の月(S28/4)若山かほる、服部良一
 18.みどりの雨(S28/7)丘灯至夫、小関裕而
 19.長崎ブルース(S29/1)杉浦洸、古賀政男
 20.青い山脈(S24/10)西条八十、服部良一

 藤山一郎は戦中戦後を通じて日本を代表する歌い手であることは間違いない。音程を忠実に、日本語の発音、滑舌を極限まで追求した。代表曲である「青い山脈」を歌うあのはきはき、はつらつさ、張りは他の追随を許さないものがある。
 服部良一のジャズ風のしゃれた曲、小関裕而の日本人のこころを動かすメロディー、それに西条八十、サトウハチローなど日本を代表する作詞家が詞を添えた。すばらしい大衆文化の遺産を残した。しかも、戦後のこの時期の名曲生産のスピードには目をみはる。1か月に複数曲吹込みをするほどだ。
 時代的には、フランク永井のデビューは昭和30(1955)年なのでこの後になる。そしておよそ5年後の昭和35(1960)年にはSP盤がEP盤(ドーナツ盤)に全面交代していく。
 昭和のこの時期の流行歌は主にラジオがメディアとして最大であるが、SPレコードが果たした役割は大きい。SPは演奏や歌唱、音声を電気にたよらずに、録音して再生して聴かせるという究極のアナログな機器だ。これが発明されて、人間の文化に与えた影響は計り知れない。
 SPは78回転というすざましいスピードで回転する盤の溝から針で音を拾う。当然その摩擦音はすごいものがあるのだが、人間の聴く能力はターゲットをとらえるときに雑音を消し去る力を持っている。スピーカーにあたる音の増幅装置は形状がラッパ型で、ここで増幅された音の圧力がすごい。最近のハイレゾでは音圧が話題になるが、SPでの再生を聴くと、まさにその音圧に圧倒される。これはその後のEP/LPやCDでは味わえ切れないものをもつ。このあたりが、いまもちょっと面倒ではあるが、SPの魅力になっている。
 さて、当日もすばらしい音を再現してくれたのは高山承之。劇場用の最高質のスピーカーに手を加え、ターンテーブルから真空管アンプまでをすべて手作りして満足ゆくまで最適化したシステムで、電蓄最高の時代の再現をしてくれた。
 このような贅沢な催しに参加できて大変満足した。企画に感謝するとともに、今回もお誘いしていただいたIHさんに感謝。

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  01.東京カチート
  02.ラブ・レター
  03.泣かないで
  04.おまえに
  05.好き好き好き
  06.好きだった
  07.再会
  08.赤と黒のブルース
  09.場末のペット吹き
  10.公園の手品師

 このCDは、1991年つまりおよそ四半世紀前のCD。フランク永井の恩師吉田正がまだ健在のときに、フォークというかカントリーというかで今も人気の杉田二郎のアルバムだ。収録曲をみれば一目瞭然だがフランク永井のヒット曲のカバーでもある。これを聴かない手はないということで当時聴いたのだが、その後永い眠りについていたものだ。
 杉田二郎はさらにおよそ20年さかのぼった1967年ごろから活躍した歌手。フォーク歌手として、ベトナム戦争反戦歌手としてさまざまな足跡をのこしている。現在も堀内孝雄、ばんばひろふみ、高山厳、因幡晃らと「ブラザーズ5」を結成いている。
 彼の作った曲は「ジローズ(1次、2次)」「はしだのりひことシューベルツ」いずれでも皆の耳に残っている名曲が多数だ。「戦争を知らない子供たち」は特に彼を押し上げたように思う。
 「戦争をしならない子供たち」の作詞は北山修。ベトナム戦争が激化し日本が攻撃発進基地として使用され日本国内外での反戦運動が毎日展開されていた時代だ。北山の詞は加藤和彦に作曲を頼んだが鼻であしらわれて、杉田がやることになった模様。
 徴兵されて戦場を経験した大人が当時の子供(現在の大人)が「俺たちの苦労を知らずに若い人が今甘えている。軟弱だ」と言われたことへの反抗からできた詞だという。開き直って「俺たちは戦争なんか知らない」→「戦争のない安心して生活できる世になってほしいのだ」ということで代表的な反戦歌としてよく歌われたものだ。
 ベトナム戦争が一段落したと思えば、中東危機が高まり、皮肉にも戦争は絶えることなく、現在もひきつづきこの歌が歌われる。
 さて、このアルバムでは杉田が吉田正への尊敬をもって吉田メロディーの名曲をあつかっている。単なるカバーではない。ポップス界の編曲の大御所ともいえる萩田光男、国吉良一とともに、モダンな都会調の雰囲気の創出に成功している。杉田の甘く広がる低音が吉田メロディーをはずれることなく魅力を増した感がある。
 手を抜かずに、ちゃんと「カバー」にとりくむという姿勢が感じられた。
 「好き好き好き」などは特にすぐれたできではないだろうか。
 吉田メロディーとうたえば、いうまでもなくフランク永井の曲だけではない。和田弘とマヒナスターズ、松尾和子、鶴田浩二の歌った作品も手掛けている。松尾和子の名曲「再会」もいい。
 なお萩田光男(萩田光雄)は、現在も活躍するポップス編曲家であるが、彼が手がけた曲もすごいのばかりだ。彼らは皆同年代のとびぬけた名手たちといっていい。
 さて、こんなことを書いていると、TVではくしくも「フランスで120名以上が死亡する多発暴動、大統領が戒厳令発令」が報じられている。だれもが震えおののくような事件だ。戦闘が身近にある状態や時代では、吉田正が作曲しフランク永井が歌ったような歌は社会から消える。誰しもが望まないこのような事件は、安寧な生活を願う全人類に対する犯罪だ。そのようなことが頭をよぎり、せっかくの名曲にしたる気持ちも揺らぐ。。。。。