2015年7月アーカイブ

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 すでに年中行事として定着した「フランク永井歌コンクール」が今年も開催される。
 現在のど自慢の参加者を大募集中。ただし130名の先着応募者が決まり次第に締め切られる。
 2011年の東日本震災があったときは開催地の宮城県大崎市松山も、会場の体育館をはじめ被害を受け開催を見送ったが、今年で7回目を迎える。一昨年まではフランク永井の誕生日である3月18日前後の土日に開催してきたが、昨年から秋の素晴らしい観光の季節10月に変えている。
 歌手の名を冠した歌コンクールはこの「フランク永井歌コンクール」が初めてであり、いまだ他にそのような催しを聞かない。地元がフランク永井の果たした偉大な功績をたたえ、村おこしのテーマとして企画されたのが始まりときく。しかし、それをこのような形のすばらしい催しとして実現してしまうというのが、この街のすばらしいところである。
 大崎市も協力して強力な実行委員会が毎年工夫をこらしている。
 歌コンは、フランク永井の歌ったオリジナル曲を競う。演奏は申込者が用意し、申し込み時に提出する。アカペラでも可能かとは思うが、やはり演奏があればなおいいにちがいないのだが、演奏がある曲となるとそうとう制限される。それでも、ヒット曲を中心に30曲前後演奏があるので、のどに自慢の方はぜひとも申し込まれたらと思う。
 130人の申込者は、大会前日の17日(土)に予選がある。予選で30組がしぼられ、翌日に決勝大会をおこなう。詳しくは、要綱がHPに公表されているので確認してほしい。

 さて、宮城県大崎市松山というところについては、筆者も知識がほとんどない。歌コン会場の横に「フランク永井常設展示室」があり、その前には「おまえに」の歌碑が建立されている。この建物が松山歴史資料館である。ここに松山の歴史にかかわる資料が展示されているので、地域史に興味のある方は、展示室の隣の部屋なので訪れてほしい。
 歌コンの会場は松山体育館だが、この一角は市の公共機関とともに、酒の蔵で有名な「一ノ蔵」のミュージアムの一角でもある。「一ノ蔵」は日本酒の好きな方ならおそらく皆ご存知かとおもう銘酒だ。実際に筆者も好んで口にするが辛口でここちよい。

 また、偶然にも写真のようなレコードもあって、久しぶりに針を落としてみた。実際の町の歴史を知らないのだが、伊達仙台藩のことをテーマにした1970年NHK大河ドラマ「樅の木は残った」は印象深い。山本周五郎の「伊達騒動」だが、この舞台とも関係があるのだろうか。レコードは「樅の木だけが知っている」と、何とも意味深なのだ。船橋一郎という歌手が歌っている。
 気になったのはB面の「松山の里」である。松山とはまさに松山なのではないか。
 いずれも作詞秋月 信、作曲石 平三郎、編曲は「君恋し」の寺岡真三である。「松山の里」は及川清三の歌唱による。両曲とも民謡とはいえず、それでも曲には振付けがついている曲である。松山の方ならご存じなのではないかともおもわれるが、何せ50年近くも前のことなので忘れ去られているかもしれない。
 そのようなことから、記録として取りあげてみた次第。歌詞は下記のようなものだ。

松山の里 及川清三歌唱 松若寿恵由振付
秋月 信作詞 石 平二郎作曲 寺岡真一編曲 ビクター・オーケストラ

一 志田(しだ)の松山 船岡と
  結ぶえにしの 糸切れて
  いとしの夫(つま)よ 甲斐さまと
  女ごころの切なさに
  紅葉も燃える 松山の里

二 我が子慕いて 後を追い
  永遠(とわ)に眠りし 武士の母
  雪はしとしと 樅の木に
  つもる想い出 偲びつつ
  優しく降るか 松山の里

三 鳴瀬の流れ 変わらねど
  時の流れに 消えてゆく
  人の運命(さだめ)の はかなさよ
  羽黒の山の さくら花
  散りて哀し 松山の里
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 武田鉄矢が司会する「昭和は輝いていた」(BSジャパン)がある。フランク永井ファンとして観ていると、同僚だったり同時期に活躍していた方だったり、このところいろいろと関連したプログラムが組まれていて面白い。
 先に青江三奈を紹介した。5月は「ムード歌謡」をとりあげた。ムード歌謡の成り立ちについて敏いとう、田代美代子らをゲストにして紹介していた。和田弘とマヒナスターズが頂点に君臨し他のグループがけっこう肩身狭く仕事をしていたのだと。昭和歌謡でこの分野が欠かせないひとつのファン層を持つようになった。好きなグループである鶴岡正義(とロマンチカ)も出演していて「小樽のひとよ」とか「君は心の妻だから」の名作を残している。「有楽町でまた逢いましょう」などというのも出だしている。
 6月は表題の番組の説明があったので、思わず見てみしまったのだが、昭和のというより、日本のデュエット曲の始まり(?)から紹介したものだ。戦後の明るい初めての曲として良く紹介される並木路子の「リンゴの歌」が、実は霧島昇とのデュエット曲だったとして、その珍しい映像が放映された。
 カラオケでは多少オサケもはいって、のりのりでデュエットを歌うというの欠かせない。そうしたカラオケでの、デュエット人気ランキング?のようなものも紹介していた。それぞれが、歌としての人気のランキングなのか、歌いやすさのランキングなのか微妙にことなるようだが、さすがに今時だからか「東京ナイト・クラブ」はそれにはいっていなかった。カラオケブームの初期は欠かせなかったのですがね。。。
 今でも高い人気をキープしているのが石原裕次郎の「銀座の恋の物語」で銀恋=ギンコイとして親しまれている。裕次郎はフランク永井、水原弘、三船浩などと並ぶ当時の低音の魅力の歌手とも称せられたが、彼は自身が「オレは映画俳優で歌は本職ではない」といっていたように、歌唱の微妙なことにはこだわらずに、素で気ままにラフに歌っている。その自由さ、気楽さが歌唱に出ていて、大衆的に好感と近親感のベースになっている。
 この歌は裕次郎が俳優として人気絶頂期のころの1961年、日活映画「街から街へつむじ風」の挿入歌として歌われたものだ。歌の人気先行で翌1962年日活映画「銀座の恋の物語」が作られた。麻丘ルリ子、江利チエミ、ジェリー藤尾などが競演している。歌は映画のテーマにも主題歌にもなった。
 忙しい裕次郎はわずか数時間の目通しだけで、歌を吹き込んでいるバタバタ作品だ。作品を作るに当たり、当時フランク永井と松尾和子のビクターのゴールデンデュエットが歌って、絶大な人気を得ていた「東京ナイト・クラブ」が目をつけられた。
 表題の番組で音楽文化研究家長田暁二が述べているように「電話口で東京ナイトクラブを歌って、これとそっくりな歌を作ってくれ」と頼まれた。「東京ナイトクラブがなかったら銀座の恋の物語は生まれなかった」いうエピソードだ。
 作詞は大高ひさをに作曲は鏑木創に依頼。裕次郎と同じように直前にデュエットをふられたのは映画に共演していた牧村旬子。番組では曲の構想がいかに同じかを並べて説明していたほどだ。レコード会社は当時各社が映画の主題歌や挿入歌で協力提携関係でやっていたが、レコードの分野では激しい攻防防戦も展開していた。
 裕次郎をかかえるテイチクではビクターのフランク人気を裕次郎にも競合させて、あわよくばその上をと、映画の挿入歌で試みたのだ。「何せ似たものを」と今では考えられないほどの荒っぽい戦術だ。
 逆に「東京ナイト・クラブ」を作った吉田正と佐伯孝夫の慧眼に感心する。ナイトクラブという夜の大人の世界を人気のフランク永井と新人の松尾和子と組ませて、当時は思いもよらぬムードのデュエットをつくってしまったのだ。大人の男女がかけあいで歌うというデュエットの歌唱法を採用したこととか、二人の声質の良さを引き出したメロディー、そしてなんとも当時としてはきわどい?歌詞と、この歌は戦後の男女デュエットを切り開いたといってよい。
 今では考えられないことだが「好きになったの もっと抱いて」ということが、いやらしいとして、放送に抗議があり時にはこの歌を放送を自粛することまであったという。だが、カラオケ・ブームの到来とともにどこでも好んで歌われるようになる。
 ビクターとテイチクはフランク永井と石原裕次郎で持ち歌の交換というか、互いのヒット曲をカバーで歌うという企画をもって、互いがカバーするということになった。フランク永井は松尾和子と「銀座の恋の物語」を歌い、裕次郎は八代亜紀と「東京ナイト・クラブ」を歌っている。裕次郎が歌う「東京午前三時」「羽田発7時50分」、フランク永井が歌う「夜霧よ今夜も有難う」「ブランディー・グラス」など、なかなかいいと思う。
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 何故かこの季節長時間番組が多い。歌番組の長時間の特番が組まれる。フランク永井ファンとしては昭和を振り返る歌番組には、そうとう偏向していない限り出るはだ、などとやや偏向した思いで見てしまう。
 長時間にしないとある程度まとまった番組にできないのもわかる。曲の味もへったくりもないようなブチ切りはやはり耐えられない。機関銃のように数を流せばと考える番組製作者には視聴者のこと(気持ち)を考えているとは思えない。惰性で作り、年寄りに一方的に押し付けるぐらいなら、やめてほしいものだ。
 長時間なので酒と肴を横に置いて、言いたい放題をブツクサ言いながら観るしかない。昭和の時代の若かりし頃の自分の生活体験や思いを、ツラツラと連想するのを楽しむしかない。何とも不健康なのだが、今回はやや番組の変化をみた。
 ひとつは、テレビ東京の「懐かしの昭和メロディ」で「うたハチ」の宮本松丸アナの司会によるもの。昭和歌謡を総覧できるという番組で、並木路子「リンゴの歌」から始まる。これは録画保存に値するそうそうたる歌手の代表曲が映像で甦った。
 もちろん、ここにはフランク永井映像もちゃんと登場した。フランク永井が舞台を降りた1985年に放送されたときの貴重な映像だ。ここではレコード大賞を得た「君恋し」が正統な歌唱で観賞できた。
 ゲストで幾人もの現役の歌手が登場して、当時のさまざまなエピソードが語られるのだが、これも楽しみだ。特に今年は司会の宮本のリードがうまく、青木光一やペギー葉山からのトークが光った。
 青木光一の89歳というお歳もさることながらいきいきしていた。フランク永井の恩師吉田正とおなじように、彼もシベリア抑留経験者だ。その苦悩の経験を直接的な恨みつらみに表現しない。こころの奥深くかみしめそれぞれにふさわしい、すなわち歌を通じて表現し後世に伝えるという止揚の領域に達するのだ。米山正夫との出会いのエピソードがいい。
 米軍キャンプでのジャズ歌手時代をフランク永井と共にしたペギー葉山も元気だ。戦後米軍の占領下であるがゆえに、米兵のために歌ったあらゆるポピュラーソングが、みなジャズとくくられて流行していった事情、ドミノがダメよと聞こえるために苦労した発音のこととか。

 もう一つ観た番組はテレビ朝日の「昭和40年代50年代売上ランキング」。
 昭和40年代売上ベスト(5まで)は下記の通りだという。
  1 女のみち(宮史郎とピンからトリオ)
  2 黒猫のタンゴ(皆川おさむ)
  3 恋の季節(ピンキーとキラーズ)
  4 なみだの操(殿さまキングス)
  5 星影のワルツ(千昌夫)
 石原裕次郎の珍しい映像が復刻放送された。本人の「夜霧よ今夜も有難う」、デュエットで高峰三枝子「二人の世界」、竹脇無我「恋の町札幌」、麻丘ルリ子「500マイル」、石原慎太郎「夜霧のブルース」を歌う映像が目玉。
 続いて、昭和50年代売上ベスト(5まで)は、
  1 およげ!やいやきくん(子門真人)
  2 クリスマス・イブ(山下達郎)
  3 夢追い酒(渥美二郎)
  4 ダンシング・オールナイト(もんたよしのり)
  5 UFO(ピンクレディ)
 布施明の「シクラメンのかほり」。小椋圭の最高傑作の一点にののしあげた曲だ。コメンテータとして出演した徳光和夫が紹介したエピソードがいい。「オリビア・ハッセィと結婚し後に離婚するが、息子が17歳になったときに来日した。布施はどこへでも連れて行くがどこが希望だと聞くと、広島の原爆記念館へと。オリビアが日本の歴史をしっかり理解した息子にと意識して育ててくれたかを知った」と。
 オリコンの記録で百万枚を売り上げたのは、大泉逸郎「孫」、秋川雅史「千の風のなって」の2曲だそうだ。
 ...そんなこんなで、長時間観てしまったのだが、やはり昭和の時代の歌が生活に深く入り込み、こころの糧として根付いていたことを感じた。横においていた酒もずいぶんと減っている。つい飲みこしてしまったかナ...