2015年1月アーカイブ

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 「こいさんのラブ・コール」はフランク永井の代表曲のひとつで、大阪モノを切り開いた曲として知られる。フランク永井の甘くささやくように歌う声が関西モノに意外にあっていただけではない。そこには、さまざまな働きかけがうまい具合におりあって実現したと言ってよい。
 ひとつは、前後の日本の復興に全力をそそぐ人達をおおきく支えたのが、明るく夢を広げる素朴な歌だとして、NHK大阪中央放送局(JOBK)が開始し東京(JOAK)が追っかけ並走した「NHKラジオ歌謡」(1946~1272)に力をいれたが、その動きをプッシュしたばかりか先んじて大きなエネルギーをそそいだのが、大阪朝日放送の「ABCホーム・ソング」であった。1952(S27)年8月から1972(S47)年9月まで日本のABCラジオで放送された。いずれもオリジナル曲の普及を原則にした。
 宝塚歌劇団の音楽監督の須藤五郎らが中心になって「良い音楽を安く」をかかげ大阪労音を結成、積極的な例会をもった。フランク永井は常連の出演者であった。
 こうした運動を背景に「ABCホーム・ソング」で1958(S33)年4月に「こいさんのラブ・コール」をフランク永井が歌うことになった。フランク永井はすでに1956(S31)年に「公園の手品師」を同番組で大ヒットさせていたこともあり、関西での多くの人気をえていた。予想を裏切らずに、この「こいさんのラブ・コール」も親しまれ、すぐにレコードとして発売(7月)された。
 作詞は石浜恒夫、作編曲は大野正雄。ABC放送管弦楽団が演奏。レコードはラジオから流れた音源が使われた。
 「ABCホーム・ソング」では月2曲20年間の放送で440曲流された。フランク永井の「こいさんのラブ・コール」はこの番組を代表するヒット曲でもある。三浦洸一の「踊子」、加山雄三の「蒼い星くず」なども生み出している。
 フランク永井の歌った「あふれる朝の」などいくつかは音源が未発見であるが、多くは残っていて、近年ラジオで何曲か再放送されたりした。また代表曲を「ABCホームソング大全」としてCDで復刻発売れている。このCDのインナーノートに、編纂した濱田髙志氏による紹介がのっている。表題の件はまさにここで紹介されているものだ。
 後にビクター専属の作詞家になるのだが、当時はABCホーム・ソングの作曲に携わっていた大野正雄(写真左)を濱田(写真右上)がインタビューしている。ここで「こいさんのラブ・コール」を作詞した石浜恒夫との興味深いやりとりが紹介されている。
 著名な石浜もこうした歌の歌詞についてはほとんどなれていなかった様子。放送が押し迫る。歌詞が届けられる。長さが今の3倍程度に長い。そのうえ、意味が不明...。作曲の大野はとほうにくれ、石浜宅に走る。酔っていて「テキトウにやってくれ...」と。大野は必至で言葉を入れ替えたり、つないだりの大奮闘。目浮かぶような葛藤の末に、フランク永井に歌わせる。これが大ヒットになる。
 また、石浜が師として一時ともにしていた川端康成の「女であること」の流れを意識して書いたらしい「こいさん」「手乗り文鳥」...。大野はそうしたことばを大阪のことばのアクセントとしてきっちり表現した。このあたりが、独特なニュアンスを出すことに成功した。
 大野はこの歌はフランク永井が以外が歌ってもなかなか納得するに至らないのだ、というようなことを以前に聞いたことがある。また石浜はすでにお亡くなりになっているが、後年フランク永井に書けなくなったのが書く気力の減退になったというようなことも、身近の人に漏らしていたと聞く。
 石浜は「こいさん恋唄」「大阪ぐらし」「大阪ろまん」を、大野はフランク永井に多くの曲を出しているが、石浜とのコンビでは「大阪ぐらし」は欠かせない。フランク永井は石浜、大野たちが大阪モノを開発したことに感謝の思いをこめて、次のように記している(1964:MBK-3110-大阪ぐらし)。
 【むかし、まだ僕がデビュー間もないころ、ステージがはねるとよく付近をふらぶら歩いたものです。ことに心斎橋や道頓堀かいわいが好きでした。活気あふれる店先、行きかう人びと、大阪っ子独特の話しぶりに、浪速情緒のようなものを感じて興味をおぼえたものでした。
 いまは、大阪に仕事があっても町を歩くことはめったにありません。むかしのようにプライバシーが保てなくなったのも理由のひとつですが、われながら淋しいことです。
 おかげさまで「大阪ぐらし」が評判良く、仙台(宮城)生まれの僕が、大阪出身に間違われたりしましたが、これも石浜先生の作詞、大野先生の作曲の素晴らしさのゆえでしょう。お二人とも浪速に生まれ育った浪速っ子の見本のような方です。
 ですから「大阪ぐらし」はその歌自体が、もう大阪のムードを溢れるぐらい持っており、ぼくがただ普通に歌いさえせうれば「大阪のうた」になってしまうような作品です。フランク永井】
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 前後歌謡曲の大きな普及の足掛かりとなったラジオ歌謡、そしてその前段のSP時代と広く研究をすすめておられるIHさん。落語や歌謡曲など日本の演芸関係の著書を多数出されている保田武宏さん。武田さんは読売新聞の記者をされ日本文化全般についての生き字引のような方で、フランク永井との親交も篤かった方。歌謡曲関係の著書では「銀座はやり歌」がある。
 東京神田神保町の古書センターの一角にある「らくごカフェ」で第5回の「昭和歌広場」が開かれた。「昭和歌広場」SPレコードとトークでつづる歌謡史~藤山一郎青春の歌戦前編というテーマで、IHさんの案内で楽しむ機会があった。保田さんが解説をされるというのでたいへん楽しみだった。
 この会は何年か前から始まり、小さな会場であるが、そのぶん熱心な愛好家だけが寄るために、専門家的な説明や話でも会場を巻き込んで盛り上がるような感じであった。
 この催しの特徴はSPレコードを演奏し、そのレコードが出た時期の世相や、歌手や作曲家や作詞家やレコード会社のやりとりなどについての裏話というか動向をリアルに説明がはいるという、きわめて薀蓄力が活かされるという点。流行歌と落語は、フランク永井の例にあるように、大衆文芸としてはたいへん近い関係にあるように、噺家と流行歌や当時の楽曲との関係もそうとうな密接感がある。その分野の一員でもあり、こうした催しの司会としても活躍されている若い林田雄一が保田さんと競うようにトーク・バトルをくりひろげられる。それが、会場を笑いや拍手のうずに巻き込む。
 会場でのSPレコードの再生は、いわゆる蓄音機再生ではなく、SP最後の時期の最高の機材を使って行われる。それだけに、再生音量も大会場での楽しめるレベルのものがそのまま使われているという贅沢なものだ。
 最後には加藤浩さんと林田の即興イントロ紹介漫才が繰り広げられる。口三味線で加藤が演奏を始めるとそれを聴いて林田が曲名を答え、されにイントロ中に曲の紹介を話し、数小節を歌うという、何とも難しい芸をみごとにやっていくというもの。発売の年、作詞、作曲、エピソードまでしっかり覚えていなければ、無数に存在する歌についてこのような芸はできない。感心しきりといったところだ。
 さて、当日の出し物として藤山一郎の昭和6(1931)年から昭和16(1941)年までの18曲が紹介された。保田・林田が所有する盤のなかならお二人でセレクトしたとのことだが、戦前編を18曲にしぼるのは無理があるということで、急きょ戦前編を上下二回に分ける編成にしたとのことであった。

 1.キャンプ小唄(S6)島田芳文、古賀政男
 2.酒は涙か溜息か(S6)高橋掬太郎、古賀政男
 3.丘を越えて(S6)島田芳文、古賀政男
 4.スキーの歌(S7)島田芳文、古賀政男
 5.僕の青春(S8)佐伯孝夫、佐々木俊一
 6.燃える御神火(S8)西条八十、中山晋平
 7.僕の銀座(S8)佐伯孝夫、加藤しのぶ(歌唱四家文子と)
 8.千鳥格子(恋の湯の町)(S8)永田幹彦、松平信博
 9.チェリオ!(S9)佐伯孝夫、橋本国彦(歌唱小林千代子と)
10.東京ラプソティ(S11)門田ゆたか、古賀政男、仁木他喜雄
11.青い背広で(S12)佐藤惣之助、古賀政男
12.歓喜の丘(S13)島田芳文、古賀政男
13.上海夜曲(S14)野村俊夫、仁木他喜雄
14.懐かしのボレロ(S14)藤浦洸、服部良一
15.なつかしの歌声(S15)西条八十、古賀政男(歌唱二葉あき子と)
16.燃ゆる大空(S15)佐藤惣之助、山田耕筰(歌唱霧島昇と)
17.ビヤ樽ポルカ(S15)藤浦洸、仁木他喜雄編曲
18.崑崙超えて(S16)大木惇夫、古賀政男

 藤山一郎がビクター時代のときには佐伯孝夫が早や昭和8(1933)年の時点で歌詞を提供している。また、先日機会があってフランク永井のごく近くにおられた方から「僕の銀座」という味わいのあるオリジナル曲を聴かせていただいたが、これと同題名の曲が聴けたのも何かの縁と嬉しかった。
 SP時代が全盛を迎え終えていく時期に活躍した人のひとりであるフランク永井についても、これからの企画でぜひとりあげてほしいと思う。
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 前回にフランク永井の「ザ・カバーズ」の楽曲がハイレゾ音源として、リストに加わったということを書いた。「ハイレゾ音源って何よ」という声があったので、今回はちょっと横道にそれてそれに触れてみたい。
 あくまでも筆者の個人的なメモの類なので、面倒だと感じたら飛ばしてほしい。

 ハイレゾというのは、高解像度ということで、これまでデジタル音源の主流であったCD音源にたいして、それよりも優れた高音質な音源という意味をもっている。
 音楽メディアとしてのCDは規格が統一されていて、当然だが全世界共通のプレイヤーで再生できる。この規格とは大雑把にいえば、74分までの演奏を収められる。ベートーベンの交響曲第九番が1枚のCDに記録できるということで決まったと言われる。
 CDからコンピュータが読みとって音として再現したときに、その音質が人の耳の聞き取り可能な範囲をカバーし、損なわない範囲であるという条件を踏まえていなければならない。それが、①サンプリング周波数44.1kHz、②ビットレート1411.2jbps、③ビット深度16bit、④2チャンネルステレオ、という4条件にあたる。
 このCDの規格は社会的に容認されてきたもので、特殊な用途を除いては充分なものとして1980年代から今日まで認められてきた。

 ところが、CD以前のレコードなどのように「音楽は本来アナログでそれを強引にデジタル化することで情報が切り捨てられている」とか、「人間の耳は優秀で上記4つの規格で決めた以上の音域を聴き分けられる」ということを主張する声があった。
 アナログでの音の再生にこだわる人や、CD規格を超えた周波数帯まで再生する方式を研究したりする人たちが表にでてきた。
 そうしたニーズに対する音源の提供と再生の機器を提供する世界が広まって来た。CDの販売の落ち込みを懸念していた音楽業界が、この動きを新たな展開の好機ととらえた。それが現在の「ハイレゾ」の盛り上げだ。

 だが、現在ハイレゾは、ある形や仕様が統一されているわけではないので、それを試してみたり、楽しむというのはちょっと面倒である。
 そのあたりを、(1)【入口】音源、(2)【処理】処理機器、(3)【出口】再生機器という方面から見直してみる。

 (1)【入口】ハイレゾ音源は基本的に音源配信サイトからダウンロード購入する。あらかじめハイレゾ音源を用意する場合は、その処理は(2)処理機器でハイレゾ音源を入力音として直接扱える必要がある。
ハイレゾ音源であるが、実はハイレゾを楽しむのに、ハイレゾ音源を用意することが絶対的なことではない。
 ハイレゾ音源ではない、つまりレコードなどのプレーヤー(ターンテーブル)からアナログ音源として入力したものを(2)処理機器がハイレゾ化するということがある。つまり処理機器でハイレゾ音源化するという利用方法がある。
 さらに、CD音を処理機器でハイレゾ音源化するというのまである。CD音質で捨てられたはずの情報をコンピュータ解析によってシュミレートして補完してハイレゾ音源化するのだ。
 音域は基本的に「サンプリング周波数」と「ビットレート」で決まるが、ハイレゾではCDのように一律に決めていない。処理するソフトあるいは機器の機能で選ぶようになっている。自分がソフトで決めて作成して楽しむという楽しみ方がある。ただし、このようにして作成したハイレゾ音源ファイルは、当然だがそのサイズがびっくりするような大きさになることがある。

 (2)【処理】処理機器は上記のように入力された音源を、ハイレゾならそのまま、アナログならハイレゾによるサンプリング、CD音質なら計算によるハイレゾ化をする。これはPCのソフトウエア的なものとしてもあるし、USBに外付けする機器としてもある。
 ポータブルタイプもあり携帯やポータブル・プレイヤーにつなぎ、(3)のハイレゾ対応ヘッドホン(またはイヤホン)との組み合わせで利用できるのもある。
 PCを利用するのが多いのだが、PCは電磁的にはノイズの巣窟のようなもので、せっかくのハイレゾ音源も処理し出力するのも、自身のノイズが大きな障害になっている。その対策としてノイズが入り込みルートを大幅にショートカットする機能を持つ機器かを見極めることも大事になる。

 (3)【出口】再生機器は、(2)からハイレゾ化されたストリームを受け取り、人の耳に伝える機器だ。ハイレゾ対応のアンプ+スピーカー、あるいはハイレゾ対応のヘッドホンやイヤホンがこれにあたる。
 ハイレゾ音源をダウンロードで購入して、それをポータブルな小さなプレーヤーに転送し、デジタル・ウォークマンのような形で用意されている機器もある。
 (2)処理を(3)と一体化させた機器もある。つまり、ヘッドホンだけ、イヤホンだけでハイレゾを楽しめるというものまである。
 CDの音域が再生機器の上限としている機器では、例えハイレゾ音源を使用しても、ハイレゾ処理装置を通しても、ハイレゾを体験はできない。

 ハイレゾ音源はフランク永井の場合一曲540円で、CD音質よりやや高めになる。処理機器はフリーのソフトもあるが、機器としては5000円程度から数十万円のものまである。
 再生機器は、ウォークマンタイプはいろいろあろうが2万円程度からある。ヘッドホンやイヤホンも2万円からといってよい。アンプ+スピーカーのコンポタイプのものでも、4万円程度からあり、先日新聞をにぎわしたパナソニックは2百万だったか。

 で、今まで高音質の標準として君臨していたCD音質を、さも基本的に「足らない、欠けている」かのような曲にあるハイレゾは、基本的な矛盾ではないのか、電気量販店で巨大なスペースを割いて宣伝するようなテーマは過去の自己否定ではないのか、ちょっと行きすぎているのではないのか、と思ってしまうのだが。。。
 筆者はこうした研究は嫌いではないので、(2)の機器や(3)の機器も利用している。DACもヘッドホンもイヤホンも。だが、CDを自分の気に入った非ハイレゾの出力機器で聴いて楽しむのと、ハイレゾ機器で楽しむのとの差をみたときに、やや疑問を感じざるを得ない。それはハイレゾを一般のユーザーのものにするという点であって、ハイレゾそのものは決して否定するものではない。手軽に楽しもうとするにはまだハードルが高いし、高価だし、その音質を体感に満足するのは個人差が大きすぎるようで、筆者として現時点で強くお勧めはできない。
 単純に音を楽しみ方の多様性として広まってほしい。音楽を楽しむ高級嗜好あるいは趣味としてハイレゾを利用するというのが感想である。

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 謹賀新年 フランク永井あれこれ~文四郎日記、今年もよろしくお願いします

 フランク永井とハイレゾ音源について触れてみたい。ハイレゾ音源については、暮れに一般新聞でも紙面をおおきくさいて記されていたのだが、いっぱんにこのテーマはどれほど理解が広まっているのだろうか。Webのサイトを開いたときに掲載される広告にも頻繁に見られるようになったし、電化店のオーディオ・コーナーに寄ると、大変おおきなエリアを占めてハイレゾ関連機器の展示をしている。高価な商品ばかりだ。
 昨年10月にフランク永井の「ザ・カバーズ」がCD4枚発売された。それから間もない12月には、この楽曲がビクター・スタジオHD-Musicからハイレゾ音源として追加されて発売されている。
 フランク永井の曲のハイレゾは、実はハイレゾの研究者が相当以前から取り扱いをしている。著者が耳にしたのは覚えていないぐらい前で、ハイレゾの商品が発売される以前である。1981年に発売されたLP「オール・オブ・ミー~フランク永井スタンダードを歌う」(SJX-30051)である。
 これは本格的なジャズ・スタンダードのカバー・アルバムで、その世界の第一人者であるジョージ川口や鈴木章治、前田憲男ら多数が臨時のユニットを作って総力の完成をみたものだ。それだけに、音については当時の技術者もの含めて妥協のない作品になったものと思える。
 フランク永井のハイレゾ音源がHD-Musicルートで正式に発売されたのはまだ最近ではあるが、当然この「オール・オブ・ミー」は最初のリリースに含まれて発売されている。その後イタリアのスタジオで収録された「君恋し」のニ二・ロッソとの共演盤(1973:SJX-133)が追加され、それに、今回「ザ・カバーズ」が加わったことになる。
 フランク永井とハイレゾ音源との関係はこのように大変に深いわけではあるのだが、採用されている曲目の多くがカバー系というのは、何かの皮肉だろうか。
 さて、このハイレゾについてだが、昨年とか今年とかがハイレゾ元年にでもしようとガンガン市場を広げようとしてる、音楽業界の熱が感じられる。しかし何か消費者というかユーザーのニーズとの隔離を感じるのだが、それは筆者だけのものだろうか。もちろん先々は音楽の楽しみ方の多様化からハイレゾが伸びその地位を確実なものにしていくのは流れである。
 音楽業界をハイレゾに駆り立てる背景には、現在までのCDを中心とした販売が下降線にあり、ダウンロードやほかの方法を通じたものでの埋め合わせを含めても、未来を見通せる「伸び」への期待が持てなくなっている点だ。業界のことを端からながめているだけで内部を知らないものが、無責任で触れるなら、一つは音楽が生活に占めるものが多様化の要素に埋もれてしまっている点があげられる。
 また音楽そのものが純粋さを失いつつあるのではないかという危惧もある。メディアがビジュアル中心になり、奇抜さとか、過激な振りとか、さらには視聴者を単に演者の振る舞いの一道具にしてしまうような錯誤がるように見受けられる。特に後者の例振らせたりしている。演者のパフォーマンスの部品にされている例だ。このように、静かに楽しもうと思うなら来るな、来たら演出者のいうことに従え、という倒錯した姿勢が音楽をダメにしていないかということである。
 そうしてしぼむ音楽を、今度は間違いなく高価な器具を売ってカバーしようというように見えるのが現在のハイレゾ・ブームの演出ではないのだろうか。
 もちろん、ハイレゾ音源の楽しみ自身はすばらしいことなので、もっと安価に気楽に楽しめるようにどんどん研究も努力もすすめてほしいと希望している。

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