フランク永井の「おきなわ」と「琉球列島米国軍政府」占領下時代のレコード

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 先日にヤフオク、Yahooオークションで珍しいレコードを2点出されているのをみた。中央左の写真で画面コピーを利用した。フランク永井の「逢いに来たのに」と灰田勝彦の「新雪」、鶴田浩二の「赤と黒のブルース」とフランク永井の「愛しているさ」という、当時人気曲のカップリング。「新雪」は1968年にフランク永井もTVドラマでリメークされた「新雪」の主題歌としてカバーしている。
 この画像では光源の映り込みでレコードの盤IDなどは良くわからないのだが、VS-90xxというシリーズの沖縄への輸出専用盤(筆者が勝手に呼んでいる)である。この2枚以外は、日本に逆輸入されたものがいくつか知られている。左の4枚など。
 曲はヒット曲なのでたいていは知られているものなので特に珍しいことはないのだが、沖縄輸出専用というところがカンジンなところだ。1945年に第二次世界大戦が終了し、連合軍に対して枢軸国の一員と呼ばれた日本などは敗戦。最後の地上戦を余儀なくされた沖縄は連合軍の制圧下、日本の行政権を停止させ「琉球列島米国軍政府」を宣言し、以後いわゆる米軍占領時代となった。沖縄は日本本土からみて「外国」となり、渡航も難儀な扱いとなった。現在の沖縄駐留米軍と基地は当時の継続で、1972(S47)年にいわゆる「沖縄帰還」が実現するのだが、このときの日本政府との密約で米軍への基地の提供が継続するばかりか「おもいやり予算」で、カネによる支援も約束されたといわれる。
 まさに戦争の禍根であり、いまも日本の政治をゆるがす大きなテーマとなっている。
 さて、沖縄占領下といわれても住む住民は日本人で、本土の流行歌を求めた。これに応える形で対応したの形のひとつが輸出専用盤の作成である。先にあげた盤は判明しているものだが、全容はわからない。1968年当時だ。レコード各社が取り組んだことと思われる。フランク永井の曲は「逢いたくて」「ふるさとの道」「林檎ッコ」と、都会に集団就職などで出てきた人が故郷を思い起こすのと、本土と沖縄の不自然な関係をかぶせたような曲が採用されている。
 左の写真以外に、手元にVS-9011-逢いに来たのに(フランク永井)/ハワイの夜(鶴田浩二)、VS-9017-好きだった(鶴田浩二)/長崎物語(由利あけみ)、PRA-10069-お別れしましょう(フランク永井)/想い出にしないで(鶴田浩二)がある。三枚目は宣伝用で沖縄専用かどうかはわからない。
 フランク永井は、この輸出盤のまえの1965(S40)年に、ずばり「おきなわ」(SV-307)をリリース(写真右)している。作詞作曲が川内康範、山下毅雄という二人の奇才だ。ちなみにB面松島アキラの「若い兵士の死」(5番までの長編、およそ5分)の作詞は比良九郎。当時ベトナム戦争のさなかで多くの反戦歌を書いた。山下毅雄はここNHK-BSでリメーク復刻された大岡さばきを描いた「大岡越前」などで今も人気だ。
 川内康範の詞は珍しい長編で7番まである(およそ4分)。「空は昨日を語らない、海も昨日を語らない...」ではじまり、
 七、時の流れのその外で うずく戦の傷あとを
   じっと耐えてるおきなわの 同胞(とも)の涙よいつかわく
という、意味深なことばで終わるものだ。フランク永井はろうろうと歌い、さまざまな想いを想起させている。この珍しいレコードはMEG-CDから復刻発売(MSCL-11954)されている。

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コメント(1)

文四郎様

新年明けましておめでとうございます。
今年も納得できる文四郎さんの記事を楽しみしています。
是非、フランクさんの「おきなわ」を取り寄せて聴いてみたいと思います。
戦後70年を迎える2015年は、私たち一人一人日本国民にとって重要な年になりそうですね。
日本人の歴史をきちんと見据えて、いつも平和な国であり続ける為の努力をしなければと強く思っています。
フランクさんの故郷・松山では第7回「フランク永井歌コンクール」へ向けての気持ちが高まりつつあります。
第7回「フランク永井歌コンクール」は、2015年10月第3日曜日開催(10月18日)と決まりましたので宜しくお願い致します。

自在窯&ギャラリー 小野寺京子

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