フランク永井~思い出を語る会を高田文夫が紹介

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 いつも通う床屋でそのつど街で起こっていることや、その時の世情が話題になる。なかな楽しいひとときである。その中でフランク永井の話題がでて、高田文夫が1か月ほど前の「週刊ポスト」に何やら書かれていたよと。このようなニュースが語られることに驚き、聴けばもうそのときの雑誌はすでに廃棄されたという。
 ぜひとも見て観なきゃと思って、ヤフオクやAmazonをみて手に入れた。
 フランク永井の命日は10月27日で、ことしは7回忌であった。1985年に突然に舞台を去ってからすでに30年になる。デビューしたのが1955年なので、そこからだとすでに60年経つことになる。リハビリを続けていたときに看病の疲れから夫人も倒れたりしてその後、親族である実姉がフランク永井が亡くなるまで長期の看護をされてきた。
 当時歌謡界の重鎮であったフランク永井の突然の行為はあれこれと世間が騒ぎたてた。有名なスターであるかぎり当然やむをえないこともあったかもしれないが、ハイエナのようなパパラッチの連中の行動は軌を逸していた。あまりにもひどい取材行為に、フランク永井の身内はもとより所属するビクターも無言で対応した。そのなかで常習詐欺師らがいらぬことをさまざま作り上げて粉飾し、最後は自滅していったのだった。
 フランク永井を表で交流宣伝してくださっていた方もそれを話題にするのはタブーであった。
 フランク永井の周囲にもいやな印象を残し、騒ぎ自滅したパパラッチもこのテーマを以後封印した。世間もその後急激な政治と経済の不振に陥り、暗いイメージをひきづったままフランク永井の話題はマスコミは封印に踏み切ったのだった。
 いうまで無いことだが、フランク永井のファンはこのような成り行きをきわめて残念に想いながらも、そのファンを止めたわけではない。むしろ再起のチャンスを望んでさえいた。そうしたなかで、世間がせちがなくなり、だんだんと格差なるものも激しくなり、若者の夢と希望があらぬ方向に向かうようなことが多くなった。昭和歌謡が脚光を浴びるようになった。それは庶民がささやかに夢を育てていた昭和の時代、その生活に密着していたのが当時流れていた流行歌だったからだ。
 もちろん、それがすべてなどではない。だが庶民をいやし、勇気づける重要な要素であったのだ。その昭和歌謡をかたるときにどうしてもフランク永井らの活躍を避けては通れない。こうして20年を超すフランク永井封印が解かれていく時期が到来した。当時フランク永井と時代を共にした人々の年代は過ぎ、その後のフランク永井を知らない若い層が社会の中心になっている。時すでに遅しともいえたが、新たな時代、フランク永井をマスコミに出さない?理由が理解できない。そんなのを超す話題が捨てるほどあるんだよ、今は、と。
 2007年、NHK-BSで「昭和歌謡黄金時代~フランク永井と松尾和子」が放映された。この放送はフランク永井封印が解かれた象徴であった。全国のフランク永井ファンは大喜びした。さらに、2009年にフランク永井の全活動をそつなくまとめた「歌伝説~フランク永井の世界」がNHK-BSで放送された。これは質の高い内容といいフランク永井の歌のうまさ、昭和歌謡での位置づけをあらためて世間に問うたものであった。この作品は視聴者からの反応も良く、その後毎年のように再放送されている。
 さまざまな昭和歌謡の番組でも当時のフランク永井の映像が流されるようになった。
 さて、フランク永井の歌の魅力にいちど取りつかれたひとはそこから離れることはできない。1975年、デビュー20周年を記念してビクターが発売したLP10枚全集がある。そのなかでLPまるごと1枚(No10:ああ言うと交友録)を使って、そうしたファンたちが語っている。恩師吉田正をはじめ盟友松尾和子、噺家界柳家小三治、入船亭扇橋、江田滋、安藤鶴夫、そこにくりいるジャズ界の北村英治、リズム・キングの方々。そして丹下キヨ子。
 あとラジオで、テレビで、雑誌でフランク永井の人柄や歌の魅力を言葉で語り残してきた高田文夫や松村友視らがいる。そして廃盤CDを復刻しすでに150を超すタイトルを実現しているMEG-CD(ミュージック・グリッド)もいる。フランク永井を企画し、演出した製作者の方々。実際に演奏で全国を30年近く同行した方々と多くの関係者が、今も当時と同じ思い出を抱いている。生誕地の宮城県大崎市松山ではフランク永井の名を冠した歌コンクールを毎年続けている。
 フランク永井のご親族を代表している実姉が事務所のビクターと、つまり身内でフランク永井の7回忌というおおきな区切りの時期に催したのが、思い出を語る会である。当然この催しの主な目的が、身近でフランク永井を支え育て活動してきた方々だけの顔合わせ、思い出を語るということである。そして、フランク永井のごめい福を祈るというものである。
 この催しが懐かしい思いで、エピソードで盛り上がり、フランク永井の偉大な軌跡が共有されたものと察する。大いなる満足を主催者と参加者に与えた。フランク永井もにっこり微笑み返していたに違いない。

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