2014年12月アーカイブ

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 先日にヤフオク、Yahooオークションで珍しいレコードを2点出されているのをみた。中央左の写真で画面コピーを利用した。フランク永井の「逢いに来たのに」と灰田勝彦の「新雪」、鶴田浩二の「赤と黒のブルース」とフランク永井の「愛しているさ」という、当時人気曲のカップリング。「新雪」は1968年にフランク永井もTVドラマでリメークされた「新雪」の主題歌としてカバーしている。
 この画像では光源の映り込みでレコードの盤IDなどは良くわからないのだが、VS-90xxというシリーズの沖縄への輸出専用盤(筆者が勝手に呼んでいる)である。この2枚以外は、日本に逆輸入されたものがいくつか知られている。左の4枚など。
 曲はヒット曲なのでたいていは知られているものなので特に珍しいことはないのだが、沖縄輸出専用というところがカンジンなところだ。1945年に第二次世界大戦が終了し、連合軍に対して枢軸国の一員と呼ばれた日本などは敗戦。最後の地上戦を余儀なくされた沖縄は連合軍の制圧下、日本の行政権を停止させ「琉球列島米国軍政府」を宣言し、以後いわゆる米軍占領時代となった。沖縄は日本本土からみて「外国」となり、渡航も難儀な扱いとなった。現在の沖縄駐留米軍と基地は当時の継続で、1972(S47)年にいわゆる「沖縄帰還」が実現するのだが、このときの日本政府との密約で米軍への基地の提供が継続するばかりか「おもいやり予算」で、カネによる支援も約束されたといわれる。
 まさに戦争の禍根であり、いまも日本の政治をゆるがす大きなテーマとなっている。
 さて、沖縄占領下といわれても住む住民は日本人で、本土の流行歌を求めた。これに応える形で対応したの形のひとつが輸出専用盤の作成である。先にあげた盤は判明しているものだが、全容はわからない。1968年当時だ。レコード各社が取り組んだことと思われる。フランク永井の曲は「逢いたくて」「ふるさとの道」「林檎ッコ」と、都会に集団就職などで出てきた人が故郷を思い起こすのと、本土と沖縄の不自然な関係をかぶせたような曲が採用されている。
 左の写真以外に、手元にVS-9011-逢いに来たのに(フランク永井)/ハワイの夜(鶴田浩二)、VS-9017-好きだった(鶴田浩二)/長崎物語(由利あけみ)、PRA-10069-お別れしましょう(フランク永井)/想い出にしないで(鶴田浩二)がある。三枚目は宣伝用で沖縄専用かどうかはわからない。
 フランク永井は、この輸出盤のまえの1965(S40)年に、ずばり「おきなわ」(SV-307)をリリース(写真右)している。作詞作曲が川内康範、山下毅雄という二人の奇才だ。ちなみにB面松島アキラの「若い兵士の死」(5番までの長編、およそ5分)の作詞は比良九郎。当時ベトナム戦争のさなかで多くの反戦歌を書いた。山下毅雄はここNHK-BSでリメーク復刻された大岡さばきを描いた「大岡越前」などで今も人気だ。
 川内康範の詞は珍しい長編で7番まである(およそ4分)。「空は昨日を語らない、海も昨日を語らない...」ではじまり、
 七、時の流れのその外で うずく戦の傷あとを
   じっと耐えてるおきなわの 同胞(とも)の涙よいつかわく
という、意味深なことばで終わるものだ。フランク永井はろうろうと歌い、さまざまな想いを想起させている。この珍しいレコードはMEG-CDから復刻発売(MSCL-11954)されている。

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 いつも通う床屋でそのつど街で起こっていることや、その時の世情が話題になる。なかな楽しいひとときである。その中でフランク永井の話題がでて、高田文夫が1か月ほど前の「週刊ポスト」に何やら書かれていたよと。このようなニュースが語られることに驚き、聴けばもうそのときの雑誌はすでに廃棄されたという。
 ぜひとも見て観なきゃと思って、ヤフオクやAmazonをみて手に入れた。
 フランク永井の命日は10月27日で、ことしは7回忌であった。1985年に突然に舞台を去ってからすでに30年になる。デビューしたのが1955年なので、そこからだとすでに60年経つことになる。リハビリを続けていたときに看病の疲れから夫人も倒れたりしてその後、親族である実姉がフランク永井が亡くなるまで長期の看護をされてきた。
 当時歌謡界の重鎮であったフランク永井の突然の行為はあれこれと世間が騒ぎたてた。有名なスターであるかぎり当然やむをえないこともあったかもしれないが、ハイエナのようなパパラッチの連中の行動は軌を逸していた。あまりにもひどい取材行為に、フランク永井の身内はもとより所属するビクターも無言で対応した。そのなかで常習詐欺師らがいらぬことをさまざま作り上げて粉飾し、最後は自滅していったのだった。
 フランク永井を表で交流宣伝してくださっていた方もそれを話題にするのはタブーであった。
 フランク永井の周囲にもいやな印象を残し、騒ぎ自滅したパパラッチもこのテーマを以後封印した。世間もその後急激な政治と経済の不振に陥り、暗いイメージをひきづったままフランク永井の話題はマスコミは封印に踏み切ったのだった。
 いうまで無いことだが、フランク永井のファンはこのような成り行きをきわめて残念に想いながらも、そのファンを止めたわけではない。むしろ再起のチャンスを望んでさえいた。そうしたなかで、世間がせちがなくなり、だんだんと格差なるものも激しくなり、若者の夢と希望があらぬ方向に向かうようなことが多くなった。昭和歌謡が脚光を浴びるようになった。それは庶民がささやかに夢を育てていた昭和の時代、その生活に密着していたのが当時流れていた流行歌だったからだ。
 もちろん、それがすべてなどではない。だが庶民をいやし、勇気づける重要な要素であったのだ。その昭和歌謡をかたるときにどうしてもフランク永井らの活躍を避けては通れない。こうして20年を超すフランク永井封印が解かれていく時期が到来した。当時フランク永井と時代を共にした人々の年代は過ぎ、その後のフランク永井を知らない若い層が社会の中心になっている。時すでに遅しともいえたが、新たな時代、フランク永井をマスコミに出さない?理由が理解できない。そんなのを超す話題が捨てるほどあるんだよ、今は、と。
 2007年、NHK-BSで「昭和歌謡黄金時代~フランク永井と松尾和子」が放映された。この放送はフランク永井封印が解かれた象徴であった。全国のフランク永井ファンは大喜びした。さらに、2009年にフランク永井の全活動をそつなくまとめた「歌伝説~フランク永井の世界」がNHK-BSで放送された。これは質の高い内容といいフランク永井の歌のうまさ、昭和歌謡での位置づけをあらためて世間に問うたものであった。この作品は視聴者からの反応も良く、その後毎年のように再放送されている。
 さまざまな昭和歌謡の番組でも当時のフランク永井の映像が流されるようになった。
 さて、フランク永井の歌の魅力にいちど取りつかれたひとはそこから離れることはできない。1975年、デビュー20周年を記念してビクターが発売したLP10枚全集がある。そのなかでLPまるごと1枚(No10:ああ言うと交友録)を使って、そうしたファンたちが語っている。恩師吉田正をはじめ盟友松尾和子、噺家界柳家小三治、入船亭扇橋、江田滋、安藤鶴夫、そこにくりいるジャズ界の北村英治、リズム・キングの方々。そして丹下キヨ子。
 あとラジオで、テレビで、雑誌でフランク永井の人柄や歌の魅力を言葉で語り残してきた高田文夫や松村友視らがいる。そして廃盤CDを復刻しすでに150を超すタイトルを実現しているMEG-CD(ミュージック・グリッド)もいる。フランク永井を企画し、演出した製作者の方々。実際に演奏で全国を30年近く同行した方々と多くの関係者が、今も当時と同じ思い出を抱いている。生誕地の宮城県大崎市松山ではフランク永井の名を冠した歌コンクールを毎年続けている。
 フランク永井のご親族を代表している実姉が事務所のビクターと、つまり身内でフランク永井の7回忌というおおきな区切りの時期に催したのが、思い出を語る会である。当然この催しの主な目的が、身近でフランク永井を支え育て活動してきた方々だけの顔合わせ、思い出を語るということである。そして、フランク永井のごめい福を祈るというものである。
 この催しが懐かしい思いで、エピソードで盛り上がり、フランク永井の偉大な軌跡が共有されたものと察する。大いなる満足を主催者と参加者に与えた。フランク永井もにっこり微笑み返していたに違いない。
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 今年も12月を迎える。毎年この季節になると夜の街はクリスマス一色になる。ノーベル賞で話題になった「青色発光LED」による色鮮やかなイルミネーションで溢れる。イルミネーションは使用するライトの数が見る人に華やかさ、豪華さや、すごさを印象付ける。地の公園でさまざまなイルミネーションを主にした催しが開かれる。これが大量の電気を消費していたのだが、LEDに代わることで電力は減った。しかしではその分数をふやそうということか、驚くような数百万個を超すというようなところもでてくるようになった。おそらく全体として節電にはなっていなだろうが、この発光が夜の蛾を呼び寄せるように、人が集まる。この冬も大盛況のようだ。
 かく言う筆者も惹きつけられて、近郊だけでなく、いくつか遠い箇所を訪れたりもした。ともかく寒いのだが、どこも特徴ある工夫がなされていて素朴に楽しめる。
 さて、フランク永井とクリスマスのことだが、フランク永井は1959(S34)年に「EV-123:フランクのクリスマス」という盤をだしている。
 ①ブルー・クリスマス ②ジングル・ベル ③きよしこの夜 ④サンタクロースがやってくる
 この4曲をおさめたコンパクト・ダブル(EPサイズの4曲入り)である。
 これはフランク永井関係で豊富な情報をもつかたがYoutubeにアップしているので、そのいくつかはそれで聴くことができる。曲は古くからもっとも広く世界で歌われているものだけなので、聴き比べてみるのもいい。
 実はこの盤は筆者がデータ・ブック「フランク永井・魅惑の低音のすべて」をつくる準備をしているときに、大いに悩まされてのだ。フランク永井のディスコグラフィについては、現時点ではこのデータ・ブックが基本的にほぼ完全版であるのだが、調査をはじめた十五年程度前は全容を記したものが存在しなかったと言ってよい。
 フランク永井の出したシングル・LPについては「代表的なもの(すべてではない)」というものが、全集的なLPのインナー・ノートにあるだけだった。CD盤が出されたときにもあったのだが、過去の記述と同じでない。増えたり減ったりしている。また活動の節目ごとに何度か行われた「リサイタル」のパンフにもあるのだが、それもやや異なる。そうしたデータを全部あつめて細かいことを判断しながら整理していったのだが、テーマの「フランクのクリスマス」については、盤IDが「EV-2013」と記されていた。
 盤自体については筆者は記憶がない。知人に聴いてもほとんどの人は知らない。そうしたなかで、同タイトルの盤が見つかった。だが、そこに記されている盤IDは「EV-123」とあり、ビクターの記したものと異なる。さあ、もう一つ正規なものが存在するのか、それとも誤記なのか。だれにどう聞いても答えがない。
 CWの盤はその後もいくつか見かけるようになったのだが、EV-2013は確認できない。そこで出版時に判断したことは「EV-2013」は誤記であろうということ。今もそう思う。そのような思いを残した「フランクのクリスマス」である。
 クリスマスの歌といえば、デビュー直後に、当時人気のポピュラー歌手として活躍し始めていた、いまも現役の雪村いづみのSP「1955:A-5205-ジングルベル・マンボ」のB面で「グッド・ナイト・スィート・ハート」を出した。これも当時は有名な映画や舞台の歌のひとつで、クリスマス関係の歌ともいわれる。
 フランクのといえば当時世界的に広く人気を博したフランク・シナトラもそれこそ数多くのクリスマス曲を歌っている。

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