2014年9月アーカイブ

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 「16トン」はフランク永井のデビュー時に4曲だした洋曲の4曲目のマール・トラビス(Merle Travis)が作った名曲Sixteen Tonsのカバー(1956:A-5212)。元歌はトラビス自身も歌っているのだが、やはりテネシー・エイミー・フォード(Tenessee Ernie Ford)が歌ったものがぬきんでいてリズム感や微妙な低音がよくマッチしている。
 その後、ザ・プラターズ(The Platters)のナンバーにも加えられていい味をだしている。さらに西部劇のテーマをよく歌っていた印象が強いフランキー・レイン(Frankie Laine)あたりが記憶に残る。思い起こして、インターネット上のをいくつか聴いてみたら(*)、有名どころでステービー・ワンダー(Stevie Wonder)が歌っている。さらに私のしらない多くの歌手がさまざまなアレンジでそれぞれの「シックテン・トンズ」を歌っている。
 この異色の労働歌は当時ロシア圏でも人気で、赤軍合唱団も挑戦している。巨大な楽団と定評のある野太い低音はこれはこれでいい噴気がある。赤軍合唱団など当時はいくつかの合唱集団があって、ロシア民謡など多くの世界的に人気の曲を厳格に歌っていたものだが、この「16トン」は皆が気楽にリラックスしてのってスイングしていておもしろい。
 元祖のようなテネシー・エイミー・フォードのゴーゴーバージョンというのもそうだが、アレンジも踊りののりも明るく、軽くて気に入っている。メキシコのアルバート・バズキーズのは標準的な歌唱でこれはこれでいいのだが、美女がつぎつぎと登場して踊る。労働歌をどう解釈すればそういう展開になるのか、などと考えちゃいけないのだこの歌のいいところなのだろう。プラターズのはライブ盤もあってこちらの方が自由度がたかくていい。
 フランク永井の場合も、フランクス・ナインの演奏で各地での公演で多く歌われた。やはりノリのいい歌なのだ。レコーディングされたときのものは、井田誠一の訳詞による日本語歌詞がおりこまれたもので、これはこれで当時としてはいいほうである。というのは、このジャズ系のポピュラー・ソングはラジオで元歌が流されており、レコードも輸入されていた。そうしたなかで、外国語を庶民がみな理解してたわけではなく、少しでもそれに解釈の糸口をあたえようと、苦肉の策で日本語歌詞によるジャズが歌われた。フランク永井に限らず、どのレコード会社からでる曲でも日本語歌詞がつかわれた。
 英語+日本語の時期があり、その後有名な超訳による日本語だけのポピュラーが登場する。江利チエミの「テネシーワルツ」などはよくヒットしたのだが、英語+日本語全般が爆発したとはいえなかった。そこで登場した漣健児はこの情勢を「超訳」で切り開いたもので、彼が発明したようなものだ。
 飯田久彦「ルイジアナ・ママ」は代表曲といってよく「...ビックリ仰天有頂天、コロリといかれたよ...」という訳詞だ。いやこれを「超訳」などと評した。元歌詞はどうあれ、この日本語の表現が歌詞なのだから、聴くほうは「コロリといかれる」しかない人気をはくした。もともとメロディーのいい曲なので、それを若くパンチの効いた歌手が歌いあげるから、ひきつける。
 漣健児は、坂本九「ステキなタイミング」、ナット・キング・コール「L-O-V-E」、中尾ミエ「可愛いベイビー」等々でそれを実現している。フランク永井にも「おろかな心」「悲恋のワルツ」(1694:SPV-21)を提供している。
 さて、フランク永井の「16トン」だが、やはりライブ版がいい。残されているレコード音源では、1971年の「ある歌手の喜びと悲しみの記録~フランク永井15周年記念リサイタル」でのものであろう。これは、フランク・ナインの演奏によるもので、全編英語版で通しているものだ。この曲を先のインターネットサイトの外国の曲と聴き比べてみると、フランク井永井の「16トン」が何の遜色なく、第一級の歌唱であることがわかろうというものである。
 ちなみにこの「16トン」の続編ともいうのが「13,800円」(1957:V-41637)だ。これは「16トン」を訳詞した井田誠一が、翻訳ではなしに純粋に日本語の作詞をして、著名な第一人者利根一郎の作曲・編曲によるもの。「...黒いダイヤに惚れ...」と、労働の喜びを讃歌したものだ。当時の大卒の初任給がそのまま歌のタイトルとして使われたもので、漣健児の登場を予測するかのようないい作品であった。

(*)16 Tons Variations :https://www.youtube.com/watch?v=92arUrGVt6k&list=PL1B8DF6DF4E10F8EB
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 山口淑子は李香蘭として日中戦争のさなかに中国でデビューし、その後終戦で帰国し議員にもなった方。映画俳優にして歌手でもあったのだが、ともかく戦争の申し子として昭和史に印象深い足跡を残した。「蘇州夜曲」「支那の夜」「夜来香」というような歌は皆の耳に深く刻まれた。フランク永井と同じビクターからレコードがでた。
 山口が悪夢のような戦争にほんろうされ本人が「平和」を望みながらの、時の与党から議員になりどう「戦争の禍根を繰り返さない」ことに寄与したかはわからない。彼女が経験した、いや彼女以上に全日本の普通の人々が戦争という過酷な犠牲にさせられたか、二度と現在を未来をその禍根にさらさせないようにしなければならならないという思いの大事さを示していることは学ばなければならないだろう。戦争は人間への冒涜であり、悲惨は何代ににもわたってこころに計り知れないトラウマを印す。
 山口淑子の名を聞けばそうした思いを新たにする。残ったものは戦争への道のスパイラルを断ち切るために小さい事柄であっても行うこと、それが遺言であろう。

 山口洋子は昭和歌謡の作詞家としてすばらしい歌を残した。フランク永井にオリジナルで提供はしなかったものの、フランク永井は7曲もカバー曲を歌っている。それだけに人のこころをとらえる素敵な作家であったということである。
 「ザ・カバーズ」というCDが来月に発売されるが、その中にも3曲入っている。
  VICL-64232~3:フランク永井 ザ・カバーズ(歌謡曲・演歌)
   http://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A000152/VICL-64232.html
  VICL-64230~1:フランク永井 ザ・カバーズ(ジャズ・スタンダード)
   http://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A000152/VICL-64230.html
 (ちなみに、このビクター・エンターテインメントのサイトには著者のコメントが掲載されている)

 7曲のカバーというのは、
  よこはま・たそがれ(五木ひろし)
  誰もいない海(トワエモア)
  ブランデー・グラス(石原裕次郎)、以上「ザ・カバーズ」
  東京の雨を札幌で(秋庭豊とアローナイツ)
  街の灯がゆれる(星野仙一)
  噂の女(内山田洋とクール・ファイブ)
  一度だけなら(野村正樹、後真樹)

 歌謡曲はけっして芸術とか美とかというものに直接に結びつくものではない。日本人がそのときどきの時代において、喜び苦しみ悩み怒り泣きの生活をしているなかで、ひとりひとりの感情の起伏、広がりに触れかぶさったときに記憶にきざまれるものだ。それが結果として多くの人に共感を与えたときにヒット曲となる。
 あらかじめヒットすることが決まってなどいるわけがない。それは作詞する人、作曲する人、編曲する人、歌う人皆同じだ。企画し制作しうる人も「思い」はあってもそのようにいくわけではない。また、チームワークのよさもそのまま成功するわけではない。
 しかし、時代に受け入れられたヒット曲は存在する。時代の空気がある。フランク永井に多くの詞を提供した佐伯孝夫、その後のヒット曲を乱発した阿久悠は「時代」に敏感だった。実際には存在しないようなことでも、空気を描き出すことで、その時代の共感を得た。山口洋子もそのような偉人であったと思える。
 山口洋子に継ぐ作詞家の活躍を期待して追悼としたい。
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 フランク永井の歌手デビュー60周年を記念した企画CDの一つである「ザ・カバーズ」(ジャズ・スタンダード編2枚組、歌謡曲・演歌編2枚組、計4枚)を先にここで取り上げたが、その後ビクターサイトから正式なリストとジャケットが発表になった。
 初期のリストと比べると、このたび急きょ改変されたリストが異なるので、その情報の更新の意味で改めて紹介したい。改変の理由は解らないが、比較してみると、新たにCD化をして組み入れることによってさらに魅力を増そうという、積極的な理由のようだ。
 しかも、現役の歌手の作品をなるべく採用しているようにも感じるものである。いったん発せられた情報を商品製造の直前で変更するというリスクを超えて、ファンの期待に応えようとしたと思われる。

 リストには元の歌手名も入れている。人気の曲なので競作があったり、カバーのほうが後に残ったりというものもあるが、元の歌手名は独断で記載させていただいた。
 レコードをお持ちの方は幾度も耳に入れているものかもしれないが、若い世代でフランク永井の歌はさておきも元曲まで聴いたことがないという方もいるかもしれない。当時は相当に流行した歌なので、現役の歌手は今もTV番組では歌っているものが多いので、それとフランク永井の歌唱を聴き比べてみるのも趣向だ。
 フランク永井のファンとしては、フランク永井の歌唱のほうがいいというように聴こえる場合もあるのだが、なにせ、元曲が大人気を博すほど歌詞もメロディーも素晴らしいのである。当時の時代背景の中で、そのときに歌った歌手の持ち味がたっぷりと表現されていて、受け入れられたものである。他からもカバーされるような曲は、編曲や歌唱によって、いくつもの味を出すことができるということがよくわかるのである。
 フランク永井は歌に向かう姿勢として、歌詞を可能な限り読み込み、それを聴く側に立ちながら表現を磨いている。他の歌手の歌でも、自分の歌以上の気持ちをそそいで歌っているのが解る。さらに、リストで明らかなように、テーマ、歌の方向がまるで異なる者ばかりと言ってよい。わずかに石原裕次郎の歌などはムード歌謡で似ているかもしれないが、それにしても、プロのその分野の帝王としての歌唱を示している。
 また、東北出身のフランク永井、東日本大震災や原発事故でいまだに東北方面はその災難をひきづっているなかで、この歌謡曲・演歌のカバー曲には「北」が多く入っているように思う。北のファンも根強い。そうした方々にも、なつかしいフランク永井の歌からエネルギーを感じてほしいという思いが込められている。

 ジャズ・スタンダード編は、リストの内容としてトラック変更があるだけで収録曲はかわっていない。
 これらは「スタンダード」というだけに、いままで数えられないほど多くの歌手に繰り返し歌われてきたのだが、フランク永井の作品はまた格別である。戦後から昭和の復興期にジャズ歌手を目指した人であるだけに、ジャズへの思いはひときわであった。実際にフランク永井の歌唱はその世界でひときわ高い評価を得ている。この時代にフランク永井あり、ということをこのカバー集ではあらためて主張しているように思う。
 「スタンダード」でも編曲者による味付けでムードを変える。リストには編曲者の名を付けたが、現在も活躍する方も含めて、超一流のムード・メーカーによるアレンジが楽しめる。


フランク永井 ザ・カバーズ(歌謡曲・演歌)(※は発CD化)

[DISC 1]
(01) カチューシャの唄 (元唄:松井須磨子ほか)
(02) 星影の小径 (元唄:小畑実)
(03) ウナ・セラ・ディ東京 (元唄:ザ・ピーナッツ)
(04) 上を向いて歩こう (元唄:坂本九)
(05) 雨がやんだら (元唄:朝丘雪路)
(06) アカシアの雨がやむとき (元唄:西田佐知子)
(07) 君こそわが命 (元唄:水原弘)
(08) 知床旅情 (元唄:加藤登紀子)
(09) 函館の女 (元唄:北島三郎)※
(10) 北国の春 (元唄:千昌男)※
(11) 港町ブルース (元唄:森進一)※
(12) 潮来笠 (元唄:橋幸夫)
(13) ラブ・ユー東京 (元唄:黒沢明とロス・プリモス)
(14) 伊勢佐木町ブルース (元唄:青江三奈)※
(15) よこはま・たそがれ (元唄:五木ひろし)
(16) 京都慕情 (元唄:渚ゆう子)
(17) 長崎は今日も雨だった (元唄:内山田洋とクール・ファイブ)
(18) カスバの女 (元唄:エト邦枝)
(19) 女のみち (元唄:ぴんからトリオ)※
(20) なみだの操 (元唄:殿さまキングス)※
(21) 昭和ブルース (元唄:天地茂)
(22) 誰もいない海 (元唄:トワ・エ・モア)

[DISC 2]
(01) 見上げてごらん夜の星を (元唄:坂本九)
(02) そっとおやすみ (元唄:布施 明)
(03) 赤坂の夜は更けて (元唄:西田佐知子)
(04) 抱擁 (元唄:箱崎晋一郎)
(05) ブランデーグラス (元唄:石原裕次郎)
(06) 東京ブルース (元唄:西田佐知子)
(07) 赤いグラス (元唄:アイ・ジョージ)
(08) 昔の名前で出ています (元唄:小林明)
(09) 酒場にて (元唄:江利チエミ)
(10) くちなしの花 (元唄:渡哲也)
(11) みちづれ (元唄:牧村三枝子)
(12) 銀座の恋の物語 (元唄:石原裕次郎/牧村旬子)
(13) 夜霧よ今夜も有難う (元唄:石原裕次郎)
(14) 今日でお別れ (元唄:菅原洋一)
(15) 別れの朝 (元唄:ペドロ&カプリシャス)※
(16) ヘッド・ライト (元唄:新沼謙治)
(17) すきま風 (元唄:杉良太郎)
(18) 酒と泪と男と女 (元唄:川島英吾)
(19) 氷雨 (元唄:佳山明生、日野美歌)※
(20) もしもピアノが弾けたなら (元唄:西田敏行)
(21) 青葉城恋唄 (元唄:さとう宗幸)※
(22) いい日旅立ち (元唄:山口百恵)※


フランク永井 ザ・カバーズ(ジャズ・スタンダード)

[DISC 1]
(01) 夕日に赤い帆 RED SAILS IN THE SUNSET (編曲:前田憲男)
(02) 明るい表通りで ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET (編曲:前田憲男)
(03) 恋の気分で I'M IN  THE MOOD FOR LOVE (編曲:前田憲男)
(04) ファイブ・ミニッツ・モア FIVE MUNITES MORE (編曲:前田憲男)
(05) オール・オブ・ミー ALL OF ME (編曲:前田憲男)
(06) ラブ・レター LOVE LETTER (編曲:SJX-30051-ALL OF ME スタッフ)
(07) ワンス・イン・ナ・ホワイル ONECE IN A WHILE (編曲:編曲:SJX-30051-ALL OF ME スタッフ
(08) アイ・ドント・ノウ・ホワイ I DON'T KNOW WHY (編曲:編曲:SJX-30051-ALL OF ME スタッフ)
(09) 国境の南 SOUTH OF THE BORDER (編曲:前田憲男)
(10) 嘘は罪 IT'S A SIN TO TELL A LIE (編曲:近藤進)
(11) ラモーナ RAMONA (編曲:近藤進)
(12) 恋人と呼ばせて LET ME CALL YOU SWEETHEART (編曲:近藤進)
(13) フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン FLY ME TO THE MOON (編曲:近藤進)
(14) プリテンド PRITEND (編曲:寺岡真三)
(15) ハーバー・ライツ HARBOUR LIGHTS (編曲:近藤進)
(16) 慕情 LOVE IS MANY SPLENDORED THING (編曲:半間巌一)
(17) 酒とバラの日々 DAYS OF WNE AND ROSES (編曲:半間巌一)
(18) いそしぎ THE SHADOW OF YOUR SMILE (編曲:半間巌一)
(19) テネシー・ワルツ TENNESSEE WALTZ (編曲:寺岡真三)
(20) センチメンタル・ジャーニー SENTIMENTAL JOURNEY (編曲:寺岡真三)
(21) ムーン・リバー MOON RIVER (編曲:半間巌一)
(22) ドリーム DREAM (編曲:近藤進)
(23) ある愛の詩 WHERE DO I BEGIN LOVE STORY (編曲:半間巌一)
(24) テイク・マイハート TAKE MY HEART 
(25) イッツ・ビーン・ア・ロング・ロング・タイム
     IT'S BEEN A LONG,LONG TIME (編曲:堤達雄)

[DISC 2]
(01) トゥー・ヤング TOO YOUNG (編曲:寺岡真三)
(02) セプテンバー・ソング SEPTEMBER SONG (編曲:寺岡真三)
(03) 恋人よ我に帰れ LOVER COME BACK TO ME (編曲:多忠修)
(04) ばらの刺青 THE ROSE TATTOO (編曲:多忠修)
(05) 16トン SIXTEEN TONS (編曲:寺岡真三)
(06) 夜のストレンジャー STRANGER IN THE NIGHT (編曲:近藤進)
(07) 二人でお茶を TEA FOR TWO (編曲:寺岡真三)
(08) ビコーズ・オブ・ユー BECAUSE OF YOU (編曲:寺岡真三)
(09) ユー・ビロング・トゥ・ミー YOU BELONG TO ME (編曲:近藤進)
(10) フォー・センチメンタル・リーズンズ FOR CENTIMENTAL RETURNS (編曲:寺岡真三)
(11) アンサー・ミー・マイ・ラブ ANSWER ME MY LOVE (編曲:近藤進)
(12) ヴァイヤ・コン・ディオス VAYA CON DIOS (編曲:横内章次)
(13) ムーラン・ルージュの歌 THE SONG FROM MULIN ROUGE (編曲:近藤進)
(14) アイ・ワンダー・フーズ・キッシング・ハー・ナウ
     I WONDRE WHO'S KISSING HER NOW (編曲:近藤進)
(15) テンダリー TENDERLY (編曲:近藤進)
(16) グッド・ナイト・スイートハート GOOD NIGHT SWEETHEART (編曲:寺岡真三)
(17) 枯葉 THE FALLING LEAVES (編曲:小沢直与志)
(18) ばら色の人生 LA VIE EN ROSE (編曲:小沢直与志)
(19) ラ・メール LA MER (編曲:寺岡真三)
(20) パリの空の下セーヌは流れる SOUS LES TOITS DE PARIS (編曲:寺岡真三)
(21) ラブ LOVE (編曲:寺岡真三)
(22) 恋心 L'AMOUR C'EST POUR RIEN (編曲:一ノ瀬義孝)
(23) サン・トワ・マミー SANS TOI MAMIE (編曲:一ノ瀬義孝)
(24) 小さな喫茶店 IN EINER KLEINEN KONDITOREI (編曲:前田憲男)
(25) プリテンド~トゥー・ヤング~エニータイム~愛の讃歌-慕情 (編曲:近藤進)

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 8月15日にTV番組「ムード歌謡の女王松尾和子の栄光と悲劇、松尾和子・死の真相」が放送された。当日の番組表で知り、松尾和子といえばフランク永井と「東京ナイト・クラブ」を歌ってデビューし「誰よりも君を愛す」で第2回レコード大賞を得た昭和歌謡の大歌手だ。ということで最後までみた。
 だが、テーマが不明瞭で「死の真相」なるものが何なのかは少しもあきらかになるようなものではなかった。まさに芸能界での著名人のあれこれをフライデー的にとりあげて大げさに報じるだけのものであった。亡くなって21年も経つのに、パパラッチ風のこんな番組をつくり放映することは、決しファンにこころよいものではない。

 この番組のベースは1999年に発売された大林高士著「松尾和子の遺言~息子へ」に沿ったものである。息子が覚せい剤で投獄されているときに、松尾和子が自分が過度にあまやかしたことを反省しながらも、ただただ息子に無心に更生復帰を願い、毎日のように手紙を書いたのだ。とつとつとつづられた119通の手紙からおよそ半数をとりあげ、松尾をとりまくさまざまな状況を紹介している。
 フランク永井とともに一時代をきずいた盟友の松尾和子について、その栄光と悲劇についていちど触れておきたい。

 松尾和子は赤坂で力道山が経営するクラブ・リキで歌っているところをフランク永井が見出し、吉田正に紹介した。吉田正は松尾和子の幼いころから耳学で覚えた歌とジャズのセンスと独特の歌唱を注目して育て上げ「有楽町で逢いましょう」をスタートに一躍世の注目をあび、上り坂であったフランク永井と組んだデュエット「東京ナイトクラブ」で世に出た。大変なラッキー娘であった。
 このときにはすでに歌の同僚でバンドの一員であった大野喬と結婚していたのだが、当時の流行にそったビクターの意向でそれを隠し、齢まで変えていた。生んだ長男が後に悲劇の渦中の人だ。大野とは8年で離婚したが、その後も息子の父として付き合いは続き、釈放されて帰ってきたのも彼のところだ。松尾はそのときすでに亡くなっていて帰るところがなかった。
 松尾は中学をでてすぐに働かなければならなかった。歌の道に入ったが頼っていたバンドが仲間で、レイモンド・コンデらが師匠でもあり、多忙の中の人生の師でもあった。「どんな事にも負けない、どんな事でも諦めない、どんな事でも耐える」を人生訓とし、野球でいう「千本ノック」(今は死語?)をなしとげている。100日で100曲を覚え、バンド用の各人へのパートのスコアを手書きで書き写すということもやった。
 千本ノックはカラダに叩き込むというもの。松尾和子の歌唱が半端ではないのはこうしたものが背骨にしっかりあるからである。

 こうして人気を得た流行歌手は当時みな似たようなものであったのだが、米軍キャンプ、全国キャバレー、ナイトクラブ等々をまわる。とうぜん、興業はヤクザやさんの仕事で環境がいいときばかりではない。とうぜん人間としての視点が制限される。子どもへの教育をする立場になったときに、子どもに接する時間がない。子どもへの愛情をカネですますことも多くなる。親としての子育ての自身も揺らぐなか、息子はわがままになり、ぐれ放題になる、という絵にかいたような事態をまねく。
 多額の収入があり豪邸(安倍晋太郎の住んでいた家)に住む。ところが松尾の家族は姉とその子どもがいて同居し、家政婦、事務所の付き人としょっちゅう何人もが入り乱れている。「将来何になりたい」と息子に問うと「ヤクザの親分に」と普通に答えるような流れだ。その上経理に素朴に強欲にとりつかれたような姉が関与したことから、金銭トラブルまでおこす。松尾は宗教などにもそまっていく。
 息子の覚せい剤問題といい、金銭トラブルといい、これは当時はおもて沙汰になることは抑えられていたが、まさにたいへんな苦境にいたことは間違いない。
 正常心でメインの歌に集中できなくなる。松尾の柱は歌である。これに当人の不安が入り込んだときに、終局を迎えたのである。
 当時さまざまなかたちで頼っていた中山大三郎。彼が作り1996年に天童よしみが大ヒットを飛ばしたこの「珍島物語」は、松尾和子の歌唱で出す準備中でレコーディングも間近にひかえていた。

 息子への手紙は松尾なりのあふれるばかりの気遣い、愛情、つぐない、はげまし、将来への思いがでている。息子をとがめるようなことは一切書いてない。姉に対しても普通の関係を言っていても、トラブルがらみのことはまったく触れない。徹底した姿勢が貫かれている。当時の心情に自分を置き換えたら絶対にないようなことなのだが、この松尾の姿勢がそのようであるだけに、逆に真実が浮き彫りになる。
 自業自得かも知れない自滅のような事態が進むなかでも、溺愛する母。それがダメなのだと周囲からいさめられても、一途に一方的に息子を可愛がるけなげな松尾。ばかっと一刀だに見放すものなのかも知れないが、哀れさが胸を打つ。
 息子は釈放されてから母松尾の墓参りにいっている。周囲にあたって知れば知るほど、母の一途過ぎる愛情があらためてもりあがってくる。この息子も2011年に病死した。松尾が早くに購入した松尾家の墓にともに眠っている。

 華々しくデビューし、フランク永井より先に日本レコード大賞を得た松尾和子だが、山あり海ありの世界で、歌のヒットはそう続いたわけではない。師匠吉田正と周囲はまんを期して書いた「再会」(1960)が大ヒットして人気を盛り返す。この「再会」は獄中の愛夫が晴れて釈放されてくるのを待つ、まさに黄色いハンカチの歌。これは松尾の気持ちがもっともよく込められた傑作の一曲である。彼女の代表曲である。後に「再会の朝」という曲も出るのだが、この2つの歌を聴くと、松尾和子の人生が重なりつらい。

 歌手の命は歌である。歌った歌にこそ生命が宿る。歌手その人自身の人生にファンが深く立ち入るべきではない。もちろんパパラッチなど論外だ。ファンの原点は歌手が歌った曲そのものにるのだ。その歌を聴いて、思いを重ねるのは、聴く人自身の人生と感情なのだ。
 恩師吉田正、フランク永井、松尾和子、いずれもすでにお亡くなりになり久しい。浮世から離れしがらみが切れた世界で再会し、おだやかにあの世をおうがしている。この世ならではの、瞬時のどろどろしたことを取りあげて、他人の不幸を扱うなど、なさけなく、恥ずかしいことである。
 吉田正にも、フランク永井にも、松尾和子にもそれぞれの、この世での他人には計り知れない悩みをもっている。逆に持っていない人など、生きているならいないであろう。
 賢人は歴史から、他人の経験から学び、己の生き方に活かそうとするのだと思う。
 彼らは歌を通じて生きているファンを喜ばせてくれた。これだけで他人がなしえない十分なことを施してくれたのだ。これに感謝し、忘れないで、教訓を引き継いでいくことであろう。フランク永井の盟友松尾和子は栄光の人なのだ。こころからの冥福と感謝をささげたい。

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