2014年8月アーカイブ

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 フランク永井の全国のファンは多いようだ。
 今年はフランク永井歌手デビュー60周年を数える。10月の命日にはフランク永井7回忌を迎える。そうしたことを記念して、その日の前後にビクターから新たなCDがでる。レコード店からいち早く予約の案内が届いている。
 ジャケットはまだ発表されていないようだが、10月22日「VICL-64232-フランク永井 ザ・カバーズ(歌謡曲・演歌)」「VICL-64230-フランク永井 ザ・カバーズ(ジャズ・スタンダード)」で、各々2枚組で、ジャズは50曲、歌謡曲は44曲、計94曲に及ぶ豪華版である。
 発売元では【ジャズ・歌謡曲歌手、フランク永井のデビュー60周年(2014年時)記念となる歌謡曲・演歌カヴァー・アルバム。「カチューシャの唄」から「もしもピアノが弾けたなら」まで、歌謡曲・演歌の名曲、ヒット曲を魅惑の低音で心ゆくまで堪能できる作品集】としたものである。

 ジャズ、歌謡曲ともにすでにCD化されている曲がほとんどなのだが、多くはCD廃盤で手に入りにくくなっている。今回はそれに加えて、ジャズ、歌謡曲ともに初めてデジタル化された曲も入っているので見逃せない。
 ジャズのフランク永井CDは2009年の「フランク、ジャズを歌う」2枚盤だが、これに今回初めてデジタル化されたのは1967年にビクターヒット賞を得た「恋心/フランク永井とともに」という名盤が加わった。他に1972年の「フランク永井ゴッドファーザー」、1973年の「フランク永井懐かしのゴールデン・ジャズ・ヒット・アルバム」、1978年「フランク永井夜のタンゴ」からのデジタル化された曲が加わったようである。
 今回のシリーズでフランク永井が歌ったジャズの著名なものはほとんどが復刻されたと思える。

 歌謡曲・演歌とサブタイトルがついたカバー曲のほうだが、こちらも基本的には廃盤CDの2002年「フランク永井RE-MASTER VOICE I~II」とSONY DISC CLUBからのみ発売された2006年「フランク永井J-スタンダード名曲集」がベースである。
 これに1979年のLPカバー集「フランク永井~お前がいいと言うのなら」から新たにデジタル化された曲が入っている。さらにシングル盤の1967年「星影の小径」が加わったものである。

 初期にジャズ歌手になることを一途に望んでいたフランク永井が歌うジャズ系は文句なく聴きごたえがあるのだが、歌謡曲演歌のカバーも絶賛物である。歌のうまさは他の歌手が歌ったヒット曲をカバーしてみるとよくわかる。「やっぱり元歌手にはかなわない」といのが多い中で、フランク永井が歌うと「これは元歌手とは違う完成度があるぞ」となるほどうまいのである。
 東日本大震災復興祈願で提案したこともある「ヘッド・ライト」は大好きな曲である。このたびの盤ではさらに、そうした意を受けて東北連想の「青葉城恋歌」が加わっている。
 聴いていて好きな「カスバの女」「酒場にて」も入っているのがうれしい。たいへん待ち遠しいニュースである。

 発表されている曲のリストは次のとおり。
(下記に書いてあったリストは新たに載せたので削除した)

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 8月は1945(S20)年に戦争の終結をみた月である。この暑い季節に、毎年新聞でまたテレビで戦争を振り返る記念の番組が編成される。報道番組、ドラマ、映画、討論、さまざまである。基本的には戦争を二度と繰り返さないためにということをこの季節に思い起こし、決意を新たにしようというものだ。
 ここで取り上げるのは8月17日にNHKで放映された「いつでも夢を~作曲家・吉田正の"戦争"~」である。フランク永井の恩師である吉田正はビクターの専属作曲家で、戦後の昭和歌謡曲の作曲を通じて、日本人のこころに偉大な記憶を残した人である。歌謡曲は嗜好品なので受け取るのはそれぞれであるが、1998(H10)年に77歳で他界したにもかかわらず、今でも彼の歌は多くの人にくちずさまれている。
 吉田学校と後に言われたように、彼に歌ばかりでなくいわゆる人としての生き方についても真剣に語り合うということで、深い師弟関係を結んだ人も少なくない。鶴田浩二、三浦洸一をはじめ、フランク永井、松尾和子、吉永小百合、橋幸夫らその他多くの第一人者を育てている。
 吉田正の人となりについては、記録としてかつて1985年に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」が第一級の資料であろう。吉田の出身地である茨城県日立市が素晴らしい景観を誇る神峰講演の頂上に吉田正音楽記念館を2004年に建立し、未来へ偉大な功績を残すために活動している。日立市が発行している「常陽文藝」(2004年6月号)にこのオープンを記念して詳しく紹介しているが、これも貴重な資料である。金子勇著「吉田正―誰よりも君を愛す」(ミネルヴァ日本評伝選)は作曲作品について詳しい。
 吉田は徴兵され満州のソ連との国境周辺にいき、終戦とともにソ連に捕虜として抑留され筆舌に堪えない悲惨な体験をした。かろうじて生き残り、舞鶴に帰還した。先に帰国した同僚が戦地で吉田の作った歌を、NHKのど自慢で歌いそのメロディーが多くの人に注目される。作曲家がこの時点で不明とされたままその歌「異国の丘」がレコード化されるのだが、その前後して帰国したばかりの吉田の耳にとまり、作曲者として名乗りでる。
 ソ連から帰るときに靴底に隠して手帳を持ち帰った同僚がいたことから吉田の作曲が証明された。このようなドラマを経て吉田はビクターの専属作曲家として職を得た。
 そしてフランク永井をみいだし「有楽町で逢いましょう」の大ヒットを実現して、これで作曲家として生きていく自信を得たと語っている。実際にその後かずかずのヒット作品を世に出したことは誰もが知っている。
 だが、彼は先に紹介した記述以外にソ連抑留の体験についてほとんど語ることがなかった。その決意の背後の物語は知る者がいないままに現在に至っていたのである。
 2011(H23)年1月にCD「吉田正シベリアまぼろしの歌」が発売された。これこそかつての同僚(秋田の北嶋さん。吉田正の歌を戦地で知り歌ったという意味で使用している)が歌い続けてきた吉田メロディーを記憶のまま歌ったものだったのだ。
 こうした吉田メロディーを歌い継ぐ人たちは現在平均年齢が90歳を超えており、存命中なのはわずかになっている。こうした方々がその後続いて、23曲に上ってきた。これらは今月新たにビクターからリリースされた。その方々の歌唱から採譜し、プロの歌手に歌ってもらったものも含めた16曲構成になっている。VICL-64206-「戦場の歌~新発掘・吉田メロディー~」。
 吉田正の語らなかった部分を埋める曲であり、その全容が今回のNHKの番組であった。
 吉田正の偉大なるすべてを一手に管掌しているのは吉田事務所でその人は長く吉田作品のプロデュースをしてきた谷田さん。番組で吉田の意思としてどうなのか迷いつつ「今ならば...」と今回の番組での取り組みを語っている。確かに、シベリアでのことを語るにはあまりにも多くのことがまとわりつくし、不要で語弊のあることも起こりえる。
 吉田は抑留でのすべてのできごとを沈黙で通した決意はいくばくの思いであったのか。真意は「寒い朝」「いつでも夢を」という歌に表現しつくしたのだと思う。
 時期的には当時の真実を知るものが急速におられなくなりつつある。だから「今ならば、いや今でなければ...」という、谷田さんの苦慮に満ちた判断が察せられる。
 あの戦争は確かに終わったが、それからおよそ70年経つが、未だにその悲惨は忘れられない。家族、友人、知人に末代までとらわれの気持ちをこれほど長く、深く持つものはない。この季節どの番組をみてもその結論は戦争の禍根を二度と繰り返さない、断ち切ること以外にない。
 吉田正のこの特集はそうした思いをさらに深くしながら観た。こころをドーンと重く揺るがす番組であった。
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 1958(S33)年といえば、フランク永井が「有楽町で逢いましょう」を発売した翌年で「公園の手品師」が出た年。このとき社会では、フランソワーズ・サガン原作の「悲しみよこんにちは Bonjour Tristesse」が封切られた。当時流行る映画があると、各レコード会社がその主題歌を時の歌手に歌わせて稼ごうとするような風潮があった。いまどきの排他的な雰囲気ではなく、契約を取り付けさえすれば可能だったようだ。ちなみに映画は観ていない。
 このときもビクターではまず、ハリー・ベラフォンテの「バナナ・ボート」を日本語カバーで人気を博した浜村美智子に「悲しみよこんにちは」を歌わせた。しかし男性では「有楽町で逢いましょう」で一躍注目をあびたフランク永井にもと歌わせたのである。浜村は2月、フランク永井は4月にリリースしている。
 だが、詳しくは分らないがいずれも多く出たようには感じられない。浜村のジャケットは覚えがない。しかし、近年に写真のように「カリプソ娘」のタイトルの一曲としてでCD復刻リリースされている。フランク永井のものは2012年に「ベル・エポック~日本のシャンソン黄金時代」の一曲としてCD化復刻している。
 2010年末にフランク永井データブックをまとめたときには、フランク永井のシングル1958:A-5229、LP1958:LV-12が分っていて掲載した。しかしシングルの方は浜村のと同様ジャケットが不明であった。盤も持っていなかったが記録としてのレーベル写真はあった。詳細は判明しないが、同じビクターの浜村が直前に同曲をだしているので、調べてみると、井田誠一訳詞(A.Laurents作詞)、G.Auric作曲寺岡真三編曲、グラマシィ・ファイブ/ビクター・オーケストラ演奏とある。そのために、安易に訳詞井田誠一と記してしまっていた。
 その後ジャケットだけだが入手する機会があったのだ。まず、驚いたことは、訳詞が佐伯孝夫となっているではないか。では、浜村とフランクは共作のようにして同じ歌詞を歌っていないのかと。浜村の「悲しみよこんにちは」を聴いていないので確認のしようがない。いやな感じを残した。
 だが、レコードがない悲しさから、あきらめるしかない。
 それから数年たち調べてみると、浜村のは2001年に「カリプソ娘」で復刻しているのが解り、買って確かめようと思った。だが、購入するまでもなく「試聴」ということで何小節かだけだが聴ける。ここでまた驚くのである。「悲しみよこんにちは」の曲はA.Laurents作詞G.Auric作曲ということでフランク永井もそれを歌っている。ビクターによる資料でも相違は訳詞だけなのに、まるで曲が違う。寺岡の編曲まで同じなのに、浜村が歌っているのはどう聴いてもカリブ海のイメージだ。
 この謎は浜村ファンに解いてもらうことにして、私はこれ以上追及しない。
 さらに、B面に軽音楽「白樺の小径」というのがあって、佐々木俊一作曲、寺岡真三編曲、アンドレ・レジャン楽団というのがあって、アンドレ・レジャンのアコーディオン姿が写真としてでている。
 当時のレコード制作にはときどきあれっと思わすことをして楽しんでいたのか、この後別項でとりあげたこともある1958:V-41821「月影のささやき」という裏面が「ラブ・レター」の演奏だけがでる。白樺の小径は表面の映画「悲しみよこんにちは」とは直接の関係がないのだが、パリをイメージして名手佐々木俊一が作曲した傑作という。淡谷のり子がビクターに籍を置いていた時期のもので、若い淡谷の歌唱がいい。それをパリの名アコーディオン奏者が演奏するというのだから、フランク永井の歌ではないけれど、思わず聴きたくなるというのもだ。
 さらに数年経過して、つい最近にこの盤を所有している方を知った。フランク永井の熱烈なファンでこの盤ばかりでなく私が幻かと思っていたようないくつかのレア盤をみせてもらうことができた。さっそく、長年の願望であったB面の「白樺の小径」を耳にすることができたのである。
 アンドレ・レジャン楽団というだけに、背後にかすかにピアノとバイオリンがかぶさる。巧みなアコーディオンさばきがあり、パリの白樺の小径が目の前に広がるような確かな名作だ。B面になんでこんなのを、といぶかしがったことが気恥ずかしい感じであった。
 CD「ベル・エポック~日本のシャンソン黄金時代」だが、これはいい。まだ秋には早いかもしれないが、静かな秋に聴くにぴったりの名曲ばかりが23曲はいっていて、どれを聴いても情景が目の前にパァーッと広がる。フランク永井のでは「枯葉」が入っている。これは1961:LV-186「フランク愛を歌う」の一曲。当時遠いパリはこうした歌を聴いてイメージしたものである。

※淡谷のり子の「白樺の小径」、浜村美知子「バナナ・ボート」ともに、SJV-772~3/SJV-854~5「永遠の流行歌(戦後編)」載っている。フランク永井「東京午前三時」「夜霧の第二国道」「有楽町で逢いましょう」も。

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 「失われた名盤をふたたび」と、かつてのレコード全盛時代に聴いた曲をCDで復刻して提供するというMEG-CDから、8月13日にフランク永井の盤が23枚売りだされると発表された(http://meg-cd.jp/)。
 1969(S44)年から最後のレコードとなった1985(S60)年までのなかからの23枚。これでシングル盤であるSP、EPの249枚中128枚で、およそ半数強が復刻したことになる。
 フランク永井のシングル曲では、いままでビクターから発売された代表曲をあわせるとこれで250曲程度だ。フランク永井は記録ではおよそ760曲程度歌っているので、デジタル化で購入できるのはまだ三分の一程度だが、2009年にプロジェクトが開始されているので、5年間でここまできたのはそれなりの大成果であると思う。
 LPはフランク永井の残したものでも強く望まれていたライブ盤が7枚出ただけで、これから復刻の要望の強いものを優先して復刻していければと望んでいる。
 シングル盤については、初期のSPだけの作品と復刻するのに音源技術的に十分な満足に到達できなかったもの、ジャケットあるいは盤そのものが入手できなかったものが残っている。これらについても、継続的に復刻を希望していきたいと思う。この5年間で数十枚単位で数次にわたって初期から最後の時期までおもにシングル盤を中心に復刻されてきた。ファンの方々からの希望などを聴きながら、仕切り直して、全作品のデジタル復刻を願っていきたい。

恋のブルー銀座(MSCL-12408)
雪子(MSCL-12409)
ネオン酒(MSCL-12410)
大阪流し(MSCL-12411)
ルイという女(MSCL-12412)
女の盛り場(MSCL-12413)
この道を(MSCL-12414)
おもかげ(MSCL-12415)
男の子守唄(MSCL-12416)
こいさん恋唄(MSCL-12417)
慕情、南国の女(MSCL-12418)
ほんとは好きなのに(MSCL-12419)
長崎の町でひとり(MSCL-12420)
...そして別れが(MSCL-12422)
たった一度の愛の言葉(MSCL-12423)
酒場の花(MSCL-12424)
浮気川(MSCL-12425)
季節はずれの風鈴(MSCL-12426)
11時(いれぶん)過ぎから(MSCL-12427)
グラスの氷(MSCL-12429)
追憶(MSCL-12430)
WOMAN(MSCL-12431)
マホガニーのカウンター(MSCL-12432)

 今回の復刻のリストは上記のとおり。
 「WOMAN」は山下達郎とのコンビでトライしたもので、山下ビートに合わせるまでフランク永井は相当悩んだようだ。演奏は24多重チャンネルですばらしい奥行きのもの。きっとリアルタイムでのフル演奏は困難で録音との共演というのが多かったものと思える。「マホガニーのカウンター」は小椋佳と組んでの作品。個人的には当時何日間もれこばかりかけていた。
 「11時(いれぶん)過ぎから」は盟友松尾和子との最後のデュエット曲。阿久悠作詞吉田正作曲の楽しい曲。松尾和子との最初のデュエットは昭和の大人のデュエットのはしりとして今も多く歌われている「東京ナイト・クラブ」だ。「魅惑のゴールデン・デュエット」として二人のムードいっぱいの歌は人気があった。これは、この後「魅惑のゴールデン・デュエット」として2枚のLPになって発売され、ほどんどはCDになっている。
 今回の曲はレコード時代の最後の時期、つまりメディアがCDに移行する直前のもので、デジタル化にあわせて演奏技術とデジタル化を意識した録音技術が以前より格段によくなってきた時期のものだ。それだけに、音のひろがり、奥行きなども楽しみながら、いい音でフランク永井の歌が楽しめるようになっている。

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 データブックに記載されていない曲「愛の終り」を前回紹介したが、今回は音源についての存在はまだ未確認の「雨傘」を紹介したい。
 いま手元にある資料からだけの紹介なので、全体像は掌握していないことを先にお断りしておく。
 1966(S41)年2月から翌1月までの案内書である。文化放送「八大朝の歌」という番組で、中村八大がすべてオリジナルで作曲しているものである。文化放送系ネットの各局(岩手放送、STVラジオ、九州朝日放送、毎日放送、南海放送、四国放送、秋田放送、札幌ラジオ、山梨放送、静岡放送)で朝の7時あるいは8時過ぎから10分弱放送されたものだ。提供は大正製薬。期間はそれですべてなのかどうかはわからない。
 文化放送から求めに応じて写真のような放送案内書を送っている。
 案内書には毎回4曲が譜面、歌詞とともに紹介されている。おのおのおよそ一週間放送されたことがわかる。
 作詞家と歌手が毎回異なる。フランク永井は6月27日から7月2日に「雨傘」を歌っている。作詞は岩谷時子で「ひとりでぬれる 雨は冷たい」と歌い出し「あたしの髪はもう白い」を2回繰り返して終わる。梅雨の時期で雨にまつわる何かを描いているのだが、歌が聞けないのでよくわからない。
 「夢で逢いましょう」とか奇才中村八大はこうした番組を多く持ち、数多くのヒット曲を出している。
 フランク永井は芸術祭参加作品で「ねむの木」「上総」「冬支度」「凍る夜」「雨ふり」、事件記者の主題歌「ブン屋小唄」、「上を向いて歩こう」(カバー)「年輪」(カバー)等を残している。
 以下がそのリストのすべてである。「八大朝の歌」について曲をお持ちの方とか情報をお持ちの方はお知らせいただければ幸いである。

1966 01/31-02/05 おやすみなさい夜の星(雪村いづみ、大倉徹也作詞)
1966 02/07-02/12 愛するフルーツポンチ(いしだあゆみ、大倉徹也作詞)
1966 02/14-02/19 理想の男性(梓みちよ、大倉徹也作詞)
1966 02/21-02/26 SHI A WA SE(九重佑三子、永六輔作詞)
1966 02/18-03/05 "小唄"(ダーク・ダックス、藤田敏雄作詞)小唄ロックでシングル発売
1966 03/07-03/12 口笛だけが(坂本九、、藤田敏雄作詞)
1966 03/14-03/19 涙をふいて(芦野宏、大倉徹也作詞)
1966 03/21-03/26 恋がにくい(竹越ひろ子、明城照弥作詞)
1966 03/28-04/02 いやだな(園まり、大倉徹也作詞)
1966 04/04-04/09 花びらと私(古賀さと子、大倉徹也作詞)
1966 04/11-04/16 君とこの手を(尾藤イサオ、大倉徹也作詞)
1966 04/25-04/30 こぶしにぎって(城山吉之助、大倉徹也作詞)
1966 05/02-05/07 マッチ箱(浅丘雪路、星野哲郎作詞)
1966 05/16-05/21 愛するフルーツポンチ(いしだあゆみ、大倉徹也作詞)(再)
1966 05/23-05/28 「南十字星」(日野てる子、きむらりひと作詞)
1966 06/06-06/11 赤い渚(水原弘、阿見宏介作詞)
1666 06/13-16/18 雨の朝(デュークエイセス、大倉徹也作詞)
1966 06/27-07/02 雨傘(フランク永井、岩谷時子作詞)
1966 07/03-07/09 木の葉になって(奥村チヨ、松井由利夫作詞)
1966 07/10-07/16 <ひとりぼっちの仲間たち>(雪村いづみ、大倉徹也作詞)
1966 07/17-07/23 "夜明けの星"(武井義明、大倉徹也作詞)
1966 07/24-07/30 男だけの歌(ポニー・ジャックス、大倉徹也作詞)
1966 07/31-08/06 風は恋人(エセル田中、大倉徹也作詞)
1966 08/07-08/13 すすり泣き(マヒナスターズ、藤田敏雄作詞)
1966 08/14-08/20 さよなら・さよなら(マイク真木、マイク真木作詞)
1966 08/21-08/27 君は天使(九重佑三子、服部初音作詞)
1966 09/04-09/10 ウエディングベルが聞こえる(越路吹雪、岩谷時子作詞)
1966 09/11-09/17 Hpnky Ponky Baby(島和彦、池英志作詞)
1966 09/18-09/24 あなただけは(ペギー葉山、藤田敏雄作詞)
1966 09/25-10/01 花影(三島敏夫、大倉徹也作詞)
1966 10/02-10/08 涙ぐむほど愛してる(森山加代子、尾中美千絵作詞)
1966 10/09-10/15 宿命(さだめ)(竹越ひろ子、吉田央作詞)
1966 10/16-10/22 渚のあなた(克美しげる、川内和子作詞)
1966 10/23-10/27 明日は日曜日(田代美代子、尾中美千絵作詞)
1966 10/30-11/05 男だけの歌(ポニー・ジャックス、大倉徹也作詞)
1966 11/06-11/12 星っていう奴は(石原裕次郎、阿見宏介作詞)
1966 11/13-11/19 恋のマンボ・チョンボ(広田三枝子、尾中美千絵作詞)
1966 11/20-11/26 さよなら・さよなら(マイク真木、マイク真木作詞)(再)
1966 12/04-12/10 "びっくりしちゃいやよ"(九重佑三子、尾中美千絵作詞)
1966 12/11-12/17 雨と一緒に泣く私(キューティQ、尾中美千絵作詞)
1966 12/18-12/24 君を想う唄(フォーコインズ、池英志作詞)
1966 12/25-12/31 涙のにおい(浅丘雪路、尾中美千絵作詞)
1967 01/08-01/14 私だけのあなた(江利チエミ、永六輔作詞)
1967 01/15-01/21 あなたを送るブルース(三沢あけみ、尾中美千絵作詞)
1967 01/22-01/28 渚のあなた(克美しげる、川内和子作詞)(再)

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