2014年7月アーカイブ

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 フランク永井データブック「フランク永井・魅惑の低音のすべて」が発刊されたのは2010年。その年をさかのぼること数年前からほぼその形で資料は完成していた。おかげで、その後に記載漏れとして発見される曲はほとんどないのだが、それでもその後にレコードというより、カセットとか別のメディアだけにあったもの、レアなオムニバス盤にあったものとかで見つかる。
 「愛の終り」(1967:SVC-283-生命ある限り、倉林ヒサ作詞、倉林正蔵作曲、竹村次郎編曲)である。
 フランク永井の恩師吉田正の好きだったと思えることば「生命ある限り」そのまま曲名にした曲がある。なかにしれい作詞、吉田正作編曲で1967年リリースしたもので、B面も同コンビによる「香港ブルース」。いずれも独特の雰囲気をかもしだすいい曲である。
 定例の虫干しをしていて、このシングルの名をつけたLP(1967:SJV-309-生命あるかぎり~フランク永井ベスト・ヒット14)があるのは当然知っていたのだが、他にコンパクトWがあるのに気付き、ふとあらためてみてみた次第。CWは4曲入りなので、どうせLPの14曲のなかから選ばれた4曲に違いないと思い込んで、長くずっと無視してきたもの。ところが、そこの一曲に「愛の終り」があって、びっくりしたのだ。
 なんちゅうことをしてくれるのだ、ビクターさんョ。まてよ、一貫性があるはずだと勝手に思ったのはこちら、フェントにひっかかったのは私であった。なんとデータブックの読者に申し訳のないことをしてしまったことか。

 こうした同じジャケット写真とデザインの例として、フランク永井が洋楽系といっても匂いがするだけなのだが、初期に出したカバー曲集「1967:SJV-256-恋心」がある。これは当時のヒット曲をフランク永井が高い歌唱力をみせつけたもので、ビクターヒット賞をえるあたりとなった。「恋心」「はてしなき恋」「爪」「上を向いて歩こう」等がはいっているLPだ。ビクターはこれに先立ち、CWで「1967:SVC-264-恋心~フランク永井ベスト・ヒット」をだし、さらに店頭向け宣伝盤同名でだしている。ところが、CWと宣伝盤の収録曲が違っていたのだ。前者は「恋心」「赤坂の夜は更けて」「ウナ・セラ・ディ・東京」「おもいで」だが、後者は2曲目が「サン・トワ・マミー」だ。しかし、いずれもLP収録曲だった。

 これは宣伝の一貫性というより、ビクター営業のフェント作戦なのかもしれない。
 こんな例もあるにはあるが、まさか「生命ある限り」でこんな技を使うとは思いもよらなかった。まぁ、思い込みの激しいコチトラにしてみれば、いっぱい食わされた。
 このCW「生命ある限り」に、入っている他の曲は「生命ある限り」「道後の女(ひと)」「せつなくて」で当時のビクターのプッシュ曲である。
 再発見の「愛の終り」は、フランク永井にこれだけを提供している倉林という方の作品で、今もご活躍の竹村次郎の編曲である。聴けば映画かドラマの主題歌のようなイメージだ。実際にそうだったかはわからないが、それなりに完成度が高い曲と感じた。
 このように、長年で収集したデータブックとはいえ、漏れはまだまだあるかも知れない。しかし、さまざまななりゆきで、再発見にいたるのもまた嬉しいことである。ぜひとも、フランク永井ファンの方がたからご指摘いただければ甚大である。

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 群馬県前橋市にフランク永井ミニ展示室ともいえる「フランク永井鉛筆が前橋展示室」があり訪問する機会を得た。
 ここはフランク永井の「熱烈な」ファンであることで名が知れわたっている品川ヤイさんが、みずから鉛筆画としてしたためたフランク永井の顔のアップの描写作品が多数、およそ200点(に近いかもしれない)が常時展示されているところである。
 同時に、広い駐車場をそなえており、さまざまな展示品があり、憩いの場があり、フランク永井の曲もボーズのいい音で聴けるというようなスペースが備わっている。
 品川さんは地元でさまざまな文化・福祉事業にもかかわっている名士でもあるが、何と言っても古くからフランク永井のファンでその情熱においては右に出るものがいないと自他ともに認められているようなお方で、その人柄を慕って集まる人も多彩で多い。
 私が訪ねたときにも、そういった方々の出迎えを受けたばかりか、初めてお会いした方がたがほとんどなにの、一気に古くからの親しい仲間のように向けていただいたのが、感動的でした。
 実はそこを遠方から頻繁に訪れさまざまな資料の支援をしているJさんとの話がきっかけて突然にお邪魔する流れになったもの、深く感謝している次第。
 ここの紹介は専門のサイト(http://www.wind.sannet.ne.jp/guitar/sab3.html)もあるのでそちらを参考にしていただければと思うのだが、訪れるとまず、品川さんの鉛筆画の展示に圧倒される。フランク永井の残っている映像が少ないのは何度もふれているのだが、同じように描けるようなモデルの写真もそう多く残っているわけではない。しかもモノクロがおおく、雑誌やグラビアでのカラー写真もいくらかはあるが、やはり絵にするには不足だ。そこでレコードのジャケットの写真が顔のアップのモデルとしては一番多い。
 幸い鉛筆がが品川さんのケースではモノクロに寄せているために、マルベル堂の写真なども参考にされている。展示室に併設されている(ような)お隣の棟にあるコーヒー専門店「はまや」のご主人もファンとして、浅草のマルベル堂に何度か出かけて、フランク永井のプロマイドはごっそりと、すべて入手してきたとのことである。
 この鉛筆画はフランク永井に対する品川さんをはじめとするチームの熱が反映した絵になっている。素晴らしい作品は、そのなかから毎年カレンダーに構成され、チームの協力で完成され、それが毎年定例となっている宮城県大崎市での「フランク永井歌コンクール」に参加した全員に記念品として贈られる。
 いただいた参加者は「もったいなくて月が過ぎても切り取れない」という方も多く、人によっては他に何部か別途購入して実用と保存用とを分けてつかうのだという。
 そうした工程や膨大な経費はすべてボランティアでまかなっているということにも頭が下がる。展示室にもあったのだが、他に日常的な「電話メモ帳」とか、うちわとか、かるたなどのアイデア品も作られていた。このチームはどうも歌もたいへんなもののようで、毎年何人も「フランク永井歌コンクール」に挑戦している。
 フランク永井の生誕地宮城県大崎市では、地域ぐるみで「歌コン」を盛り上げている。吉田正生誕地茨城県日立市では吉田正音楽記念館を柱にして後世につなぐことで奮闘している。ここ群馬県前橋市では品川さんを中心に情熱を発信している。フランク永井のファンのひとりとしてだが、気持ちの深く暑い交流を体で接しあることで、単に見聞きだけでは得られないものによる感動を得た。
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 レコードの虫干しをするには、湿気が異常に多そうな今の季節は良くないのかもしれないが、事情でやっていたら、気付いたのでメモを残しておきたい。
 見つけたのは、和田弘とマヒナスターズの「ステレオ・魅惑のコーラス傑作集」(1961:SLV-11)である。これが2枚あって、よく見たらJVCレーベルであった。和田弘とマヒナスターズもフランク永井と同じくビクターに所属していた時期が長い。
 和田弘とマヒナスターズは、ハワイアンであり、和田弘の個性的なスチールギターであり、裏声ボーカルである。当然に、Wada Hiroshi And His Mahina Starsとしてハワイを含む海外に名を売っている。フランク永井のヒット曲についても、和田の編曲で多くをカバーしていて、それらは今でもCDで楽しめる。

 和田弘が亡くなり、メンバーもほとんど入れ替わり、あまり知られていないが内部のいざこざや離反もあって面倒なグループではあるのだが、往年に流した名声でいまだ「魅惑のムードコーラス」でその他のグループとともにTVにも出演する。
 吉田正との子弟関係もあって、現在残っている吉田学校の一門としても必ず名を連ねている。和田弘とマヒナスターズのレコードは、フランク永井の関係で25センチ盤のLPシリーズ「魅惑のコーラス」が全部そろってはいないが手元にある。
 フランク永井の曲を他の歌手あるいはコーラス・グループがどう歌っているのかと思って、カバーの入っているレコードに手をだしたのだった。羽田発7時50分、夜霧の第二国道、東京午前三時、場末のペット吹き、有楽町で逢いましょうなど、初期の作品でマヒナが吉田正と組んで多くのヒット曲をだしたときに歌ったものだ。

 フランク永井を「魅惑の低音」で売り、マヒナについては「魅惑のコーラス」でビクターは売っていた。確かに当時は裏声+スチールギターの組み合わせでのパフォーマンスはビアガーデンでもナイトクラブでも、雰囲気をつくる生のBGMとしては素晴らしい効果があったものだ。
 それがあこがれのハワイと連想が膨らむので、現在と違いハワイなど遠い異国のものであったために、こうしたコーラスグループの先鞭をつけたという点でも評価されている。

 戦後のその時代は文化の輸出入も戦勝国の管理下にあったので、現在とはそうとう異なる障壁(輸入映画の本数の制限まであった)があったようだ。海外に移住している日本人にとっては日本で流行の歌を聴くことが、いかに楽しみであったことかは、さまざまなエピソードで語られている。フランク永井は海外日本人の間でも、国際的に通用する歌手として人気であったことから、輸出もそれなりに力が入れられた。
 多くの日本の歌謡曲を吹き込んでいるサム・テイラーが米国レコード店でたまたま「夜霧の第二国道」を聴いて日本の流行歌の魅力に取りつかれた、といっているぐらいである。
 ビクターでは、ニーズがあったものについては、国内版のレコードにJVCシールを上から貼って、ビクターのロゴ(HIS、犬のマークは、日本国内での使用は認められていたが、世界的なビクターとの関係から日本ビクターは認められていなかったもの)を入れ替えて扱った。以前紹介したこともあるが、フランク永井の初期のLPシリーズである「魅惑の低音」(モノラル版で第1集から14集まで出され、その後にステレオ・ハイライト・シリーズに引き継がれた)のいくつかは、このマヒナスターズの盤のように、レコード盤もエンベロープもJVCブランドで最初から作成された。
 表はほとんど同じデザインだ。裏面の曲名は日本語とローマ字。歌詞は、すべてローマ字で書かれている。リリース年と価格は消えている。

 海外盤はこのように日本ブランドで作って出したものばかりでなく、海外のレコード会社に音源の貸し出しをして製造販売を認可して、現地生産でも出された。しかし、その後著作権を無視した海賊版も横行し、裏でとんでもないところまで流れていく。逆輸入もされる。
 手元にあるJVC盤がどのようなルートでたどり着いたのかは知れないが、こうしたレコードをみていると、社会のさまざまな脈動に接することができるのである。

 実際にどれほど売れたのかはまったく不明だが、海外で購入して聴けた日本人はきっと感動し、祖国に思いをはせたことであろう。

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