


フランク永井が活躍したのは1957(32)年「有楽町で逢いましょう」がヒットした年からといってよい。
これに先立つこと1946(S21)年5月、といえば戦争が終わった翌年半年後に、NHK大阪中央局で「風はそよかぜ」(東辰三作詞、明本京静 作曲)が放送された。後に「NHKラジオ歌謡」として全国で聴かれるようになった最初の曲である。
ラジオ歌謡は以来「山小舎の灯」「あざみの歌」「山の煙り」「白い花の咲く頃」等々のこころに残る名曲の数々を生み出し16年間も放送された。歌われた全曲数はなんと846曲を数えるという。
NHK、国営放送の弱みから戦中は大本営発表に協力せざるを得なかったことへの反省もあったいうが、戦争で荒廃した日本の再建に心に支えをとこの番組がスタートしたという。この時期に民間のラジオ局もでき、大阪朝日放送では独自の路線で同様の歌謡番組をはじめた。呉羽紡績(東洋紡)がスポンサーの「ホーム・ソング」という番組である。朝日放送もNHKもこのための楽団までもつ力の入れようで、そうほう競って番組作りに力をそそいだ。
近年に、日本ラジオ歌謡研究会が工藤会長や全国のファン・研究者で記録の収集が熱心に展開されて、ほぼ全容が明らかになっている。残念なことに当のNHKは関心が薄いようだ。ラジオ歌謡も、ホーム・ソングもすべての曲の情報・資料・音源が残されているわけではない。当時放送用のテープが高価なことから再利用されて、放送後消えてしまった音源も多い。国営のNHKですらアーカイブ思想が極めて薄かったことが背景にある。
フランク永井は、この「ラジオ歌謡」では、アイスクリームの夜(1958)、高原のラブ・コール(1958)、いつの日逢える(1959)を歌っていると記録に残されているが、いずれも音源はない。前者2つは歌詞とメロディーの資料がのある。フランク菅原さんの復刻歌唱がある。一方「ホーム・ソング」では20曲近くをフランク永井は歌っている。別項でも触れたが「あふれる朝の」は未発見である。
さてラジオ歌謡、ホーム・ソングのいずれにおいても、人気の曲を中心にレコードとしてリリースされたものも相当数に及ぶ。「リンゴの歌」の並木路子の「森の水車」、「白い花の咲く頃」「リラの花咲く頃」岡本敦郎、「山小舎の灯」の近江俊郎、霧島昇の「お山のからす」等々。今はファンの声にこたえる形で代表的なものをCDボックス売り出されているので、楽しむことができる。前者50曲、後者44曲が収録されている。
さて今年の音楽祭のプログラムだが、新たに「麻峰良介とミュージック・シャングリア」のバンドが1部の演奏を担当した。懐かしい「今週の明星の歌」で開始。東京ラジオ歌謡を歌う会のそうそうたるメンバーによる歌唱が20余曲つづいた。
会場が一緒に歌うとか聴くほうにも休ませない。「ラジオ歌謡と間違えられる曲コーナー」というのも設けられている。NHKラジオ歌謡は雰囲気として「清らかな」というのがあって歌手や歌唱も正統なきっちりしたもので、実はラジオ歌謡で歌われたものでないがそのような感じの曲は多く、後年ラジオ歌謡のお仲間として扱われた曲もある。同時に、ラジオ歌謡でありながら「らしくない」という意外なものも含まれているのだが。
この音楽祭に誘っていただいたHさんは毎回壇上でみごとな歌唱を紹介してくださるのだが、今年も奥山靉作詞服部良一作曲「夢去りぬ」を披露してくださった。
2部は演奏がユニークなエレクトーン奏者で編曲も担当されている長谷川幹人。ここでも15曲歌われた。最後にゲストの歌だが、ラジオ歌謡に多くの歌唱を提供している三鷹淳と鳴海日出夫のプロによる歌唱を紹介。毎年聴いて感心するのだが、まったく年齢を感じさせない、プロの典型のような圧倒的な歌唱に会場が酔った。
地元のケーブルテレビでは放送もされているとのことだが、ご興味のある方は一度足を運んでみたらいかがだろうか。