
フランク永井が歌って大ヒットし、第3回レコード大賞に輝いた「君恋し」を石原裕次郎がリバイバルシリーズでカバーしている。1969(S44)年末に「裕次郎が歌う「魅惑の抒情歌」(戦前篇)」(戦後篇は1年後に)というLPを出すときに最初に吹き込み、間もなく(1970/01)シングルEPでもリリースしている。
この「君恋し」はフランク永井のものとは違い、二村貞一らが戦前に歌った「君恋し」の流れにそったものである。フランク永井の「君恋し」は寺岡真三のみごとでフレッシュな編曲がジャズ風を引き立たせたものであるが、石原裕次郎の歌ったものは佐々紅華作曲の原曲のメロディーが素直に活かされているものだ。
戦前にそうとう歌われ流行ったという二村や佐藤千夜子らの歌う「君恋し」は現代ではなかなかなじめるわけではない。それは演奏や歌唱が現代と大きく異なっているためになじめないのかもしれない。当時は比較するものがないなかで、メロディーが鮮やかで印象的だったであろうし、時雨音羽の「宵闇せまれば...」という歌詞が何ともイメージをふくらます刺激的な雰囲気をもつものだった。これが人の心をとらえたのだったかもしれない。
そんなことで、フランク永井が歌うときに大胆に三番目の歌詞を外してしまったのだが、裕次郎版では「去りゆくあの影...臙脂の紅帯...」という三番の歌詞が楽しめる。
昨年9月にNHK-BSで放映された「今も響くこころの歌~映画が生んだ大スター石原裕次郎~」が今月に再放送された。これはフランク永井の「歌伝説」の番組を制作したスタッフが練り上げたものだけに、裕次郎の魅力のエッセンスがギュッとつまった高質のプログラムになっている。
石原裕次郎は言わずと知れた昭和のスターで、美空ひばりと並んで称されることが多い。石原裕次郎自身は映画スターとして、最初は歌わされ、結果としてレコードが売れ、その後レコードも相当数を出しているのだが、本人は歌は本職ではないと常に言っていた。しかし、これも映画の歴史に記録されるかもしれない「黒部の太陽」の制作時の資金繰りから自ら進んで歌での全国行脚を決行してしのぐという事態となり、歌とのつながりは避けられなかった。
フランク永井もそうだが、当時の歌手でも出始めたばかりで未評価のTVへの姿勢もあり、石原裕次郎も歌の映像は驚くほど少ない。今では他のテレビ局でも流用で使用されているのがNHKの「ビッグ・ショー」映像だ。紺に白の水玉というスーツ姿のカラー映像。これが唯一(?)映像的に使えるカラー映像で他にTVドラマ「西部警察」で挟んだ映像とわずかなものしかない。モノクロでもいくつかしか残っていない。
美空ひばりはTBSだけでも800時間近い映像が残っているというから驚きだ。裕次郎ものでは貴重なモノクロを実験的に疑似カラー映像にしたというのもあるのだが、著作権とかさまざまな問題で観ることはままならない。
裕次郎は自ら歌手ではないというように、発声歌唱は映画でのセリフ回しのままであり、しゃくりというのかどうか知らないが、独特の微妙な回し方はあっても、いわゆる歌の歌唱を学んだ歌唱法にまったくこだわっていない。実は彼の歌がたいへんな勢いで売れた魅力のもとがこの映画での裕次郎の声、話し方がそのまま素人っぽくてあやうくて、身近に感じてイイという点である。だから、歌の芸術的な意味での評価は型破りを押し出している裕次郎にはあてはまらない。微妙な音程とかリズムとかはどうでもOKなのである。
美空ひばりやフランク永井らのプロの歌手からするとそれはという気を持っても、人気が第一の世界にあって、ファン層の棲み分けということで互いの人気に敬意をもって接していた。
裕次郎とひばりのツーショットは多く残っているが、フランク永井と裕次郎のは見かけない。それは互いの陣営が当時強く棲み分け意識を保持していたことがある。相手の土俵を安易に乱さない。
裕次郎の冒頓の音質と響きを知り尽くして作り上げたのが1967年「夜霧よ今夜も有難う」、浜口庫之助の傑作だ。ハマクラは昭和歌謡史の中の作曲家の中でも、私的には山本直純、小林亜星らと並ぶ異才である。「夜霧よ今夜も有難う」は歌詞の持つ妙な意識的な欠落といいラフな裕次郎の歌唱といい、まさに「流行歌のヒット曲」になくてはならない「欠落の要素」を余すとことなく表現したものだ。
浜口庫之助はフランク永井にも歌を提供している。1967(S42)年の「風と二人で」「灯りを消そうよ」である。いい歌なのだが、やはり歌唱のうまいフランク永井が歌うとヒット曲の要素が逆に欠落するという、なんとも言えない例かもしれない。
そのようなことを焼酎を片手に聴いてみるのはいかがだろうか。