2014年2月アーカイブ

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 フランク永井が歌って大ヒットし、第3回レコード大賞に輝いた「君恋し」を石原裕次郎がリバイバルシリーズでカバーしている。1969(S44)年末に「裕次郎が歌う「魅惑の抒情歌」(戦前篇)」(戦後篇は1年後に)というLPを出すときに最初に吹き込み、間もなく(1970/01)シングルEPでもリリースしている。
 この「君恋し」はフランク永井のものとは違い、二村貞一らが戦前に歌った「君恋し」の流れにそったものである。フランク永井の「君恋し」は寺岡真三のみごとでフレッシュな編曲がジャズ風を引き立たせたものであるが、石原裕次郎の歌ったものは佐々紅華作曲の原曲のメロディーが素直に活かされているものだ。
 戦前にそうとう歌われ流行ったという二村や佐藤千夜子らの歌う「君恋し」は現代ではなかなかなじめるわけではない。それは演奏や歌唱が現代と大きく異なっているためになじめないのかもしれない。当時は比較するものがないなかで、メロディーが鮮やかで印象的だったであろうし、時雨音羽の「宵闇せまれば...」という歌詞が何ともイメージをふくらます刺激的な雰囲気をもつものだった。これが人の心をとらえたのだったかもしれない。
 そんなことで、フランク永井が歌うときに大胆に三番目の歌詞を外してしまったのだが、裕次郎版では「去りゆくあの影...臙脂の紅帯...」という三番の歌詞が楽しめる。
 昨年9月にNHK-BSで放映された「今も響くこころの歌~映画が生んだ大スター石原裕次郎~」が今月に再放送された。これはフランク永井の「歌伝説」の番組を制作したスタッフが練り上げたものだけに、裕次郎の魅力のエッセンスがギュッとつまった高質のプログラムになっている。
 石原裕次郎は言わずと知れた昭和のスターで、美空ひばりと並んで称されることが多い。石原裕次郎自身は映画スターとして、最初は歌わされ、結果としてレコードが売れ、その後レコードも相当数を出しているのだが、本人は歌は本職ではないと常に言っていた。しかし、これも映画の歴史に記録されるかもしれない「黒部の太陽」の制作時の資金繰りから自ら進んで歌での全国行脚を決行してしのぐという事態となり、歌とのつながりは避けられなかった。
 フランク永井もそうだが、当時の歌手でも出始めたばかりで未評価のTVへの姿勢もあり、石原裕次郎も歌の映像は驚くほど少ない。今では他のテレビ局でも流用で使用されているのがNHKの「ビッグ・ショー」映像だ。紺に白の水玉というスーツ姿のカラー映像。これが唯一(?)映像的に使えるカラー映像で他にTVドラマ「西部警察」で挟んだ映像とわずかなものしかない。モノクロでもいくつかしか残っていない。
 美空ひばりはTBSだけでも800時間近い映像が残っているというから驚きだ。裕次郎ものでは貴重なモノクロを実験的に疑似カラー映像にしたというのもあるのだが、著作権とかさまざまな問題で観ることはままならない。
 裕次郎は自ら歌手ではないというように、発声歌唱は映画でのセリフ回しのままであり、しゃくりというのかどうか知らないが、独特の微妙な回し方はあっても、いわゆる歌の歌唱を学んだ歌唱法にまったくこだわっていない。実は彼の歌がたいへんな勢いで売れた魅力のもとがこの映画での裕次郎の声、話し方がそのまま素人っぽくてあやうくて、身近に感じてイイという点である。だから、歌の芸術的な意味での評価は型破りを押し出している裕次郎にはあてはまらない。微妙な音程とかリズムとかはどうでもOKなのである。
 美空ひばりやフランク永井らのプロの歌手からするとそれはという気を持っても、人気が第一の世界にあって、ファン層の棲み分けということで互いの人気に敬意をもって接していた。
 裕次郎とひばりのツーショットは多く残っているが、フランク永井と裕次郎のは見かけない。それは互いの陣営が当時強く棲み分け意識を保持していたことがある。相手の土俵を安易に乱さない。
 裕次郎の冒頓の音質と響きを知り尽くして作り上げたのが1967年「夜霧よ今夜も有難う」、浜口庫之助の傑作だ。ハマクラは昭和歌謡史の中の作曲家の中でも、私的には山本直純、小林亜星らと並ぶ異才である。「夜霧よ今夜も有難う」は歌詞の持つ妙な意識的な欠落といいラフな裕次郎の歌唱といい、まさに「流行歌のヒット曲」になくてはならない「欠落の要素」を余すとことなく表現したものだ。
 浜口庫之助はフランク永井にも歌を提供している。1967(S42)年の「風と二人で」「灯りを消そうよ」である。いい歌なのだが、やはり歌唱のうまいフランク永井が歌うとヒット曲の要素が逆に欠落するという、なんとも言えない例かもしれない。
 そのようなことを焼酎を片手に聴いてみるのはいかがだろうか。
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 今週は第4回目「三匹のおっさん」が放映され、そこでいきなり主役のひとりである北大路欣也演じるキヨによる「羽田発7時50分」が歌われた。今回で連続4回、期待にたがわずフランク永井のヒット曲が番組のなかで歌われた。
 もちろん、番組の製作者は意識してのことであるのだが、みごとに毎週フランク永井のヒット曲をそれとなく紹介してくれたというわけである。えっ!来週? それは放送して見なければわからない。
 「羽田発7時50分」は1957(S32)年11月、代表曲中の代表的な曲となった「有楽町で逢いましょう」と同月にリリースされたもの。「夜霧の第二国道」と同じ宮川哲夫作詞で曲は豊田一雄でフランク永井の味がよくでている作品。当時はヒットしたり人気歌手のものだったりするとすぐに映画化されたが、これも当然されている。羽田空港からの発着がこれ以降に制限されてこの7時50分の便はその後なくなったのだが「羽田発...」といえば合言葉のように「7時50分」といわれたものだ。
 NHK-BSでは「今も響くこころの歌~映画が生んだ大スター石原裕次郎~」が放映された。シリーズの第4回である。ここでゲストの鳥越俊太郎が石原裕次郎をとおした昭和歌謡を熱く語っていた。戦後日本の復興の波と重なり、その波のピークでこの世を去った裕次郎はまさに大スターだったのだと。
 裕次郎が「狂った果実」で歌にデビューしたのが1956年8月、フランク永井はジャズデビューが1955年だが流行歌第1号「場末のペット吹き」を出したのが9月。低音の三羽烏のひとりキングの三船浩が「男のブルース」を出したのが12月。三橋美智也、春日八郎らの高音で舞台通りする歌が主流の世界に、低音ブームが登場したのだった。
 戦争で疲弊し米軍の空襲で破壊された街並みが全国からつぎつぎと上京する人々の手によって、どんどんと復興され新しく作り直されていった。勢いがついてモダンになっていく。故郷への望郷と合わせて、東京など都会の大人びたムードを歓迎する心の余裕が出てきた。身は貧しいのだが明日への希望が満ち溢れていた。そのような時代であった。
 こうした庶民の気持ちを代弁したのが当時の歌謡曲であり、歌謡曲は当時の人びとの日常の生活と共に存在し、口ずさまれていた。フランク永井や裕次郎はこうした時代の盛り上がりと並行して存在し(そして消えていった)のだが、この盛り上がりを「昭和歌謡」とくくっているようである。
 以前に「昭和歌謡」とはと突っ込まれあらためて振り返ってみたら、なかにし礼が記した「歌謡曲から昭和を読む」という著作が深く整理されている。昭和歌謡黄金時代というピークはなぜにもりさがった(?)のかという説明にもうなずくものが多かった。
 なかしに礼はフランク永井にもオリジナル曲も含めて15曲ほど提供している。たいへん印象深いのは後年の1983(S58)年の「旅秋」(作曲吉田正、編曲高田弘)である。フランク永井が大人の旅の雰囲気を深くだしている人気の名作である。
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 テレビ東京「金曜8時のドラマ」で1月から始まった有川浩原作(別冊文藝春秋)の作品が放映されている。このドラマでは期待を裏切らずに、フランク永井の歌が主演の北大路欣也によって披露される。1作目では事件を解決後「有楽町で逢いましょう」、2作目では対決に向かうとき「おまえに」、3作目ではいざ行動前に「夜霧の第二国道」といった具合だ。
 ドラマは北大路欣也ふんする剣道の達人・キヨと幼いころからの悪がき仲間の泉谷しげるふんする柔道家・シゲと志賀廣太郎ふんする頭脳派工場経営者・ノリの三人が身近な悪をこらしめるという痛快ドラマだ。そうごくせんののりをほうふつさせる人情あり、やや古いが旗本退屈男の時代劇調あり、「おまえらのすることは隅から隅までお見通しなんだ」と決める仲間由紀恵のトリック、いやこれはやや違うな、まあそんなふうに軽い気分でリラックスできる痛快ものだ。
 北大路欣也はかつてレコードも出したことがあるいい声の俳優で時代劇はもちろん、現代ものでもしぶい演技に多くのファンを持つ。それにロックのがんこなおっさん代表の泉谷がタッグ、志賀廣太郎が年配の硬い演技でフォローしている。このコンビは実にいい。ギャンブル経済と詐欺師政治がばっこする今の世に、許せない悪が身近に暗躍している。これをあばき、身近で良心的に普通に生活をしている庶民を守るのだ。
 定年して自主的にひそかに自警団をつくって行動するのだが、なかなかの活躍をする。
 多くの街々では、自分の街を守るために町内会の防犯部が中心になって、地道に奮闘している。子どもや年寄りを守るというのは、個人や家族だけではできない。隣組のような地元に根をはった日常のつながりが、いざといったときの災害や、日常にしのびよる真の手から防衛にいちばん効果的だ。
 尊敬すべきそのような地道な活動で触れるさまざまな事件を、わかりやすくドラマ化しているので、自警の意識の高揚におおいに役立つ可能性がある。もちろん、ドラマなので細かいことをつっこんでも意味がないが、他人事でない身近なことを取りあげている点が気に入っている。
 第1作目を観たときに、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」をさりげなくなじんで歌っていたのにはやや驚いた。しかし2作目でもフランク永井の歌が歌われたときに、昭和の時代にもりもりと活躍したおっさんは皆これを口ずさんでいたのだと、あらためて思いおこし、もしかしてこれは3作でもと欲目で期待した。期待を裏切らずに、主人公キヨは歌ったのだ。
 来週も続くのか。そんな期待をしてはいるが、それは観てみないとわからない。

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