追悼! フランク永井「おまえに」歌碑オープン時に作詞家岩谷時子さんが逝去

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 10月27日のフランク永井の亡くなった日に、宮城県大崎市松山で「おまえに」の歌碑が建立されてということを報じたばかりであった。「おまえに」の作詞をされた岩谷時子さんが亡くなられたという報道が28日にされた。こころからお悔やみ申し上げます。
 歌碑のオープンは当然ご存じとはいえ、ほんとに残念。

 除幕式の様子は当日のTVでのニュース*やWebニュース、翌日の新聞で報道されました。開催されたフランク永井歌コンクール実行委員会(実行委員長/畑中敏亮さん)からの様子を紹介します。
 フランク永井常設展示室があるふるさと歴史館、公民館の前の広場に、1×1.8mの碑が建てられた。前面に岩谷時子作詞の「おまえに」の歌詞、背面にはフランク永井の功績リストが刻まれている。
 フランク永井の実姉美根子さんやビクター、吉田正音楽記念館、大崎市長等の関係者が出席された。式には百数十人の方々が参加されて、称えるいくつかの行事がもようされた。5回を数えた歌コンクール歴代の優勝者の歌唱、地元松中吹奏楽部の演奏、フランク永井が唄う東北音頭のおどりの披露等々が続いた。
 東日本大震災をはさんで5回を大成功に導いたこのとし、地元が生んだフランク永井の功績を永く記念して引き継ごうという熱意が、募金を成功させてこのような碑の建立までこぎつけたのである。これは全国のファンはもとより、なによりもフランク永井自身がいちばん喜ばれているのではないだろうか。
 こうした暑い行動力が、実際にさまざまなことに地域が一丸となるおおきな求心力になっているということで、地域活動のみならうべき見本を示してくれている。

 さて、岩谷時子さん(以後敬称を略させていただきます)について。この日本歌謡界を築き上げた功労者である。ほんとにありがとう!
 岩谷時子については越路吹雪とともに歩みながらすばらしい世界を切り開いた。ザ・ピーナッツ、加山雄三をはじめ多くの歌手におよそ3,000を超す詞を書いている。フランク永井にも「おまえに」という大ヒット曲を提供したが、実は多くの詞を提供しているのである。
 最初は、ビクター吉田正と組んで、1965年のフランク永井第2回リサイタルの組曲「慕情」を書いたのを最初に、10余曲に関係している。「慕情」は第20回芸術祭大衆芸能奨励賞に輝いたもので、およそ20分ドラマのように展開する長編組曲だ。この構想自身が歌謡界初であったばかりか、フランク永井の朗々とした歌唱が観客をとりこにした大作だった。
 翌1966年に最初の「おまえに」を書く。翌年にカバーLP「恋心~フランク永井とともに」(1967:SJV-256)をリリースするのだが、ここでシャンソンや岩谷が岸洋子に書いた「夜明けの歌」を含む当時の他の歌手のヒット曲を歌った。ビクターヒット賞を得たが、当時トップ歌手がカバーを出すのが珍しかった時代に、フランク永井のなみなみならぬ歌唱力をみせつけたものであった。
 その後1978年までに「お前がいいと言うのなら」「そっとしといてあげるから」「たった一度の愛の言葉」「ほんとは好きなのに」「愛は永遠に」「季節はずれの風鈴」「兄弟だから」「黒い椅子」「妻を恋うる唄」「紫陽花の歌」「知っていたのかい」を書いてくれた。フランク永井はこうしたオリジナル曲以外に、岩谷の大ヒット曲「いいじゃないの幸せならば」「ウナ・セラ・ディ東京」「サン・トワ・マミー」なをカバーしたのが残されている。

※写真左岩谷時子、右リストは朝日新聞より
※http://www.youtube.com/watch?v=--9l77t7EFU(歌手・フランク永井さんをしのぶ歌碑完成 除幕式開かれる(宮城13/10/27) 

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このページは、文四郎が2013年10月29日 19:19に書いたブログ記事です。

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