フランク永井の故郷に「おまえに」歌碑が建立される

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 この10月27日は、2008(H20)年にフランク永井が永眠した日。快晴の今日、フランク永井の生誕の地宮城県大崎市松山で、「おまえに」の歌碑の除幕式が開催される。
 「おまえに」と歌碑について記してみた。
 この日、この地に「おまえに」に歌碑が建つことは、歴史の重みを胸にヅンと受け止めるということでもある。
 フランク永井が戦後日本の多くのひとびとに表現しがたい貢献・功績をのこしたということは絶対に忘れてならないこと。これが碑として永遠の証をつくる。ピラミッドのごとく大切に守り抜くことでまさに、永遠にその大事さを残すということ。なま半端な気持ちでできることではない。
 生誕地は誰であっても心のそこに染み付いているもので、そこのひとびとが感謝の思いを永遠に忘れないのだということこそ、フランク永井自身にとって最高のうれしさだ
と思う。
 生きているうちには誰しもさまざまな当面することがある。いまフランク永井は最高のしあわせを感じているのではないだろうか。しかも、フランク永井がこだわりにこだわりぬいた代表曲「おまえに」が歌碑であること。
 「おまえに」は、1966年にこれも代表曲である「大阪ろまん」のB面で発売され、結果的にA面に埋もれてしまった。しかし恩師吉田正への恩返しをすることの証のひとつという思いがつのつことあっても、忘れられずに自らの意思で、1972年に2回目のリリースをする。だが、この時点でも「おまえに」という歌にこめられたフランク永井の意図と世間の受け取りに差があっていまひとつ盛り上がらなかった。
 多くの日本人の男は正面から妻に感謝の意を表現するのが苦手。このときに、ちゃらちゃらした浮ついたものではなく、そのような男と気持ちをさらりと「そばにいれくれるだけでいい」というような表現を書いた天才岩谷時子の感覚がさえる。フランク永井のような熟した男の気持ちが広く受け入れられるようになったのは、カラオケ文化の到来とも重なってくる。
 1977年に、フランク永井の決意の頂点とも言えるあえて3回目の吹き込み直しによる「おまえに」の発売。B面は「妻を恋うる唄」でこれも代表曲のひとつになった。この時期になってようやく花が開いていく。声もいっそうフランク永井らしくなり、よく効き比べると一部歌い方もかえている。12年がかりで、3回吹き込みなおしによるリリースはこの「おまえに」だけだ。
 フランク永井の秘めた執念が実現した、この「おまえに」はいまでもカラオケでは歌われているランキングが高いと聞く。
 恩師への感謝の姿勢がこのような形で実ったというエピソードは、いまでは広く知られていることではあるが、フランク永井のこの恩師への尊敬と畏敬、信頼を貫くとい
うことの大切さをこそ、人は知り実行すべきということをいま静かに訴えているように感じる。
 このような「おまえに」が今年生誕の地に、まさにふさわしい形で完成し、それをお祝いし、こころから喜びたいと思う。

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このページは、文四郎が2013年10月27日 13:05に書いたブログ記事です。

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