フランク永井が歌う「16トン」はいいですよ

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 フランク永井が1955(S30)年に歌った「16トン Sexteen Tons」は、当時流行の洋楽といっても占領軍である米国のポピュラー曲がもとである。「16トン」は1946年というからちょうど終戦の直後にケンタッキー州の炭鉱で働いた経験のあるM.トラビスとJ.S.デイビスが老いた工夫から聞いたさまざまな話をもとにして作ったといわれる。
 歌詞は当時の工夫の生活の悲惨な状態をつづったものである。
 いちやく有名にしたのは当時ディスク・ジョッキーであったテネシー・アー二―フォードが1955年に歌ったもの。全米カントリー・ヒットチャートで6週連続トップの記録だったというからすごいものである。たしかに聞いてみると歌の内容と声質があっていて、軽快なリズムとのりは抜群である。西部劇の主題歌というかカントリーを代表するフランキー・レインもカバーしている。
 曲を作ったトラビスも歌っているが、聴けばアー二―フォードやフランキー・レインにはかなわない。若きスティービー・ワンダー、トム・ジョーンズ、プレスリーも歌っているというが聴いていないのでわからない。
 テネシー・アー二―フォードの超ヒットにより、世界中で多くの歌手によってカバーされて広がって行ったようだ。労働歌のような趣もあり、当時のソ連をはじめとする東欧圏でも歌われたと聞く。
 「16トン」は米国で流行った年に、日本にも伝わる。日本では戦後進駐軍キャンプでの歌のニーズが謡曲の輸入に欠かせないものであった。当時のキャンプ経験の男性歌手は歌っているが、レコーディングして売り出したものでは、フランク永井のものが代表的と言える。プラターズ、小坂一也も同時期にレコード化している。
 当時の洋楽は英語の歌詞と日本語訳詞が併記であった。ビクターでは当時井田誠一が訳詞で大活躍している。フランク永井がデビューして最初の4曲は洋楽、当時ジャズとひとくくりでポプラ-ソングを呼んでいたのだが、「16トン」以外の「恋人よわれに帰れ」「グッド・ナイト・スイート・ハート」「ばらの刺青」いずれも井田誠一が訳詞をはめている。
 これはビクターに限ったわけではなく、小坂一也が歌った歌詞もそうである。小坂はコロンビアから別訳詞で歌っている。
 さて、フランク永井の「16トン」であるが、大変素晴らしい。
 1955年の最初の吹き込みは当時23歳の若さで歌った。これは今聞けば大変素直な教科書のような歌い方。フランク永井の魅力が全開しているというにはちょっと気が引ける。
 フランク永井はこのあとも機会があれば歌っている。特に、全国を公演するときに、機会があればこの曲を歌った。全国行脚はいつもフランクス・ナインが演奏をしていた。労音公演がLPで2回分残っているがいずれでも歌っている。(1970:JV-316では2回分をまとめてLPにしているが、ここでは2回目のものだけを含めているが)
 この2回目の公演では英語歌詞だけで(その後はこの英語歌詞だけのが多い)歌っているのだが、これが一番好きである。フランク永井のリズム感とのりにのった全盛期ともいえる伸びのある声がいい。
 これは、テネシー・アー二―フォードにまさるとも劣らないというのはひいきのひきだおしか、しかし、冷静に聴いても、フランク永井の歌の方がメリハリがあり、何よりも彼の音質がこの曲にはまっていると思う。
 フランク永井のジャズCDには、必ずといっていいほどこの「16トン」が含められている。「16トン」は現代ではすでにオールデイズにくくられているが、この曲を日本で歌った代表としてフランク永井は永遠に残るであろう。

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このページは、文四郎が2013年9月10日 10:20に書いたブログ記事です。

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