2013年9月アーカイブ

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 「文藝春秋」スペシャル2013秋号では「もう一度だけラブレター」という特集をしている。2大1000人アンケートのひとつに「心に残るラブソング全80曲」という企画があり、石井謙一郎がまとめている。
 65歳以上の1000人というのが分母である。詳細な結果は記事をご覧いただきたいが、ここでは全体と、男性・女性ごとの内訳がある。( )はいずれもポイント。
 結果の上位を記すと1位は「銀座の恋の物語」(35)、2位「有楽町で逢いましょう」(34)、3位「愛の讃歌」(31)。
 男性では、1位「有楽町で逢いましょう」(20)、2位「銀座の恋の物語」(17)、3位「君といつまでも」「ラブ・ミー・テンダー」(14)で、3位にプレスリーがはいっている。
 女性では、1位「愛の讃歌」(24)、2位「銀座の恋の物語」(18)、3位「有楽町で逢いましょう」(14)となっている。
 ちなみに「おまえに」は9位、「君恋し」は27位となっている。
 80曲にはプレスリーやパット・ブーンという当時の世界的なスターもはいるが、ほとんどの曲は昭和歌謡をきらびやかに飾った、だれもがくちずさんだ流行歌である。
 石原裕次郎はあの甘い声とナガイ足であばれまわり、時代の印象として強烈なものを皆に残した。「銀座の恋の物語」は歌いやすいデュエットということもあり、カラオケ時代でも人気は衰えない。若い人にはクサさがあるかもしれないが、もはやそうしたヒキをとうに捨てた65歳以上の人たちには何のてらいもない。
 大都市東京の激変は、前後の高揚期で、このときにタイミングよく迎えたオリンピックとも重なり、その時代を経験している人には忘れなれない印象をもたらしている。それはさまざまな、ひとりひとりの若い時のエピソードと共に流行歌と結びついている。
 フランク永井の「有楽町で逢いましょう」はまさに今までに聴いたことのない、東京のイメージを素敵なメロディーにのって広げた。日本人の都会へのあこがれと、活気ある社会の未来への夢とがかぶさったものとしての歌であった。
 日本に大衆歌が歌われだしたころからのメローディーラインがあり、それを踏襲してできた作品が中山晋平らの歌。日本人の心情にふれたもので自然に受け入れられていった。この和のメロディーに沿い、さらに民謡や浪曲や都都逸やとも通じるのではないかと思える、ふるさと志向の歌が主流をなしていく。
 こうした状況で「有楽町で逢いましょう」が登場する。メロディーは吉田正。吉田正の偉大なところは、これまでの和調と故郷志向にたいし、洋をからませ、都会を連想させるものを生み出したのだ。
 戦後の荒廃から首都東京を中心に、すべてをリセットし世界最大の近代的な大都市に勢いよく変身していくのに、巧みにシンクロしていく曲である。この時代、集団就職で地方から多くのひとが都会になだれこみ、なぎ倒された街を変えていくのに貢献した。
 そのときのどきのさまざまな思い出と共に、この「有楽町で逢いましょう」は心に刻み込まれたのだ。
 この文春スペシャルでの記録は流行歌からみた、時代をふりかえる人々の当時の心情というものを思い起こさせる。特徴を明確にしめしたものと感じた。
 この記事情報はいつもユニークなテーマを教えてくださるIIさんからいただいたものです。多謝!

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 フランク永井が1955(S30)年に歌った「16トン Sexteen Tons」は、当時流行の洋楽といっても占領軍である米国のポピュラー曲がもとである。「16トン」は1946年というからちょうど終戦の直後にケンタッキー州の炭鉱で働いた経験のあるM.トラビスとJ.S.デイビスが老いた工夫から聞いたさまざまな話をもとにして作ったといわれる。
 歌詞は当時の工夫の生活の悲惨な状態をつづったものである。
 いちやく有名にしたのは当時ディスク・ジョッキーであったテネシー・アー二―フォードが1955年に歌ったもの。全米カントリー・ヒットチャートで6週連続トップの記録だったというからすごいものである。たしかに聞いてみると歌の内容と声質があっていて、軽快なリズムとのりは抜群である。西部劇の主題歌というかカントリーを代表するフランキー・レインもカバーしている。
 曲を作ったトラビスも歌っているが、聴けばアー二―フォードやフランキー・レインにはかなわない。若きスティービー・ワンダー、トム・ジョーンズ、プレスリーも歌っているというが聴いていないのでわからない。
 テネシー・アー二―フォードの超ヒットにより、世界中で多くの歌手によってカバーされて広がって行ったようだ。労働歌のような趣もあり、当時のソ連をはじめとする東欧圏でも歌われたと聞く。
 「16トン」は米国で流行った年に、日本にも伝わる。日本では戦後進駐軍キャンプでの歌のニーズが謡曲の輸入に欠かせないものであった。当時のキャンプ経験の男性歌手は歌っているが、レコーディングして売り出したものでは、フランク永井のものが代表的と言える。プラターズ、小坂一也も同時期にレコード化している。
 当時の洋楽は英語の歌詞と日本語訳詞が併記であった。ビクターでは当時井田誠一が訳詞で大活躍している。フランク永井がデビューして最初の4曲は洋楽、当時ジャズとひとくくりでポプラ-ソングを呼んでいたのだが、「16トン」以外の「恋人よわれに帰れ」「グッド・ナイト・スイート・ハート」「ばらの刺青」いずれも井田誠一が訳詞をはめている。
 これはビクターに限ったわけではなく、小坂一也が歌った歌詞もそうである。小坂はコロンビアから別訳詞で歌っている。
 さて、フランク永井の「16トン」であるが、大変素晴らしい。
 1955年の最初の吹き込みは当時23歳の若さで歌った。これは今聞けば大変素直な教科書のような歌い方。フランク永井の魅力が全開しているというにはちょっと気が引ける。
 フランク永井はこのあとも機会があれば歌っている。特に、全国を公演するときに、機会があればこの曲を歌った。全国行脚はいつもフランクス・ナインが演奏をしていた。労音公演がLPで2回分残っているがいずれでも歌っている。(1970:JV-316では2回分をまとめてLPにしているが、ここでは2回目のものだけを含めているが)
 この2回目の公演では英語歌詞だけで(その後はこの英語歌詞だけのが多い)歌っているのだが、これが一番好きである。フランク永井のリズム感とのりにのった全盛期ともいえる伸びのある声がいい。
 これは、テネシー・アー二―フォードにまさるとも劣らないというのはひいきのひきだおしか、しかし、冷静に聴いても、フランク永井の歌の方がメリハリがあり、何よりも彼の音質がこの曲にはまっていると思う。
 フランク永井のジャズCDには、必ずといっていいほどこの「16トン」が含められている。「16トン」は現代ではすでにオールデイズにくくられているが、この曲を日本で歌った代表としてフランク永井は永遠に残るであろう。

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