「歌伝説~フランク永井の世界」(NHK-BS)再放送と戦後歌謡曲

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 NHK-BSプレミアムから先に繰り返し再放送された「歌伝説~フランク永井の世界」を何度か繰り返して観た。フランク永井のエッセンスがまとめられているとつくづく感心する。
 今年ももう8月に入った。8月になるといまだに1945(S20)年の終戦を思い起こすさまざまなことが取り上げられる。第二次世界大戦において日本は大きな痛手を受け、勝った連合軍の支配下となり、マッカーサーによる進駐軍20余万人が全国に駐留した。
 フランク永井の故郷宮城県は仙台に進駐軍が来て、そこで働いたこともこの番組で紹介していた(写真左上)。私の故郷である山形もしかりで、いま山形空港のある神町に来た(写真左下)。私の村には米軍射撃場があり、夜空はその訓練で砲弾のとびかう様子はまるで花火のように輝いていたのを思い起こす。
 進駐軍の動きはすばやい。この年の9月に、進駐軍放送(当時のWVTR後のFEN)をNHKのスタジオから放送を開始している。米兵が喜ぶというのが目標で、アメリカン・ポピュラーも、ジャズもタンゴもシャンソンも、すべてひっくるめて軽音楽と呼んで流された。
 日本はRAAを発足し米兵に慰安所を含む(今はタブーのようだが)だけでなく、ダンスホール、キャバレー、クラブなどを提供し、村から多くの人びとが働いた。
 日本の戦後の音楽、歌謡曲、ポピュラーソングは実はここから大きく成長したといってよい。ここに働き口があり、バンドマンをふくめて音楽をめざすものは皆ここではたらいた。江利チエミ、雪村いずみ、ペギー葉山、ウィリー沖山をはじめ、フランク永井とゴールデンデュエットを組んだ松尾和子(18歳米クラブでの写真右下方)もそうだった。
 この進駐軍は1950年の朝鮮戦争でも膨れ上がり、特需にもなり盛況をきたしたのだが、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効となり進駐軍はさっと引き揚げ、現在の沖縄を中心とする在日米軍と変わっていった。
 田舎からかき集められ地球の裏につれてこられた米兵を喜ばすための組織は、そのほとんどが解散となり、行き場を失うのだが、高度成長で見違えるように変わった都会では日本人のダンスホール、キャバレーができて、ここに流れていく。
 このあたりの動きを記しているのは写真右下の「進駐軍クラブから歌謡曲へ」である。フランク永井についていえば、この書籍での記録の直後からの活躍が主になる。写真右上の1958(S33)年4月号の「婦人生活」に紹介しているのが参考になる。
 「低音の魅力~フランク永井ものがたり」として、佐伯明夫が書いている。フランク永井が宮城県からでてきてから、米軍の施設やキャンプで働き、ジャズ歌手をめざしたが恩師吉田正とともに歌謡曲の道を歩みだし成功をおさめているあたりまでのものがたりである。
 フランク永井がそうであるように、戦後の日本の音楽界を築いた方々は、この進駐軍のクラブでの経験者たちであると言ってよい。
 番組「歌伝説~フランク永井の世界」は、戦後日本のとおってきた忘れられないひとこまを、この8月という暑い季節が来るたびに思い起こさせるのである。

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このページは、文四郎が2013年8月 3日 12:21に書いたブログ記事です。

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