2013年7月アーカイブ

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 NHKのこの番組の紹介:
 低音の魅力と共に、都会派ムード歌謡を代表する歌手として、昭和の歌謡史に一時代を築きあげたフランク永井さん。ぬくもりと包容力にみち、語りかけるような歌声は、世代を越えて多くの人々を魅了しました。
 番組では、2008年に亡くなったフランク永井さんの歌手としての魅力を、ゆかりの方たちのお話で紐解きながら、「君恋し」や「有楽町で逢いましょう」、松尾和子さんとのデュエット曲「東京ナイト・クラブ」などのヒット曲の数々をご紹介します。(初回放送:BS2 2009年3月1日)
 【コメントゲスト】村松友視(作家)、ペギー葉山(歌手)、入船亭扇橋(落語家) ほか【語り】石澤典夫アナウンサー【プレミアムアーカイブス・キャスター】森山春香アナウンサー」

 この番組の製作はこの種の「全集」もので定評があるアズ・クリエーションである。ディレクタの藤原さんの姿勢とセンスがすばらしい。「フランク永井をまとめるのに、生誕地を見ずにはできない」といって自ら現地に足を運び多くの人の証言を得ている。
 宮城県大崎市松山でのトランペットのエピソードなどフランク永井の子供時代のイメージが甦った。当時米軍の占領時代で全国に進駐軍がいた。その一つである仙台の進駐軍にて働いたエピソード。車の免許証を得て東京芝浦の米軍の駐車場施設ですでに働いていた兄を頼って上京してトレーラーの運転手になるエピソードと続く。
 事故で退職し、坐骨神経痛の治療をしながらラジオのジャズのど自慢を聴き「マイ・ベイビーズ・カミング・ホーム」をひっさげて挑戦、常連の勝者になる。そうしたことがきっかけでビクターに入社する。この当時、生活のために米軍朝霞キャンプの下士官クラブの専属歌手に雇われもする。
 このあたりのことについては、フランク永井はライブ「アット・労音」や「歌手生活15周年リサイタル~ある歌手の喜びと悲しみの記録」で語っている。また朝霞の基地での公演時代のエピソードは1975年1月27日の「夜のヒットスタジオ」(だったか?)でもわかる。また、日本の進駐軍時代のクラブでの日本人歌手の公演の模様については、「進駐軍クラブから歌謡曲へ」(2005:東谷護著、みみず書房)が参考になる。だがこの書籍での進駐軍時代は1952年までで、残念ながらフランク永井がかかわる直前までのレポートである。同僚の雪村いづみや、歌番組で登場したペギー葉山がでてくる。
 さて、夜のヒットスタジオだが、この映像は残っていない。2010年9月4日の「文四郎日記」に記した一部を再編成して要点を紹介することにする。
 番組ではコウチャンとも呼ばれていた方で、佐藤コウノスケさん。朝霞で歌っていたときのバンドのベースをやっておられた方。フランク永井は有給なのはじめてのプロ歌手なのだが、これで生活をしていけるわけではない。この時期に当然舞台衣装もちゃんとしたものを持っていない。
 そのときに、コウチャンが登場する。番組にでていたと思える彼のお父さんが洋服屋をされていて、コウチャンのはからいで長期月賦でショー衣装のタキシードをあつらえる。私らが初期のフランク永井といえばイメージに浮かぶタキシード姿は、このころからの着慣れた姿だったのだ。 
 ビクターに入るとキャンプで歌うことがなくなったこともあり、おのずと会う機会を失っていた。番組が探したときには、1972(S37)年3月30日というから番組の3年前に、39歳の若さでコウチャンはすでに亡くなっていた。東京が住まいで、亡くなるまでフランク永井の出演するテレビ番組は欠かさず観ていたという。そして、自分の目の前で「有楽町で逢いましょう」を歌ってもらえたら、といつも言っていたという。 
 番組には本人に代わってご両親がコウチャンの遺影とともに出演し、その前で「有楽町で逢いましょう」が歌われた。
 フランク永井がこうしたかつての恩人についての思わぬ知らせを受けた直後であるだけに、感情を抑えて必死に歌をうたう姿は見ているものの胸を打つ。「有楽町で逢いましょう」もそうだが、この番組で歌われた「たった一度の愛の言葉」も特別に聴こえてくる。 

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 7月19日NHK-FMラジオで夕刻から「とことん○○-やさぐれ・ふてくされソング-」で「~霧、港、波止場~」という課題で、懐かしい歌謡曲の放送があった。後半は洋曲もあったのだが前半は当時の人気の歌手によるもので、「霧笛が俺を呼んでいる」(赤木圭一郎)、「俺は待ってるぜ」(石原裕次郎)、「哀愁の街に霧が降る」(山田真二)、「夜霧に消えたチャコ」(フランク永井)、「霧にむせぶ夜」(黒木憲)、「伊勢佐木町ブルース」(青江三奈)、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)と続いた。
 ラジオでもフランク永井の曲が流れるのは最近では珍しいので聴いてしまった。
 さて、本題のTV映像としてフランク永井ものの最高傑作ともいえるNHK-BSで2009年に最初に放送された「歌伝説~フランク永井の世界」。
 この番組がリクエストを受け付けての人気の再放送で、すでに今年3回放送されている。5月27日、7月12日、7月20日である。昨年にも7月29日、9月6日と再放送された。初めての放送から3年半後に初めて再放送された昨年の番組をあらためて観た方々からのリクエストが多かったようだ。
 フランク永井の歌伝説は、NHK-BSの歌番組シリーズの第9弾で作られたもので、フランク永井ファンを十分に満足させる大変質の高いよい番組という定評ができている。
 フランク永井を取り上げる番組は、1985年の事件以来放送関係ではほとんどタブー扱いで映像としてファンが観ることは20余年間忍耐の時代が続いていた。その解禁に大きな役を果たしたのが、2009年のNHKーBSが作成した「昭和歌謡黄金時代~フランク永井と松尾和子」(11月4日放送)である。これもすぐれた作品で再放送が希望されている。
 この番組を境にフランク永井の映像がすこしずつ歌謡番組で再開されたのだが、「歌伝説~フランク永井の世界」は封印を全開する決定打となった。ファンにとっては感涙の番組である。
 フランク永井の全容・代表曲をみごとにまとめあげいるといってよい。取り上げられた曲は29曲。
 「君恋し」「おまえに」「夜霧の第二国道」「羽田発7時50分」「東京午前三時」
 「夜霧に消えたチャコ」「俺は淋しいんだ」「マイ・ベィビーズ・カミング・ホーム」
 「ラバー・カム・バック・トー・ミー」「時の過ぎいくままに(As Time Goes By)」
 「場末のペット吹き」「有楽町で逢いましょう」「公園の手品師」「霧子のタンゴ」
 「赤ちゃんは王様だ」「逢いたくて」「西銀座駅前」「東京ナイト・クラブ」
 「こいさんのラブ・コール」「大阪ぐらし」「大阪ろまん」「大阪流し」
 「加茂川ブルース」「君恋し」「妻を恋うる唄」「おまえに」「追憶」
 「有楽町で逢いましょう」「ウーマン」 
 「追憶」は1981(S56)年のレコード(SV-30051)で吉田正の作曲なのだが、A面Those Days Of Yesterdayという英語歌詞というめずらしい作品だ。追憶は日本語歌詞。全体として静かな曲なのだがフランク永井の歌の巧みさが光る曲なのである。よくぞこの映像をだしてくれたとスタッフに感謝ものである。
 エンディングに流れた「ウーマン」。若いフランク永井がタバコをくわえて運転しているのを背景にびったり。1982(S57)年に山下達郎が作詩作曲したもので、フランク永井の新しい魅力をひきだした曲である。情景がすばらしい。これはサントリー「樹氷」のコマーシャルソングだが、現代でもコマーシャルソングとしてどこかが採用してもまったく遜色ないフレッシュないい曲だ。
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 1969(S44)年といえばイザナギ景気などといわれた高度経済成長が続く中で、大型ボーナスなどと、いまでは考えられないような活気があふれていた。ちなみにアポロ11号月着陸が話題になったのはこの年だ。
 さて、このころフランク永井は大きなヒット曲はあまりないとはいえ、月1枚程度は新譜をリリースすする勢いがあった。この年LPは3枚出ている。意義のある充実した内容のものだ。
 ひとつは「誰よりも君を愛す~フランク永井吉田メロディーを唄う」(SJX-17/SJX-10152/VICL-61401)というもの。これは恩師吉田正がフランク永井以外の門下生につくって大当たりしたものをフランク永井がカバーして歌うというもので、たいへんよくできている一枚だ。LPとしてもよく売れてビクターヒット賞を得たばかりか、レコードIDを変えて再販までしている。近年CDにもなっている人気版である。
 タイトルの「誰よりも君を愛す」は松尾和子とマヒナスターズが歌ったもの、ほかにも鶴田浩二、三浦洸一の名曲をうたっている。フランク永井の卓越した歌唱を聴けばまるで自分の歌のようにみごとに歌いこなしている。
 もう一枚「フランク永井~旅情」(SJX-27)。この年の芸術祭参加作品である。当時若い歌手に多くの人気曲を書きたいへん喝采を受けていた筒美京平・橋本淳のコンビが全曲をつくり、当時有名な小山田宗徳、富田恵子がナレーションをし、フランク永井が歌う。城千景が1曲返し曲を歌う。ヨーロッパの情景が歌で繰り広げるという趣向の逸品である。
 このLPはデータブックを編集しているときにようやく手に入れたのだが、なかなか入手困難であったことを思い出す。残念ながらまだCD化は実現していない。
 フランク永井は1966(S41)年の第2回リサイタルの長編歌謡組曲「慕情」のときもそうであるが、ドラマ仕立ての組曲を歌いあげるというときに、みょうにはまっていてみごとな情景を表現する。オペラ歌手でもあるかのように、ろうろうと歌い、歌謡曲の雰囲気とは少し違う表現能力が浮かぶ。
 LP[旅情」もこうした雰囲気を十分に味わえる一枚である。
 ちなみに、この年に出ているもう一枚は「加茂川ブルース~ベスト・ヒット14」(SJV-421)で、この時期にリリースしたシングルのなかからヒット曲を集めたもの。
 さて、インターネットサイトで「1969年のシングル総合見本盤」(TLP-369)という宣伝盤の存在を知った。この時期のビクターの人気歌手の歌を放送局やレコード店で宣伝で使ってもらおうという集合版のLPなのだが、この中にフランク永井「あゝ銀座」というのがあるのを見て、あれっと思った。
 「あゝ銀座」は聴いたことがない。データブックにあたってみると、これはどうも「恋のブルー銀座」(SV-856)であるようだ。佐伯孝夫作詞、鈴木庸一作曲、竹村次郎編曲によるもの。つまり、リリース前の宣伝時点では「あゝ銀座」という曲のタイトルを、発売時点で「恋のブルー銀座」に急きょ変えたというものと思える。
 実際にその盤を聴いたわけではないが、間違いなかろうと思う。実際にその宣伝盤を聴かれた方はぜひとも教えていただきたい。3つめの写真はこの盤のエンベロープ。上の写真は1957年「東京午前三時」の見本盤。
 フランク永井の歌で曲名がうろうろしたしたということでは、「追憶の女(おもいでのひと)」(1958:V-41747)がある。これは佐伯孝夫作詞、吉田正作曲の名曲。これが1967年の「at ROON第2集」の時に「追憶」として紹介されている。1978年の「NHKビッグ・ショー」で元の「追憶の女」に戻る。
 「追憶」は1981年に全く違うシングルが出るから、このうろうろは大変紛らわしい。
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 ソノシートをご存じだろうか。これは、音楽など音声の提供媒体のひとつで、ペラペラのビニールシートに溝が刻まれたレコード盤である。音声の媒体=メディアの歴史はエジソンが発明したと言われる。筒=パイプ状のものであった。その後エジソンは円盤型に変えるのだが、針が上下に動く、つまり溝の浅い深いによって信号を記録する方式をとった。
 この1900年の初期ごろ。競合社は最初から円盤型で溝を横に振る方式をとり、やがてこちらがエジソンを駆逐し、主流となった。もちろんモノラルで、電気を使用せずに音声を再現するというもので、SPとよばれるメディアである。日本では明治から大正、昭和を経て、1960年まで続いた。
 フランク永井がデビューしたのは1955(S30)年であり、まさにSPが最盛期を迎えていたときであった。最盛期を過ぎるとさらに大衆的な普及をめざして、EP・LPの時代が訪れるのだが、EPよりもさらに廉価版をつくり、EP・LPの広がりを実現しようとこころみられたのが、ソノシートであったと言える。
 フランク永井はSP(78回転)で幕開け、めまぐるしくEP(45回転)・LP(33回転)へと駆けていくのだが、ソノシート誕生と終焉にもその活躍の時代が重なる。
 フランク永井のソノシートといえば、ビクターから膨大なシリーズで出された「ミュージック・ブック」であるが、実はその前にもソノシート版はあったのだ。手元に写真の2枚「西銀座駅前」「夜霧に消えたチャコ」がある。印刷された正方形の紙の表面に薄いビニールシートが簡易に張り付けてあるだけのもの。中心にプレイヤーに掛ける穴がある。斜めから見るとレコード溝が確認できる。裏は歌詞。
 音はというと、SPの雨降りノイズといい勝負である。これは、その後のミュージックブックでみるみるまに改善されたし、EPと同様にステレオにまで発展しのである。
 「西銀座駅前」はフランク永井の1958(S31)年の大ヒット曲だが、並行してEPも作られEP用の方形ジャケット第1号でもある。この曲からSP・EP共用のジャケットが採用された。ソノシートはこのEPの宣伝用として使われたようだ。ソノシートは後年に裏面にも溝があるものまでできるのだが、初期は片面で45回転であることから、2曲を入れるには無理がある。1曲の途中でフェードアウトし、2曲をいれてある。
 「西銀座駅前」の裏面は朝倉ユリのデビュー曲「第3号倉庫」であるが、フランク永井と朝倉ユリ自身が曲の前に自己紹介、歌の紹介のトークを入れている、という珍しい宣伝盤である。
 「夜霧に消えたチャコ」は1959(S34)年の大ヒット曲。このソノシートは、歌紹介はない。また、表面の印刷も汎用(同じデザインで別の曲のがある)を使用している。つまり、前の盤との共通のコンセプトなどはない。
 2曲目は野村雪子の「子守り船頭」が入っている。フランク永井は最初「たそがれシャンソン」で、次に「羽田発7時50分」で野村雪子とペアを組んでいる。野村雪子は大ヒット曲「おばこ船頭さん」を出しているのだが、「おばこ...」「...船頭」という曲をご当地ソングも含めて多く出している個性的な歌手である。
 ソノシートはミュージック・ブックというようにブック形式が多くなり、写真や記事との抱き合わせで使用されるようになる。直接シートにカラー印刷というのもでてくる。ビクターだけでなく、各社競って膨大な量が世に出た。EPが300円程度に対して、曲はその数倍いれて250~400円程度で売られていった。
 音質は当然だが、いいという評価はされなかったのであるが、実際には後半はなかなかいい音が再現される。なめたものではない。フランク永井の第1回リサイタルは、いままでこのソノシートでのみリリースされていたのが、このソノシートから5月にCD復刻してMEG-CDから出された。ミュージック・ブックの数ページにわたる写真と記事もきれいに復刻した。

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