2013年6月アーカイブ

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 1982年の6月にフランク永井は「WOMAN」リリースした。この曲はサントリー「樹氷」のコマーシャルで歌われたもので、フレッシュですばらしい音の深さと広がりがあり印象深いものであった。
 フランク永井のデビュー時には年間で40余曲のレコーディングをするというあわただしさがあったのが、この曲の出た当時はそれを抜けて、年間1枚というペースの時代であった。
 同時に「WOMAN」の同じタイトルでLPも出された。ジャケットもシャレている。このLPは「WOMAN」を作詞作曲した山下達郎のプロデュース作品である。このLPに収められている曲は、シングルのB面の「愛のセレナーデ」の他に、この時代の他の歌手のカバーを入れて計12曲ものである。
 フランク永井よりも一回り以上も若い年代の人気曲で、下記のような曲だったのでファンは驚いた。
  ①WOMAN/②サチコ/③氷雨/④ラブ・レター/⑤メモリー・グラス
  ⑥愛のセレナーデ/⑦心の色/⑧もしもピアノが弾けたなら/⑨男の背中
  ⑩忘れはしないでしょう/⑪街の灯がゆれる/⑫ルビーの指輪
 フランク永井に異色のジョイントを持ちかけたのは山下。山下達郎は若者に深い人気があって、そもそも彼とフランク永井という組み合わせを誰もが予測しなかっただろうし、二人の強烈な異なるカラーが融合することあるのだろうかと思われた。LPでは山下作品2点とフランク永井の古い名曲を新しい編曲とフランク永井の後年の声で再吹込みした渋い「ラブ・レター」も入ったが、他はカバー曲である。
 またこの当時、この組み合わせの作品を出すにあたってさまざまなことが話題になった。
 ひとつは、レコード業界で若い音楽家たちがニューミュージックを形成し、独歩の行動を起こしていて、それが「旧来のレコード会社との折りがうまくいかない」ということ。もう一つは、実際にフランク永井と山下達郎の「作品完成までのプロセスの大きな相違は折り合っていない」と。
 確かに山下達郎のもくろみ通りにはすすめられなかったようで、このユニットでの作品は多くの計画中の2曲のみに終わり、LPも上記の1枚で終えざるを得なかったようである。
 しかし出来上がった作品を聴いてみたら確認できると思うが、その完成度は高く二人にとっては大いに刺激を受けたこととなった。これらのいきさつは今はどうでもいいことかもしれないが、フランク永井自身は「ザッツ・エンターテインメント」という映像で語っている。この映像はとあるホールでのショーのビデオ映像で、別項で紹介した日立市にある吉田正音楽記念館で冬から秋にかけて催されていた「フランク永井展」の会場で流されていたビデオ映像である。
 このビデオが大崎市松山のフランク永井常設展示室でも流されているとも思う(未確認)が、機会ある方はよく観賞してみるとわかる。ここで、フランク永井はいかに若い音楽家の意図する曲作りに折り合いをつけいくか、音の構成の流れになじんでいくかという苦労を語っている。「16ビートになれるのに胃に穴が開くほどだ」と。これは、ちょうど「WOMAN」リリース直前のもので、舞台では「WOMAN」歌っているのだが、最終のリリース版とは少し歌い方が異なる箇所がある、完成直前のものが聴ける。演奏は当日のフランクス・セブンでは当然おっつかず、24ch×2を費やしたという多重録音のカラオケ演奏+マキシムのコーラスで歌っている。山下がこだわっただけのさまざまな音、リズムのひろがりがある。
 雑誌「ポパイ」(1982/7/10)でも山下は「逢いたいと思ってから、実現までかなり時間を要しましたが、声の素敵さには驚きました」と言っていた。
 「WOMAN」は当時ご存じの方も多いと思うが、当時の人気番組「夜のヒットスタジオ」で歌われた。これは映像的にも歌唱として完成度が高く、多くの喝采をあびた。
 山下達郎は、2004年に「THE WORKS OF TATSURO YAMASHITA Vol.1」(山下達郎ファンクラブ通信販売アルバム)を出している。CDは山下がデジタル化するにあたって、マスターテープからさらに音の調整をしたということで、微妙な音の響きをみせている。このCDの最初の2曲に「WOMAN」「愛のセレナーデ」を挙げ、自ら解説を書いている。
 「1982年にフランク永井さんに書き下ろした作品でも日本の音楽界は1970年あたりを境にして世代間の音楽的ギャップがとても大きく、もっと世代を絶えたコラボレーションをと以前から望んでいた私は、フランク永井さんに直接お願いにうかがい、曲を歌っていただくことになりました。始めてみると、それまであまりなかった試みゆえのさまざまな問題が生じ、アルバムの予定が結局シングル一枚の制作でした。
 当初、複数の職業作詞家に詞を依頼したものの、私の制作意図があまり理解してもらえず、最終的に自分で作詞する結果となるなど、心残りの点も多いプロジェクトでしたが、苦労した分、作品にはひときわ愛着があります。フランク永井さん自身も、当初は年の離れたミュージシャンとの交流におっかなびっくりでしたが、いざ始めれば超一流のスイング感で、見参な歌を開かせて下さいました」。
 山下達郎は今も健在で確固とした自分の道を歩んでいる。二人の勇気と挑戦は「WOMAN」を残し、周囲のさまざまな課題も浮き彫りにしたということであったが、そのようなことを思い出しつつ、この「WOMAN」とLPのカバーを聴いてみてほしい。フランク永井の歌の別の広がりを感じると思う。
 ※モノ写真は雑誌ポパイから。


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 日本映画専門チャンネルにて先月末からフランク永井も出演した映画「セクシー・サイン~好き好き好き」が放送された。
 1960年、大映東京の製作である。フランク永井の「好き好き好き」が主題歌となっていて、オープニングと中ごろに本人の出演もされている。
 同じ大映の「有楽町で逢いましょう」のような当時はやったラブ・コメディである。出演はここでも名コンビである川口浩、野添ひとみをはじめとして他に叶順子、宮川和子出演。3人娘が川口浩(アイスホッケーのオリンピック選手設定)に同時にほれ込んで、さまざまな手を使ってのアプローチ合戦をするもの。
 船越英二、田宮次郎といった懐かしい面々がみられる。また音楽では大森盛太郎といった当時名の知れた方が担当している。
 この映画は有料チャンネルであることからその環境が無いので、古くからの知人にDVDを見せていただいた。ご面倒をおかけし、こころから感謝。
 こうした当時の映画はたまに街の映画館で特別に上映されることがあるが、古い映画をTVで見れるのはたいへん便利な時代になったともいえる。さっそくDVDを観賞したのだが、なんと評価していいのやらはたと困った。「有楽町で逢いましょう」や「たそがれの東京タワー」とそんなに変わらないのかもしれないが、印象が今一つ足らないのである。
 「有楽町で逢いましょう」はフランク永井のヒット曲もそうだがデパートそごうの開店とか平凡への連載とかとの関係もあって、それなりに意図と意気込みを感じた。
 「たそがれの東京タワー」は完成したばかりの東京タワーをモチーフにしたモノクロだが出演者の印象も強く残った。
 しかし「セクシー・サイン」はちょっと物足りない。画面はもうカラーで、すっきり度は同じカラーの「有楽町...」よりも相当よくなっているのだが。また、恋のアプローチの手口として、笑い薬のようなものを飲ませようとするシーンがあるのだが、これは今なら犯罪になりかねないきわどい行為がある。これは、DVDで売り出すにもチト問題かなとも感じてしまう。
 まあ、それにしても、当時の記録として割り切ってこの存在を楽しむということはできるので、観て良かったと思う。この機会をのがしたら、もしかして、また見るチャンスはこないかもしれないという貴重品である。
 この映画については、観る前はこれもまだ見たことがない「ロマンス祭り」雪村いづみらがでる映画と感違いをしていたという、自分のどじもあるが、当時の若い女性たちのものおじしない、大胆な行動力、都会のファッションなど、女性はもっともっとこうあるべきというような趣旨があったのかもしれない。
 それとも現代の若い女性たちと同じように、当時もそうだったのだということなのか。
 先にふれたように、フランク永井も登場するのだが、これも何とも印象が薄い出方をしている。主題をもう少し活かせる出し方があったのではないか、と思うのはファンの欲目のなのか。この映画をご覧になった方がおられたら、ぜひとも感想をおききしたと思う。

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 「駅を降りた。天候はちょっと暑そうだが、街並みを一目見ると、ここにはSPレコードがけっこうありそうな匂いがする...」。こんな雰囲気のエッセイ集が出た。
 昨年の暮れに岡田則夫著『SPレコード蒐集奇談』(ミュージック・マガジン発行)という名作。この書籍は、オビにある紹介で「大正・昭和の珍盤を求め小道具屋を駆け巡る~レコードの匂いがするところ、この男あり。各地の骨董市やSP盤のある店を探し、途中下車の旅。人やモノとの出会いに心がなごむエッセイ集」とある。月刊「レコード・コレクターズ」に1986~2003年にかけて連載された貴重な40篇がベースの書籍化である。
 岡田さんにお会いしたのは、フランク永井のデータブックを準備中に、神田神保町のいきなショットバーでマスターに紹介していただいたときである。それ以来に何度かお会いしているのだが、今回の書籍をとおして読んでみて、そのレコードへの思い入れの深さと行動力に、いまさらながら驚きまくりの連続であった。
 岡田さんには当時秘蔵の「たそがれシャンソン」(1957:V-41631)というまず今は入手不能な貴重盤をお譲りいただいたのだ。この「たそがれシャンソン」は歌は有名でもいまだにジャケット不明という特にレアなものである。この曲はすでにフランク永井の初期の曲としてデジタル化がなされているので、CDで聴くことができる。歌謡曲転向後まもなくのレコードで、情感がつたわるいい曲である。
 岡田さんご自身は日本の明治・大正から昭和にいるまでの大衆芸能に関するトップの研究家である。同時にその音の記録=レコードについても大の収集家といしてその名が知られている方である。
 岡田さんの周囲はすべて?驚くことばかりなのだが、興味のある方は「いにしえ文庫」を訪ねてみたらと思う。きっとここでもびっくりすると思う。私が訪ねたときはいきなり小説「有楽町で逢いましょう」が連載を開始したときの雑誌「平凡」がさりげなく置いてあり、なんで?と思いつつも、購入する資金を持ち合わせてもおらず、おたおた。無理に表紙の写真だけ取らせてもらったということがあった。
 私の場合は収集にはそれほどの関心はなくて、とにかく資料の完成度をあげようというのが目的である。だが、ふとデータを整理してみると結果資料としてのレコードや資料が結構そろっていることに気づいて、資料の穴を埋めるモノを探してしまう。穴を埋めるものはないのか、と探すことはなんらコレクターと変わらないのかもしれない。
 だが、わずか共通することはあると思っても、実際の執念とすばやい行動力はまったく歯牙にもかかるレベルではない。これはプロ中のプロとド素人の差というもの。かつて岡田さんのご自宅の何千~何万のレコードなどの資料が整然とインデックス付きで整理されている映像をみたことがあるが、私的なアーカイブ蔵庫。自宅のひろさもさることながら、その重量はすごいものである。
 岡田さんは著書の中で数十枚のSPレコードを担いで動き回るのが当然のように記しているが、SPレコードの重さはすごいものだ。そして割れやすい。私などは、5~6枚を超えたらとても持ち歩けない。岡田さんの思い入れと情熱のなせるわざと、すべて圧倒の連続である。
 そのようなことで、岡田さんの書籍を一気に読みつくづくと感じた次第である。
 最近に、岡田さんのエッセイに刺激されてはじめて1時間ほど電車に揺られて「骨董市」に寄ってみた。当然のことながら、自分にとっては早めの行動であるけど、岡田さんのような日が明るくなりかけの早くとはまったく違う。
 大きな市なのですごい人だかりだ。もちろんSPレコードなどは1枚も見つけられない。蓄音機が3台出ていたのはみた。何も購入するモノがない。それでも記念にと購入したのは猫のミニの置物ひとつ。400円であった。
 帰りにちょっと歩いたのと人の多さ、暑さに気おされて喫茶店にはいった。コーヒーを飲み始めると店の有線(いまどき有線はそうなのかな?)が「16トン」を!。なぜ、今、このような珍曲が! これには驚いたが、骨董市は雰囲気を知るだけだったが、この曲が流れていたので、それなりに満足して、その日の岡田さんのまねごとは終了した。

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 5月29日にシングル20枚、ライブLP7枚という多数のフランク永井の廃盤レコードがCDで復刻された。その全作品が週末に到着したので早速聴き始めたのだが、CDで聴くのはたいへんフレッシュな感覚になる。
 しかもMEG-CDでの復刻は当時のジャケットや歌詞票についてもたいへんきれいに再現しているからうれしい。
 今回MEG-CDから復刻したのは、第3次のようなもので、曲数にして100曲近い。なかでも注目するのははじめてLP、しかもライブ盤のほとんどが復刻したということである。さっそく「フランク永井の最後のLP、歌手生活30周年記念リサイタルが、これでよやく聴ける」と喜んでくださったファンがおられる。
 ライブ盤はその歌手の息遣いがわかる、歌の勘所について深い洞察の度合いが感じられる、という点できわめて注目できる。フランク永井の場合は当時マスメディアの音声が低音に向かなかったことから、実際のライブでの「魅惑の低音」がそこなわれていただけに、こうしたライブ盤を聴くのは生の魅力をそのまま感じることができるという意味で貴重な財産だ。
 フランク永井が文化の日に東京厚生年金会館にこだわるようにして、デビュー8年目でのはじめてのリサイタル(以後、第1回リサイタル)を開いたのは1963年。ファンにとっては待ちに待ったことであっただけに、大変な盛り上がりと成功をみせた。当時の歌の仲間、球界、相撲界、政財界からとそうそうたる熱いファンが駆け付けて声援を送っている。
 このあたりは、当時の報道とビクターミュージックブック(ソノシート)でのフランク永井もの「フランク永井リサイタル」(今回のCD復刻もここからなされた)「フランク永井~逢いたくて」「フランク永井トップ12曲」「フランク永井ベスト16曲」「フランク永井ベスト12曲」「フランク永井特撰24曲」等に記されている。これはこのリサイタルに関係した曲目を中心に作られている。
 第1回リサイタルで歌われたのは、下記が全曲であるが、その当時のソノシートではライブ音源としては今回復刻の9曲のみであるのはやや惜しい。もしオリジナル録音音源が使えるのであれば、全体の模様の完全復刻を聴きたいほどである。

 第一部 フランクは歌う
「有楽町で逢いましょう」「場末のペット吹き」「羽田発7時50分」「星になりたい」「大阪野郎」「東京午前三時」「冷いキッス」「東京カチート」「夜霧の第二国道」「西銀座駅前」「俺は淋しいんだ」「ラブ・レター」「好き好き好き」「東京ナイト・クラブ」「夜霧に消えたチャコ」「君恋し」「たそがれ酒場」「新東京小唄」「わかれ」「霧子のタンゴ」「ひとりぼっちの唄」「逢いたくて」(渡辺弘とスター・ダスターズ、寺岡真三・小沢直与志・野々村直造編曲)
 第二部 フランクと共に
「公園の手品師」「ねむの木」「月火水木金土の歌」「I Really Don't Want To Know(知りたくないの)」「It's A Sin To Tell A Lie(嘘は罪)」「My Heart Cries To For You(わが心はむせび泣く)」「The Rose Tattoo(ばらの刺青)」「Lover Come Back To Me(恋人よわれに帰れ)」「Love Is A Meny SPlendored Thing(慕情)」「Endress Love(果てしなき恋)」「The Falling Leaves(枯葉)」「Somebody Loves Me(みんなが誰かを愛している)」「If You Love me(愛の讃歌)」「Red Sail In The Sunset(夕陽に赤い帆)」「想い出の湖」「It's Been A Long Time(ひさしぶりね)」「Sixteen Tons(16トン)」「My Heart Belongs To You(戦場の恋)」「こいさんのラブ・コール」(浜田清とフランクス・ナイン)
 第三部 女の四季
「序章」「微笑み」「夏の終りに」「秋」「冬子という女」「終章」(ビクター・シンホニック・オーケストラ、東京混声合唱団)

 ここで「フランク永井リサイタル」(1964:SMB-3016)で紹介している2紙の内容を転載させていたく。当日の雰囲気が伝わってくるようである。

「低音の魅力十分発揮」【スポーツニッポン=10月4日】
 きのう3日は"文化の日"-晴天に恵まれ都内各所ではいろいろの記念行事がくりひろけられたが、音楽会もいっぱい昼間は文京公会堂で創立二十周年を祝う音羽ゆりかご全が公演、日比谷公会堂でコロムビアのアントニオ古賀がリサイタル。そして夜、ビクターのベテラン歌手フランク永井が新宿・厚生年金ホールで初のリサイタルを開き、この道8年の成果を世に問うた。
 フランク永井のリサイタルは定刻の7時幕をあけた。初のしかもたった一回のリサイタルとあって会場はいっぱい。
 階席などは通路までファンが立つ盛況だった。渡辺弘とスターダスターズに弦を加えたオーケストラをパックに、まず最初のヒット曲、「有楽町で逢いましょう」から歌い出す。
 いわゆる"おとなの歌"の歌えることで定評のあるフランクだけに、聴衆もハイティーンはすくなく、年配の人がほとんど。しかも聞き上手が多く"お祭さわざ"の多い流行歌手のリサイタルとは全く異質のふん囲気。「気が落ち着く安定剤があったら首錠でも二百錠でも飲みたい」 フランクはこうあいさつしたが、2曲目のヒット・メドレーあたりからすっかりベテランの貫録を取り戻したかたち。
 一部で数々のヒット曲、二部で童謡やポピュラー・ナンバー、そして第三部で吉田正作曲、指揮による新作「女の四季」の発表。のぴのあるパンチのきいた低音ボイスの魅力をフルに発揮して40曲以上も歌いまくったこの目のフランクはまさにパーフェクトに近いでき。この成功に観客席から柏手のアラシがやまなかった。

「九州から北葉山も激励に【日刊スポーツ=10月4日】
 ビクター・フランク永井は初リサイタルを3日午後7時から新宿厚生年金全館大ホールで満員のファンを集めて行った。
 昭和30年「恋人よわれに帰れ」でデビューしてから8年、この間50曲以上のヒットを飛ばしながら、リサイタルははじめて。渡辺弘とスターダスターズ、ビクター・ストリングスの「有楽町で逢いましょう」など、ヒット曲のメドレー演奏によって「第一部フランクは歌う」("有楽町"から"逢いたくて")の幕があがった。
 上手から登場したフランク永井は「有楽町で逢いましょう」を歌ったあと、「家にいるのと同じ気拝できいてください」と静かにファンに語りかけた。一曲一曲感情をこめて満員のファンの一人一人にしみじみと歌いかけた。
 第一部から二部「フランクと共に」まで34曲を、途中「東京ナイトクラブ」「月火水木金土日の歌」で松尾和子、古賀さと子、松島みのりの3人が共演しただけ。三部の新作「女の四季」(吉田正作曲)の序章から終章までの六郎作、計40曲をただ一人で歌いきかせた。
 リサイタルと名付けたものは数あるが芝属はもちろん、ゲスト・スターもいないリサイタルだけに熱っぽい雰囲気がホールに充満。大相撲九州場所を控えた大関北葉山も九州から飛行機でかけつけ花束を贈った。
 フランク永井が立つと厚生年金大ホールのステージは少しも広く感じない。通路までうめつくしたファンは歌にすべてをかける"歌手フランク永井"の歌のうまさと真剣さ、彼のすべてを歌うリサイタルに魅了されていた。

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