2013年5月アーカイブ

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 フランク永井の廃盤になったレコードが、昨年7月に65タイトルCDで復刻した。来る5月29日さらにシングルで20枚、さらにライブLP7枚が同時に発売されることになった。先行した22枚と合わせると、これで計100枚を超すことになる。
 うれしいニュースである。フランク永井の出したシングルは枚数で249枚あるので、およそ半数が復刻されたことになる。LPについては、120余枚出しているが、これも入口についたということで大変な進展がみられる。
 懐かしい廃盤のレコードをデジタル化し当時のジャケットも含めてCDで復刻するという、実にユニークで文化遺産の保護開発のようなことを精力的に取り組んでいるのは、株式会社ミュージックグリッドで、CD製品についてはMEG-CDとして展開しているものである。
 MEG-CDではすでに美空ひばり、石原裕次郎などをはじめほとんどの歌手の廃盤レコードの復刻を推し進めていて、すでに万のタイトルに達しているのではない思える。明治から大正、昭和初期の音源としての日本の文化遺産のデジタル化保存の国家的なプロジェクトにおいても大きな実績をのこしている。
 フランク永井のレコードについては、私だけではなく全国の多くのファンが夢に見てきたもので、長く全レコードのデジタル化を望んできました。
 MEG-CDサイドもそうしたファンの要望を耳にしてそれに応えようと、あらん限りの努力を続けてきたものである。
 費用の問題は大変大きなものである。権利・許諾問題、ソース音源問題等々、何せ半世紀前後古いものだけにクリアするには大変な時間と労力と時間を要するのは察するに思い余る。
 さらに、販売方式もものがものだけに難しいところがある。いかに告知するか、いかに全国に手軽に購入要望に応じられるか。最近に全国のサークルK・サンクス店舗約(6,200店舗)などとも連携を実現している。
 基本的には在庫はもたずに、注文があれば契約レコード店では、その場でCDを作って手渡すというシステムである。

 そのようななかで、フランク永井の作品についても取り組んでいただいた次第だ。第1次は、2010年4月に恩師吉田正の大量の作品の復刻に絡んで実現している。その後もA面B面のアーチストが異なる盤の関係で結果として復刻したというものもあったが、第2次は昨年7月のリリースである。そして今回の3次ともいえるまとめた点数の販売となった。
 第2次では、シングルレコードのEPにいてデビュー当時の1957年からモノラル版の最後の1964年までであった。今回はステレオ版の最初からの20枚である。
 有名な曲ではビクターヒット賞の「大阪ぐらし」がる。1963年に日本レコード大賞歌唱賞に輝いた「逢いたくて」のコンパクト・ディスク盤も含まれる。他も聴けばフランク永井の歌唱の素晴らしさをしみじみと感じることのできるものとなっている。
 また、今回特記すべきは何と言ってもLPが含まれたこと。しかもライブ盤が一挙にまとめて7枚も実現したことである。
 フランク永井のライブ盤については1999年に「ステレオによるフランク永井のすべて」で歌手生活21周年の記念リサイタル2枚盤がCD化して納められていた。今回の目玉は1964年の第1回リサイタルである。これはいままでソノシート(ビクター・ミュージック・ブック)でしか世に出ていなかったもので、なぜLPででなかったのかとかいろいろとファン仲間ではいわれてきたものだ。それが、ついにCDで復刻する。
 また、第2回のリサイタルも実現する。ここでは長編歌謡抒情歌というのに挑戦していて、当時画期的な賞賛をあびたものだ。それは20分余りの長い曲「慕情」ということもそうだが、フランク永井の歌唱にある。聴けば誰しも感じるのだが、フランク永井がただの?歌謡曲歌手ではないということが十分に察せられる作品なのである。これは聴くに値する。
 近年フランク永井の歌を好いてやまないささきいさおが「慕情」の3分版をレコードで出している。
 NHKのビッグショーの「酒・女・そして...」。さらにフランク永井の最後のLPとなった歌手生活30周年記念リサイタルである。これは涙なしでは聴けないほどの盤である。
 ということで、MEG-CDさん。やってくれました。

*写真の文字の上に影があるのは今回出なかった盤

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 「第7回東京ラジオ歌謡音楽祭」が5月11日に開かれた。昨年につづいて観させていただいた。
 「フランク永井歌コンクール」は、フランク永井がオリジナルで歌った曲をひごろの練習のゴールとして競うのだが、この音楽祭は基本的に「ラジオ歌謡」をあいする方々の年の区切りとして成果を披露する場である。
 「ラジオ歌謡」とは、NHK(ラジオ)が1946(S21)年から1962(S37)年までのあいだに放送した番組で、のべ783曲が歌われたという。S21:朝はどこから、青い風、S22:山小屋の灯、たそがれの夢、S23:緑の牧場、S23:アカシャの花、S24:夏の思い出、さくら貝の歌、あざみの歌、S25:白い花の咲く頃、S26:森の水車、リラの花咲く頃、山の煙、S27:チャペルの鐘、S28:雪の降る街を、等々この時代にラジオから流れてくる歌を今でも口ずさめるかたが多いのではないだろうか。とうぜん、これらは学校でも歌われた。
 岡本敦郎は昨年暮れに惜しまれつつも亡くなられたが、かれは「あこがれの郵便馬車」とか多くのラジオ歌謡を歌った方で、当時のラジオ歌謡のイメージを代表する一人であった。当日も彼の功績を惜しんで特別コーナーが設定され8曲歌われた。
 この日、ラジオ歌謡とそれに準じるような歌も含めて50曲弱が歌われた。歌うのは東京ばかりでなく、各地で活動している愛好家の方々が中心であるが、ゲストでプロの歌手三鷹淳、わかばちどり、鳴海日出男、祝太郎の各氏も歌った。当然年代からしてご高齢の方が多いのだが、驚くべきはその高度な歌唱力と元気なお姿である。
 茶の間に流れる歌番組の歌手の(平均の?)歌唱を軽く上回っているのは違いない。もともと声のよかった人が長年にわたって欠かさずに発声訓練を続けていることが、声の衰えを感じさせないか、身体も元気でいられるということを姿で証明していることであった。当日の会場で舞台に上がる方の数は当然限られる。しかし歌を聴くと、このラジオ歌謡をささえる底辺のファン層が現在でもいかに広いものかが察せられる。
 特に日本ラジオ歌謡研究会会長の工藤雄一(敬称略以下同様)の歌唱は低い音かた高い音と申し分なく、声量も圧倒する。誰をもうなずかせる。
 ラジオ歌謡で歌われた歌の記録は当然だが散逸してしまっていたものを、彼らが長い年月をかけて集め整理して、全貌がかなり明らかになってきているという。それでも200余曲は名前だけで譜面もわからず、情報を集めている。一番は何らかのほうほうで録音していてそれが残っていればいいのだが、譜面や歌詞やちょっとした記録でも、記憶(歌も)でも根気よく待っている。
 新たに録音が発見されそこから譜面を起こしアレンジし工藤会長みずからが復刻歌唱をした「雨のファンタジア」が喝采をあびた。
 さて、フランク永井もこのラジオ歌謡の時期に無関係ではない。
 NHKラジオ歌謡では「1958:アイスクリームの夜」「1959:いつの日逢える」の2曲の記録がある。音源はないが楽譜が残されている。どなたか復刻歌唱をしていただければと期待している。
 このラジオ歌謡と並行して、あるいは連動するようにして全国のラジオ局が同様のオリジナル曲の普及に取り組んだのだが、有名で実績があるのが大阪朝日放送のABCホームソングである。1952年8月から1972年9月までやや歌謡曲調の歌を多数世に送った。大阪もので人気をはくしたフランク永井もここでは大活躍している。代表的なものが「1956:公園の手品師」「1958:こいさんのラブ・コール」でいずれもレコード化発売されてヒットしている。8曲以上がここで歌っている。
 2009年に音源が発見されてようやくCD(「VIZL:歌声よ永遠に3」)でリリースされた「1957:すぐに盆だよ」「1965:麦わら帽子の子守唄」「1967:赤いバラ」3曲がある。まだ発見されていないのいくつかある。

1957:VIZL-325-1-すぐに盆だよ ABCホームソング
1958:V-41754-公園の手品師 ABCホームソング1956
1958:V-41807-こいさんのラブ・コール ABCホームソング
1959:LV-106-7-口笛の丘 ABC田園ソング
1960:V-42000-2-鈴懸の頃 ABCホームソング1959
1962:VS-701-白いバラ
1962:SJL-5034-1-ねむの木
1965:SV-165-白い慕情 NHKきょうのうた
1965:VIZL-325-2-麦わら帽子の子守唄 ABCホームソング
1966;SV-359-坊や NHKきょうのうた
1967:VIZL-325-3-赤いバラ ABCホームソング
1971:SV-2205-こいさん恋唄 ABCホームソング
1958-V-41865-ふるさとの風
1959:VS-251-口笛のブルース
1959:SV-243-ふるさとの道
1963-VS-1076-旅秋
1963:VS-1162-夏の終りに
1956:あふれる朝の ABCホームソング(音源なし)
1958:アイスクリームの夜 NHKラジオ歌謡(音源なし)
1958:高原のらぶ・コール(不明)
1959:いつの日逢える NHKラジオ歌謡(音源なし)
1963:あなたが居れば 島倉千代子と NHKきょうのうた(音源不明)

 このジャンルの歌はどちかというと三浦洸一の「澄んだ美声」ような歌唱があっていると思われがちである。しかしフランク永井のこの分野の曲目も多く、実際に聴いてみると、野太いわりに高音がきれいで、丁寧な歌い方で、微妙な情緒の出し方がうまく、たいへんはまっているところがあり、ファンが根強く支持するものがある。
 この時代の歌への思いはおそらく、日本が今のように外国からの影響を多くなかったなかで日本人らしい感情を保てて、いちずに生きようとする姿勢を感じるからではないだろうか。忘れてはならない時代と思う。

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1959 ニッポン放送 若い潮 若い潮
1962 日活 君恋し 君恋し
1962 大映 強くなる男 強くなる男
1962 大映 真昼の罠 真昼の罠
1962 東映 遊侠一匹 遊侠一匹
1962 東映 沓掛子守唄 沓掛時次郎
1963 NET 戦場の恋 ギャラント・メン
1963 日活 霧子のタンゴ 霧子のタンゴ
1964 松竹 太陽は撃てない あゝ特別攻撃隊
1964 TBS 振り向けばひとり 振り向けばひとり
1964 NTV 国道18号線 国道18号線
1965 関西テレビ 水のように・幸せひとつ 水のように
1965 シナトラ・エンタープライズ 勇者のみ 勇者のみ
1966 TBS 波浮の港 波浮の港
1966 東海テレビ 別れのテーマ 午後の微笑
1966 NHK ブン屋小唄 事件記者
1966 TBS 城ケ島の雨 城ケ島の雨
1966 TBS かわった恋 青春怪談
1966 NTV 新雪 新雪
1967 関西テレビ 船場ごころ 船場
1967 東海テレビ 雨の慕情 ミュージック・カレンダー
1968 関西テレビ 堂島 堂島

 上記は、1960年代にフランク永井が出演や主題歌・挿入歌を歌うことで関与した作品の一覧である。前回と同じレコードでの歌、作品のタイトルの順。1行目は前回のリストのもれ。
 やはりここでメモを残しておきたいのは、映画「有楽町で逢いましょう」だが、別項でふれたことを再度。それは、この映画のエンディングで歌「有楽町で逢いましょう」の4番の歌詞ともいうべきオリジナルをフランク永井が歌っていることだ。レコードでは聴けない別詞での「有楽町で逢いましょう」もなかなかいいのではないだろうか。このような珍しいものを観るのも映画の楽しみである。

 1960年代になると、テレビの普及がどんどんと進んでいく。それに押される形で日本映画が斜陽となる。映画俳優はテレビに出ていくようになる。なかにはあくまでも映画にこだわり、テレビに出るのを断り続けた方もおられた時代である。
 映画「君恋し」はいうまでもなく前年に日本レコード大賞を得た曲の人気をひきづって、映画化されたものであるが、フランク永井の歌先映画はこのあとの「霧子のタンゴ」で最後のようだ。これらの映画のポスターは骨董市などで見ることができる。
 「霧子のタンゴ」は近年DVDがでたが、映画「君恋し」に限らず再上映というような機会がなかなか実現しないので観賞できないのが残念だ。
 1964年にビクターはシングル盤のレコードをモノラル盤からステレオ盤に全面的にきりかえる。その最初の盤を当時人気急上昇の橋幸夫にあて、B面をフランク永井にした。それが「あゝ特別攻撃隊」(SV-1)である。同名の歌を橋が歌い、B面で「太陽は撃てない」をフランク永井が歌っている。これは映画の主題歌・挿入歌ということがジャケットに明記されている。これが1960年の本郷功次郎主演の映画で使われた映画の主題歌なのかとばかり思っていたのだが、同名の新作映画だったのかもしれない。ファンの方からの情報として「橋幸夫自身がこの映画は上映されなかった、と言っていた」とのこと。東海林太郎も戦前(?)に歌っていたようだし、タイトルからの連想があらぬ方向に膨らみかねないものを含んでいる。
 フランク永井の「太陽は撃てない」は鬼才川内康範の誌に吉田正が曲を付けたもので、運命に翻弄されつつも愛をつらぬく心情、「太陽」が意味するものは聞く人の自由にまかされているのだが、愚の骨頂である戦争などでそんなものを倒せるわけがないのだというのを、フランク永井流の距離をもった歌唱で歌いあげているものだ。ストレートな橋幸夫の歌い方とは対照的だ。
 戦争ものでは連続ドラマ「ギャラント・メン」の主題歌「戦場の恋」がある。これも戦争の匂いは基本的ない。エディ・フォンテーンが歌っているMy Heart Belongs To You。フランク永井がしっとりと歌う日本語版のほうが全然すばらしいと感じる名曲である。
 同様にシナトラ・エンタープライズの映画「勇者のみ」だが、これは洋画紹介のところでふれたとおりである。
 フランク永井の戦争関連の歌は、あの低音で似合っていないのではないかといぶかしむのが普通だが、意外と多い。昨今軍歌を中心にした復刻盤がCD全集で出されているようだが、それにもフランク永井の曲が何曲か入っている。1975年のLP10枚組の「フランク永井大全集」(SJX-8022~8031)でレコード化されている軍歌の一部のCD化である(*注)。親友のアイ・ジョージが「戦友」を反戦歌として見事に歌いあげたように、フランク永井が歌う軍歌も戦争賛歌などとは別のもの。つきつめられた状況での嘘いつわりのない親族や友との心情描写が歌詞にこめられているので、真剣に生きる多くの人の心を打つ。
 恩師吉田正はシベリア抑留から帰国してみると、国内では作者不明のまま自分の作った曲が「異国の丘」として流行っていることに驚いた。やがてその作者が吉田正その人であることが証明されビクターに迎えられる。吉永小百合の歌った「寒い朝」はその言い尽くせない過酷な経験をこめた曲だという。まわりを見れば皆戦争経験者という時代のなかで、吉田正は戦争やシベリア経験について、いくら聞かれてもけっして語ることはなかったという。それだけにこうした体験の再現を繰り返さないという固い決意と思いがあったものと察せられる。
 軍歌といっても奥が深い。
 NHKの「事件記者」はつとに有名だ。この曲(共作)はなんとも聴いていて、ほほえましいというか面白い。昨今の一日に何人も殺される刑事ドラマ時代。妙である。閉そく感や切迫感ばかりのドラマと違い、あの時代のドラマはいい。
 あと西方に多くのファンをもつフランク永井は関西の放送局からの要請で、関西の放送局のドラマで地元出身の名優と共演している。「水のように」「船場ごころ」「堂島」など。

 5回にわたってフランク永井が関与した映画、テレビ、ラジオドラマについてリストをあげてきたが、この後もいろいろとあったようだが、資料がなくてよくわからない。歌が映像やドラマのストーリイとかぶさっているだけに記憶に深く残っている方もおられようが、何せずいぶんと前のことである。よく作られている曲なので、これだけで特集CDができるのではないかと思う。

(注)3月に発売開始「戦友-男たちの挽歌-」CD7枚組(GES-32331-7)\14,700
Disc-1:ラバウル小唄/上海ブルース・Disc-4:異国の丘/婦人従軍歌/明日はお立ちか

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