祝:「フランク永井あれこれ」が「フランク永井の故郷から」にリンク!

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 フランク永井の故郷は宮城県大崎市松山。ここから「フランク永井の故郷から」というサイトが運営されている。このサイトは「フランク永井歌コンクール」などのデファクトの公式サイトとなっていて、世界に発信されている。唯一のフランク永井サイトとなっている。
 この「フランク永井の故郷から」サイトに当「文四郎日記~フランク永井あれこれ」がこの4月5日に直接リンクされた。自分で「祝」というのはおかしいのだが、ファンにいつまでもフランク永井とその歌声を記憶していただけるものがこのサイトにつながることは大変大切なことが実現されたと思い、嬉しい気持ちを表したもの。
 フランク永井を知った方はまず「フランク永井の故郷から」(http://frank-m.org/)に寄って欲しい。そして、「フランク永井あれこれ」を覗いてほしい。ここにはフランク永井にまつわる話題がこれからも記していくつもりである。
 さて、リンクを記念しての話題をひとつ記しておきたい。
 それは、先日に行われた「フランク永井歌コンクール」の会場であった「大崎市松山体育館」(旧:松山松山町体育館)」において、フランク永井がリサイタルを開いたという記事についてである。実はこの記事は最近スクラップを整理していて見つかったものだが、何の週刊誌からの切り取りだったのかについてのメモが残っていないもので、出展を明示できないのをお許し願いたい。当然どなたかご存知の方がおられると思うので、コメントなどでお知らせいただけるとありがたい。
 おそらく、記事の内容から判断すると、「歌手生活20周年が昨年」と触れていることから1976年の冬の週刊誌記事と思える。「スターのふるさと」連載シリーズNo51とある。
 その前年なので1975年の11月7日に、この体育館で「フランク永井リサイタル」を開き1,200名満員の大成功をおさめたということが記されている。「デビューしたとき、町民のみなさんがバスをつらねて、仙台まで声援しにきてくださった。その恩返しを」ということを、母と約束をしていたことを実現したのだ。すべての費用をフランク永井自身が負担したという異例のリサイタルである。
 1961年フランク永井は「君恋し」で日本レコード大賞をもらったのだが、当時育ててくれた母君が病気をしていた。それが奇跡的に全快をし、喜寿を迎えたこともあり、芸能生活20周年を迎えるときがきたなら母になんでも欲しいことを贈るからといったときに、母君は松山の方々にお礼をといい、その約束を実行したものという。母君の話も、それを受けて実行するフランク永井も、この話は人柄がよく表れているものといえる。すばらしいことである。
 写真は当時の体育館の姿と舞台で歌うフランク永井である。ここで地元のコーラスグループのバックコーラスが写っている。ここには実姉がやっていたもの。「琵琶湖周航の歌」「俺は淋しいんだ」で共演となった。
 現在地元では中学生のバンドグループが積極的にフランク永井の歌を練習している。「歌コン」で披露された。若い方にフランク永井の歌が引き継がれていっている事実を目の当たりにして喜んでいるのは、あちらの世のフランク永井も同じではなかろうか。

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このページは、文四郎が2013年4月 6日 12:47に書いたブログ記事です。

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