激烈な1958年のフランク永井は映画だけで14本、新曲29曲、LP3枚

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 フランク永井の関与した映画の話をもう少し続けよう。まず、下記のリストだが、洋画「悲しみよこんにちは」の洋画にあてた歌を含めて何本かは歌だけの吹き込みではあるが、多くに出演もしている。(曲名、映画タイトルの順)

1958 日活 場末のペット吹き 場末のペット吹き
1958 日活 東京午前三時 東京午前三時
1958 日活 夜霧の大に国道 夜霧の第二国道
1958 日活 羽田発7時50分 羽田発7時50分
1958 大映東京 有楽町で逢いましょう 有楽町で逢いましょう(カラー)
1958 コロムビア 悲しみよこんにちは 悲しみよこんにちは
1958 日活 西銀座駅前 西銀座駅前
1958 松竹 夜の波紋 夜の波紋
1958 東映 夜霧の南京街 夜霧の南京街
1958 松竹 有楽町0番地 有楽町0番地
1958 日活 青い国道 青い国道
1958 大映 たそがれのテレビ塔 たそがれの東京タワー
1958 日活 夜霧に消えたチャコ 夜霧に消えたチャコ
1958 東京映画 こいさんのラブ・コール 女であること

 前年の1957年の11月に発売された「有楽町で逢いましょう」が大ヒットを迎えたことから、フラン ク永井の人気は一気に盛り上がったのである。急上昇のこのタイミングにフランク永井を使えるだけ使って しまおうという動きである。ラジオ、グラビア誌はいうまでもなく、映画界でもどんどん彼の関与を申し入 れたのだ。
 歌はこの時ぞばかりに、新曲を大量に吹き込みレコード売り出しをしたのである。フランク永井があまり 売れなかったデビュー初期の洋楽から流行歌に転向したのが、この前々年の「場末のペット吹き」であるが 、1956・1957年にさかのぼってレコードが大売れしたのである。これも「いい歌だぞ」と評価され た「場末のペット吹き」「東京午前三時」「羽田発7時50分」「夜霧の第二国道」が急きょ映画化されて いる。いま振り返ると、この熱気は激烈で、いかに過酷であったかをしのばせる。フランク永井はまだ20 代前半で若く、あれよあれよといううちに巻き込まれてしまった環境を、例のニコニコしながらこなしてい ったのである。ただただエライ!と褒めてあげたい。が、同時にいくら人気者とはいえ、こんなにぞうきん のようにコキつかちゃってエエのか?ともいいたい。
 まあ、しかし、当時は戦後の復興に向けていかに日本中が夢中であったことか。背後に多くの苦しみがあ ったこともいうまでもないのだが、夢と希望に燃えていたのも事実だ。大変な勢いであったことがこの数字 から感じられよう。
 当時映画といってもまだ多くはモノクロで、「有楽町で逢いましょう」だけが力のはいったカラー。また 、現在のテレビドラマのごとく、30分程度から1時間ものも多く、現在の2時間シリーズはまだ定着して いなかった。
 「有楽町で逢いましょう」は大阪から進出して有楽町に新たに開店するそごうデパート。そのキャンペー ンを張るのに当時日本で上映されたのかどうかは知らないが米ミュージカル映画「ラスベガスで逢いましょ う」のタイトルからヒントを得て「有楽町で逢いましょう」をキャッチに使うことにした(豊原英典宣伝部 長)のだそうだ。
 この企画をいち早く耳にしてカンを働かせたのがビクターの重鎮であった作詞家佐伯孝夫。彼が盟友吉田 正に話し、互いにこれは「都会調の日本の歌」をめぐらしてきたことに沿う絶好のテーマと取り上げ、そご うと話があった。月刊誌「平凡」での小説連載、大映での映画化と戦線をひろげて実現したのがフランク永 井の「有楽町で逢いましょう」だ。
 4年前に創立した日本テレビにそごうがスポンサーになって開店の年の1957年4月に番組目「有楽町 で逢いましょう」の歌番組をスタートさせた。雑誌「平凡」で小説の連載が始まる。5月にはそごうは開店 し、当日は1万8,000人、うわさではのべ30万人が押し寄せたともいわれるがハテ。フランク永井の歌 は11月に発売。映画は1958年1月にロードショー、という順でかつてない大キャンペーンが展開された。
 突出したのはフランク永井の歌。「君の名は」以来のにわかに脚光をあびることになった闇市街の有楽町 は、東京=都会を代表するイメージの町として日本全国からあこがれの的となった。テレビがほとんどない 時代に歌で都会のイメージを強烈に焼き付けられたのであった。
 1958年の上のリストで付言しておきたいのは「女であること」である。この映画ではフランク永井の 「こいさんのラブ・コール」が使われているのだが、製作が「東京映画」というのは独立映画製作会社とい うことか情報が少なくて、この映画の存在自身がつまびらかでない。しかし川端康成のれっきとした文学映 画で、香川京子、原節子らの名優が演じているもの。
 さて、DVDになっているのはあるのだろうか。先に「西銀座駅前」を知人がインターネットで観れるよ うにしてくれたのがあるが他は知らない。映画は昨年に大映の70周年記念で有楽町で「有楽町で逢いまし ょう」「たそがれの東京タワー」が上映されていて、これはご覧になった方もおられると思う。映画チャン ネルというのもあるが私はあいにくあまり知らない。
 2009年のNHK-BSの「歌伝説~フランク永井の世界」では「場末のペット吹き」で歌うシーンが ほんのわずかおさめられていた。しかし、過去の映画のシーンを映画会社が映画館で上映するということ以 外での映像のシーン(静止画像も含めて)テレビ局も含めたメディアが使用することは、複雑な著作権、映 像権等さまざまな版権の問題でそうとう厳しい壁がある。そのために料金のこともからみそう簡単にはいか ないのが実情とのことである。
 フランク永井の関与したこうした映画がまとめて特集でテレビでやってくれるのを希望したい。
 当時の雰囲気を表現しているのは映画ポスターなのだが、「有楽町で逢いましょう」のポスターが大崎市 松山の「フランク永井常設展示室」にこのたび新たに置かれた。当時のポスターは大変珍しく、貴重な逸品 である。
足を運んだ際にぜひともご覧になって欲しい。

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コメント(1)

文四郎さんへ
毎回の新規記事とても楽しみです。
古さを全く感じさせない新鮮さがありますね。
良き昭和の出来事が懐かしく胸に迫ってくるようです。
今後も宜しくUPをお願い致します。
 大崎市松山  小野寺京子

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このページは、文四郎が2013年4月22日 20:30に書いたブログ記事です。

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