2013年3月アーカイブ

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 この3月はテレビ番組のシリーズの切り替え時期にあたり、特番というのが続く。うれしいことに歌謡曲の番組がけっこう組まれる。しかも長時間で、4時間とかのも少なくない。2時間を超えるのは観るほうがつらいのだが、長時間でないと珍しいシーンを見れないのも事実で、じっと我慢でもある。
 昭和歌謡の番組は放送局では相当数のストックがあるはずである。しかし、代表的な曲となると大変絞られてしまい、短い時間帯で流すにはどうしても同じような内容構成になりがちなのだが、長くすることで、しかも嫌なブチギリで何とか珍しいシーンを差し込める。
 テレビ局でのマンネリ化しがちなこうした番組をすこしでもフレッシュンするために必死である。リクエストを求めているのは当然だが、ストックの映像からいままであまりとりあげられなかった映像を探し続けている。そのような成果がところどころにでてくるのも楽しみである。
 3月30日にはTBSが坂本九のを流すがこれもそのひとつである。
 さて、先週はTBSがこの季節の代わり時期に放送している「あなたが聴きたい歌」のシリーズが今回も3月25日(月)に放送された。続いて歌謡曲番組を絶やすことなく続けてきたテレビ東京は「ベストヒット歌謡」を3月29日に放送。

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 TBSの安住アナの番組では、最初の番組紹介が始まる前のいくつかの曲の中でいきなりフランク永井「おまえに」がながれされてしまい、見損なうところであった。どれ酒でも用意してじっくり頭をマヒさせながら観ようかなどとやっている最中だったからだ。酒は先日宮城県大崎市松山の「フランク永井歌コンクール」にいってきたときに購入してきたものだ。
 ちなみに、この酒「一ノ蔵」はたいへんうまい。いつもは焼酎の私ががこの酒は飲みやすい。全国の人気ランクで5位(詳しいことは聞きかじりなので説明できない)だったと。
 こうした番組ではフランク永井が歌うのは先の「おまえに」の他には「有楽町で逢いましょう」「君恋し」である。これに華麗なる花を添えるのがゴールデン・デュエット松尾和子との「東京ナイト・クラブ」である。昭和歌謡に欠かせない曲として定着してしまった感がある。
 別項で「ラジオ深夜便」でも紹介したが、フランク永井を有名にしたのはその歌唱であるのだが、レコードはもちろんだがのこされたライブ音源に接すると感心するもの。歌手生活の何年かの区切りごとに催されたリサイタルとか大阪労音リサイタル、ナイトクラブでのライブなど何枚かのLPで残されている。
 最近聴き直した15周年記念リサイタル(1971:SJV-495-6)などは2時間半近い公演を全部自分で語り歌っている。みごとというか、歌にこめる意思がジンとつたわる。
 これに対して放送されるテレビ音声がどうしてもフラットになってしまってフランク永井の本来の良さが伝わりにくいのが、観てて惜しいのである。
 それにしてもフランク永井の残した歌がいつまでの続いてほしいと思うものである。

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 大会の当日はNHK朝8時前のニュースで前日の予選会の様子が紹介されたことから始まった。
 22日(土)に予選会が行われ120余組がフランク永井の歌を競い、翌23日(日)に選び抜かれた30組によって決勝大会が行われた。ここでは、開催以来はじめての女性が優勝した。宮城県多賀城市から来られた石川たい子さんで「東京カチート」を歌い、多くの挑戦者を退けた画期的なものであった。
 今年の大会は今までになく女性の挑戦者が多いことが目立った。予選会には16名ほどがエントリーされ決勝にもその半数が残っている。女性は「東京ナイト・クラブ」をデュエットでというのは今回も何組かあったのだが、ひとりで果敢に「有楽町で逢いましょう」「冬子という女」「公園の手品師」「君恋し」「初恋の詩」「東京カチート」などに挑んだ。
 決勝で競った30組は申し分なくうまいのだが、なかでも今年何回目かの挑戦だということであるが、石川さんが栄誉を得た。すばらしい歌唱であった。ちなみに今回の優勝者は、年末に宮城県で予定されている吉田正記念オーケストラによる演奏会でゲスト出演することが決まっている。
 決勝大会での入賞者は下記のとおりである。

  優 勝  石川たい子 「東京カチート」 宮城県多賀城市
  準優勝  佐藤 勝美 「妻を恋うる唄」 宮城県加美町
  第三位  松川 好孝 「おまえに」   仙台市
  特別賞  川村 忠洋 「東京カチート」 仙台市
       遊佐 恒義 「おまえに」   茨城県水戸市
       木村 克哉 「東京カチート」 大阪市

 注目していたハンガリーからの外国人の挑戦者チョルダーチュジュラは予選どまりであったとのこと。20代の青年で日本語を学んでいる。日本語の母音の音の美しさに感銘を受け、それを見事に歌で表現しているフランク永井を知り、遠方からのチャレンジを決意したと聞く。歌ったのは「有楽町で逢いましょう」。
 海外でフランク永井が彼のような若い層に一目置かれたということ自身、素晴らしい出来事といえる。プロの歌手は日本語の発声に置いて並はずれた能力をもっているのだが、フランク永井の場合も同じで特に低音の音質でありながら発声することばが聴く人にしっかりと訴えてくる。
 近年では由紀さおりが日本の流行歌を日本語で歌って、日本語の発声の驚異的な美しさを証明したことは有名である。しかし、この歌詞の一音一音を正しい音程とメロディーにのせ、かつ過不足なく自然な声・音として「聴かせる」歌手はそう多いわけではない。
 フランク永井の場合は聴く人にどのように伝わっているのかということを察知(理屈は歌手ならだれでもわかっていても、なかなかできない)して、的確に表現する稀有な歌手であった。
 ハンガリーから駆け付けた彼のような若者がこれからも増えることを信じるものである。
 入賞者には写真のような賞状、トロフィーと副賞が栄誉として授けられるのだが、まさに大崎ならではのさまざまな商品である。また優勝者が手にしているのはフランク永井の古くからの熱心なファンである品川さんが描いた鉛筆画で、フランク永井の実弟である奨さんの手を通じて渡された特別賞である。
 30組の審査をしている間のアトラクションでは昨年優勝者の三島さんによる「羽田発7時50分」が披露された。また地元松山中学校吹奏楽部による「好き好き好き」「おまえに」「有楽町で逢いましょう」が演奏された。続いてやはり地元藤間流民謡団体と子供たちの共演による踊り「東北音頭」が披露された。
 「東北音頭」はさ3・11復興を願ってフランク永井が1966年にリリースした曲がCDで復刻され、さらにビクターの後輩にあたる橋幸夫が新たに歌って話題になったものである。これは東北地方で長く歌われ踊られてきた曲で思い入れもしひとしお。昨年フリも含めて全面的に復刻した踊りである。
 当日はフランク永井の歌でアンコールも受け2回も踊りが披露され熱烈な拍手を受けた。ちなみに、フランク永井の歌が会場にとどろいたのだが、この「東北音頭」がいかにフランク永井の曲でなければいけないかというほど、彼の歌唱が輝いていたのが印象的だった。
 この「フランク永井歌コンクール」は確実に地元に根差しており、3・11で大きな打撃を受けながらも立ち上がっている多くの人びとに元気を与えたことは間違いない。

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 21日深夜に放送された。この夜フランク永井の曲は12曲流された。直接聴かれた方も、録音して別途聞かれた方も大いに楽しまれたことと思う。
 使われたCDは2009年にジャズの集大成の形でビクターからまとめて出された2枚組「フランク、ジャズを歌い」(VICL-63274-5)である。このCDには50曲、びっしりと納められているがうち代表的な10曲がとりあげられた。
 フランク永井はプロになるときにジャズ歌手をめざしていたたことからジャズに対する思い入れは深い。当日の番組では彼の一番乗りがいいともいえる「オール・オブ・ミー」が流された後、デビュー曲「恋人よわれに帰れ」そして続けてリリースされて「ばらの刺青」「16トン」と放送された。
 その後ジャズのさきがけとして戦前に二村貞一によって歌われその後何人かの歌手によってカバーされた「君恋し」が取り上げられた。これはいわずもがなフランク永井が復刻して歌って1961年の日本レコード大賞に輝いた曲である。寺岡真三の名アレンジは有名である。時雨音羽が作詞し佐々紅華が作曲した古典的な日本ジャズを寺岡は歌うフランク永井に特化した新しい息吹のすばらしい曲にした。フランク永井の提案でやや歌詞として古典的な匂いの残る3番をやめて、メインのフレーズの繰り返しとしたという。
 寺岡真三版の編曲は最初から最後までピアノ三連符で、ジャズピアニスト泣かせであったようだ。フランク永井のレコード「君恋し」のピアノはいうまでもなく、ピアニストでジャズマンであった寺岡真三みずからの演奏。この力強い演奏は、寺岡が銃剣道5段の猛者であったからできたことだ、と。これは「フランク永井歌コンクール」でずっと審査委員長をやってこられた白井伸幸(ビクター歌謡音楽研究会東京本部特別講師)が今年の歌コンのしおりで初めてあかされた秘話である。
 名曲「君恋し」はフランク永井の後も女性を含む何人かの歌い手によってカバーされている。フランク永井自身もカバーと言うより自分の歌を新たな編曲で挑戦もしている。例えば1985年の「歌手生活30周年記念ライヴ」での演奏猪俣毅版もある。また少しさかのぼって、1978年NHKビッグショー「酒・女・そして~」での「君恋し」もいい。大変印象的な編曲で小野満演奏版をきける。この日に放送されたのは、NHK紅白でも歌われたのだがトランペッターのニニ・ロッソ版である。LP「君恋し~ニニ・ロッソと唄う」(1973:SJX-133/VICL-41189)はニニ・ロッソの故国イタリアで録音されたものである。
 「君恋し」の3番は公式にフランク永井は歌っていないのだが、当時の歌の紹介では3番まで書かれたものもときどきあったようだ。フランク永井が「君恋し」を歌っている先輩の藤山一郎とテレビで歌うシーンがあったが、ここではフランク永井は「去り行くあの影...」からはじまり「臙脂の紅帯...」を含む3番を歌っている。この映像や音源は残っているはずである。
 さて、NHKラジオ深夜便にもどり、続いて「夜のストレンジャー」「ゴッド・ファーザー~愛のテーマ~」がかけられた。つづいて、とりあげられたのは「公園の手品師」である。これはジャズというと異なるのだが、この曲の醸し出す雰囲気が何か日本的というよりも、フランスの並木道とかシャンソンとかを連想させるものという点では大きなくくりとして取り上げられてのはうなずける。これは古さを知らない、誰もきらいではないという永遠の名曲である。
 そして乗りのいい「ファイブ・ミニッツ・モア」。「プリテンド~トゥー・ヤング~エニー・タイム~愛の讃歌~慕情」(メドレー21周年リサイタルで歌われたもの)が続く。区切りには「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」である。これは映画「カサブランカ」の中の名曲であの名作の中に聴く人を引きづり込む。
 さて深夜3時に一段落して次のテーマに移るのだが、フランク永井への名残が尽きないのをまさにそのまま表現して「東京午前三時」がかけられる。「東京午前三時」はフランク永井が売れないジャズから立ち直ろうと歌謡曲に変更した「場末のペット吹き」の後に出したもので、都会派を志向した恩師吉田正の挑戦曲である。前奏からして大都会東京の眠らぬ夜の雰囲気を、当時メディアは新聞とラジオしかなかった時代に、日本中に音楽で知らしめたと言える曲だ。
 こうしてフランク永井の当時の活躍をジャズと都会の深夜にかぶせて大きな余韻を残して番組は終わった。
 取り上げた曲目の視点に感心した次第である。
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 NHKでは、年に何回かラジオでフランク永井の特集を組んでいて、今回は21日である。
 下記のように、ラジオ第1とFMの同時放送である。
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[ 番 組 名 ] ラジオ深夜便 川野一宇 
[チャンネル] NHKラジオ第1/NHK-FM 
[ 放送日時 ] 2013年3月21日(木)午前1:00~午前5:00 [20日(水)深夜](240分) 
[ 番組(第1)] https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20130320-05-79960 
[ 番組(FM) ] https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20130320-07-88400 
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 内容の紹介はちょっと貧弱で、放送される曲目については「16トン」「夜のストレンジャー」「オール・オブ・ミー」他となっている。時間がたっぷりあるので、フランク永井のジャズ・ポップスなど数多く取り上げられると思われる。
 フランク永井が歌手として、最初めざそうとしたのが「ジャズ歌手」で、歌謡曲を歌うのを大変嫌っていたのは有名な話。デビュー曲「恋人よわれに帰れ」からたてつづけに「グッド・ナイト・スイート・ハート」「ばらの刺青」「16トン」と出したが、いずれも売れずしまいで、背に腹はかえられず、いやいや「場末のペット吹き」で歌謡曲の歌手に転向する。
 吉田正が目指していた日本人の都会の歌の表現に、フランク永井の声こそ理想と目を付けていて、いやがるフランク永井がおのずと歌わざるをえないタイミングを狙っていて、うまく勧めたからである。売れずにつらいときに楽屋で当時大先輩のディック・ミネに話したときに、彼からも歌謡曲を歌うことに賛同された。
 吉田正とビクターの当時のディレクターはフランク永井の歌のフィーリングを確かめるために、1957年のこの年さまざまな毛色の曲を歌わせている。「13,800円」「東京午前三時」「昭和炭坑節」「夜霧の第二国道」「夜行列車」「羽田発7時50分」など16曲余り。そうしておいて、準備したのが東京進出を機にキャンペーンを募集していたそごうデパート展開に乗ることであった。
 大映映画、平凡連載小説とビクター新人歌手による支援歌「有楽町で逢いましょう」だ。この吉田正の意図により作戦は大成功をおさめ、フランク永井の名をいっきに世に知らしめた。
 フランク永井はこれで成功をおさめながらも、ジャズ・洋楽へのあこがれ志向はけっしてあきらめたわけではなかった。チャンスがあればかならず得意のジャズをプログラムに差しこんだ。全国各地でのコンサートではほとんど欠かさずに何曲か歌った。自らレコードを出している「16トン」などは歌うたびに磨きがかかっている。
 「アット労音第2集」(1967:SJV-243)に納められている「16トン」はレコードと異なりすべて英語版(レコードの方は日本語詞が入る)で、本家のテネシー・アーニー・フォードとくらべても甲乙つけがたいほどの歌唱をみせている(と思う)。
 さて、フランク永井のジャズのLPはいくつかあるがCD化はほとんどなされている。CDはLPを復刻したというのは写真の「ANSWER ME MY LOVE」(1954:DVR-42)だけで、他は寄せ集めである。集大成は「フランク、ジャズを歌う」(2009:VICL-63274~5)で、このエッセンス版が、ちょっとまぎらわしいが「フランク、スタンダードを歌う」(Sony CD Club 2009:FVCL-41317~8)である。
 他には「ベスト・コレクション」(VFD-10082)6枚組の6枚目に集約された20曲が入っている。また超レア版では「あなたと夜と音楽と~ジャズ・スタンダードを歌う」(World Record EGR-4018)というのがある。
 フランク永井の歌は入れ込んで聞くというのもいいが、BGMとして聞き流すのにも適している。特にジャズは安心して流せる。
 ラジオ番組は来週の放送だが、深夜にちょっぴりアルコールやカクテルを横に気楽に耳を傾けてみてはいががだろうか。

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 フランク永井の誕生日である3月18日前後の土日で都合のつく日程として開かれることが決まっている「フランク永井歌コンクール」は、今年は第5回目となり、生誕地である宮城県大崎市松山で3月23・24日に開催される。いよいよ間近に迫ってきた。
 現地ではちゃくちゃくと準備がすすみほぼ万端になってきたものと思われる。町おこしとして総力をあげて取り組んでおられる地元はもとより、全国のフランク永井ファンが注目して期待している。
 歌で参加される方がたは歌の練習に磨きをかけていることでしょう。
 23日(土)にエントリーが予定している123人が競う。そして、30人が翌日の決勝大会に臨むことになる。前々回につづき、今年も海外からの参加者がおられる。なんとヨーロッパからの方である。遠路まことにご苦労様です。遠いことを省みずにエントリーを決意するほど、この歌コンクールへの熱気は熱い。どのような歌唱が楽しめるのか、いまからわくわくする。
 今年歌われる予定の曲目をみてみると、やはり「おまえに」が一番多く「君恋し」「初恋の詩(うた)」「霧子のタンゴ」「有楽町で逢いましょう」「妻を恋うる唄」と続く。意外なところでは「ウーマン」が複数あることだ。これはおそらく、大会初である。
 大会初というのはどうしても曲の演奏がカラオケで用意されていないという制限が大きく影響しているからレある。山下達郎作曲の「ウーマン」が新たに演奏として用意されたのかもしれないが、確認していない。
 それで、思い浮かぶことだが、フランク永井の歌のカラオケ演奏数は代表曲はおおむねカバーされている者の、きわめて少ないということで、ファンから残念がられている。およそ30余曲である。以前もリストをあげたことがあるが、下記のような曲がカラオケ演奏として用意されているようである(正確なところはわからいのだが、私がおおざっぱに確認しているものである)。

  有楽町で違いましょう 西銀座駅前
  羽田発7時50分 夜霧の第二国道
  東京午前三時 東京カチート
  夜霧に消えたチヤコ 東京しぐれ
  場末のベット吹き ラフ・レター
  霧子のタンコ 公園の手品師
  新東京小唄 船場ごころ
  東京ナイト・クラブ おまえに
  君恋し 大阪ろまん
  こいさんのラフ・コール 加茂川ブルース
  好き好き好き 妻を恋うる唄
  冷たいキッス 俺は淋しいんだ
  初恋の詩(うた) 違いたくて
  冬子という女 13,800円
  大阪野郎 大阪ぐらし
  旅秋 林檎ッコ

 さて、どの方が決勝に進み、どんな曲が歌われるのか、どう歌うのか。
 復興に向けて大きなパワーになることは間違いない。
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 フランク永井の誕生日は3月18日。TV番組が季節替わりをするこの時期に10回目を迎えるテレビ東京の歌謡曲番組「懐かしの昭和メロディ」が8日に放送された。昭和歌謡は安定的な人気を誇っているとのことだ。テレビ東京は歌謡曲番組を絶やしたことなないというほどの蓄積をもっている。現在木曜日に放送している「モクハチ」もそうだが、昭和を歌と共に生き抜いてきた年代にとっては楽しみにしている番組である。
 さて、今回の番組は3時間という長番組だが、ここに昭和歌謡をおよそ60曲詰め込んでいる。いいところで、ばっちっと切ってしまうブチギリも少しは見受けられたが、おおむね歌は紹介されていた。
 司会はいまやテレビ東京の歌謡曲番組の看板になっているNHKから独立して活躍している宮本隆治アナとテレビ東京の松丸友紀。今回ゲスト出演した犬塚弘は久しぶりで元気な顔をみせてくれた。
 いくつかのコーナーで構成されていて、「青春歌謡ビッグ4」「追悼」「名優熱唱」「ムード歌謡」「ハナ肇とクレージーキャッツ」「三倉茉奈・佳奈」「艶姿日本調」などにくくられて紹介された。全体として、多くの歌を盛り込んだためかフラット感はいなめなかった。
 番組でいきなり伊藤久男の「イヨマン手の夜」、織井茂子「黒百合の花」と当時はやった歌、しかもアイヌ(最近はこのことばが少数民族へのなんたらということでひかえることが多いようだが)とのかかわりのテーマを歌ったものが続いて感動させた。
 フランク永井は上記のくくりでは「ムード歌謡」で、盟友松尾和子の熱唱「再会」のあとに「おまえに」で登場した。「再会」はご存じ獄につながれた思いの人との再会という当時は流行歌として取り上げがたいテーマを見事に歌い上げたもので、松尾和子の最大の歌唱と評価が高い曲である。
 「おまえに」はいうまでもなくフランク永井の代表曲の一曲。恩師吉田正の夫婦のきずなを岩谷時子が詞にしたもので、フランク永井は3回も吹き込みなおしてリリース。今日もファンから親しまれ歌われ続けている名曲。
 この日は野球番組が深夜12時近くまで延長。この番組は翌日にビデオで観ることとなった。番組登場の歌手の多くの方々がすでに亡くなっているのは残念でならないが、まさに懐かしい昭和を飾った歌手に巡り合えたことはすばらしい。

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 フランク永井の歌手になり活躍する流れをおよそ10分にまとめられて好番組でした。
 宮城県松山から19歳で上京、米軍関係の施設でトレーラ運転手になり、事故で坐骨神経痛に。その時期に姉からもらったジャスのレコードを聴き歌ってコンテストに挑戦。「レコードを擦り切れるほど聴きこの一つ覚えの英語の歌で新たな挑戦をします」と語っている。うまくいってレコード歌手に。
 恩師吉田正にであい、都会派の流行歌手となりつぎつぎとヒットを飛ばす。「東京午前三時」「有楽町で逢いましょう」「羽田発7時50分」とみなおなじみの曲だ。「君恋し」では日本レコード大賞に輝く。
 そのあたりの経緯をフランク永井自身がインタビューに応えたり、番組特集でのトークで語ったシーンの編成でつづっている。すでのファンにはおなじみのテーマではあっても、このようにまとまって本人から語られるのは貴重なものといえる。
 後半で本人は「人生は出会いのドラマという事を申しますけれども、私はすばらしいたくさんの人たちに巡り会うことができて、そして支えられてここまでやってきました」と。
 フランク永井は2008年に永眠したが、きっとこの番組は観てるにちがいない。

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 さて、シーンの多くはフランク永井映像の集大成であった2009年の「歌伝説フランク永井の世界」でも使用されているもの。フランク永井の残存映像があまりないために、やむをえないものである。
 この番組はNHKが新たに映像を編集して放送するものと思っていたものだが、それは期待先行の思い違いであったかも知れない。10分もののこの番組は「あの人に合いたい」の342回目のもの(語り:森山春香)として以前に放送されたらしいのだが、詳細は私は知らない。映像を観ると「歌伝説」の後の印象を受ける。それは、譜面の前に立つ映像は「歌伝説」のときに私も関与して初使用されたはずのものだからである。が、もしろん番組では元映像についての説明はまったくなかったし、詳細はわからない。
 ご存知の方はぜひお話願えればと思う。
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 アイ・ジョージといえば「ガラスのジョニー」「赤いグラス」がぱっと思いつく。しかし、彼の歌の基本はやはりラテンがぴったりである。「マラゲーニヤ」はその代表であろう。このアイ・ジョージはフランク永井とは米軍キャンプで共にジャズを歌っているころからの大親友であった。
 フランク永井の数少ないライブLPの一つである「魅惑のオン・ステージ」(1976:SJX-10144)で、アイ・ジョージとの交流を語り「商売がたき」などと親友ならではの悪態をたたきながら専属バンドである浜田清とフランクス・ナインの演奏で「赤いグラス」を歌っているが印象的だ。
 この名曲はその後もファンからのリクエストが多かったこともあるほどのもので、フルバンドで、松尾和子とデュエットしている。いまや男女二人で歌うカラオケの定番のひとつにもなっている。LP「魅惑のゴールデン・デュエット」(1978:SJX-20046)で発売され、近年にCD化されている(VICL-63067)。このCDはコロンビアファミリークラブからも今年「新発売」として紹介されている。
 アイ・ジョージは戸籍名である石松譲治から単に英語名にしたものであるが、米軍キャンプ時代は先のフランク永井の紹介にあるように「ハリー黒田」と呼ばれているのだが、これはジャズやラテンなど外国人を相手に外国語曲を歌うときの名前で、日本語の歌を歌うときは歌手「黒田春夫」であった。
 フランク永井は1955(S30)年のビクター・デビューだが、アイ・ジョージはそれより2年前にテイチクからすでにデビューしている。しかし、レコードはあまり売れずにレコード会社からも離れもとの流しやキャンプ回りを続けている。その後当時有名なロス・パンチョスらとの縁をつくり彼の歌の実力が認められていき、再度テイチクからアイ・ジョージで歌うようになる。
 この当時もフランク永井と大阪労音などでいっしょに活躍している。大阪ものは言うまでもなく、フランク永井は得意分野。その大きな素地となったのがこのときの活動である。「こいさんのラブ・コール」「大阪ぐらし」「大阪ろまん」などのヒットを支えたのだ。この作詞家である石浜恒夫は、同じく大阪労音で人気を保つアイ・ジョージに書いたのが「硝子のジョニー」である。
 ちなみにこの「硝子のジョニー」はアイ・ジョージの作曲である。フランク永井はこの曲もカバーしていると聞くが残念ながら音源は残されていない。
 アイ・ジョージは労音で「戦友」を歌っている。この「軍歌」が当時の時代ではベトナム戦争反対の反戦歌として歌われていたのだ。この曲を歌うアイ・ジョージの歌唱はすばらしい。古川益雄の編曲もよかった。古川は確かアイ・ジョージの労音での演奏バンドのリーダーのひとりであったと思う。「戦友」は戦友、友を想う心情がみごとに歌われているもので、フランク永井もカバーしている。10巻全集(1975:SJX-8022~)に収録されている。
 アイ・ジョージの歌は聴けば分かるが、絶対に手抜きのできない歌い方をしていた。カーネギー・ホール公演を日本人ではじめて成し遂げた実力者だ。LP「アイ・ジョージ・アット・労音」をひっぱりだして、針をおとして思いにふける。数年前に「彼はロスに住んでいて元気にしている」と聞いたが、飲み友達の話なので確証はない。近年彼の姿をTVで観ることはないが、昭和史をかざるすばらしい歌唱の持ち主であったことは間違いない。

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