
その場でリクエストに応えて即歌うというのは、観る者にとってはたいへんなスリルを感じて楽しめるものである。歌うほうは、膨大な歌を歌詞とメロディーで覚えていなければならないばかりか、演奏まで即興でやるのだから、相当な自信がなければできるものではない。
五木は私のおぼろげな記憶では、この番組で過去に2回程度やっている。これが好評でこの回では吉田正作品に限ってという、ある意味では事前の準備も可能な縛りをもってのぞみ、6曲を披露した。
最初は「いつでも夢を」。その後つぎつぎと「おまえに」「傷だらけの人生」「霧子のタンゴ」「有楽町で逢いましょう」「異国の丘」である。
「いつでも夢を」は吉永小百合・橋幸夫のデュエットで国民的歌謡として慕われている。「傷だらけの人生」は吉田の一番弟子ともいうべき親友鶴田浩二が歌った名曲。「異国の丘」は吉田がシベリアで作った作品でNHKののど自慢で歌われレコードとして発売された。その後に帰国した作曲家吉田がそれを知り、自分の作品と運命的な出会いをする。
それからレコード発売元のビクターに入り、つぎつぎと膨大な曲を送り出していくのである。異国の丘の歌詞を整備した佐伯孝夫と組み、フランク永井を見出し戦後歌謡曲の歴史を切り開いてきたのである。
五木が歌った他の3曲はいうまでもなく、フランク永井が歌った代表曲である。「おまえに」は吉田正の喜代子夫人のことを念頭に歌ったものといわれるいわくつきの曲。いまでもカラオケではトップクラスの人気をたもっている。
「霧子のタンゴ」は吉田正の作詞作曲という比較的珍しい曲。別項で述べたことがあるが師匠である吉田正が愛弟子フランク永井に非妥協の掘り下げを挑戦したような曲。子弟の深い信頼関係を証明するような名曲。
「有楽町で逢いましょう」は語るまでもなく、フランク永井の名を一気に全国区に引き上げた記念すべき曲。
モクハチの会場でのリクエストはどこまで準備されたものかは別にして、結果はみごとなまでに決まった選曲であったと言える。
歌の流しというのは、現在実態を知ることはないが、歌謡曲全盛時代はけっこうあったもである。北島三郎、渥美次郎をはじめ流しを経験した歌手は多い。作曲家の船村徹もその経験者だ。彼らは2000曲程度は瞬時に出てくるというから、その熱意がいかほどのものかがうかがい知ることができる。
さて、五木ひろしだが彼は吉田正に直接指導を受ける経験があり、その後カバー曲を中心に吉田メロディーを出している。写真は「吉田正トリビュートアルバム~15の宝石」「五木ひろし/吉田正作品集」「魅惑の吉田正メロディーを歌う 五木ひろし」である。
五木節ともいわれる独特の歌唱はフランク永井とはまったく異なる性質のであるが、吉田メロディーを語り継ぐ歌手として、多くのファンが支えている。


コメントする