2013年2月アーカイブ

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 「フランク永井展」が開催中である。3月末まで、フランク永井の恩師であった吉田正、彼のふるさと茨城にある吉田正音楽記念館で行われている。今回のフランク永井展はおそらく、今までにない規模のものとなっているので、ファンの方はぜひとも訪問されてはいかがと思う。 
 フランク永井写真展というのは過去にも何回か開かれている。今回は吉田正記念館の全館を使って豊富な遺品や写真を展示している。
 3~4Fでは吉田正とフランク永井が得たビクターヒット賞のニッパー犬の記念像が所せましと並べられている。二人合わせたらおそらく数百点に及ぶと思える。吉田正のは200~300はあるであろうしフランク永井のもおよそ50。いかにこの二人(橋幸夫とか他の吉田門下生のをあわせたら恐ろしい数になるのだが。。。)で、昭和30~40年代を飾ってきたかの証である。 
 曲も楽しめ、映像も見ることができる。「名曲誕生エピソード」とか「NHK紅白出場の記録」とかのコーナーも設けられている。 
 1階のショップでは「開催記念コーナー」があり、関係した商品が購入できる。拙著「フランク永井魅惑の低音のすべて~昭和歌謡を開いた栄光の全記録」もそろえられている。先に復刻されてMEG-CDによって懐かしいジャケットもついたCDが購入できる。吉田正の作品は積極的に復刻リストにあり、吉田正の作曲した曲としてもここでは200枚以上はそろえられると思える。 
 吉田正音楽記念館の楽しみは5階の「展望カフェ」である。ここはなんといっても、高台名所かみね公園からの圧倒的な景色の展望である。広大な太平洋の広がりを見渡しながらのカフェでのひといきは、すばらしいひと時を実感させてくれる。 
 なお、ここでは「初日の出ビュー」という元旦の催しを恒例にして人気を博している。この展望台から初日の出をみようというのだから、贅沢極まりない。この申し込みは明日までなので、この案内は今度の新年はには役立たないだろうが、1年後に日程の都合がつく方はトライしてみてはいかがだろうか。 

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 この素晴らしい吉田正音楽記念館をあとに、足を太平洋海岸ぞえに北上してみるとイイかも知れない。311の爪痕が垣間見える。311は宮城と福島の被害が大きく取り上げられ、茨城や千葉の被害はおおきかったにもかかわらず、隠れてしまっている。現地の被害にあった方々の話では、あの地震は実は5連発だったのだという。震源地では3連発といわれるが、茨城沖であとの2発が連続的に発生していて、津波をもろに受けたと。実際に北に向かう国道と並行して山側を走る常磐線の線路を超えて波が襲撃している。辺りの屋屋の1階は全滅している。襲ってくる津波の壁をみて上に逃げ惑ったのだと。 
 県境を超えると福島県のいわき市だ。ここのアクアマリンですらやられたのだが、その映像や写真は無数、いたるところで今も流され生々しく恐ろしさをいまも訪れる人の記憶をよみがえらせる。 
 少し手前に戻す。北茨城市磯原に日本を代表する童謡詩人の野口雨情の生家、記念館がある。ここもぜひ一度は訪れてみたいところである。当然のこのあたり一帯が被災しほぼ1年は打撃の大きさにうちひしがれ、休業。今は旅館も含めて多くは再開している。負けていてはならないという強い思いが皆の心に復興してきた結果である。 

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 さて、野口雨情は童謡作家である。日本人のこどもの視線での情景をこれほど見事に表現した人はいないと思うのだが、誰でも口ずさんだ彼の作詞の歌をフランク永井は多く歌っている。代表的には2枚のLPがでている。 
 ひとつは、1966(S41)年の「あなたに贈る幼き日の歌」(SJV-215)で野口雨情の詩のものを多く歌っている。「あの町この町」「七つの子」「赤い靴」がおさめられている。もう一つは1974(S49)年「いにち短し恋せよ少女(おとめ)」(SJX-170)で「波浮の港」「船頭小唄」「旅人のうた」といった大人を対象にした日本の名曲を中心に歌ったものである。 
 いずれもフランク永井の大人の恋の歌・都会の歌というイメージに沿ったものでないだけにレアな作品になっているので、入手は比較的むずかしい。CD化されているのも少ないのが残念である。聴いてみるとフランク永井は丁寧に、素直に、しかも野口雨情、彼の曲の多くを作曲した中山晋平らすぐれた先輩がたへの敬意をこめてうたっているのを感じる作品になっている。中山晋平についてはフランク永井の恩師吉田正が師事し大変尊敬していたとうエピソードは有名である。 
 野口雨情について最近にすばらしい著作ができた。「郷愁と童心の詩人・野口雨情伝」(講談社)である。野口雨情のお孫さんにあたり、今も生家をまもっておられる野口不二子さんがまとめられたものだ。雨情がなぜ、どうしてあのようなみごとな詩を書き遺したのか、この秘密が過酷な彼の人生の描写と共に明かされている。
 「童心」で思い浮かぶ。フランク永井は話に夢中になり笑うときに、その笑顔は子供のように屈託のない破顔を見せた。人にとって大切なものが底辺で何かつながっているのかもしれないと思い起こされた。

(初:2012年12月15日1238) 
(初:2013年01月13日1402) 

キーワード:フランク永井,吉田正音楽記念館,フランク永井展,野口雨情 

イイネ!(8) 

コメント
DIS 2012年12月18日 19:58 
私も何かの情報でこの素晴らしい企画展を知りました。
ぜひ何があっても、一度は訪れようと思っています。
きっと1日中、フランク永井さんに浸っているんだろうな。 

コメント
文四郎 2012年12月20日 20:18 
吉田正音楽記念館は絶やさずにさまざまな企画の催しをしているのですが、それだけに吉田正の功績は大きかったのですね。今も健在の門下生を中心とした写真展や、コンサートや、音楽会、トークと。。。。アイテムとしてはフランク永井も欠かせない。
稼いだ資産をこのように利用し活かしていることに、遺訓の立派さがあると思います。

コメント
DIS 2013年01月14日 18:49 
先週の平日に休みをもらって行ってきました「フランク永井企画展」。
往復4時間の運転でしたが、期待に胸を膨らませて苦にはならなかった。館内を三時間もかけてゆっくりと堪能してきましたが、ビデオ映像がそんなに貴重だったとは。うーん、今となっては見てこなかったことに後悔。
でも展示物では「公園の手品師」のレコードジャケット撮影で身につけたジャケットや年賀葉書が飾られていましたね。人柄を映す文字の字体に愛着を覚えました。
やっぱりフランク永井は歌声も人柄も最高です、見習う点が沢山ありますね。 

コメント
文四郎 2013年01月15日 19:22 
お疲れ様でした。ちゃんと先にビデオのこと触れればよかったですね。すみませんでした。次回の楽しみにして。。。。
私も時間もかけて展示品の一つ一つを吟味して見たかったのですけど、なかなかそうはいきませんでした。

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 3月23・24日に開催される「第5回フランク永井歌コンクール」(於:宮城県大崎市松山)に声援を送るようなグッド・ニュースです。
 3月2日(土)の朝5:40~5:50の時間帯です。NHK総合TVで「あの人に会いたい~フランク永井(歌手)」です。これは、NHKテレビ放送開始60年を記念しておこなわれている特別番組の一環です。
 NHKによるコメントを紹介します。
 「低音の魅力で昭和の歌謡界に新風を吹き込んだフランク永井さん。「有楽町で逢いましょう」「君恋し」等のヒット曲で知られる。デビューからヒットへとつながる歴史をたどる」というもので、詳細は「低音が魅力で、昭和の歌謡界に新風を吹き込んだフランク永井さん。「有楽町で逢いましょう」「君恋し」などのヒット曲で知られる。昭和7年・宮城県生まれ。若いころから進駐軍の音楽に親しみ、「素人ジャズのど自慢」で、その実力を発揮する。デビュー当初は、なかなかヒット曲に恵まれなかったが、作曲家・吉田正との出会いで、その才能を開花させる。"都会派ムード歌謡"で一時代を築いたフランクさんの人生が語られる」というものです。
 いうまでもなく、フランク永井はTV放送以前のラジオ放送時代にデビューし、その後映像化時代に突入しても大活躍をしている。この時代に始まった日本レコード大賞では第2回で「君恋し」が大賞を受賞したのをかわきりに常連で賞を得ている。また、同じく年末のNHK紅白板合戦でもまさに常連で、当時連続26回出場の記録を保持していたことでも有名。TV放送に多くの貢献をしてきた人である。
 しかし、フランク永井の映像が比較的に残っているのが少ないということ、録音されている映像の音にも低音の魅力が制限されているということが、ファンにとっては返すがえすも残念なことといわれている。すでに、ほとんどは再放送で放映済なのだが、今回の放送では、新たに秘蔵映像があればということで発掘を続けられたようだ。
 当時は放送に使ったテープの多くは残されずに、別の番組で使われ果ては廃棄されてきたというものが多く、現時点ではファンが自宅て番組を8ミリなどの映像として記録していたものが発見される形に頼らざるを得ない。大のNHKでもこうした事情は同じで、フランク永井の特集があったという記録は残っていても、残念なことに映像がないというのがいくつかある。たとえばNHKの次の4本。
  1974年4月28日 フランク永井・青江三奈 おとなの子守唄(NHK)
  1976年10月10日 フランク永井 あなたに夜のロマンを(NHK)
  1977年12月4日 フランク永井~酒・女・そして...(NHK)
  1984年10月4日 この人「フランク永井ショー」母あればこそ(NHK)
 さて、今回の番組ではまだ再放送されていない映像が出てくるのか。というようなことも楽しみのひとつである。
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 6年前の2008年3月18日のフランク永井の生誕の日に第1回の開催をした「フランク永井歌コンクール」が、今年で第5回を迎える。 
 2011年には第4回が開かれようとしていた直前に「311」が発生、やむなく延期を強いられたが、翌2012年3月にみごとな開催を成功裏におこなった。爪痕がなまなましく残るなか、それを開催地では復興の証をなしとげた。そのような「フランク永井歌コンクール」であったが、今年は5回目の開催となり、しっかりと全国に、世界にその歩みを示すものとファンは注目している。 
 当然地元だけではなくすでに全国に「フランク永井歌コンクール」の名は知れ渡っていて、過去には海外のファンの参加も記録している。エントリーする歌の幅も、歌唱の趣向も回を重ねるたびに深みを増している。優勝者がCDを発売するということまでなされている。 
 歌手の名がついたカラオケ大会で、毎年このように期待を集めて、熱く開催されるものは、この「フランク永井歌コンクール」以外にない。これは、フランク永井という歌手の人気がしっかりしたものであるというだけではない。フランク永井を生んだ地元がそれを誇りとし、それを行動で証をたてているというところに核心があるのだ。偉大な歌手を誇りとしてたたえ、いま生活を営んでいる人が歌を通じて与えてくれた癒し、こころのかてにたいして、感謝を表している。 
 このような「フランク永井歌コンクール」が、今年も開かれる。 
 遠方の方はやや困難はあるが、可能な方はぜひとも観戦してほしいものである。参加者の締め切りはすでに終わっているが、参加者と会をささえる多くのスタッフの熱気をじかに感じてほしい。 
 こうした取り組みをまるで支援し大きな声援を贈るようなできごとがあった。それは、JR東日本のTVコマーシャルだ。吉永小百合が大崎市の鳴子温泉を紹介している。また仙台四郎という幸福をよぶ言い伝えを紹介するバージョンもあった。 
 開催場所は、宮城県大崎市松山体育館 
 3月23日(土)に予選会、24日(日)に決勝大会

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 「君恋し」はいうまでもなくフランク永井が1961年に第3回レコード大賞を得た名曲である。しかしそれより少し前までは二村定一が歌い1929年にビクターから発売れた曲であった。作詞時雨音羽、作曲佐々紅華の日本歌謡史に残る作品。
 この曲は時代を超えて無数の歌い手によってカバーされ歌われてきた。昨年森光子が亡くなったが彼女も10余年前に「君恋し」をレコーディングしたと「モクハチ」追悼特集で伝えていた。
 YouTubeで見てみたらなんとスペイン語で歌っているもの、朝鮮語で歌っているものと聴くことができる。いまや国際的に人気があることがわかる。
 国際的といえば、一昨年から日本の流行歌を一気に世界の歌に押し上げた由紀さおりがいる。いまあたらめて日本の屈指の歌手であることが認められている。この由紀さおりも「君恋し」を歌っている。
 由紀さおりの「君恋し」は、実は1976年にTBSテレビで同名のドラマが放映され、そのテーマ曲として歌ったものである。大柿隆編曲版である。2枚組の豪華版LPを「君恋し」として発売している。また、由紀さおりは当時古い日本の名曲のカバーにも力をそそいでいて、LP「明治一代女」にも「君恋し」は採用されいる。これらは現在CD化されていないので、なかなか聴くことは困難である。
 「明治一代女」は手元にあるので久しぶりに針を落としてみた。由紀さおりはほんとに日本語の発生が自然でそれに音程がきっちりしているので、聴く者に自然な安らぎを与える。
 この「明治一代女」には、「明治一代女」「祇園小唄」「野崎小唄」「すみだ川」「南国土佐を後にして」「蛇の目の陰で」「君恋し」「別れの磯千鳥」「真白き富士の嶺」「北上夜曲」「宵待草」「白い花の咲く頃」が入っていて、フランク永井が「君恋し」(1962:LV-254)、「夜霧のブルース」(1968:SJX-8)、「上海ブルース」(1970:SJX-37)などでカバーした曲と相当ダブっているので、聴き比べてみるのも楽しい。

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 日活映画「西銀座駅前」はいうまでものなく、フランク永井の歌「西銀座駅前」のヒットにあやかって作られたものだ。1958年52分のモノクロフィルムである。今だと1時間ものの軽いラブ・コメディといったところだ。 
 この映画は封切当時は覚えてい。フランク永井のデータブックを作っているときに、およそ6~7年前だろうか気になって観てみた。 
 この映画は巨匠今村昌平監督作品でデビューして2作目のものであり、初期作品である「盗まれた欲情」と抱き合わせでDVD発売されたばかりであった。フランク永井がストーリイのナビゲータのような感じでところどころに登場し、歌をうたったりする。出演者が柳沢真一、堀恭子、山岡久乃、西村晃、小沢昭一らで音楽を黛敏郎が担当しているという豪華版だった。 
 今村監督はその後に「にあんちゃん」(59)、「豚と軍艦」(61)、「にっぽん昆虫記」(63)、「赤い殺意」(64)、「神々の深き欲望」(68)「復讐するは我にあり」(78)、「楢山節考」(83)、「うなぎ」(97)といった社会問題をえぐった作品をつくっていくのだが、「西銀座駅前」はさまざまな今村監督のトライを感じる愛嬌作品。 
 今村監督は川島雄三監督の「幕末太陽傳」(57)の脚本を担当している。これも日本映画史に残る傑作である。 
 「西銀座駅前」でのトライというのを感じさせるのは、まずスターティングのタイトル。デジタル時代のはるか前なのに、夜のネオンのもじのようでもあるのだが、文字をドットで時差をつけて表示し左に流れるというのをやっている。 
 またちょっと説明が追いつかないのだが当時売れっ子歌手のフランク永井を唐突に出たりはいったり、いや歌わしたり話をさせたり、あるいは出演者を夢でもないのにワープ?させたりと、そうとう大胆な展開をしている。映画のスポンサーにもなった製薬会社の実名商品がコマーシャルのようにポスターでだが登場する。まあ、最後はそれなりにまとまっていて、そうした手法にも嫌味を残さないように処理されている。 
 フランク永井は1958年に大映映画「有楽町で逢いましょう」で売れたのをきっかけに、この年に「夜霧の第二国道」「羽田発7時50分」「場末のペット吹き」「ロマンス祭り」「夜霧の南京街」「東京午前三時」とこの「西銀座駅前」の7本の映画に出演したり主題歌を歌ったりしている。この年はシングルで新曲を37曲だしている。後年にほんとに寝る暇もなかったほどの多忙とふりかえっている。 
 それにもかかわらず、彼は「西銀座駅前」で若者らしいはつらつとしたセリフ回しをしている。フランク永井が噺家からも絶賛されるほどの語り口と言われたのだが、その片鱗をうかがわせるものとなっている。 
 歌「西銀座駅前」はフランク永井の代表曲のひとつで、佐伯孝夫(詞)吉田正(曲)寺岡真三(編)作品。「ABC.XYZ」を「おいらの口癖さ」などとほとんどありえそうもない詞。それをフランク永井が歌ってしまう。なぜかしら不思議にそれはキマリ、はまっている、という他にはだれにもマネのできそうにないこの4人組の画期的な傑作。この歌を聴くと、聴いた人の耳に残り、いつのまにか「ABC.XYZ」が口癖のように、当時多くのひとのが口ずさんだのだった。
(初:2013年01月27日1744)

いつも、さまざまなフランク永井情報をいただいている、rocky劇場さんから、この映画を見れるようにしていただきました。 

西銀座駅前‐フランク永井Ⅰ
 http://www.youtube.com/watch?v=FEF1qEK1P3k 
西銀座駅前‐フランク永井Ⅱ
 http://www.youtube.com/watch?v=PjyVb9R-x7I

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イイネ!(5人) 
 
コメント
HOJ 2013年01月28日 06:18  
当時、東京にいました
映画「西銀座駅前」は確か渋谷の映画館で見ました。ほか数本・・・
59年の「夜霧に消えたチャコ」も・・・、
映画館はいつも満員でした、懐かしいです

コメント
文四郎 2013年01月29日 09:36  
当時は確かに映画は娯楽の王様のひとつでしたからね。
「夜霧に消えたチャコ」はこれも数年前にDVD化されたときに購入してみた口です。

(初:2013年01月27日1744)

キーワード:フランク永井 映画 西銀座駅前

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 テレビ東京が誇る歌謡曲番組「木曜8時のコンサート~名曲! にっぽんの歌~」で五木ひろしの流しコーナーというのを何回かやっている。2月7日には「吉田正メロディー」に限って会場の方々からリクエストを受け付けて、その場で五木が歌うというものだ。
 その場でリクエストに応えて即歌うというのは、観る者にとってはたいへんなスリルを感じて楽しめるものである。歌うほうは、膨大な歌を歌詞とメロディーで覚えていなければならないばかりか、演奏まで即興でやるのだから、相当な自信がなければできるものではない。
 五木は私のおぼろげな記憶では、この番組で過去に2回程度やっている。これが好評でこの回では吉田正作品に限ってという、ある意味では事前の準備も可能な縛りをもってのぞみ、6曲を披露した。
 最初は「いつでも夢を」。その後つぎつぎと「おまえに」「傷だらけの人生」「霧子のタンゴ」「有楽町で逢いましょう」「異国の丘」である。
 「いつでも夢を」は吉永小百合・橋幸夫のデュエットで国民的歌謡として慕われている。「傷だらけの人生」は吉田の一番弟子ともいうべき親友鶴田浩二が歌った名曲。「異国の丘」は吉田がシベリアで作った作品でNHKののど自慢で歌われレコードとして発売された。その後に帰国した作曲家吉田がそれを知り、自分の作品と運命的な出会いをする。
 それからレコード発売元のビクターに入り、つぎつぎと膨大な曲を送り出していくのである。異国の丘の歌詞を整備した佐伯孝夫と組み、フランク永井を見出し戦後歌謡曲の歴史を切り開いてきたのである。
 五木が歌った他の3曲はいうまでもなく、フランク永井が歌った代表曲である。「おまえに」は吉田正の喜代子夫人のことを念頭に歌ったものといわれるいわくつきの曲。いまでもカラオケではトップクラスの人気をたもっている。
 「霧子のタンゴ」は吉田正の作詞作曲という比較的珍しい曲。別項で述べたことがあるが師匠である吉田正が愛弟子フランク永井に非妥協の掘り下げを挑戦したような曲。子弟の深い信頼関係を証明するような名曲。
 「有楽町で逢いましょう」は語るまでもなく、フランク永井の名を一気に全国区に引き上げた記念すべき曲。
 モクハチの会場でのリクエストはどこまで準備されたものかは別にして、結果はみごとなまでに決まった選曲であったと言える。
 歌の流しというのは、現在実態を知ることはないが、歌謡曲全盛時代はけっこうあったもである。北島三郎、渥美次郎をはじめ流しを経験した歌手は多い。作曲家の船村徹もその経験者だ。彼らは2000曲程度は瞬時に出てくるというから、その熱意がいかほどのものかがうかがい知ることができる。
 さて、五木ひろしだが彼は吉田正に直接指導を受ける経験があり、その後カバー曲を中心に吉田メロディーを出している。写真は「吉田正トリビュートアルバム~15の宝石」「五木ひろし/吉田正作品集」「魅惑の吉田正メロディーを歌う 五木ひろし」である。
 五木節ともいわれる独特の歌唱はフランク永井とはまったく異なる性質のであるが、吉田メロディーを語り継ぐ歌手として、多くのファンが支えている。 

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著者 矢萩光也
ハンドル名 文四郎

 「フランク永井の故郷から~大崎市松山」は、昭和歌謡史に偉大な功績を残した歌手フランク永井の偉業を紹介している唯一のサイトです。フランク永井の生誕の地である大崎市松山において毎年開催されている「フランク永井歌コンクール」を紹介する公式な場でもあります。
 全国のフランク永井ファンが注目しているこのような場に、フランク永井にちなんださまざまな話題を提供していこうと思っています。また、これがフランク永井の残した功績をさまざまな視点からみたひとつの記録として残していけたらいいと考えています。
 著者の私は、フランク永井のいちファンです。2010年の暮れに「フランク永井・魅惑の低音のすべて~きらめく昭和歌謡を開いた栄光の全記録」というデータブックを発行したものです。
 このデータブックは、フランク永井の残した全レコードについてリスト化しすべてのジャケット画像をカラー掲載、索引をつけたものです。全国のフランク永井ファンのレコード参照書として喜こばれました。
 このデータブックはフランク永井のご親族のご協力を得て大崎市長にも手渡しされました。
 NHK-BSが2009年に放映した「歌伝説~フランク永井の世界」にもささいですが協力させていただきました。フランク永井のデビュー初期のモノラル版レコードの復刻(現時点で100枚弱)が2012年夏にMEG-CDから実現しましたがこれにも尽力させていただきました。
 そのような作業の期間中にソーシャル・ネットワーク・システムのミクシィに「文四郎日記」として、フランク永井のテーマに限ってつれずれままに掲載してきました。レコードのこと、作詞作曲編曲のこと、ジャケットのこと、CDのこと、映画のこと、TV・ラジオ番組のこと等々です。
 そのときどきのトピックスを中心に、およそ7年200本近い日記風記事からの再構成も含めて、この「フランク永井あれこれ」にあげていく予定です。
 フランク永井についての当時の記録も散逸し、身近で接してこられた方々も記憶が薄れてきています。しかし、フランク永井の残した素晴らしいものを語り、残し、後に引き続ぐのはファンとしての大事なこころがけと思っています。
 フランク永井の歌は多くの人々にとって「生活の一部」であったと聞きます。フランク永井の歌を聴き話題を盛り起こして、少しでも活力ある生活にプラスになっていけばという思いです。
 ちなみに私の出は大崎市に接する山形県です。同県から出た作家藤沢周平の読者でもあります。ハンドル名の文四郎はいうまでもなく彼の代表作のひとつである「蝉しぐれ」の主人公の名前です。

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