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 同書は東京ラジオ歌謡を歌う会の石井久夫さんが自主出版した貴重な書籍である。
 ラジオ歌謡に関する画期的なデータブック。「ラジオ歌謡」は戦後にNHKの大阪と東京の両方の曲から放送された番組名である。だが、このデータブックでは、ラジオ歌謡に限らず「ABCホームソング」「三越ホームソング」「八大朝の歌」「夢であいましょう」「ヤンタン今月の歌」で流された曲をカバーしている。「ABCホームソング」「ヤンタン」が終了した1972(S47)年までの全曲が扱われている。
 さらにNHKがラジオ歌謡の終了につづいて放送し、現在も続いている「みんなのうた」については、平成の終りまでをリスト化している。
 研究者にとっては、垂涎の書といえる。
 総計1898曲について、作詞、作曲、歌手のすべてが一覧できる。再放送された記録もまとめられている。そればかりか、音源は残されているか、どんな賞を得たか、発表された解説は存在するか、カラオケが可能か等々の詳細な情報もはいっている。
 テレビが始まるまでの娯楽の主流の一つであったのはラジオだ。ラジオから流される歌は日本中から歓迎された。だが、現在までその全容が調査されたことがない。個別にはいろいろと局所は話題になったことはあるが、その全容を知ることはできなかったのが、この書籍で埋められたといってよい。
 この書籍の一つの特徴として、本表では、東京発と大阪発の区別が明示されていることだ。NHKもその時期の当初は東京(JOAK)と大阪(JOBK)が競っていた。朝日放送は「ABCホームソング」は有名だ。
 編者は地域的な流れの特徴、時代変化に伴う曲の特徴などをも詳細に考察している。
 どの番組についても、放送局自身が資料を押さえておらないケースがほとんどで、ファンの方々が細々と記録したり、覚えておられたりしているのを、編者はそうとうな長い期間をかけて丹念に収集して実現したものである。
 時間的な制限と壁は厳しく、当時の歌を整理するのにはおそらく現時点が最後になるかもしれない。そうした意味で、日本の大衆文化である叙情歌、童謡、唱歌等の一覧は、長く後世に残る記録といってよい。編者の気高い姿勢と意気込みについて敬意を表する。

 さて、この書籍でフランク永井はどのように登場するのであろうか。
 歌手別の索引でフランク永井の項をみると一瞥できる。

  フランク永井
   S31.11〈A〉公園の手品師/S32.7〈A〉すぐに盆だよ/
   S33.4〈A〉こいさんのラブコール/S33.8〈ラ〉アイスクリームの夜/
   S34.7〈ラ〉いつの日あえる/S34.9〈A〉鈴懸の頃/S39.3〈A〉あふれる朝の/
   S40.7〈A〉麦わら帽子の子守唄/S41.6〈八〉雨傘/S42.1〈A〉赤いバラ/
   S46.10〈A〉こいさん恋唄

 このように、11曲が登場している。有名どこは「こいさんのラブ・コール」「公園の手品師」だろう。<A>とはABCホームソングから放送されたという意味。
 この他で、レコード盤として出ているのは「鈴懸の頃」「こいさん恋唄」で、曲が発見されてCDで初リリースされたのは「すぐに盆だよ」「麦わら帽子の子守歌」「紅いバラ」だ。2009年「歌声よ永遠に~フランク永井のすべて」。
 「アイスクリームの夜」「いつの日あえる」については残念ながらラジオ歌謡関係者に楽譜が保存されているが、音源は残されていない。
 なお、索引には登場しないが、1963(S38)年にNHKみんなのうたで放送された「さあ太陽を呼んでこい」という曲がある。石原慎太郎作詞、山本直純作曲。初出はNHK放送児童合唱団が歌っている。これは2年後の再放送時は西六郷少年少女合唱団と立川澄人が歌っている。
 この歌をフランク永井は1963年にレコード発売しているが、何故か話題にのらなかったようだ。倍賞千恵子、ポニージャックス、友竹正則といった歌手のレコード発売の記録がある。つまり競作なのだが、こうした子供向けの澄んだ歌唱はいくらうまく歌っても、本道扱はされなかったものと思える。
 「八大朝の歌」で1966(S41)年6月に歌われて「雨傘」については、レコード会社に音源は残されているようだ。フランク永井作品が次に発売される際に登載されることを願うのみである。

 「戦後四半世紀電波から流されたホームソング」について興味があるかたはご一報くださればと思う。

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 コロナ禍でイヤでも自宅滞在時間が多くなる。youtubeでフランク永井関係の情報をいろいろ見ていたら、驚くべき貴重な映像を観てしまった。それは、そこに記されている情報から判断するに、1982年開催の広島平和音楽祭(第9回)でフランク永井が歌う映像のようである。
 記録では当時地元広島テレビが放映し、全国放送は後に日本テレビ系でなされた放送の録画の一部のようである。聞いたことのない曲だ。歌詞がテロップで出ているがわからない。当時音楽祭ではオリジナルがそうとう歌われているので、きっとこの日のための曲だと思える。

 youtubeのURLは、https://youtu.be/aSHyWMJAi6Q なので、興味のある方はぜひとも訪れてみてほしい。
 歌詞は、画面の表示と重なっていて、もしかして異なる箇所があるかも知れないが、つぎのように書き起こした。何番まで歌詞があったのかは分からないが、歌唱の最後のものだ。

...
晴れた空には 悲しみがある
傷つきすぎた 僕らの時代(ひび)
飛びたつ鳥に 願いをこめて
鐘の音よ 今 海を越えていけ
駆けてゆけよ 駆けてゆけ どこまでも
やがて来る 朝のために
今は僕が 今は僕が
守ってやろう 幼な子よ
迷いつづけ 迷いつづけた日々よ
ふる返れば 悲しみが
けれど明日は けれど明日は
君達のもの 幼な子よ

 せつせつと歌うフランク永井の映像。当時番組を観た方々はどう思われたのだろうか。曲名をご存知の方がおられたら、ぜひ教えていただきたい。
 広島平和音楽祭については、美空ひばりの「一本の鉛筆」が良く知られている。このことと、1985年開催の第12回で二葉あき子が歌った「祈り舟」について当ブログで、5年前に紹介したことがある。(http://frank-m.org/bunsirou/2015/08/post-71.html)

 戦後の平和獲得に熱心で1975年(第2回)の音楽祭の実行委員長をしているフランク永井の恩師吉田正が、当時実現が難しかったレコード会社専属制の壁を越えて、コロンビアの石本美由紀と組んで作り提供したのが「祈り舟」だった。
 地球を50回も消滅する量の核兵器が世界の大国に貯蔵されている。こうした巨大規模の火器で、戦争がひとたび再発したら、人類は滅亡する。戦争をしかけた方も、しかけられた方も、大半の無関係な人も、すべてが一気に消滅する。それをそうとうバカな中央政治のリーダーでも、知らないはずがない。
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 公益財団法人常陽藝文センターが発行する月刊誌「常陽藝文」2020年6月号で「北関東歌謡の系譜」が特集された。
 「常陽藝文」の特集は実に充実した内容であり、見るたびに感心する。最新号では茨城、栃木、群馬の関東北部地域から出た昭和歌謡の偉人に焦点を当てている。
 当誌では過去に野口雨情、門井八郎、西條八十、吉田正、矢野亮と特集で紹介している。6月号ではそうした内容の総集編的なものとなっている。当ブログではフランク永井に関連する情報の紹介で吉田正のときの特集をとりあげている。
 北関東とは表記されているが、その直上には福島がある。福島は歌手春日八郎、作曲家古関裕而がおり、密接な関係をもっている。また、今回の特集では、水戸出身の日吉ミミ、幼年期を笠間で過ごし第二の故郷と呼び結婚式を挙げるまでした坂本九まで紹介している。
 こうした偉人たちのひととなり、出生、業績を単に取り上げるにとどまらず、時代の流れとの関係について、深く掘り下げて論じているのがいい。「歌は世につれ、世は歌につれ」とよく言われるが、ここでも指摘されているが、世が歌につれることなどない。しかし、歌が世を構成する大衆に巨大な影響を与えた当時の時代を考えれば、その大衆が世を多少なりともあり得る、そう思わせる関係を深めている。

 読んでいていくつか感じるところがあった。
 一つは戦争を体験した当時の歌の作り手に与えた大きさだ。戦後の復興をなした多くの人びとに、明るさと希望を与えた歌謡曲。それは当時の老若男女がラジオから流れる歌に、一緒に耳を傾け、一丸となって働き、生活していたことにつながる。総じてその結束を歌が支え、世にもまれな休息の復興を成し遂げたのではなかろうか。
 「生きることはすばらしい。それを伝えることが自分の作曲活動のすべてだ」とよく口にしていたのは吉田正。この言葉は戦争による非日常と理不尽と非情を体験していたからのものだろう。
 「異国の丘」はシベリア抑留時代に作られたものと今まで思い込んでいたが、この度の記事で確認したのはやや違う。満州のノンジャン(地名)で急性盲腸を患い陸軍病院に収容され、そこから部隊に復帰するまでのあいだにベッドの上で作ったということであった。
 前述したが川崎出身の坂本九の「上を向いて歩こう」の歌詞がどうして笠間市に立っているのか、についての説明がわかった。2歳の時だが疎開である。母の出身地が笠間だった。大家族だったので一軒家を建ててそこに4年間住んでいたのだ。小学校4年のときに川崎に戻った。
 笠間に結成された後援会が中心になって1965(S40)年に碑を建立している。また笠間の近くのJRの駅では4種のメロディーが奏でられている。
 「男と女のお話」は当時大ヒットした。歌ったのは日吉ミミ。彼女が水戸出身とは不勉強で知らなかった。この歌の歌唱の独特な印象は耳から離れない。この強力な一曲の印象は彼女を生涯縛った。
 同じ路線というかその傾向の歌から脱出できなかったように思う。若くして病死した。後年新宿で気さくな店をやっていたようだ。そこに頻繁に出入りしていたという友人は雰囲気が気に入っていて、亡くなったときにはひどく残念がっていた。
 フランク永井は彼女の「男と女のお話」をカバーしていて、ときどき聴いては思い出す。

 戦争を引きづるという点でもう一つある。朝ドラ「エール」の主人公古関裕而についても記してある。NHK連続放送劇「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」の話。古関の盟友である菊田一夫とのコンビの作品。
 ここでは下記のように記されているが、その箇所を引用させていただく。
 【このラジオドラマはさらに感動的な実話を生む。放送期間中に品川博というラバウルから復員した群馬県出身の人物がNHKに菊田を訪ねた。品川は「鐘の鳴る丘」を聴き、上野駅で戦災児たちの悲しい現実を直接目にし、ドラマの主人公の情熱にいたく感がじ入ったと話す。彼は主人公が実在していると信じたようなので、菊田が創作であることを明かすと、それなら自分たちのカで子どもたちの家を実現してみせる、と決意を述べた。
そして実際に、初め前橋市にドラマと同じとんがり帽子に時計台のある少年の家を建て、次いで群馬県内の別な場所の緑の丘の上、雑木林を開墾して少年の家を建設だという】
 ここで登場する品川さんは、このブログでも何度か紹介した方で、フランク永井とも深い関係がある。前橋のこの施設は現存し品川さんが運営されている。その関係施設の一角に「フランク永井鉛筆画前橋展示室」を常設されており、品川ヤイさん自らが描かれたフランク永井の鉛筆画を展示している。
 品川さんは毎年宮城県大崎で開催されている「フランク永井歌コンクール」(今年はコロナ禍で来年に延期)の入賞者に、描かれた絵を贈与されている。フランク永井の残された歌の遺産を後世に引き継ぐために活動されている方である。
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 ウイリー沖山が亡くなったという訃報。心からご冥福をお祈りいたします。またひとりフランク永井と同時代で活躍した方とのお別れとなった。淋しい限りである。
 フランク永井とは表題のごとく「夜霧に消えたチャコ」でカップリング「そうなんだ」を一枚だけしている。1959(S34)年4月リリース。最初にSP版で発売され、その後EP盤になった。黄色の味気ない文字ジャケットからまもなく、墨+紫の二色写真版になり、若きウイリー沖山の顔がわかる。
 フランク永井と舞台を共にしたかはさだかでない。だが、おそらく、普通の芸能界のありようだった米軍キャンプ時代には、何度かともにしているのではないだろうか。
 ウイリー沖山といえば、ヨーデルだ。このジャンルの歌を日本で歌う、日本で人気を得るというずいぶんとユニークな歌手として知られている。初めて聴いたときは驚いたものだ。
 もちろん、彼はその分野で比類の歌唱を披露したが、当然に当時の洋楽全般を歌っている。カントリーはもとより、ジャズ、シャンソン、ポップスと幅広く歌いあげている。
 一度このコラムで紹介したと思うが、朝日新聞に月間で着いてくる「定年時代」というタブロイド紙で、久しぶりに彼の近況が紹介されているの見て、懐かしさを覚えたものだ。記事「膠原病を克服...「歌こそ命」によると、ご高齢にもかかわらず、現役で歌われていたのだが、膠原病を患っていたとある。
 膠原病といえば、やはり筆者の好きな歌手だった岸洋子を思い出す。おなじ膠原病という難病に長く患わされていた。

 さて、ウイリー沖山の日本の芸能界でのデビューは1933年(S8年)生まれで、フランク永井の生誕の1年後。デビューは1957(S32)年「スイスの娘」である。
 ウイリー沖山がどのような方なのか、彼がどうして「ヨーデル」を得意とするようになったのか。これについては、先の「定年時代」で簡潔に紹介されているので引用させていただく。

 【沖山さんは1933年、アメリカ人の船員と日本人女性との間に出生。だが、戦争が始まると父は日本に入国できず、そのまま生き別れに。「当時は父が『敵国人』ということで嫌な思いをたくさんしましたね。その後、母がインド人男性と再婚。その人にはとても良くしてもらいました」
 戦後、沖山さんはミッション系のインターナショナルスクールに進学。生徒の多くが各国大使館の子弟という格式の高い大学だった。そんな環境だったからか、その当時世界で歌われた最先端の音楽に触れる機会も多く、歌の道に入ったのも在学中のこと。「友達に誘われ進駐軍が運営するクラブのオーディションを受けたのですが、なぜか自分だけ合格しました(笑)」
"この命ある限り"現役で----
 その後は、学校の先輩でカントリー歌手の黒田美治(びじ)が率いていた「チャック・ワゴンボーイズ」のほか、さまざまなバンドに属した後、自らのバンド「ブルーレンジャーズ」を結成。日本全国の進駐軍キャンプやステージを回ったという。「当時カントリー歌手はシャツにジーンズが定番でしたが、スーツでビシッと決めて歌ったのは僕たちが最初じゃないかな」
 進駐軍キャンプには、雪村いづみや平尾昌晃ら、日本芸能界の草創期を彩る面々のほかアメリカ人タレントも多数招かれていた。その中にはヨーデルの名手がおり、それを気に入った沖山さんは自己流でマスター。代表曲の一つで、カントリーヨーデルの名曲「スイスの娘」もキャンプ時代から歌っていたという】

 なるほどですね。手元にはウイリー沖山の曲は少ししかないが、今日はひさびさで聴いてみたいと思う。
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 全世界の経済を「コロナ怖い」で停止するという空前の実験がなされた、と言いたくなるようなご事態。戒厳令下、自ずと自分を自分で自宅軟禁する。テレビドラマや、映画の鑑賞も増える。普段ならあまりみないyoutubeを見る機会もでてくる。というような幻覚か、錯覚かを増幅するご時世のおかげで、フランク永井が大津美子と「銀座の恋の物語」を歌うという、いままで見たことのない映像を観た。

 大津美子は誰もがご存じで「ここに幸あり」や「東京アンナ」が頭に残る。日本からハワイや南米に移住した方々がこの歌のすばらしさに日本を思い起こし、絶賛を送った。確か大津も現地に行って大歓迎を受けている。
 大津美子について忘れられないのは、恩師渡久地政信との出会いからデビューだが、これは渡久地政信の自伝「潮騒に燃えて」を読んで知ったものだ。「東京アンナ」は渡久地が大津を知りぬいてその個性を引き出した名曲だ。
 渡久地はもともとビクターだが、ヒットがないとつれなくもクビにしたくなる。渡久地はキングに行く。ちょうど古関裕而をモデルにした朝ドラで、コロンビアが売れない古関を雇うときに出した報酬は、その後のヒットの報酬の前渡しだといって、クビにしそうになるのと重なる。
 だがビクターは渡久地を放す。渡久地はキングで「お富さん」(春日八郎)「上海帰りのリル」(津村謙)と豪砲を放つ。大津の「東京アンナ」の後、ビクターに戻り、ここでもフランク永井に「俺は淋しいんだ」「夜霧に消えたチャコ」などのヒット曲を作る。
 キングを離れるときに大津は恩師と離れるわけだが、淋しさを感じたようだ。渡久地も同じだろう。

 19666年にフランク永井は大津美子とカップリングを出している。1面が大津美子の「ホステス物語」でフランク永井はB面「千花子の手紙」。いずれも渡久地政信の作曲作品。ただ、当時、これはあまり売れたとはいえない。この年は「大阪ろまん」(B面「おまえに」の第1回目)を出していて、現在代表曲になっている「おまえに」は「大阪ろまん」の裏で沈んだ感じだ。
 フランク永井ファンとしては、大津美子はこのときのジャケットをも記憶に残している。大津と言えばキングだが、このときはひとときでも渡久地のビクターに移ったのだろうか。

 youtubeの映像はいつのテレビ放送なのかはあいにく分からない。だがフランク永井は大津とひさしぶりでお会いしてのデュエットだろう。さすがに二人ともすばらしい歌唱を披露している。
 「銀座の恋の物語」は石原裕次郎と牧村旬子のデュエット曲で、いまでも人気の曲だ。牧村は本名はそのままの文字を書いて「みつこ」で初期の芸名もそうだったのだが、やはりそう読む人はいなかったからか「純子=じゅんこ」に変名。だが、初期の旬子にもどし「じゅんこ」と普通にもどしたようだ。
 「銀座の恋の物語」は同名の映画があるので、一気に主題歌も人気を得たのだが、実はこの歌は、裕次郎主演でその前に作られた「街から街へつむじ風」(1961年日活)の挿入歌だった。と、いつも映画でさまざまなエピソードを聞かせてくださるZさんの情報。
 この映画の1年ほど前に、フランク永井は松尾和子をデビューさせる。そのときの曲が「東京ナイト・クラブ」。そのA面は松尾のデビュー曲「グッド・ナイト」。「東京ナイト・クラブ」は押しも押されぬ大人のデュエット曲の人気定番。
 このにあやかろうと裕次郎のテイチク・スタッフが立ち上がる。作詞は大高ひさを、作曲は鏑木創。録音してすぐに売り出すのだが、譜面を裕次郎に渡してすぐに吹き込んだようだ。撮影で超多忙だったからだ。いつものように、街でその曲を聴いて「いい歌だな。だれが歌ってるんだ」と言ったかは分からないが。
 これは売り上げたレコードの数では「東京ナイト・クラブ」を抜いたかもしれない。銀座にはその立派な碑が建っている(1990年)。そこから僅か離れて、フランク永井「有楽町で逢いましょう」碑が建つ。

 かつてテレビで流されていたとはいえ、当時のことは記憶になく、フレッシュな気持ちでyoutube映像を楽しめた。そして、とりとめもないようなあれこれを思い起こしてみた次第。
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 コロナ禍で自宅で過ごす日が多かった。そこで、時間を利用して楽しんだのが「フランク永井初期ピアノ演奏集」。
 これは私製のアルバムで、作成されたのは筆者が映画の紹介でご紹介させていただいたzさん。若きころからのフランク永井大ファンで、自ら当時はよく歌われたという。カラオケなどない時代で、演奏を伴ったバーとかクラブ。そこで親しくされておられたピアニストが、フランク永井の曲を弾いたのを録音されていて、これを近年にCDにしたというもの。とんでもない貴重なものである。
 収録曲は、下記のとおりだが、時代を反映している。フランク永井は1955年にデビューしたのだが、4枚のジャズ盤はヒットせずに、腹を決めて流行歌手に方向を変える。その最初の曲が「場末のペット吹き」。1956年の10月。その後、誰もが知るようにデパート「そごう」の東京開店キャンペーンで「有楽町で逢いましょう」を歌い全国的な人気を得た。
 これで歌のうまさとフレッシュさが魅力に感じられて、出したレコードがさかのぼって大売れする。収録されている演奏曲は、まさにこのときの曲24曲。

01_場末のペット吹き 1956
02_たそがれシャンソン 1957
03_13800円 1957
04_東京午前三時 1957
05_夢がやたらに見たいのさ 1956
06_花売り娘とギター弾き 1957
07_哀愁ギター 1957
08_ひとり暮らしのサキソフォン 1957
09_泣くなサキソフォン 1957
10_夜霧の第二国道 1957
11_有楽町で逢いましょう 1957
12_からっ風の唄 1957
13_街角のギター 1957
14_追憶の女 1958
15_たそがれ酒場 1958
16_公園の手品師 1958
17_東京ダークムーン 1958
18_ここも寂しい町だった 1958
19_雨のメリケン波止場 1958
20_西銀座駅前 1958
21_夜の波紋 1958
22_哀愁の海 1958
23_夜霧の南京街 1958
24_ギターと女 1958

 zさんの所有していたこの音源は貴重だ。ファンとしての深さの度合いを感じ取れる。ピアノ演奏なので当時どんな楽譜か分からないが、さすがプロという腕を聴かせてくれる。じっくりと聴いてみる。どっと当時のことが頭をよぎっていく。知っている部分は歌詞を思い出し、口ずさんでしまう。
 何かしながら、BGMとして流してもいい。全部好きな曲だが、特に「東京午前三時」「夜霧の第二国道」「追憶の女」などはたまらない。

 youtubeなどをみていると、フランク永井の代名詞ともなっている「有楽町で逢いましょう」「君恋し」「おまえに」などがピアノ演奏でアップされている。「夜霧の第二国道」や「東京しぐれ」というのもあった。
 コロナ禍が話題になり、三密を避けた異様な生活スタイルが半年ほど続いている。この間にテレビ番組でフランク永井はどうだったのだろう。唯一まともに扱われた?のはこのコラムでも紹介したBS-TBS「昭和歌謡ベストテンDX」だけだったといっていい。
 ただ、ここでは本人映像がなくファンががっかりだったと書いた。だがこの番組であえて特記するならフランク永井が歌った曲数をほぼ正確に紹介していたことではなかろうか。
 CSの有料専門チャンネル「歌謡ポップスチャンネル」では月に1、2回程度フランク永井の曲が流れるよ、と知人から聞いた。だが、内容はやはり本人歌唱の映像はなく、CDの音源の放送だという。
 6月は恩師吉田正の亡くなった月だが、1921年1月20日が誕生日なので、今年は記念すべき生誕百周年となる。コロナ禍であいにく催しの見通しがたたないものと思われる。コロナ禍を去った後にフランク永井+吉田正で、明るい記念の何かが登場するのを期待したと願っている。

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 最近に「フランク永井ヒット歌集」なるLPを入手した。フランク永井のLPは基本的にすべて手元にあるのだが、ジャケット写真が気になり、もしかして私の資料にない未発掘のものだろうかという期待もあった。収録曲に未発見があるという期待は端からなかったので、曲にも新発見は期待していなかった。ちょっと道楽としていかがなものか、と自分でも思いつつ購入したのだった。
 ジャケット写真というのは、何年か前に当ブログで紹介したことがある「霧子のタンゴ」なる台湾版のLPだ。並べてみればデザインが同じ。この写真を使った日本版のLPは知らないので、もしかして元になった日本版のLPがあるのではないのかという思いもあり、確かめたかった。
 製品を手にしてよく見たら、何とこれも台湾製だった。まあ、別の表現をすれば著作権違反の海賊版。いや、断言はしかねるのだが、怪しいには違いない。

 収録されている曲は次の通り。
  01_有楽町で逢いましょう
  02_夜霧の第二国道
  03_俺は淋しいんだ
  04_淋しい街
  05_誰よりも君を愛す
  06_霧子のタンゴ
  07_誰を愛して
  08_こいさんのラブ・コール
  09_林檎ッコ
  10_アコちゃん

 盤面にはLLP-107-高級豪華版 特殊録音 フランク永井ヒット歌集 品出社版片唱鳳龍
 中国語は分からないが、版権は得ているのだよと読めそうな表記もある。版には60年2月出版と書かれている。えっ、このリリース年は西暦と判断するが、違うのだろうか。台湾は1949年に大陸が国家宣言。台湾に逃れた蒋介石がやはり中国を名乗るという経緯があったが、台湾独自の年号が採用されているというのは聴いたことがない。
 年代を気にしたのは「誰を愛して」は1964年。「アコちゃん」は1965年のリリースだから、1960年2月にはまだ世に出ていないからだ。
 この盤の裏面に歌詞が印刷されているが、ここに日本の流行歌を全8枚のLPでだしているのだ、という意味合いにとれる広告がでている。
 美空ひばり3枚、春日八郎、三橋美智也、神戸一郎、フランク永井(当盤)、小林旭だ。なかなか楽しそうだ。曲名は日本語だけ、日本語と中国語だが、神戸一郎は中国語だけで、判読できない。
 以前に紹介したもう一枚も見てみよう。どう見ても版元は同じに見受けられるのだが「ポパイ・レコード」といったように見える。PP-2058-最新立体録音決定版~フランク永井傑作集~で、ジャケットには「魅惑の低音フランク永井の傑作集~霧子のタンゴ~」、いつまでの心に懐かしいあの唄この唄、と記載されている。リリースは、60年5月とある。

  01_有楽町で逢いましょう
  02_霧子のタンゴ
  03_羽田発7時50分
  04_湯島の白梅
  05_東京午前三時
  06_真白き富士の嶺
  07_誰よりも君を愛す
  08_落葉しぐれ
  09_夜霧の第二国道
  10_俺は淋しいんだ
  11_冷いキッス
  12_東京カチート

 この盤も怪しいのは上記と同じで「誰よりも君を愛す」「落葉しぐれ」は、1969年に「吉田メロディーを唄う」で初めて発表した曲。これが先の同様、正式なライセンス・レコード盤ならば、インチキを匂わす表記は不要なはず。
 インチキ臭ければ臭いほど、そこに強烈な魅力があって売れるということで、次から次と臭さを編み出して売っていたのだろうか。てなことは、ないですね。
 だが、当時レコード会社自身の外国資本との関係とかで海外に出すのは極めて困難だったようだ。基本的には許可はおりない。おのずと台湾や韓国では海賊版が作られる。密かに作ってはパッと売り切って逃げる。皆が忘れたころを狙って、また別の装いで同じことをやる。人気を知る人は、密かにそれを待ち、素早く購入して、楽しむという社会事情がうかがえる。
 だから、日本の歌のうまい歌手は、誰も宣伝しなくても大衆の間にはまたたくまに広まる。これが、現在に至るまでフランク永井の人気を支えたベースになっている。台湾でのフランク永井人気は、たびたび紹介してきたことだが「捨てられた街」というのが大人気のようだ。
 1959年の「魅惑の低音第3集」にだけ収録されている作品。清水みのる作詞、平川浪竜作曲の曲だがが、そのメロディーと「捨てられた名」という曲名が魅力になっているのだろう。前半の盤にもある「淋しい街」もそうだが、台湾は同じ中国でありながら、大国の思惑に翻弄された歴史を持つ。
 そのようなちょっぴり悲しいイメージもあるが、明るい台湾では現在は堂々と各所で、フランク永井の残した曲を生き生きと演奏し、歌って、楽しんでいる。ある意味、日本以上で、うらやましくもある。
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 前々回の続きのようなもので、映画の話。しかも渡哲也主演のヤクザ映画シリーズのことなので、任意にパスしていっこうにかまわない話。
 「殺せ(バラせ)」は、無頼シリーズの第6弾とのこと。例によって、今は女優界の重鎮でもある松原智恵子が初々しく登場する。ストーリィは特に紹介しても仕方ないので触れない。が、一時期西部劇映画の亜流というか変形というかで、マカロニ・ウエスタンというのがあった。テーマは勧善懲悪に近いのだが、とにかくドライ。それだけに、残忍なシーン、むごいシーンが遠慮なく登場する。
 それに勝るとも劣らないのが日本のヤクザ映画だ。映画会社によって、やや傾向が異なるようだが、殺しのシーンはすざまじい。これは、きれいごとばかりが横臥する「現在」ではムリ。よくぞ、当時ここまで描いたものだと、妙に感心。主人公はどっぷりとその世界に漬かり、抗争で何人ものヤクザをバラしてきた。だが、映画でのスジは、若いものがその世界に足を突っ込み、鉄砲玉で犠牲になるのを嫌う。まっとうな社会で長生きしてほしいと望む(が、たいていは「アニキ!」と渡を慕いながらバラされていく)。
 自分を世話した先輩や少しでも恩義を感じるものには、身体を張って恩に挑むという正義(どこが!?)漢。初心な松原智恵子が好きになるような。。。
 映画後半で、義理を貫き、先輩をバラした抗争相手の汚いボスらをバラす。この山場のシーンにかぶさるのが、主題の麻生レミが歌う「君恋し」。実はこのシーンは十数年前にYouTubeを観て知っていた。フランク永井の歌った楽曲を追っていたときに発見したものだ。麻生レミは存じ上げないが、ロック歌手で、内田裕也とも組んで活躍していたとも聞く。
 映画では、バラされるヤクザのボスがディスコのようなところに行く。激しくウルさいバンドが耳障りで、店のオーナーに「懐メロをやれ」と命じる。そこで、ロック風の「君恋し」が歌われるという設定だ。
 映画挿入歌として、この場面で「君恋し」というのは、私には理解に苦しむが、聖作サイドにはちゃんとした設定があったのかもしれない。
 麻生は日活映画の挿入歌に相当関与していたようで、その後CDアルバムを出している。
 さて、今回話題として取り上げたのは、前回と同様映画でお世話になったWさんから、無頼シリーズのすべてを見せていただいたことによる。大変感謝を表したい。ご存知のように、日活も東映もヤクザ・任侠映画の全盛を築いたが、時代の流れとともに終りを迎えた。人気を博した主人公を演じた渡哲也は、石原裕次郎の西部警察シリーズとかに足場を移動していく。
 その渡が2011年、TBSシアターで「帰郷」に主演している。流れで、この映像もWさんに紹介されて鑑賞した。
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 まぁ、どうでもいい話を少しだけ。
 コロナ禍で、在宅が多いと思われる。ステイ・ホームはそのまま在宅だが、ずっと家に自分を軟禁するのは良くない。少しの時間でも散歩がいい。新型コロナウイルスで結果的に明らかになった(らしい)ことがある。
 それはビタミンDの効用だ。ビタミンDは日光に当たることで体内にできるという。ステイ・ホームしたまま閉じこもっていてはダメ。黒人などは意外に皮膚が日光をはね返してビタミンDが少ないとのこと、結果新型コロナにかかりやすい。
 もう一つは、日本株のBCG接種だという。確かに根拠は不明だが、BCG接種国は感染者が少ない。。。。などということを、ヒマに任せて知ってしまった。
 そしてこの間、ヒマに任せてやったのは、Amazon Musicでフランク永井を聞いたことだ。Amazon Musicは6500マン曲を聴きたいだけ聴けるというのだから、環境がある人にはいいツールではないかと思う。
 私が最初にそれに接したのは、Amazon Echoという商品にあってからだ。これもドジな話だが、家庭でのPCはノードパソコンを使っている。音を出す音楽を聴くにはスピーカーが弱い。イヤホンの利用も多いが、遜色なく聞きたいと思っていた。
 そこで外付けのスピーカーを買おうとした。ドジはこれ。そのあたりをちゃんと調べもせずに買ってしまったが、これは外付けスピーカーではない。まぁ、しゃぁないとのことで、しばらく遊んだ。「アレクサ!」とこいつに向かって呼びかけるのだ。「今日の天気は?」とか「今日のコロナはどうなった」とか。
 まともな質問には、そこそこ返事してくれる。だが、調子に乗って「パソコンの電源を消しておいて」とないうと、指示を解釈できないとか、機器接続の環境にないと起こる。まぁ、仕方ないことだけど。インターネット先にあるAIデータベースが頭脳として判断して応える仕組みだとのこと。
 それをふいと尋ねてくる息子が、オレはGoogleのを使っている、こっちの方が利口だから、それを使ったらと、余計なお世話をして持ってきた。
 基本は同じだ。こちらは「オッケー、グーグル!」と声かける分だけの相違だ。朝に「OK Google, おはよう」と呼びかける。すると、さまざまなニュースをしゃべってくれる。ほんとにどうでもいいんだが、天気予報とか聞けば、住む場所の予報を教えてくれる。
 遊びだ。特に関心などしない。機器の接続がサポートされる環境であれば、周辺機器の管理を声でできる。ちょっとしたスマート・ハウスだ。その環境にはないので、私の場合は「いつも、フランク永井をかけて!}だ。
 フランク永井のカバーアルバムがソースで、それをランダムに演奏してくれる。BGMとして利用するのはちょうどいい。
 さて、ヒマだとテレビをつける時間も気持ち多い。だが、何十年も日中にテレビを観る習慣がない。とまどう。何かメロドラマ、刑事ドラマの再放送とか、モーニング・ニュースのようなものが多い。ニュースは曲側がこれは皆が関心あるに違いないと、勝手に考えたことを流している。ピントがずれている(こっちかも)か、ゲットしたくない情報が垂れ流される。やはり、私には合わない。
 そんなときに、何年か前に購入して付けたままで忘れていたのが、Amazon Stickだ。テレビに装着するだけで、無償・有償の映像が楽しめるというのがウリだった。実際に運用したのは、好きな西部劇を見たり、時代劇を見たりだった。が、例によってすぐにやめた。やはり、コンテンツで関心があるものが、そうそうあるわけでないことに気づいたからだ。
 その一度見放したツールがテレビについているのを思い出し、テレビに映してみた。実際にシンプルな機能なのだが、細かいこと例えばURLを入れるとかは面倒だ。それをサポートしてくれるのが、音声認識機能だ。付属のリモコンに声でしゃべってみるのだ。
 後述するが、慣れるまで難しいところもある。つまり、私の場合は自分の適応・シンパ力が突き当たると、すぐに放棄するという性質から相性がよくないようなのだ。
 そんなことから、安易に、Amazon Musicに入り、バカの一つ覚えのように「フランク永井をかけて」と。画面に次つぎと歌が流れる。先のEchoなどと比較したら映像がテレビにでるだけの相違。あ~ぁ、などといいながら、しばらく鑑賞した次第。その映像といっても、単に歌を紹介した静止画だ。
 だけど、そんな楽しみ方があるんだ。好みと環境に応じて利用したらいいんだ。というのが、お話。まだやっていないが、PCのブラウザでも同様にできるに違いない。
 そうそう、最後に、ふと気になったことというのは、いまコロナ禍の最中に議会でも論議されている法案だという「スマート・シティ構造」。すでに中国の武漢とか深圳ではある程度実現されているという。家庭での生活感情は、まさに声で指示すれば何でもできる。自動車を含めた移動手段は夢のような安全な環境になっているという。
 だが裏を返せば、全住民の24時間が完全なAIの管理下にあるということだ。スマートはまさにAIと同居するということ。これがジョージ・オーエルの描いた「1984」の世界と、AI管理の流れを警告する主張もある。携帯の音声認識機能もそうだが、家庭での密言まで24時間聞かれているって、けっして気持ちいいことじゃないな、などとも思う在宅でした。
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 前回に引き続き、今回も映画のお話。1968年封切りの「無頼無情」という作品。渡哲也主演、松原智恵子が恋人?役で登場する、きわめて荒っぽいヤクザ映画。この映画を教えてくださったのは、前回と同じWさん。この映画の後半の乱闘シーンで、藤江リカが「夜霧に消えたチャコ」を歌っているぞと。
 やくざ映画は置いといても、フランク永井の放った歌が映画で使われているというのは逃せない。Wさんからお借りして早速に観てみた次第。
 「夜霧に消えたチャコ」が映画の挿入歌で使われているというのは、別項で若山富三郎の「現代やくざ与太者の掟」を紹介したことがある。それに続く新発見ということで期待いっぱいで鑑賞。
 今回は藤江リカという女優が歌っている。そう、女性が歌うというのは珍しいし、どう歌いこなすのかというのも期待だ。
 実はWさんの紹介がなければ、わたしは観ることはなかった映画。渡哲也が主演で活躍する、映画のなかの、ヤクザの世界でだが。確かにあの時期、純情シリーズで走る日活もそうだが、東映も他の映画会社もやくざモノは大量に作られた。ほぼ切りがないほどだ。後にこの分野はすたれる。洋画でも「ゴッド・ファーザー」とかともかく映画でのヤクザやギャングの活躍はめざましく、その世界を全く無縁で生きてきた?人たちも、これでその世界を知ったものだった。
 それが「反社会組織」のレッテルが張られて、自主的に退陣していく。後の社会派、あるいはロマンス派、喜劇派の人気俳優でも、この時期みなヤクザ映画にひっぱりだこだった。高倉健、菅原文太、裕次郎、小林旭、鶴田浩二モロモロ。昭和歌謡の大御所美空ひばりは、山口組の岡田会長を慕い用心棒?のように離れずだった。いくらマスコミや社会から非難されても、旗はさげなかった。
 映画でもそうだが暴力団とひとくくりにして反社会勢力と決めつけて排除に走るが、誰ものイメージするような悪事をするものと、あくまで任侠でいくという勢力がある。後者は社会(お上)が見捨てた民の存在を、黙って救い上げてその世界を作っているという側面があると言われた。
 映画ではその人情、義理にスジを貫くという主人公の心意気が強調される。それを通すためなら情け容赦ない、という姿が、映画館に足を運ぶ人の心を揺さぶる。殴り合いとかドスでの切りあいとかは、チャンバラものと同じで愛嬌として必ず登場する。映画を観る人の印象に残るのは、この惨殺シーンではない。やはりスジを貫く精神と、ケンカでの強さだ。
 主人公はときには卑劣な敵と遭遇し、騙され、裏切られ、痛い目にあう。ときには死の直前までの痛手も追う。兄貴と慕う子分が無残に犠牲になる。そのけじめは絶対つけるのだと主人公は決意し、死を覚悟で敵陣に切り込む。。。。
 映画を観ていて、主人公に心を奪われていく。洋画でもそうだが、主人公はギャングであったり、群れを嫌う大泥棒であったりするのだが、観ていて、いつの間にか、主人公に同情したり、うっかり応援したりしてみう。まして、純情無垢そうな松原智恵子のような人が必死に寄り添おうとするのをみると、悲壮な結果は眼に見えていても、心情が寄っていく。
 つまり、平常心を失い、その場での感情の盛り上がりに誘導されてしまう。どろぼうでもヤクザでも、いつの間にか支持、応援、賛美する気持ちが誘発されて、それを制御できない自分がいる。
 エンターテインメントの本質的な機能なのだ。
 現在進行形の新型コロナ禍にも、同じような現象が感じられる。連日お上は新型コロナの恐ろしさを訴える。とにかく家にいる(ステイホーム)が推奨される。感染者数の報道がなされるたびに、びくびくする。医療崩壊となったらそれこそ終りになるとして、自分はどうかなと思っても病院は受け付けてくれない。検査もしてくれない、というのだから異様だ。
 このお上とマスコミの報道は強烈で、世界的な経済活動の歴史上かつてない停止が成されている。
 だが待てよ。インフルでもなんでも病気は患者の数とか死者の数やその詳細が報じられる価値があるのに、分母としての検査数を超えることがありえない感染者数がこれでもかと報じられる。何か違うのではないか。これは、映画と同じで、人びとに植え付けるパニックという恐怖心が蔓延状態にあって、人間が生理的に反応する思考の委縮(緊張すると欠陥が委縮して血流が悪くなり、思考が浅くなり、提示されるのをたやすく受け入れる傾向が生じる)が、起こっているのではないのか。
 私は直接経験していないが、戦争がまさに、同じだったのではないのかなと。
 この映画を観ていろいろと考えさせられるものがあった。
 さて、対立するヤクザ組織との最終的な大決戦という乱闘シーン。それに「夜霧に消えたチャコ」の切ない歌が重なる。何か、妙に、心情に重なるものを感じる。他の人の話によれば、ここで切々と歌う藤江リカの実際の歌唱ではなく、どなたかが歌ったものでアテレコだというが、実際はどうだったのか。おそらく、映画の製作に直接携わったひとでなければ、もう分からない。

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