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 前回に「しまなみ海道」を歌ったフランク永井「でっかい夢」を紹介した。普段であれば情景豊かなこの一帯が、突然襲いかかった西日本豪雨で大きな被害を出している。九州から近畿を覆い多くの箇所に甚大な傷跡を残した。被害を受けた関係者にこころからお見舞いを申し上げるとともに、早い復興をお祈りします。
 さて、当「文四郎日記」をご覧いただいている方がたで、10月の「第10回フランク永井歌コンクール(&グランド・チャンピオン大会)」に歌の披露でエントリーをご予定の方がおられたら、ここ数日中に申し込みされるようお願いします。
 7月1日から申し込みを開始したのだが、記念すべき第10回ということもあり、記念して開催予定の過去9回のチャンピオンによって競われるグランドチャンピオン大会があるために、申し込みが多くきております。
 今年は先着110組で締め切りとなります。
 ここから今回の本題。前回の「でっかい夢」「道後の女」のように、地域密着でのイベント、あるいは観光推進でフランク永井はいくつも曲を出しています。これらは「でっかい夢」のようにビクターから正式にリリースしたものもあるのですが、PR版として限定的な販売がなされたものの多数あります。
 例えば同じ瀬戸内海を歌った「瀬戸内海ブルース」などです。
 PR版と正式版の両方も発売されたというのもあり、そのひとつが今回の「長崎鼻慕情」(PRA-10455)です。だが、正式版は題名を「慕情、南国の女(ひと)」(1972:SV-2234)。B面はいずれの盤でも「哀愁のカルデラ湖」。A面は青山喬作詞、B面は宮川哲夫作詞。作編曲は吉田正。
 フランク永井データブックを編纂したのが2010年なのですが、この時点では「長崎鼻慕情」の存在は知りませんでした。同じフランク永井ファンがその翌年に所有していることを知りましたが、ジャケットも含めて詳細は最近までわかりませんでした。
 しかし聴いたこともない盤となると、どうしても知りたいのは人情というかファンの性(さが)。ただ、B面が「哀愁のカルデラ湖」であることは分かっていたので、データブックにあたって検討を付けると「長崎鼻慕情」はもしかして、A面の「慕情、南国の人」なのではないかという疑いがありました。
 一方は正式盤だが、一方はPR盤。タイトルを変えてということはままあること。この謎は近年に盤を入手することで判明、やはり予想通り同一巨でした。
 だだ、新たな疑問も。それは「長崎鼻慕情」のジャケットのビクター・ロゴです。
 西郷と同じところの知人にも依頼していたのですが、てがかりがないまま。日本の西方、まして九州となるとまるで何も知らない筆者は途方にくれるばかり。
 だが、後にいろいろとうかがえば、歌に歌われているように素晴らしいところだと分かった。薩摩半島の南端で温泉で有名ないぶすき(指宿)。長崎鼻はその端の名所。菜の花畑が美しくウナギの養殖もしていると。
 そしてB面で歌われているカルデラ湖は池田湖。双方から開聞岳が夜景に美しくジャケットでその写真が使われている。池田湖はかつて、ネス湖のネッシーのようなものがいると話題にもなったところで、イッシーが有名。
 長崎鼻の鼻はどこから命名されたのか、岬の形状なのだろうか。鼻という文字のインパクトは大きい。そこらを知る人がフランク永井の歌を聴いて思い受けべるものと、まったく聴いてイメージだけを膨らますものとでは、きっと大きな違いがあるに相違ない。
 それにしても、いろいろと想像をめぐらす「長崎鼻慕情」でした。
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 1967(S42)年5月にフランク永井が「道後の女(ひと)」(B面は「でっかい夢」)を発売した。これは広島県尾道市と愛媛県今治市を高架橋で結ぶという、壮大な橋の実現を求めて歌ったもの。
 現地の方がたの夢からかA面とB面を逆にした盤も発売された。この「でっかい夢」計画はその後バブルの崩壊でいったん立ち消えになる。そして平成に入るとともに「しまなみ瀬戸内リゾート開発構想」でよみがえる。
 ついに1999(H11)年に大三島橋の着工以来四半世紀をかけた「でっかい夢」が実を結ぶ。来島海峡大橋の全面開通だ。
 南海放送では平成の30年間を映像で振りかえるシリーズを「NEWS Ch4~愛媛の平成30年」、その第2回目に取り上げた。「橋をかけよう、でっかい橋を~架橋と道後と平成と~」として5月13日に放映した。
 番組は46キロを超える長大な大橋実現に至るまでのいきさつをコンパクトに要約している。地元は時の政府に要望書をまとめて陳情する。実現のためにさまざまなキャンペーンを展開する。フランク永井に託した歌もその一環だ。番組でも地元で大々的に設営されば舞台で歌った貴重な記録映像が使われた。
 「でっかい夢」「道後の女」いずれも当時第一人者であった作詞家佐伯孝夫、作曲家吉田正が作っている。地域に特化したいわゆる宣伝版もあったものと思えるが、この曲はビクターから正規の盤としてリリースされている。しかも前述のようにジャケットまで新たなAB逆面の盤(盤IDは同じ)で出されている。聴けば、当時の地域の壮大な構想と深い思い入れが伝わってくる曲になっている。
 この映像の確かですごいのは、やはりこの大橋にまつわる悲喜こもごも、波乱万丈の浮き沈みのことだろう。
 最初の政府への陳情はあの田中角栄へだ。歌の発売の1年前。しかし日本を覆う石油危機などによる景気の沈下で、いったん構想が消える。再び計画が浮上するのはバブル景気のときだが、バブルは当然はじける。そうした波乱万丈を経ても橋は完成する。このときの興奮が映像からはじける。
 だが、皮肉なものでその時の喜びもつかの間、橋のもたらす経済効果はたちまち変化する。まるで梯子をはずされたような、重く長い不景気が覆う。道後を訪れる団体客はなくなりあてにできるのは個人客。インターネット時代に突入すると、まるであり様は一変する。テーマパークは廃止に追い込まれ、芸予地震も追い打ちをかける。過疎化、老齢化はどこも同じだ。
 政治と経済の過酷な運命にほんろうされながらも、そこに住むひとびとがいる限り夢は絶えることはない。壮大な景観、瀬戸内の美しい島々。サイクリングコースは世界的にも認められてきている。
 フランク永井が歌う尾道、道後、架橋。改めて聞くと、この番組で流された映像と共に、人びとの夢と希望のかわりゆく姿が浮かぶ。
 この映像だけでもファンにはこたえられないインパクトのあるもので、南海放送に感謝したい。放送の情報と映像の閲覧の機会を提供してくださった熱いファンの方に感謝をこめて。
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 街がかかえる歴史、人物、エピソードを深く取り上げて紹介しようというNHKの番組TOKYOディープ。2018年6月18日「回る回るよ 時代が回る有楽町」ということで、今回は有楽町を紹介。
 この番組はかつて私の親しい友人が営む神田・神保町の古く小さなショットバーを紹介したとき以来、気にかけていた番組。
 とらえどころがなかなかの番組。この度も、かつて闇市のイメージを強く持つ有楽町をいっきにおしゃれな街に変身させた流れを的確に追っていた。
 新宿に移転するまで都庁は有楽町にあっただけに、ここはまさに昔からの政治の中心だった。大岡越前守の裁きがあった場所、戦後のいこいの場のなごりをいまも持ち続けるガード下の焼き鳥屋、そしてかつて大きな新聞社が寄っていていて、記者たちに定食を提供した店、映画館、東京交通会館と紹介。
 もちろん「有楽町」では欠かしてはならない「有楽町で逢いましょう碑」の紹介も。その前で、ビクターの谷田ディレクターが思いで深くその誕生秘話を語った。
 有楽町はその名のイメージがいい。楽しいことがありそうな街。戦後の暗く汚いイメージの街をいっきに若者のデートの街にイメージ変換させたのは、まさに「有楽町で逢いましょう」の曲。
 皆が知るように大阪から東京に進出してきた百貨店そごうの開店キャンペーンの中からだった。これがすごいのは、ここで後にも先にもない一大連携が実現したことだ。
 まず、そごう宣伝部は米映画「ラスベガスで逢いましょう」からヒントを得て「有楽町で逢いましょう」というキャッチ・フレーズを思いつく。
 始まったばかりのテレビ放送の番組名を得る。ビクターの代表的な作詞家佐伯孝夫が、このキャッチからインスパイア―を受けて流行歌の詞を書く。そして新進の吉田正が作曲を受け持つ。実際に有楽町に取材、屋根におとする雨音からあのイントロができる。
 芸能界の宣伝を一手に展開する雑誌平凡では同名小説の連載を開始する。そればかりか映画大峡が映画化で参加するというところまで発展した。時代のムードが生んだ異様で強力なユニットが実現した。
 当初そこうは「有楽町で逢いましょう」をビクターの最大人気歌手で歌わせようとした。だが、吉田正は当時自分の歌謡曲での独自色の表現に悩んでいて、フランク永井の声質と歌唱に新たな展開を模索していた。
 有楽町で繰り広げられているかつてなく、これからもないだろう一大連携作戦という大チャンスに、フランク永井を起用することに情熱をかけて押し切った。とにかく「デモ・テープを聞いてみてくれJ と。
 確かにそれまでは哀愁を前面に感じる高音の望郷哀愁歌謡とは、まっこうから対峙する刺激的な曲と歌唱だった。有楽町の未来を予感させるに十分な曲だった。
 恩師吉田正のもくろみどおり、実際に歌は大ヒットだった。雨にもかかわらずそごうの開店には長い行列ができた。
 吉田正はこれまで自分の肩書を「作曲家」と記載することに躊躇があったのが、この成功を機に自信をもって以後書けるようになったと振り返っている。
 映画も大成功だった。モノクロが普通の時代に気張ってフルカラーで、ドラマを明るく仕上げているだけではない。都会のデパートというものがどのようなものかを、あますところなく宣伝することにも貢献した。
 全国から若者が東京に集まってくる。来る人にも、来れない人にも、東京という都会のイメージを強烈に植え付けたのが、こうした映画とフランク永井が歌う「有楽町で逢いましょう」だった。
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 今年の「フランク永井歌コンクール」は第10回を迎える。それを記念して過去の大会で優勝された方を一堂に会した「グランド・チャンピオン大会2018」が開かれる予定だ。例年通り、大崎市松山体育館で開催される。
 このたび実行委員会から発表されたポスターによれば、司会が元NHKアナの宮本隆治さんがされる。どのような進行になるのか、どなたがグランド・チャンピオンに輝くのか、いまから期待される。
 2011年は開催予定の直前に、東日本大震災の直撃をうけて延期された。また、開催が2014年からフランク永井の命日が10月であることから秋の開催になった。
 過去の優勝者は以下のとおり。やはり一覧すると地元宮城県が強い。だが、大会には全国から駆け付けてきている。意気込みや練習にも熱気がこもっている。熱戦が繰り広げられることは間違いない。
 注目したいのは優勝者が歌った歌だが、みごとなバラエティーに富み、ダブりがない。いずれもフランク永井が昭和の歴史に刻み付けた名曲で、大ヒットし、社会に強い印象を残したもの。
2008 1回「有楽町で逢いましょう」鈴 木 由 壽(宮城県塩釜市)
2009 2回「初恋の詩」      青 山 譲 二(島根県古賀町)
2010 3回「東京午前三時」    長 野 康 二(東京都狛江市)
2012 4回「羽田発7時50分」   三 島   良(宮城県大崎市古川)
2013 5回「東京カチート」    石 川 たい子(宮城県多賀城市)
2014 6回「霧子のタンゴ」    女 川 孝 俊(宮城県涌谷町)
2015 7回「君恋し」       高 橋 ひとみ(宮城県大崎市松山)
2016 8回「妻を恋うる唄」    川 村 忠 洋(宮城県仙台市)
2017 9回「公園の手品師」    武 田 夏 子(宮城県大崎市古川)
 参加者は若い方からご高齢の方、女性も入っていて嬉しい。歌コン10回を記念してのグランド・チャンピオン大会は大いに歓迎したところだ。先の優勝者はその後も歌唱を続けて、その味わいが大きく進展しているに違いないからだ。
 グランド・チャンピオン大会は、午後1時から予定されている。前日に行われる歌コン予選で選出された20組による決勝大会は、グランド・チャンピオン大会の前行われる。
 フランク永井の名を冠したこのユニークな大会。今年はどうか分からないが、外国からもエントリーが過去にあったほど、広く人気を集めている大会だ。
 フランク永井の功績の偉大さを象徴したものだが、この意味をしっかりとくみ取り現実にしていることが、歌コン実行委員会とファンの力だ。
 のどに自信がある方は、今からでも申し込みができるはずだ。今年は110組までで申し込みが切り上げられるが、ぜひともチャレンジしてほしい。
 お問い合わせは、フランク永井歌コンクール実行委員会事務局、090-1492-0438(松元)0229-25-4774(浅野、片岡)まで。
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 「宮川哲夫展~都会調歌謡と青春の歌」が日立市の吉田正音楽記念館で来週から8月末まで開催中される。興味のある方はぜひ訪れてみてほしい。吉田正音楽記念館の目を見張るような景観もおすすめ。
 宮川哲夫展は人気の企画で、その都度さまざまな工夫をこしらえて展示されている。
 フランク永井に歌詞を提供した作詞家は多いが、宮川哲夫は中でも絶対に欠かせない人だ。宮川が書く詞は昭和のそのときどきの匂いが独特のタッチで描かれていて、その詞が醸し出す雰囲気は強く頭に残る。
 フランク永井のデビュー初期の流行歌第一号「場末のペット吹き」。そして「夜霧の第二国道」と「羽田発7時50分」。ここまで紹介しただけでそのパワーははじけているのだが、決定打は「公園の手品師」かもしれない。
 戦後の荒廃から必死に立ち上がろうとうごめく都会の大人たち。場末の酒場の雰囲気がドーンと胸に迫る。この少し前にフランク永井の恩師吉田正と組んでヒットさせたのが鶴田浩二「街のサンドイッチマン」。何とも哀愁に満ちている。
 当時の人ならだれもがくちずさんだ宮城まり子「ガード下の靴磨き」。
 「ねぇ おじさん みがかせておくれよ。ホラ まだこれっぽちさ。てんでしけてんだ。えっ お父さん? 死んじゃった...。お母さん 病気なんだ...」
 これは宮城がみごとに歌い上げているのだが、詩の中身を思うと切なくて誰もが涙する。磨きなあら客の問。小僧は応える。「お父さん? 死んじゃった...」。戦争の落としご、孤児のやるせなくもたくましい生活の断片だ。二度とこの悲劇を起こしてはならない、街にあふれる彼らをみんなの温かい目で守らなければならない、という思いが伝わるからだ。
 三田明「美しい十代」はどうだろう。からっと真正面からてらいなく切り込んでいる。三田はもちろんこれで一気に大人気を得る。
 忘れられないのは橋幸夫「雨の中の二人」。筆者が上京したて働き始めた時の歌だ。この梅雨時になると必ず思い出す。橋の作品は数多いがもっとも好きな一曲だ。
 会場にはこの度も圧倒するような数の詞のリストが展示されているだろう。宮川が苦悩と共に残した作品群だ。宮川の創作に打ち込む姿勢は写真の「街のサンドイッチマン」(辻由美著)にくわしい。
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 フランク永井が恩師吉田正作詞・作曲の「霧子のタンゴ」を世に出したのは1962(S37)年。タンゴが好きな吉田正が自ら作詞までしてあたため、吉田門下生に練習曲のようにして歌わせて、歌手の傾向、特質、雰囲気をチェックしたと思える曲。
 吉田の見込みと期待を裏切らずに、それを超えた歌唱で応えたのが愛弟子のフランク永井だ。タンゴ調の雰囲気は最小限に抑えられて、フラットでありながらも歌唱に込める思いの深さで、そのメリハリをうまく表現している。
 フランク永井の代表的な曲の一つとして定着した。これはさまざまな形でその後発売された。映画にもなった。またこの曲はフランク永井が英語詞をあてて、日英版にしたり、後にパートⅡと発展した。
 霧子というおそらく、その漢字をあてた実名はないと思える女性の名前。これは当時フランク永井が「魅惑の低音」という言葉と共に「夜霧の第二国道」以来の連想で「霧」を独占的にイメージをつなげてきてきた言葉からきている。もちろん、冷静に考えれば相当な無理があるのだが、当時はそのようなイメージが実際にあった。
 さて、最近はテレビで聴くことがなくなったようだが、当時ものまねタレントとして大活躍していた団しん也が、霧子のタンゴをネタにし、「霧子のタンゴDANCHIN'YA」というタイトルでレコードまで出している。
 団は古賀政男に師事し歌手としてその世界に入っている実力派だ。レコードも出すがヒットには恵まれない。うまい歌手はたいがい物まねがうまい。堺すすむ、佐々木すすむなどと一緒に、戦後の歌の物まねブームを作った。彼は器用だから歌のレパートリーは広く、歌自身がうまい。
 「霧子のタンゴDANCHIN'YA」は彼が人気を得たひとつで、霧子のタンゴを12人の声を使い分けて歌う。近年の青木隆一といったところ。
 フランク永井から歌いはじめ、橋幸夫、前川清、森繁久彌で一番。続いて、ディック・ミネ、柳家金語楼、志村けん、森進一。三番は、石原裕次郎、藤山一郎、小林旭、春日八郎というのだからおもしろい。
 自分が司会し先に歌い手の名を紹介してすすめる。演奏は近藤進編曲を八木正生&His Orchestraが本格的におこなっている。
 彼の実力のほどがよくわかるのが、B面洋楽「My Funny Valentine」で、三遊亭圓生 (6代目)が司会。ディーン・マーティン、ナット・キング・コール、プレスリー、ルイ・アームストロング、フランク・シナトラ、ジェリー・ルイス、橋幸夫、東八郎、団しん也本人と歌い継ぐ。
 ジャズシンガーでコメディアン、声帯模写、俳優、声優から司会までこなす器用さは何ともすごい。いささか古い話。。。。
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 西城秀樹が亡くなった。他にも今週は訃報が続き、ご冥福路お祈りします。
 また「史上初の黒人演歌歌手」として登場、2008年「海雪」でデビューしたジェロが、突然芸能活動を停止しIT関係に挑んでいくことを発表した。ジェロはそのしっかりした歌唱で人気があったために惜しむ声も多い。
 ジェロはフランク永井と同じビクターで、デビュー間もなくからその歌唱力が評価され、カバーアルバムを多数出してきた。「君恋し」はその最初のカバーだった。
 さて、表題のように「君恋し」を小柳ルミ子が歌っているのだが、それについて触れてみたい。
 小柳ルミ子はその容姿がみごとなことからデビューからアイドルだった。同時期に登場した天地真理、南沙織とともに三人娘で呼ばれた。小柳は「わたしの城下町」(作詞:安井かずみ)「瀬戸の花嫁」(作詞:山路路夫)という誰もが知る名曲を全国に印象付けた。いずれも平尾昌晃の作曲。
 小柳に日本的な情緒を前面にだしたイメージを用意したのは平尾の力が大きい。平尾は小柳の歌う声にそれを見出したからだ。やや鼻にかかった小柳の歌唱は、日本人の誰もが、何とも言葉で表現できない懐かしさと憂いを感じる。
 1970年代に日本的に懐かしの古い曲のカバーブームが爆発するのだが、そのきっかけの一つにもなったのではないかと思う。当時レコード会社各社から人気歌手に古い歌のカバーアルバムをつぎつぎと出させた。
 ビクターからも何種類ものそうしたアルバムがでたが、フランク永井はもとよりビクターの人気歌手が勢ぞろいで出ている。小柳もその一角で多数の歌を残しているが、じっくり聞くと平尾が目を付けたその声が生きている。1975年「緑の地平線~小柳ルミ子こころの歌」で「君恋し」はカバーされた。
 それらは、後に「小柳ルミ子 CD-BOX」(2005年)でデジタル化されて復刻されて出された。
 「君恋し」はそのアルバムに収録されている。
 その小柳はアイドルであっただけに何かあれば取り上げられてきた。最近ではNHKの大河ドラマ「せごどん」で斎興の側室山羅を演じた。それは怪演ともいえる不気味な雰囲気を漂わせた。
 怪演はかつてやはり大河ドラマ「義経」の丹後局で平幹とともに演じた夏木マリなどもそうだが、演技する力量がないとできるものではない。うたもそうだ。カバーを歌ってうなずかせる力量があるからこそ後日まで残る歌唱となる。
 フランク永井の歌唱もそうだった。フランク永井の歌唱が人を驚かせたのはヒット曲の多い初期だが、その歌唱力はその後のカバーで光っている。オリジナル曲もさることながら、カバー集は現在でも引きが多いと聞く。
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 この5月20日に第12回東京ラジオ歌謡音楽祭が開催された。
 フランク永井はNHKラジオ歌謡で「1958:アイスクリームの夜」「1959:いつの日逢える」の2曲を歌った記録がある。その縁でラジオ歌謡のグループに属する方からの紹介でかなうなときには出かけて楽しむようにしている。
 ラジオ歌謡はNHKから1946(S21)年から1962(S37)年まで放送された。フランク永井がデビューしてしばらくの「有楽町で逢いましょう」をヒットさせた時期までで、戦後の人びとのこころに大きな印象を残した。
 戦後の日本人の歌の傾向がジャズ、流行歌、ロカビリー、演歌、フォーク、GS、ニューミュージック、Jポップス...等々目まぐるしく変化していくのだが、終戦直後に人気を得てその後の開始点になったのがラジオ歌謡だ。
 日本人的な清楚で凛としたこころもちを歌で表現し、その精神がどんどんと文化が多様化するなかで、こころの中心に持つべき意識ではなかろうかという人たちが、ここ20年程忘れられつつあるラジオ歌謡の全容に迫ろうとしてきた。
 当時関係した当事者である作詞家、作曲家、歌手、制作に携わった方がたの有志が集まり連携して資料を収集してきた。同時に自主的な歌い会を着実に催してきた。記憶にある曲を歌い継ぐ。譜面が残されていない場合は記憶から起こす。音源が残されている場合は採譜する。それをアコーディオンやピアノや楽器で演奏を作る。
 当時は放送の記録をあまり残していない。音源も残っているがむしろまれだ。初期のNHK紅白歌合戦の音源や映像すらもだ。だから、フランク永井の当時の放送記録や映像がないのをたびたび嘆いてきた。
 歌う会の方がたの努力がいかほどのものか、計り知れないものがある。そうした中のお一人が村越前会長だった。以前にも紹介したが、歌唱指導はもとより、採譜家、アコーディオンの奏者でもあり、歌声喫茶最盛時代にご活躍したとご本人からうかがった。フランク永井が歌った400余曲の内演奏(カラオケ用、歌のない歌謡曲用等々)が160余曲あることを紹介したが、そのうちの多くが村越さんの採譜とアコーディオン演奏だ。
 アコーディオン演奏といっても、現在のシンセサイザーの前身のようなもので、さまざまな音色、楽器色、キーの変化を加えて、多重録音・合成までやってるのもあって、聴いただけでそのご苦労が伝わる。
 村越さんはご高齢にはさすがに勝てずに昨年末に逝去された。
 東京ラジオ歌謡を歌う会はフランク永井の先輩でS30年にビクターからデビューした祝太郎氏が会長を継いでいる。副会長は東京の会創設の中心的な立役者である神尾善子氏。同会にとっては今年の歌謡祭は村越さん追悼でもあった。
 さて、当日の催しの内容だが、ラジオ歌謡で歌われた歌でよく知られている曲から会員が掘り起こす珍しい曲まで60曲近くが披露された。デュエットもあれば子供たちで歌うのもある。歌手顔負けの素晴らしい歌唱。ご高齢であるにもかかわらず、通る若々しい歌声と感心するばかり。
 今年もゲストは宝田明はじめ、ラジオ歌謡の作曲家として多数の貢献をされた八洲秀章の長女村松美和子さんと沢木順さん。演奏はエレクトーン奏者長谷川幹人。
 「みなさんで歌いましょう」とか「ラジオ歌謡とまちがえられる曲コーナー」とかあって、長時間にもかかわらず飽きさせない工夫がなされている。
 近年こうした方々の努力のかいあって、ラジオ歌謡のCDボックス発売とかラジオ深夜便での特集とかなされている。
※写真中枠が村越光男前会長
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 まず、BSで「決定版!これが日本の名曲だ~ご当地ソング20選」という番組が放映された。ご当地ソングといえば、フランク永井ファンにとっては「有楽町で逢いましょう」だ。これは観なきゃ、と思っていると、期待通り「東京・有楽町」のご当地ソングとして流された。
 この映像は珍しい。1961(S36)年にテレビ番組「心に生きる1000曲のうた」が放送されたときの映像だという。「有楽町...」が発売されて4年目、29歳のときのものだというのだ。フランク永井の右目が左の倍のサイズのときだ。
 こんな映像が残っていたのか。「ない」「破棄した」といっていたのにあったのか! 何故に今まで出し惜しみをしていたのか。などと何かにどこか似ているな、などと思っているうちに、短時間のブチ切りで終わってしまった。
 短時間とはいえ、よくぞこんな映像を流してくれたものだ、と感心、感謝。
 何年か前に知り合いになった方のお誘いで、その時にはあいにく店が閉まっていて訪ねられなかったのだが、ついにその方と蓄音機とSPレコードの専門店「銀座シェルマン」を訪ねることができた。
 蓄音機ファンなら思わず垂涎。1階と2階にぎっしりとおよそ百年を経過する蓄音機がびっしり(もちろんその後のものも)と並んでいる。世界中の名作・名盤をよりすぐって仕入れたものだ。また、SPクラッシック盤の名盤とおぼしきものが何千枚かが展示されている。紹介してくださったYさんによれば、質の高い名盤と蓄音機ならここに勝るところはないと。
 お客さんもコレクター、あるいはその世界の専門家とおぼしき方が何名か、鋭い目つきで探したり、音に聴き入っている。
 ご担当の方といろいろとおしゃべりをしていたら、突然に「ウチはこの方面の盤はほとんどないのだが、お持ちの方から...」として、フランク永井のデビューから初期盤である「場末のペット吹き」「東京午前三時」「夜霧の第二国道」「公園の手品師」「西銀座駅前」の美盤を持ってこられた。
 そして「公園の手品師」を聴かせていただいた。ということなのだが、かけたのはEMG HANDMADE GRAMOPHONEという蓄音機。このメーカーのものでもいわば特殊な愛好家からの注文品といえる珍しい超高級機。何せラッパが紙製の世界最大版?。このショップではこのサイズのものを3台展示しているのだが、そのなかの一つ。
 直径は不鮮明だが1Mを超すのではないだろうか。このアサガオ上の小さなものでは聴いたことがあるのだが、その数倍におよぶラッパで体験するのはもちろん初めてだ。どんな音が飛び出すのか。
 それは驚愕の音だった。5Mほど離れたところで聴く。ステージでフランク永井本人が歌うのと変わらない。まるで目をつぼめれば、すぐそこで直に歌っているといってよい。というか、それよりも音量は1.5倍ほど大きいのではなかろうか。まぁ、印象なので正確な数字はわからないが。。。
 低域、広域が身体に伝わってくる。CDで聴くのとは全く違い、身体へのそのしみ込み度合いが何とも言えない自然さを感じさせる。
 蓄音機特有のノイズはほぼ消えている。盤が美品であることも理由かもしれないが、ほぼ半世紀以上前に音の再現技術の高さには、驚き、関心、うなずくしかない。いまなら、電蓄(ピックアップ+アンプ+スピーカー)でいくられも再現できそうだが、まったく電気を使用してないのだから。
 「公園の手品師」は1958年にSPがリリースされた。この時期は蓄音機も盤も全盛?。このような装置と環境で再現できたらもうCDは何なんだと思ってしまう。
 再来した「レコード人気」について新聞で最近紹介されていた記事によれば、音域0~100kHzという人間(と楽器や自然)の音を完全再生することを挑戦して実現しているのが蓄音機だと。それに対して、CDはノイズカットやメリハリを人工的に加工したばかりか、周波数を0~20+程度までに抑えそれ以外は「ヒトは判断できない」としてカットしたと。
 バカやっちゃいけない。技術的や商業的が優先されて結果的にCD規格が決まった(もちろん、一般的にはその範囲でカバーできるレベルと)のだが、聴き比べてみれば、歴然といいたい。それが、昨今のレコードブーム、ハイレゾブームになっているのだろう。ということで、思わぬ体験をしてしまった。
 帰宅してから自分の自慢?の蓄音機で同じ「公園の手品師」に挑戦。いつも聴いている音だっただが、先に聴かせていただいた蓄音機の迫力とは比較にならない。
 手回しの蓄音機は確かに使い勝手は難しい。私は雑な方だが、録音時期、楽曲の内容、収録技術等で針(太さ、硬さ等)を選び、当然だが1曲(一枚)ごと使いかえる。ゼンマイを巻く。サウンドボックスを慎重に落とす必要がある。
 電化が進むと蓄音機は当然電蓄になる。使い勝手が大幅に改善された。盤の素材にも変化。録音技術も電蓄を想定されるようになる。針の耐性、というか電気増幅を前提にしたピックアップ方式に大幅変更。
 電蓄は、同時に回転数が多く1枚に収められる時間が大幅に変わらざるを得ない時期に至り、LPやEP時代に急激に移行、SP時代はあっけなく終焉する。
 しかし、電気もない時代に自然の声の再生を究極まで追求したSP+蓄音機、さらに電蓄時代のLPとEP。これらのアナログが、今全盛のデジタル音の世界に対して逆行するようにぶり返しのゆさぶりをかけている。一時ほぼとだえていたアナログレコードの制作の作品数も急増しているようだ。
 古いクラシックのレコード名盤や蓄音機関係にご興味をお持ちの方は、当然にご存知のお店かも知れないが、機会をみてぜひ訪れてみてはいかがだろうか。

 ※写真中央:Yさんがお持ちのフランク永井「有楽町で逢いましょ」時代の銀座写真。今の山野楽器店の箇所がビクターで屋上にはニッパー犬看板という珍しい時代風景。右は巨大なラッパを誇るEMG HANDMADE GRAMOPHONE蓄音機(HP映像から)。
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 フランク永井の生誕地である宮城県大崎市松山で、毎年十月に開催されている「フランク永井歌コンクール」についての開催要項が発表された。下記に全文を転載するので、ご参考ほどを。
 歌コンは今年で記念すべき十回を迎える。2011年の東日本大震災が同年の開催の直前にあったことから1年の延期があったため、正式な開催から11年間継続したことになる。
 フランク永井という偉大な歌手の名を冠したユニークな催しで、しかも地元の多数の人が参加して開かれる手作りのイベントだ。
 今年は今までのような参加者による歌唱に加え、過去9回までの大会優勝者によるチャンピオン大会がある。優勝者全員のすばらしい歌唱を一堂に会する聴けるというのは、なんとも迫力満点である。もともとフランク永井のファンで大の歌好きばかりだから、この間も歌への没入は当然で、おそらく大いに進化している。それがどう披露されるのか、いまから期待が膨らむ。
 チャンピオン大会があることから、従来のコンクールはやや小さめにならざるを得ず、参加者も若干少なくなる。過去の優勝者の歌をみると、フランク永井のヒット曲が広く入っていて、決してあくことがない。きっと前段に行われる参加者による歌はさらにさまざまな曲が歌われると期待できる。
 フランク永井の曲についてカラオケが少ないというのはたびたび話題にしてきたが、最近はカラオケ店でも希望を受けて少しずつだが増加してきたようである。さらに、なんといっても熱心なファンは、カラオケがないなら自前でということで、カラオケを用意されていると聞く。
 楽譜がない場合でも、採譜をして楽器のパートまで用意して演奏を仕上げる方がいて、そうしたところに依頼して用意するという。聞いていて頭が下がる思いである。
 しかも、この歌コンに年間を通じてエネルギーを注いでおられるファンも多い。こうした方々は開催のずっと前から、エントリー曲選びをし、カラオケ店に通って練習を絶やさない。このような方々の努力は、やがて大会での入賞に結実するに違いない。
 会場は遠方から駆けつけるにはやや大変かもしれないが、行けば必ず地元の親切であたたかい素朴な歓迎に会う。くったくのない方々とフランク永井についての熱い会話をすれば、松山は忘れられなくなうこと請け合いだ。
 まだ、十分に時間があるので、初めての方ものどに自信がある方はぜひとも挑戦してほしいと願う。

第10回「フランク永井 歌コンクール」記念大会 開催要綱
1.趣 旨
 松山の宝、大崎の宝、日本歌謡界の宝であるフランク永井の歌コンクールを開催する。多くの人々が要望している、昭和歌謡界が誇る低音歌手フランク永井の歌を歌い、聞き、歌い継ぐことを通じて大崎市の地域づくりに大きく貢献していきたい。
2.主 催 
 大崎市松山まちづくり協議会、フランク永井歌コンクール実行委員会
3.後 援 
 大崎市、大崎市教育委員会、ビクターエンタテインメント、日立市吉田正音楽記念館、吉田事務所、大崎市松山文化協会、大崎市松山観光協会、大崎商工会、鳴子温泉郷観光協会、大崎タイムス社、河北新報社、朝日新聞仙台総局、産経新聞社東北総局、毎日新聞仙台支局、読売新聞東北総局、KHB東日本放送、仙台放送、TBC東北放送、ミヤギテレビ、大崎ケーブルテレビ (順不同)
4.協 賛
(株)一ノ蔵、仙台味噌醤油(株)、みどりの農業協同組合、(株)プロスパイン(順不同)
5.主 管 
フランク永井 歌コンクール実行委員会、大崎市松山まちづくり協議会教育文化部会
6.日 時
 ◎予選会 :平成30年10月20日(土)10時~17時30分 20名選出
 ◎決勝大会:平成30年10月21日(日)10時~12時30分 20名で決戦
 ◎10周年記念大会「グランドチャンピオン(G・C)大会」:
       平成30年10月21日(日)13時~15時
7.会 場
 大崎市松山体育館(住所:〒987-1304 大崎市松山千石字松山34-1)
8.応募方法 
 フランク永井の曲(オリジナル曲)を歌唱する方は、どなたでも参加出来ます。
 お申込みは、申込み用紙に歌唱曲名、住所、氏名他必要事項を記入し、現金書留に参加料、自前で用意したカラオケテープまたはCDを添えて事務局まで申込んで下さい。
 (申込後の曲目変更はプログラム編成の都合上認められませんのでご留意下さい。)
 過去大会優勝者の方々には申し込み用紙を送付致しますので必要項目(曲名は優勝曲)と「優勝時の思い出」を記入し、カラオケテープもしくはCDを添えて事務局までお申し込み下さい。
 尚、テープ審査は行いませんので、くれぐれもカラオケテープ・CDに自分の歌声を吹き込まないで下さい。
9.参加料
 ○4,000円(デュエットの場合は、5,000円)
 〇出場申込書は第9回歌コンと同じです。
10.応募期限
 ○平成30年7月1日(土)から平成30年8月31日(木)まで。
 ○先着110組で締め切りとします。例年より少なくなります。
11.申込み先(事務局)
 〒987-1304 大崎市松山千石字広田30 松山総合支所第二分庁舎内
 フランク永井 歌コンクール実行委員会事務局
 TEL:090-1492-0438(松元)0229-25-4774(浅野、片岡)
12.審査選考 
 予選会 :フランク永井の曲2番までを歌唱審査し、20組を選びます。
 決勝大会:予選会と同じ曲を2番まで歌唱審査し、入賞者を選びます。
 G・C大会:第一回~代10回までのチャンピオン10名で優勝曲を2番まで歌唱し入賞者を選びます。
13.審査員の先生方
 審査員長:ビクター歌謡音楽研究会 東京本部特別講師 白井伸幸先生
 審査員 :県内の作曲並びに編曲家 大森一夫先生・千葉有一先生
14.表 彰
 10回決勝大会
  優 勝:1名  賞状+トロフィー+副賞
  準優勝:1名  賞状+トロフィー+副賞
  第3位:1名  賞状+トロフィー+副賞
  特別賞:若干名 賞状+トロフィー+副賞
  参加賞:出場者全員
 G・C大会
  優 勝:1名  賞状+トロフィー+副賞
  準優勝:1名  賞状+トロフィー+副賞
  第3位:1名  賞状+トロフィー+副賞
  参加賞:出場者全員
15.入場券
 予選会券 500円
 決勝大会 1,200円(当日1,400円)
 共通券(予選会&決勝大会G・C大会まで)1,600円
16.その他 
・参加申込者には、応募締め切り後9月15頃に案内状(連絡事項)をお送り致します。
・審査結果に関してのお問い合わせについては、一切お受け致しませんのでご了承願います。

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