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 フランク永井が活躍したのは、1955(S30)から30年間。この時代に「フランク」といえば日本ではフランク永井だ。海外では、フランク・シナトラ。ジャズという名でくくられた洋楽が、戦後せきを切ったように日本に流れ込んできた。フランク永井はクロスビーの歌が好きだったようだ。
 フランク永井の売れると、テイチクから対抗馬としてジェームス三木をデビューさせた。ジェームスは長年にわたった下済み努力を重ねたが、歌手は断念した。だが、彼はその後テレビ界の脚本家として大きな業績を残した。さらに「マスコミ九条の会」呼びかけ人として、戦争ができる国へ憲法を変えてまでのめり込もうとする時世にも意見を表明をしている。
 フランク永井が舞台で活躍していた時代に、フランク赤木という歌手がいた。フランク赤木は芸名ではない。ハワイ生まれたいきさつからの本名だ。
 ウエスタン、ロカビリー、カントリーといった歌が流行り、日本人によるカバーが多数出た。米軍が日本を占領しいたるところにキャンプがあり、そこに出向いて歌うということが、戦後日本の歌謡曲歌手の大きな仕事だった。
 赤木もそうだ。先輩ディックミネからフランク永井と同じようにいっしょに地方を巡業する。彼の残した歌はいくつか残っている。MEG-CDからも復刻されている。「ジャングル大帝1998」なども歌っているようだ。
 手元にあるのは「星空を見つめよう」というEP盤しかないが、残された歌を聴いてみると、しっかりした歌唱をしている。高音もきれいだ。
 この高音は、彼の吹き込んだ「暗い港のブルース」に特徴が表れている。この曲はキング・トーンズの歌唱(なかにし礼作詞)が有名なのだが、フランク赤木のために作られたもの(薩摩忠作詞)のようだ。
 「魅惑のオン・ステージ」には、別途テープ盤があり、そこでフランク永井の「暗い港のブルース」のカバーが入っているということは、別項で紹介したが、これは中西盤。
 ちなみにキングトーンズカバーでは「グッド・ナイト・ベイビー」もフランク永井は歌っている。「高音」が売りだし、高音が魅力のこうした曲を、低音のフランク永井がどう歌うのか、結果どうなのか、それもファンの楽しみだ。
 さて、フランク赤木だが、彼は映画にも出演したり、その時代にそれなりの名をはせたのだが、フランク永井が舞台を降りたあたりから名を聴くことがない。フランク永井よりも何歳か下だ。今どうしているのだろうか、とふと思った次第である。
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 2月8日『BS朝日ザ・ドキュメンタリー』は阿久悠の特集だった。前回取り上げたばかりのテーマだったので追記したい。
 番組は阿久悠のひととなりをよく表現していたのではなかろうか。几帳面。一途。気迫。才能と努力。四国から上京して、歌謡界・テレビ・文学で花を開かせ、昭和の時代におおきな印象を刻んだ。
 広告代理店で生涯の友上村一夫と出会うのだが、このくだりは番組ではふれなかった。そこから歌謡界の裏面の詞作りを手掛ける。フランク永井がカバーした「街の灯り」のジャケットが記念館入り口に掲げられているのは紹介したが、元唄は堺正章(浜圭介作曲森岡賢一郎編曲)。
 彼に歌が提供されたのは1973年でNHK紅白でも歌われた。さりげなく印象に残る曲だ。阿久悠作詞家生活十周年を記念して、ビクターが「阿久悠~君の唇に色あせぬ言葉を1968-1978」を気張ってつくった。そのときにフランク永井は一連の阿久悠カバーを吹き込んだのだ。
 1977年に「おまえに/おもいやり」というLPを出した。ここにある「おもいやり」は元曲(三佳令二作曲)が克美しげる。発売直後克美はなんとしてはならない事件を起こしてしまう。曲は回収されまぼろしの曲に。これをフランク永井の歌唱による復刻を実現したといういきさつだ。
 克美は「さすらい」で歌のうまさがきわだち多くのファンがいた。「おもいやり」もいい歌だったのだが、現在と違って当時は歌は聴くことができずに、惜しまれる声が多かった。
 「街の灯り」を堺がどういういきさつで歌うようになったかは知らないが、番組は阿久悠が詞を書き始めるもっと初期にスパイダースに詞を提供したという。この時からの連携の中で書いたのかもしれない。フランク永井のカバーは、上記の阿久作品集の作成の一環で行われたものだ。この歌も何人かがカバーしている。やはり、阿久が書く詞の引力なのかもしれない。
 阿久の作品集は数多く出ているが、阿久作品を歌うアーチストをおおく抱えるビクターから2005年に「人間万葉歌」というCD-BOXが続とともに20枚で出ている。解説も充実していてファンには歓迎だ。
 かつて「スター誕生」から誕生し世を賑わした歌手たちもすでに、新たな代の人たちに席を譲っている。だが当時の関係者が阿久への敬意をこめてショーを開いた様子も紹介された。
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 阿久悠の歌謡界での業績をあますところなく紹介する常設の記念館。東京神田御茶ノ水の明治大学史資料センター所管の「明治大学阿久悠記念館」を訪ねてみた。
 阿久悠はフランク永井に6つのオリジナル曲を提供している。そしてさらに4曲のカバー曲を残している。
 「11時過ぎから」松尾和子と。「いないいない酒場」「おもいやり」「お涼さん」「愛されてますか。奥さん」「大阪の橋」「六本木ワルツ」。カバーは「さよならをもう一度」「ヘッド・ライト」「もしもピアノが弾けたなら」「街の灯り」だ。
 このなかで、もっとも大きな印象を残したのは、フランク永井が舞台を降りた年の作品「六本木ワルツ」ではなかとうか。これは恩師吉田正の作編曲とあいなった最後の作品である。みごとな結晶となっている。
 六本木の街の雰囲気が軽快なワルツで切り取られ、あざやかな印象を多くの人の心に刻み付けた。今でも聴く人にあの時代をほうふつさせる。ちょっとしめっぽい気持ちとともに。。。
 松尾和子とデュエットした「イレブン(11時)過ぎから」も素敵な曲。やはり阿久悠は時代を切り取ることに凝ったのが分かる。他の作家の追随を許さない。だが、フランク永井とのコンビでは「六本木ワルツ」だけがピッタシだったように思う。
 日産自動車のCMとして作られた「愛されてますか。奥さん」は、昭和天皇の訃報に遭遇しての自粛から僅かの露出であった。近年の昭和歌謡カバーの波で人気が高いのは「もしもピアノが弾けたなら」だ。これを歌って聴く人に関心をさせるのは相当な歌唱力がないと難しい。さすがと思わせる。
 個人的に好きなのは「ヘッド・ライト」。オリジナルの新沼謙治のがもともと好きだったが、やはりフランク永井の歌唱がいい。自信に満ちた声なのだが、挫折して都会を逃げるように去る若い二人の未来を決して悲しくしていないような気がする。
 さて、かつて学生運動のめっかで汚い落書きの塀で囲まれた明大は現在綺麗で明るいビル群になっている。その一角にある学舎の地下に明治大学阿久悠記念館はある。
 まず入り口に阿久が残した4500曲に及ぶと言われる名曲のジャケットが、どーんと展示されているのに目を奪われる。何とそこに堺正章のヒット「街の灯り」をフランク永井がカバーしたときのジャケットが中央にあった。1978(S53)年に寺岡真三編曲である。当時阿久悠作品を当時の歌手がカバーして作品集にするという企画で歌われたものだ。
 このジャケットが多くの他のジャケットというより元唄堺正章のを除けて採用されていたに、入り口でとりあえず感心した次第。
 展示室内に入ると、生涯の全容が順に終える。阿久の創作に打ち込んだ仕事室が再現されている。生涯で切り離せない友となった上村一夫とのコーナーもあり、多くの記念すべき遺物を見れる。
 上村のお嬢さん上村汀(上村オフィス)と阿久のご子息深田太郎(株式会社阿久悠)は同い年で、ご両親が亡くなってから何度かトーク・ショーをしている。今年も年頭(20日)にあった。それらは本にもなっている。明治大学の研究誌にも掲載されたりしている。二人の親の破天荒な生き方が紹介されていて楽しい。
 阿久悠と吉田正が美空ひばりの後年に曲を提供したということについては幾度かとりあげた。吉田正がレコード会社の壁を越えての提供で逢ったこと。阿久が同じ年に生まれて気づいたころには子供のくせに全国的に天才少女として名を馳せていた美空ひばり。そのひばりをうらやみ反面反発していて、作家になってからは「ひばりが歌っているようなものでない歌をつくる」ことに情熱を注いでいたからだ。
 実際に阿久はそのその妙な根性を全開させて無数のヒット曲を放った。晩年弱ったひばりを知って吉田正と阿久が「花蕾」をつくりひばりが歌ったのだ。
 ファンはご存じのように阿久は「作詞家憲法15条」を作り、こころがけていたことを明かす。それまでに、おのずと形成されていた流行歌の形に、正面から挑戦することこそが己の使命と自覚しての作家活動だったというのだ。
 ただ事ではない。当然だが阿久はあらたな流れへの試行錯誤をした。全部がヒットしたわけではない。そしてやがて来るべきときには、誰かが阿久自身が作ったものを乗り越えていく。
 ということで、ご興味を感じられた方は明治大学阿久悠記念館を訪ねてみたらいかがだろうか。

 参考までに阿久悠「作詞家憲法15条」を紹介しておく。
1.美空ひばりによって完成したと思える流行歌の本道と、違う道はないものであろうか。
2.日本人の情念、あるいは精神性は「怨」と「自虐」だけなのだろうか。
3.そろそろ都市型の生活の中での人間関係に目を向けてもいいのではないか。
4.それは同時に歌的世界と歌的人間像との決別を意味することにならないか。
5.個人と個人の実にささやかな出来事を描きながら、同時に社会へのメッセージとすることは不可能か。
6.「女」として描かれている流行歌を「女性」に書きかえられないか。
7.電信の整備、交通の発達、自動車社会、住宅の洋風化、食生活の変化、生活様式の近代化と、情緒はどういう関わりを持つだろうか。
8.人間の表情、しぐさ、習癖は不変であろうか。時代によって全くしなくなったものもあるのではないか。
9.歌手をかたりべの役からドラマの主人公に役変えすることも必要ではないか。
10.それは歌手のアップですべてが表現されるのではなく、歌手もまた大きな空間の中に入れ込む手法で、そこまでのイメージを要求していいのではないか
11.「どうせ」と「しょせん」を排しても、歌は成立するのではないか。
12.七・五調の他にも、音的快感を感じさせる言葉数があるのではなかろうか。
13.歌にならないものは何もない。たとえば一篇の小説、一本の映画、一回の演説、一周の遊園地、これと同じボリュームを四分間に盛ることも可能ではないか。
14.時代というものは、見えるようで見えない。しかし時代に正対していると、その時代特有のものが何であるか見えるのではなかろうか。
15.歌は時代とのキャッチボール。時代の飢餓感に命中することがヒットではなかろうか。


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 フランク永井がもっとも充実していたと思える時期1976(S52)年暮れに、歌手生活21周年記念のリサイタルが開かれた。
 中野サンプラザで恩師吉田正を迎えて開かれた。第1部と第2部の構成で、自分のヒット曲の他に大阪シリーズ、中山晋平シリーズ、およそ20分にわたるメドレー、ジャズなどの洋楽、さらに新曲の披露と続く。
 しかも演奏陣も原信夫とシャープ&フラッツ、ストリングス、コーラスにコール・セレステ、指揮は寺岡真三と近藤進という、これ以上ない豪華なショーとなった。
 ここで新曲として「季節はずれの風鈴」「そっとしといてあげるから」「霧子のタンゴパートⅡ」が披露された。
 フランク永井が恩師に思いをこめた恩返しと熱意をそそいだ「おまえに」の3回目のレコードを出したのもこの時期だ。
 発表された「霧子のタンゴパートⅡ」については、別項で1982年に発売されたLP「Woman」のテープ盤で、スタジオ録音盤と思える音源が出されたと触れた。
 このパートⅡは確かに吉田正による作詞作曲で、パートⅠにあたる「霧子のタンゴ」のシリーズのようなのだが、聴けばそこに新たなフランク永井が見える。
 「霧子のタンゴ」(1962=S37:VS-861)は、押しも押されぬフランク永井の代表曲のひとつだ。フランク永井の代表曲集には欠けることがない。翌年には日活から映画化された。同年暮れのNHK紅白歌合戦ではこの曲を歌っている。このレコードのB面は昨年亡くなった平尾昌晃の「哀愁のバイパス道路」という曲。
 平尾昌晃が残した書籍「気まま人生歌の旅」によれば「霧子のタンゴ」は、吉田正が平尾のために書いたものだったが、当時のディレクタが「これはフランク永井があっていそう」といって、フランク永井の歌になってしまったというようなことを記している。
 平尾の目でみればそうだったかもしれない。だが、何人の生徒を持つ吉田は、歌詞まで自作して用意していたこの曲を何人もに歌わせ、歌唱の訓練にも使っていたようだ。詞も曲も比較的おだやかなものを、歌わせてみることによって、その人の歌についての姿勢、傾向、特性が浮き彫りになる。
 言わば、歌手への教師からの挑戦的な試験だ。船村徹が美空ひばりにつきつけたようなもの。美空の「酒は涙かためいきか」にみるようにほとんど1小節単位で歌唱の表現を変えて歌っている。フランク永井も「霧子のタンゴ」にみる歌唱にフランク永井の歌詞への理解度、微妙な歌唱の変化をみごとに注ぎ込んだ。
 吉田正のつきつけた挑戦状に応えたのはフランク永井だったことから、この歌が彼の歌としてリリースされたと思える。
 平尾は歌手としてはこの直前に「哀愁のバイパス道路」と同じ水島哲の詞(作編曲は吉田正)で「おもいで」をだし、その後「霧の摩周湖」を布施明に作っている。平尾が自分で何度も「霧の摩周湖」を歌っているが、平尾が「霧子のタンゴ」から曲想の影響を受けていることが感じられる。平尾が「霧子のタンゴ」を歌ったならどういう歌唱だったかも想起できる。
 フランク永井がジャズから歌謡曲に転向したように、平尾は作曲家に転向してよかったと思う。この後つぎつぎと吉田正のように時代を鮮やかに切り取ったり、日本的な情緒を懐かしく盛り込んだりとヒットを飛ばす。
 なぜ霧子なのか。「霧子のタンゴ」を売り出す5年前に宮川哲夫作詞に吉田が作曲した「夜霧の第二国道」がヒットした。戦後の復興を象徴するひとつの京浜国道の発展を思い起こさせる人気曲だ。これ以来まくりたてるように「夜霧の...」をフランク永井に歌わせる。「夜霧に消えたチャコ」をはじめ「夜霧の男」「夜霧の十字路」「夜霧の巡視船」「夜霧の南京街」「夜霧に濡れて」と。
 「魅惑の低音」と同じように「夜霧の...」といえばフランク永井だと。そんなことは認められないと他のレコード会社も競う。裕次郎に「夜霧よ今夜も有難う」を提供したのは異才浜口庫之助だ。競合が生んだ傑作である。松本清張は「霧の旗」を書いた。映画にもなり倍賞千恵子が桐子を演じた。ともかく「霧の...」が世のブーム?
 こうした中で吉田正は「霧子」を生んだ。吉田は他にも人名を使った曲を温めて作り、生徒に提供した。だから吉田の門下生への思いと自作の作品への思いも深くある。それにフランク永井はぴたっとはまったと思える。
 そうした思いが記念すべき20周年(実際は事情で翌年になった)のフランク永井のコンサートに向けてパートⅡを作った。これは、明らかにフランク永井がたっている。歌唱はズンとメリハリがある。フランク永井の自信が満ち溢れた歌唱になっている。同じタンゴの流れなのだが、タンゴの切れが遠慮なく弾んでいる。
 さて「霧子のタンゴ」については、もうひとつエピソードがある。それは霧子のタンゴ英語版だ。実際は英日の合わせたものだが。1966年の労音公演でいきさつを語り歌を披露している。台湾にフランクスナインのメンバーと共に行きテレビに出演したときに、英語で歌ってくれないかと望まれ、徹夜で作り上げたのだと。
 フランク永井自身のアイデアで書き上げたという。この英日版はさらに10年後の大阪のライブでも歌われてLPに残されている。
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 1977年ごろにTBS系で放送された番組で日活俳優二谷英明と当時TBSアナであった久米宏司会番組。黒柳徹子と久米による長期番組「ザ・ベストテン」に引きついだ歌謡番組だ。
 33回目五月にフランク永井が出演する番組が作られた。これが昨年BS-TBSで再放送されたのだが、鑑賞する環境になく見ることができなかった。フランク永井の古くからのファンである友人がそれを録画してくださっていて、このたびようやく全体を観ることができた。持つべきは友!こころから感謝!
 当日の出演者は、フランク永井/沢田研二/八代亜紀/岩崎宏美。
 昨年9月に別項「再発見!フランク永井と八代亜紀のデュエット「サパー・タイム」を観た」で一部紹介したものだ。昨年は、フランク永井が現役時代に残した歌で、フランク永井のデータブックに掲載できなかった歌が多数?再発見された年であったのだが、そのうちのひとつである「サパー・タイム」という曲がこの番組で紹介されたからだ。
 出演者が登場して売込中の歌を歌うのだが間奏の合間に自分の近況を一言しゃべる。その後の番組では次の出演者の歌の最初の一節を歌うという特徴ある演出と工夫が楽しめる。フランク永井は、司会の二谷と住まいが近所ということで親しみを語っている。
 司会者と語らうテーブルがあり、その周りをスタジオいっぱいに駆けつけた一般観客が埋める。一角に宮間利之と二―ハードなどの演奏陣がいるという豪華な現場。
 1977年はフランク永井が「おまえに」の3回目のリリースをした年だ。1966年に「大阪ろまん」のB面で初めて発売された。その後1972年に一部の歌唱を変えて再度発売。同じ音源で1977に再々発売した。このときのカップリングが、同じ岩谷時子作詞吉田正作曲による「妻を恋うる唄」。この番組の後半で「おまえに」と「妻を恋うる唄」を歌っている。
 語らいの後すぐに、フランク永井と八代亜紀による「サパー・タイム」が歌われる。沢田研二のメドレーを経て、「大阪ぐらし」を岩崎宏美と歌う。三番は八代亜紀を加え3人で歌うという珍しい映像。
 続いて岩崎が「有楽町で逢いましょう」のさわりを歌い、3人でほとんど合唱。岩崎がはずれて、八代と「東京ナイトクラブ」のデュエット。この歌は当時石原裕次郎がフランク永井のヒット曲と交換するような形で、まだ若い八代と歌ってレコード化している。そのためか、八代のデュエットは安定している。
 フランク永井の残された映像が少ないなかで、大変貴重が映像だと思う。やや残念なのは、トーク中の何か所かで音取りが乱れている箇所がることだ。しかし、これも当時の生放送ゆえのことで、ありのままだされているのがいい。
 特筆は、フランク永井と二谷英明のトークの場面。フランク永井が歌手になるきっかけになる当時の話をしていることだ。内容そのものは、NHKで放送された「フランク永井ショー」とかぶさるものだが、たいへんめずらしいものといえる。
 進駐軍のトレーラー運転手になり、事故を起こし、「マイ・ベイビーズ・カミング・ホーム」を歌い評価されレコード会社に入る、というくだりだ。
 最後に歌った「妻を恋うる唄」は映像で残っているのは、確かこれだけだ。せつせつと歌う歌唱はすばらしい。この歌はけっこう長く歌詞と歌い手の感情表現のバランスが微妙な曲だが、本家のすばらしさを映像で楽しめた次第。
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 新年の気分もさめやらぬ1月4日にプロ野球を楽しませたひとりである星野仙一が亡くなった。中日のエース。投手であることは多くの負けを経験する。勝ちもするが負けをどう受け止め考えるかでその選手の力量が変わる。星野は中日・阪神・楽天を強豪チームへ押し上げ「闘将」と評された。
 星野といえばかどうかは分からないが、フランク永井との関係でいえば、彼が歌った「街の灯が揺れる」だ。この曲は当時はそれなりにヒットした。フランク永井は1982(S57)年の話題のアルバム「Woman」でカバーしている。重厚な歌唱はとうぜん星野のものとは異なり、オリジナルのような光を放っているので、ぜひ聴いてほしい一曲だ。
 この「街の灯が揺れる」は、山口洋子作詞、曽根幸明作曲作品。その曽根幸明も昨年4月に他界した。曽根は「曽根幸明の昭和芸能放浪記」を出版している。彼の生きた時代が何も隠さず何も飾らず語られている。当時の芸能界の一面がなまなましい。
 曽根は藤圭子に作った「圭子の夢は夜ひらく」で一躍脚光をあびた。歌謡界を目指す番組の審査員としても名をはせた。ビクターの歌手時代もありフランク永井ともカップリングしている。歌手時代の彼の名は藤田功。
 数年前だがフランク永井関係のあるコンサートで、彼が車いすにのって特別室で静かにショーを見守っていたのが印象的だった。
 別項で紹介したが、昨年「フランクの夢は夜ひらく」が再発見された。PONYによるオリジナル企画作品「夜のムード」(カセット)で出ていた一曲。
 曽根幸明がフランク永井に提供した歌は、オリジナルでは「恋のロマネスク」「恋のさだめ」「女の盛り場」「しのび逢い」。
 さて、プロ野球の名選手が関係した「レコード」だが、フランク永井の恩師吉田正が手掛けて出したのが、西鉄の名選手豊田泰光に歌わした「男のいる街」。これは当時「スポーツ界のレコーディング第一号」などと言われた。
 くしくも豊田も一昨年の夏に亡くなっている。豊田は吉田正と同じ茨城県出身ということもあるが、歌はプロ級だった。当時の音源が残されているので聴いて確認してほしいが、本格的だ。その後吉田は江夏豊に「俺の歌」を歌わせている。
 野球に限らないが、その後ちょっと業界で名が有名になると、周囲は誰かれなく、上手下手なく歌わせるのが流行る。とうぜんへったっぴでひんしゅくというケースもある。線引きができなくなった時代だから仕方ないのかもしれないが、技術や芸は人を感銘させるところにある。それを忘れては業界そのものの品をおとしめるのではなかろうか。
 星野の訃報から曽根幸明、豊田泰光と飛んでしまったが、2018年少しでも明るい年になることを祈願して!
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 タイトルで共演スペシャルというのだが、いわゆるデュエットソング。映画スターのというのは、主にフランク永井のような歌手ではなく、映画スターによる特集だ。
 デュエット・ランキングというのもあったのだが、残念なことに「東京ナイト・クラブ」は入っていてよさそうなのだが外された。番組はお酒のせいか、そのトップは何の曲だったのか覚えがない。ビデオを確認しても、そのあたりが不明。
 流れでは、おそらく裕次郎よりだから「銀座の恋の物語」あたりなのだろうが、わたくし的には勝手に「東京ナイト・クラブ」としておこうっと。
 この番組は当時を賑わした映画スターについて、現役の俳優のゲストがさまざまなエピソードを語ってくれるのが楽しいのだが、やはり目玉はCGによるデュエット映像だ。
 今は亡きかつての名優たちが歌っている映像から、当人の箇所だけを抜き出し、現在売れている歌手と共演するという趣向だ。豪華なCG?舞台を使い、みごとに組み合わせていくのだが、なかなか満足度の高い作品が楽しめる。
 今どきというか、何重年も前からいまでいうCGで映画は作られていて、これなしでは現代の映画はなりたたないといっていい。円谷という歴史に残る偉大な特撮のクリエータがいた。ちなみに彼の名に尊敬をこめた「ヒトラーの試写室」(松岡佳祐著)は人気であるばかりか、著者の一連の時代物とともに名著として高く評価されよう。
 洋画では「スーパーマン」「スターウォーズ」、NHKドラマ「精霊の守り人」とCGの発展は素晴らしいものがある。それが古いテレビの映像(解像度があまい)、合成など予想もしていないものと、巧みに重ね合わせるのだ。
 このタイトルの番組は今回で二回目で、ここで紹介された作品はこれだ。
  石原裕次郎と浅丘ルリ子「夜霧よ今夜も有難う」
  美空ひばりと天童よしみ「愛燦燦」
  テレサテンと市川由紀乃「つぐない」
  島倉千代子と坂本冬美「人生いろいろ」
  勝新太郎と松平健「マイウェイ」
  ヒデとロザンナ「愛の奇跡」
 別項でも紹介したフランク永井と島津亜矢の「おまえに」というコラボ作品があったが、これはファンの方が、二人の独立した映像(魅惑のゴールデンデュエットとNHK-BS日本のうた)を音声とともに、微妙に重ねつないだもの。これを思い出すが、テレビ朝日作品は同時に登場させてきらびやかな舞台をつくる。
 演奏と、二人の音声をきれいに重ねている。歌がうまい歌手はスムースだが、勝慎太郎のは技術陣の苦労が伝わる。勝は歌うときは酒入で、自分が思うがままの編曲をしながら歌うから、たいていは演奏陣が歌に合わせている。みごたえたっぷりだ。
 松尾和子ではない相手は誰がフランク永井とぴったりのデュエットができるだろうか。数少ないフランク永井映像で、デュエットCGに使えるのはあるだろうか。そんなことをつらつらと、想起しつつ楽しんだ。
 五木ひろしと坂本冬美で「居酒屋」がでているようだ。二人とも乗った歌唱なので、まだまだこの人気はつづきそうである。
 2018年にはフランク永井版が作られて流れることを期待してみたい。
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 「東京ナイト・クラブ」といえば、言わずと知れた盟友である松尾和子とのゴールデン・デュエットを組むことになった最初の曲だ。この曲のヒットが刺激になって石原裕次郎と牧村旬子の「銀座の恋の物語」が作られる。大人の男女が交互に歌うという走りを作った名曲。カラオケ・デュエットの大人向きの二大定番。
 1959年に発売されてヒットした。まだステレオに移行する前だ。たちまち注目をあび、ビクター汎用のジャケット(黄色め)から写真ジャケットに変わった。ちなみに、この後何度もさまざまな形でこの曲が出されるがステレオ版がほとんど。
 1980年代にビクターは、リバイバル盤とかアンコール盤とか称して、EPで再版をする。以前に別項で紹介したことがあるとおりなのだが、この「東京ナイト・クラブ」は裏面「ラブ・れ―」で1984年に出されている(VS-8529)。実はこの盤は筆者のてもとにあるのだが、不思議にジャケットがない。流通でもみたことがない。いつか発見されるのが楽しみである。
 「...好きになったの もっと抱いて...」という歌詞は当時としてはあまりにも刺激的で放送から自主規制されるということもあったようだ。なんでもありのような、ややすさみ気味の現代では考えられないことだ。
 最近歌謡曲の番組をみるとこの「東京ナイト・クラブ」がしばしば流れる。現役歌手によるカバーだが、それなりに楽しめる。フランク永井ファンの欲目でただ目につくだけかもしれないのだが。
 テレビで放送されるということになると、YouTubeなどのインターネットにファンがアップすることがある。放送時は見てなくてもあとで見ることができるのだが、当然著作権等の事情からみられなくなることが頻繁なので要注意だ。
 それでも「東京ナイト・クラブ」は常時10本程度は閲覧できると思う。網羅は当然できない。気づいたときにメモを残すようにしているのだが、そのリストの一部を紹介する。
  フランク永井/青江三奈  フランク永井/島倉千代子
  フランク永井/八代亜紀  キム・ヨンジャ/湯原昌幸
  冠二郎/伍代夏子     宮路オサム/瀬川英子
  五木ひろし/石川さゆり  五木ひろし/木の実ナナ
  高橋英樹/長山洋子    山川豊/八代亜紀
  水森かおり/三山ひろし  石原裕次郎/八代亜紀
  川中美幸/吉幾三     竹島宏/瀬川瑛子
  田川寿美/北山たけし   藤あや子/山川豊
  藤田まこと/八代亜紀   武田鉄也/谷村新司
  門倉有希/藤原浩     林あさ美/鳥羽一郎
 中にはミスキャストと思えるのもあるが、それぞれの味わいがあって楽しめる。レコード化されているのは裕次郎と八代亜紀だけ。八代はそれだけにさまざまな歌手とのデュエットを演じている。珍しいというか、特筆というか、間違い?なのか、武田鉄矢と谷村新司だ。別に聴きたくはないが、二人若く声が出ているので、それなりにちゃんと聞こえるから不思議だ。
 フランク永井のは基本的に映像が少ないのだが、島倉千代子、青江三奈、八代亜紀との映像が残されている。
 さて、景山民夫という放送作家がいた。「シャボン玉ホリデー」「11PM」などは当時の人なら誰でも覚えている番組に関与したり、何かと世間を騒がした宗教に入信したりした。1998年に火事で亡くなったのだが、1970年に「東京ナイトクラブ」という書籍を出していて後に単行本にもなる。「東京ナイトクラブ」を含む12編の小片を収めたもので、評価するものもいるが、愚作で読むに値しない。
 彼が多彩なのは分かるが、若者にありがちがチャラ男くんの独り言を表現したようである。読んでほしい人と想定したのが同じチャラ男ならまず彼らは本など読まない。読むとしたチャラ男に関心がある「文化人」。だが、これを読んで評価するような「文化人」はおそらく文化人ではない。
 フルハムロードと言ったか知る人ぞ知る三浦和義と親交があったようだ。というのも実は筆者は業務上の関係で電話でだが彼と話をしたことがるのを思い出した。事件の前だがこの男もチャラ男そのものだとその時に感じたこともあり、悪い印象がひきずる。
 あとがきで野坂昭如が「それを書けるのは君だけだ」と言われ、タイトルも示唆をうけたというが、同時に野坂は誰にもそう言ったのだとも。そもそも「東京ナイトクラブ」を彼はちゃんと聞いていない。裕次郎だと勘違いしている。それが、ふりだとしても、失礼ではないのか、そんな本だ。
 若干ヘンな話題で気分がへこみそうだが、気にしない。お酒をなめなめ、口も軽くなり「...男は気まぐれ その時だけね...」っと。
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 詳細はまったく分からないのだが、西洋、とうもフランスのようなのだが昭和の時代の日本の流行歌と演歌を、CDのシリーズで売り出しているようだ。
 ひとつは、The Midern Enkaとうシリーズで6巻(ピンクっぽいジャケット)もの、The Era of Ryukokaで4巻もの、Influences of Warという2巻もの(山口淑子=李香蘭)、Japanese Retro Hits(13巻あるが、これは先の3シリーズの合体かもしれいない)がでている(左のジャケット)。
 最初のものだけだが、59組(内デュエットが5点)の歌手が登場する。Vol6にフランク永井の「有楽町で逢いましょう」と、松尾和子とのデュエット「東京ナイト・クラブ」がはいっている。
 収録曲はダブりもあり、それが人気曲だからなのか、好きな歌手の歌だからなのか、読めないが、昭和の時代といっても1950年代と限定しているようだ。人気を得たと思える曲は採用されている気がする。
 が、私は初めて見たというのもいくつかある。この辺りは編者の個性なのかもしれない。例えば「天下の為さん」古田六郎って誰かご存知ですかね。
 なんとも重厚なセットなのだが、何せ紹介されているリストがどうも日本人の手によるものでないためか、そうとう変でしかもダブりと思えるものもあって、理解しにくいところがある。
 元の日本からリリースされた商品があるのかもしれないが、勉強不足で分からない。在住のどなたか日本人の所持するレコードから作ったとも考えられるが、そもそも著作権の許諾などはどうなっているのだろうと、気をまわしてしまう。
 どうも、その発売元ではここに登場する歌手の単独の作品もCDにしていて、目に付いたのは藤山一郎と林伊佐緒と関種子だ。藤山は22枚、林は11枚、関は2枚というもの。他の歌手についてもこんな調子で順にリリースしていきそうな勢いを感じるところが面白い。
 このCDを外国に旅した人が珍しいと購入してきたり、逆輸入で発売ということもありかも知れない。が、やはり、外国のその地で多くの人に聴いてほしいですね。言葉は分からなくても、メロディーや歌唱ということは十分に人のこころをとらえる。それには国境はないので、純粋に人びとのよき交流につながると思う。
 「東京ナイト・クラブ」なんて、そうした場の文化や歴史性と直結しているので、果たしてどう感じるものなのだろうかと、思いに更けながらの話。
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 フランク永井が山下達郎の企画でジョイントして歌った「Woman」。何度も話題になっているのでその成立のいきさつとかは別項で見てほしいが、そのテープ版のお話。
 この企画でリリースされたEPは裏面に同じ山下作品である「愛のセレナーデ」とともに、1982年に発売された。同時に同タイトルのLPが発売。LPにはこの時期までのおよそ十年間のヒット曲のカバーとフランク永井がライブなどで好んで歌った「ラブ・レター」(1958:V-41820)を入れた。全曲この時期に吹込みをしたもの。
 フランク永井の後年(1985年に舞台を降りている)の重厚な成熟した歌唱が存分に楽しめる。カバーは元唄を越えているのではと思わせるほど完成度が高い。この時期、フランク永井の声はデビュー当時と比べるとキーがオクターブ単位で下がっている。
 いつも貴重な情報を寄せてきて驚かせているKさんが、今度はLPと同時に発売されたカセット版のボーナスの話を寄せて下さった。なんとカセット版ではLPに収録されていない曲が4曲も追加されているというのだ。
 それは「夜明けの街」「ブランデーグラス」「めぐり逢いふたたび」「霧子のタンゴ・パートⅡ」。先の2曲はご存じのように石原裕次郎がTVドラマ「西部警察」での挿入歌。「夜明けの街」はフランク永井のLPではでていないが、同時期発売のカセットでだけ出されている。「ブランデーグラス」は1977年のLP(「おまえに/おもいやり」SJX-20006)で出ている。
 特筆はまず、杉良太郎が歌った「めぐりあいふたたび」。これは他のLPでもカセットでも見たことがなく、今回初の再発見曲。埋もれていたフランク永井の歌唱がこんな形で浮かび上がったのだ。
 さらに「霧子のタンゴパートⅡ」。これは1977年に開いたデビュー20周年を記念したリサイタルで触れられた曲だ。当時のLPは「輝ける21年の足跡」としてリリースされている。ここではライブでこの曲が聴ける。1番と3番が歌われているのだが、全容は今回初めて分かった次第。このカセットにフルできっちりスタジオ録音したものがでたからだ。
 ちなみに、このリサイタルで第1部の指揮をしたのは寺岡真三だが、第2部はこれも編曲の名手である近藤進。かれが「Woman」に収められているカバーの編曲を担当した。
 「霧子のタンゴ」は1962年、まだデビューしてほどない時期の大ヒット曲。恩師吉田正が珍しく作詞までした曲で、生涯で何度歌われたかしれない。その耳にこびりついているような代表曲のパートⅡなのだが、この正式版を聴けば、さすがに感心する。自分の持ち歌は表現するのに困るのだが、自信というか安定度というか発する音魂のようなパワーが一回り違うのである。
 このようにカセット版のボーナスを中心に紹介したのだが、この「Woman」はフランク永井の後年の歌唱の魅力を凝縮させたものとして、特別なのではないだろうか。廃盤レコードの復刻に力を入れているMEG-CDからも、先にでたシングルを聴いた視聴者からのリクエストに応える形でLPの復刻リリースをしている。
 上記で紹介した曲以外にこのLPには、つぎのような曲が入っている。「サチコ」「氷雨」「メモリー・グラス」「心の色」「もしもピアノが弾けたなら」「男の背中」「忘れはしないでしょう(離別(イビョル)」「街の灯がゆれる」「ルビーの指輪」。
 フランク永井が自らの歌として歌ってきた流れとは若干異なっている曲目だ。恋に破れた女の心情を、重厚な声のフランク永井がどう歌うのか。か細く消え入る女性のつぶやきをどう表現するのか。また、裕次郎や杉良太郎、増位山はまだわかる。だが、ニック・ニューサ、堀江淳、西田敏行、星野仙一、中村雅俊、寺尾聡をさばくのか、興味は尽きない。
 日野美歌や佳山明生で著名な「氷雨」もそうだが、およそ普通にフランク永井が歌ったらどうなるかという予想を、見事に裏切った歌唱に酔ってしまう。「Woman」カセット版はそのような逸品であった。聴かせていただいたKさんに大感謝である。

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