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 「フランク永井発売されたCDの紛らわしさについての考察」を前回紹介したら「確かに紛らわしいな。わざと混乱させているのか」という声がありました。
 そんなはずは、さすがにないよ、と答えたのですが、心の中では、すっきりしたわけではありません。それは「ベスト★ベスト」以外にもあり、1965年ごろのレコード・ジャケットにもあるからです。
 レコード・ジャケットについては、その筋では知れている事実です。
 ご覧のように「1964:SV143-男なら」「1965:SV-194-アコちゃん」「1965:SV-207-妻を恋うる唄」「1965:SV-253-熱海ブルース」の4点は明らかに紛らわしいです。「アコちゃん」だけは背景をオレンジにしている点だけ、区別されているといえば、言えるかな、ということです。
 翌年の「1966:SV-353-ひとりぼっち」「1966:SV-364-君待てども」という2点も、写真を掲げていなくてすみませんが、ほとんど同じ構図のジャケットです。
 もちろん、他にもあやしいのがあるのですが、それはパスします。
 CD化は1980年ごろから本格化するのですが、フランク永井については、現在確認できる最初のものは「1984-:VDR-17-フランク永井スーパー・コレクション」です。
 この次に出たのが「1985:VDR-1091-フランク永井全曲集」です。このジャケットがややこしいのは2009年にSONY CD倶楽部から出された「CTH-1008-フランク永井」です。ご覧のように、写真が左右逆(裏がえし)かもといわれてもし方ないような使用をしています。
 わずか、微妙にことなるような雰囲気はありますが、そんなのアリなのでしょうか。それからさらに数年経過した2015年に「MIVE-3067-もっとフランク~ベスト・オブ・フランク永井」がリリースされました。これは、最初のジャケットと同じデザインになっています。

 データ・ブックの資料を整理していて、実は最も確認に困ったのは、写真の真ん中のCDです。
 COREZO!シリーズの「ベスト」と呼ばれているのは「追悼盤」として、亡くなったのちにリリースされています。
 だが、これが最初に発売されたのは1995年10月のようです。フランク永井のまさにベスト盤として20曲収めたものです。ビクター側は、フランク永井の「ベスト」はこれが決定版で、以後これをニーズに合わせて、再販でだしていこうと考えたのではないかと、勝手に察しています。
 同時期にカセット盤も出たと思われますが、手元にあるのは1999年のものです。
 2回目のCDは「1996:VICS-60052」です。見違いなら訂正しますが、ビクターが使用しているVICLと違っています。理由は不明です。その後「2004:VICL-?」「2005:VICL-41246」と出ているのですが、他にもあるかもしれません。
 つまり、この決定版はジャケットになぜか盤IDが印刷されていません。購入時の帯と背にあるだけです。背にあるからいいや、とも言えますが、ほんとの意図はわかりません、
 レコードもそうですが、最初の発売日をあいまいにする傾向があった時期がありました。理由はレコード店に発売から何年か経過したものが残っていても、古さを感じさせないためかと思います。
 しかし、在庫の関係は簡単ではないようで、メーカーは同じ盤IDで増産するケースと、完全に同じデザインでありながら、盤IDが新たにつけられて再販するというケースがあるようです。
 結局、正確な理由はわかりません。

 購入するユーザーにしてみれば、CD自身は古くならないし、曲は同じだし、複数を購入して比べる必要性もないし、どうでもいいようなものかもしれませんが、私のように「整理」の目的があるものには、困惑が残ります。
 フランク永井が1985年に「自殺」行為で実演に終止符を打ったがために、マスコミはフランク永井を封印してしまいました。この雰囲気は、1986年以降の見通しとして、ニーズは急激に減る一方だろうな、と見込んだ節があります。
 その場合の決定版をまとめたのがこの盤だったのだろうと推察します。が、しかし、実際にはファンからの要望は、簡単に耐えるようなものではなかったのですね。
 表の社会では封印されていても、ニーズは続いていたようです。レコード会社では、ゆえにうれしい悲鳴をあげならが、次つぎと毎年何枚かの新製品を出していきます。
 だが、残念なことは、フランク永井のベストを超える、つまり、フランク永井の魅力を広げていくような企画ではなかったことです。PLアルバムのCD化による再販とか、先のベスト20曲のトラック番号を変えたり、8~18曲程度に採用数を変えるとかのことし化していません。
 ユーザーが希望する、フランク永井のカバー曲や埋もれたレア曲など、どれを聴いても同じものでない曲の積極的な掘り起こしでした。
 これは、2007年ごろの封印解除を境に、ビクターも真剣に対応していく姿勢になります。
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 「フランク永井魅惑の低音のすべて」(通称データ・ブック)を発売したのは、2010年10月だったので、それから11年経過したことになります。この時点では、あくまで発売されたレコード(シングルとアルバム)をもうらしたものでした。
 フランク永井の現役時代はレコードがメディアの中心でしたが、1980年代になると急速にCDに変わります。舞台を降りたのが1985年ですが、この時期にCDは出たのでしょうか。手元の記録で確認すると、2枚だけ出ています。
 1984年に「VDR-17-フランク永井スーパー・コレクション」、1985年に「VDR-1091-フランク永井全曲集」です。
 当時の調査対象にはレコード以外のカセットテープやCDは入っていませんでした。理由は、レコードにはフランク永井の歌唱がすべて含まれていて、テープはメディアを変えただけのアルバムだと思っていたからです。
 その見方はおおむね正しかったのですが、その後によく調べてみると、カセットテープには「ボーナス・トラック」のような感じで、レコードにはない歌唱曲がいくつか入っていることがわかりました。
 CDについても同じで、過去にレコード化、あるいはCD化で世に出していなかったものが、企画者の「再発見」でリリースされる例がありました。
 そのような経緯から、データブックの発売後から、テープやCDの調査をしてきました。あわせて、テレビ番組に残された「映像」の実態です。また映像では欠かせないのが映画です。
 そうした長期の調査の過程で、著者がわかってきたことについて、いくつか紹介したいと思います。

 まず、CD化リリースの初期にあった紛らわしさです。
 写真のように、似たCDジャケットがあります。フランク永井の写真にはイイ写真がいくつもありますが、この写真はベストの一つでしょう。1978年発売のカバー曲「SV-6495-街の灯り」のジャケットです。
 この撮影では数枚のショットがあったようです。これは「VCH-2711-夜のムード歌謡」で、まっすぐに立てたカットで使われました。
 ここまでは、普通にあり得ることと推察しますが、CD化の際には、頭を傾けたショットのものが多用されます。
 写真のように、6枚のCDで使われています。うち5枚に至ってはまったく同じサイズで使われています。
 「ベスト★ベスト」は2枚あり、左端の黒い縦帯のタイトルが「フランク永井①」「フランク永井ベスト」の相違だけです。
 「フランク永井ベスト」は背景が赤系にしてもう一枚あります。さらに背景を街の夜景に変えて「Best & Best」とあるのですが、先の「ベスト★ベスト」の星印は、いったいいかなる意味なのかまったく不明です。
 「君恋し~」とあるのは、SONYのCD Clubにビクターが提供した製品ですが、だからといって同じデザインを採用するのはいかがなものかと、思わざるを得ません。
 このデザインの内容はタイトルは違えど同じだというのなら、多少うなずけますが、全部異なります。ユーザーをそこまでなめていいものなのかと、疑問を感じざるをえない、と正直感じました。
 実は「ベスト」とか「ベスト&ベスト」「ベストヒット」というのはもっと多くあります。
 フランク永井が舞台を降り、長い暗黒時代を経て封印が解けたのは、2007年NHK-BSが放送した「昭和歌謡黄金時代~フランク永井・松尾和子」あたりからです。これまでは、フランク永井のCD-BOXものはわずかで、毎年のように1、あるいは2枚のCDが発売されたのですが、ほとんどが同じような曲でした。トラック番号を変えただけのようなものです。
 これはフランク永井のヒット曲のトップ数十曲を限定して紹介し続けたようなものです。弊害として、カラオケなどの演奏曲が、他の歌手の曲数と比べ極端に少ないということに出たと思われます。
 ここ休止されている例年の「フランク永井歌コンクール」でも、フランク永井の好きな曲はあるのに、演奏曲がないので歌えないという声が毎回上がります。
 フランク永井の所属したビクターでは、忙殺で追われた当時の担当部署やスタッフが代わって、その後はフランク永井のCD商品はしっかりしたものになってきています。2016年には「懐かしのフランク永井A面シングル全集」が発売され、フランク永井のアナログ・レコードのほとんどがデジタル化されました。また不動の人気をもつカバー物についても、ほぼ揃いました。
 MEG-CDは現在LABEL ON DEMAND(レーベルオンデマンド)ですが、ここではフランク永井のほぼ、全シングルがデジタル復刻されて、いつでも曲を楽しめるようになってきました。
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 フランク永井に作詞を提供した作詞家は190余名と多数に上ります。前回では認知度ではゆるぎない佐伯孝夫を紹介しました。レコード会社のビクターでは、売れる制作者をコキ使います。いやビクターに限らずどこでも同じです。売れれば実力があると評価されます。必至です。
 歌手も同じです。「有楽町で逢いましょう」の爆発的なヒットを実現して、作曲家吉田正はビクターの主要な作曲家の地位を得ていきます。フランク永井もこれが売れて結果的にビクターの売り上げに大きく貢献しました。
 吉田正、佐伯孝夫、フランク永井のゆるぎない黄金ユニットができるのは当然のなりゆきでした。この世界は、いわば人間の欲というか、性(さが)というか、希望や願望や新たなビジョンの拡張に限りなく、それに乗っています。つまり、企業は利益をもとめ、満足することをしません。視聴者は、この作詞家に、作曲家に、歌手に、別の分野の作品を作らせることで、新たな刺激に接したくなります。
 吉田正、佐伯孝夫でないジョイントで、もっとすてきな作品がきるのではないかと、期待を込めてトライを求めます。
 吉川静夫もその一人だったのではないかと思われます。ブルース物で青江三奈、森進一らは大ヒット曲を実現しています。古都清乃「赤山ブルース」は吉田正の作曲ですが、三沢あけみ・和田弘とマヒナスターズ「島のブルース」、青江三奈「長崎ブルース」「池袋の夜」、三沢あけみ「島のブルース」、森進一の「女のためいき」などは、吉川とのヒットを多数出した渡久地政信の作曲です。
 この大作詞家はフランク永井に44曲(「フランク永井」データブックによる)提供しています。当然に大ヒットを期待したのですが、結果的には佳作にとどまった曲が多かった印象です。
 「吉川静夫ヒット作品集」(SJV-367)を1970年の少し以前に出されていますが、ここには全14曲おさめられていますが、フランク永井の歌唱は「東京無情」の一つだけが出ています。1999年にビクターは作詞家生活60念を記念して「吉川静夫作詞生活60周年記念盤」CD2枚組をだしています。
 ここでは32曲が紹介されていますが、フランク永井については、同じく「東京無情」のみです。
 提供された曲をみると、テレビや映画の主題歌、挿入歌が多いように思います。「たそがれのテレビ塔」「口笛のブルース」があります。また、正式なシングル曲としてではなく、地方の観光協会などとのジョイントで作られた「瀬戸内海ブルース」があります。この曲は近年になって「懐かしのフランク永井シングル全集9(1968-1973)」で、正式に(?)A面シングルと評価されました。
 聞くとわかりますが、いい曲なんです。ドラの声から始まるイントロで、一度耳にすれば印象に乗る曲です。
 吉田正の代表曲でもある「異国の丘」を歌った竹山逸郎は「泪の乾杯」「熱き泪を」という吉川の作詞した曲を歌っています。これは、勝メロが盛り上がったときに、フランク永井がいずれもカバーで歌い残しています。いずれも東辰三の作曲作品です。これは編曲もなかなかよくて、フランク永井に向けて作ったかと思えるほどの出来になっています。
 1999年「記念盤」CDが出た年に、99歳で大往生しています。
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 私の子供のころの娯楽メディアはラジオでした。ラジオからは歌謡曲がいつも流れていたような気がします。フランク永井の「有楽町で逢いましょう」とか「東京午前三時」を初めて聴いたのは、もちろんラジオです。当時は曲を紹介するときに、必ずと言っていいほど「佐伯孝夫作詞、吉田正作曲」のように作詞者と作曲家という歌の創作者をきちんと語っていました。佐伯孝夫、吉田正という創作者の紹介が多かった。今も耳にこびりついています。それで、このお二方はどんなすごい人たちなのだろうと関心を抱いたものです。
 私のような東北の農家の次男坊は、小さいときから、学校出たら都会へ出ていくもので、田舎に残って暮らしていくことはできないと、教えられてきたものです。だから、行先となる東京はどんな都会なのだろうと何度もイメージしたものです。
 ラジオから流れてくるフランク永井の「有楽町で逢いましょう」や「東京午前三時」は、都会のイメージを膨らませるのに、たいへん大きな影響を及ぼしました。大人になって実際の東京は戦争で廃墟になったこともありますが、大きなビルなどまばらで、野地や畑や山林が間近にあり、孤児や浮浪者のような人達であふれるところであったのを知ったのです。だが、歌を聴いたときは、なんと素晴らしい、夢と活気にあふれた、上品な、居心地のいい都会なのだろうと、夢ははちきれんばかりに最大限に膨らんだのは言うまでもありません。
 フランク永井の恩師吉田正の軽快な都会的なメロディーは欠かせませんが、決定的なのは歌詞です。それらを生み出したのが日本の偉大な作詞家佐伯孝夫です。
 フランク永井への歌詞の提供は記録だけで83曲で、二位の宮川哲夫の61をダントツで引き離して最も多くあります。

 日本には西城八十、サトーハチロー、星野哲郎、阿久悠らを先頭とするそうそうたる方がおりますが、佐伯孝夫を偉大さということです筆頭格ではないでしょうか。生涯で三千篇を書いているといわれます。作詞家は語彙の巨大さを前提に、それぞれの言葉が持つ、言葉が聞く人に与えるイメージの理解さという点では天才的な才覚を有しているといっていいかと思います。文学者なんですね。
 戦中でも大変な活躍をしていますが、一貫しているのは民の感覚勘定に常にそっていたということだと思います。軍国主義的な世相では、どうしても民の生活を犠牲にして兵を鼓舞する、天皇のため、国家のためのようなものが求められる、というより、強制されます。だが、こうした偉大な先人たちの精神というか気概は、命令する人たちのそのレベルをはるかに超えているために、余裕で巧みに矛先をそらしながら、傑作をのこしていることに感心せざるをえません。
 1981(S56)年に78歳で亡くなられていますが、その生涯に敬意をはらって、佐伯孝夫大全集(LP8巻)が編纂されました。その紹介で早稲田大学の後輩だが著名な学者八巻明彦氏がさまざまなエピソードを披露しています。そのなかで下記のような歌いだしの最初を紹介しています。決して戦争の悲惨さや暗さを出さない、見事な表現をしています。

 恋は楽しや 街に 空には憧れが住むよ
  「僕の青春」藤山一郎 昭和八年(1933)
 あきらめましょうと 別れてみたが 何で忘りょう 忘らりょうか
  「無情の夢」児玉好雄 昭和十年(1935)
 雪の満州に 夕陽は落ちる 故郷じゃ父さん 達者でいてか
  「守備兵ぶし」小野 巡 昭和十一年(1936)
 忘れらりようか あきらめらりょか 何もいわずに別れはしたが
  「雨の酒場」灰田勝彦 昭和十二年(1937)
 男純情の 愛の星の色 冴えて夜空に 唯一つ あふれる想い
  「燦めく星座」灰田勝彦 昭和十五年(1940)
 明日はお立ちか お名残り惜しや 大和男子の 晴の旅
  「明日はお立ちか」勝太郎 昭和十七年(1942)
 紫けむる 新雪の 噂ふり仰ぐ この心
  「新雪」灰田勝彦 昭和十七年(1942)

 友と語らん 鈴懸(すずかけ)の径(みち) 通いなれたる 学校(まなびや)の街
 これは、「鈴懸の径」灰田勝彦 昭和十七年(1942)です。ご存じ佐伯孝夫の代表曲のひとつです。灰田有紀彦(勝彦の兄)が作曲したもので、こちらは灰田の母校立教大学の小径です。いまも人気が高い曲で多数の方がカバーしています。小畑実や佐良直美は有名です。
 ちなみに、フランク永井のカバーは残っていません。きっと何度も歌っていると思いますが、レコードにはされていません。「鈴懸の頃」というのをフランク永井は最後のSP盤に残していますが、これは同名のテレビドラマ(朝日放送)の主題歌で、清水みのる作詞、大野正雄作曲作品です。
 佐良直美との写真で思い出したのですが、佐伯孝夫の写真はほとんどがモノクロで、カラーは珍しく、しかも全身と思える写真で大変貴重です。

 佐伯孝夫は戦後吉田正と黄金コンビを作っています。このお二人はビクターだけでなく歌謡界の帝王のような位置でした。お二人のコンビで作った歌はほとんどがヒット曲でした。吉田学校の門下生はもちろん、先述の八巻明彦氏によれば、歌った歌手は214人、組んだ作曲家は85人にのぼるとのことです。
 吉田正は年齢的に十余歳下で、自分の先生は佐伯だと生涯思っていました。佐伯の人思いは相当なもので、得た巨額の著作料は関係者との飲み代、遊び代に費やしたようです。一般人の想像を絶する額を湯水のことく使うことならではの感覚は、他の追随を許さない作品になって表れ他とも言えます。「潮来傘」など。
 その感覚は「有楽町で逢いましょう」でも言えます。百貨店そごうの東京進出での募集を目にとめ、佐伯独特の感覚でビジョンが出来上がった結果とも言えます。
 吉田正はこの曲で自分はようやく「作曲家」と名乗れる自信がついたのだと後日語っていました。吉田はそれまで(結果生涯なのだが)飲み遊びではすべて佐伯に支払ってもらっていましたが、有楽町...の後の支払い時に、今回だけは私に支払わせてくれと言ったそうです。佐伯は「気持ちはわかるが、十年早い」と一喝されたといいます。
 1967(S42)年、作詩家として初めて紫綬褒賞。1973(S48)年に勲四等旭日小綬章。1980(S55)年日本レコード大賞特別賞に輝きました。
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 NHKラジオ深夜便は、今年も放送してくださいました。ありがたいことです。例年のことですが、3時台「昭和歌謡往年の名歌手フランク永井作品集(Part.1~2)」です。
 パート1は10月14日、パート2は命日の翌日28日でした。11曲+10曲で、計21曲が楽しめました。私はいつものことですが、パート1は聞き逃しました。アンカーはNHKきってのアナウンサー石澤典夫。

01.西銀座駅前
02.場末のペット吹き
03.夜霧の第二国道
04.有楽町で逢いましょう
05.公園の手品師
06.こいさんのラブ・コール
07.ラブ・レター
08.俺は淋しいんだ
09.夜霧に消えたチャコ
10.東京ナイト・クラブ
11.君恋し

01.霧子のタンゴ
02.赤ちゃんは王様だ
03.二人だけのワルツ
04.妻を恋うる唄
05.星影の小径
06.オール・オブ・ミー
07.ウーマン
08.あなたのすべてを
09.霧子のタンゴパートⅡ
10.おまえに

 最初の曲は「西銀座駅前」ですね。当時のファンのどきもを抜いた曲。何とも変な歌なのだが、フランク永井がさらりと歌うと、不思議にマッチするというか、いかにも都会の夜の歓喜が表現されています。これを他の歌手がどう歌っても、なかなかそうはいかない。
 1965年に「イエス・オア・ノー」という曲を出していますが、いきなり聴く人をあっけにとらすというのでは似ています。フランク永井ならではの歌唱力ですね。
 パート1の曲はいずれも、フランク永井の人気が爆発的人気を得た初期のものです。「こいさんのラブ・コール」は、その後フランク永井が西日本でも大きく人気を得たきっかけを作った曲です。これがあって、東北出身のフランク永井が、関東で、西日本でと全国的なファン層を得たといえます。
 当時の曲の多くは、映画化されています。主演は大映や日活のスターですが、フランク永井は欠かせない役で登場しています。そしてその中で主題歌も歌ったりしています。

 後半はフランク永井の歌の幅の広さを紹介しています。「ふたりだけのワルツ」は1964年発売の、LV-373-NHK-あなたのメロディー第1集収録曲です。これは2019年にシリーズ発売された「日本の流行歌スターたち(1) フランク永井 有楽町で逢いましょう〜追憶の女」に初デジタル化でリリースされました。
 自分でも「ワルツのフランク」といっていただけに、すばらしい作品になっています。
 さらに「星影の小径」が流されました。矢野亮作詞、利根一郎作曲の大名作でビクターの同僚小畑実の歌がオリジナルです。この曲は1967年にフランク永井がカバーしてシングルでリリースしました。最近では「フランク永井ザ・カバーズ」に収録されています。
 この曲が再度有名になったのは、ちあきなおみがCMでアカペラ歌唱を流したことでしょう。ちあきなおみは別に「黄昏のビギン」を同様にCMで流して、多くの視聴者が「歌っているのは誰?」「何の曲?」と問い合わせが多数あったと聞きます。ちあきなおみも歌がうまいことで定評がありますからね。
 「星影の小径」は大変多くの歌手がカバーしています。なかでも秋元順子のカバーはいいですね。

 「あなたのすべてを」についてはカバー曲ですが、しんみり来る曲です。フランク永井が部隊を降りる1985年の11月にリリースされたレコードです。最後のシングルになります。
 作詞作曲の佐々木勉自身も歌っていますが、そのオリジナルは、徳川芽里が1967年に出したレコードだとのことが紹介されました。
 パート2では、今回、フランク永井の21周年記念リサイタルからの、巧妙なトークとともに珍しく「霧子のタンゴパートⅡ」が紹介されました。フランク永井が歌手として乗りに乗った時期の歌唱が楽しめました。
 このリサイタルの模様はこのブログでも詳細を紹介しています。1977年に「輝ける21年の足跡」としてアルバムがリリースされました。1999年に「ステレオによるフランク永井のすべて」でCD-BOXとしてデジタル化されています。
 近藤進の指揮で原信夫とシャープ&フラッツの演奏が実に軽妙です。会場にいたような気分になりました。
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 フランク永井の残した映像は、NHK紅白歌合戦番組、他のテレビ番組、映画があります。
 ほとんどはこれらの元映像ソースから得たものですが、いくつかはソース不明なものもあります。
 ざっと192本に及びます。だが、同じ曲も122本、つまり半数以上あって、結局70本が曲の数です。下記にリストをあげます。【??】で期したものは、同名の曲数です。JIS順になっています。

11時過ぎから-(松尾和子と)GD-19780000
13,800円-1958羽田発7時50分から
16トン-エンターテインメント19820000
あなたと共に-NHK第7回思い出のメロディー19750802
おまえに-NHK紅白歌合戦#25-19741231【12】
おまえに-NHK紅白歌合戦#27_19771231
おまえに-NHK紅白歌合戦#32-19811231
おまえに-TBS-00000000
おまえに-TBSB吉田正SP00000000.mp4
おまえに-TV東京にっぽんの歌19821129
おまえに-エンターテインメント19820000
おまえに-スポニチクリエイツ2017 0706
おまえに-テレ東19840714
おまえに-テレ東20210903吉田正生誕100年
おまえに-フランク永井ショー19841004
おまえに-吉田正ビッグ・ショー-19781031
おまえに-昭和歌謡19821000
おまえに-第7回歌手協会-19850226B
おまえに-GD-19780000
おまえに-トップスターショー19770505
こいさんのラブ・コール-NHK第15回思い出のメロディー19830813【1】
こいさんのラブ・コール-昭和の歌-19800429
たそがれのテレビ塔-1959たそがれのテレビ塔
たそがれシャンソン-1958場末のペット吹き
たった一度の愛の言葉-(有楽町で逢いましょう含む)夜のヒットスタジオ19750127
でっかい夢-南海放送20180000
ウーマン-エンターテインメント19820000【3】
ウーマン-一本勝負19830000
ウーマン-夜のヒットスタジオ-19820802
オール・オブ・ミー-エンターテインメント19820000
グッド・ナイト-(松尾和子と)GD-19780000
ゴンドラの唄/恋はやさし野辺の花よ-(和泉雅子と)歌まつり明治百年-19681023
サパー・タイム-(八代亜紀と)19770505
シンプル・メロディ-ミュージック・フェア19850000
マイ・ベイビーズ・カミング・ホーム-この人フランク永井ショー19841004
ラブ・レター-1959らぶれたあ【3】
ラブ・レター-エンターテインメント19820000
ラブ・レター(松尾和子と)GD-19780000
一杯のコーヒーから-第5回思い出のメロディー19730000
二人でお酒を-(松尾和子と)GD-19780000
俺は流れ星-1960俺は流れ星
俺は淋しいんだ-#14思い出のメロディー19820807【2】
俺は淋しいんだ-1959俺は淋しいんだ
公園の手品師-NHK紅白歌合戦#29_19781231【2】
公園の手品師-エンターテインメント19820000
六本木ワルツ-TV東京19850000【2】
六本木ワルツ-TV東京にっぽんの歌19850325
別れても好きな人-(松尾和子と)GD-19780000
別れの夜明け-(松尾和子と)GD-19780000
加茂川ブルース-NHK紅白歌合戦#13_19684319【2】
加茂川ブルース-映像と歌で綴るフランク永井10191100
君恋し-#12思い出のメロディー19900809【19】
君恋し-#7思い出のメロディー-19750802
君恋し-1961日本レコード大賞19681227
君恋し-1962君恋し
君恋し-NHK第12回思い出のメロディー19800809
君恋し-NHK第7回思い出のメロディー19750802
君恋し-NHK紅白歌合戦#20_19691231
君恋し-NHK紅白歌合戦#26_19751231
君恋し-TV東京にっぽんの歌19850325
君恋し-テレ東第14回年忘れにっぽんの歌19811231
君恋し-トップスターショー19770506
君恋し-フランク永井ショー19841004
君恋し-レコード大賞25周年-19830000
君恋し-夜のヒットスタジオ19750127
君恋し-夜のヒットスタジオ19820802
君恋し-昭和の歌-19800429
君恋し-藤山一郎と19750105
君恋し-NHK紅白歌合戦#23_19721231
君恋し-徳光名曲にっぽん20131016
喜劇団地親分-1962同名映画
場末のペット吹き-1958場末のペット吹き【3】
場末のペット吹き-1958場末のペット吹き2
場末のペット吹き-1958夜霧の第二国道から
夜のめぐり逢い-(松尾和子と)GD-19780000
夜霧に消えたチャコ-00000000【4】
夜霧に消えたチャコ-1959夜霧に消えたチャコ
夜霧に消えたチャコ-TV東京にっぽんの歌19850325
夜霧に消えたチャコ-(1959日本レコード大賞)19681227
夜霧の第二国道-1958夜霧の第二国道【8】*1
夜霧の第二国道-NHK小林旭番組00000000
夜霧の第二国道-TV東京00000000
夜霧の第二国道-TV東京にっぽんの歌19840423
夜霧の第二国道-TV東京にっぽんの歌19850325b
夜霧の第二国道-吉田正ビッグ・ショー19781031
夜霧の第二国道-日テレ19850000
夜霧の第二国道-映像と歌で綴るフランク永井10191100
大阪ぐらし-NHK歌と笑いの大阪夏まつり19800000【3】
大阪ぐらし-NHK歌謡日本百景19800826
大阪ぐらし-映像と歌で綴るフランク永井10191100
大阪ろまん-NHK歌謡日本百景19800000【4】
大阪ろまん-NHK紅白歌合戦#17_19661231
大阪ろまん-TBS歌のグランプリ19760000
大阪ろまん(ミヤコ蝶々と)フランク永井ショー19841004
大阪流し-NHK紅白歌合戦#21_19702131
大阪野郎-1961大阪野郎
好き好き好き-1960好き好き好き【2】
好き好き好き-1960好き好き好き2
妻を恋うる唄トップスターショー19770505
幼な子よ-第9回広島平和音楽祭-198200805
恋さんのラブ・コール-#15思い出のメロディー19820813
恋はお洒落に-NHK紅白歌合戦#31_19801231
恋人と呼ばせて(岩崎宏美と)ミュージック・フェア-19850000
恋人よわれに帰れ-TV東京昭和は輝いていた20210917☆【2】*2
恋人よわれに帰れ-ミュージック・フェア19850000
戦場の恋-1963同名テレビドラマから
星になりたい-1960俺は流れ星2
時の過ぎゆくままに-映画音楽大全集19821002
有楽町で逢いましょう-#17思い出のメロディー19850817【30】
有楽町で逢いましょう-1958同名映画エンディング
有楽町で逢いましょう-1958同名映画オープニング
有楽町で逢いましょう-19600000
有楽町で逢いましょう-NHKベスト200-19900000
有楽町で逢いましょう-NHK歌まつり明治百年19680000
有楽町で逢いましょう-NHK第1回思い出のメロディー19690802
有楽町で逢いましょう-NHK第6回思い出のメロディー19740803
有楽町で逢いましょう-NHK第13回思い出のメロディー19810808
有楽町で逢いましょう-NHK第17回思い出のメロディー19850017
有楽町で逢いましょう-NHK紅白歌合戦#24_19731231
有楽町で逢いましょう-NHK紅白歌合戦#33_19821231
有楽町で逢いましょう-TBS-BS2017昭和歌謡ベストテン~心に生きる1000曲のうた-19610000
有楽町で逢いましょう-TV東京19840000
有楽町で逢いましょう-TV東京懐メロ名曲集-20200116
有楽町で逢いましょう-スポニチクリエイツ-19750000
有楽町で逢いましょう-テレ東19841231
有楽町で逢いましょう-テレ東にっぽんの歌19850325
有楽町で逢いましょう-テレ東懐かしの昭和メロディー19850722
有楽町で逢いましょう-フランク永井ショー19841004
有楽町で逢いましょう-一本勝負19830000
有楽町で逢いましょう-吉田正ビッグ・ショー-19781031
有楽町で逢いましょう-吉田正異国の丘30周年19750518
有楽町で逢いましょう-思い出の映画主題歌大全集19850507
有楽町で逢いましょう-日テレ19850000
有楽町で逢いましょう-映像と歌で綴るフランク永井10191100
有楽町で逢いましょう-昭和の歌-19800429
有楽町で逢いましょう-ビッグショー吉田正異国の丘から30年19750518
有楽町で逢いましょう-TBS00000000
有楽町で逢いましょう(八代亜紀/岩崎宏美と)19770505
望郷ペペ・ル・モコ-1959同名映画
東京しぐれ-NHK紅白歌合戦#16_19651231
東京の屋根の下-(八代亜紀と)#13思い出のメロディー19810808
東京ナイトクラブ-(島倉千代子と)19820000【17】
東京ナイト・クラブ-19810000c
東京ナイト・クラブ-TV東京にっぽんの歌19821129
東京ナイト・クラブ-TV東京第15回夏まつりにっぽんの歌19840714
東京ナイト・クラブ-この人フランク永井ショー19841004
東京ナイト・クラブ-なつかしのグレート・ヒット・ソング19810102
東京ナイト・クラブ-夏祭りにっぽんの歌19840814
東京ナイト・クラブ-松尾和子ビッグ・ショー19770220
東京ナイト・クラブ-(フランク永井・青江三奈と)懐かしの昭和メロディー19850000 
東京ナイト・クラブ-(八代亜紀と)19770505
東京ナイト・クラブ-(岩崎宏美と)ミュージック・フェア-19850000
東京ナイト・クラブ-(松尾和子と)-フランク永井ショー19841004
東京ナイト・クラブ-(松尾和子と)-吉田正ビッグ・ショー-19781031
東京ナイト・クラブ-(松尾和子と)00000000C
東京ナイト・クラブ-(松尾和子と)GD-19780000
東京ナイト・クラブ-(松尾和子と)TBS00000000
東京ナイト・クラブ-(生田悦子と)-一本勝負19830000
東京午前三時-1958東京午前三時【6】
東京午前三時-NHK歌謡ホール盛り場演歌ヒット曲19820907
東京午前三時-NHK紅白歌合戦#30_19791231
東京午前三時-一本勝負19830000
東京午前三時-日テレ19850000
東京午前三時ーNHK紅白歌合戦#27_19761231
泣いちゃった-1960俺は流れ星
無情の夢-NHK歌謡ホール演歌SP80分19810825
生命ある限り-NHK紅白歌合戦#18_19671231
異国の丘-昭和は輝いていた20160708
羽田発7時50分-TV東京にっぽんの歌-19850000【3】
羽田発7時50分-TV東京にっぽんの歌19850325
羽田発7時50分-1958羽田発7時50分から
蒼い国道-1959青い国道
街角のギター-1958羽田発7時50分から
西銀座駅前-00000000【3】
西銀座駅前-1958西銀座駅前
西銀座駅前-TV東京にっぽんの歌19821129
誰よりも君を愛すー(松尾和子と)GD-19780000
赤いグラスー(松尾和子と)GD-19780000
赤ちゃんは王様だ-日本レコード大賞10周年19681227
追憶-古賀政男記念音楽大賞19810725
逢いたくて-NHK紅白歌合戦#08_19633814
遊侠一匹-1966沓掛時次郎遊侠一匹
銀座の恋の物語-(大津美子と)昭和歌謡大全集第2弾19920000【2】
銀座の恋の物語-(松尾和子と)GD-19780000
銀座ブルース-松尾和子ビッグショー-19770220【2】
銀座ブルース-(松尾和子と)GD-19780000
霧子のタンゴ-1958西銀座駅映画から【6】
霧子のタンゴ-1963霧子のタンゴ
霧子のタンゴ-1963霧子のタンゴ2
霧子のタンゴ-TV東京にっぽんの歌19840423b
霧子のタンゴ-この人吉田正ショー19820916
霧子のタンゴ-映像と歌で綴るフランク永井10191100

*1:このパターンでの表記は映画からです。
*2:「恋人よわれに帰れ」これは例外的にあげました。フランク永井を映した他の映像と組み合わせてよくできていたからです。
 GD:魅惑のゴールデン・デュエットです。
 行末の数字は、最初に放送された日付です。ただ不明のものもけっこうあり、それは00で埋めています。なお、その場合に年が再放送された年である可能性があり、後日判明した際に修正することとします。

 リストを見てわかるのは、やはり代表曲である「有楽町で逢いましょう」が圧倒的に多いです。次に「君恋し」「おまえに」です。そして盟友の魅惑のゴールデンデュエットの松尾和子と歌った「東京ナイト・クラブ」です。これは松尾だけでなく、八代亜紀、岩崎宏美、青江三奈、そして、二度とない異例といえるのは、同期デビューの島倉千代子や、一緒に番組の進行をやった生田悦子とのデュエットです。
 映像的には、妥当なのかもしれません。テレビでは、最優先がその歌手の代表曲で、やや余裕があるときに、または他の番組と比較して相違を出そうとしたとき、そしてその歌手ぼ歌唱の広さや深さを紹介するときに、ヒット曲に次ぐ曲が採用されるから、美空ひばりなどと違い、フランク永井については曲数をこれ以上望むのは無理のようです。
 気づくのは、ソース所有の放送局はテレビ東京が圧倒的に多く、NHKが続きます。数が少ないのは、TBS、フジテレビ、日本テレビです。テレビ朝日は見つかりませんでした。
 映像はあっても、ソースに関する手掛かりがまったくなかったのもあります。
 また映画「西銀座駅前」では、洋楽を歌唱しているのですが、私の知識不足で曲名の特定ができませんでした。

 フランク永井がテレビで出てくる映像は、現在なら当然ですがすべて過去の映像です。そのときに、これが最初に放送されたのは何の番組だろうと思う時があります。たいていは、映像にソースのキャプションが出るのですが、手抜きでそれが表示されない場合があります、
 このリストと比較すればある程度特定できるはずです。それで何なのよと言われりゃ、ただの自己満足です。ただ、いったい、どれほどの映像が存在するのだろうか、と単純に疑問に思ったわけです。
 放送でソースのキャプションが表示されていても、どこまで正確は難しいです。実際に疑問感じたのもありました。またファンの方で、これはどうなんだというのがありましたら、ぜひともお知らせくださると、ありがたいです。

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 フランク永井関係の動画についての続きの話です。過去に放送されたビデオやDVDや、映画のファイルと記録に、その後youtubeなどで知ったものがその元(ソース)になります。
 前回はテレビドラマの一覧でしたが、今回は主に放送された番組です。当然ですが、私個人の知る範囲であって、すべてを網羅することは不可能だと思います。
 映像が映画やテレビで登場する時代と、フランク永井が活躍する時代は重なります。

1968-1227-TBS日本レコード大賞10周年記念音楽祭 
1975 0802-NHK第7回思い出のメロディー 
1975-0105-NHKビッグショー藤山一郎 
1975-0127-夜のヒットスタジオ「たった一度の愛の言葉」 
1975-0518-ビッグショー吉田正異国の丘から30年 
1977-0500-TBSトップスターショー歌ある限り 
1978-0000-魅惑のゴールデン・デュエット 
1978-1031-ビッグショー吉田正作曲生活30周年 
1980-0000-NHK昭和のうた 
1981-0322-NHKFM日曜喫茶室 
1982-0000-ザッツ・エンタテインメント 
1982-0802-夜のヒットスタジオ 
1982-1000-昭和歌謡 
1983 0813-第15回NHK思い出のメロディー 
1983-0000-秋の演歌一本の勝負 
1983-1231-日本レコード大賞25周年記念 
1984-1004-NHK-この人フランク永井ショー母あればこそ 
1990-0000-NHK新春に贈る昭和の歌~心に残るベスト200曲 
1995-0000-フジテレビ・ミュージック・フェア 
1995-0000-VIVL-164_にっぽんの歌ビクター編 
1997-0000-VIVL-190_にっぽんの歌ビクター編 
2006-0200-NHK昭和歌謡黄金~ランク永井ヒットメドレー
2007-1104-昭和歌謡黄金時代~フランク永井・松尾和子 
2009-0301-歌伝説~フランク永井の世界 
2012-0810-懐かしの昭和メロディ#9テレビ東京 
2013-0000-NHKあの人に会いたい~フランク永井 
2013-0529-BSTBS関口宏昭和歌謡グラフィティ~ムード歌謡 
2013-1016-BSTBS-徳光名曲にっぽんフランク永井 
2015-0500-歌碑物語有楽町とおまえに 
2015-1000-昭和平成をあやどる名曲SP 
2016 0601-BS11あのスターにもう一度逢いたい#8~フランク永井ムード歌謡で日本を酔わせた男 
2016-0224-懐かしのフランク永井映像選集 
2017-0000-TBS-BS昭和歌謡ベストテン~心に残る名曲集 
2017-0200-昭和は輝いていた~昭和歌謡黄金時期物語3時間スペシャル 
2017-0800-BS11あの人に会いたい~松尾和子 
2017-0815-あの年この歌~時代が刻んだ名曲たち「ムード歌謡スペシャル」 
2017-1023-BS11あのスターにもう一度会いたい~フランク永井低音の魅力 
2018-0000-愛媛しまなみ海道南海放送 
2018-0227-BS11あの歌この歌~時代が刻んだ名曲たち前半1961年 
2018-0410-テレビ東京懐メロ~ベテラン総出演(年代、曲、タイトル不明) 
2019-0117-昭和偉人伝フランク永井・坂本冬美 
2019-1100-映像と歌で綴るフランク永井ベスト 
2020-1106-テレビ東京懐メロ(昭和40年まで)名曲集Part1 
2021-0602-日本歌手協会第7回歌謡祭 
2021-0709-武田鉄矢の昭和は輝いていた~悲恋・未練・道ならぬ恋の唄 
2021-0814-新・BS日本のうたスペシャル~作曲家吉田正生誕百年記念コンサート 
2021-0903-徳光和夫の名曲にっぽん<吉田正生誕100周年> 
2021-0917-武田鉄矢の昭和は輝いていた~フランク永井 

 先頭の数字は、年月日です。0000は日付が判明していないものです。
 フランク永井が出演しているということです。中にはフランク永井がナビゲータを勤めているというものもあります。これらの番組では、すくなくとも、1曲は歌っています。
 1985年末に出演は基本的に終わっていますが、その後にも、リアルタイムで放送されなかった映像が取り上げられています。だが、多くは一度放送された映像の再使用となり、オリジナルとダブっていないかを確認します。
 一つの番組(ソース)で、フランク永井が複数歌っている場合は、それぞれについてダブりの確認が必要です。現時点ですべての確認は終えていませんが、ソースの数を超えた数があります。
 近年というか、現在にNHKを始め放送される番組は、ほとんどがこれらに含まれるわけですが、たまに、レアなこの情報にないのが含まれるときがあるので、要注意です。
 調査の結果がほぼ判明したら、また、ここで報告したいと思います。

 番組は特別に、NHK紅白歌合戦があります。フランク永井は1957年の第8回から1982年の33回まで連続26年出場の記録があります。
 別項でも触れましたが、初期の音声や映像の記録は、NHK自身が所持していなくて困ったものでした。その後、国内国外に呼びかけて、最終的にほぼすべてを得たようです。だが、フランク永井については、私の調査結果では、実際に閲覧で制限があるのは、次の通りです。

 1957(S32)第 8回 東京午前三時   音源映像なし
 1958(S33)第 9回 西銀座駅前    音源映像なし
 1959(S34)第10回 俺はさみしいんだ 映像なし
 1060(S35)第11回 東京かチート   映像なし
 1961(S36)第12回 君恋し      映像なし
 1962(S37)第13回 キリコのタンゴ  映像なし
 1971(S46)第22回 羽田発7時50分   映像なし

 テレビ放送が始まったのは1953(S28)年でもまだテレビの普及が限られていて、もちろんビデオ録画の環境などありません。カラー放送は1946(S54)年ですが、カラー受像機の普及は後になります。録画は8ミリなどを使うしかありません。またNHKが海外への宣伝でフィルム撮りして、外国の大使館に提供していたという記録もあります。
 フランク永井映像はすべてあるはずですが、それがみられるときが来るのを期待して待ちます。1971年の保存版は著しく映像が悪いとも聞きます。
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 フランク永井の動画関係の情報を整理しています。その過程でいろいろと気づいたことを、すこし書いてみます。
 映像関係には、ひとくくりでまとめられないことがあります。最初は、よくyoutubeで発信されている映像を観て、あまりにもさまざまあったので、これは整理しなければと思ったものです。
 ここでは、歌唱、つまり曲が単位で、フランク永井のトークなど焦点をあてたものではありません。
 多くは、テレビでの音楽番組で放送されたものからの切り出しです。フランク永井が活躍時に出演した番組が、もともとのソースになりますが、それ自身はあまり多くありません。大雑把に、手元で確認できるものだけでは40本程度です。
 舞台を降りた後は、そのオリジナル・ソースを切り出して二次利用しています。番組での過去の映像を挿入したもので、一曲が1分から長くて②分程度のものです。
 テレビ時代ではスピードが優先されて、多くは曲の一番だけが多く、しかも前奏は省略されているのが普通です。雰囲気が伝わればいいという番組制作側の意図です。
 歌番組として、歴史をたどれるのは、NHK紅白歌合戦があります。これは何度かこのブログで紹介しています。初期の頃のは映像、音声が確認できない(NHKにはあるようですが)のもありますが、ある程度揃います。
 映像ソースは、厳密にいえば、テレビの歌番組以外にもあります。一つは、出演した映画です。日活、大映、東宝、東映、松竹など各社の映画に出演しています。これは追って記載します。
 ここ数年ですが、フランク永井の属したビクターからの企画で、CD-BOXなどにDVDが付属して公開されました。それが数枚あります。オーソライズされた良質の映像が楽しめます。

 そうしたような外観で、まず映画やテレビドラマの主題歌、挿入歌というのを調べてみると、やはりさまざまなことが見えてきます。
 「ばらの刺青」はデビュー三作目のレコードです。パラマウント映画の主題歌と記録されています。映画でも洋画と日本映画があります。洋画は当時日本に輸入して日本版にする際に、今でいう日本語のアテレコはないのですが、タイトルや主題歌について、日本語の歌を入れ替えるようなこともあったようです。

 「望郷(ペペ・ル・モコ)」
 「恋愛候補生(I'll Remember Tonight)」
 「縛り首の木(The Hunging Tree)」
 「勇者のみ」
 「戦場の恋(ギャラントメン)」

「戦場の恋(ギャラントメン)」はNETテレビ放送です。
 映画については別項にします。フランク永井が人気を得るに伴って、次つぎに映画がつくられました。これはおよそ30本弱あります。映画が一段落すると、世はテレビの全盛時代となり、テレビドラマの主題歌、挿入歌への関与が多くなります。
 1963年洋画「戦場の恋」が最初です。続いて国内のドラマです。以下のようなドラマ主題歌に関与しています。

1964 振り向けばひとり(TBS)
1964 この河の流れに「悲しい人が去って行く」(松竹テレビ映画)
1964 男なら/誰を愛して(TBS)
1964 抱いて抱いて(フジTV)
1965 水のように/幸せひとつ(関西TV)
1965 波浮の港(TBS)
1966 午後の微笑「別れのテーマ」(東海TV)
1966 事件記者「ブン屋小唄」(NHK)
1966 青春怪談「かわった恋」(TBS)
1967 船場「船場ごころ」(関西TV)
1967 雨の慕情(東海TV)
1968 堂島(関西TV)
1971 こいさん恋唄(朝日放送)

 これらについては、ドラマの映像が確認できません。だが、レコードはしっかりありますので、14曲ほぼCD一枚分たっぷりと楽しめます。
 これ以外にも「関西もの」「大阪もの」に関係したドラマがいくつかあったようですが、詳細についての情報がなく、確認できません。
 また「事件記者」に見られるように、テレビで人気がでると、他局が別版を作ったり、映画になったりします。追うときりがないです。
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 フランク永井の曲は毎日聴いているのですが、ふと思うと、聴き方が以前とずいぶん違ってきたものです。
 子供のころ、聴き始めたのはラジオでした。当時は娯楽はラジオ中心でした。家に一台あり、兄の仕事用の車にあり、あと一台トランジスタ・ラジオがありました。
 しょっちゅう聞いていたということではないのですが、農家だから田畑へ仕事に行くときも所持していって、休憩時など聴いていました。通学時にときどき兄の通勤に合わせて同乗していつときは、いつも聴いていました。
 印象は、流行歌がいつも流れていたようなことです。三波春夫、美空ひばりは多かったような気がします。
 東京に出てからはビクター製のポータブルのプレーヤーを買いました。電池を入れれば休日など外に出ても使えました。当時はやっていたのはソノシート盤ですが、日射に当てて、炙ったイカのようになって、盤が使えなくなったのを思い出します。
 義理の兄の家には、高級なステレオ装置があって、居間で聴くのが楽しみでした。ここでの記憶は、左右のスピーカーから音が分離して聞こえるというのにびっくりしたことです。レコードはずいぶんあったのですが、兄の故郷出身の岸洋子のLPが何枚もありました。
 また、新宿や吉祥寺にあった歌声喫茶に通っていたのですが、そこに演奏の一員の友がいて、歌っていたのは上条恒彦です。兄の家には彼のアルバムもありました。ファースト・アルバムです。ここには、故郷の歌「最上川舟歌」が入っていて、これが理由だったようです。若い上条が歌う「さとうきび畑」などの反戦歌がよかったです。
 横道にそれますが、私の結婚式にその気があるなら連れてくるけどと誘われました。だが、私は「有名人」の光を利用する気になれず、遠慮した覚えがあります。もちろんファンだったので、その後も彼の歌を聴いたり、アルバムを折ったりしました。
 そのうちに、仕事が忙しくなり、カセットに全面移行しました。自宅にはラジカセ、外ではいわゆる、ウォークマンのようなテープ・プレーヤーで聴きました。これは、壊れもしましたが、何台も買い換えた覚えがあります。
 当時から、貧弱なアパート住まいでは、音が出せなくなりました。スピーカーなら低い音で聞くしかないのですが、高い音も低い音も聞くには、しょっちゅう音量を変えなければならず、ついに、イヤホンに頼るようになったのですが、やはり、耳が塞がれる感覚はなかなか慣れずに困った時代でした。
 そのうちに、時代はCDがメインに移ります。ちょっと高価なものでしたが、すぐに飛びつきました。何せ、驚いたのは、音のクリアさです。以前は好きな音楽やフランク永井の曲でも、周囲の騒音、雑音と一体で聴いていたのが、私の常識だったので、CDの音のクリアさに接して、時代の変化を実感しました。
 フランク永井の初CDの一つである「CDファイルVol1~3」はすぐに買い求めました。
 CDの全盛時代は何年も続きました。
 その後で訪れたのは、インターネットの普及で、それに伴い「ダウンロード」と「ハイレゾ」です。つまり、アナログのレコードやテープからデジタル化への移行です。
 ハイレゾについては、これまで何度か書きました。単に私の耳のレベルでは、その良さを実感的に受け止められませんでしたが、CDよりも表現幅が広がったようだという程度です。
 ハイレゾ音源は、もとの音源作成時からのもの、CD音源をハイレゾにするもの、聴く装置でハイレゾにするものといろいろあります。音源、装置、イヤホンとそろわないとハイレゾの効果を享受できません。
 私は、そうした過去の経験から、現在は主として、散歩時と就寝直前に、イイ音に接しています。いや、散歩中は携帯からの音で、周囲の音と混じるのでイイ音とは言えませんが、アルバム一枚程度は楽しめます。ほぼ、毎日行っています。
 周囲の音が静かで満喫できるのは、いつもではないものの、就寝前のひとときです。ちなみに、現在は、写真のごとく、SONYの装置+ビクターのイヤホンです。これで、満足しています。
 フランク永井のほぼ、全曲を入れています。フランク永井の音源は、数年間までにはレコードから用意したものでしたが、2016年に「懐かしのフランク永井BOX」で、ほぼすべての曲がデジタル化で提供されたので、この時期に音源をCD音源にしました。
 あと、ビクターではハイレゾ音源を一部提供しだしていますので、そこから得たのも利用しています。
 それは、写真にある「ステレオ・ハイライト」シリーズ全6巻です。他に「オール・オブ・ミー」などがリリースされている。
 フランク永井が残した曲は800曲程度です。私は一通りは聞きましたが、すべてを記憶に留めているわけではありません。静かにひとりで聞いていると、ときとき、あれっと感じる時があります。慌てて、スイッチを押して曲名を確かめたりします。
 あまり流行らなかった曲です。聴く機会が少なかった曲です。シングルで発売されていなくて、アルバムだけに挿入されているような曲です。どれ一つも手抜きしているわけではないので、歌は確かでも、時代に合わなかったのでしょう。
 フランク永井のアルバムでも、ビクターから最近ハイレゾ・デジタル化で出された「ステレオ・ハイライト」シリーズ(1964~1966)ですが、ここに「東京ラブタイム」があって、この曲は最新のアルバム「日本の流行歌のスターたち~フランク永井Vol2」に収められています。
 「東京ラブタイム」はシングルでは出ていません。「ステレオ・ハイライト」第3集で出たものです。一度聴けば、印象に残るいい曲です。フランク永井の高音の美しさが確認できます。
 このように、このシリーズにはここだけの曲が何曲も収められています。第1集は、フランク永井のヒット曲のステレオ版を集めていますが、第2集からは2~4曲のレア曲を17
曲を収めています。

 第2集:新大阪小唄、さすらいの雨が降る、男、頬をよせあい灯をけそう
 第3集:東京ラブタイム、郷愁、愛する
 第4集:琴の雨、夢のワルツ、東京バカンス
 第5集:あの娘は何処に、悲しみのスーツケース、夜の歌
 第6集:小指、もんく、長いまつげ

 「ステレオ・ハイライト」シリーズは、それ以前に発売されていたモノラル盤「魅惑の低音」シリーズ(1958~1964)に続いたシリーズものです。
 また、1961年からビクターのオムニバス版の「魅惑のオール・スターズ」というシリーズが出ています。この盤では、フランク永井は1曲だけですが、ここでも、シングルではだされていない曲が収められています。
 こうしたレアな曲に出会うと「こんなの覚えてないな」と、フレッシュさを感じます。自分の記憶のいい加減さが、適度にフレッシュさで脳を刺激するというわけです。
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 フランク永井にだけ焦点を当てた番組というのは、そう多いわけではありません。テレ東BSのこのたびの作品はそのなかでも、大変優れた作りの番組であったと思います。
 永久保存版として録画を取りました。
 本筋の冒頭に1958(S33)年4月号の「明星」の2色刷り特集「男性No1」を紹介しています。ゲストの小西良太郎はこれを見事に表現しました。当時の大衆の娯楽のトップは流行歌、映画、スポーツで、そのトップに君臨するのがこの3人だと。これは名言、まさに当時の若手三人の人気を語っています。
 この番組では、フランク永井の生涯について、きちんと、丁寧に紹介しています。しかも、フランク永井の生誕地である宮城県大崎市松山のフランク永井展示室(常設)をロケして、貴重な展示品の数々を紹介しています。また展示室を出ると目に飛び込む「おまえに」の歌碑も追っています。
 「おまえに」をフランク永井が3回も吹き込んだ理由について、恩師のただならぬ推察力、弟子への信頼の深さが、小西から語られていました。
 とうぜんこのシーンは「おまえに」の歌唱シーンで使用されています。そして恐らくですが、初めて「おまえに」の最初の音源が、最後の音源と比較するという形で紹介されています。2回目以降の歌唱と一か所だけ歌い方が異なるのが確認できます。
 番組制作者の丁寧さに驚いたのは、恩師吉田正がフランク永井に提供した曲数を139曲だと具体的に上げたことです。正確な数字は実はデータブックでも明らかにしていないのだが、それは未発表も含めて全数が読めなかったことにつきますが、データブックでも142程度数(ダブりやカバーなど微妙さを含んで)えられます。
 歌碑と言えば有楽町のイトシア横に建てられている「有楽町で逢いましょう」碑があります。この碑も取材されて「有楽町で逢いましょう」の歌唱で使用されています。
 この度の番組の制作陣(KKオールアウト)が、フランク永井のデビュー曲である「恋人よわれに変えれ」を紹介する際に、国会図書館に保管されている貴重なSP盤を利用されていることです。フランク永井の番組制作にあたって、その姿勢がいかに敬意をもって当たっているかが察せられます。
 同様に、番組のユニークさを際立たせているのは、ゲストに田代美代子を読んだことにもあります。吉田正やフランク永井番組で過去に登場した方々を安易に呼びませんでした。フランク永井と直接の接触があれば、当然ご本人なられはのエピソードをお持ちです。ただ、現在は、残念ながらフランク永井と近かった方々の多くは彼と同じ世界に行っていますので、多くはおられないのですが、何とフランク永井とデュエット曲を残している田代に焦点をあてたのです。
 そして、その「今宵だけのパートナー」の音源が披露されました。テレビでの披露は初めてではないでしょうか。これを嬉しく思うのは、田代ご本人だけではないはずです。今回のゲストでの振る舞いもそうですが、田代の素朴で率直な人柄がわまるように、ファンは多く、きっと大いに感動したことでしょう。
 歌謡曲の放送については、その量においてきっと最大を誇るのではないかと思いますが、それでもフランク永井の映像は限られているため、多くはフランク永井が舞台を降りる数年間の映像が多く出たと思います。大半は過去の番組で流れたものが多かったのですが、最後を飾った「六本木ワルツ」は、やはり1985(S60)3月25日放送された「にっぽんの歌」からのものです。この曲の映像はもう一つあるのですが、この度のほうが気に入っています。
 放映直後に親しい方から連絡をいただきました。いい番組味であったと、感激を共にしたのですが、鋭い指摘もされていました。それは、フランク永井の最後の何年かの歌う映像には、寂しさがまとりついていると。常々感じていたのだが、今回の番組での映像をみて、改めて実感した、というものでした。
 私もそのように感じていました。まず、歌唱の音程ですが、彼の特徴は「魅惑の低音」と言われますが、そうキーは低くないんですね。それが低音にグッと移動しています。彼の声の特徴は「聞いた人に低音に聴こえる」というまれな性質をもつもので、これが他の歌手が追随できない理由になっています。
 低音から高音にシームレスで一直線に伸びているという特徴です。ちょうど美空ひばりが通常から裏声にシームレスで発生できるようなものです。この特性が、喉のポリープなどのことから、かつてのような澄んだ音が出せなくなったのですね。
 歌一本に生命をつぎ込んできた歌手にしてみれば、声が出せないことがどれほどの負荷になったものか、想像にあまりあります。それを知らぬわけがない一部のマスコミが、何年も前のゴマ粒ほどの良からぬ噂をとりあげ、こぞって彼を貶めた罪は深いと思います。
 知人のご指摘のとおり、1985年に至る映像に残されたフランク永井の表情は、やはり暗くもの悲しげでした。だが番組は、スカッとした青空を写していました。
 テレ東の番組スタッフの皆さん、ほんとにうれしい番組でした。感謝を申し上げます。これからも、いい番組をよろしくお願いします。

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