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 前々回の続きのようなもので、映画の話。しかも渡哲也主演のヤクザ映画シリーズのことなので、任意にパスしていっこうにかまわない話。
 「殺せ(バラせ)」は、無頼シリーズの第6弾とのこと。例によって、今は女優界の重鎮でもある松原智恵子が初々しく登場する。ストーリィは特に紹介しても仕方ないので触れない。が、一時期西部劇映画の亜流というか変形というかで、マカロニ・ウエスタンというのがあった。テーマは勧善懲悪に近いのだが、とにかくドライ。それだけに、残忍なシーン、むごいシーンが遠慮なく登場する。
 それに勝るとも劣らないのが日本のヤクザ映画だ。映画会社によって、やや傾向が異なるようだが、殺しのシーンはすざまじい。これは、きれいごとばかりが横臥する「現在」ではムリ。よくぞ、当時ここまで描いたものだと、妙に感心。主人公はどっぷりとその世界に漬かり、抗争で何人ものヤクザをバラしてきた。だが、映画でのスジは、若いものがその世界に足を突っ込み、鉄砲玉で犠牲になるのを嫌う。まっとうな社会で長生きしてほしいと望む(が、たいていは「アニキ!」と渡を慕いながらバラされていく)。
 自分を世話した先輩や少しでも恩義を感じるものには、身体を張って恩に挑むという正義(どこが!?)漢。初心な松原智恵子が好きになるような。。。
 映画後半で、義理を貫き、先輩をバラした抗争相手の汚いボスらをバラす。この山場のシーンにかぶさるのが、主題の麻生レミが歌う「君恋し」。実はこのシーンは十数年前にYouTubeを観て知っていた。フランク永井の歌った楽曲を追っていたときに発見したものだ。麻生レミは存じ上げないが、ロック歌手で、内田裕也とも組んで活躍していたとも聞く。
 映画では、バラされるヤクザのボスがディスコのようなところに行く。激しくウルさいバンドが耳障りで、店のオーナーに「懐メロをやれ」と命じる。そこで、ロック風の「君恋し」が歌われるという設定だ。
 映画挿入歌として、この場面で「君恋し」というのは、私には理解に苦しむが、聖作サイドにはちゃんとした設定があったのかもしれない。
 麻生は日活映画の挿入歌に相当関与していたようで、その後CDアルバムを出している。
 さて、今回話題として取り上げたのは、前回と同様映画でお世話になったWさんから、無頼シリーズのすべてを見せていただいたことによる。大変感謝を表したい。ご存知のように、日活も東映もヤクザ・任侠映画の全盛を築いたが、時代の流れとともに終りを迎えた。人気を博した主人公を演じた渡哲也は、石原裕次郎の西部警察シリーズとかに足場を移動していく。
 その渡が2011年、TBSシアターで「帰郷」に主演している。流れで、この映像もWさんに紹介されて鑑賞した。
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 まぁ、どうでもいい話を少しだけ。
 コロナ禍で、在宅が多いと思われる。ステイ・ホームはそのまま在宅だが、ずっと家に自分を軟禁するのは良くない。少しの時間でも散歩がいい。新型コロナウイルスで結果的に明らかになった(らしい)ことがある。
 それはビタミンDの効用だ。ビタミンDは日光に当たることで体内にできるという。ステイ・ホームしたまま閉じこもっていてはダメ。黒人などは意外に皮膚が日光をはね返してビタミンDが少ないとのこと、結果新型コロナにかかりやすい。
 もう一つは、日本株のBCG接種だという。確かに根拠は不明だが、BCG接種国は感染者が少ない。。。。などということを、ヒマに任せて知ってしまった。
 そしてこの間、ヒマに任せてやったのは、Amazon Musicでフランク永井を聞いたことだ。Amazon Musicは6500マン曲を聴きたいだけ聴けるというのだから、環境がある人にはいいツールではないかと思う。
 私が最初にそれに接したのは、Amazon Echoという商品にあってからだ。これもドジな話だが、家庭でのPCはノードパソコンを使っている。音を出す音楽を聴くにはスピーカーが弱い。イヤホンの利用も多いが、遜色なく聞きたいと思っていた。
 そこで外付けのスピーカーを買おうとした。ドジはこれ。そのあたりをちゃんと調べもせずに買ってしまったが、これは外付けスピーカーではない。まぁ、しゃぁないとのことで、しばらく遊んだ。「アレクサ!」とこいつに向かって呼びかけるのだ。「今日の天気は?」とか「今日のコロナはどうなった」とか。
 まともな質問には、そこそこ返事してくれる。だが、調子に乗って「パソコンの電源を消しておいて」とないうと、指示を解釈できないとか、機器接続の環境にないと起こる。まぁ、仕方ないことだけど。インターネット先にあるAIデータベースが頭脳として判断して応える仕組みだとのこと。
 それをふいと尋ねてくる息子が、オレはGoogleのを使っている、こっちの方が利口だから、それを使ったらと、余計なお世話をして持ってきた。
 基本は同じだ。こちらは「オッケー、グーグル!」と声かける分だけの相違だ。朝に「OK Google, おはよう」と呼びかける。すると、さまざまなニュースをしゃべってくれる。ほんとにどうでもいいんだが、天気予報とか聞けば、住む場所の予報を教えてくれる。
 遊びだ。特に関心などしない。機器の接続がサポートされる環境であれば、周辺機器の管理を声でできる。ちょっとしたスマート・ハウスだ。その環境にはないので、私の場合は「いつも、フランク永井をかけて!}だ。
 フランク永井のカバーアルバムがソースで、それをランダムに演奏してくれる。BGMとして利用するのはちょうどいい。
 さて、ヒマだとテレビをつける時間も気持ち多い。だが、何十年も日中にテレビを観る習慣がない。とまどう。何かメロドラマ、刑事ドラマの再放送とか、モーニング・ニュースのようなものが多い。ニュースは曲側がこれは皆が関心あるに違いないと、勝手に考えたことを流している。ピントがずれている(こっちかも)か、ゲットしたくない情報が垂れ流される。やはり、私には合わない。
 そんなときに、何年か前に購入して付けたままで忘れていたのが、Amazon Stickだ。テレビに装着するだけで、無償・有償の映像が楽しめるというのがウリだった。実際に運用したのは、好きな西部劇を見たり、時代劇を見たりだった。が、例によってすぐにやめた。やはり、コンテンツで関心があるものが、そうそうあるわけでないことに気づいたからだ。
 その一度見放したツールがテレビについているのを思い出し、テレビに映してみた。実際にシンプルな機能なのだが、細かいこと例えばURLを入れるとかは面倒だ。それをサポートしてくれるのが、音声認識機能だ。付属のリモコンに声でしゃべってみるのだ。
 後述するが、慣れるまで難しいところもある。つまり、私の場合は自分の適応・シンパ力が突き当たると、すぐに放棄するという性質から相性がよくないようなのだ。
 そんなことから、安易に、Amazon Musicに入り、バカの一つ覚えのように「フランク永井をかけて」と。画面に次つぎと歌が流れる。先のEchoなどと比較したら映像がテレビにでるだけの相違。あ~ぁ、などといいながら、しばらく鑑賞した次第。その映像といっても、単に歌を紹介した静止画だ。
 だけど、そんな楽しみ方があるんだ。好みと環境に応じて利用したらいいんだ。というのが、お話。まだやっていないが、PCのブラウザでも同様にできるに違いない。
 そうそう、最後に、ふと気になったことというのは、いまコロナ禍の最中に議会でも論議されている法案だという「スマート・シティ構造」。すでに中国の武漢とか深圳ではある程度実現されているという。家庭での生活感情は、まさに声で指示すれば何でもできる。自動車を含めた移動手段は夢のような安全な環境になっているという。
 だが裏を返せば、全住民の24時間が完全なAIの管理下にあるということだ。スマートはまさにAIと同居するということ。これがジョージ・オーエルの描いた「1984」の世界と、AI管理の流れを警告する主張もある。携帯の音声認識機能もそうだが、家庭での密言まで24時間聞かれているって、けっして気持ちいいことじゃないな、などとも思う在宅でした。
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 前回に引き続き、今回も映画のお話。1968年封切りの「無頼無情」という作品。渡哲也主演、松原智恵子が恋人?役で登場する、きわめて荒っぽいヤクザ映画。この映画を教えてくださったのは、前回と同じWさん。この映画の後半の乱闘シーンで、藤江リカが「夜霧に消えたチャコ」を歌っているぞと。
 やくざ映画は置いといても、フランク永井の放った歌が映画で使われているというのは逃せない。Wさんからお借りして早速に観てみた次第。
 「夜霧に消えたチャコ」が映画の挿入歌で使われているというのは、別項で若山富三郎の「現代やくざ与太者の掟」を紹介したことがある。それに続く新発見ということで期待いっぱいで鑑賞。
 今回は藤江リカという女優が歌っている。そう、女性が歌うというのは珍しいし、どう歌いこなすのかというのも期待だ。
 実はWさんの紹介がなければ、わたしは観ることはなかった映画。渡哲也が主演で活躍する、映画のなかの、ヤクザの世界でだが。確かにあの時期、純情シリーズで走る日活もそうだが、東映も他の映画会社もやくざモノは大量に作られた。ほぼ切りがないほどだ。後にこの分野はすたれる。洋画でも「ゴッド・ファーザー」とかともかく映画でのヤクザやギャングの活躍はめざましく、その世界を全く無縁で生きてきた?人たちも、これでその世界を知ったものだった。
 それが「反社会組織」のレッテルが張られて、自主的に退陣していく。後の社会派、あるいはロマンス派、喜劇派の人気俳優でも、この時期みなヤクザ映画にひっぱりだこだった。高倉健、菅原文太、裕次郎、小林旭、鶴田浩二モロモロ。昭和歌謡の大御所美空ひばりは、山口組の岡田会長を慕い用心棒?のように離れずだった。いくらマスコミや社会から非難されても、旗はさげなかった。
 映画でもそうだが暴力団とひとくくりにして反社会勢力と決めつけて排除に走るが、誰ものイメージするような悪事をするものと、あくまで任侠でいくという勢力がある。後者は社会(お上)が見捨てた民の存在を、黙って救い上げてその世界を作っているという側面があると言われた。
 映画ではその人情、義理にスジを貫くという主人公の心意気が強調される。それを通すためなら情け容赦ない、という姿が、映画館に足を運ぶ人の心を揺さぶる。殴り合いとかドスでの切りあいとかは、チャンバラものと同じで愛嬌として必ず登場する。映画を観る人の印象に残るのは、この惨殺シーンではない。やはりスジを貫く精神と、ケンカでの強さだ。
 主人公はときには卑劣な敵と遭遇し、騙され、裏切られ、痛い目にあう。ときには死の直前までの痛手も追う。兄貴と慕う子分が無残に犠牲になる。そのけじめは絶対つけるのだと主人公は決意し、死を覚悟で敵陣に切り込む。。。。
 映画を観ていて、主人公に心を奪われていく。洋画でもそうだが、主人公はギャングであったり、群れを嫌う大泥棒であったりするのだが、観ていて、いつの間にか、主人公に同情したり、うっかり応援したりしてみう。まして、純情無垢そうな松原智恵子のような人が必死に寄り添おうとするのをみると、悲壮な結果は眼に見えていても、心情が寄っていく。
 つまり、平常心を失い、その場での感情の盛り上がりに誘導されてしまう。どろぼうでもヤクザでも、いつの間にか支持、応援、賛美する気持ちが誘発されて、それを制御できない自分がいる。
 エンターテインメントの本質的な機能なのだ。
 現在進行形の新型コロナ禍にも、同じような現象が感じられる。連日お上は新型コロナの恐ろしさを訴える。とにかく家にいる(ステイホーム)が推奨される。感染者数の報道がなされるたびに、びくびくする。医療崩壊となったらそれこそ終りになるとして、自分はどうかなと思っても病院は受け付けてくれない。検査もしてくれない、というのだから異様だ。
 このお上とマスコミの報道は強烈で、世界的な経済活動の歴史上かつてない停止が成されている。
 だが待てよ。インフルでもなんでも病気は患者の数とか死者の数やその詳細が報じられる価値があるのに、分母としての検査数を超えることがありえない感染者数がこれでもかと報じられる。何か違うのではないか。これは、映画と同じで、人びとに植え付けるパニックという恐怖心が蔓延状態にあって、人間が生理的に反応する思考の委縮(緊張すると欠陥が委縮して血流が悪くなり、思考が浅くなり、提示されるのをたやすく受け入れる傾向が生じる)が、起こっているのではないのか。
 私は直接経験していないが、戦争がまさに、同じだったのではないのかなと。
 この映画を観ていろいろと考えさせられるものがあった。
 さて、対立するヤクザ組織との最終的な大決戦という乱闘シーン。それに「夜霧に消えたチャコ」の切ない歌が重なる。何か、妙に、心情に重なるものを感じる。他の人の話によれば、ここで切々と歌う藤江リカの実際の歌唱ではなく、どなたかが歌ったものでアテレコだというが、実際はどうだったのか。おそらく、映画の製作に直接携わったひとでなければ、もう分からない。
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 フランク永井が出演あるいは主題歌を歌う映画について、私が確認しているものを順次ここで紹介してきた。23本あった。さらに映画の場面でフランク永井の歌を歌う2本。
 これで全部だろうかと思っていた矢先、映画を取り上げるたびに資料や貴重なエピソードを紹介してくださったWさんが、またまた情報を寄せていただいた。
 それはフランク永井の歌った「大阪野郎」の、松竹制作映画がCS「衛星劇場」で放映されるという情報。さっそくにその録画を鑑賞させていただいた次第。
 「大阪野郎」については、その作曲家斎藤超についてこのコラムで取り上げさせていただいたことがある。いままで見たこともない、溝が内側から外側へというSPレコードについてであった。
 「大阪野郎」は関西地方のテレビドラマとして放映されたということは承知していた。主題歌は当然フランク永井の歌唱だ。それが映画まであるとは知らなかった。そうなれば、どんなポスターだったのかとか、どんな映画なのか知りたいのは当然。期待を膨らませて、鑑賞させていただいた。
 1961年、松竹、92分、モノクロ。どうも出演者はテレビとは異なるようだ。今では知らない人も多いかと思うが、主演は当時人気の大木実で、共演者は例によってすごい。若い伴淳三郎、藤山寛美、浪花千栄子、曽我廼家明蝶といった面々だ。当時は映画やドラマで大活躍した俳優陣だ。
 映画内容は「娯楽現代劇」という当時の紹介なのだが、テーマは実に重く暗い。それを喜劇役者たちが、笑いとペーソスで色を付けているのだが、当時の社会のほとんどありのままといえるような一面をズバッと切り込んだものだ。
 戦争が終わって15年後のもの。米軍機がときどき轟音で空を横切る。女子を売る、買う、いたぶる。薬漬けに性病といったテーマが隠さずでてくる。それに妹をさらわれて失った主人公(佐多=大木実)が、探しに通天閣の周辺に出ていく設定だ。終末も悲しい。社会的テーマの深い作品と感じた。
 1961年松竹 劇場公開日 1961年5月9日
 監督:大曾根辰保 /原作:椎名竜治 /脚本:本山大生
 衛星劇場のこの映画についての説明でも触れているが、当時放送されていたテレビドラマの人気から、別のスタッフで映画化に及んだとのこと。テレビで連続ドラマが放送されていたとのことだが、私にはまったくその実態を知らない。ネットで探してもなかなか詳細は分からないのだが、ずいぶん前にサイトから得た内容がコピーで保存されていた。それを記録として、そのまま下記に紹介しておきたい。
 キー局はYTVで毎週火曜日22:30-23:15。1960/04/05~1961/09/26に26回放送されていた。出演者は中村扇雀(2代目)、(中村鴈治郎(3代目)、坂田藤十郎(4代目)、扇千景、入川保則、遠藤太津朗、伊吹友木子、江並隆、松居茂美、海老江寛、園佳也子、淡島千景、浪花千栄子といった豪華なもの。もちろん主題歌はフランク永井で、以前に紹介した珍SPはここで使用されたものと思える。七ふく製薬の提供。
 テレビドラマの放送が開始されたときの、今では考えられないようなエピソードが記されていて貴重だ。脚本家藤本義一とのからみなどの謎が紹介されている。
 【バイタリティあふれる浪花男の心意気をドヤ街を舞台に、痛快に描く根性もの。
 宝塚映画出身の荻野慶人が手がけたヒット番組。荻野のテレビ移籍に協力しようと主演の中村扇雀・扇千景夫妻をはじめ宝塚映画での常連出演者(淡島千景、浪花千栄子、万代峯子)が出演を快諾した。
 1961年には本作を下敷きに映画化もされた。宝塚映画から讀賣テレビに移籍した荻野慶人の代表作といえる作品だが制作時は苦労の連続だったという。
 「希望を持ってテレビ界に飛び込んだものの、初期のテレビ界は全盛の映画に比較すると「月とスッポン」ほどの差があった。ドラマを作るにしても、まず役者は揃わない、映画人のテレビ出演など考えられなかった時代だ。
 三十分のドラマはカットなしの生本番、生放送である。ワンカット、ワンカットで撮影し、作り上げていく映画と大違いの作業に荻野は戸惑ったものである。荻野の代表作ともいえる『大阪野郎』の放送の時であった。
 彼が探してきた個性の強い悪役の天王寺虎之助という性格俳優がレギュラーで出演していた。彼の役柄は敗戦後のブラックマーケットに暗躍する極悪非道の敵役。
 ある回のラストシーン近くで、せりふを忘れた天王寺、一瞬呆然とした挙句に照れ臭そうにニコリと笑ってしまったのである。生放送ではないにしても、撮り直しということになるとファーストシーンから全部やり直すことになる。
 だが、予算面を考えてもそれは不可能なことだ。苦境に立たされた荻野が考えたことは、それは次回から彼の役の設定はすべてを変えるということであった。これならば決定的なミスとはならない。
 早速、シナリオライターと相談した。その結果、次回から天王寺の役柄を極悪非道は仮の姿、実は根っからの善玉と性格設定を変更してしまったのである。
 今にして思えばずいぶんと無茶な話だが、草創期のテレビ界にはたくさんあった失敗談の一つなのである。
 このおかげで、下積みの長かった敵役専門の天王寺が大阪もののドラマの人気脇役スターになったのだから運とは不思議なものである。《この項、伊東弘祐著「ブラウン管の仕掛人たち」(1983年、日之出出版刊)より引用》」
 なお、2003年に刊行された志賀信夫著「映像の先駆者125人の肖像」(日本放送出版協会刊)によれば、演出の荻野慶人は「(同じ宝塚映画で活躍していた)同い年の藤本義一のところに相談に行ったが、藤本は多忙きわまりなく、日本テレビでの研修でドラマ制作のアドバイザーだった若尾初男プロデューサーの紹介で知り合ったシナリオライターの椎名竜治と組んで、1960年『大阪野郎』の演出を受け持った」と記述されており、本作に藤本義一は脚本として関与していない可能性が高い。(一時期、当データベースは本作の脚本を藤本義一と椎名竜治の連名で明記していた時期があり、その時期に雑誌「上方芸能」(2013年6月号)が「藤本義一の仕事」の特集で藤本義一の年譜を作成、掲載。そのリストに本作が藤本義一作品として掲載されてしまった。
 その後、このリストがネット上に転用されて藤本義一作品リストとなっている)本作に引きつづき、第二部「原色の街」が放送された。
 一部資料では放送開始を1959/04/05と記載しているが誤り】
(引用:http://hccweb1.bai.ne.jp/kakinoki/epi/tv/link2/osakayarou.html)
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 コロナ禍で日本だけでなく世界中が、感染を避けるための自粛として、まるで自ら自宅を監獄にしちゃっているのではないかと思えるような、何か暗たんとしたここ数か月。テレビをつければ、このウイルス禍についての報道だけ。
 さまざまな番組も「三蜜」を避けるとして、録画製作が中断されている。スタジオと出演者の家庭からの中継での参加でつくるという、ちょっと今までにない見慣れない光景。それとも、過去に放送した膨大な映像からの編集番組か、ドラマ・映画の再放送というものばかり。
 今は地上波にBSやCSといった放送局からの番組に、多くの有料だが映像専門サイトからのインターネット番組も増え、分母が相当数になった分、歌番組もけっこう多い。
 私の場合は、フランク永井専門?なので、フランク永井が登場するとおぼしき番組を主に追ってみている。とはいえ、フランク永井の出演するという番組は、なくなり気味でさみしい。2週間ほど前の日曜日のTBS番組「東京マガジン」で過去に放送された有楽町周辺の戦後の流れが放送された。これはフランク永井の歌う「有楽町で逢いましょう」も移り、久しぶりであっただけにホッとしたひとときだった。
 そこで、久しぶりに新聞の番組欄に「島倉千代子とフランク永井」の文字を発見し、期待をもって鑑賞した次第。
 「本人の歌唱も含めて...」という思わせぶりなニュアンスをもった番組先頭のふりだったので、ひさびさのフランク永井の登場を期待した。
 島倉千代子はフランク永井とともにデビューしている。1955(S30)年、先の戦争が終結して10年後のこと。さすがに古い話で、私と同年代の年よりならまだしも、若い方がたには古すぎるのは違いない。
 島倉千代子はレコード会社がコロンビアだが、フランク永井との共演も多く、親しみも深い。好きな歌手のひとりである。フランク永井とデュエットした「あなたと共に」の映像は残されている。似た題名だが「あなたが居れば」という歌もNHK「きょうのうた」で放送されいるのだが、残念なことに残されていないようだ。
 さて、表題の番組では、下記のように曲が紹介された。
  愛のさざなみ(島倉千代子)
  からたち日記(島倉千代子)
  人生いろいろ(角川博、マイク眞木、田代美代子、
         マヒナスターズ、井上由美子)
  鳳仙花(川中美幸)
  逢いたいなアあの人に(川中美幸)
  東京だョおっ母さん(丘みどり)
  東京ナイトクラブ(美川憲一、丘みどり)
  大阪ろまん(鏡五郎)
  公園の手品師(ささきいさお)
  夜霧に消えたチャコ(増位山太志郎)
  有楽町で逢いましょう(ささきいさお)
  おまえに(ささきいさお)
 島倉の曲は2曲が本人の歌唱映像で構成されているのだが、フランク永井の曲は、なんと全部がカバー。これっていったいどうして。島倉同様に2曲はとまで言わないまでも、せめて1曲は本人歌唱をだしていいのではないのか。この気落ちは私だけなのだろうか。
 さらに見れば、島倉の「人生いろいろ」だが、歌う複数のコンビが唐突。これは、過去の番組の単なる再構成なのかと、察せられてしまうのだが。
 ただ、フランク永井ファンの同僚であるささきいさおによるカバーが聴けたのは嬉しい。
 ということで、ひさびさに、フランク永井を紹介してくれたのには、大いに感謝し評価するのだが、ややすっきりしない印象が残ったのは隠しえない。
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 今年10月開催が予定されていた「第12回フランク永井歌コンクール」の開催が1年延期になったと、実行委員会からお知らせが告知された。新型コロナウイルスの感染が世界的に拡散していて、実行委員会から参加者へ呼びかけても、準備が十分にできないことから延期が決まった。開催は来年、1921(令和3年)10月16日(土)予選、17日(日)決勝大会の予定。感染の収束が現時点でいつになるかは不明だが、オリンピックが1年延期されたように、とりあえず1年以内には流行が終結するのではないかという、現時点の判断のようだ。
 確かに、歌コンクールは毎年ファンには待っているイベントで、常に会場は満杯、参加者も130組での締め切りを上回る人気がある。フランク永井の歌を歌うという点にこだわり、練習に励んでいる。現在のようなカラオケ利用の自主規制がある状態だと、当然支障がある。また大会の会場がらみの作業においても、多数の人が動くことにあるのだが、それがいつものようにまわらない。
 この文四郎日記ではフランク永井の実姉さんの訃報を報じ、連続的にフランク永井がデビュー時に同僚であった宮城まり子の訃報を連続して扱ってきた。暗いニュースの連続は厳しい。私的なことになるが、文四郎が長年職場としてきた事務所も年末で閉めた。多くの楽しさや満足を伴った仕事の想い出は多数あるが、やはり寂しくもある。
 先日テレビで放送された「3秒聴けば誰でもわかるあなたの名曲ベスト100!第7弾!」という番組を録画しておいた。典型的なブチ切り映像の番組なのだが、名曲100とのことで、わがフランク永井の歌はどこかに浮上するのだろうかとふと思ったので録画した次第。
 最近の番組は年度替わりであるためか、ともかく長時間の特別番組が多い。しかも視聴者をバカにしたようなお笑いのたわいのないもので、年寄りには辛いのでほとんど見ない。じゃ録画してあるのを干渉するか、ということで、洋画や時代劇を楽しんでいる。そんななかなで、番組を選んでいると「3秒聴けば...」があり、そのサムネールにフランク永井と松尾和子の「東京ナイト・クラブ」が出ているではないか。
 ということで、観始めた。やはり、100/100がそれだった。この映像は何度見ただろうか。おそらく100回近くは観ていると思うのだが、何度見てもイイ。盟友松尾とのゴールデン・デュエット。絶対的な安心感を感じる。二人とも数え得られないほど、並んで歌ったはずだ。余裕を感じる。テレたように見つめあい、そっと軽く手をふれあう。二人のそろった笑顔がイイ。ブチ切りはオイッ!といいたいが、まあ感謝を申し上げたい。
 永井美根子さんにはいろいろと想いでもある。挙げた写真はデータブックを生誕地である宮城県大崎市の市長に贈呈したときのもの。さらにその後にお尋ねしたときの記念写真。ちょうどフランク永井デビュー60周年でビクターから特別賞を得たときのものだ。ともかく、お声が大きなはきはきとした方だった。床に就く弟のリハビリ、回復を最後まで一途に思い尽くした方だった。フランク永井の親族は何人かお会いしたことがあるが、そろってシャイで決して多くの人の眼の前に出ることをしない。だが、フランク永井のようなビッグネームを親族に出れば、誰かが表の世界にどうしてもとうときは顔を出さねばならないときがある。それを一手に引き受けてこられた方であった。今は、安らかにされていることだろうとお察しする。
 新型コロナウイルスの脅威が世界を覆っている。一昨日午前中にテレビを観ていたら、不安を解決する決定打だとうなずくような話が耳に触れた。思わず、これはと、撮影したのがその写真だ。不勉強だし、この手の番組もほとんど見ないので誰ということも知らないのだが、その内容は、エボラ出血熱の流行のときに開発された富士フィルムのアビガン錠剤をすぐに認可して使用するべきということだった。
 確かに、感染したかと不安で病院にくるのを「医療崩壊」を理由に来るなと断るという、およそ信じがたいことが現状にある。感染防止に決定的と中国で治験が証明され、それを受けてロシアやドイツは正式に製造使用を始めているとのこと。日本にインドネシア、タイをはじめとする30か国がアビガンを求めているのに、菅官房長官は、必要なだけ無償で提供すると報道されている。だが、国内では「治験が終わっていない」「承認がでていない」「副作用が心配だ」との理由で使用を許可していないというのだから、わけがわからない。
 おそらくだが、不安で来た人にはアビガンを与えることをすれば、少なくともその後の感染拡大は絶大に押さえられるはずだ。すでに感染してしまった方にも投与して数日で陰性になるいうのが中国での治験結果。なら、全国の病院に大量に配布して、すぐに使用したらいいのではないだろうか。たちまち新型コロナウイルスはは克服できる。目の前で多数の死者が出ているときに、使わないという姿勢が理解できない。対応薬がないと思っていたが、目の前にアビガンがあるというのが報じられていたのだ。この番組を観た人は多いはずだが、その方々はどう思われたのだろうか。宮城県知事は、アビガンをすぐに使えるようにと政府に訴えたとの、早速の報道があった。
 人間の生命活動でウイルスは常にいるようだ。それを人は体内の免疫システムが撃退している。相当の数のウイルスと共存しているのに、発病が表に出ない状態が普通の状態らしい。だから、体内の免疫システムをいかに正常に機能させていくかということが、健康維持では一番大事という。
 適度な運動、快適な睡眠、適切な食事、それにストレス管理というのが、健康維持の基本。何かの疾患や慢性的な病気を持っていると誰もが持つ免疫システムが弱まる。体力が落ちたときに、ウイルスはそのスキを逃さずに忍び込んでくる。油断大敵。ちなみにアビガンは、体内に入ったときにウイルスが細胞に侵入するのを防止するのだという。人体が持つ自己回復機能が守られるという画期的な薬だという。
 そのようなことを、いろいろと考えさせられたここ一週間であった。
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 宮城まり子が亡くなられた。心からご冥福をお祈り申し上げます。
 宮城まり子といえば、1968(S43)年に日本で初めての肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」を設立したこと、その運営に生涯をかけたことだ。だが、その宮城が圧倒的なワパーで名を全国に馳せたのは1955(S30)年に出したレコード「ガード下の靴みがき」。この歌の強力な印象は永遠に消えない。
 歌詞はフランク永井にも「夜霧の第二国道」など多数の作品を提供した宮川哲夫だ。作曲は利根一郎。この歌は当時耳にした世代のものの心を揺さぶった。戦争という悪魔のような出来事が残した爪あとを描写しているからだ。戦後、荒廃した都市の復興に必死だったとき、宮城の歌声は聴く人のこころに深くしみた。
 いつ聴いても涙をそそう。同じビクターの暁テル子が「東京シューシャイン・ボーイ」を歌っている。詞は井田誠一。曲は「有楽町で逢いましょう」の編曲者の佐野雅美(鋤)で、戦時中は東南アジアに軍務で行きさまざまな悲惨を経験した人。だが現地で親しまれて歌われている曲を採譜したり、戦争の中の明るさを求めている。この曲も東京の靴みがきの明るさに焦点をあてている。
 宮城の方はビクターでそれを出す前に「毒消しゃいらんかね」というインパクトのある歌を出している。楠トシエが歌った印象もあるがレコードは宮城のために用意された宮城のもの。宮城は「ガード下の靴みがき」を歌い、この経験が人生をねむの木学園に向けさせたという。歌手として、映画俳優としてしばらく活躍するが、芸能活動から離れる。事業に全力投球するためだ。
 宮城は施設を学びの場と位置づけ、情感豊かな人間性を育成をめざした。けっしてただの私設ではない。音楽、絵画、踊り、茶道...などの取り組みをとりいれ、多種多様な才能を見出し、引き出し、個性豊かな人への成長をめざした。
 ここで育った人たちはのびのびと育ち、多数の成果を示した。
 当時、菊田一夫のNHKラジオドラマ「鐘が鳴る丘」が人気になる。これは町にあふれる戦争孤児の話だが、まさに直接的な戦争の犠牲者で同じテーマ。菊田は宮城を実際に見出した人でもある。ちなみに来週からはじまるNHK朝ドラ「エール」の主人公のモデルである古関裕而は菊田と組んで戦後多数の歌を作った。
 宮城がねむの木学園の成長に生涯をかけた。だがさまざまな話題があった。この偉大な活動は社会的にさまざまなハンデキャップがある人たちへの、信頼と奉仕でなりたっている。しかし社会の悪の繁栄として、スキがあれば詐欺師が目ざとく侵入してきて荒らす。金銭的な被害がでた。このようなたかりは人間として許されない。
 さて、フランク永井も同じ時代に同じようにデビューし、その世界で活躍した。1957(S32)年「哀愁ギター」のB面を宮城まり子が「夢見るワルツ」を歌っている。宮城が歌手時代の貴重なカップリング盤だ。ときどき聴いては当時を思い出している。
 現在、新たな「戦争」のような事態が進行中だ。新型コロナウイルスの感染者が全世界を覆っている。武力による戦争の時代から目に見えないウイルス(放射能もそうだが)との戦争だ。それだけに恐怖は大きい。ここで紹介した歌は、本来持つ人びとの協力と連携、信頼での勇気ある対応を歌っている。けっして詐欺の横行や足の引っ張り合いではない。買い占めとかが自分のまわりで起こっているのをみると、それは逆だろう!と叫びたくなる。人としての大事なことを、思い起こして、対応していきたいと思う。
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 フランク永井は「魅惑の低音」をほしいままにした昭和歌謡の大歌手だが、恩師吉田正とともにその分野を切り開いた都会派ムード歌謡。このジャンルでの歌は数多く誰もがみとめるところなのだが、それを裏付けているのは歌唱力。
 その歌唱力は他の歌手のヒット曲を歌うカバーのうまさにあらわれるのだが、やはり曲の分野の広さをも誇ることになる。フランク永井の本道はおいておいても、横道の魅力についても紹介してみたい。今回は叙情歌。
 最初は写真のようなオムニバス盤のかたちで、1960年代初めから小出しに歌ってきた。民謡だったり、子供向けの歌だったり、時代的に流行したロシア民謡だったり。本格的にまとめたのは1966(S41)年の「あなたに贈る幼き日の歌」。
 曲目は下記の12曲で、全曲一ノ瀬義孝による。
  01_月の砂漠  02_叱られて  03_七つの子  04_あの町この町  05_浜千鳥
   06_赤い靴  07_赤とんぼ  08_砂山  09_カナリヤ  10_雨  11_故郷  12_花嫁人形
 叙情歌は日本語の歌詞にそのイントネーションと意味合いに合致して作られたメロディーが特徴。そして歌詞が人の素直な気持ちや花月風鳥とか自然の移り変わりの美しさを表現した、いわゆる普遍的なものが多い。
 結果として戦後の軍国主義とか思想とか失恋とか暴力とか、つまりフランク永井の得意とする失恋や別れとかのテーマには触れない。子供や女性にもやさしい。多くは小学校でもよく教えられた曲だ。だから一定の年齢の方々なら、たいてい知っている曲だ。
 さすがフランク永井の歌唱で、意外にも彼の歌声はこの分野でも十分に歓迎されるように思う。
 トラック10の「雨」は、このLPでしか聴けない貴重な曲。

 フランク永井のこの分野への大きな挑戦はもう一度ある。それは1973(S49)年に発売した「いのち短しこいせよ少女(おとめ)」である。恩師吉田正がもっとも敬愛する先輩としてあげた中山晋平の歌12曲を収めたものだ。全曲三保啓太郎が編曲している。
   01_ゴンドラの唄 02_さすらいの唄  03_山の唄 04_カチューシャの唄 
    05_燃える御神火  06_旅人の唄 07_船頭小唄 08_鉾をおさめて 09_東京行進曲 
    10_波浮の港  11_曽根崎夜曲  12_砂山
 こちらも、聴けば情緒が伝わってくる。「燃える御神火」「旅人の唄」「鉾をおさめて」「東京行進曲」「曽根崎夜曲」はこの盤だけで楽しめるものだ。

 フランク永井がこの叙情歌の分野で他にも歌っているが、それを収めたのは1975S(50)年に歌手生活20周年として作られた10巻大全集の第8巻。
  01_ゴンドラの唄  02_カチューシャの唄  03_船頭小唄  04_波浮の港 
  05_城ヶ島の雨  06_さすらいの唄  07_月の砂漠  08_叱られて  09_七つの子 
  10_あの町この町  11_赤とんぼ 12_花嫁人形  13_砂山
 確かにダブりは多いが「城ヶ島の雨」はこの大全集で聴くことができる。
 ビクター・ファミリー・クラブという通信販売の事業体があり、そこから企画商品として「KVF-2301~5-忘れ得ぬ歌・心の歌」(盤IDはメディアや発売元によってVFC-7101~~、VFX-~と異なる)が、1973年に出ている。内容はオムニバス形式でビクターが誇る歌手陣が歌っている。テープ版は100曲だがLP版は同じ10巻でも数十曲多い。ここでフランク永井「あの町子の町」「ゴンドラの唄」などすでに上記で紹介されているものの他に「琵琶湖周航の歌」を歌っている。
 「琵琶湖周航の歌」は1971(S46)年に同名のアルバムを出していて、そこに含まれてはいるが、この盤はカバー集。
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 「歌のアイドル90分~不滅の歌謡演歌ベスト20」という、40年度ほど前のテレビ番組の映像をyoutubeでみた。
 司会は徳光和夫で若い。守屋浩「僕はないちっち」、三浦洸一「落葉しぐれ」。続いて佐賀観光ホテルでディナーショーをやっている最中のフランク永井に中継を移す。ここで現場司会の宮尾すすむに。「おまえに」をフランクスナインの演奏で。そこで現地のお客さんからのリクエストということで、並木路子「リンゴの唄」。歌手が歌手にリクエストというややくさい演出で、フランク永井がスタジオの松尾和子に「再会」を。「今週のドキュメント」コーナーで、コロンビア・ローズ「東京のバス・ガール」。平尾昌晃「星がなんでも知っている」の歌唱が楽しめた。
 その映像は恐らく2時間とかの特番だったのであろうが、上記のように7曲で終わっている。影像の背景には、青木光一、二葉百合子、三波春夫、三橋美智也、島倉千代子、菅原都々子、藤島桓夫、小松みどり、松山恵子、畠山みどりらそうそうたる多くの歌手が控えているのがわかる。
 1982といえば、舞台を降りる3年前で、山下達郎と組んで「Woman」を出した年だ。番組映像をみると、忙しそうに全国をかけめぐっているのがわかる。スタジオと佐賀をつないだ会話によれば、盟友松尾和子とは幾日かわずか前にも一緒に一緒に歌を歌っているようだ。同年前後は新譜レコードはわずか数曲しかだしていない。アルバムもそうだ。「有楽町で逢いましょう」が世に出た後のすざましい勢い、年間のシングル38曲にアルバムが5~7枚というときと比べたら余裕がありそうな時期だった。
 だがそれでも映像では元気で各所での公演をこなしていたのだろうことがわかる。
 それからおよそ40年、テレビの世界も多変わりしたといってよい。まずチャンネル数が大幅に増えた。地上局でもそうだが、有線テレビ、衛星テレビ、それがBSだCSだとあり、それも
4Kだ8Kだというのだから、もはや数えきれない。有料という制度もそうだ。そればかりか、スポーツ、映画、時代劇、歌謡曲...と専門チャンネルというのが競っている。
 歌謡曲番組、音楽番組も数えられないほどある。一時はどんなものかとなるべく観るようにしていたのだが、最近はあまり観ていない。フランク永井がでないとつまらない、と言ってしまえば、なんという奴だ怒られそうだが、聴いていてのらない、悪く言えばつまらないのだ。演出が過剰気味でついていけないとか、若い人たちの多くの歌がりかいできないとか。
 さらに言えば、歌手は歌を聴いていてうまい!いい!とうなずけないほど、ヘソが曲がり切ってしまったのかもしれない。これは!と感動を受けて、よしこれCD買うかダウンロードを申し込もうという気がほとんど起こらないのだ。アンタの感性が退化したんだよ!と言われるかもしれないけど。
 そこで、表記の番組映像だが、面白い。歌も知っているものばかりで、歌手ご本人の大ヒット曲ばかり。彼らのCDはほぼ持っているが、映像で今どきはなかなか見れないものばかりだ。特に当時も珍しかったのは最初に登場の守屋浩ではなかろうか。浜口庫之助と組んだヒット作品が多数あった。「僕はないちっち」をはじめ当時の私ら中高生の時代には多くのファンがいた。しばらくテレビから姿を消していたのだ。どうしたんだろうと思ったものだ。オーストラリアに行っていたとか、本間千代子という当時のアイドル歌手(?)と結婚したとか、何々という歌は宜しくないとのことで、放送コードにひっかかったとか。それが元気に出場して、懐かしい歌を歌ってくれた。
 何か、ロートルの回顧主義という完全にひとりよがりな別世界に迷い込んだようなので、ここまでとしたい。懐かしい映像を見せてくださった方に感謝をこめて。
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 フランク永井の実姉の永井美根子さんが2月27日に亡くなられた。心からご冥福をお祈り申し上げます。
 3月5日に告別式が厳粛に行われた。フランク永井の「有楽町で逢いましょう」や「おまえに」が式場に特別設置されたコーナーで静かにオルガン演奏されて見送られた。フランク永井と同じ場所で安らかなこれからの世に旅立った。
 1985年にフランク永井のあの不幸な事故があったのちの長い闘病、リハビリを美根子さんは一人で負ってこられた。フランク永井が永眠したのは2008年。この間、特に当初はパパラッチのような芸能記者が、ありもしないことを書きたてて、家族やレコード会社やファンに多大な迷惑をかけた。そうした理不尽な迫害にちかい火の粉を一手に受けて立ったのが美根子さんだった。黙々としてフランク永井の病床で耐えしのんだのだった。
 文四郎的にはフランク永井のファンのひとりとして、その姿を察した時に、ひとことでも労えたらという思いだった。
 フランク永井へのマスコミの異常で奇妙な長い偏見の封印が解かれたのは、2007年にNHKBSが「昭和歌謡黄金時代~フランク永井/松尾和子」を放送したときだ。フランク永井についての過去の眼鏡を一切捨てて、あたりまえの扱いをした。まさに昭和歌謡の黄金時代の一角を飾った実績を正当に評価したことで、ファンから絶大な拍手が贈られた。
 とどめは2009年に同じくNHKBSで放送された「歌伝説~フランク永井の世界」。フランク永井の残した実績を余すところなく、的確にとりまとめた映像作品となった。
 文四郎が編纂した「フランク永井・魅惑の低音のすべて」は2010年の発行だが、実は上記のNHKBSの映像作品と深く関与している。多くのファンが支援した。その過程でフランク永井の資料集としてのデータブックの発刊をすすめられたのだ。内容はすでの完成していたのだが、データブックはすべてがフランク永井が所属するレコード会社のもので、著作権者の許可が必要。仮に許可を得られても、膨大な量を扱っているだけにその費用もけたはずれになることから、最初から出版は断念していたものだ。
 そのときに相談だけでもしてみたらと背を押されて話をさせて得いただいた次第。レコード会社も当時の親族である美根子さんも内容を絶賛してくださり、出版のめどをたてていただいたという、実に忘れがたいことだった。このときに美根子さんにお会いして、直接思いを伝えることができた。こちらのうかつなことや安易なことには、容赦ないお叱りをしてくださり、出版に至ったものだった。
 そしてこの出版は思いもかけず、同年の「雑学大賞」の栄誉を受けた。また朝日新聞の「顔」欄で取り上げてくださった。そんなことから文四郎の実に恥ずかしい顔が写真で全国に知れてしまった。また、NHKおはようニッポンでフランク永井ファンとして幾度か出されてしまった。
 まあ、そんなことはどうでも、3月はフランク永井の誕生月。美根子さんも誕生月で、まもなく94歳になるところでした。美根子さんとは幾度かお会いする機会があり、フランク永井のさまざまなエピソードをきかせていただいた。そして体調が復帰されればまたお会いしようと話していただけに、今回の訃報はたいへん残念な思い。天国で再びフランク永井と一緒になり、やすらかな会話をしておられると思うだけである。合掌!

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