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 9月末にNHK総合で放送された。やはり、賛否両論のようだった。
 「フランク永井、AIでのそっくりさん復刻をファンは望むか? それとも楽しむ?」という記事にたいして、文四郎はどうなんだともいわれて、追加記事をちょっとだけ書いてみたい。
 美空ひばりは1989(H1)年に亡くなっておられるので、それからすでに30年。フランク永井と同様ファン層が大きく変化していいるのは避けられない。同時代のファンが高齢化しているのはやむを得ない。
 そうしたなかで、この番組の企画は大きな期待と刺激を与えてくれた。現在の日本の最高水準の技術で「甦らせてみよう」と企画して1年間、参加したエンジニアと関係者は何百人にも及んだとのこと。ソフトの感性を迎え、収録でNHK会場に集合して、結果を見ての感想は大いに感心した、感激したというところだった。
 生きているような姿に涙を流す人も多かった。「AIでよみがえる美空ひばり」企画に携わった方々の、エネルギーの注ぎ込みようが伝わってきた。曲作り、演奏は実演。曲は「あれから」という題目。セリフ入りになっている。最終的には3DCG、つまり高解像度の3次元映像にして、会場中央のスクリーンに投影する方式であった。これはホログラムなのか、ちょとと疑問だった。
 音声再現の担当は、ボーカロイドを世に送ったYAMAHAチーム。美空ひばりの歌唱のすごさは1フレーズ単位で表現を変えるのをベースにしながらも、1音単位で表情をだしていること。これが他に絶対にまねのできない歌唱にしている。音符と音声の微妙なタイミングのズレ、ときにはホーミー(モンゴルの特徴的な発声で高次倍音)が入るという高度なもの。これをAIに学習させたという。確かに、歌唱に奥行きが表現される。
 「あれから」にはセリフが入る。語りを入れるのはボーカロイド・チームでは初めてという。これは本人が息子に残したテープ音声が利用された。曲間の語りが自然さを増した。
 さらには映像化の課題。残されたひばり映像から後年と思える新たな映像を作る。振り付け、髪型が新たに創作される。ほとんど新曲発表と同じ手順だ。振り付けは天童よしみに実際に歌ってやってみたものをベースにする。しかし、何といっても最大の難問は歌う表情であろう。
 文四郎的には、出来上がったアンドロイドの表情がやや不満だったかな。
 歌唱はわずか、フレーズ間に無理な箇所が感じられてものはあったが、おおむねひばりの歌唱は再現されていたと思う。セリフも含めて歌唱の再現性としてはよかったと思う。だが、アンドロイドというかひばりロイドというか、やはり生きた人間と異なるなと。遠目はこれでいいのだろうけど、アップはやや厳しい。目つきもやや変だが、歌う口元がアテレコ風な感じ。あと、ひばりはややオーバー・アクションぎみなところがあるのだが、そこが抑えられ過ぎた感じ。歌のテーマとの関係かも知れないが、ほほ笑み伝わってこない。
 だが、この画期的な挑戦には拍手を送りたい。
 この番組を観る前に思うところがあった。それは、番組でも紹介されていたが、米国や外国ではとびぬけた技術がすでに存在し、その結果が報じられていることだ。
 例えば、オバマとかトランプ映像だ。そうとう細かく検証でもしなければフェイクとは判断できない。プーチンについてもさまざまな噂がある。報道される映像の中にはバーチャルで作られた映像で語られているのがあるとか。
 映画のは使用目的が限定されているとはいうものの、音+映像+表情の加工はあって当たり前になってきている。実写だけではなく、アニメの世界になると、文四郎世代になるとさらに驚く。例えばディズニー作品「トイ・ストーリー」などにおける、感情表情表現は完成している。
 コマーシャルの世界も同じで今放映されている携帯Galaxy。巨大なスタジアムの中央にサーフィン映像がホログラムで浮き上がる。当然かもしれないが瞬時「演出だよ、イメージだよ」という意味合いのキャプションがでる。だが、実は同様のことが現存しているということで、いくつか映像を観たことがある。未確認だが、ドバイでは観光としてそれを見せているという。来年の東京オリンピックの開会式は綿密な企画が進んでいると思えるが、Galaxyでみせたホログラムが登場するかもしれない。
 フランク永井の甦りはどうなのか?って。今回の番組を観る限りでは、近く再現することはないね。費用効果がなさそうだ。ボーカロイドのように、その気があれば安価にだれでもトライできる技術公開がなされ、映像のほうも多くの人たちが遊びのようにさまざまいじられるような環境ができたなら、どなたかが作るかもしれない。
 若い人が言うには、携帯で自撮りした自分の顔をその場で、瞬時に若返らせたり、年寄りにしたりすることでふざけあうアプリが流行っているのだとか。性別の変換までしてみせるというからきっと気楽で楽しいに違いない。
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 大人の人気デュエット曲は数多くあるが、その走りはやはり「東京ナイト・クラブ」。1959(S34)年で、これは松尾和子のデビュー曲。なかなかよくできた曲で、当時はこのような都会の大人の男女のムードを扱った曲がなかっただけに、大きなヒットとなった。ビクターの名コンビであった佐伯孝夫と吉田正の名曲。この後数多く歌われるだけに、ステレオ化され優雅で奥行きある編曲が多数された。初期の編曲は小沢直与志。
 「東京ナイト・クラブ」にならって、テイチクは石原裕次郎に「銀座の恋の物語」を唄わす。裕次郎人気もすごい時代で、たちまち大人気曲になり、両曲そろって都会の大人の社交場であるナイトクラブ、キャバレーが普及していった。
 ビクターはフランクと松尾の人気が高いのを追うように「魅惑のゴールデン・デュエット」と命名した。「国道18号線」(1964年)を出していく。ドラマの主題歌にも採用され、ヒットするが「東京ナイト・クラブ」には及ばない。このコンビでカバーを含んだLPを後に出す。「魅惑のゴールデン・デュエット」として2枚リリースされた。フランク永井と松尾和子の魅力が、余すところなく盛り込まれている。
 二人が残したデュエット曲はおよそ30曲ほどあるのだが、残念なことに知名度は「東京ナイト・クラブ」と他の曲では圧倒的な差がある。同じことだが、フランク永井のデュエットで残されている映像にも言える。まあ、半世紀以上もまえのことだし、仕方ないのかもしれない。
 フランク永井と松尾和子の歌う「東京ナイト・クラブ」はテレビでも相当流されたので、数えられないが10本は超えているだろう。時代が流れ、その後の歌手たちが数多くこの曲をカバーしている。このブログで何度か紹介してきたとおりである。
 そんなことから、いくつか、他の歌手によって歌われた「東京ナイト・クラブ」を続編でいくつか紹介してみたい。
 フランク永井自身が松尾和子以外の歌手と歌った「東京ナイト・クラブ」がいくつかある。島倉千代子、青江三奈、岩崎宏美、生田悦子。
 このデュエット曲が単独でつまり相手なしで歌っているのは青江三奈。これは珍しい。
 有名なのは「東京ナイト・クラブ」を「銀座の恋の物語」を2回目の吹き替えで組んだ八代亜紀と歌っていることだろう。その八代亜紀は藤田まことと山川豊と歌い、山川はさらに藤あや子と。
 五木ひろしは石川さゆり、木の実ナナ、五輪真弓、伍代夏子とコンビを組んだのが残っている。伍代夏子は千昌夫と冠二郎と歌っている。最近歌謡番組によく顔をだす高橋英樹は長山洋子と神野美伽と歌っている。瀬川瑛子は竹島宏と宮路オサムとのデュエットを残している。山内惠介は川中美幸と。川中は吉幾三と。サザンオールスターズの桑田佳祐は昭和歌謡をたたえるアルバムで原由子と歌ってる。
 ここまでしりとりのように紹介してきたが、以下はダブりのないコンビで歌っている。
 ヒデ/美咲
 橋幸夫/古都清乃
 三山ひろし/水森かおり
 三條正人/田代美代子
 鳥羽一郎/林あさ美
 湯原昌幸/キム・ヨンジャ
 藤原浩/門倉有希
 武田鉄也/谷村新司
 北山たけし/田川寿美
 北島三郎/水前寺清子
 里見浩太郎/都はるみ
 徳光和夫/おかゆ
 氷川きよし/石原詢子
 三善英史も歌っているのだが、相方について分からない。また、相手自身を次つぎに変える趣向で、五木ひろし/森進一/五輪真弓/河合奈保子と歌うのも残されている。
 とうぜん、もっと存在しているのであろうが、これらは手元のメモに残っているものだけである。
 実は文四郎の大変親しい方が「ひとり『東京ナイトクラブ』」の名人がいて、何とか露出をと考えているのがある。男女のパートを一人でやる。薄暗いカラオケ室で、相方としてマイクをもってダミーを演じても、誰も気づかないという芸。だから、露出となるとバレちゃうし、露出しなきゃこの芸が認める場が限られるしで、そうとう長い期間悩んでいる!?
 「東京ナイト・クラブ」はあまりに有名なだけに、たいがいの歌手は知っているので、特別な練習もなく歌うという流れが多いせいか、歌唱そのものには期待できない。気楽な余興というところだ。
 余談だが、先月BS-TBSの番組「甦る昭和の名曲3時間スペシャル」というのがあった(2015年の再放送)。ひさびさのカバーで感動を得たのは美空ひばりの「愛燦燦」をメイJが歌ったときだ。彼女が歌うまなのは知っているが、このときの歌唱はすごい。多くの歌手のカバーを聴いてきたがメイJの「愛燦燦」は絶賛であった。
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 近年のAIの勃興はすさまじい。さきほどぼんやりテレビを観ていたら、台風18号が発生したと。その進路予測というのを見ていたら、8(いやよくわからない)国の気象コンピュータ予測というものを重ねて描いていた。その予測進路はおおむね同じで、日本列島を境に太平洋側と日本海側に少し別れていた。日本の気象庁のもあったと思えるがどこだったかは認識できなかった。
 こう重ねてみると、観ていて何となく強く説得されそう。
 さて、明日29日、日曜日のNHK総合テレビで、9時「NスぺAIでよみがえる美空ひばり」というのが放映される。26日の新聞に記事が出ていて興味を持ち、この番組を知った。
 以前「邪道か、フランクロイド永井はまだだが、ハルオロイド・ミナミが歌う「川の流れのように」(2017.5.20) で、三波春夫のハルオロイドを紹介した。今回のは、美空ひばりが対象だが、2年前との相違は、映像がともなうことだ。美空ひばりの、実際にはあり得ない容姿。それが、実際には吹き込みをしていない曲を唄うというのだ。
 影像も従来の意味での映像ではない。等身大で精密な解像度に十分に耐える立体の映像。
 番組の紹介は次のとおり。【生前最後の曲「川の流れのように」を手がけた秋元康が、AIひばりのために新曲をプロデュース。天童よしみが振り付けを担当。森英恵が衣装を手がけた。 これまでの美空ひばりの映像から4K・3Dホログラム映像で等身大の美空ひばりを出現させ、一夜限りの新曲披露コンサートが開催された。その模様をNHKスペシャルで放送。あなたも新たなる歴史の目撃者となる。】
 興味をそそる。気になる方はぜひとも番組を観てほしい。
 AIはビッグデータに支えられている。人間が一人はおろか、よってたかって知識や思考を働かしてもかなわない一線を越えている。ここから新たな世界が展開される。人間をAIが超えたら、人間はどうなるのかという深刻な課題だ。人間が想像したなにものかが人間を超えるということは、人間がなにものかの「支配下」に置かれるのではないかという疑念が起こる。
 つまり、AIはまさに自動的に関連したことを集約する「能力」を身につけているようで、どん欲に、日々勝手に見聞き(人間側が与える情報)していく。AIが得たとおぼしき結論は人間側には分からないというところが不気味だ。ただ、もうパンドラの箱は開けられてしまったので、もしかしてAIの悪魔のような欲望の急速な拡張を、人間側がもう押しとどめられないのかもしれない。
 何か不安になることだが、さてさて、人間の知恵はどう対処するのか。まだ論議が続いている。番組での取り上げている「課題」は、極めて卑近な(失礼)もの。こうして作られる映像や音声の「権利」の問題。著作権の問題。今今、例えば、ニュースを読むアナウンサーや、アテレコの声優は職を失うのではないかというような問題だ。確かにこれは現行の法律の問題であり、現在それを職業にしている人の生活の問題でもある。
 ハルオロイドでも触れたが、今回も諸権利を扱う事務所とレコード会社、開発の企業が全面的な提携プロジェクトを組織して実現している。
 さて、ファンへの恩恵はどう展開していくのか。
 フランク永井についてはどうだろう。美空ひばりと同じようなプロジェクトが進んでいるとは聞かない。美空ひばりでもそうだが、この度のようなホログラムが自在に使えるようになれば、応用は無限に広がってしまう。新曲は次つぎと、容易に出せるだろうし、ビデオのアルバム発売などお手の物だ。そればかりか、世界中で、いつでも、どこでも、コンサートが可能になる。歌ばかりか、インタビューも、会談も可能だ。つまり、美空ひばりが実在していた一人の世界より、仮想なので、複数の同時「存在」というあり得ないようなことも可能になる。
 こんなことがフランク永井に起こってほしいだろうか。人間が、権利の管理者が許可しなければどうにもならないから、それが壁になって、勝手な発展・拡大にはならないよ、という予測をする意見もある。しかに、常にそのときの予測や制限は時間の問題で越されていくものだ。
 前回に触れたフランク永井と山下達郎のジョイント。予定されていた曲はアルバムだから、およそ8曲以上はあったと思える。そのうちの相当数は準備が終わっていたはずだ。つまり吹き込み直前であったはず。ファンはそれを聴きたかったかもしれない。それをフランク永井がさまざまな悩みや困難を克服して、歌っていたとしたらどうだったのか、などという気持ちは起こる。
 これをAIで今なら技術的には実現できる。そのようなことなのだが、はたして、それは実現されて、歓迎されるものなのか。どうだろう。ここまでの流れでお分かりかと思うが、文四郎的には「実現されなくてもイイ」かな。だが、AIへの疑念というものから離れた場合、ひとつの娯楽、楽しみとしてなら、わずかあってもイイかなと。
 つまり、フランク永井が現実の世界で作ってきた足跡や現実の実績にプラスの影響を及ぼすという制限の上でなら容認できるかなと思うのだが、あくまでも私的な狭い見解。これを超えるとやはり、邪道かなと。ともかく、明日の番組をご覧になって想像していてはいかがだろうか。
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 フランク永井の歌う「Woman」は、1982(S57)年に発売された曲で、シングルと同名のアルバムが同時発売された。当時人気の山下達郎と、すでに当時歌謡界の大御所であったフランク永井が組むということが、大きな話題になっていた。
 音楽雑誌でも取り上げられて、方向の異なるエンターテナーのユニットは何を生み出すのかと期待された。だが、結果はフランク永井が予定の全コースを走り切る前に降りた感じで、しぼんで終わった。
 しかし当時そのようにストレートに話題になったわけではない。予定通りにレコードは出されたし、Womanは話題になった。有名なのは「夜のヒットスタジオ」に登場し、実に華やかに、しかも素晴らしい歌唱を披露して、フランク永井の実力を見せつけた。
 映像では司会の吉村真理・井上順に紹介されると、同席する多数の出演者が注目する中で、いつものにこやかな顔で、臙脂の蝶ネクタイを解く。この様子というかしぐさは何ともいえぬ、大御所の雰囲気をにおわせるものだった。
 実際に、山下の練りに練った曲の良さと、吉田正調ムード歌謡で走ってきたフランク永井の歌唱が、ファンには新しい世界を示したものだった。しかし、アルバムには山下の作品であるシングルB面の「愛のセレナーデ」は当然含むものの、他は新編曲での「ラブ・レター」と他の人気歌手のカバーで埋められていた。
 すべてが山下作品になるものとの期待が、違った形ででたことから、山下とケンカでもしたのかとまでウワサが出だす。そのあたりについては、この世界の在り方として、将来も詳細が語られることはないだろう。だが、実はフランク永井自身がその一端を語っているのだ。
 それが「Woman」の発売直前のどこかのナイト・クラブ風の会場での公演でのトークで、非公式な記録映像で仮称「ザッツ・エンターテインメント」に残されている。もちろん「Woman」の映像自身がファンにとって、先の「夜のヒットスタジオ」が唯一のようなものだから、ここに残るのは大変うれしい。
 ただ、大変残念でこの映像自身が非公式なのは、ここでのトークにもあるが、歌唱で歌詞を間違うというエラーがあることもある。
 そこでのフランク永井のトークとは、実はこの曲の吹き込みには、今までにないほどの苦痛を体験したといっている。それはあまりにもすごい山下の曲に、いくら挑戦したいといっても、自分の歩いてきた方向が異なるために、初めての16ビートで、合わせるのが大変だったためと。3週間の練習中、胃に穴が空き入院でもする思いだったと。
 山下の曲は24Chを2つも使う多重録音をした曲になっていて、いままでフランク永井が経験していな方向に、相当とまどったことが吐露されている。この日の公演の演奏は、浜田清とフランクス・ナイン。「Woman」にはバックコーラスがつくが、当日も「マクシム」が出演している。

 そのような経緯で、それなら、将来的に影響をひきづるような無理は禁物ということから、アルバム用の他の曲の制作は中断したとされている。
 「Woman」の映像は、公式・非公式で2本だけ、と思っていたものだが、実は公式でもう1本残されていることがわかっている。普通に当時テレビで放送されたものだから、ここで「発見」というのも「再発見」というのも実はヘン。ただ文四郎が当時忙しさにかまけて、テレビをろくに観ていなかったにすぎないのだ。
 その番組というのは関東のローカルのようなのだが、東京12チャンネル(現テレビ東京7Ch)で人気番組「演歌の花道」の兄弟番組?「秋の演歌一本勝負1993年版」。この回はフランク永井と生田悦子が司会を担当している。
 ここで多彩な出演者が歌うのだが、フランク永井自身も4曲披露している。「東京午前三時」「有楽町で逢いましょう」「東京ナイト・クラブ」、そして「Woman」。「東京ナイト・クラブ」は何と生田がデュエットしているというもの。「Woman」もすばらしい。
 ということで「Woman」の歌唱映像は3つ残されている、というのが今回のお話。
 「Woman」は若い層にもファンが増えているという。Womanが入っているCDは売れているようだ。シングルといっても復刻がMEG-CDからされていて、リクエストもフランク永井ものでは引きが多いと聞く。勢いでLPアルバムの復刻もファンの熱意で実現している。
 山下達郎の人気も長い。またあわせて竹内まりやのメディアでの露出も目立っている。音楽活動40周年とのこと。苦労したという山下とのジョイントは近年になって、若い方々へのフランク永井人気の広がりにつながっているのはうれしいことである。
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 いよいよ来月に近づいてきた今年の「第11回フランク永井歌コンクール。来月19・20日(土・日)に開催される。
 全国的にもこのフランク永井の名を冠したユニークな、歌コンクール。開催直前に発生した311の東日本大震災のときは中止になったものの、初回から12年の開催を誇ります。開催地はフランク永井の生誕地である、宮城県大崎市の松山。そこの体育館で、フランク永井活躍時にここで公演をした想い出の場所になる。
 松山の地元にこだわり、あえてここでの開催を毎回続けてきた。地元の方々がボランティアで準備をすすめ、当日も町でに出て全国からの来客をあたたかく迎える。
 この大会は1日目が予選で、翌日開催の決勝大会へ参加する30組が選出される。初回から全国のフランク永井の歌に自信があるという方々が、気合を入れて挑戦する。何回か強い雨の日になったときもあったが、声援を送るファンがいつも満員、席を埋める。そうとうな遠方からも、集まる催しで、今年も期待を集めている。
 松山のさまざまな歴史的なみどころもあるし、近くにはフランク永井常設展示室がある。ここでは、フランク永井のすべてが一覧できるように、さまざまな工夫がこらしていて、ファンはいつ見ても胸を躍らせてくれる。ぜひとも、この機会に足を運んでみたらいかがだろうか。
 さて、フランク永井の出演、あるいは主題歌・挿入歌で関与した半世紀前の映画について、ちょっとだけ触れたい。フランク永井がデビューしたのは、1955(S30)年であった。そして1957年に「有楽町で逢いましょう」を歌って、大ヒットを実現して、全国に名が知られるようになった。その後も大ヒットを連発した、昭和歌謡の大御所がフランク永井。
 そのフランク永井は、当時まだラジオと映画が大衆娯楽の中心だったことから、人気を得るといくつもの映画に関与した。この全容は文四郎にも正確には分からないのだが、これはというものについて、掌握した範囲で紹介してみたい。
 封切り公開された順にリスト化してみた。
1958.02.12 夜霧の第二国道(日活)
1958.04.29 羽田発7時50分(日活)
1958.05.13 場末のペット吹き(日活)
1958.05.18 夜の波紋(松竹)
1958.07.29 西銀座駅前(日活)
1958.08.12 ロマンス祭(東宝)
1958.10.07 有楽町0番地(松竹)
1958.10.07 有楽町で逢いましょう(大映)
1958.11.05 夜霧の南京街(東映)
1958.11.12 東京午前三時(日活)
1959.01.09 秘めたる一夜(大映)
1959.01.15 らぶれたあ(日活)
1959.02.04 青い国道(日活)
1959.02.18 たそがれの東京タワー(大映)
1959.05.12 夜霧に消えたチャコ(日活)
1959.05.31 俺は淋しいんだ(日活)
1959.01.03 セクシー・サイン 好き好き好き(大映)
1960.06.18 俺は流れ星(日活)
1961.08.21 続々番頭はんと丁稚どん(松竹)
1962.02.03 君恋し(日活)
1963.08.25 霧子のタンゴ(日活)
1966.04.01 沓掛時次郎 遊侠一匹(東映)
 公演でのトークで「有楽町で逢いましょうは2本目で、その前に小林旭と夜霧の第二国道を撮った」ということを言っている。だが、これを見ると、有楽町で逢いましょうの前に、そうとう数を短期間で撮影し、公開されていることがわかる。この年だけで、10本だ。
 ビデオ化されているのは「霧子のタンゴ」「有楽町で逢いましょう」だけなので、いつでも見れるというわけにはいかないのが残念だ。ときたま小さな映画館で復刻上映されるのを待つか、これもいつ放送されるか分からない有料テレビ放送での復刻を待つかとなる。
 ここで紹介した映画のポスターが上記の写真。最後の「東京ナイト・クラブ」はこのような映画ポスターらしきものが残されているのだが、その映画が実際にあったのかどうかは不明だ。おまけで上げてみた。
 21点の映画だが、ポスターにはその時代の特徴で数種類作られる。通常版の縦2分の一サイズと、横2分の一サイズがある。文四郎の確認によれば「東京午前三時」などは6種類を確認している。1種類しか確認できなかったのは「有楽町0番地」。封切り時のポスターが確認できなかったのは「霧子のタンゴ」で、それにしても合計72点確認できた。
 それは、どんなだったのか。それが、来月の歌コンの会場にこられれば、もしかして確認できるかもしれない。ということで、この当時引っ張りだこだったフランク永井の人気がわかる、映画の話でした。
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 1957(S32)年に「有楽町で逢いましょう」の大ヒットで、いっきに飛び出したスターを放っておかない。ビクターは次つぎと歌わせる。それがまた話題を生む。映画も作られる。
 当時の娯楽はラジオと映画でテレビはまだまだの時代。「夜霧の第二国道」が2月に封切られ、この「羽田発7時50分」は4月に映画館で上映された。
 当時の映画はモノクロの時代で、時間はおよそ1時間(「夜霧の第二国道」は48分で「羽田発7時50分」は61分)弱で、今のテレビドラマの1回分程度だ。だが「羽田発...」は日活スコープをうたい、およそ縦の長さに対して倍の横幅の映画となった。
 この当時映画の本場である米国でワイドスクリーンと言われたサイズの映画を日本の映画会社が連続して採用したものだ。カラーを総天然色といって驚かし、横長のスクリーンでも脅かしたものだ。
 「羽田発7時50分」の歌は宮川哲夫作詞、豊田一雄作曲、寺岡真三作曲のもので、歌詞からの連想では羽田飛行場を舞台にした悲恋もの。「待っていたけど逢えない人よ...」「見果てえぬ夢を捨てて旅立つ心は暗い...」。
 映画はどうだろうと、期待に胸を膨らまして見守る。だが、どうも自動車会社で働くテスト・ドライバーの同僚との恋愛がらみのもので、フランク永井の歌を背景にスポーツカーをガンガンぶっとばすものだった。
 題名とのつなぎは、取ってつけたようなもの。
 先にマニラに出張したドライバー(この当時はパイロットと呼称)が現地でケガ。代わりにフランクが行けと会社から言われるが、事故で謹慎中の身。親友の岡田真澄は自分が指名されるはずと思っていたのにと、悔しがる。
 岡田は後部車輪が故障したテスト車を事前点検をしないまま飛び乗り走り出す。岡田の恋人は別の自動車会社のテストドライバーを兄にもつ丘野美子。その兄(二谷英明)と無謀なスピード競争をする。
 故障した車でのスピード競争は命にかかわる危険と気づくフランクは、それを告げるために急いで後を追う。自分はマニラ行きを辞退し岡田を推し認められたと告げる。そして羽田から最終便でマニラに岡田が飛ぶ...という流れ。
 フランク永井の出演した映画では、基本的にはちょっとしか登場することはないのだが、この映画では全編に顔を出す。しかも、会社の創立三十周年記念という催しとかクラブの舞台とかに歌手(プロとしてではないが)として出て歌うという場面もある。
 この映画が有料チャンネルで過去にテレビ放送されたようだが、その時の印象がネットにあった。pj2000akiraさんによるものだが「舛田利雄監督の錆びたナイフに次ぐ作品。黄金週間に裕次郎の明日は明日の風が吹くの併映。60分位の短編でつまらない映画、岡田真澄、二谷、白木真理の主演。しかもフランク永井の主題歌を映画化しているのでフランクが出てきて臭いしばいをする、歌だけながれていればそれでよい(笑い)眠くなる映画」と酷評?している。
 まあ、この通りでもあるのだが、文四郎的にはフランク永井がからんだ映画の「記録」という視点。日本では戦後の娯楽の王様として映画があり、作成する側も、何を取り上げ、何を表現して、誰の顔を前面に出し、大衆をどう喜ばすかという挑戦の連続だったと思う。
 戦後の復興という社会と時代の巨大なテーマが覆う世だ。誰もが承知のように「日活」が名を大きく馳せたのは、石原裕次郎の登場だろう。快活なこの男を使おうと。実際に大成功をおさめた。聴衆も、製作者側が描いた映画の中での「アクション」「銃撃戦」「スピード競争」「都会の男女の恋愛」に引き付けられた。
 非現実性は百も承知で映画の中での非日常に酔ったことが、日活を活性化した。「羽田発7時50分」も、裕次郎映画とのカップリングのために作られたようだ。1時間程度の映画の2本立てが普通だった時代だ。
 今(現在)なら、そりゃダメだろう、というシーンは例によっていくつもあり、このレベルが現在地上テレビで放送できるか、BSで可能か、有料放送で可能か、DVD化ができるか等の判断基準にもなる。今回の映画での妙は、テスト車が自動車のテスト道(サーキット)ではなく、一般道と思しきところを時速百キロを超えるスピードで突っ走ることだろう。しかも、安全ベルトがない。一般車両が前方から対抗車線を走ってくるにもかかわらず、中央線を無視して並んで走る。さすがにこれは映画だけの世界とは言え、ブーだ。
 自動車工場は日産の村山工場・鶴見工場がロケで提供されたようだが、戦後すぐの様子がかいまみれる。安全とか管理とかの面でのルーズそうな感じは、現在ならと思うとその差は絶大。社員の住まいについても、ちょっと前の公団住宅のようなアパートに寮のように住んでいるのだが、日東自動車の競合他社の社員(映画では武蔵自動車の二谷英明)も住んでいること。
 ところでフランク永井は歌手だから、映画でも歌う。「羽田発7時50分」は主題歌なのだが、他にもこの映画制作時の推したい曲「哀愁ギター」が歌われている。また創立記念会場では何故か社員も「13,800円」を合唱するという大サービスだった。
 フランク永井が大好きだった自動車の運転をすることが映像化され、大変ご機嫌だったに違いない。
 ちなみに、当時羽田飛行場は国際空港でもあったが夜間飛行は騒音から制限されていた。夜8時までだったので7時50分が「最終」だと、歌の歌詞で表現されているのだが、実際はそうした便はなかった。台湾からの着便ではあったようだがが、いずれにしても飛行機便の需要が急速に求められて8時制限はまもなくなくなり、成田が建設された。
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 フランク永井の「大阪野郎」は1960(S35)年に発売されたレコード。これは、同年の春から読売テレビ(YTV)でおよそ1年間放送されたテレビドラマ「大阪野郎」の主題歌。フランク永井ご自身はドラマ出演はしていないようだ。
 ドラマは、当時まだ若手の藤本義一が椎名竜治(椎名竜二)と組んで脚本を書いたもの。藤本義一といえば、放送作家としてトップを走る作家で、東の井上ひさしとともの超有名な売れっ子。ドラマが面白くないわけがないとの定評がある。残念なことに筆者は観てないのでなんとも。
 放送終了とともに松竹から映画化され翌年に上映された。多くの俳優が映画にも移ってご活躍した。内容は「バイタリティあふれる浪花男の心意気をドヤ街を舞台に、痛快に描く根性もの」と紹介されている。
 主題歌「大阪野郎」は作詞中沢昭二、作編曲斎藤超。作詞家、作曲家ともにフランク永井に提供したのはこの1曲だけ。中沢昭二は映画、ドラマ系のシナリオライラー(だが、幅広く仕事している)。作曲家の斎藤超(わたる)。資料がほとんどないので、どういう方であったかはよくわからない。
 唯一と思える記事がネットサイトにあった。2009年のものだが「斎藤超エレクトーン黎明期の天才奏者」(daddy-k氏)と紹介されている。それによれば、国産電子オルガン(エレクローン)が発明され発売されて当初からの、優れた奏者であり、作曲、編曲でもなみなみならぬ才能を発揮し、教育にも力をそそいだとのこと。
 命のようなこの楽器を守るためにたたかい、病気になり不幸にも1965(S40)に若くして亡くなられてとのこと。
 このような方が曲を提供されていたというのは奇跡的で貴重。あらためて「大阪野郎」を聴いてみた。ところが、最近にひょんなことから「大阪野郎」のSP盤があるときき、聴く機会を得た。
 SP盤は「大阪野郎」では発売はないはず。この年、1960年はSPからEPへいっきにレコード製造発売が変化した年。フランク永井のレコードでは、三浦洸一がドラマ主題歌で歌った「流転」のB面「鈴懸の頃」がV-42000盤で最終を飾った。
 これが1月で「大阪野郎」は半年後。SP盤だという「大阪野郎」は、みると確かにSP盤に違いないのだが、B面はボロボロ(?)。理由は分からないのだが、SP盤初期のシェラック製とは異なり、ビニール製に何かコーディングしているようで、それがベースからはがれている箇所が多く目立つのだ。
 表面が「大阪野郎」のフランク永井の歌で、B面は演奏だけというのだが、表面はかろうじて聴けるがB面はだめ。
 タイトルで「妙」と言ったのは実は、これだけではない「妙」があるからだ。それは、今までのSPで見たことも、聴いたこともないこと(私には)。何とSPの針を外周からではなく、内周に落として外へ動いていくというもの。
 驚いた。最初は外に針を落とすが、何度やっても「終了」する。さんざん首をかしげた挙句、もしかしてと思いつつ、内周に針を添えたら、ちゃんと再生したという次第。
 こんなSPは私には初めてだが、どなたか、そんなSPのことについてご存知なら、ぜひご教授いただきたい次第。
 SPのレーベル箇所はNIHON DENK ONKYO CO. LTDの汎用に手書きで「主題歌(唄入り)3'17"」「主題歌(楽団演奏)2'27"」と書かれている。
 そこで、あらためて、SPがつつんであった封筒を見てみたら、そこに写真のように「大阪野郎主題歌 斉藤様 YTV」と。つまり、放送局で使用したもので、かつ作曲である斎藤用のもの。これが何らかの事情でここにある、というものではなあろうか。
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 フランク永井が現役時代に発売したシングル盤はおよそ500枚。1955(S30)年から1985(S60)年まで。枚数をおよそ、と言ったのは後年の時代のレコード会社のさまざまな企画で、アンコール・シリーズとか別カップリングでの再版が多数あって、それを数えると相当数に及ぶために、フランク永井データブックの基準(ダブりをなるべく抑えた)で数えたものである。
 別項で取り上げたのは、1966(S41)年ごろまでのレコード会社の方針で、レコードの表裏(A面・B面)を別の歌手にする傾向が強かったということ。フランク永井については、デビュー盤以来半数を超える盤に別の歌手が組まれたと。
 歌手名だけで50余名に及ぶのだが、並べてみると圧巻。
 一番多く組んでいるのは、藤本二三代で17回。ついで松尾和子14回。朝倉ユリ11回。和田弘とマヒナ・スターズ11回。三浦洸一8回。曽根史郎7回。全体は下記に。
 ゴールデン・デュエットの松尾和子が多いと思ったのだが、藤本が一番多かった。久しく聞かない朝倉ユリも意外に多かった。男性陣では三浦洸一、曽根史郎が目立つ。お二人ともフランク永井と比べてもファンも多く名が通っていたので、カップリングをするレコード会社の意図はどこにあったのか、と今も思う。
 高島忠夫、立川澄人、灰田勝彦、橋幸夫、ウイリー沖山、松島アキラ、宮城まり子、田代美代子とそうそうたる名前が連なる。筆者の近所で新聞の配達時に配布される「定年時代」というタブロイド紙があるのだが、ウイリー沖山が紹介されていた。85歳(現在は86歳かな)で、膠原病(こうげんびょう)に襲われたが克服し、ヨーデルは無理だが現在も「歌こそ命」でコンサートを開いたりされていると。素晴らしいことである。
 当然、多くの方はすでにお亡くなりになったが、まだまだお元気な方もおられる。雪村いづみは、フランク永井デビュー時のジャズ3曲の片面を飾ってくれた。藤田功はフランク永井に作曲を提供している曽根幸明。知らない名前の方もおられる。新人歌手だったのだろうか。羽生奈々子はフランク永井のデビュー曲のA面だが、その後どこでも聞かない。こうした方々がおられてのフランク永井であったと思わせる、カップリングの顔顔である。

藤本二三代(17回)、松尾和子(14回)、朝倉ユリ(11回)、和田弘とマヒナ・スターズ(11回)、三浦洸一(8回)、曽根史郎(7回)、市丸(4回)、多摩幸子(4回)、藤田功(3回)、神楽坂浮子(3回)、雪村いづみ(3回)、野村雪子(3回)、橋幸夫(2回)、中沢銀司(2回)、明石光司(2回)、三沢あけみ(2回)、清水まどか(2回)、中原葉子(2回)、藤村真紀(2回)、ウイリー沖山(1回)、河村淳(1回)、灰田勝彦(1回)、宮島三郎(1回)、熊倉一雄(1回)、広瀬一声(1回)、高島忠夫(1回)、今村隆志(1回)、坂本博士(1回)、勝三四郎(1回)、松島アキラ(1回)、村崎貞二(1回)、平尾昌章(1回)、立川澄人(1回)、ロミ山田(1回)、安西愛子(1回)、羽生奈々子(1回)、岡部幸恵(1回)、菊池章子(1回)、宮城まり子(1回)、山中みゆき(1回)、小桜姉妹(1回)、松島みのり(1回)、真理ヨシコ(1回)、大川さゆり(1回)、大津美子(1回)、大塚美晴(1回)、中尾ミエ(1回)、中野千鶴子(1回)、中矢孝子(1回)、田代美代子(1回)、内海京子(1回)、美野早苗(1回)、ニュー・キャリナーズ(1回)、ビクター少年民謡会(1回)、焼津市南小学校合唱団(1回)

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【余談】昔から見てくださっている方からご指摘があった歌手名についてひとこと感謝と共に触れたい。まだ現役でご活躍の曾根史朗(たいへん僭越ながら敬称を略させていただいてます)。曾根は一般表記を優先して曽根と記載させていただいている。名前は史朗が現在の表記で、フランク永井と現役を共にしていた時代は史郎。同様に平尾昌晃だが、ご活躍であった時代から、主に歌手と作曲家で使い分けたりされておられたようだが、マスコミ等周囲が十分についていけずに混乱があった。後年作曲家が主になったことから平尾昌晃で統一された。フランク永井と同時代であった歌手時代は平尾昌章。
 人名は本人の表記への意思を尊重したい。だがちょっと複雑な事情もともなうことがある。それはフランク永井の恩師吉田正の表記。吉田の吉はご本人の意図としては、土+口が正式で可能な限りそうして欲しいというものだった。だが、これは一般的な文字表記としては、士+口の吉が使われている。事情は漢字のコンピュータでの字形の規定をJISで採用する際に、吉が土+口の文字を許容して含むという判断をしたことによる。通産省系の判断が優先された。というのは、同時期に分母が無数に近い手書きの人名文字をコンピュータ化するために、取り組んでいた総務省系の部署が取り組んで、一部現場でも使用されていた。だが、余りにも無茶無理があるために統一性を持たせることが困難で、通産省系がJIS第一水準で決まってしまい、多少の修正をされながら今日に至っている。
 吉田をご本人の意図尊重で正しく表現したくても、それは例え同じ意図を持つ本人でも表現できないというのが現実。そのことから、吉田正の吉は士+口が一般に使用されている。だが、求める側との力関係で見かけるのは主に外字として別途作られて使用されているのもある。だが、ビジネス文書やPC系での一般文と異なり、書籍系では土+口が表現できる。それは世界的な標準であるアドビ社のアプリで作られるものだ。このアプリではJISとは別に多数の異字体を含むフォントが使える仕様になっているため。渡辺の辺など2桁に及ぶのではないかと思える異字体でも、容易に表現できる。
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 この表題では、きっと誰もが何が言いたいのか分からないかも知れない。フランク永井のシングル・レコード(EP、直径7インチ=およそ17cm盤)の虫干しをしていて、以前から気づいてはいたのだが、今までテーマにしたことがなかったこと。
 それは、上の写真をご覧いただきたい。なお、写真は著作権や再利用の関係から、判断できると思えるぎりぎりまで品質が下がっているので、ご容赦。
 フランク永井のレコード界デビューは1955(S30)の「恋人よわれに帰れ」であるが、このときから1966(S41)という、大活躍したおよそ10年間に発売されたEPと当初のSP(硬く重く割れる盤)のジャケット。ただし、A面B面のいずれかが、フラック永井と異なる歌手によって曲が納められているというもの。実は、この間にでたのは198枚あり、デュエットも含めて他の歌手とともに出たのは117枚、60%もあるのだ。とにかく多いことにびっくりする。
 ちなみに、最後の一枚はこの時期からずっと後の1977(S52)の「11時<イレブン>過ぎから」である。
 カップリングとちょっと面倒なのでこう呼んだが、正確には異なるハズ。というのは正確ではないと思うが、カップリングはA面ともB面とも呼ばずに2人の歌手の歌を双方A面と同じレベルの扱いをしたい、というときに用いた用語のようだからだ。
 A面、B面ということ自身、妙な呼び名である。レコードを手に取った人が、異なる歌手の異なる歌であるときに、どちらを聴きたいと思うかは純粋に個人の好みである。A面、B面はあくまでもレコード会社側の売りたい、看板にしたいという意図がつけたもの。
 だから、購入する側からは、自分の好きな歌手の盤を取得するだけで、その裏面を何と呼ぶかは意識にないのではなかろうか。場合によってはレコード会社が推したいA面には針を落とさないということまであったかもしれない。
 1966年を境に、フランク永井のカップリングは「11時<イレブン>過ぎから」のたった1枚。急激な変化があったようにみえる。
 そのころになれば、フランク永井が業界での重鎮となり、フランク永井にくっつけて売りたい新人歌手がいたとしても、重鎮に失礼になるかもしれない。とか、新人には大物にくっつけて拡販してもらったのでは、というような気持ちにさせ、これも失礼となりかねない。
 定かなことはまったくないが、そんな心理が働いたのかもしれない。
 では、それまでは、どんな考えがあってカップリング(実際はA面、B面)が主流?ではないものの、多かったのだろうか。
 やはり、単純にA面の歌手と曲を広く世に売りたい。ついでにこれからの活躍を期待したい新人、あるいはまだ名前が広まっていない歌手と歌をB面にして買ってもらいたい。というようなことが一番だったのかと思う。
 だが、これだけで説明できないのは、当時すでに先行して名が売れていた三浦洸一とのペア。双方が有名になっているのだから。。。これほどカップリングが多いということは、おそらくフランク永井に限ったことではないだろう。時代の風潮で、他の歌手についても、他のレコード会社でも同じ流れがあったのかもしれない。だが、残念なことに筆者にはそうした情報はないので、ご存知の方は教えていただければ甚大。
 A面、B面ではどこまで考えてそのようにしたのか、と後に言われた盤もある。松尾和子をデビューさせた「グッド・ナイト」、このB面は「東京ナイト・クラブ」。損したといわれる「おまえに」の最初の盤は「大阪ろまん」のB面で、やはりB面ゆえに露出が大幅に少なかったと。だが「こいさんのラブ・コール」はA面「釧路の駅でさようなら」(三浦洸一)のB面。これはB面でも売れた。
 近年、ビクターはフランク永井のコンプリートとしてA面全集をだした。これは画期的でファンからおおいなる期待を寄せられた。だが、ここで記したように全盛時代にいくつもがB面であるがゆえに沈む結果になる。そればかりか、1966年以降はリリースされた曲のおよそ半数が日の目を見ないことになる。コンプリートをいうのであればB面を考慮しなければ完結しないのではなかろうか。
 当時のレコードを当時のジャケットのままで復刻するとうたうMEG-CDからすでにフランク永井の盤は三分の二程度は出されたと思う。これはB面も忠実に復刻している。そのために、カップリングで当時はB面であるがゆえに一歩遅れをとった歌手と曲が、平等に再登場した。
 さて、写真でカップリングした歌手は53名。これを資料として下記に記す。
[ウイリー沖山][ロミ山田/坂本博士][安西愛子/中野千鶴子][羽生奈々子][河村淳][宮城まり子][宮島三郎][橋幸夫][橋幸夫、三沢あけみ][熊倉一雄][広瀬一声/岡部幸恵][高島忠夫][今村隆志][三浦洸一][三沢あけみ][山中みゆき][市丸/曽根史朗][市丸/曽根史朗/藤本二三代][市丸/中沢銀司][勝三四郎][小桜姉妹/焼津市南小学校合唱団][松島アキラ][松島みのり][松尾和子][松尾和子/和田弘とマヒナ・スターズ][真理ヨシコ][神楽坂浮子][神楽坂浮子/中矢孝子/大川さゆり][清水まどか][雪村いづみ][曽根史朗][村埼貞二][多摩幸子][大津美子][中原葉子][中沢銀司/大塚美晴/ビクター少年民謡隊][中尾ミエ][朝倉ユリ][田代美代子][藤村真紀][藤田功][藤田功/三浦洸一/灰田勝彦/多摩幸子/藤本二三代/菊池章子][藤田功/多摩幸子][藤本二三代][内海京子][美野早苗][平尾昌章][明石光司][野村雪子][野村雪子/神楽坂浮子][由利夏江][立川澄人][和田弘とマヒナ・スターズ]
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 今日十日は文藝春秋の発売日。芥川賞をウォッチしている友人から連絡があった。何かと思いきや「見たか!出た文春のグラビアの柳家小三治を」と。
 そんなぁ、文学にはおいらぁ弱いの知ってんだろうっ!と返答はしたのだが、気になって覗いてみると、確かにグラビアページで柳家小三治が特集になっている。そこで、該当のページを見てみると記載がある。「楽屋で髭を剃る。親交のあったフランク永井の唄を口ずさんだりしながら、入念に準備を整える。徐々に、感覚を研ぎ澄ませていく」とある。
 芥川賞受賞作品をきっと読まないのだが、貴重なフランク永井の「ちょい出」があったという話。
 柳家小三治はここにあるように、フランク永井が元気で舞台で活躍しているときからの熱烈なファン同士で有名。その小三治がいまだに鮮やかな話を現役で聴かせているというのは、それだけで感動もの。鏡!。
 フランク永井はデビュー前から話が大好きだったようだ。彼のライブでのトーク、映画出演でのセリフ回し、聴いていみれば、その軽妙なかたりは、落語の発生のようだ。
 柳家小三治は落語の話の切り口のうまさが定評。それをまくらというのだそうだが、そのまままくらを収めた「ま・く・ら」(1989講談社)を出版している。とうぜんフランク永井にかかわる話題をそこに入れ込んでいる。
 舞台で自ら話すということと少しは関係があるかもしれない。その興味の対象はどんどん深まり、勝手に師匠を決め込み、勝手にフランク亭永井をかたる。当時の大衆の娯楽の対象は、流行歌、落語、浪曲、民謡...。入れ込んでいく。
 そうしたフランク永井を、噺家も快く許した。このくだりは、フランク永井大全集(1975S50年 SJX-8022~8031)の10枚目の盤で語られている。この盤には音で唯一残っているのではないか、と思えるフランク永井自身の語った小噺「夕立や」が載っている。
 この世界でフランク永井との深い交流があったのが、その世界を語れば大家の安藤鶴夫。家族ともどもの深い親交があった。彼が書いて残した「昔・東京の町の売り声」(1987旺文社)は、これも光っている。
 テーマは全編通じて、日本の町の、といっても安藤が生活する周辺のことだが、様子が映像のようにみごとに映し出されている。いや、ここで特記したいのは、彼の文章だ。といっても、それは安藤が持つラジオ番組(ニッポン放送ラジオ・エッセイ)での語りの再現だから、当然だろうと言われればそうなのだが、その語りがすごいのだ。
 日本語がこれほどまで、はっきり、ぴったり、明確に、みごとに、口から自然に出てくるということ。安藤と落語の結びつきがいかに自然な、生活そのもの、日常であったかを証明しているのではなかろうか。と、読んでいてエラく感心したところであった。
 この安藤は明治百年、つまり1968(S43)年に国中でさまざまな行事がとりおこなわれてときに、愛知県にある博物館明治村でも記念祭が行われ、それに関与した。そこでは、国内ばかりにかぎらずにクラシックから大衆芸能までがフル動員された。このときにめいじ百年を記念して特別に作られた「明治頌歌」をフランク永井に披露させた。
 フランク永井は第2回リサイタルで長編歌謡「慕情」を歌ってその実力を認められていただけに、難しいと思える時代をたたえる古文調の「明治頌歌」をどうどうと歌いこなしている。
 さて、安藤の残した上記著作で、やはりちょい出がある。それは舟木一夫に関する記述の箇所。舟木がまだデビューする前に安藤と近い四谷周辺に住んでいて、町のお風呂で語り合う中。
 舟木(厳密にはデビュー前なので異なる)がこの当時よく口ずさんでいたのがフランク永井の唄だったというのだ! それからしばらくして、遠藤実のもとから舟木一夫で「高校三年生」を歌って出た。たちまち大人気に。
 遠藤から事情があって吉田正が預かったのが橋幸夫。彼は遠藤のもとにいれば舟木の名が付けられる予定だったと、橋が後に語っている。橋と舟木一夫と西郷輝彦は初代?の御三家でその後この世界を席巻した。お三方ともこれからも元気で歌い続けてほしい。
 ということで、今回はフランク永井が、何かの拍子にちょいと出てくることが、つらつら思い出されて記した次第。

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