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 フランク永井は戦後の昭和歌謡の代表的な歌手だが、その歌謡界では忘れてはならない偉大なクリエータ・アーティストがいる。恩師吉田正ももちろんだが、作曲家の世界には盟友だった渡久地政信、ライバルでもあった古賀政男、遠藤実。中村八大、浜口庫之助、船村徹、宮川泰、服部良一もあげられる。
 そうしたなかで、コロンビアには古関裕而という作曲家がいる。生涯で5000曲以上を作った昭和を代表する作曲家の一人だ。古関裕而が日本のスポーツ界に多くの曲を作っている。印象的な曲が多く、もっとも有名なのではないだろうか。球界の殿堂入りに加えてもいいという声まである。
 その古関裕而をモデルにしたNHK朝ドラが今年の春から始まるのが決まっている。オリンピックを盛り上げる一般で、政権とNHKが取り組んでいるのだろう。東日本大震災、福島原発事故で多くの犠牲者が出て、今も復興で奮闘されているのを支援するという意味も重なっている。
 興味ある分野のテーマであり、古関裕而がそのモデルだとするなら、展開が楽しみである。
 昭和の歌謡曲を体験している人なら、古関裕而の名は誰もが知っている。それは、彼があまりにも多く聴いて耳に残る、後々まで心に残る歌を作ったからに違いない。
 古関裕而は初期からにコロムビア・レコードに縁が深く、正式には戦後専属になった。日中戦争時に軍歌「露営の歌」が大ヒット。戦後は「長崎の鐘」などの鎮魂歌、ラジオドラマ主題曲「鐘の鳴る丘(とんがり帽子)」「君の名は」を作況した。高校野球大会歌「栄冠は君に輝く」、東京五輪開会式行進曲「オリンピックマーチ」など流行歌から応援歌まで多くの名曲を残した。
 また、古関裕而の功績は各種学校の校歌や地域のご当地ソング、企業の社歌等での数えられないほどの曲を提供していることだ。
 藤山一郎、伊藤久男をはじめ二葉あき子など多くの歌手にもめぐまれた。戦後は劇作家菊田一夫との名コンビを組んで名作を残した。「夜霧の...」を多く歌うことでフランク永井=夜霧のような印象を作ったように、古関裕而は「鐘」を多く作っている。
 この時代は「戦争」の遺恨が根深く世を覆っていたのも事実。戦争で百万のオーダーの民と兵士が犠牲を受けた。その鎮魂歌として「鐘」が連想させたこともある。
 古関裕而の業績でそうとう以前によく言われたことがあり、記憶に残っている。それは、先の戦争のときに積極的な戦争協力者だったといい噂だ。戦争反対を強くいう人たちから見たら、確かに「いいのか」と思ったのであろう。
 だが、古関裕而を責めるのは酷だと思う。当時の圧倒的な数の民の心底では戦争は望んでいなかったのは事実だが、同時にあの戦争をとどめられなかったのもその民だからだ。古関裕而にせよ、見事な軍歌を歌って奮い立たせた伊藤久男にしても、軍の要請を拒否することなど選択肢にななかった時代だった。
 エンジニアもアーティストも一般的に汚い政治の世界とは距離をもち、己の関心事に没頭したいというのが多いもの。だから、いったん命令とはいえ与えられたテーマを満足いくまで突き詰める。これが、結果として抜きんでた成果をだした。「米英撃滅の歌」(山田耕筰)や「海ゆかば」(信時潔)も同じだ。
 作曲した古関、山田、信時や歌った伊藤に非を突き付けても何の意味をなさない。大政翼賛会として政治的に利用した側の方向にこそ目を向けるべきものだろう。
 戦後は破壊されて暗い戦後の気持ちを少しでも明るくしようという方向の曲を多数手がけた。鎮魂の鐘シリーズ、初めてアイヌを歌にした「イヨマンテの夜」んど数えきれない。この実績をも高く評価したい。
 フランク永井はビクターで、専属制時代ゆえに古関裕而の曲は歌っていない。カバーも記録がない。だが、フランク永井の熱心なファンの一人で、さまざまなことでお世話をいただいている、前橋の方がおられる。
 品川ヤイさんである。宮城県大崎市ですでに恒例となっている「フランク永井歌コンクール」に毎回、前橋チームとして多数の参加をしている。この品川さんが前橋で児童養護施設「鐘の鳴る丘少年の家」を営まれている。
 これこそ、戦後の多数の戦争孤児への対応という大きな課題であったことおテーマにして、NHKでドラマを放送したもの。それに呼応して資材を投じて設立したもの。ドラマは菊田一夫が台本を書き、音楽は全面的に古関裕而が担当した。主題歌「とんがり帽子」を歌ったのは川田正子で、誰もが口ずさんだもの。「鐘の鳴る丘少年の家」については、以前のこのコラムで紹介している。1917年7月。品川さんはフランク永井の鉛筆画を多数描いていて、作品を展示室で公開されている。(http://www.wind.sannet.ne.jp/guitar/sab3.html)
 古関裕而については自伝的な書を残している。「古関裕而―鐘よ鳴り響け」で、最近に集英社から再販が出版されている。NHK朝ドラやオリンピックとの連携だが、彼が活躍した時代とのかかわりがよくあらわされている。またいくつかのCD-BXも発売されている。
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 「日本の流行歌スターたち」("Japanese Kayokyoku Star")については、たびたびこのコラムで紹介してきた。これはビクターに属した名だたる歌手について、ベスト22~24前後の代表曲を集めてシリーズでリリースしているもの。2年前からいくつかのくくりで出している大作で、現時点で26巻に及んでいる。まだ続く模様。
 第1巻に「フランク永井」が収まり「二人だけのワルツ」「さあもう一度キスしよう」「秋」が新たにデジタル化されたことに触れた。「さあ...」は埋もれていた貴重な初出の音源である。
 1:フランク永井、2:松尾和子、3:藤本二三代、4:榎本美佐江、5:神楽坂浮子、6:小唄勝太郎、7:佐藤千夜子、8:生田恵子、9:徳山漣、10:藤本二三吉、11:久慈あさみ、12:轟夕紀子、13:暁テル子、14:四谷文子、15:市丸、16:小林千代子、17;藤原義江、18:服部富子、19:宇都美清、20:初代鈴木正夫、21:平野愛子、22:乙羽信子、23:由利あけみ、24:久保幸江、25:藤原亮子、26:羽衣歌子
 男性歌手は5人と少ない。いかに女性歌手の人気があったかということだろう。戦前から昭和にかけてのそうそうたる陣営といえる。逆に現在の若い方々には名前すら知らない、知っていて歌は聴いたことがないというのが多いのではないだろうか。文四郎の年代でも相当に歌謡曲に若い時から関心を抱いていなければ、知らない人もいるはずだ。だが、ご存知の方であれば、よくぞまとめて出してくれたと、感涙するかもしれない。それほどの歴史的な大作品なのである。
 こうした歌手については、フランク永井や松尾和子といった突出した人気を博した、しかもこの陣営でも「若手」(えっ!だろうけど)には、すでに多くのベスト・セレクションや全集的なBOXものが出ているのだが、基本的にはいままで不識なことかもしれないが、出ていなかったのだ。だから、この度のシリーズではじめて選集としてまとまって出たというのがほとんどだ。
 それは、活躍のピークの時代がSPレコードの時代であったことが困難にしていた理由のひとつだ。また、その後に訪れるレコード会社や映画会社が作った専属性掟がある。レコード会社を移動することが厳しい競合社会で大きな壁ができていたために、権利許諾の難しさを生んだものと思える。
 かてて曲の歌詞にもこの時代の大衆感情が深く関与している。というより、阿久悠じゃないが時代の鏡のようなもの。この時代は戦争の影から逃れられない。映画のことで幾度もふれたように、タバコ、銃、薬が今ではありえない、あってはならない状態で不通に登場する。これは男が女に対する扱やふるまいでも同じだ。パワハラ、セクハラの概念もない。替え歌として歌詞を変えないでも、現代でははばかられることも出てくるからだ。
 そうすると、当時どれほど人気があったとはいえ、選曲は容易でない。だが、このあたりは、このシリーズの実現に大きく貢献した合田道人氏(以下敬称省略で失礼)に負うところが多いのだが、見事に対応しているところがすばらしい。彼は、ほとんどの巻について選曲し、歌手のそつない紹介を成している。
 CDを聴いて驚くはずだが、完全なノイズレスのクリアな、まるで古さを感じさせない音が楽しめる。今出た理由にはそうした権利や技術が背景にあるのだろう。
 大衆娯楽、大衆文化の遺産が埋もれたままでいいのか、という問題もあり、これはやはりビクターのようなレコード会社がやらなければ、いかんせん、やりようがない。しかもこの遺産を後世に引き継ぐという意義を理解したものにしかやりえない。だから、今回それを実現していることに敬意を感じるものである。
 多くの方の活躍されていた時期の最もハリのある魅力的な表情の写真で統一されている。モノクロで統一されているのは、時代を醸し出している。多くの方はおそらく、カラー写真はないのかもしれない。
 先にこのシリーズの紹介で美人歌手藤本二三代を取り上げた。レコード・ジャケットなどで、よくもここまで顔の表情の異なる写真を使ったものだ。現在の顔認識で同じ人は認識されないだろうと思うほどと書いた。個人的に美形で歌がうまいで好きなわけだが、このシリーズの5巻目の神楽坂浮子も同じく歌がうまい。
 それはCDを聴いてみればわかるが、彼女の歌う「祇園小唄」などを聴けば、けっしてお色気やムードだけで人気があったのではないと納得する。フランク永井とのカップリングが多いという紹介もしたが「ピンクムード音頭」が収録されている。
 また神楽坂浮子は橋幸夫同様古賀政男に歌の指導を受けていた。だが当時のレコード会社は「収益につながるか」が第一で、すでに神楽坂はん子や久保幸江という売れ子がいるのでもういいとして古賀はビクターに紹介した(選曲・監修した合田道人がインナー・ノートで紹介している)。ラジオ歌謡の鳴海日出夫についても、岡本敦郎は二人いらないと不遇の扱いのようになるのも同じだ。
 古賀の配慮はすごかった。ビクターで橋幸夫も神楽坂浮子も実力の花がビクターから咲いた。
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 2020年の年が明けた。
 暮れには日産元社長のカルロス・ゴーンがレバノンにその名のごとく行ってしまった。正月間もなく、米国がイランのソレイマ革命防衛隊司令官を殺害したというニュース。何とも今年を象徴するような出来事で世界を不安に巻き込んだ。
 だが、今年も、フランク永井関連のエピソードを明るみにしていくことで、少しでも気持ちを和らげていけないかを考えてみたいと思う。文四郎日記、今年もよろしくお願いします。
 フランク永井のレコード類は基本的に、1985(S60)年、つまり現在の令和の前の平成のその前の後年で、今から35年前に発売は終了した。フランク永井が30年間の舞台を降りたときのことがマスコミは暗く扱い、フランク永井とファンには辛い長い時期があった。やや言い過ぎかもしれないがおよそ20年間の「暗黒時代」。
 だが、2007年に「昭和歌謡黄金時代」、2009年に「歌伝説~フランク永井の世界」がNHKで放送されて、全面的な封印解除がなされ、ようやくフランク永井の全面復帰が遂げられた。だが、時すでに遅しの感があった。フランク永井の全盛時代を支えた幅広いファン層の年代が高齢を迎えつつあったからだ。20年の低迷期の存在は大きく、ファン層が若い世代に受け継がれていくチャンスを逃した感があった。
 しかしフランク永井の戦後の大衆文化に与えた影響は巨大で、女性の大御所美空ひばりに男性として匹敵するものだったからだ。低迷時代に男性歌手でフランク永井の存在に代わって役を果たしたのが石原裕次郎であり、三橋美智也、春日八郎、村田英雄、三波春夫らの歌手であった。フランク永井の再登場、といってもすでに舞台に出られるわけではなく、現在のようにAIでのバーチャル出演もままならずであった。
 熱いファン層を代表して、フランク永井の故郷宮城県大崎市松山では、2008年に「第1回フランク永井歌コンクール」が開催された。そして、2010年には「フランク永井・魅惑の低音のすべて~きらめく昭和歌謡を開いた栄光の全記録」(通称「フランク永井データブック」)が世にだされた次第である。
 大崎市のファンの有志は事実上のフランク永井公式サイトとなっている「フランク永井の故郷から」というインターネット・サイトが開かれた。
 テレビやラジオでもフランク永井の扱いにはタブーが払しょくされてきた。大きく復活したテレビの歌番組では「懐メロ」的なコーナーではフランク永井は欠かせない大歌手として存在感をもっている。ラジオではNHKのラジオ深夜便では毎年欠かせず、命月の10月にほぼ2時間の特集を放送している。またテレビ各局も、定期的にフランク永井の特集を組んできた。
 そしてフランク永井が生涯属してきたビクターからは、毎年のようにCD商品がリリースされ続けている。特に近年は、フランク永井の作品で過去に商品に登場していないような、珍しく、かつ貴重な曲を掘り起こして紹介している。
 そのようなことから、2010年に編纂されたデータブックに記載されていない曲もぽつりぽつりと発見されてきている。これからも続くのではないかと、大いに期待できると喜んでいる次第。
 前置きが長くなったが、表題にはいろう。実は、かつてレコードと同時期に発売されていたテープ版のなかにも、データブック未記載の曲があったということである。
 何度も触れてきたことだが、データブック編纂時はテープ版が存在するのは承知していたが、それはあくまでも同名で発売されているレコードと内容は同じものという判断をしていたことだ。現物を確認するという編纂者に課せられている当然のことをしていなかったことからの結果。至らない自分の力からの欠陥として、まことに申し訳ないこと。

 そんなことから、当サイトでそうした発見があるたびに、くまなく報告をしてきた次第。
 今回は、2016~2017年にいちど触れた件3点の再紹介。ただ、これはあくまで手元になる現物や資料に負ったもので、すべてではない。一つは、2016年5月に紹介した「フランク永井オン・ステージ」。1976年の作品。
 大阪ロイヤルホテル・スカイラウンジ・ショーの録音で、フランクス・セブンの演奏。LP版は19曲にたいしてテープ版は28曲で、9曲が余分に入っている。この差は、LPに収録可能な標準的な時間と、テープの両面に収録可能な時間に差があるため。曲数が変わらないのではないかという予想をはるかに9曲も超えているというのは驚きだ。
 その逆なのは「輝ける21年の足跡」。1971年の発売。LPが2枚組で、テープは表裏だが1本。LPにはテープ版に収まらない6曲がある。
 まさかと思うのは1982年の山下達郎プロデュースということで噂の多い「Woman」。誰もがこの種で相違はないのではないかと思うのだが、テープ版には4曲多い16曲が収録されている。2017年12月の当欄で紹介したとおりだが、「夜明けの街」「ブランデーグラス」「めぐり逢いふたたび」「霧子のタンゴ・パートⅡ」がそれで、「めぐり逢いふたたび」はデータブック未記載の曲。
 「霧子のタンゴ・パートⅡ」は、先の「輝ける21年の足跡」のリサイタルように特別に作られた曲だが「Woman」テープ版では、スタジオでの採録音のものが紹介されている。
 テープ版をなめちゃいけない! というのが教訓。だが、テープ版については残念ながら全容がつかめていない。フランク永井に関するテープ版はどれほどあったのか。上記のようなことから想像するに、ひとつはライブ盤が要注意なのではないか。例えば最後のリサイタルになった「歌手生活30周年記念ライヴ」(1985年)のLPは1枚版。フル盤ではないから、テープ版(きっとあるはず)なら、さらに別の曲も楽しめたのではないかと期待できる。
 それから小椋佳と組んでつくった「マホガニーのカウンター」(1983年)なんかはどうだろう。「Woman」とならんでカバーが多い盤だが、フランク永井が若い、そしてジャンルの異なるエンターテナーと組んでの作品であるだけに、テープ版があるなら、ぜひとも聴いてみたいものである。
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 デビューして好きなジャズを歌ったが売れない。だが、2年後にフランク永井を全国区に押し出した大ヒットが「有楽町で逢いましょう」。恩師吉田正にすすめられて、流行歌の歌手に転向して17曲目であった。
 東京に進出してきたそごうデパートが有楽町駅前に開店するというキャンペーンの一環で歌った、コマーシャル・ソングだった。始まったばかりの民間テレビ放送の番組、芸能誌「月刊平凡」連載小説、歌謡曲、そして映画と今では考えられないような大掛かりのメディア大連合の一大作戦だった。
 「有楽町で逢いましょう」は吉田正が後に「これで自分の職業欄に作曲家と自信をもって書けるようになった」という。都会派ムード歌謡の流れを作り出した作品。
 キャンペーンのプロジェクト内では、今ビクターで売れている三浦洸一に歌わせたいという声が多数ある中、吉田は自分の秘めたる思いもあり、フランク永井を推した。頑として譲らず、スタジオに招きフランク永井に歌わせた。周囲はこれで黙ったと言われる。
 誰に歌わすかということでは、もうひとつエピソードが残されている。毎年開催されるフランク永井歌コンクールの過酷な審査委員長をスタート以来十年担当されていた白井氏が明かしている。
 吉田正と同じ故郷日立出身のプロ野球西鉄の大選手、豊田泰光だ。「男のいる街」というレコードを出している。彼の練習に完成する前の「有楽町で逢いましょう」を歌わせていたという。フランク永井に内定したときに、彼には電話で「フランク永井に歌わせることにした」と断ったという話。
 1957(S32)年11月にレコードは出された。そごうの開店も大盛況だった。映画は翌年新春の封切で、これも大いにヒットした。当時まだモノクロの時代だが、カラー作品で目をひいた。
 フランク永井の関係した映画では、この映画が1作目で、翌2月「夜霧の第二国道」が公開。4月「羽田発7時50分」、5月「場末のペット吹き」と「夜の波紋」。7月「西銀座駅前」、8月「ロマンス祭」、10月「有楽町0番地」、11月「夜霧の南京街」「東京午前三時」と続く。何とこの年だけで10作の映画に出演したり主題歌を歌ったりしている。
 あらためて見て見ると、シングル盤32枚、LPアルバム3枚をも出している。誰が見ても過労を地で行く多忙さだ。
 「有楽町で逢いましょう」で気を良くした大映は、フランク永井のヒット作品「好き好き好き」をテーマに、1960年の新春封切「セクシー・サイン 好き好き好き」を作る。川口浩、野添ひとみ、叶順子と人気スタッフが顔をそろえる。さらに、翌2月末の上映となる「嫌い嫌い嫌い」が続く。
 川口、野添コンビではない。菅原謙二、叶順子が出る。ここでは伊丹十三、田宮二郎といった新人に金田一敦子、左幸子といった面々が新たに加わる。源氏鶏太の「花のサラリーマン」が原作の愉快なドラマ。
 主題歌は松尾和子の「嫌い嫌い嫌い」で、松尾が唐突に画面で歌うシーンも入っている。「嫌い嫌い嫌い」はほとんど「好き好き好き」のお遊び・余裕の(?)だじゃれ。映画主題歌にあわせて、佐伯孝夫が作詞、吉田正が作曲した。
 ゴロがいいので、松尾のセクシーな歌唱にもあい、多くの人の耳に残った。松尾のセレクションには入ることも多い曲だ。
 フランク永井の「有楽町で逢いましょう」が生まれなければ、生れなかった映画と曲。今年はフランク永井の映画にまつわるテーマが多かった。
 ことしの文四郎日記はこれでおしまい。ご覧いただき、また、愉快なご指摘までいただき、感謝に絶えません。
 来年にはまたお会いできればと思います。良いお年をお迎えください。

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「何か一曲やりやすか」(流し)
「そうだな。夜霧に消えたチャコっんのやってくんないかな」(菅原)
「ちょっと歌詞が...」(流しB)
「ちょっと分かんないもんで、他の曲でも...」(流し)
「おぃ、俺が歌ってやろうぜ」(若山)
「お客様がですか」(流し)
「お前さん商売、じゃまして悪いな」(若山)
「そのかわり、チップは折半だぜ」(若山)
「どうも」(流し)
「好きなんすよ、この歌は。聴いてくれ」(若山)
「〽俺のこころを知りながら...」(若山)
 このような流れで、若山富三郎が「夜霧に消えたチャコ」を歌いだす。流しのギター演奏で歌いだす。ご存知、彼のだみ声での歌だが、それがなかなかいける。
 映画は「現代やくざ 与太者の掟」。1969年に公開された現代やくざシリーズで、菅原文太の初主演(東宝から東映に移籍して)作品だ。
 いまは、暴力団、反社会的組織、極道として日本全国から嫌われ、その映画を作って、主人公を英雄にしてしまうなどあり得ない。だが、1970年の日米安保協約の更新を前に学生は、政府がすすめる政策に正面から反対して盛り上がっていた時期。
 なぜか、極道シリーズの映画は異常な盛況の時代だった。鶴田浩二・高倉健・若山富三郎・」藤純子、そして菅原文太が「任侠俳優」として大いなる人気を得たのだった。
 フランク永井は安定的な活躍をしていた時代である。この映画のおよそ十年前にヒットした「夜霧に消えたチャコ」が、菅原主演のこの作品で「挿入歌」として採用されている。「夜霧に消えた...」というフレーズが、恋人、親友とか身近な思いをよせる人が静かに離れていく様をイメージさせるので、使われたものと思える。
 フランク永井自身は出演していないが、全編を通じて演奏が使われたりするが、藤純子がオルガンを弾いて楽しませてくれる。藤に思いを寄せる菅原が「夜霧に消えたチャコ」とともに大切にしている。すさんだ付き合いの己の置く世界で、唯一のこころの安らぎとして。。。
 菅原の設定は「暴力団、愚連隊が街をわがもの顔に歩く新宿を舞台に、貧乏のため一家心中した家族の中でただ一人生き残り、少年院、刑務所と渡り歩いた一匹狼の男」。
 ある酒場で、若山による挿入歌が歌わるのだが、菅原と若山がはじめて顔を合わすシーンが、冒頭のセリフ。
 「何が義理や仁義だ。言うことがやることと違うじゃないか」
 菅原のある場面でのセリフだが、やくざ映画、任侠映画、極道映画のテーマがここにあるのかな、と思った。暴力とカネという底辺の本性とを、義理と人情が表を飾る。この両面が複雑に入れ乱れる。
 映画を観る観衆は義理と人情の側面に入れ込んだり、暴力とカネという自分には無縁の非日常に酔う。登場人物の主役は西部劇のガンマンと重なる勇気、度胸、揺るがない一本気に「男らしさ」を感じて惚れる。
 だが、しょせん、描く世界は現実社会の裏側。例えいくら人気を博しても、これを表で堂々と文化にしていくのは、やがて否定されていく。日本の社会を席巻したブームは当然沈んだ。
 学生の70年代の反安保闘争も潮が引くように静まった。
 挿入歌『夜霧に消えたチャコ』(作詞:宮川哲夫、作曲:渡久地政信)は、フランク永井がレコード収録の際に、途中で感無量になり中断したと、作曲家で立ち会った渡久地が後に自著であかしている。
 この曲が醸し出すメロディーが宮川の詞とともにして、人の感情に深く食い込む。レコードが出た1959年同名で映画化されている。フランク永井自身も出演している。決してやくざ映画ではない。それが十年後に、社会的な盛り上がりのなかで、この菅原映画に採用され、全編に流れている。富山の歌唱はエンディングでも歌われる。
 今回は映画を久しぶりで鑑賞しながら、とりとめもなく、さまざまな当時の情勢を思い出してしまった次第。
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 美空ひばりの新曲をAIを使って、映像も歌唱も新たに再現してみようというNHKのプロジェクトがあり、それが放送されて、それなりに反響があったことを別項で記した。NHKで先日もほぼ同じ放送があり、それはどうも、年末の紅白歌合戦の特番コーナーで、美空ひばりをやる予定をしているだからのようだ。
 美空ひばりの歌のAIによる復活についての評価はおおかた、この記事で記したことと似ていた。歌はそうとうひばりの歌唱に近づいていて、素こそよかったぞと。だが、映像はなんやかんやいってもあれでいいのか。というものだった。
 やはり、映像ではすでに、現在上映中の「アナと雪の女王2」にみるように驚異的な感情と表情の表現が完成の域に達していて、それが例え似すぎることの弊害を危惧したとしても、誰もが物足りないと思ったようだ。
 歌の方だが、これは昭和の歌の女王といわれた、天才中の天才美空の歌唱の表現が難しいとはいえ、放送にあったようにすごい時間をかけて、手で微調整を加えなければならない姿をみると、難しいんだな、とうなってしまう。
 さて、そこで、表題の番組だ。14日、日本テレビで「紅白歌手と最新AIによる前代未聞のガチ歌バトル!!」が放送されたのをみた。
 紅白歌手というのは、演歌歌手の丘みどり。一方はマイクロソフトが研究しているAIのディープ・ラーニングを使って実現しているという「AIりんな」で、すでにエイベックスからデビューしているのだという。
 すこしだけ、このAIりんなにプロジェクトチームが、歌を学ばせていく過程を報じている。ゼロから、声を覚えさせ、自分で何かことばを発せられるようにし、歌詞を語らせる。メロディーを覚えさせ、歌のジャンルに応じた表現を覚えさせ、徐々に詞と曲を統一させていく。
 番組では、課題曲を双方に歌わせた。さらに双方の自信曲を歌わせ、ゲストの審査員が「どちらか」を選ぶというものだった。
 課題曲対決では、MISIA「Everything」、自由曲対決では、丘みどりが安室奈美の「CAN YOU CELEBRATE?」、AIりんなは一青窈の「もらい泣き」を歌った。
 注目はAIりんなが、はたしてどう歌ってみせるのか。こんなやつ、失礼!、とみんなの目の前で対決してみせる勇気をどう貫くのかという丘みどりの姿だ。
 結果は、幸い?審査員全員の旗を獲得したということなのだが、AIりんなの歌唱については、いちように驚愕の声を漏らしたことである。歌唱表現の完成度は揺るぎがない。つまり、それが命ある人間だとすると、発声とその場その場での表現の確かさに貫かれているという感想だ。
 いわば、人間でないロボットなのだから、そうなのだろう。
 息する人間はそうはいかない。個性としての音域の制限もあり、苦手・不得手もある。そこをプロの歌手として、どうカバーして歌い切り、視聴者に弱いところをプラスに感じさせるように表現するかだ。
 どうも、この度の番組でも、審査員の見る目は、そこにいったようだった。
 歌う相手がどんな人で、どういう表情で、どんな素振りで歌うのかというビジュアルな点を完全に取り去り、純粋に歌だけをぶつけた場合に、人はどう判断するのか。それは確かに、歌が正確に歌われいるかなのだが、この歌と人間の関係においては、正確さをもとめながらも、人間が持つ特有のエラーと思しき要素が、聴く人に微妙な感情をかぶせるような関係があるようだ。
 ややこしいと思うが、カラオケバトルのように、審査が機械(カラオケマシン=AI)だったらどうか、ということだ。ややもすると、カラオケAIがAIりんなに歌わせている(歌っている)AIと裏でつるんでいるかもしれない。そうなりゃ、判定の意味はどうなるんだぃ。
 あるいは、この記事で筆者が「こんなやつ」とうっかい口にだしてしまったことを承知しているかもしれない。すると、AIから見たこんなやつの思いを叶えないように、などど、AIは意思をもたないふりして、判定をくだすかもしれない。またはどっかで、誰かに忖度までしかねない。。。いや、これはさすがにうがち過ぎかな。大変失礼しました。AI殿。。。
 たいへん考えさせる番組だった。
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 フランク永井の「公園の手品師」は恩師吉田正の残した名曲。作詞は宮川哲夫。秋の情景がまるでフランスのシャンソンのようなイメージで表現されている。いわゆる吉田調とはやや異なり、時代を感じさせない。普遍的な曲で、いつ聴いてもフレッシュで、聴く人で嫌いな人はいない、
 この曲は特定の歌手を念頭に作られたというより、吉田学校で学ぶ歌手の練習用として用意したもののようだ。実際にフランク永井も他の子弟たちも、この曲を練習で歌っている。
 この曲が映画で鶴田が歌っていると聞いたのは、2009年にNHKから放送された「歌伝説フランク永井の世界」の紹介で。1954(S29)年に制作され新年の1月3日封切りの東宝映画「顔役無用~男性NO1」。当然、そのときには映画も知らないし、観てもいない。
 NHKのフランク永井特集番組の放送で、鶴田浩二が歌っているシーンが流れた。機会があれば、この映画も見てみたいと思っていたら、以前にも紹介した映画狂(失礼、マニア)でフランク永井の大ファンでもあるGさんが、以前に有料テレビ放送された録画があると教えていただき、観る機会をくださった。感謝です。
 この映画はタイトルが正確には、ただの「男性NO1」ではなく、「顔役無用~男性NO1」というもののようだ。それは「Piblic Hero No.1=男性NO1」という1935年制作の米映画があるためと思える。当該映画は原題が「A Man Amon Men」というというのだが。。。。
 「顔役無用~男性NO1」は出演陣がそうそうたるメンバーなのだが、あまり流行らなかったせいか、呼ばれ方の混乱があり、顔役無用は抑えられ配給会社のポスターでも記載がない。また紹介でも1954と1955が混在。制作と公開が年をはさむせいと思えるが。
 フィルムはモノクロ、例に漏れずおよそ1時間半。監督:山本嘉次郎、脚本:井手雅人。配役はビュイックの牧:三船敏郎、ラッキョウの健:鶴田浩二で、二人の若さがなかなかいい。
 映画の内容はというと、ちょっと説明に苦慮する。それはヤクザ屋さんと関係があるということではなく、ストーリー展開に無理を感じるからかな。
 鶴田がそもそも、どういうつながりでこの歌を歌うかなど、よく見てても分からない。
 三船が演じるダフ屋の取締りと、手下のようなお調子者の鶴田の関係、やり取り、ケンカの理由と和解、等々一つ一つ人間的なキャラクターが立っていないのではないか。甘いのか甘くないのか、人がいいのか、悪いのか。
 まあ、当時の正月映画としてはちょっと弱いような気がしたのは、現代があまりにも人間不信で嫌な殺しや障害事件が多くて、それらのニュースに感覚がやられているためかも知れない。
 女性では越路吹雪、岡田茉莉子らが共演して正月の花をそえている。
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 "Japanese Kayokyoku Star Furank Nagai Greatest Hits" という全世界をターゲットにしたCDシリーズが、今年の初めに発売されたのは画期的であった。ジャケットは英名だが、シリーズ名の日本語表記は「日本の流行歌スターたち」で、4月末までにフランク永井を筆頭に平野愛子まで21人のCDが出ている。
 どれもビクターがかかえた昭和までのそうそうたる大歌手だ。そのまま日本語の大衆歌謡の歴史ともいえる、画期的な作品。驚くべきことは、CDでまとまってこのような形で出るのは、なぜに今頃なんだということ。さらに、ここで取り上げる藤本二三代や、フランク永井の活躍と重なるその時期に美形で人気をはくした神楽坂浮子らのベスト・セレクション(「全集」とも呼ばれるが)が、ようやく、今に世をみたことだ。
 怠慢なのかという声もある。まぁ、それはそれとして、このシリーズは当時を知るひとたちにとって、たいへん待ちわびていた作品だけに、それなりに注目され、コンスタントな人気も続いている。
 文四郎的にはフランク永井以外の歌手にあまり知識がないのだが、フランク永井とのからみで、松尾和子(このシリーズのフランク永井とともに著者がインナー・ノートを書かせていただいた)、藤本二三代、神楽坂浮子について気にして曲も追ってきた。
 この三人は同時期に美人歌手として押されたこともあるが、歌はうまい。コロンビアの島倉千代子はソプラノでかつちょっと独特な歌いまわしが、耳に残り愛されたが、藤本二三代の歌などはきわめてスタンダードな歌唱であり、それでいて可愛さがつたわり好きである。
 この藤本のCDは初のヒット曲集とあって、シリーズ中でも引きがトップクラスともいわれる。
 藤本のことについては、やはり「有楽町で逢いましょう」のB面をかざった「夢見る乙女」が初めて聴いた。それ以来、歌がうまいという印象だ。それがこの度まとめて聴けるのはうれしい。
 当時は、先に走る人気歌手とのカップリングで出すことで、新人とか相方の人気をも押し上げようというレコード会社の意図が一般的だった。フランク永井とペアでレコードを題した歌手は数多いが、中でも藤本は抜群でトップを占める。
 レコードのジャケットを持つ人は気づいているかもしれないが、長く不思議に思っていたことがある。それは藤本の写真顔の変化が異様に多いことである。写真が小さく判断がしづらいと思うが、真ん中の写真の上部の20の顔。
 ほとんど同じニュアンスのものがない。ほとんど別人である。近年のスマホの顔認識にかけても、同一人物と判断されないのではないか。と思うほど、顔をの変化を感じます。直接にお会いするような機会もないので、なんとも分からないのですが、写真だけをみたら、同一人とは思えない。
 もちろん、年代もデビュー時のおよそ20歳から20年はたっていないはず。化粧による変貌もあるだろうが、驚いた次第。ジャケットでも並べてみて、とても不思議な世界に入れる。
 フランク永井とのデュエットといえば、ゴールデン・コンビの松尾和子をおいてないのだが、それは「東京ナイト・クラブ」で敷いた都会派ムード歌謡路線にそって走ったからだ。藤本とのデュエットも残されている。「婿さがし八百八丁」で「東京ナイト・クラブ」のおよそ半年前の作品。
 レコード会社の思考錯誤作品だったのかもしれない。
 ビクターにはもう一人べっぴん歌手神楽坂浮子がいた。松尾との美人3姉妹で若者のあこがれのまとだった。三人で「朝きて昼きて晩もきて」を歌っている。これは今回の藤本の盤に収められている。
 三姉妹が映画「初春狸御殿」にそろって出演してる。映画全盛時代といってもいい1959年の新年封切り映画だ。市川雷蔵主演の大映映画。お相手は二役の若尾文子。勝新太郎もでている。ともかく楽しい正月映画。ここで人気の三人娘が色をさらに鮮やかにする。さすがに主役である若尾文子の美しさがはえていて、ちょっと押され気味ながら十分な満足を放った。
 それは当時月刊誌とかでしか顔を拝むシーンがない時代。当然モノクロ。それがカラーでしかも大スコープのスクリーンで動き回るのだ。それりゃ、若者がそれみてよだれを流さないわけがない。ちょっとはしゃぎすぎたので、ここまで。
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 「〽おいらは団地のやくざなのさ 口笛ひとつであの窓の...」。1962年に関西喜劇人協会が製作して松竹から配給された映画の開始と同時に、フランク永井の主題歌が流れる。出演はしていない。ちなみにアイ・ジョージは出演して「硝子のジョニー」を歌っている。
 この曲は、著者が編纂した「魅惑の低音フランク永井のすべて」(データブック)に未記載であるばかりか、過去に触れたことがない作品。
 これまで公開されている情報としてまったく存在していなかったような珍しい曲である。
 実はこの映画のビデオが発売された1980年代に購入していて一度観ているはずなのだが、データブック作成時にもまったく記憶がなかった。最近「終活」という話題をよく聞く。手持ちのビデオやレコードはどうなるのだろう。とりあえず、フランク永井との関連の薄いと思えるレコードと、周辺機器としてスペースを無駄にしているアナログビデオ関係は廃棄することを決断した。
 現在の居住地に引っ越してきたのは20余年前。越してきて開けもせずに、借りているストック・ヤードに放り込んでいた段ボールを開けて整理をはじめた。実はこの中に昔に撮影したテープ類やVHS商品、CD、テープ(レコードはデータブック編纂時にすべて取り出していた)がゴロゴロ。
 書籍などは25ケース。オーディオ・ビデオ関係は22ケースで、書籍は近所の古書店に引き取ってもらった。オーディオ・ビデオはレコードを集めていたときに何度も足を運んだ東京神田神保町のショップにお願いした。ずいぶんとあったものである。
 VHS映画「喜劇 団地親分」は処分前に私製DVDにした。実はこのビデオはあることがなければ、気づくこともなく、廃棄処分の目にあっていたもの。それは、先月に開催された「第11回フランク永井歌コンクール」でのこと。
 ここで久しぶりにビクターの開催担当の方とお会いして少しだけ言葉を交わしたのだが、その際に映画「喜劇 団地親分」でフランク永井が主題歌を歌っているよ、ということを教えていただいたことだ。びっくり仰天、何というタイミング。
 ご担当者はフランク永井のご本家で、機会をみてフランク永井関係の新作をイメージして情報を整理している過程で発見したとのこと。ご本家でなければなしえないこと。深く感謝するとともに、何年後になろうともぜひとも作品化と実現したいと願うものである。
 そのような経緯で手放す寸前のVHSを手放す寸前のプレーヤで鑑賞したという次第。
 「喜劇 団地親分」は監督が市村泰一、脚本が花登筐。花登筐はフランク永井が「有楽町で逢いましょう」をヒットさせた際に、東京と大阪で舞台をやったとき以来の関係で「番頭はんと丁稚どん」シリーズで、出演までしている仲。
 「喜劇団地...」は当時流行のシリーズで、その名を関して多くの映画がつくられ、喜劇を楽しませてもらった。
 「団地親分」では日本の喜劇界のそうそうたる俳優が登場している。いまあらためて観てみると壮観。常連といえばそうなのかもしれないが、それに交じって特筆?なのは、渥美清とささきいさおだろう。若きささきはこの映画で主役級の役回りを演じている。
 フランク永井が映画に出たり主題歌や挿入歌を歌っているというリストは、データブック編纂時でほぼ完成していた。だが、なぜに「団地親分」の情報がなかったのだろうか。
 どうも、これは当時のレコード会社の販売戦略が大きく関与していたと想像する。「けっこう多く歌っている子供向けのレコードの認知度が低い」「レコード・ハンギングツリー(映画主題歌のカバー)が曲目リストから抜けている」等々の噂に関連するのだろう。冒頭で紹介した歌詞のように、いくら喜劇とはいえ、おいらは団地のやくざなのさ...は、その後の報道コードに抵触すると思える。
 社会があまりにも社会の現実に対する許容度がなくなったということが、敏感な営業現場に反映したのだろう。
 高倉健や鶴田浩二や極道の妻が流行した時代があったことすら、消しゴムで消したいのかもしれない。確かにお上が率先して公文書までシュレダーにかけている。存在している現実と事実はありのままでなければ、子供たちは、裏も表も忖度するように歪んでしまうのではないかと危惧する。ごめん! 思わぬ方向へ話が飛んでしまった。単に文四郎のお記憶力がお弱いだけで屁理屈をいっているのかも知れないのに。。。
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 11月10日「鳴海日出夫先生を偲ぶ会」が催された。
 フランク永井ファンでは、鳴海日出夫をあまりご存じでない方も多いと思う。鳴海は「りんどうの花咲けば」が有名。TBS系連続ドラマ『鞍馬天狗』主題歌「鞍馬天狗のうた」は耳にしたことがあるかも知れない。コロンビアの歌手である。
 歌唱は抒情歌や唱歌をイメージさせる。ラジオ歌謡では欠かせない実績を残され、毎年開催される東京ラジオ歌謡を歌う会では常連であった。デビューは1953(S28)年だが翌年の「東京の恋唄」がヒットして人気を得た。
 しかし当時この分野で先行して実績で勢いのあった歌手は岡本敦郎。「白い花の咲く頃」などは誰もが知る。同じコロンビアでどうしても重なることから、裏に回ることが多い。
 筆者も詳しくは何も知らないが、後年、氏の人柄で多くの人をひきつけ、歌の指導などで実績を重ねてこられた。2016年の暮れに86歳で亡くなられた。こころからご冥福をお祈りいたします。
 当日の催しは、東京都北区に足場をもってきたことから、鳴海教室の主催に、ラジオ歌謡を歌う会や北区の文化振興財団、教育委員会、社会福祉協議会などが共催・後援して行われた。
 鳴海の歌唱曲(レコードで残された曲目)14曲、鳴海との接点で指導を受けたなど思い出深い歌18曲、ラジオ歌謡で親しまれた曲13曲、鳴海が作曲した曲7曲が、次々と披露された。
 当日のプロのゲストは川村正幸。4曲披露。鳴海が教室で最後の指導になったという5曲。エンディングは鳴海作曲の「聖火を迎えて」。そして全員で「東京ラプソディ-」という流れ。
 当日鳴海を追悼するという意味で60曲を超える曲が歌われた。その中で、フランク永井の曲が登場したのは、まず、思い出の歌のコーナーでの「妻を恋うる唄」。歌われたのはビクターの歌手祝太郎。ご高齢とはいえ、この長めの曲をみごとに聴かせてくれた。会場は曲のすばらしさもあるが、さすがプロの歌唱というのに耳を傾け、大きな拍手が起こった。
 次は鳴海の最後のレッスン曲で、鳴海の一番弟子ともいわれる浅野洋子の「初恋の詩」。これもみごとな過少であった。浅野は地元の「歌手」としても人気で「流れ星」(鳴海作曲。浅野作詞)を発売している。
 著者は知人がラジオ歌謡の関係の研究者でもあり、ご本人はここでも歌っていることもあって、鳴海の偲ぶ会に出向かせていただいたもの。フランク永井とは分野が異なる鳴海の世界に接しての感動もさることながら、フランク永井の歌曲が2曲も、しかもプロの歌手のすばらしい歌唱に接して、大変うれしかった次第。

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