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 映画「君恋し」が1962(S36)年に劇場上映された。以前に触れたが同名の戦前版は1929(S4)。いぜれも日活の製作であるが、DVD化発売はされていない。
 この映画があるとなると、見たいのは人情というか、ファンの望みだ。戦前版はともかく、フランク永井自身も登場する戦後版はどうしても見れないのか、と思って、いろいろと探してみると、何と有料の最大級のNET映画サイトであるU-NEXTでリストにあがっているというではないか。
 これは観るしかない。ということで、鑑賞にトライしてみた。このサイトをご覧の方は、そのようなサイトを利用している方が多いのかもしれないが、筆者はまったくの初めてゆえに、どうするかに戸惑った。
 サイトの紹介を見ると30日間、最初は無償だとのこと。通常は月1990円とちょっと手は出ない。だが、映画やドラマをよく楽しもうとする人で契約を継続する場合はポイントと称する無償特典を付けているようで、他の同種のサービスと内実変わらないのかもしれない。映画を劇場に1回見に行くか、ネットで好きなのを何本も見るかなのだが、ビデオショップから借りるというのもあり、悩むところかもしれない。
 筆者の場合は、そうとう偏っていて、映画館にもレンタルショップにも決め打ちでお世話になるパターンだ。
 まあ、それはどうでも、これを利用して「君恋し」を鑑賞した。
 フランク永井の記録を確かめるというのが目的で、映画そのものの出来や価値をみる視点ではなかった。だが、この機会に真剣に見てしまった。原作は「君恋し」作詞の時雨音羽。モノクロで68分。
 やはり「流しの高井」役で登場するフランク永井に目が行く。ドラマでの役としては少しも重要ではないのだが、チョイ出で当時の雰囲気をよく出している。主題歌でもある「君恋し」を歌う。挿入歌としても歌われ、メロディーが流れる。
 デビュー間もないフランク永井の若々しさ、だが当時から叔父さんの雰囲気だったのだが、やはり若い。ここでの演技はさておいても、なかなか貴重な容姿を残してくれたものである。
 映画の内容は恋と別れだ。看護婦役の清水まゆみがケガした小高雄二の面倒をみて、互いに愛が芽生える。だが、小高には勤務する社長の娘といういいなずけがいる。
 退院して東京へ帰った小高はいいなずけとの関係を見直す。つまり気持ちが離れていく。だが彼女の結婚への決意は固い。
 看護婦をやめて清水は上京し、小高を訪ねる。小高の母が応対しいいなずけがいることを明かされショックに打ちひしがれる。叔母がマダムをつとめる銀座裏のバーで一時的に働く。ここで詐欺師が優等生係長の顔をして清水に結婚を申し込む...、ということで展開していく。
 清水と小高に愛が戻りそうになりながらも、いいなずけがヤケで死亡したことから、その責任も感じて清水が去っていくという物語だ。
 まあ、清楚な清水の恋の悩みなのだが、現代の若い男女のそれに比較してみると、ありそでなさそでちょっと違うような、というドラマだ。それがDVD化にいたらない理由なのかもしれない。
 ということで、およそ1時間の気分の切り替えになったという次第。興味のある方はご覧になったらいかがだろうか。
 劇場公開された当時は、今は時めくフランク永井の「君恋し」の映画化とあって、全国的にそうとう鑑賞されたようだ。それを裏付けるのは、記録されているポスターの種類。このサイトで何度も取り上げてきた5枚に今回掲載した1枚を加えて6種ある。フランク永井はうち2枚に出ている。それだけ宣伝もされ観られたと言える。
 ちなみに、筆者はまったく見ていないのだが「君恋し」は、この映画から14年後の1976(S51)年にテレビドラマ化されている。TBS花王愛の劇場という昼ドラ。このときの「君恋し」を主題歌で歌ったのは由紀さおりである。
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 城南海(きずきみなみ)。鹿児島県奄美市出身の若い実力派歌手。昨年9月に番組「昭和の名曲」で「君恋し」をエドアルドと歌った。
 彼女については若いゆえに筆者はうといのだが、テレビ番組「THEカラオケ・バトル」は観て知っていた。驚くべきことにここで百点を3度もたたき出したうえに、10週連続チャンピオンになった。この記憶は消えない。
 ともかく歌がうまい。うまい歌い手がカラオケで満点を取るというのは、評価するのがソフトウエア的な機械である(かどうかは知る由もないが)ゆえにそうとう難しいのだが、これをやってのけたのに目を見張った。
 つまり、彼女の歌のうまさが半端じゃない、機械をまでも感動させるレベルにあるということ。そして、みていていつも感心するのは、歌っているときの彼女の顔の表現であろう。その世界に入り切っている。
 すべてを自分がイメージした世界に投げうち、こころから没頭して歌の世界を表現している。このうっとりが観ているものを嫌味なく惹きつける。
 「君恋し」はブラジル出身の若き演歌歌手だ。彼と一緒に歌ったのだが、やはり城南海の歌に惹かれる。それにしても、城南海という漢字とよみのニュアンスは妙に一致しているのだが、初めて漢字を見た人は普通に読めないだろう。
 番組で歌ってと言われて歌ったのだろうが、ちゃんとアルバムでカバーとして録音しているのだろうか。まだなら、機会をみてぜひ出してほしいと思う。
 このブログでも「君恋し」テーマは何度も繰り返しているので、フレッシュなことは何もないのだが、それでももう少し触れてみたい。
 フランク永井がこれを歌って日本レコード大賞を得たのだが、リバイバル作品。最初は二村定一をはじめ何人かが歌ったもの。大正の末期に佐々江華が作詞作曲したものが最初。二村らが浅草の舞台で気に入ってよく歌っていたもの。
 当時ビクターは外国資本であまり邦楽には関心がなかったようだが、二村が昭和2年に吹き込み昭和3年の年明けの新譜として発売。これがよく売れ日本の音楽のレコードを次つぎとだすようになった。
 二村の吹き込んだ歌詞は時雨音羽が新たに作った。編曲井田一郎。これがフランク永井の元歌になるのだが、フランク永井のは彼自身のジャズ風のアイデアから三番をやめて、サビの箇所を繰り返すようになっている。
 「君恋し」のカバーは多数の歌手がカバーしているが、二村の原曲版かフランク永井の現代版かに分かれる。美空ひばり、石原裕次郎、小林旭などのカバーは原曲版で歌っている。レコード会社による版権が影響しているのかもしれない。
 さて、二村がレコード化したといったが、実はこの歌自身が日活、松竹、マキノ・プロダクション、河合映画作社等6社の競作映画の主題歌として歌ったもので、二村のは日活映画のほうの主題歌。
 実はこの昭和29=1929年に日本の映画「君恋し」4作(上記の映画会社以外の2社の作品は完成したのかどうか不明)の他に、米国映画「君恋し」(原題:The Man I Love)が上映されているのだ。
 日活映画は原作野村雅延で、三枝源次郎監督作品。ポスターは写真のとおりだが、「一字書き娘系図」改題。小唄映画(現代劇) と説明されている。そして、製作国:太秦と。太秦は国なんだ。。。
 そして、二村のものと思えるビクターの当時の歌詞票の絵(いくつもの種の版がある)が、何とも進んでいて?!なかなかだ。
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 大衆音楽の殿堂にフランク永井が顕彰されている。機会があえばいっしょに尋ねないかと長年親しくしている方に誘われて訪ねてみた。NHKラジオ歌謡歌う会の関係者の方で、当日は作曲家弘田龍太郎についての講演があった。
 講師は三代目海沼実で彼が主宰している音羽ゆりかご会の合唱も楽しめる催し。併設されているコガ・ミュージアムの地下一回けやきホールに、童謡のファンや研究者がつめかけていた。
 不要かとは思うけど、ちょっと説明。弘田は「浜千鳥」「叱られて」「雨」などの作曲家。音羽ゆりかご会はかつての「東京放送児童合唱団」。海沼は「みかんの花咲く丘」などの作曲家。同名三代目ということはそのお孫さん。
 古賀政男が長年自宅を構えていた場所は筆者がやはり何十年も前だが、散歩で何度か通って知っていた。のだが時の流れはすっかり様相を変えていた。立派な記念館=博物館としてビルが建ち、内部に当時の私邸の門構えや作曲に従事した部屋が再現されている。お隣はJASRACのビルになっている。
 古賀政男音楽博物館は古賀政男の遺産はいうまでもないことだが、日本の音楽の歴史の遺産をも収められてる。その象徴的なものが「大衆音楽の殿堂」。
 日本音楽の発展に貢献された方々の功績を顕彰するものとして、殿堂ホールに、顕彰者のレリーフを掲げている。、その年の顕彰者ゆかりの品々の展示もあり、直近の平尾昌晃らのパネルが飾られていた。
 平成9年に始まり、作詞家、作曲家、歌手、編曲家、演奏家などが、総勢283人が顕彰されている。
 フランク永井については、2009(平成21)年になされた。歌手では大津美子、北原謙二、日野てる子と4名同時であった。
 殿堂入りするというのは他の業界と同様にそれだけ大きな業績を残した証として、たいへん栄誉なことである。フランク永井の場合は、やはり「有楽町で逢いましょう」「おまえに」を歌いこれから長く歌い続けられるだろう。「君恋し」で明治の歌を鮮やかにリバイバルさせて、一大ブームを起こした。懐かしのメロディー、リバイバル・カバーをひとつのジャンルにしていったといえる。
 恩師吉田正がめざした都会での大人の憩いを、フランク永井が歌で表現して実を結び、ムード歌謡というジャンルを定着させたことも貢献だろう。
 現在は日本の歌といったときに、童謡や抒情歌、唱歌などはちっと沈み切っているが、大きく歌謡曲・演歌とニュー・ミュージック系に分け、レコード店でもCD等の置き場所を区別している。ムード歌謡は歌謡曲・演歌の一角のようだが、当時は都会派ムード歌謡の独自のコーナーもあったことがある。
 大衆に音楽の広がりを与えた明治・大正。大衆がくちずさむ歌が多く生まれる。
 その傾向を分析して突出した作品にまとめ上げた最大の功労者が古賀政男といえる。日本的なということばでくくられる大衆の歌。演歌。その大道を開いた。日本人の感性をまとめ上げた世界が、時代的に高音、故郷、義理人情の表現であった。以後の日本の大衆の歌は皆ここから影響を受けた。
 戦後日本は米国を柱にした占領軍に統治され、1950年の朝鮮戦争を経て、独立の装いをした従属国になる。日本の社会には欧米化の波が押し寄せる。衣食住が一変する。都会に人口が集中する。大衆の歌のニーズも変化する。
 これを敏感に察知して切り開かれたのが吉田メロディーだ。低音、都会、クールの表現。ややバタ臭さを加え、若者は真剣な恋の悩み、恋愛と別れを語る。当時まだ今ほど普通でなかった簡単な洋語、例えばティー・ルームとかバック・ミラーとかキャデラックとかをふりかけのようにまぶしたのが、ムード歌謡だった。
 吉田正の大衆文化への貢献はここにある。古賀政男や吉田正が文化功労章を得たのはその評価である。
 憧れのハワイ、常夏のハワイ。その歌を歌うマヒナスターズは和田弘の独特な演奏と相まって、豪華できらびやかな夢を感じた。都会に集まる若者(や大人にも)望まれ喜ばれた。フランク永井や松尾和子を見出し、吉田正はいっきに都会派ムード歌謡を発展させていった。
 朝鮮戦争が終わるとベトナム戦争と泥沼がふかまる。若者には嫌戦ムードが高まる。日本にも影響を与える。すると、反権力というか既成のシステムに対する抵抗、反発が顕著化する。
 大衆の歌の世界にも反映する。日本語のことばをベースにし、イントネーションとか発音とかを重視したものといえる。古賀政男とかその後の遠藤実とか吉田正が作り上げてきたものともいえる。日本的なリズム、音階も定着していっていた。レコード会社専属制度は結果的にできていた。
 それに対して、そのようなくくりがうざい、古臭い、汗臭いとか言って、それと違うリズム、歌詞、演奏をフレッシュな音楽といって出てきたのをニュー・ミュージックと自称した。
 ロックやビートルズといった騒がしくやかましい洋楽への傾倒。反戦的なフォークやカントリーへの共感。それらの欧米崇拝と日本的なものの折衷が生まれる。これこそが新たな時代の音楽だ、グローバリズムの波を反映した音楽だとなる。どんどん真似たりしながら切り開いていった。そのエネルギーとパワーはたいしたものである。
 ニュー・ミュージック、Jポップスは生まれた。しかし、大衆は歌謡曲とJポップスのどちらかを選ぶということではない。現に共存しており、双方の良さを互いに尊重する時代になっている。つまりは、日本文化といっても、以前と比べて広がり多様化したといってよい。
 「ステレオが高い音を出して困ると」いうような苦情は死語になった。マスクにイヤホンは陰険な私服警察のものだったのだが、いまや待ち行く人びとは携帯とイヤホンで、音楽はイヤホンで自分だけが好きに楽しむ時代になった。
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 待ちに待ったDVDが届いた。内容は映画館でみたままなのだが、テレビで寝転がって鑑賞するのもいいものである。
 DVD化は、現在というか本日から開催されている上映企画『京マチ子映画祭』に合わせて、発売されたもの。(3月21日まで)
 ここであらためて説明するまでもなく、1958(S33)年の新年に封切りされたもの。レコードは前年11月に発売された。大阪のデパート「そごう」が有楽町駅気前に進展してくるイベントに、平凡、テレビ、映画、ビクターが統合大企画を実現しての大イベントの一環だった。
 特に、三浦洸一へという歌の要請(当然だが他の歌手名も候補として押されていた)にもかかわらず、恩師吉田正が、あえてフランク永井を推し、大ヒットになったものだ。
 映画では、開始とともにいきなり、フランク永井が登場して歌い始める。階段をゆっくりと降りながら「あなたを待てば雨が降る...」と唄う。1番を歌い終わらぬうちに映像はタイトリングに変わっていく。。。
 後にフランク永井は舞台でのトークで、わずか1分にも満たない自分の姿と歌を、場末の映画館で密かにみたが、はずかしくて目を覆うほどだったと述懐している。
 だが、いま改めて観るとこれは貴重だ。そもそもまだまだモノクロ時代に、この映画はきばってのカラー作品。しかも時期的にフランク永井が全国区に躍り出ることを誰もがまだ知らない時期の映像となった。白いスーツ姿が実に初々しいのが印象的。
 フランク永井の音声としては後半でも流れる。いつも触れることだが、レコードにない4番ともいえる歌詞で歌うのを楽しめる。
 さて、今回のDVDは、最初に触れたように、京マチ子映画祭の一環だ。大映の誇る大女優の一人である。新聞でも前半の広告がでている。劇場での有楽町...の上映予定は後半で、3月11日、14日、19日、21日の4回。映画館での鑑賞がたのしめるので、可能な方はぜひ訪れてみてほしい。
 「羅生門」「雨月物語」といった芸術色の高い作品でどうどうたる演技をしている。大映が有楽町...に彼女を主役にあて、当時売り出し中の菅原謙二、川口浩、野添ひとみのコンビをだしているところに、力のいれているのが伝わる。
 ということで、フランク永井のデビューして初めてのヒット曲「有楽町で逢いましょう」の記念的な作品に、うなずきながらの鑑賞でした。
 写真左は冒頭のシーンと撮影現場のスチール。右は、映画ポスター3点。横長など珍しい版のポスター。
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 フランク永井が歌った「君恋し」。レコードは1961(S36)年の発売。この時期はすでに78回転のSPは終え、EP時代に移行していた。ただステレオになる前で、盤IDがVS-537(VSシリーズはまもなく、ステレオのSVになる)。
 「君恋し」はその年末、日本レコード大賞を獲得する。どうも録音はステレオでなされたともいわれているが、あくまで「君恋し」のこの版はモノラルである。
 「君恋し」はフランク永井の代表曲で、この名をタイトルにしたLP版がその後多数でている。リバイバルブームのときだったので、懐かしの曲をカバーしたものが多い。
 異色なのはイタリアの有名なトランぺッター、ニニ・ロッソとNHK紅白歌合戦で共演したのをきっかけに作った「君恋し~ニニ・ロッソと唄う」であろう。紅白出演の翌年、イタリアで録音した。
 全曲がトランペットの演奏がついていて、ジャズの編曲がなされている。「君恋し」は前田憲男の編曲。大半が彼の手で編曲されていて、独特のムードが楽しめる。
 奏でるリズムに乗るフランク永井は、場所がイタリアという異国にいることから、明らかに異次元の感覚を伴って歌ったような気が伝わる。
 「君恋し」だけではないが、フランク永井は別のLPでも同名の曲を吹き込んでいるが、ここでの曲は別の味わいがある。(このLPはビクターヒット賞。ビクターから正式にCD復刻発売された。2005年)
 「君恋し」は1977S(52)年暮れのNHKビッグショー「酒・女・そして...」に出演して、近藤進編曲でも歌っている。これは生の演奏ということもあるが、憂いに満ちていて、こころを揺るがす。オリジナルの寺岡真三編曲は世を驚かせたが、それほどの味がある。
 さて「君恋し」がヒットすると、映画化が実現する。「君恋し」は、大正の末期から昭和初期にかけて、佐々紅華作詞作曲で二村定一が歌って大人気をえたもの。1928年に時雨音羽作詞でビクターがレコード化した。このときに、当然だが映画化されている。
 資料では1929年「一字書き娘系図」改題「君恋し」。小唄映画(現代劇)三枝源次郎監督。製作国:太秦とある(?!)。うずまさは京都だから日本じゃないの。
 フランク永井のにあわせた映画は日活がモノクロで1時間弱のもの。森永健次郎監督。日活のキャッチは「魅力の低音、胸をふるわす哀愁、堂々日本レコード大賞に輝いたフランク・永井"君恋し"の映画化」とうたって宣伝した。フランク永井自身も「流しの高井」として出演した。
 残念ながらDVD化発売はされていないようだ。君恋しだから物語はそう驚くことのない恋模様。
 ポスターは、写真のように大判は2種類あって相違はフランク永井が出ているかどうかだ。珍しいのではないかというポスターは右の横版でフランク永井はでていない。
 今日もポスターを眺め、好きなレコードを聴いてフランク永井を楽しむのであった。
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 フランクの永井の「夜霧の第二国道」は1957(S32)年10月に発売されたSPレコード。実は翌月に発売された「有楽町で逢いましょう」よりちっとだけ早く出た。「有楽町...」と同時に発売されたのは「羽田発7時50分」もあり、これらいずれも大ヒットした。
 何といっても「有楽町...」でフランク永井の名が世に知れ、これはすごいぞ、ということで「歌手買い」に火が付き、デビュー当時までさかのぼって飛ぶように売れていったのだ。流行歌転向第1号の「場末のペット吹き」から「東京午前三時」と。
 「有楽町...」は映画が翌1958(S33)年開けに封切られた。これは計画されて上映されたものでヒットした。この成功におんぶして、ここで名をあげた歌は次つぎと映画化されていく。「夜霧の第二国道」は日活で制作された。日活の新星ダイナマイト・ガイ小林旭主役の娯楽映画だ。現在のテレビドラマの制作のような感じで撮影され「有楽町...」に続く形で2月に封切られた。
 映画のストーリーは例によってギャング、宝石、恋愛、ハワイと荒唐無稽なもので、かこつけたようにフランク永井の歌う「夜霧の第二国道」だけ(失礼)が見ものの48分もの。
 だが、当時の社会情勢では、こうしたものがそれなりに大衆娯楽として喜ばれたもので、それなりに映画館を潤した。
 映画のポスターを見てみると、広く世に知られた(?)フランク永井の顔も出ている左側のものと、もう一つの別版がある。こちらはフランク永井の顔はなく、小林旭のふんばっている顔が圧倒している。
 「夜霧の第二国道」はおそらくフランク永井の名を知るなら必ず連動して知っているに違いないほど知名度は高い。フランク永井ファンが多いあの台湾でも、多数のカバーが歌われているようだ。
 この歌については当「文四郎日記」でもたびたび話題にしているが、作詞はあの宮川哲夫作品。作詞は恩師吉田正で、名人寺岡真三が編曲している。「夜霧の」というフレーズは、1947(S22)年の松竹映画「地獄の顔」主題歌でディックミネが歌った「夜霧のブルース」が先にあるのだが、フランク永井の曲によって再点火されたように流行語となった。
 吉田正も宮川もフランク永井の中古車に乗って、実際の第二国道を走って確かめた。言ってしまえば第二国道は後の「国道1号線」なのだが、日本の産業の基盤となる輸送の要である国道が目まぐるしく建設され整備されていった。その戦後復興の建設を象徴するような名称。同時に来るべきマイカー時代を予言したような名称が、まさに時代を反映したものだった。
 これが当時の日本人に強い印象を残した。歌は「つらい恋なら...」という恋模様を歌っているが、サイドミラー、バックミラー、サインボードという洋物言葉が、スピード性やハイカラ性をかもしだして、夢を広げさせた。つまり、貧しい日本から大きく復興で未来にはばたくイメージを表した結晶であったのだ。
 宮川哲夫の歌詞をフランク永井が恩師吉田正のメロディーで歌う。流行歌は数々あったが、このコンビから出た歌が多くの人の胸を打ったのは、結果として社会を、時代をあざやかに切り取っていたからに違いない。
 SPレコードは、その後時代の要請を受けてステレオで吹き込みなおされた。CD化からストリーム化を経て耳に慣れているのは後者かもしれないが、今年発売された「日本の流行歌スターたち#1フランク永井」には最初のSP版が入っている。
 映画「夜霧の第二国道」はカットというか短いシーンがカラオケ映像や、フランク永井特集のときに使われたことはあるが、DVDとしてはまだ出ていないのではないだろうか。今月末に「有楽町で逢いましょう」はDVDがでる。「夜霧の第二国道」もぜひ発売してほしいものである。
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 森進一が1972(S47)年に吉田正の名曲のカバーとして、アルバム「再会」をリリースしている。フランク永井の恩師吉田正と同じビクターでも森進一はターゲットの微妙な違いから、互いに別路線で走ってきていた。
 フランク永井と松尾和子のように吉田正ラインが明確なコンビにたいして、森進一はレコードのレーベルはビクターでありながらもデビュー時の事務所は渡辺プロダクションであったり、当時同じくため息路線でデビューした青江三奈とともに走ってきた歌手だ。
 「女のため息」作曲の猪俣公章「おふくろさん」作詞の川内康範の印象が強いが、森進一が現在までに歌謡曲の歴史に残した足跡は半端じゃないものがある。彼は流行歌の歌手であることを主張しているが、当然艶歌とかポップス系のものにも幅広く手を広げて実績を残している。
 デビュー当時恩師でもあったチャーリー石黒に勧められて、逃げた女房の一節太郎と同様に声を潰した。この歌詞、この譜面から誰が歌えばこんな歌になるという普通に期待する歌があるが、森は必ずその期待を超えた、裏切りをする。
 それは森がその歌を自分で解釈し自分の表現に変える力を持っているからに違いない。強烈な個性を持つだけに、ファン層も別れ気味だが、並みを超えたパワー持ち主であることには変わりない。
 カバー曲をどう歌いこなせるかということに、よくその人の実力が現れる。森はさまざまな方向の歌手や歌のカバーを残している。その代表的な一つは古賀政男の曲をあつめた「影を慕いて」(1968(S43))だ。従来の懐かしのメロディーに異様な表現をあたえたことで、彼の歌唱が評価された。
 そのような森進一が同じビクターの帝王吉田正のメロディーに挑まないわけがない。吉田正といえば弟子の筆頭は鶴田浩二かもしれないが、彼は別格で、フランク永井や松尾和子ははずせない。むしろ中心的なものになる。
 というわけで、このアルバムのタイトルにもなっている「再会」をスタートにしている。鶴田、橋幸夫の曲を加えた12曲が楽しめる。
  01_再会(元:松尾和子)
  02_好きだった(元:鶴田浩二)
  03_寒い朝(元:吉永小百合/橋幸夫)
  04_夜霧の第二国道(フランク永井)
  05_有楽町で逢いましょう(フランク永井)
  06_西銀座駅前(フランク永井)
  07_赤と黒のブルース(元:鶴田浩二)
  08_誰よりも君を愛す(元:和田弘とマヒナスターズ/松尾和子)
  09_東京午前三時(フランク永井)
  10_舞妓はん(元:橋幸夫)
  11_江梨子(元:橋幸夫)
  12_街のサンドイッチマン(元:鶴田浩二)
 フランク永井の曲では初期の4つの代表的な曲が歌われている。
 レコーディングに3日かかったという。自ら立ち会った吉田正は「うまい。自分を追いつめて解釈した情感がじわじわとにじみ出てくるようだ」とほめている。歌唱に際しては注文をださずに、森に自由に歌わせた。
 アルバムの解説は山上敬三が書いている。そこで「有楽町であいましょう」についてエピソードを披露している。順調にレコーディングが進んで、周囲がOKを出した「有楽町で逢いましょう」直後に、森はふと躊躇をみせ、もう一回歌いたいと言って別テークを取ったという。
 取り直したのは森節がいっそう強調というよりも、がらりと雰囲気が変わったものでよりソフトなものだったという。それはそれで周囲をおおいに感心させる歌唱だった。だが、最終的に吉田正は、最初のテークを採用したとのことだ。
 アルバム全体の統一性ということもあるし、吉田の代表的な曲でもある「有楽町で逢いましょう」を森が歌うというときの、期待して購入して聴く聴衆の印象への思いからだ。
 捨てがたいものでも、いずれかを選択をせざるを得ない問題を大先生に思わせる。ここにこのアルバムの価値がある。森の真価が現れているようだ。ファンにとってみれば、ここまで聞かされて、ここで捨てがたくも没になったバージョンを聴いてみたくなる。
 このアルバムはフランク永井の歌でも、同じビクターオーケストラが演奏しているとはいえ、編曲が竹村次郎、小谷充の手によるもので、その微妙な違いも楽しめる。2009年にCD化された。
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 2年前にTBS「トップスターショー 歌ある限り #31(フランク永井、八代亜紀、沢田研二、岩崎宏美)」で、八代亜紀と「サパー・タイム」という、フランク永井「データブック」に未記載の曲が歌われたことを紹介した。
 この度、当サイトにたびたび閲覧後にコメントをいただくzさんから、まだあるよと情報をいただいた。それはyoutubeにある「フランク永井・岩崎宏美・デュークエイセス... という」動画で、1975-80年代のテレビ放送だと思えるもの。
 タイトルに「...東京ナイトクラブ-LET ME CALL YOU SWEETHEART...」とありる。先のサパー・タイムもそうだが、当時にはやっていた洋楽をその番組だけで出演歌手が歌うという趣向のようだ。筆者は当時ほとんどテレビを観る余裕がなかったので記憶にないのが残念だ。
 岩崎宏美とのデュエット定番の「東京ナイト・クラブ」に続いて「LET ME CALL YOU SWEETHEART」をデュエットしている。二人とも楽しく雰囲気をだして歌っているのがとてもよく、印象的でもある。
 岩崎宏美のデビューは1975年「二重奏」でフランク永井と同じビクターからデビューする。後まで作詞と作曲で強力なコンビネーションを組む阿久悠と筒美京平の作品。いい曲いい詩であるばかりでなく、岩崎の歌がよかったのがファンを引き付けた。
 当時はアイドルがどんどんと出てきたのだが、歌がうまいのは少なく、チャーミングかどうかが決め手の時代。岩崎は歌のうまさが目を引いていた。
 実は家内の親しくしていた友人にその岩崎とほとんど同じ印象の方がいて、最初はその方かと思ったほどだった。
 その若い岩崎とムード歌謡の大御所のフランク永井がデュエットするという趣向はテレビならではと言えそうだ。聴いていてなかなかいい感じを出している。岩崎がちゃんと歌っているのがいい。こうした場合の相方は自分のフィールドでない曲については、ややあきらめぎに(おざなり)歌うのが目に付くのだが。。。
 「LET ME CALL YOU SWEETHEART」はそうとう古い曲なのだが、当時はやはりフランク永井が好きであこがれたビーン・クロスビーのが流れていたのを覚えている。パティ・ページのも好まれてたようだ。
 岩崎は「聖母たちのララバイ」も有名だが、歌がうまいだけにさまざまな賞を手にしている。結婚して一時期表に出ることが少ない時期もあったが、離婚して再登場したときにはファンに喜ばれた。私的には岩崎の高い声が続くのが耳に触りすぎていたのだが、再度現れたときには、低く歌う個所は低く聞こえるようになっていた。彼女の歌唱がそうなったのか、私の耳が変わったのかは分からない。
 ともかく、これからも息長くいい歌を聞かせてほしいと願っている。zさんの情報に感謝をこめて。
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 新年早々、嬉しいことが目白押し、とそこまでではないまでも、フランク永井ファンには頬も緩む。BS朝日の人気番組「昭和偉人伝」で2週連続の特集が放送された。
 昭和は今年に年号が変わる。昭和の特集はこれからも続くだろうが、平成の2代前になってしまう。フランク永井ファンにはまた、時代が遠くなってしまいそうで淋しい。
 「昭和偉人伝」の今年第一弾は、昭和歌謡の偉人たちということで、吉田正、遠藤実、岩谷時子、船村徹のお四方の紹介。そして第二弾ではフランク永井と坂本冬美が取り上げられた。
 昭和歌謡はまさに偉人として誰しもが認める作詞家と作曲家。この四人が昭和歌謡にどのようにかかわり、欠かせない役割を果たしたのか。どこが偉大なのかを生誕から人生の暗明、さまざまなエピソードをそつなくまとめ上げたものだ。
 俳優の国村隼の語りが実にいい。番組の内容に実によくマッチしている。落ち着いて鑑賞できる。
 四人の偉人を中心にすえながらも、戦後の歌謡曲の歴史をまんべんなく紹介している。それゆえかどうか、タイトル紹介が30分近くもたってからになる。
 古賀政男・遠藤実に出ている日本的な戦中戦後の歌のライン。敗戦を迎えて洋楽が勢いよく日本に流入する。そのなかで日本的でありながらも、都会の風を表現するおしゃれな歌の実現を求めた吉田正。そして、越路吹雪の信頼を一身にあびた岩谷時子。女性の眼で人間の愛と喜びを描写する才能はとびぬけたものだった。
 吉田正の紹介ではどうしても欠かせないフランク永井。スポニチクリエイツの珍しい映像で登場する。第二弾でも採用されているのだが、この映像は青ガウンの「有楽町で逢いましょう」ばかりでなく、赤ガウンの「おまえに」が出る。もしかして、これは初出かもしれない。
 「おまえに」は1966(S41)年が最初で、1972(S47)年に新たに吹き込みなおしている。影像では後者がはめられているので、当然映像の制作はこのあたりといえる。
 フランク永井と恩師吉田正の当時の活躍ぶりを証言してくれているのは、音楽プロデュサー谷田郷士、元ビクター制作本部長白井信幸、元ビクター常務小林孝正、音楽評論家小西良太郎、湯川れい子、そして後輩の三田明の面々。
 白井は宮城県大崎市松山で毎年開催されているフランク永井歌コンクールの審査委員長を昨年まで十年間やってこられたことでも知られている。
 第二弾でもうひとり紹介されているのは坂本冬美。彼女はフランク永井と並んで紹介されるのは初めてと思うが、歌がうまい。声質と発声、つまり歌唱には他に比較できない圧倒的な個性を持つ。歌への思い入れの現役深い歌手だ。
 近年浪曲師の二葉百合子を師として、歌の濃さ深さを大きくした。特筆は歌謡浪曲にまで入れ込んでいることだ。彼女の恩師である猪俣公章はフランク永井には「夜の歌」「涙の人生」の2曲を提供している。いずれもヒット曲ではないが、彼はビクターの森進一にも多数のヒット曲を提供していることでも有名だ。「港町ブルース」「噂の女」(クール・ファイブの残した歌だが森が歌うのを想定して作られた)などいくつかカバーを歌っている。フランク永井の猪俣節も斬新でいい。
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 フランク永井ファンと懐メロファンとビクター初代美女アイドルファンへの新春早々の贈り物「日本の流行歌スターたち」第一弾として7枚のCDが発売になった。懐メロファンには、第2弾が来月に発売されるのがさらにお楽しみだ。
 来月は、(8) 生田恵子、(9)徳山璉、(10) 藤本二三吉、(11)久慈あさみ、(12) 轟夕起子、(13) 暁テル子、(14) 四家文子、(15) 市丸-天龍下れば、と続く。かてて加えて第3弾も計画されている雰囲気だ。
 さっそくに、第一弾の何枚かを聴いてみた。いやはやなかなかのものである。もちろん主に戦後のものなのだが、聴いていると現在の日常をすっかりわすれて、頭は若かりし頃にワープする。年寄りの特権。
 姪御が言う「ちょっとシンキ臭いんじゃない」。ん~ん。。。。とうなり返すだけなのが、やや悲しい。というか、争ってもおそらく同意を得られる自身がないのである。情けないことに。
 藤本二三代は声もいいし、うまい。神楽坂浮子はかわいい。榎本美佐江はベテランの味、などとやや酔いも影響して勝手な感想を口走りながらひとり楽しむ。周囲は見放して何も言わない。
 シンキ臭いとはイヤな表現だが、確かに当時の歌は心穏やかに、落ち着いて聞けるだけあって、リズムが定型化されているといえるかもしれない。ビクターオーケストラによる演奏も、それが特徴かもしれないけど、一律な響きを与える。だが、これが当時の歌謡曲の特色になっているし、ファンを強く引き付けているのかもしれない。
 年末のNHK紅白歌合戦は、私自身にはあまり見る意思はなかったのだが、周囲の事情から観てしまうはめになり、結局最後まで見てしまった。感想は予想通りで、時間をつぶしはしたが、いい思いをした心持にはならなかった。
 出演者のほとんどは若い娘たちとジャニーズ風のグループなどで、名前も知らない。歌はというと、何を言っているのかさっぱりわからず、印象に残るものは皆無。残念だが「プロの歌手」と自分で思う概念とはそうとう異なる、ただのビジュアル先行のショーだ。歌合戦とは名ばかりで、少しも合戦はしていない。
 参加者やその周囲は必死に「感動」し「盛り上げ」ようとしているのが滑稽を通り過ぎて哀れだ、とまで言いたい。歌は個人の究極の趣向品だと繰り返し主張している私としては、私がそう思う出演者や歌手を、大好きだ、最高だ、こころから喜ばしてくれると感じるのであろう。それは尊重すべきことで、大事なことである。
 何が大きな違いの原因なのだろうか。まず、歌手の発音。曲とも関係するのだろうが、日本語の初声やイントネーションが無視されている。そのうえに、発生の滑舌という歌手として欠かせない要素がほとんど考慮されていないのでは、と思えることだ。
 演奏の音だが、やはりこれが日本人の生活や情緒にあっていないのではないかと感じることだ。つまり一般的にやかましい。個性を際立たせるために不可欠と思っているのかもしれないが、歌は聴く人の気持ちを穏やかにし、思考を拡大させるものではないかと思う。だが、やかましさを押し付けているように感じる。年寄りのこころのよじれのせいかもしれないが。
 演奏は現代は基本的にシンセサイザー、つまりコンピュータによる人工音の合成でできる。紅白での舞台の生演奏は、それにこだわるバンドでのみある。かつては舞台にそのスペースがあってなされていた。それが別のスタジオでの演奏と放送する舞台との合成になった。現在も別スタジオでやっているのかは分からないが、別途用意している演奏音は常に用意されているので、別スタジオもおそらく無用だろう。
 その演奏音源だがまさに「完璧」な音であるゆえに、これが年寄りの耳になじまない。1980年代にCDにメディアが替ったときのように、自然音でなくなったことが原因だ。かつていわゆる蓄音機が限りなく自然音や人間の肉声に近づけるように制作された時代と、大きな差ができてしまったからだ。
 現代の音楽音で育った若い世代では、信じられないことかもしれないが、年寄りの耳にはノイズのない澄まされた音が心を乱す。だが音楽業界は分かってはいても、以前にはもどれないだろう。
 世相として人を単なる安い労働力としてしか扱わないようなことから、人間としての感覚や感情が落ち込み、そこから「感動を」「感激を」得たい症候群のような様相ができて、それが現代に流行する原因なのかもしれない。これが違和感の一因なのかもしれない。
 年寄りは一律の感動と感激の押し売りにはへきへきする。
 中身がないと大概は様相でごまかそうとする。いくらビジュアルの時代になって久しいとはいえ、ビジュアルしかないというのもどうかと思う。舞台の派手さ、衣装の凝り具合、リズムと踊りのせわしなさが、これでもかと展開される。近年の特番が2時間を超える長時間番組になっているが、これは公共の電波を使った思考暴力なのではないか、とさえ思うことがある。
 紅白が現在ラジオで放送されているのかどうかは知らないが、おそらく音だけのラジオでは耐えられないだろう。つまり、ビジュアルを取り去ったら、聴く人に訴える中身は何が残るのか。
 悪く言えばバカになりそうだ。という超辛口のNHK紅白歌合戦評でした。
 まあ、シンキ臭いといわれたが、フランク永井が活躍していた時代の歌、つまり流行歌が年寄りには、おっと私にはあっている。そんなことから、あらためて「日本の流行歌スターたち」の発売を喜んだわけ。写真はついでに聴き比べるのにラックから引き出したもの。

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