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 1959(S34)年はフランク永井が4本の映画に関係している。「らぶれたあ」「青い国道」「夜霧に消えたチャコ」「俺は淋しいんだ」、いずれも日活作品で出演・挿入歌を歌っている。
 当時の映画から、このたびスカパー衛星劇場(CS)の「幻の蔵出し映画館」として「青い国道」が放送された。まさに幻の蔵出しである。フランク永井フォンにとっては感激、感涙のこととして、この貴重な歴史的なフィルムの放送に感謝したい。
 当時のこうした娯楽の軽い映画は日本映画も変わり時で、モノクロ全盛時代。サイズもテレビでいう地デジ前の4:3に近いサイズが主流。それがカラー化、あるいは映画ワイド化(ビスタサイズ、シネマスコープ等)に変化する時期。「青い国道」は、モノクロ52分、シネマスコープ。
 フランク永井の歌「青い国道」は消してヒット作品ではなかったかも知れないが、映画が封切られた1959(S34)年2月に先行した前年11月にリリースされ散る。映画は、テレビの一時間ドラマサイズで、舞台は関門トンネルをはざむ門司港と下関。関門海峡を結ぶ連絡船で働く船乗りが大海洋を庭とする捕鯨船にあこがれる悲喜こもごもの人間ドラマだ。
 フランク永井はところどころで「青い国道」を歌っているのだが、同時に主役青山恭二の恋人堀恭子を好いているというトラック運転手を演じている。妙な設定だが、つっこんだらきりがなく、この時代の映画は黙って楽しむしかない。
 何か月も遠出をする船乗りに、夫の海難事故にあったことで反対する母。母役は寅さんで長くおばちゃん役を演じた三崎千恵子。ソーセージ工場で働く恋人の堀恭子も彼が遠洋漁業の船にのるのは嫌だという姿勢。それでも青山は遠洋航海へのあこがれは断ち切れない。血気盛んな若者はいつの時代もそうだ。
 これに親父と親しかった船長たちがからむ。うっかり青山はだまされて密出獄する犯罪人の手助けをしてしまいそうになる。それをたまたま見ていたフランク永井はすぐに警察に連絡。海上保安庁かどうかわからないが警備艇が数艘出動して、青山が拳銃でやられる寸前に悪漢たちは捕まる。
 当時の映画資料をみると協賛しているのは大洋漁業。フランク永井はそこのトラック運転手役。フランク永井はデビュー前には米軍の運送に関係し、大型トラックの運転をしていたので、お手のものだ。当時の工場回りばかりか、門司港や大和町漁港、火の山ロープウェイからの景観、下関水族館といった、今ではほとんど文化遺産ともいうべき当時の街の情景が映し出されている。街の風景では高いビルなどなく、遠くまで見通せる景観が、懐かしさを喚起する。
 1958(S53)年、関門トンネルが完成したばかりでそこを走るトラックを映すことで、この映画はうまく世に宣伝する役割を果たしている。ドラマの内容の表現かと最初は思っていたのだが「青い国道」というタイトルはこの関門トンネルをいいたかったのだ。国道2号線、有料のこの間は3.5キロが歌詞にある。
 ちなみに、この曲は作詞が吉川静夫、作曲が豊田一雄、編曲が佐野雅美。ビクター会制作となっている。ビクター会とは何ぞや。
 今ではドラマやCMが大きなプロジェクトとして作られ、その主題歌とか挿入歌、BGMとして歌が依頼制作されるということが多い。当時は「有楽町逢いましょう」がそうした歌だったが、同時に歌が先行して売れると、その歌からのイメージで映画がいくつも作られた。「青い国道」の映画公開の前年、1958年にフランク永井は8本の映画にかかわった。もちろん、この年は新譜吹き込みが40曲とかの状態で、各地での公演、ラジオ出演とほとんど寝る暇もない時期だった。それでも、わかいフランク永井はあのニコニコ顔でねもあげずにこなしたのだった。
 「津軽海峡冬景色」は石川さゆりが熱唱した名曲。これは青函航路の歴史を想起させる。本州と青森をつないだ連絡船はさまざまなドラマがあった。それも1988(S36)年に北海道へ乗り入れる青函トンネルを新幹線がつなぐことで、連絡船は途絶えた。鉄道線はすでにあったが「青い国道」で表現した関門トンネルは道路。2011年には新幹線がつながった。別項で紹介した「でっかい夢」では本州と四国をつないだ橋梁を歌った。日本が昭和の時代に九州、四国から北海道までつながったと言える。
 産業の発展をささえる重要な基盤としての道路や鉄道の整備。その推進と完成をたたえるのに、昭和の流行歌がかかわっていたことを伝える記録として、この「青い国道」は貴重なものである。
 この映画はあと2回の放送予定がある。21日と27日。環境のある方はぜひご覧ください。筆者もその環境がないのだが、いつも窮地を救っていただいているAさんから今回も録画を見せていただいた。こころから感謝を申し上げます。
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 「ムード歌謡」というのはフランク永井などが歌った都会派の歌謡曲について、どういう名前でくくろうか、つまりジャンル付けしようかと苦悩した結果つけたようだ。
 確かに東京の享楽街でのナイトクラブなどの舞台で歌われる曲は、来客者の男女のムードを和らげ、癒し、盛り上げるためのもの。ここで歌われるような曲を「ムード歌謡」と名付けたのはそれなりに妥当だったのかもしれない。
 フランク永井や松尾和子、マヒナスターズ、森進一や青江三奈などは当然ほかのジャンルの曲も多数歌っているのだが、歌手自身やレコード会社がメインで前面に押したのはこの分野だ。
 面白いことに彼らのメインの売り出しのレコードであるEPには、ムード歌謡を歌ったレコードは基本的にない。色合いを寄せたLPにはある。そうとう自由に「ムード歌謡」を用いて作品を出したのは、当時のカセットテープではなかろうか。このラベルを使った自由な作品はその後CDに引き継がれる。
 近年CDの売り上げの伸びが止まる。それはCD音源にあきが来たのかもしれないが、さまざまなテクノロジーの変化や楽しむ側のメディアの発展がある。メディア作成時に周波数の範囲を固定したCDに対して、もっと上を、下をと音の豊かさを追求したハイレゾを楽しめる時代になった。ネット社会の拡大でオンラインあるいはダウンロードで楽しむというスタイルが定着する。音の提供側もCDをあきらめていかざるを得なくなる。
 そこで手元のカセットをまた眺めてみた。フランク永井が主役のもの。フランク永井と松尾和子のデュエットもの。フランク永井と石原裕次郎。フランク永井や松尾和子を含む当時のムード歌謡歌手を集めたもの。さらに二人を含む当時流行したデュエットもの。などあることが分かった。
 しかもビクターだけでない。このブログで何回か紹介したがポニーの商品。ポリドール製品とあった。
 VCH-1544-フランク永井/松尾和子魅惑のゴールデン・デュエット(1978)
 (LP版と同じコンセプトで12曲)
 フランク永井にカギってだがつぎのようなもの。
 VCH-2669-デュエットヒット
 (フランク永井と松尾和子のデュエットを含むオリジナルとカバー集)
 VCH-2711 フランク永井夜のムード歌謡
 (フランク永井と松尾和子のデュエットを含むオリジナルとカバー集)
 VCH-2720 夜のムード歌謡
 (フランク永井、松尾和子、青江三奈など他のビクター歌手によるカバー集)
 VCH-2747 フランク永井夜のムード歌謡
 (フランク永井によるカバー集)
 VCH-2749-BEST_ONEデュエットヒット
 (フランク永井、松尾和子、青江三奈など他のビクター歌手によるカバー集)
 VCH-2764 ムード歌謡
 (フランク永井と他の歌手によるオリジナルとカバー集)
 VCH-2767 夜のムード歌謡
 (フランク永井と他の歌手によるオリジナルとカバー集)
 VCH-3524-魅惑のムード歌謡
 (フランク永井と他の歌手によるオリジナルとカバー集)
 VCH-20024-フランク永井/松尾和子ゴールデン・デュエット
 (LP版と同じコンセプトで12曲)
 VCH-20056-ムード歌謡最新ヒット
 (フランク永井、松尾和子、鶴田浩二など他のビクター歌手によるカバー集)
 VCH-20057-スタンダードムード歌謡(1981)
 (フランク永井と松尾和子のデュエットを含むオリジナルとカバー集)
 以上1978年から4年間に発売されたもの。よくもまあ似たような打ち出しでやったものである。感心するほかない。きっと出せば売れたのに違いない。
 オリジナルのヒット曲は紛れ込んでいるのだが、基本的に他の人気歌手によるヒット曲のカバーである。しかもそれらの多くはフランク永井が別のアルバムでカバーしているのを聴いているので、ほかの歌手の歌唱と比較できる。
 筆者の場合はたいていBGMとして楽しんでいるので、細かいことはあまり気にしないで聴く。ただどうしてもフランク永井が歌っている曲だと比較してしまうのだが、最終的に比較して失敗する。しない方がいいのだろう。当時、つまり1980年ごろまでに流行歌は流行ったし、ムード歌謡の歌う歌手が多く出て最盛期であったのかもしれない。
 これが十分に堪能できる。そうだった時期をこの度テープで聴いてみたしだい。ここ何年かレコードよりもテープからの音源を多く取り上げているが、気分的にはこちらのほうが、音源が確かなのではないかと気に入っている。理由について確証があるわけではないが。
 とは書いているが、実際はまとめて聴く時間はなかなか取れないので、テープからPCに音を落として、さらにポータブル・プレーヤに転送して、通勤とか散歩とかのタイミングでも聴けるようにして楽しむ。
 ポータブルのプレイヤーも何代目かになった。ボタンが聴かなくなったり、ディスプレイに筋が何本も入ったりして、ここ1年ほどはiPadTouchを使用している。PCのiTuneで転送するが、その前に曲に対して、しっかりと①トラック番号+タイトル②演者③アルバム名という最少でのタグ付けをしておくのが大事だ。さらにはジャケット画像も表示できるようにしておけばベストなのだが、まあ、比較的頻繁にアルバムを入れ替えたりする場合はジャケットは付けていない。
 というわけで、フランク永井が残した(あるいは当時のムード歌謡歌手)曲をテープからの音源で楽しんでいるということについてでした。
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 10月「第10回フランク永井歌コンクール」が開催されたことは報じた。この催しをぜひとも見てみたいということで、遠方からご連絡いただいたKさんがおられた。実際に来られて感激された。その方からの情報である。感謝をこめて紹介したい。
 それは往年のアイドルであった柏原芳恵(よしえ)が何とフランク永井の「おまえに」をカバーしているという話。筆者は名前は当然知っているのだが、ご活躍の当時は仕事仕事の毎日で関心もなくテレビもほとんど見なかったので、お知らせいただいても正直ピンと来なかった。アイドルだった人がフランク永井の歌をカバーしている。それも「おまえに」。
 イメージができず、さらに伺うとこれだと教えていただいた。さっそくに曲を購入した次第。聴いてみると「おまえに」をすっきりと歌っている。「アンコール2」というアルバムの一曲。アイドルの歌というのは突出した何人かは確かに魅力的に歌っているが、多くはまあ下手なので聴くこともない。しかし柏原の「おまえに」はうまい。
 調べてみたら日本レコード大賞のゴールデン・アイドル賞を筆頭に幾度も優秀歌唱賞を得ている。紅白にも数度でている。そして作詞、作曲人はそうそうたる方々が提供している。歌の実力派ではないか。うまさの理由が分かった次第。
 ではフランク永井との出会いや接点はあるのか。この点でもかのKさんがアドバイスをくれた。「夜のヒットスタジオ」だという。そう、あのフランク永井が「Woman」を粋に歌って話題を呼んだあのときだ。山下達郎との予想外のコンビを実現し、ここ数年若い層から注目されていて、復刻版が人気を呼んでいるという。「Woman」が新たなフランク永井ブームのきっかけになればいいと思っていたところである。
 この時に柏原芳恵が確かに出ている。アイドル絶頂期だったのかもしれない。何曲か披露している。ははぁ、この番組で同時に出てフランク永井の歌(「君恋し」も歌っている)を聴いて密かにフランク永井のファンになったのかも知れない。1982年8月2日の番組である。
 記録によればフランク永井はこの年の6月21日にも出演しているが、このときは柏原芳恵は一緒に出ていない。何を歌ったのだろうか。さらに調べてみると、1969年2月10日に「恋のロマネスク」を歌っている。
 夜のヒットスタジオは長期番組で司会が何人も変わっている。「Woman」のときは井上順と吉村真理だった。
 柏原芳恵については何の知識もないのが今となって惜しまれるが「おまえに」が入っているアルバムは「アンコール2」。これは2010年2月のリリースで、2007年に「アンコール」、2016年に3が発売されているカバー集。
 フランク永井の曲のカバーとしは「おまえに」は多いほうなのだと思うが、ささきいさおとか宮本アナとか男性の低音が響く歌がある。女性ではレコードはなくても番組でカバーしているのは島津亜矢。うまい歌唱だった。
 また思い出すのは3年前の「カラオケ・バトル」で高学生とおぼしき安大智君が歌ったことだ。筆者の年代からするとこうした若い年代の方がひとりでもフランク永井の歌を歌って聴かせることがうれしい。まして柏原芳恵のような人気があり、歌がうまい女性ならなおさらである。
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 10月は、フランク永井の亡くなった月ということで、偉大な功績をたたえてさまざまなイベントがある。何よりも、生誕地宮城県大崎市松山では、先に報じたように「第10回フランク永井歌コンクール・グランドチャンピオン大会2018」が盛大に行われた。
 松山にはふるさと歴史館があり、その一角に「フランク永井展示室」が常設されている。歌コンの開催中には毎年「フランク永井レコード鑑賞会」が臨時に開催されている。訪れるファンのリクエストを気楽に受け付けて、入り口ホールのコーナーでレコードを聴くことができる。
 フランク永井展示室は、訪れるたびに感激するのは、かならず展示室に変化をだしていることだ。決して飽きさせない。生誕地ならではで保存されている珍しい写真が展示されている。ときどきに実家を訪れ、地元での公演をしたときのもの。
 保存するレコードのジャケットが部屋の一面を埋め尽くしているのには圧倒される。活躍中に取得したレコード大賞や、発売して一年間で5万枚を突破したときにビクターが授与したビクターヒット賞。これはトレードマークのニッパー犬だが、それがずらっと並ぶ。当時の優雅な活躍がわかる。
 その他さまざまな展示品がファンを喜ばすことうけあい。展示室を訪れると、松山の方々のフランク永井に対する真摯な対応が伝わってくる。
 展示室と歌コンが開かれた体育館は歩いてわずか数分。そしてこの一角には地元の銘酒「一ノ蔵」がある。華の蔵というショップが置かれてにぎわっている。
 訪れるたびに「一ノ蔵」を手に入れる。飲みやすくて実においしい。一ノ蔵はそうした全国的な高評を持っていながらも、最近は新しい作品の開発にも手を抜かないようだ。
 一つは「一ノ蔵無鑑査」。もう一つは「すず音GALA」。筆者は飲むことしかできない。うんちくはその筋つうの技なので、ご興味のある方はそちらから。ただ、今どきの若者、女性から特に好評と聞く。味わってみているが特筆ということで、フランク永井歌コン現地ルポの勢いで触れてみた次第。
 さて、この10月はフランク永井功績に敬意を払いラジオテレビでもさまなざな番組が組まれる。NHKラジオ深夜便は毎年、命日の27日前後に特集が放送されて人気だ。今年もラジオ深夜便を含めて次のような特集がわかっている。
■【再放送】NHK映像ファイル あの人に会いたい フランク永井(歌手)
 10月27日(土)午前5時40分~ 午前5時50分 NHK
 11月 2日(金)午後1時50分~ 午後2時00分 Eテレ
■NHKラジオ深夜便 フランク永井ジャズ+フランク永井作品集
 10月27日(土)2時台 フランク永井ジャズ・ポップスを唄う
 10月27日(土)3時台 昭和歌謡往年の名歌手フランク永井作品集
■煌く日本の歌手~わが心の演歌~ #10 フランク永井 篇
 11月02日(金)12:00~12:30 CS329 歌謡ポップスチャンネル
 11月21日(水)07:00~07:30 CS329 歌謡ポップスチャンネル
■【再放送】昭和の巨星スペシャル 吉田正
 11月04日(日)19:00?20:54 BS-TBS
■【初テレビ放送】幻の蔵出し映画館「青い国道」
 11月 8日(木)12:30~ CS219衛星劇場
 11月21日(水)04:00~ CS219衛星劇場
 11月27日(火)18:30~ CS219衛星劇場
 すでに放送されたラジオ深夜便。2時台はジャズ・ポップスということで「オール・オブ・ミー」から「恋の気分で」まで。特にリサイタルなどライブからの音源も含めて、従来にない選曲で構成されたのは画期的といえる。けっしてフランク永井の代表的な洋楽にこだわらない、番組編成の取り組みには拍手だった。
 3時台の歌謡曲と含めて2時間を費やした。フランク永井の昔からのファンだけでなく、若い層にも刺激を与えたに違いない作りであった。
 他は再放送が目立つが、注目したいのは【初テレビ放送】幻の蔵出し映画館「青い国道」だ。これはぜひ観たいのだが、スカパーであるために筆者にはその環境がないのが残念。「青い国道」は1958(S33)年にリリースされたレコード。決してレコード自身は大ヒットではなかったようだが、日活映画の主題歌だ。
 この時代の映画はレコード同様生産が多数で、今のテレビ2時間ドラマのようなもの。関門トンネル開通にからめた男の友情をテーマにした歌謡娯楽映画。
 別項でも触れたのだが、当時の映画は今嫌われモノになっている喫煙、放送コードに触れるセリフ、女性蔑視のようなものとかが多く、そうした映像を現代で楽しむには壁がある。ビデオ化もされないケースが多い。地上版のチャンネルでは今後も登場しにくい。
 ゆえにフランク永井が出演した映画を容易に楽しめない。だから有料のスカパーのチャンネルでの放送であっても貴重といえるのだ。あの時代には普通のなにげない出来事が、時代が変われば、やれセクハラだとか、やれ喫煙はガンの原因になるとか、と自主規制する。
 貴重な大衆文化の遺産としてみたときに、そうしたものが安易に封印されてしまうのは、ちょっと行き過ぎのような感じをうけるのだが、いかがなものだろうか。それでいて、小林旭のシリーズ映画のような、ギターを背負うのはいいとして、カウボーイ・ハットでピストルや機関銃でガンガン、馬に乗って...というのは許されDVDになっている。
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 記念すべき第10回歌コンの結果は下記のとおりでした。おめでとうございます。
★第10回フランク永井歌コンクール
<審査結果>
優 勝  添田  均  宮城県仙台市  妻を恋うる唄
準優勝  今野 中道  宮城県仙台市  冬子という女
第三位  岡田 順介  千葉県佐倉市  こいさんのラブ・コール
特別賞  関本 好紀  宮城県仙台市  逢いたくて
     神永世四郎  茨城県笠間市  夜霧の第二国道
     佐々木良二  宮城県仙台市  新東京小唄
 続いて、十周年を記念して開催された「グランドチャンピオン大会2018」は、3回目の優勝者が都合で出席できなかったが、過年度のチャンピオン8名と、上記今年の優勝者9名で競われた。その結果。
★グランドチャンピオン大会2018
優    勝 青山 譲二(第2回優勝者) 島根県鹿足市 初恋の詩
審査員特別賞 川村 忠洋(第8回優勝者) 宮城県仙台市 妻を恋うる唄
 フランク永井という宮城県大崎市松山が生んだ昭和歌謡界の大歌手の名を冠した、ユニークな歌コンクール。フランク永井のオリジナル曲という制限をもつカラオケ大会である。
 2011年には東日本大震災という直撃を開催直前に受けてその年は翌年に延期されたのだが、それにしても10年もこの歌コンが続くというのは、現代の驚異のようなもの。
 フランク永井という歌手の偉大さは当然だが、何よりも地元松山のこころざしの素晴らしさだろう。その意気込みと熱意が全国のフランク永井ファンのこころを引き付けてやまないのではなかろうか。
 フランク永井が舞台を閉じたのは1985年だから、すでにそれから四半世紀以上経つ。フランク永井を同時代で過ごした人たちは確かに高齢者だ。だが、フランク永井の歌い残した歌を聴き、それに惹かれている次の世代の人たちも静かに広く存在する。
 フランク永井の歌をレコードで聴き、ラジオやテレビで聴き、CDやテープ、今ならネットで聴いて、その独特の歌声が心に強い印象を残したのだ。働き盛りの40台の方がたまでそうしたファン層が下りてきている。
 これが歌コンを支えているパワーだ。歌コンにエントリーされた方々の十年間のリストを見てみても明らかなのだが、高齢者の熱いのど自慢者だけではない。若い層が結構多く、しかも女性の方まで多数参加しているのだ。当日会場で配布されるパンフレットがあるのだが、今年のパンフにその参加者数や男女の割合などがでていて確認できる。
 申し込みは、何故か(失礼)日本全国からあり、そればかりか海外からまで訪れている。宮城県大崎市松山という町自身は決して世界に名が知られているわけではないだろう。なにの、この申込者の実績からは「脅威的な不思議さ」を感じる。フランク永井が持つ魅力、ファンを引き付けて放さない力は、底知れぬ何かを持っていることだ。
 当日も来賓あいさつされた大崎市の伊藤市長も、自分がフランク永井ファンでありカラオケでは「おまえに」が十八番であることを隠さない。当日のグランドチャンピオン大会の進行を担当された著名な宮本アナしかり。彼はNHKを出た後も歌謡番組の司会のトップを走っている。彼もフランク永井のファンであることを公言し、CDまで出しているツワモノ。
 チャンピオン大会の審査時間では「フランク永井こぼれ話」として語る語る。歌手としてのフランク永井の主に発生の特徴や、歌に臨む姿勢のことや、さまざまな脱線で会場を爆笑にまきこみながら語り続ける。あげくはノリに乗って歌コン挑戦者さながらに「おまえに」の歌唱まで披露。
 フランク永井活躍の同時代にも、彼のファンと支援者、後援者は芸能、スポーツ界から政界まで幅広く深かったが、その後にも、一回り二回り若い層からファンが湧き出てきているのである。
 フランク永井は噺家との交流も深かったが、その世界でも若い噺家層にフランク永井ファンがちゃんと根付いているのを目にしている。まことに心強いかぎりだ。
 このフランク永井歌コンをこれからも継続させていくのは、松山のみなさんの大きな誇りと希望になっている。未来は誰にでもわからないことだが、実際に松山に来て、多くの方がたと接し、歌コンを鑑賞して、フランク永井の歌のすばらしさを改めに見つめなおす機会を得た。
 これからの課題として、フランク永井の歌の演奏曲(カラオケ)の充実も明らかになった。
 フランク永井はオリジナルとして400曲近く残しているが、カラオケ演奏はそのおよそ1割程度で、いい歌だから歌いたいけど、カラオケがなくて、という相談が絶えない。これはなかなか容易に実現はできないのだが、知恵と工夫と努力があれば少しづつでも出実現できるかもしれない。希望者は、ご意見をお寄せください。
 そのような感想をもったのが、今年の記念すべき歌コンだった。
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 先日久しぶりでご近所のNさんとばったり会った。彼はジネット・ヌヴー協会を主宰している。蓄音機に取りつかれて60年近く、それ一筋でご活躍。夜市で蓄音機やるのでフランク永井やろうよ、とのお声。
 時間の都合ができそうなので「有楽町で逢いましょう」「東京午前三時」「羽田発7時50分」を持って現場へ。当日は国分寺で根をおろしてご活躍の芸術家、手作り、陶芸、オリジナルのさまざまな作品を創作しておられる方々と活動家の企画のお祭りのような催し。
 アンティーク・アベニューという粋なスペースで地元で活躍する人々とその支援者で熱気むんむん。中心に蓄音機ととバイオリンコーナーがあり、構造的に音響が抜群の場所。蓄音機を回すのはNさん。バイオリンはプロの演奏家Xさん。
 催し開始の主催者のご挨拶。すでに相当の人の群れ。演奏も始められた。NさんはSP盤を恐ろしく多数所有しているが、会場には全部は持ってこれないので当日の催しの時間に合わせて、数十枚を用意する。会場の趣旨や雰囲気や来場される人々に合わせて楽曲が決まる。
 1920年代に製造された愛用のビクトローラ蓄音機が今日も大活躍だ。楽曲や盤の状態で何種類かの針を使い分ける。
 「有楽町で逢いましょう」をかけてみる。フランク永井の歌がよみがえる。60年前の声が流れる。蓄音機は人間の声を忠実に再現するという点で、これ以上のものがないといわれている。当時の盤への録音は演奏と同時で原板への直の音の転写というのが多かったようだ。
 会場には見たり飲んだり観賞したり、語り合ったりとそれぞれの目的で来ていて、騒音もすごい。だが、電気を使わない蓄音機の音はそうしたノイズをものともせずに、大きくとおる。若い人も多く、実際の蓄音機演奏ははじめてという方も多く、そのパワーに皆驚く。
 来ていた方がたでフランク永井を聴いた方がたはどう受けたかは分からないが、場にあっていたと自画自賛する。選曲もあっていたのではないかと。
 ここ国分寺は名の通り古いのだが、町らしい開発はそう古いわけではないようだ。フランク永井時代の国分寺駅という写真があったのだが、これを見ると駅の周囲はガラガラ。丸井が駅ビルのようになり、今年ツインタワー(マンション+複合施設)が完成して、ほとんど都会みたいになった。
 オリンピックの年、1964年に市になった。手元に、地元のお祭りのときに何気なく入手した、市政を記念して作られた市のレコードがある。「国分寺の歌」当時よく聴いた芹洋子と多摩少年少女合唱団が歌っている。もう一枚は「東京五輪音頭」の三波春夫の歌唱による「国分寺音頭」だ。
 盆踊りなどで踊ったのであろう。振りの絵付きだ。
 筆者は国分寺に来たのはまだ20年ほど前だが、その名が記憶になるのは「三億円事件」だ。散歩コースに府中刑務所があり、その塀を見ながら、ここでその事件があったのかと思った。昭和にぬぐい切れぬ印象を残した事件だったが、それももう若い世代にはほとんど知らない出来事になっているだろう。
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 流行歌のレコードが全面的にCD化される直前あたり、つまり1980年ごろはさまざまなメディアがあふれていた。そのころ「演歌」が定着してひとつの大きなジャンルを築いた。
 マイカーの音楽装置はおおきな要素であり、そこではカセットテープが欠かせなかった。トラック野郎が八代亜紀を聴くとか、演歌も好まれた。その演歌だが、演歌とは何かと聴かれると、筆者には答えようもないのだが、ともかく日本人の感性に妙に会う歌謡曲らしい。
 若者はJポップとかニューミュージックとか、演歌に反発するが、しょせん歌はひとりひとりの嗜好品の典型なので、自由だ。「ダセー」「古っ」とか言うのも勝手だが、流行歌や演歌にも人を惹きつける、独特の魅力があることは否めない。
 Jポップとかニューミュージックを除いて、レコード会社各社から競って「演歌」のカセットは出された。各レコード会社で演歌を歌う歌手を多く抱えてはいるものの、やはりヒット曲をもつ歌手というのはそう多くない。「演歌」というタイトルでカセット1つ、あるいは2つにまとめるのは勇気がいる。
 演歌については、レコード会社横断的な協力による人気歌手をそろえたものがおのずと好まれたように思う。何度か紹介したPONYからのカセットなどは、そうした事情とうまくかみ合って、さまざまな組み合わせを成功させたのではないだろうか。
 ビクターは人気歌手を多くそろえたレコード会社のひとつ。ビクターが自らかかえる歌手で「演歌」を編集したカセットがある。それは、男性編と女性編の2つ。
 フランク永井の関係で男性編はそうとう馴染みだが、女性は松尾和子とか青江三奈とかわずかしか知らない。カセットは「男の演歌・涙」と「女の演歌・こころ」。まず、男性編についてだが、次のような16曲だ。
 01_涙きらり(森進一)
 02_おゆき(殿さまキングス)
 03_ひとり酒場で(森進一)
 04_大阪ぐらし(フランク永井)
 05_かえり船(フランク永井)
 06_北国の春(殿さまキングス)
 07_星影のワルツ(橋幸夫)
 08_別れの一本杉(日高一也)
 09_すきま風(森進一)
 10_涙の酒(殿さまキングス)
 11_雨の東京(殿さまキングス)
 12_君こそわが命(フランク永井)
 13_おまえとふたり(殿さまキングス)
 14_倖せさがして(三田明)
 15_みちづれ(森進一)
 16_新宿・みなと町(森進一)
 このリストから見ると、ビクターの演歌歌手の代表は森進一のようだ。またド演歌で宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」とともに、日本を代表するヒットをとばした殿様キングス(宮路オサム)だ。
 フランク永井はこのカセットで3曲歌っている。「大阪ぐらし」はオリジナル曲。「かえり船」と「君こそわが命」。
 「かえり船」はバタやんこと田畑義夫が戦後すぐの昭和21年に飛ばした曲。
当時東海林太郎や上原敏と三羽烏の人気だった田畑は180万枚も売ったというからすごい。これは歌のニュアンスから戦中。大陸に侵攻した日本軍の敗戦でつぎつぎと引き上げてきた、これを迎える歌とされる。戦争による理不尽な悲喜こもごもを歌った名歌だ。
 田畑の歌を聴くと、直接に戦争を経験していないものでも心を打つ。大陸に散った親族を持つ家族や、負傷して帰ってきた兵、身体はケガしていなくてもこころに大きな衝撃の跡をもつ人を抱える本人や家族の心情はいかほどか。「かえり船」が多くの人に歌われた。
 フランク永井はこれをカバーしたのは1970(S45)年のLP「上海ブルース」においてだ。これはフランク永井の懐かしのメローディー、懐メロカバー集で何度も出ているので、いつでも聴くことができる。ぜひとも一度は聴いてみてほしいが、フランク永井のカバーも完成している。
 丁寧な歌い方、低音でありながら、そこに漂うもの悲しさが控えめに歌われており、フランク版の「かえり船」も田畑の歌に引けを足らない。フランク永井の本場はムード歌謡で、演歌を歌うフランク永井は多くの人が想像できないと聞く。
 だが、実はフランク永井は演歌のカバーを相当な数だしている。オリジナル曲数以上を歌っている。内およそ100曲は洋楽だが、残りの数百曲の多くが懐メロと演歌である。
 「君こそわが命」は当時低音歌手のフランク永井、石原裕次郎、三船浩と並んで活躍した水原弘のヒット曲。荒れた水原の復帰曲でもある。彼は歌唱力があるだけにいい歌にめぐまれればいい味を出す。早くして去ったのは残念だ。
 水原の日本レコード大賞曲「黒い花びら」のフランク永井版は歌ったであろうが音源は残ってないようだ。フランク永井の「君こそ命」もなかなかいい。欠点のない歌い方が欠点なのではという思いがふと浮かんでも来るが。
 フランク永井は「かえり船」を収録した「上海ブルース」のまえ、そのペアともいうべきLP「夜霧のブルース」を出している。1968(S43)年の作品だ。戦戦中から戦争直後あたりまでの日本で多く歌われた曲のカバーだ。
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 フランク永井がデビュー(1955:S30)した前後に「憧れのスターはだれか」と聴かれて「ナンシー梅木です」と即答した。詳しくはどういった状況でだったのか、それが記録されたいたのは何だったのか、資料散逸で紹介できないのだが、その即答したことは覚えている。
 フランク永井がナンシー梅木に触れたのはそのときだけ。その後はそのような話題は明確にはないが、一般的にビング・クロスビーとかいわれている。名前のフランクからの連想で、フランク・シナトラではないかともいわれる話題があるが、特に否定はしていないものの実際は違う。名前のフランクは、デビュー前に米軍キャンプにトラック運転手で務めていたころから、彼の気さくで明るく率直なひとなつこいところを、周囲の米人がフランクとあだ名をつけて呼び、それが定着したことからきている。
 米軍キャンプで歌っていたときも、周囲がそういうからフランク永井で通したようだ。ビクターに入ったときに芸名をどうするかとなったとき、特に反対する理由もなくそのままフランク永井となったようだ。
 フランク永井は自らはジャズ歌手になりたいと一心だった。当時ジャズ歌手の存在は、米軍の占領下日本という特殊な社会状況が大きく影響している。東京を中心に全国に米軍はおり、そこにはかならず兵士用の息抜き、娯楽の場があった。
 兵士用のいわば娯楽施設のようなもので、想像以上に力を入れられている。米国本土で徴兵されたいわば田舎からきた若者が、何も知らない外国地である日本で、移動や訓練に明け暮れる。ちょっと気をゆるめれば、キャンプ外で日本人相手に何をしでかすかわからない。今の沖縄をみるまでもない。
 兵のクラス毎に、映画館、バー、クラブ等々があった。それぞれのクラスに応じたエンターテナーが呼ばれるのだが、遠い外地でそうそう米国本土から慰安に呼べる数もおのずと限られ、結果日本人の芸人が重宝される。だから、こうした全国の場から呼ばれてジャズ歌手が歌うという需要は多かった。
 ここで歌い、人気を得る、外人に通用するエンターテナーとして認められ、その地位をえること。それが「ジャズ歌手」の目指すところだった。
 戦後の洋楽を歌う歌手はほとんどが、米軍のキャンプで歌った。雪村いづみ、ペギー葉山、江利チエミ、ディックミネ、アイ・ジョージ...と挙げればきりがない。表題のナンシー梅木も同様だ、
 フランク永井はそのジャズ歌手を強く試行していたものの、社会は急変する。それは朝鮮戦争が一段落(休戦)すると、在日米軍の再編が始まる。つまり需要が一気に減る。つまり膨大な需要で潤っていた世界が急激にしぼむ。そうなったときに、日本人社会でジャズ歌手が受け入れられるか、という問題に直面する。
 レコード会社と歌手は日本で継続してジャズ歌手が受け入れられるように、さかんな工作や工夫をしたものだが、残念なことに思ったようにいかない。日本人はタンゴ、カンツォーネ、シャンソンなどもどんどん興味をひろげていき、米国的なジャズは単に洋楽の一分野に過ぎない扱いになる。
 それに「ジャズがうまい」だけの歌手の受け入れにあまり関心を示さない。フランク永井がジャズ歌手としてデビューはしたものの、冷たい反応という洗礼を受ける。急激な社会の変化は、否が応でもジャズ歌手からの脱皮を求める。
 ナンシー梅木はフランク永井より数年活動が早い。札幌ですでに大変な人気をえていて、フランク永井がデビューする1年前には同じビクターで、何枚かレコードを出す。東京の米軍で知り合ったアーサー・ホワイティングに見いだされる。彼の親がロスで芸能事務所をしていた。ナンシー梅木はフランク永井がデビューしたその直前に、日本を脱出する。
 彼女はジャズ歌手の立ち位置を十分に察知していた。渡米し歌手(ミヨシ・ウメキ名=本名梅木美代志)として俳優として大活躍する。アカデミー助演女優賞を得た。フランク永井がナンシー梅木の名を口にしたのは、この鮮やかな、うらまうばかりの転身への憧れがあったからではなかろうか。歌手としての根性を学び、おのれの流行歌手への転身のふっきりにしたのかも知れない。
 ナンシー梅木の曲はビクターからCD化されて発売されている。「The Eary Days Of Nancy Umeki 1950-1954」(Miyoshi Umeki - Complete RCA Japan (1950-1954)。
 米国で流れるオリエンタル情緒あふれるジャズといったところだ。フランク永井がデビュー前にラジオのジャズのど自慢で優勝した曲というより、これ一曲で勝負したという有名曲「My Baby's Coming Home」が聴ける。日本語の歌詞入りだ。また代表曲かも知れない「哀愁の一夜」とか、平野愛子の名曲でフランク永井もカバーしている「君待てども=I'm Waiting for You」。当時よくラジオで耳にした「How Much is That Doggie」。
 ジャズの本場米国に行って成功した日本人というのは何人もいるかも知れないが、ナンシー梅木は戦後の代表的な一人に違いない。そのナンシー梅木とフランク永井のつながりについて触れてみた。
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 NHK-BSエンターテインメントは2006年から2009年頃まで続いた、大型の歌謡曲番組で、4年間で昭和歌謡のトッピクをほとんど取り上げた。ここは、先にも紹介したが、長年のフランク永井封印を解いた「フランク永井と松尾和子」があり、決定打の「歌伝説~フランク永井」が含まれる。
 「昭和歌謡黄金時代」はそうした番組のひとつのシリーズだが、2006年2月に放送された番組も忘れられない。最近保存データを整理しているときに、録画していた映像で残っていたもののひとつだが、当時著名な歌謡番組司会経験者が三名そろって登場した時のことだ。
 実はこの件については、文四郎日記の2013年11月にも触れているのだが、あらためて紹介してみたい。
 歌謡番組を絶やさずに放送してきたテレビ東京で司会を続けてきた印象が深い玉置宏(2010年没)。歌謡番組の司会といえば彼だった。また関西弁をそのまま使って歌手をみごとに表現する浜村淳。歌手を紹介するときに、いかにその歌手の優れた特徴を一言で表現するかにたけている。もう一人はNHKアナで紅白も含めて司会を続けた山川静夫。落ち着いた的確な紹介は定評だった。
 当時を代表する歌謡番組の司会者がそろって登場するというのも、NHK大型番組ならではのことなのだが、このご三方が、振り返って最も印象的であった歌手は誰かという設問に、そろってフランク永井をあげたことだ。
 きらぼしのように登場して時代に花を添えた昭和歌謡の歌手は、数えられないほどおり、また名が通った歌手もあまたいるなかで、フランク永井を取り上げたのは、当時も観ていて感動のシーンだった。
 このことについては2013年の記事でも紹介している文芸春秋に文を書いた山川の「まったく偶然に揃って「もう一度逢って司会したい歌手」にフランク永井をあげたのが忘れられない」という言葉にでている。
 当「文四郎日記」では長いフランク永井封印を解いたのは2007年の番組と書いたが、その1年前のことだった。つまり、再開花というべきときが2007だとしたら、その下準備が1年前から準備されたともいえる。テレビ界に大きな影響をもつ名司会者が横断的にそろい、フランク永井についての本来のふさわしい扱いに戻すべきではないかという意思の確認だったと考えられる。
 この番組の司会はNHKの阿部渉アナが担当、ゲストは熊谷真実。

 さて、現在歌番組の司会で名を馳せているのがNHKからフリーになった宮本隆司アナ。
 この宮本アナもフランク永井は大好きな方。そしていよいよ近づいた宮城県大崎市で開催される「フランク永井歌コンクール」の、グランドチャンピオン大会の司会が決まっている。
 今年の歌コンは十回という記念すべき催しであることから、特別に過去の大会優勝者を呼んでのグランドチャンピオン決定を問うというもので、全国的なファンの注目だ。
 現地ではちゃくちゃくと準備が進行している。フランク永井ファンの宮本アナがフランク永井をどう紹介するのか、今から皆が注目して期待しているところである。
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 「石原裕次郎・フランク永井・斉条史朗」(PONY 36P1028)である。別項で紹介した「夜のムード~石原裕次郎・フランク永井」だが、この続編のようなもの。
 裕次郎とフランク永井に、さらに斉条史朗を加えたセットだ。フランク永井がPONYのオリジナル企画で登場するテープを、いろいろと取り上げてきたが、これが締めかと思える。
 「夜の酒場で20曲」(PONY-36P1036)というカセットもあり、ここではこの三者にさらに、黒沢明とロス・プリモス、敏いとうとハッピイ&ブルー、ロス・インデオス、森雄二とサザンクロスというムードコーラスが加わったセット。
 これらで紹介されている曲は下記の通りで、多くはダブっている。
 注目は、裕次郎の曲「夜霧よ今夜も有難う」をフランク永井が歌い、「ブランデーグラス」を斉条史朗がカバーしている点。それと「ウナセラディ東京」「ベッドで煙草を吸わないで」について、裕次郎とフランク永井の二人が歌っているところだ。
 裕次郎の代表曲ともいえる「夜霧よ今夜も有難う」はニーズがあったからか、ビクターでも複数テークがある。さらにこのPONYでもいくつかあるようだ。裕次郎が歌ってただよわせたこの歌の雰囲気は強烈であった。それを低音の巨頭フランク永井がどう歌いこなしているか。ぜひさまざまな音源から聴いてみてほしいが、さすがである。フランク永井が歌えば、そこにはそこには別の夜霧よ今夜も有難うの世界がちゃんと広がる。
 「二人の雨」を除いて裕次郎が歌っている曲はフランク永井が全部カバーで歌っているので、比べて聴いてみるのも面白いかもしれない。

【石原裕次郎】
ウナセラディ東京/あいつ/霧にむせぶ夜/二人の雨/誰もいない海
ベッドで煙草を吸わないで/銀座ブルース/よこはま・たそがれ
爪/そっとおやすみ/誰もいない海/あいつ/クチナシの花
なみだ恋/君は心の妻だから
【フランク永井】
今日でお別れ/知りすぎたのね/知りたくないの*/逢わずに愛して
ラストダンスは私と/別離/恋心/赤坂の夜は更けて/女の意地
ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー/ウナセラディ東京
ベッドで煙草を吸わないで/夜霧よ今夜も有難う
【斉条史朗】
ブランデーグラス/ロストラブヨコハマ/夜の銀狐/夜の虫
いつかどこかで/恋女房

 斉条史朗は「夜の銀狐」で圧倒的な人気を得た歌手。筆者は多くを知らないが、独特の歌い方が印象的だ。いい味を出していた。
 当時低音の歌手といえば神戸一郎という歌手がいた。それに三船浩という歌手もいた。彼らはそれぞれ大変個性的な声をもってファンも多かった。だが、いつの日かあまり聞くことがなくなった。
 三船については「三船浩ベスト16」(KING-BO-13)というテープが手元にある。「男のブルース」「夜霧の滑走路」などが代表曲。そう「夜霧の...」というビクターのフランク永井の「夜霧の...」に、まっこうから対抗してさまざまな「夜霧の...」がだされ、このセットにも「夜霧の女」が入っている。

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