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 フランク永井にだけ焦点を当てた番組というのは、そう多いわけではありません。テレ東BSのこのたびの作品はそのなかでも、大変優れた作りの番組であったと思います。
 永久保存版として録画を取りました。
 本筋の冒頭に1958(S33)年4月号の「明星」の2色刷り特集「男性No1」を紹介しています。ゲストの小西良太郎はこれを見事に表現しました。当時の大衆の娯楽のトップは流行歌、映画、スポーツで、そのトップに君臨するのがこの3人だと。これは名言、まさに当時の若手三人の人気を語っています。
 この番組では、フランク永井の生涯について、きちんと、丁寧に紹介しています。しかも、フランク永井の生誕地である宮城県大崎市松山のフランク永井展示室(常設)をロケして、貴重な展示品の数々を紹介しています。また展示室を出ると目に飛び込む「おまえに」の歌碑も追っています。
 「おまえに」をフランク永井が3回も吹き込んだ理由について、恩師のただならぬ推察力、弟子への信頼の深さが、小西から語られていました。
 とうぜんこのシーンは「おまえに」の歌唱シーンで使用されています。そして恐らくですが、初めて「おまえに」の最初の音源が、最後の音源と比較するという形で紹介されています。2回目以降の歌唱と一か所だけ歌い方が異なるのが確認できます。
 番組制作者の丁寧さに驚いたのは、恩師吉田正がフランク永井に提供した曲数を139曲だと具体的に上げたことです。正確な数字は実はデータブックでも明らかにしていないのだが、それは未発表も含めて全数が読めなかったことにつきますが、データブックでも142程度数(ダブりやカバーなど微妙さを含んで)えられます。
 歌碑と言えば有楽町のイトシア横に建てられている「有楽町で逢いましょう」碑があります。この碑も取材されて「有楽町で逢いましょう」の歌唱で使用されています。
 この度の番組の制作陣(KKオールアウト)が、フランク永井のデビュー曲である「恋人よわれに変えれ」を紹介する際に、国会図書館に保管されている貴重なSP盤を利用されていることです。フランク永井の番組制作にあたって、その姿勢がいかに敬意をもって当たっているかが察せられます。
 同様に、番組のユニークさを際立たせているのは、ゲストに田代美代子を読んだことにもあります。吉田正やフランク永井番組で過去に登場した方々を安易に呼びませんでした。フランク永井と直接の接触があれば、当然ご本人なられはのエピソードをお持ちです。ただ、現在は、残念ながらフランク永井と近かった方々の多くは彼と同じ世界に行っていますので、多くはおられないのですが、何とフランク永井とデュエット曲を残している田代に焦点をあてたのです。
 そして、その「今宵だけのパートナー」の音源が披露されました。テレビでの披露は初めてではないでしょうか。これを嬉しく思うのは、田代ご本人だけではないはずです。今回のゲストでの振る舞いもそうですが、田代の素朴で率直な人柄がわまるように、ファンは多く、きっと大いに感動したことでしょう。
 歌謡曲の放送については、その量においてきっと最大を誇るのではないかと思いますが、それでもフランク永井の映像は限られているため、多くはフランク永井が舞台を降りる数年間の映像が多く出たと思います。大半は過去の番組で流れたものが多かったのですが、最後を飾った「六本木ワルツ」は、やはり1985(S60)3月25日放送された「にっぽんの歌」からのものです。この曲の映像はもう一つあるのですが、こちらのほうが気に入っています。
 放映直後に親しい方から連絡をいただきました。いい番組味であったと、感激を共にしたのですが、鋭い指摘もされていました。それは、フランク永井の最後の何年かの歌う映像には、寂しさがまとりついていると。常々感じていたのだが、今回の番組での映像をみて、改めて実感した、というものでした。
 私もそのように感じていました。まず、歌唱の音程ですが、彼の特徴は「魅惑の低音」と言われますが、そうキーは低くないんですね。それが低音にグッと移動しています。彼の声の特徴は「聞いた人に低音に聴こえる」というまれな性質をもつもので、これが他の歌手が追随できない理由になっています。
 低音から高音にシームレスで一直線に伸びているという特徴です。ちょうど美空ひばりが通常から裏声にシームレスで発生できるようなものです。この特性が、喉のポリープなどのことから、かつてのような澄んだ音が出せなくなったのですね。
 歌一本に声明をつぎ込んできた歌手にしてみれば、声が出せないことがどれほどの負荷になったものか、想像にあまりあります。それを知らぬわけがない一部のマスコミが、何年も前のゴマ粒ほどの良からぬ噂をとりあげ、こぞって彼を貶めた罪は深いと思います。
 知人のご指摘のとおり、1985年に至る映像に残されたフランク永井の表情は、やはり暗くもの悲しげでした。だが番組は、スカッとした青空を写していました。
 テレ東の番組スタッフの皆さん、ほんとにうれしい番組でした。感謝を申し上げます。これからも、いい番組をよろしくお願いします。
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 今年で一番の番組になるのではないかと思えるプログラムです。
 2008年にフランクン永井が世を去ってからすでに13年になります。10月27でありました。
 今年は恩師吉田正の生誕100年ということで、NHKとテレ東が特集を放送してくれましたが、テレ東がフランク永井に焦点をしぼって番組を作るのは、おそらく初めてではないでしょうか。いかなる理由かはわかりませんが、わずか一週間まえに、ネットで予定が公表されました。
 下記のように、テレ東が番組を紹介しています。

【「激動の時代」と言われた「昭和」は、日本人が振り返りたくなる魅力にあふれています。
この番組では、昭和を象徴する「人」「モノ」「できごと」から、毎回ひとつのテーマをピックアップ。当時の映像・写貝を盛り込み、「昭和」の魅力を再発掘していきます。
 都会派歌謡の申し子と称される歌手、フランク永井の低音の魅力に迫ります。
 「有楽町で逢いましよう」のヒット戦略、「おまえに」の作曲家、吉田正との絆とは!?
 魅惑の低音で昭和歌謡を彩った歌手、フランク永井。高度経済成長期、フランク永井は発展を遂げる東京の情景を歌い、都会派歌謡の申し子と称された。
 人々を魅了したその歌声と、彼が戦後、昭和歌謡界に残した輝かしい功績を振り返る。
 作曲家・吉田正と切り開いた「都会派歌謡」という新たなジャンルから生まれたフランク永井の出世作「有楽町で逢いましょう」その誕生秘話とは? そして、大人の男女を描いた永遠のデュエット・ソング「東京・ナイトクラブ」。松尾和子との絶妙な歌声、その懐かしい映像を紹介する。
 また、ゲストの田代美代子がフランク永井とデュエットした「今宵だけのパートナー」の貴重な音源も! 田代美代子が見たフランク永井の魅力とは? 
 さらに、代表曲「おまえに」。実は、3度にわたって発売されていた。そこには恩師、吉田正のある狙いがあった。
 他にも、魅惑の低音で歌い上げる名曲の数々で綴る1時間】

 フランク永井ファンにとっては、たまらなく期待が膨らみます。
 曲目についても、記事が明らかにしています。

夜霧に消えたチヤコ/LOVER COME BACK TO ME(恋人よわれに帰れ)/有楽町で逢いましよう
夜霧の第二国道/羽田発7時50分/西銀座駅前/東京ナイト・クラブ(フランク永井・松尾和子)
今宵だけのパートナー(フランク永井・田代美代子(音源のみ)
君恋し(二村定一(音源のみ)/君恋し/おまえに/六本木ワルツ

 注目したのは「恋人よわれに帰れ」、つまりフランク永井のデビュー曲ですが、この映像はあれば、そうとうレアです。テレ東に残されていたのでしょうか。それから「今宵だけのパートナー」です。1966(S41)年発売(SV-456)の珍しい盤です。和田弘とマヒナスターズと一緒に歌い大ヒットした「愛して愛して愛しちゃったのよ」の田代美代子とのデュエット曲だからです。
 田代はこの番組の特別ゲストで出ていて、きっと、貴重なエピソードを披露してくれると思われます。
 当日のもう一人のゲストは、常連の音楽評論家小西良太郎です。
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 9月3日「徳光和夫の名曲にっぽん〈吉田正生誕100周年〉」を楽しみました。NHKが先に放映した「新BS日本のうた」での特集と同様、フランク永井の恩師吉田正の生誕百周年を記念した番組です。
 テレ東BSの徳光和夫がナビゲートする人気番組です。昭和の大衆文化に欠かせない足跡を残した偉大な作曲家吉田正の代表曲が放送されました。ゲストは橋幸夫です。吉田門下生のなかで現役で活躍している代表的な歌手です。
 司会の徳光は、この業界全体に詳しく、またご存知のようにフランク永井の大ファンでもあります。橋との会話のやりとりを注目して聴きました。たいていのエピソードを周知していながら、橋に話を向ける巧みなものでした。橋は、自分もそれを承知でもそつなく、自らの体験として応えています。
 恩師のシベリア抑留の話、異国の丘(昨日も今日も)、潮来笠の誕生秘話、
「いつでも夢を」の録音時のエピソード、フランク永井や鶴田浩二との関係での想い出などが話されました。
 フランク永井との関係では、テレビで明かされたのは二度目ですが、橋がデビュー直前に、急遽フランク永井公演の前座で出たときのことが話されました。橋は真っ赤と真っ白な装いで登場し、無名なのに主演者以上の拍手と歓声を得たこと、その後フランク永井に、暗に、前座が目立っちゃ困る、新人の立場をわきまえろと言われたと。
 この話題を出すのは、橋ファンからするとうれしいテーマなのでしょうが、一方のフランク永井ファンは、自己顕示欲が出過ぎだよと、評価がわかれます。まあ、この世界は「オレ、オレ」と自分を前面に出すことが当然のようなところなので、とよかくいうようなことではないですね。ファン仲間では、
前回よりはアクは薄かったけど、これは話すべき視点が違うなと話題です。

 さて、曲目についてですが、前回に紹介した通りです。
 フランク永井は「西銀座駅前」「有楽町で逢いましょう」で映像がでましたが、特別に初出のような映像ではありませんでした。歌謡曲ではおそらく、テレビ局で最大の映像素材をもつテレ東であっても、フランク永井の映像は出きっているのかもしれません。圧倒的な露出を誇った美空ひばりと異なり、同時代の歌手でもフランク永井の映像は少ないのです。
 こうした番組で、今まで見ていない映像がでることを期待しても、それは単なるファンの期待過剰に過ぎないことが、改めてわかったような気がしました。
 フランク永井は昭和でもテレビがエンターテインメントの主役になる時代の前の、SP時代の人気歌手でした。つまり、ラジオと蓄音機の時代ですね。単純に古すぎる。フランク永井の映像遺産を調べているのですが、現時点で解っているのは数十件です。
 しかも、フランク永井ご自身がかつて語っていたのは、ビジュアル的なテレビでの歌唱は乗らないというのです。ラジオもそうですが、彼の特性である「低音」は、中音重視のテレビでは、活かせないということがありました。また、長い待機時間を要し、実際の出演はわずか数分、しかも録画の場合は視聴者の顔が見えず、反応がリアルにつかめない。フランク永井は自らビジュアルには向いていないというようなことも、テレビ化がすすむ当初は、頭をかすめていたようです。
 娯楽の世界では、現在の感覚では全く理解できないような話に聞こえるかもしれませんが、当時は現実でした。長い待機時間については、番組で橋が一端を話していました。あの紅白の舞台裏のフランク永井の控室で、村田英雄、春日八郎らとポーカーゲームにふけっていたと。このようなことは、他の番組の途中でも、あるいは地方に公演に行った時でも、同じだったようです。

 そうそう、忘れてならないのは、新人の登場です。藤井香愛、青山新、新浜レオンの三人が「夜霧の第二国道」などいくつかを披露しました。なかなか立派な歌い方でした。「銀座ブルース」は吉田正作品ではないのですが、松尾和子、マヒナスターズからの連想ですね。
 歌は時代の動きと密接に結合していて、当時と比較して現代はすっかり変わったと言っていい世です。フランク永井が活躍していた時代を、生まれてもいない彼らが知る由もありません。当時の歌の歌詞やメロディーも、きっとそうとうな違和感を持っているのが正直なところでしょう。
 それを彼らが歌う。それが彼らと同年代の若い人たちに、どう響くのだろうか。確かに、フランク永井活躍時代の年代層には大歓迎です。
 この辺りは若い人たちに声を聞かないとわかりませんが、そのようなことをつらつら思い浮かべながらの鑑賞でした。

 フランク永井の恩師吉田正の偉大さについては、いくつかあります。
 第一に、大衆の平和な暮らしへの視点を貫いたことです。すべての理不尽がまかり通る戦争に巻き込まれ、過酷なシベリア抑留まで経験されたにもかかわらず、ぐちを口にすることなく、人の気持ちを明るくする歌の作成にエネルギーを向けたことです。
 第二に、戦後の復興に汗水を注いだ人たちが、労働後のひととき、憩いの場に、洋楽ではなく日本の曲を流すのだという動機をもって、都会派歌謡といわれる分野を切り開いたことです。
 第三に、作った楽曲は「詠み人知らず」が理想なのだといったことに、吉田正の姿勢があります。大衆の胸を打ち、口ずさまれる、そのような歌。時代を超え、年代を超え、自然にふとメロディーが口から出てくる。だが、それがもともと誰が作り、誰が歌ったのか、などは問題ではない。いつまでも、心に残るような曲がいい曲なのだと言ったことです。
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 9月3日(金)のBSテレ東での放送です。www.bs-tvtokyo.co.jp/meikyoku/
 吉田正生誕100周年のNHKでの放送を先に紹介しましたが、今回はテレビ東京の人気番組である「徳光和夫の名曲にっぽん」です。おかゆとの楽しいやり取りで、楽しく進む番組です。
 曲のリストから見るゲストは、橋幸夫をはじめ吉田学校門下生が何人か出られるのではないでしょうか。他に、文四郎的一押しの青山新がでそうで、楽しみにしています。青山新については、テレビでの曲を聴いたときに、声が好みだなと感じただけで、これから見ていかないとと思っている新人です。この度は「東京ナイト・クラブ」で聴かせてくれるようです。
 公表されている24曲の歌のリストは、下記のとおりです。

「江梨子」橋幸夫
「東京ナイト・クラブ」藤井香愛・青山新
「誰よりも君を愛す」新浜レオン・おかゆ
「西銀座駅前」フランク永井
「落葉しぐれ」三浦洸一
「美しい十代」三田明
「恋をするなら」橋幸夫
「異国の丘」竹山逸郎
「街のサンドイッチマン」鶴田浩二
「傷だらけの人生」橋幸夫
「有楽町で逢いましょう」フランク永井
「おまえに」フランク永井
「花蕾」美空ひばり
「再会」松尾和子
「和歌山ブルース」古都清乃
「いつでも夢を」橋幸夫・おかゆ
「泣きぼくろ」和田弘とマヒナスターズ
「夜霧の空の終着港」和田弘とマヒナスターズ
「泣かないで」和田弘とマヒナスターズ
「グッド・ナイト」松尾和子・和田弘とマヒナスターズ
「哀愁の街に霧が降る」青山新
「銀座のブルース」藤井香愛
「夜霧の第二国道」新浜レオン
「潮来笠」橋幸夫

 吉田正の代表的なヒット曲としては、うなずける選曲です。フランク永井の曲も6曲に及び、3曲はご自身の映像がでるようです。これは期待度が高いです。
 NHKの番組でもそうですが、美空ひばりに贈った「花蕾」がここでは彼女自身の映像で歌われます。売れた曲とは言えないのですが、時代を代表する吉田正、阿久悠といった創作者。レコード会社の壁を超えた作品。夏は日本の「平和祈願」の時期。ということで、この曲が年を重ねるたびにテレビで取り上げられるようになりました。
 「夜霧の第二国道」はやはり新人と思える新浜レオンが歌唱するとのことで、どのような色合いをだすのか、聞いてみたいです。
 さて、先週も紹介した「日本の流行歌スターたち」の「フランク永井vol2」は人気のようです。そうそうたるメンバーのなかで、トータルでの実績はやはり一番ではないかと思います。vol2をこれまで出しているのは、藤本二三代に次いで2番目です。vol1はこれまで発売された歌手の「全曲集」的なものと言えます。全といっても、実際には特選といったところなのですが、その歌手の特色をつかめるという点で、十分に満足するものです。
 vol2を出すには、その歌手の曲の多さ、幅の広さ、人気の度合いが強いことです。藤本二三代はファンが多かったので、納得がいきます。この度のフランク永井は「土地」「地域」にちなんだご当地ソング集です。文四郎的には、この数倍はまだまだ地域が出てくる曲がありますので、ぜひ、いつかの機会で取り上げて欲しいです。
 増位山太志郎ではないけれど、女性の名前シリーズでも作れますね。
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 フランク永井のCDが8月25日、新発売されます。日本ビクターが所蔵する貴重な音源を用いて、所属した歌手のオリジナル歌唱をシリーズで紹介している「日本の流行歌スターたち」シリーズです。この第8弾で、フランク永井の2枚目のCD「Vol.2有楽町で逢いましょう~水のように~フランク、日本の風景を歌う」が、新たに発売されます。これで、このシリーズは合計45枚になります。
 日本ビクターは日本のレコード会社として最大大手です。抱えた歌手も圧倒的な数で、まさに日本のレコード界をリードしてきました。所蔵する音源は、時代の大きな流れの中ですべてデジタル化されていますが、当時流行した曲でも、その後CD等で発売されるのは少なく、歴史に埋もれてしまうものが多くありました。
 実に残念です。この貴重な歴史的音源を「日本の流行歌スターたち」シリーズとして、厳選してCDで世に出すプランが実行され、続いているわけです。初期から紹介してきましたように、その第一弾がフランク永井でした。歌手としては40人程度が現在まで発売されています。藤本二三代など人気歌手については複数枚のアルバムが出ていますが、このシリーズはまだまだ過程にあると思われます。
 この度は、ファンが待ちに待ったフランク永井の第2弾です。次の、22曲が入っています。CD紹介のサブタイトルにあるように、カバー曲も含まれています。日本の北から南までの「ご当地ソング」を集めています。
 *はモノラルです。

01.知床旅情(1971:SJX-80「琵琶湖周航の歌」)
02.リラ冷えの街(1976:SV-6032B)
03.東北音頭(1966:SV-399B)
04.佐渡おけさ*(1961:LV-21「フランク民謡を歌う」)
05.沓掛子守唄(1966:SV-397B)
06.有楽町で逢いましょう(1973:CD4B-5041「CD-4によるビッグ・ヒット」)
07.東京ギター弾き*(1962:VS-843B)
08.東京ラブタイム(1964:SJV-77「ステレオ・ハイライト第3集」)
09.ムーンライト・イン横浜(1964:SV-94A)
10.清水港のいい男*(1961:VS-528B)
11.加茂川ブルース(1973:CD4B-5041「CD-4によるビッグ・ヒット」)
12.こいさんのラブ・コール(1973:CD4B-5041「CD-4によるビッグ・ヒット」)
13.水のように(共演:浪花千栄子セリフ)(1965:SV-323A)
14.大阪流し(1970:SV-2002A)
15.港神戸の夜霧の女(1964:SV-94B)
16.下松(くだまつ)囃子(1969:PRB-5042)
17.瀬戸の恋歌(1972:SJX-90「NHKあなたのメロディー」)
18.道後の女(ひと)(1967:SV-569A)
19.中洲の夜(1969:SV811A)
20.長崎の町でひとり(1963:SV-2325A)
21.五ッ木慕情*(1963:VS-935A)
22.おきなわ(1965:SV-307A)

 注目は、Track16.「下松囃子」かも知れません。これ以外はすべて、フランク永井のシングル盤、あるいはLPアルバムに所蔵されているのですが、この「下松囃子」だけは、山口県下松市の方々はご存知かもしれません、他では初めて知った曲ではないでしょうか。
 当「フランク永井あれこれ」では2016年に「フランク永井「下松囃子(くだまつはやし)」の再発見。プライベート盤の再考」で一度紹介しました。PRB-5042という盤IDがついています。市の観光局あるいは観光協会あたりからの要請で作成したPR盤、つまり宣伝用の私的盤なのではないかと思われていた曲です。
 これが、この度のCD化で全国版になり、下松市民はおおいに歓迎されていることが察せられます。
 「Track18.道後の女」は全国版ですが、地元では多数の別盤が出されました。この曲は、2006年にすべての開通にこぎつけた「しまなみ海道」の、計画発足時の支援歌です。このくだりは、当サイトの2018年「フランク永井「でっかい夢」。波乱万丈を背負った「でっかい橋=来島海峡大橋」を描いた南海放送「NEWS Ch4」」をご参照ください。
 「Track8.東京ラブタイム」ですが、これはビクターさんの名づけルールを守られていないタイトル。ルールでは「ラブ・タイム」となるのだが、作詞家の意思(思い入れ)が強かったのでしょうか。このアルバムは今年紹介しましたが、ビクターからデジタル復刻されて、リリースされています。
 「Track110.清水港のいい男」は、文四郎的には思い入れがあります。「フランク永井データブック」を編纂する過程で、この盤を求めていたのですが、どうにも現物が入手できずに、肝心の曲が聴けませんでした。ようやく聴けたのは2016年に発売された「懐かしのフランク永井 シングル全集」です。フランク永井のシングル曲で、これは聴かなきゃと思っていて、聴くまでいちばん長かった曲のひとつとして、今も忘れません。

 いろいろと思い入れはありますが、最後に触れたいのは、この盤に「有楽町で逢いましょう」などのヒット曲が入っています。これは、第2集をお持ちの方でも貴重なのは、1973年に吹込みされた当時最新の音質を誇るものだからです。通常の2スピーカーのステレオ再生に、さらに2スピーカーを加えたプレーヤー、4チャンネルというのがあって、それ用に4つの出力を完全分離で収録するというものでした。
 ただ、残念なことに、この方式は、当時急激にデジタル化でもCD化という、現在では批判も多い規格に集合していって、途絶えたという歴史を持つものです。盤はCD4Bの名で残されているので、当時のアナログ4チャンネル再生プレーヤを所有していれば、その音を楽しめるはずです。
 「日本の流行歌スターたち」第8弾の発売を喜びたいと思います。

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 終戦の日の夜、フランク永井の恩師吉田正の生誕百年を記念した番組が放送されました。これは今年7月8日に、生誕地である茨城県日立市民会館で催されたものです。吉田正記念事業推進委員会が主催しました。
 ファンの期待に十分に応えた、大変にいい番組でした。日立市は展望のよいカネミ公園に吉田正音楽記念館を運営しています。市の生んだ誇るべき偉人だからです。吉田正には1998年に国民栄誉賞が付与されています。
 1時間半というなかに、歌と想い出の語りとがぎっしり詰めましたが、けっしてぎゅうぎゅう感のない作りでした。語り・ナビゲーションはNHKのアナウンサーで、吉田正、フランク永井番組では定評がある、石澤典夫でした。
 放送された曲ですが、下記にあげます。この選曲も充分に練られたものです。当日歌ったゲストの名は、曲名の後ろに記しました。現時点で吉田正、フランク永井を扱うときのゲストの選択という点ででも、ファンの期待に沿って選出されています。

「異国の丘」竹山逸郎・中村耕造・全員
「潮来笠」橋幸夫
「美しい十代」三田明
「弁天小僧」福田こうへい
「キューポラのある街」城南海
「街のサンドイッチマン」三山ひろし
「勇気あるもの」長山洋子
「再会」坂本冬美
「後追い三味線」市川由紀乃
「落葉しぐれ」五木ひろし
「有楽町で逢いましょう」フランク永井映像
「公園の手品師」ささきいさお
「西銀座駅前」ささきいさお
「東京午前三時」ささきいさお
「傷だらけの人生」鶴田浩二映像
「寒い朝」城南海
「夢千代日記」吉永小百合、坂本冬美
「恋をするなら」橋幸夫ほか
「明日は咲こう花咲こう」三田明ほか
「あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)」橋幸夫ほか
「みんあ名もなくまずしいけれど」三田明ほか
「恋のメキシカン・ロック」橋幸夫ほか
「和歌山ブルース」古都清乃
「霧子のタンゴ」五木ひろし
「誰よりも君を愛す」五木ひろし・市川由紀乃
「東京ナイト・クラブ」五木ひろし・市川由紀乃
「花蕾」長山洋子
「面影渡り鳥」橋幸夫
「いつでも夢を」全員

 全体を通じて素晴らしかったのですが、文四郎的に印象的だったことをいくつかに、絞ってみます。

 まず、第一に、映像で歌ったのは、フランク永井と鶴田浩二です。フランク永井のNHKが所有する最も古いと思えるのは、1968(S43)年の「歌まつり明治百年」での「有楽町で逢いましょう」なのです。今回使用したのは翌年の「第1回思い出のメロディー」(S44.8.2)の映像でした。渋谷公会堂、宮田輝アナウンサーの司会です。
 フランク永井の初期映像は少ないので、大変貴重です。この映像を流してくれたことに、感謝をします。ファンの気持ちを考えている証拠です。

 二番目には、吉永小百合、坂本冬美の「夢千代日記」の共演です。そもそも吉永小百合が歌番組に出ること自身が大変珍しいことです。彼女は自分は映画俳優だということで、歌は基本的にきっぱりと出ないことにしています。これは歌の世界、作者たちに対する敬意からです。
 彼女は戦争についての記録の朗読ということを、長く続けてきました。今回も吉田正に関係した朗読をされています。坂本との共演も朗読で参加しましたが、終盤の「いつでも夢を」の全員合唱では、歌う姿も見受けられました、
 この歌は橋幸夫とのデュエットなのですが、最初に歌ってから今まで、橋とのツー・ショットはわずか数回です。当時のEP盤吹込みも、別取りするほど互いに忙しかったのです。その後、彼女が意識的に歌番組からオファーがあっても、断ってきたからでした。
 彼女の今回の番組への出演は、何といっても吉田正の偉大さです。

 三番目には、吉田メロディーへの若い歌手の参加です。ささきいさおの三曲メドレーは、いずれもテレビ初出の歌唱でよかったです。五木の「霧子のタンゴ」は何度も歌っているだけに、聞かせるものでした。
 だが、そうしたベテラン勢に加えて、文四郎一押しの三山ひろし、好きな城南海、ファンである坂本冬美、市川由紀乃、といった若手(でもないという声もあるけど)が吉田メロディーを歌ったことです。しかも、この歌手たちは、実にうまくうたっていることに感心しました。

 最後に、吉田正が美空ひばりに作った「花蕾」を長山洋子が歌いました。この曲を制作陣が選んだことにも評価を表したいと思います。美空ひばりは、吉田正と同時代の偉人でした。レコード会社の違いから、互いに敬意を持ちつつも、なかなか実現しなかったことが、阿久悠をはさんで後年に実現した作品です。この時には、ビクターもコロンビアも、厳格な会社間協定があるにもかかわらず、暗黙の了承をしています。時代の流れも背景にありますが、大人の対応をしたのですね。
 ということで、優れた番組を楽しませていただきました。
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 この暑い夏、オリンピックもすったもんだしながら、閉会を迎えます。フランク永井の出るテレビ番組は、先週に触れたばかりです。ご本人はなかなか、出演してくれません。今回紹介する番組も、同じなのだが、タイトルに名前が出ている、2時間番組です。
 7月30日に、BS-TBSで放送された番組です。「五木ひろしが選び歌う石原裕次郎・フランク永井とムード歌謡名曲集」。タイトルのように、五木ひろしが全面的にしきり、自ら歌うという番組です。五木ひろしファンにはたまらない人気の番組です。
 現役の歌手では、五木は押しも押されもせぬ大御所になっています。長い歌手生活もそうですが、歌謡界の歴史やうんちくを語ることにおいては、欠かせない存在となっています。番組を持つ、ということでは、このコーナーでよく紹介している「武田鉄矢の昭和は輝いていた」の武田とならんでいるのではないでしょうか。
 五木はフランク永井を称えています。敬意をもって、ずいぶんとカバーもしています。また、先に話題にしたように、恩師吉田正がご健在のおり、次世代のフランク永井探しを渡来したときに、候補にあがり、恩師自らがフランク永井の歌の指導をしています。
 五木は、そうした経緯から、フランク永井のヒット曲を多数カバーし、レコードを出しています、この五木が、ムード歌謡に焦点を当てて、番組を構成するときに、いろいろと悩まれたようです。その様子は、石原裕次郎と組ませて、ベストテン方式で16曲を順位付けしているところでしょう。
 つぎが、彼の選んだベスト15です。
  01 夜霧よ今夜も有難う
  02 有楽町で逢いましょう
  03 北の旅人
  04 おまえに
  05 二人の世界
  06 赤いハンカチ
  07 霧子のタンゴ
  08 ブランデーグラス
  09 東京ナイト・クラブ
  10 夕陽の丘
  11 粋なわかれ
  12 大阪ろまん
  13 夜霧の慕情
  14 夜霧の第二国道
  15 恋の町札幌

 ご覧のように、デュエット曲では「東京ナイト・クラブ」はありますが「銀座の恋の物語」はありません。リストにはあげてませんが、特例で裕次郎の映像を流しています。しかも、裕次郎が女性のパートも含めて一人で歌うという、レアなモノクロ映像を出しています。
 夜霧に消えたチャコ、東京午前三時、西銀座駅前、Woman、旅愁...、フランク永井の世に知れたヒット曲は、まだまだ多数あります。これらをしりぞけて、バランスをとったのではないかと思えます。
 裕次郎をフランク永井に並べて出せば、そのスーパー・スターぶりにおいて、残念ながらフランク永井は及びません。歌ばかりではなく映画でも超人気を博した実績は、日本の芸能史でも別格な人だからです。
 それでバランスを工夫した様子が察せられます。
 裕次郎の特別映像をだすのなら、フランク永井の映像出演もあってもいいと、期待しながら観ましたが、それはなしでした。まあ、基本は、五木が「自分で歌う」というのが柱なので、止むをえないですね。
 五木の歌については、幾度も触れてきましたが、文四郎的には、彼の歌を続けて、何曲も聴くのはつらいのです。彼は歌で苦労しただけあって、自らの歌への姿勢を「五木節」と呼ばれる形にし、それを、歌う際にすべて貫いています。
 基本は、歌を聴いたものに「こころをつかみ、引き入れる」ことではないかと、勝手に解釈します。歌い方に対する、絶妙な、微妙な感情操作を加えて、技術的に表現をコントロールします。前提として歌う力量があっての技です。
 だから、一曲単位で歌う曲は、常に「五木節」による完成を実現しています。彼のヒット曲を、どの一曲でも聴けば解ります。しかし、「こころをつかみ、引き入れる」というのは、聴く人の胸にとって、その押しの強さから「苦」を感じます。
 かつて、キム・ヨンジャと島津亜矢についても書きましたが、押しの強さは、ときには「おせっかい」にも転化するのです。フランク永井の歌は、押しつけがましさがなく、いわばBGMです。ゆったりとくつろいで、気を落ち着かせて、歌を鑑賞したい気持ちのときに、他人から心臓を握られ、揺さぶられたくはないものです。
 ということで、五木の歌は間をおいて、数曲聴く分にはいいのですが、続けて聴くのはつらいのです。そのようなことから、彼が出演して歌う番組を見てても、数曲聴いたら終えます。誤解がないように、お願いしたいのは、五木ひろしのことを、何か否定的にいっているのではありません。あくまでも、文四郎的な個人の感想です。まあ、歌については、毎回のように言っていますが、個人の嗜好品ですので、感想は各人の自由です。
 五木がフランク永井に敬意を払っている証として、もう一つ指摘しておきます。それは「有楽町で逢いましょう」の初版の編曲者である佐野鋤(すき。その後、佐野雅美)のご子息の佐野博美を、ムード歌謡には書かせなテナーサックス演奏者として、特別に紹介しています。
 「有楽町で逢いましょう」は、後にステレオ時代になった際、吉田正が自ら編曲して録音していますが、初期モノラル版は佐野のものです。吉田の卓越したメロディーがあり、イントロは彼が注文した雨の音を、佐野が印象的に色付けしたものです。五木の姿勢を垣間見た感じです。
 今回の番組では、通して観てしまいました。やはり、フランク永井の歌がどう歌われるのか、という期待です。そうした念願に、希望を添えてくれたのは、ゲストです。特に秋元順子の出演には拍手でした。
 彼女は、歌がうまく、カバーでは抜群の力を発揮しています。今回は、キーのあわせがこれは考えた方がいいのでは、というのは見受けられましたが、それでも、満足いく歌唱を聞かせていただきました。「有楽町で逢いましょう」「おまえに」は、秋元に歌って(デュエットではなく)ほしかったです。
 いろいろ言いましたが、このような番組を作ってくださるのは、大歓迎です。ありがとうございました。
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 1985(S60)年に舞台を去ったフランク永井が、テレビに出演することは、極めてまれです。いくら、彼のファンでも、いくらテレビの歌謡番組に願っても、35年も前に消えた歌手の出演は、なかなか珍しいことになります。
 出演と言っても、当然ですが録画です。その録画も、歌謡界の女王であった美空ひばりとは異なり、フランク永井の映像はそう多いわけではなく、出きった感があります。
 だが、ファンは、まだ出ていない、フレッシュな映像がまだ残っているはずだという幻想を持っています。全国放送のテレビ局は、オリジナル映像を持っているわけですが、すでにほとんどの曲は、映像データベースが完了していて、漏れはないと考えられます。
 各局は、そうしたデータベースを周知していて、多少予算がある場合は、所有している曲から有償で使用しあうことをしています。

 さて、フランク永井の恩師吉田正の生誕百周年にあたります。6月が毎年特集が組まれていたのですが、今年はNHK-BSプレミアムの人気歌謡番組である「新・BS日本のうた」が放送する予定です。
 生誕の地である茨城県日立市とNHKが共催した「生誕100年を記念したコンサート」の放映です。
 https://www.kayou-center.jp/29134
 吉田学校の門下生であった吉永小百合、橋幸夫、三田明、古都清乃らと、歌謡界でなじみの五木ひろし、坂本冬美、長山洋子が出演します。
 そして、吉田正が、自分の持つすべてを与えたと言われたフランク永井も、録画映像で流れます。
 ファン、必見ですので、お見逃しないようにしたいと思います。

 昨年に続き、今年もコロナ禍の最中にあります。しかし、多くの問題を抱えながらもオリンピックは開催中です。変異種の拡大と、かつてないい異常気象による暑さがきています。
 このような状況で、なるべく外出も控えています。テレビを観る時間も増えています。この夏に放送された「フランク永井がらみの番組」は、どんなだったのでしょうか。
 唯一、6月24日にBS11の歌謡番組「八代亜紀のいい歌いい話」です。「第108回魅惑のムード歌謡特集」というタイトルがありました。
 ここでは、八代亜紀による「有楽町で逢いましょう」の歌唱がありました。日野美歌が松尾和子の「誰よりも君を愛す」をカバーしました。
 番組は作曲家吉田正の生誕百周年ということを念頭に、この二曲が採用されたようです。このような流れであったとしても、フランク永井という偉大な歌手が存在したことを、思い起こさせてくれることは、たいへんありがたいことだと思っています。

 おまけです。昨年7月7日に放送された番組の再放送がありました。BSテレビ東京の「昭和歌謡の輝き!3時間SP」という番組です。
 ここでは古賀政男をはじめとする昭和歌謡界に「想い出を紡いだ伝説の作家7人」が紹介されています。そこでの一シーンで、島倉千代子がスタジオに用意した祭りの櫓(やぐら)舞台で「恋しているんだもん」を歌っています。
 櫓には島倉をはじめ数人、周囲を浴衣姿の人たちが躍ります。櫓の前にやはり浴衣姿の男女がうちわを手に拍子を合わせています。映像は昭和58年8月放送の「にっぽんの歌」とあります。
 昔のテレビの解像度なので、不鮮明で判断はできないのですが、その男性がフランク永井なのではないのかという話題です。ファンの欲目なのかも知れませんが、そのようにも見えます。
 まあ、こんな形でも、話題になるだけで、ファンにはうれしい話じゃありませんか...。暑さよ!飛んでけっ!
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 オリンピックが開催されています。無観客の開会式という異様な、史上初のことです。世界を震撼させているコロナ禍がその変容の理由のようですが、いかがなものでしょうか。
 東京では2千人近い「感染者」数が報じられている最中です。昨年に「延長」が決定されたときの「危機的な状況」を思い起こすと、現在はその比ではなく、オリンピック中止の決定が、躊躇なくなされても、誰も文句をいう人はいないと思われます。
 現に、この間の世論では、7~8割の人びとが開催の中止を望んでいました。一週間ほど前の朝日新聞の投書欄に「日本の民主主義、どこへ行った?」という記事が掲載されました。大学兼任講師をされている方の原稿です。
 圧倒的に多数の人が中止を求める中で、実行するのでは、民主主義はどこへ行ってしまったのだと言っています。ボブ・ディランの「風に吹かれて」の歌詞を五輪関係者に送るというのです。「いったい どれだけの人が死ねば あまりに多くの人を亡くしたと 悟るのだろう...」
 オリンピックの開会式をテレビで見ました。ほとんどの時間は参加国からの選手の入場なのですが、それでも開会式の目玉が近年は当然視されていて、それは何かという興味と期待です。今回の五輪2020では、何だったのでしょう。
 技術的には北京五輪で登場しましたが、今回は1824台のドローンの整然とした飛行技術が目を引きました。またパナソニックが長年の研究の蓄積から実現したプロジェクト・マッピングのどきもを抜く鮮やかさだったでしょうか。
 だけど、8割以上のあらかじめ用意した映像に2割程度の現場映像を差し込んだ映像は、ただただ現場ではなく、過程でテレビ映像をして楽しもうという視聴者向けで、果たしてそれはいかがなものかと感じざるをえませんでした。
 生放送の緊張感、エラーやハプニングといったライブでは欠かせない要素が登場するスキがまったくないのです。放送の前時間にわたって、まったくそつのない映像でした。別な角度で見れば、会場の熱気とか感性とか、選手の感情が遠い絵で、視聴者に伝わらない冷たい映像でもあります。映画やドラマと同じで、全時間分を事前に作って、リアルタイムのライブだよといっている感じです。

 フランク永井のエピソードに特化したこのブログで、いったい何を言っているのかと思われる方もいると思います。まぁ、フランク永井がらみの話題はそんなにありませんので、この機会にもう少し触れてみましょう。
 オリンピックは今年でいったんやめて、出直した方がいいですね。少なくとも近年のオリンピックは、一言でいえば「利権」まみれで、フェアや平和とは無縁になっているからです。ネットでKAJIさんという方が印象的な表現をしていました。
 東京2020は最初「復興五輪」というスローガンでした。2011年の東日本大震災。福島原発事故からの復興をうたいたかった意図はわかります。だが、それは「アンダー・コントロール」のフェイクな言葉がばれたように、使い続けられず「アベノミクスの第四の矢」に差し替えました。つまり、景気が悪いので景気をよくし、経済が活性化した証としての東京五輪にするというわけです。
 景気など良くならないままで襲ってきたのがコロナです。そこでスローガンはまたもや「人類がコロナに打ち勝った証としての東京五輪」に変更され、収まる気配がないので「安全安心の五輪」へと変化しました。
 もともとオリンピックは「市」が全責任で行うというものでした。つまり、東京都が、その地域で、予算も持って開催するのです。ところが、何やかにやの理由をつけて「国」が介入し、何々委員会とか、スポンサーとか、映像権とかが参戦して、ぐちゃぐちゃとなり、予算も軽く桁違いまでなりました。
 責任者、指揮者、ボスが乱立し、誰もコントロールできなくなり、当然責任をとるものが誰なのかわからなくなり、税金でカネをだす一般人には、しらけしかありません。このようななかで、いくら「スポーツ精神」「世界の平和の祭典」を掲げても、しらじらしさしか感じません。
 全力を投入してこの場に臨んできた選手たち、競技で技量を純粋に競い合う。これは観る人に感銘を与えます。それを楽しみに待っていた人も、世界中におります。こうした人びとを、利権にまみれた亡者たちが裏切ったのです。未来をになう子供たちに、申し開きのできないことをしている現状は、五輪をやめて、頭を冷やして、出直すしかないのではないでしょうか。

 前号で「昭和は輝いていた~平和・反戦」を取り上げました。読者から聞かれましたので、私の知る範囲で書きます。「平和・反戦」とフランク永井との関連性は、直接的にはありません。現代は特になのですが、芸能人は「政治色を表に出さない」ことで、幅広い層に親しまれようとしています。タブーですね。だが、この番組に登場した人たちや、当時のフォークで反戦を真正面から掲げた歌手はおります。上條恒彦らは立派だと思います。
 フランク永井の時代では、初期の時期に関西労音での人気や、広島平和音楽祭への参加などが、平和運動への関与で記録されています。沖縄返還まえの1965年に「おきなわ」を、1972年の広島平和際では「幼な子よ」を歌っています。後者はレコードになっていません。
 デビュー前は周知のように米軍基地で仕事をし、朝霞キャンプで歌っています。歌が好きだったためで、何より生活のためでした。政治色は美空ひばりなどの他の歌手と同じと言っていいのではないでしょうか。
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 ユニークな歌謡曲番組放送で独走しているBSテレ東が、先日に日本歌手協会歌謡祭プレイバックとうたい、1985(S60)年開催の第7回歌謡祭のダイジェストを放送しました。
 以前にもこのブログで紹介したのですが、ここでフランク永井が最初で最後の出演を果たしています。その貴重な映像が放送されました。
 この回は、番組でも事前に目玉としてフランク永井をとりあげていますが、その際にもう一人あげたのが坂本九です。彼はこの年の驚くべき事件であった「日本航空123便」で不慮の事故にあいました。
 同じ年に奇しくも舞台を降りた二人の出演する映像記録だけに、たいへんファンから注目されていたもので、このたびの再放送は、期待を裏切らない番組となりました。
 フランク永井は映像的にも最後となるような歌唱でした。坂本九は「見上げてごらん夜の星を」を熱唱しました。ちなみに、この大ヒット曲はフランク永井がみごとなカバーをしています。

 さて、BSテレ東は「武田鉄矢の昭和は輝いていた」というユニークな番組が人気です。2013年に始まったようですが、翌年から「武田鉄矢の」を番組名につくようになりました。武田鉄矢の独特の語りとうんちくが面白いのですが、そればかりでないのは、取り上げるテーマが、しっかり昭和のポイントを押さえていることが、人気の土台になっていると思います。
 先日は「悲恋・未練・道ならぬ恋の唄」という特番がありました。流行歌の多くは、まさに、これがテーマです。だから、どのヒット曲をとりあげてもいいようなものなのですが、戦前・戦中からこれはという曲で、かつ映像が残されているものを放送されました。
 さすがにテレ東、というか、以前は「東京12チャンネル(略して12チャン)と呼んでいましたが、歌謡曲、流行歌を安定的に流して生きただけあって、映像記録の数も抜きんでています。テレ東ならではの、珍しい貴重な曲が聴けました。
 ここでは、武田のコメントなして、フランク永井の「君恋し」と松尾和子の「再会」が流れました。松尾の「再開」は、恩師吉田正の自薦の最高傑作といわれるだけに、聴いていて胸を打ちます。

 この番組で、この夏特別に推したいプログラムがありました。それは「反戦歌平和を歌う歌」という週のものです。歌と反戦という、少し難しいテーマを、ずばりと真正面から扱いました。
 ゲストは、写真のように小室等、新谷のり子、竹村淳(楽ジャーナリスト)です。武田も彼らも登場したのはベトナム戦争の時代に重なるのだが、番組は先の対戦に関係している歌もちゃんと押さえています。
 フランク永井とは深い親交もあった藤田まことが、舞台で「さとうきび畑」を熱唱しました。圧巻でした。初めて聞きましたが、彼の実兄が戦地に赴き、帰ってこなかったということが語られ、自宅に届いた手紙が紹介されました。当時、同じような経験をした家族は多かったはずです。
 「さとうきび畑」は、有名な歌で、多くの歌手が歌い続けています。私は当時上条恒彦が歌声喫茶で歌っていたのが個人的に印象深く、記憶しています。確か彼のファースト・アルバムにあって(このときのタイトルは「サトウキビ畑」)、何度も聞いたのを覚えています。
 敗戦の年の8月は、2発の核が日本で使われました。記念日はまもなくきます。コロナ禍という世界的なまるで戦時下であるようなロックダウン、緊急事態宣言下にあります。そうしたなかで、核や戦争の廃絶というまさに反戦が、多くの方々から語られる季節です。
 番組を観て感じたことがあります。この忌まわしい戦争と、それを当時盛り上がっていた反戦への参加の行動から、彼らが感じたというポイントについてです。
 一つは、歌手の新谷が歌った「フランシーヌの場合」の歌詞についてです。「ホントのことを言ったら、あまりにも悲しい...ホントのことを言ったら、オリコウになれない...」です。
 もう一つは、小室市等が最後に「当時は被害者として反戦歌を歌ってきたが、今は加害者としての目線をしっかり持つ必要もある...」と語っていたことです。
 戦争というテーマは、あまりにも大きく、圧倒的過ぎて、ひとりひとりのレベルでは、無力でしかないという空気だといって、けっして言い過ぎではありません。そのなかで、紹介した二つのポイントは、考えるうえで、何か的を得たヒントを語っているように感じたわけです。

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